日本記念日協会に登録されている12月08日の記念日に「ジュニアシェフの日 」がある。
由来を見ると、“「ジュニアシェフ」とはこどもを対象とした料理の教授、教室の企画・運営・開催を指すもので、福岡県久留米市に本社を置き、食品卸売業・レストラン事業・旅館業・農業などを手がけるベストアメニティ株式会社が有する登録商標。記念日は食育の一環として、食文化、作法、食材などの知識を広めるために同社が制定。日付は12と8で「ジュニアシェフ」と読む語呂合わせから。“ ・・・とあった。
ベストアメニティという会社は、色々な事業を手掛けているようだが、雑穀米などの食料品の販売を主にを行なっている会社のようだ。
縄文時代晩期から弥生時代早期にかけて大々的に水稲(すいとう)栽培が行われ始めて以来、米は、十分な食料がなかった時代の日本では重要な主食であったが、一般庶民までにはなかなか行き渡らず、国民が食べていたのは雑穀に玄米などを混ぜ合わせた雑穀米であった。国民が雑穀米ではなく、全米飯を容易に食することができるようになったのは、今から約70年ほど前の1939(昭和14)年。米穀配給統制法(※1、※2参照)等が制定され、米の流通が政府により管理されるようになってからのことある。
昭和期に米が増産されるとともに雑穀の消費と栽培は廃れた。現代の日本では、家畜、家禽、ペット(ハムスター、小鳥など)の餌など飼料用としての利用が多かった。
しかし、飽食といわれる時代を迎えた今日この頃、雑穀類には現代人に不足しがちなミネラル(mineral)や食物繊維も豊富なことから健康食品として見直されてきている。
記紀に登場する、米・麦・粟・豆・黍(きび)または稗(ひえ)(※『古事記』稲・麦・粟・稗・豆。『日本書紀』稲・麦・粟・大豆・小豆。)を指して五穀としていることが多いが、五穀の内容は、時代や地域によって違っており、一定していない。
五種の雑穀をブレンドした米を五穀米と呼ぶが、五穀は、具体的な五種を指さず、「五穀豊穣」(穀物が豊かに実ること)のように穀物全般の総称として用いられることもある(※3)。
雑穀米ブームにのってこれら雑穀を米とブレンドした五穀米や十穀米などが食用として多く販売されるようになってきている。
ただ、 “五穀米”と言う呼称(名称)は、日本初の五穀米商品として石川商店(千葉県君津市。※3)から発売されている商品に使われている登録商標であり他社が、商品名としては使えない。同商店HPを見ると同社の“五穀米”の説明には「栄養価の高い九種の穀物をバランス良く配合」としており、縁起の良い「五穀豊穣」にちなんでの命名であろう。
余談だが、民主党の連方議員が、民主党の売り物事業仕分け(行政刷新会議)で、「仕分け人」として、次世代スーパーコンピュータ開発の予算削減を決定した時。要求予算の妥当性についての説明を求めて格好良く?「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?」といった発言が話題になった(後に顰蹙を買う)が、私は、若い頃商社やメーカーでの仕事もしているが、商品開発面では先発のメリットが非常に大きいものなのだ。先発企業は機械類の減価償却も進んでいるし、特に発明などの特許や、それほどでなくても意匠登録のようなものでも、その取得した権利は大きく、このような雑穀米の名称にしても、誰でもが思いつく五穀豊穣に因む“五穀”の名が独占的に使えるのは大きいだろうと思うよ。世の中のこと何もわからないただのタレントが議員、そして大臣になり、大きな顔をしていること事態が仕分けされなければいけないのではないですか・・・?
今日の記念日登録をしたベスト アメニティは、日本国内の契約農家から仕入れた純国内産穀物8また16種類を配合した雑穀米を「国内産八種雑穀米」「国内産十六雑穀米」(同社の商標登録商品)などという呼称で販売しているようだ(他の種類の商品もあり)。
今日の記念日「ジュニアシェフの日 」にどのようなことをしているのかは同社HPに具体的なことは無いので良くわからないが、“現在飽食の時代を迎えた子どもたちがアトピーやアレルギー、さらにはかつて成人病と言われた生活習慣病に、子どもたちまでもがむしばまれているが、貧しかった時代は、雑穀米でバランスのとれた食生活を送っていたことを知ってもらおうと努力していることや体の問題だけではなく、「キレる子ども」たちによる凶悪犯罪など心の問題も増えているのは、そのような問題が食生活と全く関係ないといえるではないか?”との疑問も呈しており、そのようなことを前提に、「体にやさしい、おいしい健康」をテーマに品質の高い商品づくりを目指しているという同社が食育の一環として、食文化、作法、食材などの知識を広めるのが目的で、こどもを対象とした料理教室の企画・運営・開催をしているのが「ジュニアシェフ」ということなのだろうと勝手に思っているが、そうなれば結構なことである。勿論、その中には当然自社開発の雑穀米の販売促進の意図も潜んでいるだろうが・・・。
“カルチャー”は、「文化・教養の意味での外来語」として定着しているが、カルチャーの英語“culture”の語源は、ラテン語の ”cultūra” → “cult”(耕す)に由来する「土くさいもの」、つまり、「畑を耕し、作物を育てる」というのが本来の意味するところのようであり、英語やフランス語には、“文化”と区別される“教養”という語を日本の言語のようには持っていないので、一体的に把握されておりその間の区分が明示的でないようだ(詳しくは※5参照)。
ところで“文化”と言えば、日本文化や東京の下町文化、室町文化など地理的、歴史的なまとまりによって文化を定義するもの、おたく文化のように集団を構成する人を基準に文化を定義するもの、出版文化や食文化のように人の活動の種類によって定義するものなど、個々の文化は様々な形で定義、概念化されている(文化参照)が、その中でも、「瑞穂国」といわれる日本の食文化の中心である稲作はまさに文化そのものと言え、日本にとって、米の存在ぬきに日本の食文化は語れないだろう。
食の多様化が進んでいる中、米だけでなく米にいたるまで日本の重要な食料源であった穀物も含めて、日本食文化の伝承を通じて、豊かで健康的な文化人の育成、ひいては田園を中心とする環境の保全、日本独自の食文化の明るい未来を創造してゆかなければいけないだろうと思う。
政府も“21世紀における我が国の発展のためには、子どもたちが健全な心と身体を培い、未来や国際社会に向かって羽ばたくことができるようにするとともに、すべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにすることが大切である。子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である” ・・・。そして、“家庭、学校、保育所、地域等を中心に、国民運動として、食育の推進に取り組んでいくことが、我々に課せられている課題である”として、2005(平成17)年7月15日には「食育基本法」を施行し、推進している(※6)。
そのような流れの中で、「ジュニアシェフ」のようなこどもを対象とした料理教室の企画・運営・開催も食育の一環として行われているとすれば結構なことではある。
日本では「シェフ」を、フランス料理など西洋料理の料理人のことを言う場合があるが、この言葉はフランス語の「シェフ」“chef ”からきているが、その元は、ラテン語の名詞“caput”から来ており、もともとの意味は「動物の頭部」という意味で、“caput”には「リーダー、長、かしら」という意味もあり、これが、フランス語に入って、「chef de cuisine」(料理の頭)を省略したもの“chef”という風に形を変えたぼだという。フランス語の “chef” が英語に入って“、chief ”になったのであるから、 “シェフ(chef)”とは、フランス語で、「組織の長」と言う意味であり、レストランやホテルなどの「料理長」、つまり、調理場を統括する責任者のことになる。ただ、英語の “chief ”は組織の「長」という意味が強く、「料理長」という意味はなく、英語の“chef”は、階級に関わらず、プロの料理人すべてを意味するために使用されるようになったようだ(※7又、Wikipedia-調理師 参照)。また、料理人。ホテル等の調理場で実際に調理を受け持ち、作る人のことを「コック」“cook”とも言うがこれは、オランダ語のの“kok”がその後英語に入ってきたようだ。
日本料理店・料亭で和食の料理をつくる人、つまり、日本料理人で、シェフに相当するのが通常板前といわれる人たちであろう。
料理とは食物調理または調理された食物の意であるが、日本における料理」は、貴族や武士などの食事作法に発祥し、時代とともに洗練され、発展してきたため、日本料理は、日本でなじみの深い食材を用い、日本の国土、風土の中で独自に発達した料理を言っており、この場合、日本人が長い間食べてきた食事であっても、それが日本独特なものでなければ「和食」とは呼ばれないことになる。
そして、日本料理が他の料理と大きく違うところは、素材の新鮮さが特に尊重され、一般的に米をはじめとする穀物、野菜、豆類、果物、魚介類や海藻といった海産物を中心に、昔は4つ足(4足歩行動物の肉)のものは使わないのが基本で、肉といえば鶏肉ぐらいのものであった(しかし、時代の変遷と共に牛肉や豚肉なども使用するようになってきたが)。
それに、季節感は日本料理の重要な要素になっており、旬の素材に余り手を加えず、選ばれた素材そのものの風味、味を最大限に引き出す。
そして、盛付けの美しさも、日本料理の大きな特徴である。調理した食材を彩りよく並べるだけでなく、器の質感や絵柄なども吟味し、四季に合わせた季節や風情を盛り込むことも、調理の一つとされている。
一口に和食と言っても、和食には各時代のなかで生まれた伝統的な様式料理である、本膳料理、に始まり、有職料理、普茶料理、精進料理、会席料理や、懐石料理などは、その本質を失うことなく受け継がれ、さらに現代の趣向に合わせつつ進化を続けているが、これら伝統的な様式料理のほか、郷土料理それに大衆料理の代表である、寿司なども含まれ奥行きも幅も非常に広いものである。
これら、和食を提供する割烹や料亭といわれる料理屋など日本料理店にある調理場のことをまな板が置いてある場所であることから、板の前に立つと言うことから料理場、又その前で仕事をする料理人のことを板前と呼ばれるようになったといわれており、「板」のみでも板前と同じ意味で使われ、親しみを込めて「板さん」とも呼ばれる。
包丁一本 さらしに巻いて
旅へ出るのも 板場の修業
待ってて こいさん
哀しいだろが
あゝ 若い二人の
想い出にじむ 法善寺
月も未練な 十三夜
1960(昭和35)年、藤島桓夫の歌で大ヒットした「月の法善寺横丁」である(以下参考の※8で、藤島の懐かしい曲が聴ける)。
「こいさんが私を初めて法善寺へ連れて来てくれはったのは藤よ志に奉公に上がった晩やった。早う立派な板場はんになりいや言うて、長い事水掛不動さんにお願いしてくれはりましたなァ。あの晩から私(わて)は、私はこいさんが好きになりました。」・・・と、次の唄との中間に挿入されたせりふにもあるように、19世紀に多くなった料理屋の料理職人のことを、主に関東が「板前」と言うのに対して、関西では板前のことを「板場」、「板場はん」と呼んでいる。もともとは年季を積んだ料理場での差配役のことであった。
Yahoo百科事典によれば、15世紀に生まれた庖丁師(ほうちょうし、※9参照)という魚鳥を料理する職人は宴会の席で客の前で料理する出職(でしょく注文に応じて他に出かけ仕事をする職業)であり、なま物の料理法にいくつかの流派ができた。
上掲の画像は、4本足のまな板の上で真魚箸(魚や鳥を料理するときに使う、柄のついた長い木または鉄製の箸)と包丁刀を使って鯉をさばく包丁師。『七十一番職人歌合』 五十七番「包丁師」より (1500年頃。Wikipedia包丁より)
また、精進(しょうじん)物の料理職人の調菜(ちょうさい)は17世紀には刻肴師(きざみさかなし)となった。18世紀には庖丁師は刻肴師の技術を取り入れ、いっさいの料理の担い手となった。板前は自分で店を開くか、料理屋に雇われるか、とにかく居職(いじょく。自宅で仕事をする職業。⇔出職)となった。
一般に一流の料亭や料理屋は専任の板前(板場)を抱えているが、Wikipediaによれば、 板場を仕切る最上位者は「花板」また、「板長」とも呼ばれ、その次の者が、「立板」-また「にばん」(二番・二板)とも呼ばれて、以上の二者がカウンターに立つ事が多いのだそうだ。以下、
「椀方」 - 椀(お吸い物など)を作る人。料理全体の味を引き立て調える汁物作りの統括。
「煮方」 - 煮物を作る人。・・・が続き、「板前」と言えるのはここから上を言うのだそうだ。この下に、
焼方(やきかた) - 焼き物(焼き魚)を作る人。鮎の塩焼きや、田楽などを作る。
揚場(あげば) - 揚げ物(天ぷらの事)を作る人。焼方と同程度の位。
追い回し - 盛り付けなどを担当する雑用係。「ボウズ」(坊主)とも呼ばれる一番低い位の階層があり、一人前になるまでには、皿洗いや食材の仕込から覚え、長い期間を経て修行していかなければいけない厳しい世界のようだ。古い時代だけでなく、今なお徒弟制度の残っている代表的な業種の1つが板前だろう。
そのため、この歌の唄われた昭和30年代でも、中学を卒業して住み込みで修行をするといった人が珍しくは無かったようで事実私の中学時代の同級生にも1人、板前になると言って、中学を卒業後、名前は聞いていないので知らないが京都のどこか老舗の料理屋に住み込みで入ったようだが、今の時代中学卒業と同時に料亭などへ住み込みで入る人はどの位いるのだろうか・・・。
かって、徒弟制度といえば、親方・弟子という丁稚(でっち)制度のことであったが、今では、労働基準法(第7章技能者の養成法第69条徒弟の弊害排除。)で戦前にみられた徒弟制度の中での丁稚奉公のような低賃金での過酷な労働条件下での使用は出来ないことになっている(。※10参照)のだろうが、将来独立して自分の店を持ちたいという人などにとっては、料理職人としての技を身につけるために、現代の徒弟制の中で基本をみっちり修行するのは良いかもしれない。特に、大学を出たからと言って、必ず就職の出来るといった次代ではなくなり、革新を行なわない会社の寿命は例え大会社であろうと、30年いや10年しかもたない(※11参照)といった今日では、サラリーマンも今までのように定年まで安心して同じ会社で仕事が出来る保障はなくなった。板前だけでないが、手に職をつけておくのは悪くないだろう・・・。
今は、日本料理人に関係する資格として、「調理士」の資格があり、この資格を持つ人を調理師と呼ぶようだが、調理師資格を得るには2つの方法があるようだ(※13)。1つ目は厚生労働大臣の指定した調理師養成施設(料理の専門学校など)で学んで取得する方法。この方法だと費用はかかるが、実習もあるし、卒業と同時に調理師免許が確実に取得できることから、今では、高校を卒業後、調理師専門学校に通い、学校に来る求人票を見て料亭に就職するケースが多いようだ(※12)。
もう1つの方法は、調理師試験に合格して調理師免許取得を取得する方法。この場合、受験資格として、中学校卒業以上で2年以上調理の実務経験がある人との条件が就いている。
以下参考に記載の※13:「調査研究成果データベース - JILPT 調査研究成果DB」の”図表6-20 見習い期間の義務づけ(SA)”では、職業資格を取得する要件として、見習い期間が義務づけられているかどうかを調査の結果、「一定期間の実務経験が求められる」のは、1位:理容・美容(92,2%)、2位:介護士・寮母(90,6%)、3位:保全・整備(86,5%)に続き、4位:コック・板前(84%)となっており、技術を必要とする職業は、勉強だけでは修得できないので最低限の実習なり、実務を経験を必須要件とするのは仕方が無いだろう。
前述の参考※14の中の調査「一人前までになった後は、会社を変えるのは、1位:理美容(34.6%)に続いて2位:コック・板前(34.6%)、3位:弁護士(25.0%)、4位:設計技術(24.4%)などが上位を占めているが、技能資格要件を満たすために働いていたところから資格を取得後、更に良い条件のところへ職場を変える人も多くなるだろう。
それに、本格的な日本料理やフランス料理といった高いレベルの技能を身につけようと思えば、調理師の資格を取得したぐらいではダメなので、やはり、伝統ある割烹や料理店の徒弟制の中で、修行を積無必要があるのだろう。
又、「月の法善寺横丁」の歌に、「包丁一本 さらしに巻いて 旅へ出るのも 板場の修業」・・・とあるように、板前は一ヶ所である程度の技能を身につけると更なる技能修得のために旅に出て、腕を磨く人が今でも多くいる世界なのだろう。ただ、この歌のように板場の修業に出かけるのに、包丁一本では足りないだろうと思うのだが、他人のものは使わないというのが板前気質であったらしいから、実際には、最低3本ぐらいはもって、旅に出たのであろうが、もし1本を選ぶとすれば板場にとって最も大事な刺身包丁(関東では柳刃)ではないだろうか・・・。
私が現役時代兵庫県の姫路で、仕事をしているとき、ひょんな関係で、料亭の板前などの手配師をしているといわれる人と知り合った。ちょっとヤクザな感じはあったが、陽気で気のいい人で、変な組関係と直接関わっている風ではなかった。私自身その人に特に興味があったわけでもないし、その人もその仕事の詳しい話をしてくれないのでよくわからないが、その人を知る人の話では、どうも時代劇やテレビドラマなどに出てくる昔からあった口入れ屋のようなものらしい。それが今では、表の仕事なのか裏の仕事なのかなどは知らないが、本人自身は暇なのでそちらの方は誰か他の者に任せて自分は片手間の別の仕事をしているようなのだが、関西一円の料亭などを相手にしている大物であったらしい。
以下参考※15:「板場の話」を見ると、“かっての料理人は「部屋」、別名「入れ方」という組織に所属していたようだ。この組織は、一つ一つの店を超える存在だった。機能的には「調理師紹介所」とも言えるものだが、そこで紹介される一人一人の板前の地位は、今では想像もできないほど高かったという。部屋を取り仕切る親方から声がかかると、全国の「名代の店」、つまり有名店に、通常二人一組で出掛けて行って仕事をこなしたという。”・・・・とあり、「入れ方」とは、口入屋のことだろう。
日本は古来より、大工、鳶、土方などの建設業団体・沖仲仕などの港湾労働団体や籠屋、渡し、馬方などの運輸荷役団体など、様々な生業においては「組」と言う徒弟制度や雇用関係があり、親分子分の関係を基盤としていたことは良く知られていることだから、板前など職人を抱え、調理師を専門に仕事の請負をしていた組織だったのだろうと思う。
博徒・香具師といわれる人たちに限らず板前など色々な職人の多くが昔は雇われ職人として旅に出ることは多かったようで、そのような職人には結構気性が荒く、旅先でのトラブルを起こす者も多くいたようだ。そんな旅先での職人を管理するのも親方の仕事だったろう。
そんな、職人たちを昔はヤクザな稼業などと言ったりもしたようだが、それは、そんな職人たちの気性と職人たちが派遣された地の親方などと初めて顔を合わせたときに挨拶ぐらいきちっと出来ないといけないということから仁義を切らせたことによるからかもしれない。
映画「男はつらいよ」では父親と大ゲンカをして家を飛び出し、テキヤ(的屋)稼業として日本全国を渡り歩く渡世人となった主人公、“フーテンの寅”こと車寅次郎が仁義を切っていたが、このような、任侠・テキ屋などが仁義を切ることで有名になるが、職人たちがしなくなって後も、このような習慣が任侠・テキヤの世界にだけ残ったようだ。
なにか、気の荒い板前が長ドス(長脇差)の変わりに、晒しに巻いた包丁を懐に仁義を切っている姿を見れば渡世人と変らない姿に見えるかも知れない・・・と苦笑いしたくなるが、そんなのは大昔の話である。今では、包丁も、専用の鞘に収納されているのでサラシに巻いて持ち運ぶ人はいない。
現代でも料亭などで働く板前の多くは恐らく、将来独立して割烹の店などを持ちたいとの考えで、何人もの親方から学び、そのいいところをとって独立していくのだろう。時間はかかっても夢のある世界だとは思うが、それはなかなか辛抱のいる厳しい世界にはちがいないのだろうな〜。
日本料理はこうした厳しい組織と板前職人たちの意識によってその技術が保持されてきた。現代では、板前は、法律上、西洋料理職人(コック)とともに調理師と呼ばれるようになったが・・・。
西洋料理のシェフの話ではなく、私自身が和食党なもので、結局最後まで、日本料理の調理師の話になってしまったな〜。(*_ _)人ゴメンナサイ
(冒頭の画像は、ウィリアム・オーペン、『パリ、チャタムホテルのシェフ』。Wikipedia-調理師より)
参考:
※1:全米販|コメ知識 | コメ流通の歴史
http://www.zenbeihan.com/data/history/
※2:昭和前半期閣議決定等収載資料及び本文日付順リスト(昭和14〜15年)
http://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/kakugi-date03.php
※3:五穀豊穣
http://www.maff.go.jp/j/tokei/kikaku/saiziki/pdf/vol35.pdf
※4:石川商店
http://www.gokokumai.co.jp/index.php
※5:リベラル21 文化とカルチャー:文化は土くさいもの!?
http://lib21.blog96.fc2.com/?mode=m&no=1565
※6:食育基本法
http://www8.cao.go.jp/syokuiku/about/law/law.html#zen
※7:英単語を語源で学習 語源学習法:スペースアルク
http://www.alc.co.jp/eng/vocab/etm-cl/etm_cl085.html
※8:月の法善寺横丁 藤島 桓夫 - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=kspzGizSdcY
※9;資料-1B 四条流包丁書 北伊醤油
http://park11.wakwak.com/~kitai/Kitai_Shoyu/MAME/reference-1b.html
※10:【会社の寿命】今や"寿命"はわずか5年:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090212/185916/
※11:労働基準法詳説
http://web.thn.jp/roukann/roukihousyousetumokuji.htm
※12:あしたをつかめ学校放送:日本料理・板前
http://www.nhk.or.jp/shigoto/zukan/073/top.html
※13:調理師専門学校ガイド!
http://chef-license.net/
※14:調査研究成果データベース - JILPT 調査研究成果DB/全文情報
http://db.jil.go.jp/cgi-bin/jsk012?smode=zendsp&detail=E2000014048&displayflg=1&pos=96920&num=260923
※15:板場の話 その6 - MUTSUKARI Lab. 六雁研究所
http://blogs.yahoo.co.jp/mutsukarilab/24831595.html
老舗の日 - 今日のことあれこれと・・・
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/c756dde97f168bd252b8728cc52dc2c9
Yahoo!百科事典トップ
http://100.yahoo.co.jp/
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
調理師 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%BF%E7%90%86%E5%B8%AB
味の素KK 日本料理の歴史
http://www.ajinomoto.co.jp/activity/shokuiku/library/japanesefood/index.html
由来を見ると、“「ジュニアシェフ」とはこどもを対象とした料理の教授、教室の企画・運営・開催を指すもので、福岡県久留米市に本社を置き、食品卸売業・レストラン事業・旅館業・農業などを手がけるベストアメニティ株式会社が有する登録商標。記念日は食育の一環として、食文化、作法、食材などの知識を広めるために同社が制定。日付は12と8で「ジュニアシェフ」と読む語呂合わせから。“ ・・・とあった。
ベストアメニティという会社は、色々な事業を手掛けているようだが、雑穀米などの食料品の販売を主にを行なっている会社のようだ。
縄文時代晩期から弥生時代早期にかけて大々的に水稲(すいとう)栽培が行われ始めて以来、米は、十分な食料がなかった時代の日本では重要な主食であったが、一般庶民までにはなかなか行き渡らず、国民が食べていたのは雑穀に玄米などを混ぜ合わせた雑穀米であった。国民が雑穀米ではなく、全米飯を容易に食することができるようになったのは、今から約70年ほど前の1939(昭和14)年。米穀配給統制法(※1、※2参照)等が制定され、米の流通が政府により管理されるようになってからのことある。
昭和期に米が増産されるとともに雑穀の消費と栽培は廃れた。現代の日本では、家畜、家禽、ペット(ハムスター、小鳥など)の餌など飼料用としての利用が多かった。
しかし、飽食といわれる時代を迎えた今日この頃、雑穀類には現代人に不足しがちなミネラル(mineral)や食物繊維も豊富なことから健康食品として見直されてきている。
記紀に登場する、米・麦・粟・豆・黍(きび)または稗(ひえ)(※『古事記』稲・麦・粟・稗・豆。『日本書紀』稲・麦・粟・大豆・小豆。)を指して五穀としていることが多いが、五穀の内容は、時代や地域によって違っており、一定していない。
五種の雑穀をブレンドした米を五穀米と呼ぶが、五穀は、具体的な五種を指さず、「五穀豊穣」(穀物が豊かに実ること)のように穀物全般の総称として用いられることもある(※3)。
雑穀米ブームにのってこれら雑穀を米とブレンドした五穀米や十穀米などが食用として多く販売されるようになってきている。
ただ、 “五穀米”と言う呼称(名称)は、日本初の五穀米商品として石川商店(千葉県君津市。※3)から発売されている商品に使われている登録商標であり他社が、商品名としては使えない。同商店HPを見ると同社の“五穀米”の説明には「栄養価の高い九種の穀物をバランス良く配合」としており、縁起の良い「五穀豊穣」にちなんでの命名であろう。
余談だが、民主党の連方議員が、民主党の売り物事業仕分け(行政刷新会議)で、「仕分け人」として、次世代スーパーコンピュータ開発の予算削減を決定した時。要求予算の妥当性についての説明を求めて格好良く?「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?」といった発言が話題になった(後に顰蹙を買う)が、私は、若い頃商社やメーカーでの仕事もしているが、商品開発面では先発のメリットが非常に大きいものなのだ。先発企業は機械類の減価償却も進んでいるし、特に発明などの特許や、それほどでなくても意匠登録のようなものでも、その取得した権利は大きく、このような雑穀米の名称にしても、誰でもが思いつく五穀豊穣に因む“五穀”の名が独占的に使えるのは大きいだろうと思うよ。世の中のこと何もわからないただのタレントが議員、そして大臣になり、大きな顔をしていること事態が仕分けされなければいけないのではないですか・・・?
今日の記念日登録をしたベスト アメニティは、日本国内の契約農家から仕入れた純国内産穀物8また16種類を配合した雑穀米を「国内産八種雑穀米」「国内産十六雑穀米」(同社の商標登録商品)などという呼称で販売しているようだ(他の種類の商品もあり)。
今日の記念日「ジュニアシェフの日 」にどのようなことをしているのかは同社HPに具体的なことは無いので良くわからないが、“現在飽食の時代を迎えた子どもたちがアトピーやアレルギー、さらにはかつて成人病と言われた生活習慣病に、子どもたちまでもがむしばまれているが、貧しかった時代は、雑穀米でバランスのとれた食生活を送っていたことを知ってもらおうと努力していることや体の問題だけではなく、「キレる子ども」たちによる凶悪犯罪など心の問題も増えているのは、そのような問題が食生活と全く関係ないといえるではないか?”との疑問も呈しており、そのようなことを前提に、「体にやさしい、おいしい健康」をテーマに品質の高い商品づくりを目指しているという同社が食育の一環として、食文化、作法、食材などの知識を広めるのが目的で、こどもを対象とした料理教室の企画・運営・開催をしているのが「ジュニアシェフ」ということなのだろうと勝手に思っているが、そうなれば結構なことである。勿論、その中には当然自社開発の雑穀米の販売促進の意図も潜んでいるだろうが・・・。
“カルチャー”は、「文化・教養の意味での外来語」として定着しているが、カルチャーの英語“culture”の語源は、ラテン語の ”cultūra” → “cult”(耕す)に由来する「土くさいもの」、つまり、「畑を耕し、作物を育てる」というのが本来の意味するところのようであり、英語やフランス語には、“文化”と区別される“教養”という語を日本の言語のようには持っていないので、一体的に把握されておりその間の区分が明示的でないようだ(詳しくは※5参照)。
ところで“文化”と言えば、日本文化や東京の下町文化、室町文化など地理的、歴史的なまとまりによって文化を定義するもの、おたく文化のように集団を構成する人を基準に文化を定義するもの、出版文化や食文化のように人の活動の種類によって定義するものなど、個々の文化は様々な形で定義、概念化されている(文化参照)が、その中でも、「瑞穂国」といわれる日本の食文化の中心である稲作はまさに文化そのものと言え、日本にとって、米の存在ぬきに日本の食文化は語れないだろう。
食の多様化が進んでいる中、米だけでなく米にいたるまで日本の重要な食料源であった穀物も含めて、日本食文化の伝承を通じて、豊かで健康的な文化人の育成、ひいては田園を中心とする環境の保全、日本独自の食文化の明るい未来を創造してゆかなければいけないだろうと思う。
政府も“21世紀における我が国の発展のためには、子どもたちが健全な心と身体を培い、未来や国際社会に向かって羽ばたくことができるようにするとともに、すべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにすることが大切である。子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である” ・・・。そして、“家庭、学校、保育所、地域等を中心に、国民運動として、食育の推進に取り組んでいくことが、我々に課せられている課題である”として、2005(平成17)年7月15日には「食育基本法」を施行し、推進している(※6)。
そのような流れの中で、「ジュニアシェフ」のようなこどもを対象とした料理教室の企画・運営・開催も食育の一環として行われているとすれば結構なことではある。
日本では「シェフ」を、フランス料理など西洋料理の料理人のことを言う場合があるが、この言葉はフランス語の「シェフ」“chef ”からきているが、その元は、ラテン語の名詞“caput”から来ており、もともとの意味は「動物の頭部」という意味で、“caput”には「リーダー、長、かしら」という意味もあり、これが、フランス語に入って、「chef de cuisine」(料理の頭)を省略したもの“chef”という風に形を変えたぼだという。フランス語の “chef” が英語に入って“、chief ”になったのであるから、 “シェフ(chef)”とは、フランス語で、「組織の長」と言う意味であり、レストランやホテルなどの「料理長」、つまり、調理場を統括する責任者のことになる。ただ、英語の “chief ”は組織の「長」という意味が強く、「料理長」という意味はなく、英語の“chef”は、階級に関わらず、プロの料理人すべてを意味するために使用されるようになったようだ(※7又、Wikipedia-調理師 参照)。また、料理人。ホテル等の調理場で実際に調理を受け持ち、作る人のことを「コック」“cook”とも言うがこれは、オランダ語のの“kok”がその後英語に入ってきたようだ。
日本料理店・料亭で和食の料理をつくる人、つまり、日本料理人で、シェフに相当するのが通常板前といわれる人たちであろう。
料理とは食物調理または調理された食物の意であるが、日本における料理」は、貴族や武士などの食事作法に発祥し、時代とともに洗練され、発展してきたため、日本料理は、日本でなじみの深い食材を用い、日本の国土、風土の中で独自に発達した料理を言っており、この場合、日本人が長い間食べてきた食事であっても、それが日本独特なものでなければ「和食」とは呼ばれないことになる。
そして、日本料理が他の料理と大きく違うところは、素材の新鮮さが特に尊重され、一般的に米をはじめとする穀物、野菜、豆類、果物、魚介類や海藻といった海産物を中心に、昔は4つ足(4足歩行動物の肉)のものは使わないのが基本で、肉といえば鶏肉ぐらいのものであった(しかし、時代の変遷と共に牛肉や豚肉なども使用するようになってきたが)。
それに、季節感は日本料理の重要な要素になっており、旬の素材に余り手を加えず、選ばれた素材そのものの風味、味を最大限に引き出す。
そして、盛付けの美しさも、日本料理の大きな特徴である。調理した食材を彩りよく並べるだけでなく、器の質感や絵柄なども吟味し、四季に合わせた季節や風情を盛り込むことも、調理の一つとされている。
一口に和食と言っても、和食には各時代のなかで生まれた伝統的な様式料理である、本膳料理、に始まり、有職料理、普茶料理、精進料理、会席料理や、懐石料理などは、その本質を失うことなく受け継がれ、さらに現代の趣向に合わせつつ進化を続けているが、これら伝統的な様式料理のほか、郷土料理それに大衆料理の代表である、寿司なども含まれ奥行きも幅も非常に広いものである。
これら、和食を提供する割烹や料亭といわれる料理屋など日本料理店にある調理場のことをまな板が置いてある場所であることから、板の前に立つと言うことから料理場、又その前で仕事をする料理人のことを板前と呼ばれるようになったといわれており、「板」のみでも板前と同じ意味で使われ、親しみを込めて「板さん」とも呼ばれる。
包丁一本 さらしに巻いて
旅へ出るのも 板場の修業
待ってて こいさん
哀しいだろが
あゝ 若い二人の
想い出にじむ 法善寺
月も未練な 十三夜
1960(昭和35)年、藤島桓夫の歌で大ヒットした「月の法善寺横丁」である(以下参考の※8で、藤島の懐かしい曲が聴ける)。
「こいさんが私を初めて法善寺へ連れて来てくれはったのは藤よ志に奉公に上がった晩やった。早う立派な板場はんになりいや言うて、長い事水掛不動さんにお願いしてくれはりましたなァ。あの晩から私(わて)は、私はこいさんが好きになりました。」・・・と、次の唄との中間に挿入されたせりふにもあるように、19世紀に多くなった料理屋の料理職人のことを、主に関東が「板前」と言うのに対して、関西では板前のことを「板場」、「板場はん」と呼んでいる。もともとは年季を積んだ料理場での差配役のことであった。
Yahoo百科事典によれば、15世紀に生まれた庖丁師(ほうちょうし、※9参照)という魚鳥を料理する職人は宴会の席で客の前で料理する出職(でしょく注文に応じて他に出かけ仕事をする職業)であり、なま物の料理法にいくつかの流派ができた。
上掲の画像は、4本足のまな板の上で真魚箸(魚や鳥を料理するときに使う、柄のついた長い木または鉄製の箸)と包丁刀を使って鯉をさばく包丁師。『七十一番職人歌合』 五十七番「包丁師」より (1500年頃。Wikipedia包丁より)
また、精進(しょうじん)物の料理職人の調菜(ちょうさい)は17世紀には刻肴師(きざみさかなし)となった。18世紀には庖丁師は刻肴師の技術を取り入れ、いっさいの料理の担い手となった。板前は自分で店を開くか、料理屋に雇われるか、とにかく居職(いじょく。自宅で仕事をする職業。⇔出職)となった。
一般に一流の料亭や料理屋は専任の板前(板場)を抱えているが、Wikipediaによれば、 板場を仕切る最上位者は「花板」また、「板長」とも呼ばれ、その次の者が、「立板」-また「にばん」(二番・二板)とも呼ばれて、以上の二者がカウンターに立つ事が多いのだそうだ。以下、
「椀方」 - 椀(お吸い物など)を作る人。料理全体の味を引き立て調える汁物作りの統括。
「煮方」 - 煮物を作る人。・・・が続き、「板前」と言えるのはここから上を言うのだそうだ。この下に、
焼方(やきかた) - 焼き物(焼き魚)を作る人。鮎の塩焼きや、田楽などを作る。
揚場(あげば) - 揚げ物(天ぷらの事)を作る人。焼方と同程度の位。
追い回し - 盛り付けなどを担当する雑用係。「ボウズ」(坊主)とも呼ばれる一番低い位の階層があり、一人前になるまでには、皿洗いや食材の仕込から覚え、長い期間を経て修行していかなければいけない厳しい世界のようだ。古い時代だけでなく、今なお徒弟制度の残っている代表的な業種の1つが板前だろう。
そのため、この歌の唄われた昭和30年代でも、中学を卒業して住み込みで修行をするといった人が珍しくは無かったようで事実私の中学時代の同級生にも1人、板前になると言って、中学を卒業後、名前は聞いていないので知らないが京都のどこか老舗の料理屋に住み込みで入ったようだが、今の時代中学卒業と同時に料亭などへ住み込みで入る人はどの位いるのだろうか・・・。
かって、徒弟制度といえば、親方・弟子という丁稚(でっち)制度のことであったが、今では、労働基準法(第7章技能者の養成法第69条徒弟の弊害排除。)で戦前にみられた徒弟制度の中での丁稚奉公のような低賃金での過酷な労働条件下での使用は出来ないことになっている(。※10参照)のだろうが、将来独立して自分の店を持ちたいという人などにとっては、料理職人としての技を身につけるために、現代の徒弟制の中で基本をみっちり修行するのは良いかもしれない。特に、大学を出たからと言って、必ず就職の出来るといった次代ではなくなり、革新を行なわない会社の寿命は例え大会社であろうと、30年いや10年しかもたない(※11参照)といった今日では、サラリーマンも今までのように定年まで安心して同じ会社で仕事が出来る保障はなくなった。板前だけでないが、手に職をつけておくのは悪くないだろう・・・。
今は、日本料理人に関係する資格として、「調理士」の資格があり、この資格を持つ人を調理師と呼ぶようだが、調理師資格を得るには2つの方法があるようだ(※13)。1つ目は厚生労働大臣の指定した調理師養成施設(料理の専門学校など)で学んで取得する方法。この方法だと費用はかかるが、実習もあるし、卒業と同時に調理師免許が確実に取得できることから、今では、高校を卒業後、調理師専門学校に通い、学校に来る求人票を見て料亭に就職するケースが多いようだ(※12)。
もう1つの方法は、調理師試験に合格して調理師免許取得を取得する方法。この場合、受験資格として、中学校卒業以上で2年以上調理の実務経験がある人との条件が就いている。
以下参考に記載の※13:「調査研究成果データベース - JILPT 調査研究成果DB」の”図表6-20 見習い期間の義務づけ(SA)”では、職業資格を取得する要件として、見習い期間が義務づけられているかどうかを調査の結果、「一定期間の実務経験が求められる」のは、1位:理容・美容(92,2%)、2位:介護士・寮母(90,6%)、3位:保全・整備(86,5%)に続き、4位:コック・板前(84%)となっており、技術を必要とする職業は、勉強だけでは修得できないので最低限の実習なり、実務を経験を必須要件とするのは仕方が無いだろう。
前述の参考※14の中の調査「一人前までになった後は、会社を変えるのは、1位:理美容(34.6%)に続いて2位:コック・板前(34.6%)、3位:弁護士(25.0%)、4位:設計技術(24.4%)などが上位を占めているが、技能資格要件を満たすために働いていたところから資格を取得後、更に良い条件のところへ職場を変える人も多くなるだろう。
それに、本格的な日本料理やフランス料理といった高いレベルの技能を身につけようと思えば、調理師の資格を取得したぐらいではダメなので、やはり、伝統ある割烹や料理店の徒弟制の中で、修行を積無必要があるのだろう。
又、「月の法善寺横丁」の歌に、「包丁一本 さらしに巻いて 旅へ出るのも 板場の修業」・・・とあるように、板前は一ヶ所である程度の技能を身につけると更なる技能修得のために旅に出て、腕を磨く人が今でも多くいる世界なのだろう。ただ、この歌のように板場の修業に出かけるのに、包丁一本では足りないだろうと思うのだが、他人のものは使わないというのが板前気質であったらしいから、実際には、最低3本ぐらいはもって、旅に出たのであろうが、もし1本を選ぶとすれば板場にとって最も大事な刺身包丁(関東では柳刃)ではないだろうか・・・。
私が現役時代兵庫県の姫路で、仕事をしているとき、ひょんな関係で、料亭の板前などの手配師をしているといわれる人と知り合った。ちょっとヤクザな感じはあったが、陽気で気のいい人で、変な組関係と直接関わっている風ではなかった。私自身その人に特に興味があったわけでもないし、その人もその仕事の詳しい話をしてくれないのでよくわからないが、その人を知る人の話では、どうも時代劇やテレビドラマなどに出てくる昔からあった口入れ屋のようなものらしい。それが今では、表の仕事なのか裏の仕事なのかなどは知らないが、本人自身は暇なのでそちらの方は誰か他の者に任せて自分は片手間の別の仕事をしているようなのだが、関西一円の料亭などを相手にしている大物であったらしい。
以下参考※15:「板場の話」を見ると、“かっての料理人は「部屋」、別名「入れ方」という組織に所属していたようだ。この組織は、一つ一つの店を超える存在だった。機能的には「調理師紹介所」とも言えるものだが、そこで紹介される一人一人の板前の地位は、今では想像もできないほど高かったという。部屋を取り仕切る親方から声がかかると、全国の「名代の店」、つまり有名店に、通常二人一組で出掛けて行って仕事をこなしたという。”・・・・とあり、「入れ方」とは、口入屋のことだろう。
日本は古来より、大工、鳶、土方などの建設業団体・沖仲仕などの港湾労働団体や籠屋、渡し、馬方などの運輸荷役団体など、様々な生業においては「組」と言う徒弟制度や雇用関係があり、親分子分の関係を基盤としていたことは良く知られていることだから、板前など職人を抱え、調理師を専門に仕事の請負をしていた組織だったのだろうと思う。
博徒・香具師といわれる人たちに限らず板前など色々な職人の多くが昔は雇われ職人として旅に出ることは多かったようで、そのような職人には結構気性が荒く、旅先でのトラブルを起こす者も多くいたようだ。そんな旅先での職人を管理するのも親方の仕事だったろう。
そんな、職人たちを昔はヤクザな稼業などと言ったりもしたようだが、それは、そんな職人たちの気性と職人たちが派遣された地の親方などと初めて顔を合わせたときに挨拶ぐらいきちっと出来ないといけないということから仁義を切らせたことによるからかもしれない。
映画「男はつらいよ」では父親と大ゲンカをして家を飛び出し、テキヤ(的屋)稼業として日本全国を渡り歩く渡世人となった主人公、“フーテンの寅”こと車寅次郎が仁義を切っていたが、このような、任侠・テキ屋などが仁義を切ることで有名になるが、職人たちがしなくなって後も、このような習慣が任侠・テキヤの世界にだけ残ったようだ。
なにか、気の荒い板前が長ドス(長脇差)の変わりに、晒しに巻いた包丁を懐に仁義を切っている姿を見れば渡世人と変らない姿に見えるかも知れない・・・と苦笑いしたくなるが、そんなのは大昔の話である。今では、包丁も、専用の鞘に収納されているのでサラシに巻いて持ち運ぶ人はいない。
現代でも料亭などで働く板前の多くは恐らく、将来独立して割烹の店などを持ちたいとの考えで、何人もの親方から学び、そのいいところをとって独立していくのだろう。時間はかかっても夢のある世界だとは思うが、それはなかなか辛抱のいる厳しい世界にはちがいないのだろうな〜。
日本料理はこうした厳しい組織と板前職人たちの意識によってその技術が保持されてきた。現代では、板前は、法律上、西洋料理職人(コック)とともに調理師と呼ばれるようになったが・・・。
西洋料理のシェフの話ではなく、私自身が和食党なもので、結局最後まで、日本料理の調理師の話になってしまったな〜。(*_ _)人ゴメンナサイ
(冒頭の画像は、ウィリアム・オーペン、『パリ、チャタムホテルのシェフ』。Wikipedia-調理師より)
参考:
※1:全米販|コメ知識 | コメ流通の歴史
http://www.zenbeihan.com/data/history/
※2:昭和前半期閣議決定等収載資料及び本文日付順リスト(昭和14〜15年)
http://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/kakugi-date03.php
※3:五穀豊穣
http://www.maff.go.jp/j/tokei/kikaku/saiziki/pdf/vol35.pdf
※4:石川商店
http://www.gokokumai.co.jp/index.php
※5:リベラル21 文化とカルチャー:文化は土くさいもの!?
http://lib21.blog96.fc2.com/?mode=m&no=1565
※6:食育基本法
http://www8.cao.go.jp/syokuiku/about/law/law.html#zen
※7:英単語を語源で学習 語源学習法:スペースアルク
http://www.alc.co.jp/eng/vocab/etm-cl/etm_cl085.html
※8:月の法善寺横丁 藤島 桓夫 - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=kspzGizSdcY
※9;資料-1B 四条流包丁書 北伊醤油
http://park11.wakwak.com/~kitai/Kitai_Shoyu/MAME/reference-1b.html
※10:【会社の寿命】今や"寿命"はわずか5年:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090212/185916/
※11:労働基準法詳説
http://web.thn.jp/roukann/roukihousyousetumokuji.htm
※12:あしたをつかめ学校放送:日本料理・板前
http://www.nhk.or.jp/shigoto/zukan/073/top.html
※13:調理師専門学校ガイド!
http://chef-license.net/
※14:調査研究成果データベース - JILPT 調査研究成果DB/全文情報
http://db.jil.go.jp/cgi-bin/jsk012?smode=zendsp&detail=E2000014048&displayflg=1&pos=96920&num=260923
※15:板場の話 その6 - MUTSUKARI Lab. 六雁研究所
http://blogs.yahoo.co.jp/mutsukarilab/24831595.html
老舗の日 - 今日のことあれこれと・・・
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/c756dde97f168bd252b8728cc52dc2c9
Yahoo!百科事典トップ
http://100.yahoo.co.jp/
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
調理師 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%BF%E7%90%86%E5%B8%AB
味の素KK 日本料理の歴史
http://www.ajinomoto.co.jp/activity/shokuiku/library/japanesefood/index.html