日本記念日協会(※1)に登録の07月29日の記念日に「Piknikの日 」がある。
制定したのは飲料ブランドの「Piknik(ピクニック)」を発売する森永乳業(株)(※2)。「Piknik」は森永乳業が1981(昭和56)年から発売している箱型紙容器に入った乳飲料で、ストロベリー、フルーツ、ヨーグルト テイスト、カフェ・オ・レ、コーヒーなどの製品があり、紙パック飲料ながら、未開封の場合、常温状態で賞味期限が製造日から90日という長期保存が可能。日付は29日を「Piknik」の語尾のニック と読む語呂合わせから。親しみやすい飲み物なので毎月の29日を記念日とした。…という。
「僕たち飲むならピクニック」のキャッチコピーで知られる。1990年代ごろからタレントを起用し、これまでに観月ありさ、有村美波、小川那奈、乙葉、蒲生麻由、かわい綾、井原慶子、V6の岡田准一などが出演している。又、CMソングには、以下のようなものがある。いずれもいい曲だ。
1986年 ジョセフ・ウィリアムズの「MY ONE」↓
Joseph Williams - My One - YouTube
1989年 スターダストレビューの「夏のシルエット」↓
スターダスト・レビュー 夏のシルエット 動画 PV 視聴 | Youtube
1997年 D&Dの「SUNSHINE HERO」↓
SUNSHINE HERO - D&D - 歌詞・動画 : 歌ネット
D&D(ディー・アンド・ディー)は、沖縄アクターズスクール出身の3人組(OLIVIA、Aya、Chikano)の女性アイドルグループで、1996(平成8)年から1999(平成11)年にかけて活動。1997(平成9)年6月、3枚目のシングル『SUNSHINE HERO』が、森永「Piknik」のCMソングとなり、グループとして自らCMにも出演。
OLIVIA(オリヴィア)(本名: オリヴィア・ラフキン)は父親がアメリカ人で母親が日本人のハーフであり、日本語があまり話せないということもあって『LOVE IS A MELODY』(1996年)でテレビ番組に出演するようになった最初の頃は、Aya(アヤ:本名: 上原あや)が3人のセンターに立って歌っていた。
D&D - LOVE IS A MELODY-You Tube
しかし、出演を重ねる間に、メインボーカルであるOLIVIAがセンターに立つようになった。同年、OLIVIAがサッカー・FIFAワールドカップフランス大会の公式アルバムで、小室哲哉・ジャン・ミッシェル・ジャールプロデュースの『TOGETHER NOW』にボーカルとして参加。
"TK" KOMURO - TOGETHER NOW - YouTube
この頃からOLIVIAがグループとは別に活動するようになり、残ったAyaとChikanoで、Aya&Chika from D&D 名義での初のシングル『Kiss in the Sun』を発売している。1999(平成4)年2月に、 OLIVIAは、シングル『I.L.Y. 〜欲望〜』でソロデビューした後、自分自身の曲を表現したい為セルフプロデュースを開始するようになる。D&Dは、歌もダンスも上手い突出した実力を備えたユニットだっただけに、Oliviaが抜けてすぐに活動休止となってしまったのがファンなどには残念だったろうね〜。
話変わって、本来のピクニック(Picnic)とは、屋外に出て野山や海岸などの自然豊かな場所に出かけていき、食事をすること。語形としてはpique‐nique(フランス語)が古いが、語源は諸説あって不明らしい。元来は「持ち寄りの宴会」を意味したようだ。
このピクニックの風習は、ヨーロッパの貴族たちの社交場として始まったという。Wikipediaには、狩猟遊びで栄えたとあるが、当時、ヨーロッパの貴族たちにとって狩猟遊びが、屋外での社交場でもあったのだろう。その当時は配膳などに使用人を配するなど、戸外で食事をすることに贅(ぜい)をこらして楽しむ傾向が見られたようだ。
●以下に掲載の画像は貴族のピクニックの様子。15世紀の図版らしい(Wikipediaより)。
使用人たちのほか、左下には猟犬もおり、大所帯で戸外に繰り出している様子がうかがえる。
いつしかピクニックの風習は欧米に広がり、大衆化する過程で簡略化され、家族やカップルないし遊び仲間など少人数で楽しむ際に、食器を使わないでも食べられる簡便な、それでいて「食べる」という娯楽性を付与した食事が供されるようになった。
交通機関やモータリゼーションの発展、公園や公共空間の整備などに伴い、気軽に自然環境の豊富な郊外に出かけることが可能となり、一般のライフスタイルに浸透していった。
食事では、主に弁当・サンドイッチ・果物などの運搬性の良い食べ物を持って行き、自然に親しみながら遊ぶ。これらの遊びはスポーツなどの本格的なものではなく、軽く体を動かす程度(散歩を含む)で、これは専ら「食後の軽い運動」程度にとどめられる。
似たような行楽には、ハイキングがあるが、こちらは「てくてく歩く」という意味あいがあるようで、行楽地まで徒歩で移動することのほうに主体がある。ピクニックではその移動の距離や過程は重要視されず、より純粋に戸外で食事や行楽をすること(パーティー【party】)に重点が置かれている。
日本の「花見」などもピクニックの一つであろう。
ピクニックというと私などの年代の者は、ウィリアム・ホールデン、キム・ノウ゛ァク共演のアメリカ映画『ピクニック』(1955年)を思い出す。
9月初旬の労働の日(レイバーデイ)に催されるピクニックを前に、湧き立つアメリカ中西部の小さな町。
町をあげてのピクニックの朝、貨車から降りた無一文の流れ者ハル(ホールデン)は、旧友アランを頼ってやって来たのだが、沿線沿いにあるポッツ家の庭仕事を手伝うことでやっと朝飯にありつく。
半裸で庭仕事を手伝うハルに目を見張る女ばかりの隣家。ピクニックに興じるうち、次女ミリーがハルに夢中になる。しかし、夜のダンス・パーティーをきっかけにハルの心を射抜いたのは友人の婚約者で町一番の美人でもある長女のマッジ(キム・ノウ゛ァク)だった。しかし、ハルはマッジを愛するアランに自動車泥棒の疑いをかけられて町を出ることになる。
それぞれの生活を抱えた人々が年に一度のピクニックにうきうきと繰り出し、また元の生活に帰っていく。カンザス州の田舎町を舞台に若い二人が駆け落ちするまでのたった一日のできごとを描いている。風物詩的な味をもち、恋心の甘さと苦さをにじませた名編だ。
その中で、ベニー・グッドマン(Benny Goodman)の名曲『ムーングロウ(Moonglow)』のスローな「スウィング」に乗って踊り出すマッジ役のキムノウ゛ァクの踊りが印象的だった。
また二人が踊るロマンチックなダンスシーンは周囲の人達も溜息を漏らすほどのもので、この映画のハイライトでもあった。舞台出身のジョシュア・ローガンの傑作であり、ゴールデングローブ賞 監督賞を受賞。この映画では、アカデミー賞美術賞、編集賞も受賞している。以下でその感動的なダンスシーンが・・・。
Picnic (1955)
映画の流れ全体は以下がよくわかる。
PICNIC (1955) original TRAILER
このピクニックの夜の雰囲気、今ではなく、かってあった良き時代、私たちがまだ青年の頃の日本の夜桜の雰囲気などとよく似ている。
私の住んでいる神戸の源平合戦ゆかりの須磨寺横の大きな池のある公園(須磨寺公園)は伊藤博文も兵庫県知事時代には花見に来たこともある明治の頃からの桜の名所。この公園の大池の周囲は落ち着いた雰囲気で夜桜には最適であった。
シーズンになると池の前の提灯の薄明かりに照らされた桜の前で多くの花見客が、茣蓙(ござ)を広げて楽しく談笑しながら会食をしていた。場所によっては、野点のようなこともしていたし、三味線や太鼓に合わせて歌を歌を歌ったり、踊りを舞っている人もいたし、盆踊りの様に小さな輪を作って踊っている人もいた。
三味線などなくても、酒がすすんで来ると手拍子で一緒に歌を歌ったりしていたが、最近の花見などで見られる様な、混雑した人ごみの中での焼肉の臭い匂いと煙を撒きちらしながらのバーベキューや、騒々しいカラオケの使用などはなかったので、わりと静かに粛々と陽気で明るい雰囲気であった。
神戸には勧告人の方も多く済んでいるが、その人たちも毎年決まって同じ場所で花見をしている人たちが居り、アリランなどの歌を歌いながら陽気に踊っていたが、私達日本人も参加して、一緒に楽しく踊っていたものだ。
昔はごく一部の酔っ払い以外の普通の人は、先ず人に迷惑をかけないよう気を使い、節度ある行動をしていたが、自分勝手な人の多くなった今日この頃は、傍(はた)迷惑な行動を平気でする人が多くなり、折角の楽しいはずの場が鬱陶しい雰囲気になってしまったので、最近は花見にもゆかなくなった。
アメリカ映画の『ピクニック』でも一人酒を飲んで荒れていたおばちゃんがいたが、このような場では、人に迷惑をかけないようマナーには十分気を付けてもらいたいものだ。
暑い盛りの京都・祇園祭や、大阪天神祭に欠かせない魚が「鱧(はも)」。 鱧は梅雨の雨を飲んで旨く なると言われており、梅雨の明ける7月になると脂が乗り始め旬となる(※3)。
関西では京都大阪だけではなく神戸でも夏に欠かせない味覚として喜ばれる。
それで、今年は、私たちも暑い最中、夕刻から京都へ鱧料理を食べに出かけた幸い、神戸からは京都までは、阪急電車を使えば1時間少々で行ける。食後に、嵐山の鵜飼を見て帰ってきた。
●上掲の画像は、鱧料理の一品鱧の薄造り。
夜に1時間ほど鵜飼を見に行ったと言っても、鱧料理を食べることの方が主目的だったので、これはピクニックの一種ともいえるかもしれない。しかし、ピクニックとしては、やはり暑い夏より、涼しくなった秋がいいね〜。
夏はおとなしく家で休養し、ピクニックには秋に出かけましょう。
今年の夏は昨年ほどではないとはいえ、平年よりは相当厳しいようなので、私も、明日から8月一杯はこのブログもお休みしようと思います。
みなさんも熱中症や、食あたりなど気を付けて暑い夏元気に乗り切ってください。
9月にまた来てください。よろしくお願いします。
最後に嵐山での鵜飼の写真を1枚おいて行きます。下手な写真ですがほんの一服の冷となればよいのですが・・・。
○冒頭の画像は、フランス印象派の画家マネの代表作『草上の昼食』(制作年:1862年–1863年)は、女性が脱いだ服を左下のピクニックの持ち物の中に配置する事によって、「現実の裸体の女性」を描いたことが「不道徳」とされ1863年のサロン(salon。フランスの官展)に出品したが落選となったもの。Wikipediaより。
参考:
※1:日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/
※2:森永乳業
http://www.morinagamilk.co.jp/
※3:ハモ - 日本の旬・魚のお話
http://www.maruha-shinko.co.jp/uodas/syun/5-hamo.html
ピクニック - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF
制定したのは飲料ブランドの「Piknik(ピクニック)」を発売する森永乳業(株)(※2)。「Piknik」は森永乳業が1981(昭和56)年から発売している箱型紙容器に入った乳飲料で、ストロベリー、フルーツ、ヨーグルト テイスト、カフェ・オ・レ、コーヒーなどの製品があり、紙パック飲料ながら、未開封の場合、常温状態で賞味期限が製造日から90日という長期保存が可能。日付は29日を「Piknik」の語尾のニック と読む語呂合わせから。親しみやすい飲み物なので毎月の29日を記念日とした。…という。
「僕たち飲むならピクニック」のキャッチコピーで知られる。1990年代ごろからタレントを起用し、これまでに観月ありさ、有村美波、小川那奈、乙葉、蒲生麻由、かわい綾、井原慶子、V6の岡田准一などが出演している。又、CMソングには、以下のようなものがある。いずれもいい曲だ。
1986年 ジョセフ・ウィリアムズの「MY ONE」↓
Joseph Williams - My One - YouTube
1989年 スターダストレビューの「夏のシルエット」↓
スターダスト・レビュー 夏のシルエット 動画 PV 視聴 | Youtube
1997年 D&Dの「SUNSHINE HERO」↓
SUNSHINE HERO - D&D - 歌詞・動画 : 歌ネット
D&D(ディー・アンド・ディー)は、沖縄アクターズスクール出身の3人組(OLIVIA、Aya、Chikano)の女性アイドルグループで、1996(平成8)年から1999(平成11)年にかけて活動。1997(平成9)年6月、3枚目のシングル『SUNSHINE HERO』が、森永「Piknik」のCMソングとなり、グループとして自らCMにも出演。
OLIVIA(オリヴィア)(本名: オリヴィア・ラフキン)は父親がアメリカ人で母親が日本人のハーフであり、日本語があまり話せないということもあって『LOVE IS A MELODY』(1996年)でテレビ番組に出演するようになった最初の頃は、Aya(アヤ:本名: 上原あや)が3人のセンターに立って歌っていた。
D&D - LOVE IS A MELODY-You Tube
しかし、出演を重ねる間に、メインボーカルであるOLIVIAがセンターに立つようになった。同年、OLIVIAがサッカー・FIFAワールドカップフランス大会の公式アルバムで、小室哲哉・ジャン・ミッシェル・ジャールプロデュースの『TOGETHER NOW』にボーカルとして参加。
"TK" KOMURO - TOGETHER NOW - YouTube
この頃からOLIVIAがグループとは別に活動するようになり、残ったAyaとChikanoで、Aya&Chika from D&D 名義での初のシングル『Kiss in the Sun』を発売している。1999(平成4)年2月に、 OLIVIAは、シングル『I.L.Y. 〜欲望〜』でソロデビューした後、自分自身の曲を表現したい為セルフプロデュースを開始するようになる。D&Dは、歌もダンスも上手い突出した実力を備えたユニットだっただけに、Oliviaが抜けてすぐに活動休止となってしまったのがファンなどには残念だったろうね〜。
話変わって、本来のピクニック(Picnic)とは、屋外に出て野山や海岸などの自然豊かな場所に出かけていき、食事をすること。語形としてはpique‐nique(フランス語)が古いが、語源は諸説あって不明らしい。元来は「持ち寄りの宴会」を意味したようだ。
このピクニックの風習は、ヨーロッパの貴族たちの社交場として始まったという。Wikipediaには、狩猟遊びで栄えたとあるが、当時、ヨーロッパの貴族たちにとって狩猟遊びが、屋外での社交場でもあったのだろう。その当時は配膳などに使用人を配するなど、戸外で食事をすることに贅(ぜい)をこらして楽しむ傾向が見られたようだ。
●以下に掲載の画像は貴族のピクニックの様子。15世紀の図版らしい(Wikipediaより)。
使用人たちのほか、左下には猟犬もおり、大所帯で戸外に繰り出している様子がうかがえる。
いつしかピクニックの風習は欧米に広がり、大衆化する過程で簡略化され、家族やカップルないし遊び仲間など少人数で楽しむ際に、食器を使わないでも食べられる簡便な、それでいて「食べる」という娯楽性を付与した食事が供されるようになった。
交通機関やモータリゼーションの発展、公園や公共空間の整備などに伴い、気軽に自然環境の豊富な郊外に出かけることが可能となり、一般のライフスタイルに浸透していった。
食事では、主に弁当・サンドイッチ・果物などの運搬性の良い食べ物を持って行き、自然に親しみながら遊ぶ。これらの遊びはスポーツなどの本格的なものではなく、軽く体を動かす程度(散歩を含む)で、これは専ら「食後の軽い運動」程度にとどめられる。
似たような行楽には、ハイキングがあるが、こちらは「てくてく歩く」という意味あいがあるようで、行楽地まで徒歩で移動することのほうに主体がある。ピクニックではその移動の距離や過程は重要視されず、より純粋に戸外で食事や行楽をすること(パーティー【party】)に重点が置かれている。
日本の「花見」などもピクニックの一つであろう。
ピクニックというと私などの年代の者は、ウィリアム・ホールデン、キム・ノウ゛ァク共演のアメリカ映画『ピクニック』(1955年)を思い出す。
9月初旬の労働の日(レイバーデイ)に催されるピクニックを前に、湧き立つアメリカ中西部の小さな町。
町をあげてのピクニックの朝、貨車から降りた無一文の流れ者ハル(ホールデン)は、旧友アランを頼ってやって来たのだが、沿線沿いにあるポッツ家の庭仕事を手伝うことでやっと朝飯にありつく。
半裸で庭仕事を手伝うハルに目を見張る女ばかりの隣家。ピクニックに興じるうち、次女ミリーがハルに夢中になる。しかし、夜のダンス・パーティーをきっかけにハルの心を射抜いたのは友人の婚約者で町一番の美人でもある長女のマッジ(キム・ノウ゛ァク)だった。しかし、ハルはマッジを愛するアランに自動車泥棒の疑いをかけられて町を出ることになる。
それぞれの生活を抱えた人々が年に一度のピクニックにうきうきと繰り出し、また元の生活に帰っていく。カンザス州の田舎町を舞台に若い二人が駆け落ちするまでのたった一日のできごとを描いている。風物詩的な味をもち、恋心の甘さと苦さをにじませた名編だ。
その中で、ベニー・グッドマン(Benny Goodman)の名曲『ムーングロウ(Moonglow)』のスローな「スウィング」に乗って踊り出すマッジ役のキムノウ゛ァクの踊りが印象的だった。
また二人が踊るロマンチックなダンスシーンは周囲の人達も溜息を漏らすほどのもので、この映画のハイライトでもあった。舞台出身のジョシュア・ローガンの傑作であり、ゴールデングローブ賞 監督賞を受賞。この映画では、アカデミー賞美術賞、編集賞も受賞している。以下でその感動的なダンスシーンが・・・。
Picnic (1955)
映画の流れ全体は以下がよくわかる。
PICNIC (1955) original TRAILER
このピクニックの夜の雰囲気、今ではなく、かってあった良き時代、私たちがまだ青年の頃の日本の夜桜の雰囲気などとよく似ている。
私の住んでいる神戸の源平合戦ゆかりの須磨寺横の大きな池のある公園(須磨寺公園)は伊藤博文も兵庫県知事時代には花見に来たこともある明治の頃からの桜の名所。この公園の大池の周囲は落ち着いた雰囲気で夜桜には最適であった。
シーズンになると池の前の提灯の薄明かりに照らされた桜の前で多くの花見客が、茣蓙(ござ)を広げて楽しく談笑しながら会食をしていた。場所によっては、野点のようなこともしていたし、三味線や太鼓に合わせて歌を歌を歌ったり、踊りを舞っている人もいたし、盆踊りの様に小さな輪を作って踊っている人もいた。
三味線などなくても、酒がすすんで来ると手拍子で一緒に歌を歌ったりしていたが、最近の花見などで見られる様な、混雑した人ごみの中での焼肉の臭い匂いと煙を撒きちらしながらのバーベキューや、騒々しいカラオケの使用などはなかったので、わりと静かに粛々と陽気で明るい雰囲気であった。
神戸には勧告人の方も多く済んでいるが、その人たちも毎年決まって同じ場所で花見をしている人たちが居り、アリランなどの歌を歌いながら陽気に踊っていたが、私達日本人も参加して、一緒に楽しく踊っていたものだ。
昔はごく一部の酔っ払い以外の普通の人は、先ず人に迷惑をかけないよう気を使い、節度ある行動をしていたが、自分勝手な人の多くなった今日この頃は、傍(はた)迷惑な行動を平気でする人が多くなり、折角の楽しいはずの場が鬱陶しい雰囲気になってしまったので、最近は花見にもゆかなくなった。
アメリカ映画の『ピクニック』でも一人酒を飲んで荒れていたおばちゃんがいたが、このような場では、人に迷惑をかけないようマナーには十分気を付けてもらいたいものだ。
暑い盛りの京都・祇園祭や、大阪天神祭に欠かせない魚が「鱧(はも)」。 鱧は梅雨の雨を飲んで旨く なると言われており、梅雨の明ける7月になると脂が乗り始め旬となる(※3)。
関西では京都大阪だけではなく神戸でも夏に欠かせない味覚として喜ばれる。
それで、今年は、私たちも暑い最中、夕刻から京都へ鱧料理を食べに出かけた幸い、神戸からは京都までは、阪急電車を使えば1時間少々で行ける。食後に、嵐山の鵜飼を見て帰ってきた。
●上掲の画像は、鱧料理の一品鱧の薄造り。
夜に1時間ほど鵜飼を見に行ったと言っても、鱧料理を食べることの方が主目的だったので、これはピクニックの一種ともいえるかもしれない。しかし、ピクニックとしては、やはり暑い夏より、涼しくなった秋がいいね〜。
夏はおとなしく家で休養し、ピクニックには秋に出かけましょう。
今年の夏は昨年ほどではないとはいえ、平年よりは相当厳しいようなので、私も、明日から8月一杯はこのブログもお休みしようと思います。
みなさんも熱中症や、食あたりなど気を付けて暑い夏元気に乗り切ってください。
9月にまた来てください。よろしくお願いします。
最後に嵐山での鵜飼の写真を1枚おいて行きます。下手な写真ですがほんの一服の冷となればよいのですが・・・。
○冒頭の画像は、フランス印象派の画家マネの代表作『草上の昼食』(制作年:1862年–1863年)は、女性が脱いだ服を左下のピクニックの持ち物の中に配置する事によって、「現実の裸体の女性」を描いたことが「不道徳」とされ1863年のサロン(salon。フランスの官展)に出品したが落選となったもの。Wikipediaより。
参考:
※1:日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/
※2:森永乳業
http://www.morinagamilk.co.jp/
※3:ハモ - 日本の旬・魚のお話
http://www.maruha-shinko.co.jp/uodas/syun/5-hamo.html
ピクニック - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF