月日の経つのは早いもので、今日からもう12月。1年最後の月12月(旧暦)は「師走」(しわす)または極月(ごくげつ、ごくづき)とも呼び、現在では師走は、新暦(グレゴリオ暦)12月の別名としても用いれているが、その由来は僧侶(師は、僧侶の意)が仏事で走り回る忙しさからという説や言語学的な推測として「年果てる」や「し果つ」等から「しわす」に変化したなど諸説あるが、それらは、明治政府により編纂された類書(一種の百科事典)『古事類苑』)で解説されている(※1の歳時部一>歳時總載>月第 1 巻 35 頁の〔古今要覽稿 時令〕の前後を参照)。
『日本書記』卷第三 神武天皇 即位前紀 太歳甲寅十二月の項には以下ののようにある。
「十有二月(しはす)丙辰(ひのえ・たつ)の朔(ついたち)壬午(みずのえ・うま)。 安藝國(あきのくに)に至り、埃宮(えのみや)に居(いま)しき。」(※2)
又、万葉集巻8冬雜の、紀少鹿女郎梅歌一首には以下のように書かれている。
「十二月爾者(しはすには) 沫雪零跡(あわゆきふれど) 不知可毛(しらぬかも) 梅花開(うめのはなさく) 含不有而 (ふふめらずして)」(1648。※3=万葉仮名)
このように、万葉集や記紀時代には12月を「シハス」と読み、「師走」とは表記しておらず、従って、「師走」は後世の当て字であることがわかる。
なお、上掲の万葉集巻8冬雜の紀少鹿女郎(きのをしかのいらつめ)についてと、この歌のことは、以下参考に記載の※4:「紀女郎 千人万首」で解説されているが、歌については以下のように解説している。
【通釈】十二月には沫雪(あわゆき)が降ると知らないのだろうか、梅の花が咲き始めた。蕾のままでいないで。
【補記】陰暦十二月は春間近で、早梅が花開くことも珍しくないが、まだ雪の降ることの多い季節。早咲きの梅の花に親身に心を寄せている。・・と。
旧暦12月は、新暦では12月下旬から2月上旬ごろに当たるため1年でも最も寒いころである。
上掲で紹介した『古事類苑』には、“「シハス」の「シ」とは「トシ」といふ詞の転じたものである。「ハス」は「ハツ」の転じたもので我國の語に、凡事の終りを、「ハツ」とも「ハテ」ともいい、萬葉集では、「極」の字を「ハツ」とも読むので俗に極月の字を用ひて、「シハ」ともいふのももっともなことだ”と書いてある。だから、12月を漢字で書くとしたら、「極月」とかいて「シワス」と書くのが本当は妥当なのだろう。
12月になると、もうぼちぼちと、正月の準備と共に、その一環としての年賀状作りもしなければならず、何かと、気ぜわしくなってきた。12月が、何かとせわしないという意味では、後世に当てられた「師走」がもっともらしくは見える。
今日、このブログで何を題材に書こうかと思って、Wikipediaで調べてみたら、“1949(昭和24)年 の今日は初のお年玉年賀はがきが発売された日なのだそうで、これをネタに書こうかと思ったのだが、新聞で、今年は、東日本大震災の起きた被災地では年賀状のかわりに挨拶状を送る動きが広がっている。そんな中で、年賀状の話は少し気が引けたので、他に面白そうなネタはないかと調べていたら「カイロの日」があり、注釈には“日本使いすてカイロ同業会(現在の日本カイロ工業会。※5)が1991年に制定。カイロ(懐炉)の需要が高くなる時期である12月の最初の日を記念日とした。”・・・とあった。
昨・2010(平成22)年から今年・2011(平成23)年にかけての冬の気温は、暖冬と予想されていたが、非常に顕著な北暖西冷の特徴が現れた年となり、北・東日本では3年連続の暖冬となったようだが、西日本全体では2月の気温が高かったためにトータルでは並冬となったが、1月までは記録的な寒冬となった。特に12月下旬から1月末にかけて、ほぼ一貫して寒気に覆われ非常に寒い思いをした。
吉田兼好(兼好法師)の書いたとされる随筆『徒然草』(※6)第五十五段には、「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。」(※5)とあるように、我が家は、一寸高台の木造建築であり各部屋には窓も2ヶ所ずつ設けてあるので、夏は通気性もよく涼しいので非常に住み良いのだが、その反面、冬は、どこからか隙間風などが入ってきて寒い。一応、隙間風など入らぬよう断熱カーテンやドアの隙間を埋める工夫などもしているが、それでも、年のせいか、年々寒さが身に堪えるようになってきた。
2004(平成16)年 から 2008(平成20)年頃にかけて起こった原油価格高騰では、光熱費の大きな値上げによって企業や家庭で省エネムードが高まり、2010年4月1日、改正省エネルギー法(※7、※8参照)も施行され、工場など企業だけでなく、我々庶民にも協力が訴えられ、昨年は、家電エコポイント制度(※9)を使って省エネ対応の「エアコン」や扇風機他節電のための省エネグッズなどのブームも起こった。
今年、2011(平成23)年3月以降は、東日本大震災によって福島第1原子力発電所事故の影響で電力供給力が大幅低下したことにより、企業だけでなく家庭での節電が推進されたが、夏の危機だけではなく、この冬も更なる節電が要請されている。
しかし、節電/″\と言わても、家の中の設備面は、昨年中に、ほぼ省エネ商品に切り替えられるものはきり変えているし、もともと、我が家では普段から無駄な電気は使わないような生活をしているので、これ以上特に大きな節電をするところはないのだが、それでも、出来るだけ電力を使用しないよう協力はしなければいけないだろうから、暖かい食べ物で身体のうちより身体を温め、ヒートテックの肌着や綿入れの半纏などの衣類、ルームソックスや、ひざ掛けなどの防寒グッズなど最大限に活用するしかないだろう。
そんな防寒グッズの中で、寒がりの我々夫婦には、使い捨てのカイロ(懐炉)などは欠かせない一品となっている。最近はドラッグストアーなどで非常に安く売っているので有難い。
このブログなどは日当たりの良い2階の私の部屋で書いているが、寒い日でもエアコンなど使わずに、腰と背中に使い捨てカイロを貼り、パソコンを置いている机の椅子には小さないす用電気座布団を敷いてやっている。
現代のような「エアコン」のなかった時代、昔から何処の家でもつかわれていた暖房器具に、火鉢やこたつ(炬燵)がある。
歴史的に日本では、室内で使われる火は、煮炊き用と暖房用に分化し、一方はかまどに、一方、暖をとるための室内の暖房も土間の穴で薪を焚くところから始まったことから農家の囲炉裏 (いろり)になっていった。このような暖をとるための室内の炉は、書院造や茶屋造(※10の中の茶屋も参照)の建築物に残り、近世の町家でも座敷に炉をきった家がある。
この炉(火入)の上に櫓(やぐら)をのせ、小袖などの衣服をかぶせて暖をとったのものが「こたつ」(炬燵)の始まりのようだ。
歴史は古く室町時代に登場するが、一般に普及したのは、木綿布団の出回る江戸中期以降と見られている。「こたつ」は炬燵の他に火燵・火闥などとも書かれていた。
こたつには掘り炬燵と置き炬燵の2種類に分かれるが、上掲の画像は、江戸時代の大坂の浮世絵師高木貞武が 著した『絵本和歌浦』に描いた掘り炬燵(切り炬燵とも呼ばれる)と呼ばれるものである(絵は、NHKデータ情報部ヴィジュアル百科『江戸事情第1巻生活編』より借用)。
置き炬燵(岡炬燵とも呼ばれる)は、火鉢と櫓を一体化して布団を掛けたもので、こちらは可動式が最大の長所であり、現代の電気炬燵はこの系譜にあたる。
この置き炬燵が登場したのも、畳が一般に普及した江戸時代であり、土火鉢という瓦製の安物の火鉢を、初めは壊れやすいので木箱に入れて使っていたものを、後に櫓に替えて布団をかけるようにしたものである。炬燵は、部屋全体を暖めることはできないものの熱源を布団で覆うため熱効率が非常に良く、現代の私たちのように洋風の居間でも椅子に座らず床に座って生活しているものにとっては非常に心地よい暖房器具である。
この置き炬燵の一種に、櫓の代りに焼き物や石で囲った小型のあんか(行火)がある。
「行火」の「行」は「あん」と読ませているがこれは「行燈」(あんどん)、「行脚」(あんぎゃ)、「行宮」(あんぐう)等が同じ用法で、漢音では「こう」、呉音では「ぎょう」と読ませるが「行」は「持ち運びが出来る」と言う意味で、炭火を入れて手足を暖める可動式の道具、つまり「行火炉」(あんかろ)の略語である。
元は仏教用語で、修行僧も寒い季節には絶えられず「移動式暖房器具」を工夫して足を暖めたようだ。一般には、室町時代に禅僧によって広められ、江戸時代には夜の町を見張る「辻番」(つじばん)が同様の物を盛んに使ったので「つじばん」また、もっぱら足を暖めることから「足焙」(あしあぶり)とも呼ばれたようだ。これは、後に炭火を入れる「炉(火入)」と「蒲鉾型蔽(かまぼこがたおおい)」を合わせたたものと、炉(火入)の本体に灰と炭火を直接入れる「火鉢」に蓋をした形式のものとに分かれていたようだ。
「行火炉」には櫓炬燵」(やぐらこたつ)とそっくりな形をした小型のものがあるが、歴史的には、やぐら炬燵より「行火炉」が古くから使用され、「行火炉」から「炬燵」が考案されたようである。
また、江戸時代初期に中国から移入された布団の中に入れて足を暖める湯たんぽも熱源が手軽に手に入るお湯なので、簡便な暖身法として人気があったようだが、この「あんか」も小型で火持ちの良いことから、湯たんぽと同じように就寝時には敷布団の端の方に覆いを掛けて置くことで足を暖める可動式暖房器具としてよく用いられた(参考の※11又※12の中の陶磁火道具や木質火道具 行火炉(1)参照)。
長いこと囲炉裏の時代が続くが、平行して煙や煤を嫌って炭火で暖をとることになりここで火鉢が生まれてきた。火鉢の歴史は古く、平安時代から貴族など上流階級の間では火桶(ひおけ)、火櫃(ひつ)、炭桶(すみおけ)、炭櫃(すひつ)などと同様のものが考案され、江戸時代から金属製、木製、陶製の火鉢が使用された。
「こたつ」が家庭用だったのに対し、火鉢は接客用に用いられたため様々に意匠を凝らしたものがある。町家では、長火鉢の改良が進んで、下に引き出しがついたり、そのまま食卓になるもの、銅製の酒の燗が出来る銅壷(どうこ)をつけたものなどが出現した。
余談だが、この長火鉢を自分の家に置くのが夢だったが、いいものが手頃に手に入らかったのが酒器などコレクションとしている私にはちょっと残念である。
普通の火鉢は、戦後エアコンに変わるまで、ずっと普通の家庭で、使われてきたが、簡単なものの煮炊きにも利用されたし、五徳の上に水を張った鉄瓶等をかけておくと加湿器代わりにもなり、便利な暖房器具だった。
ところで、肝心の話が最後の最後になってしまったが、先に述べた移動式暖房器具「行火」をさらに小型化し、懐中に入れたまま持ち運べるようにしたものが懐炉(カイロ)である。
日本には、古くから懐中に入れて暖をとる道具として温石(おんじゃく)といわれるものがあったそうで、これが、懐炉のツールであるとも言われており、懐炉は日本生まれの日本独自の保温具なのだそうだ。
以下参考に記載の※13:「財団法人京都市埋蔵文化研究所・京都市考古資料館」の”各種資料情報/これまでの各種資料情報/177生活・文化11 温 石”によると、
、“京都御苑内の発掘調査で出土した中世の遺物を整理していると滑石製石釜(石を積み上げてつくった堅炭製造用のかま)と思われる破片が4 6点見つかり、これらを調べていくうちに、これは滑石製石釜を転用した「温石」である事がわかり、この石には紐を通したり石を加熱した後に火箸などで取り扱いやすいようにあけられたと考えられる穴がある。ためしに、これらの石を熱湯につけて温め、タオルにくるんで温度の変化を調べてみると、室温2 4℃で2時間後でも3 8℃を保ち、保温力のある事がわかった。「温石」は、その字の通り、石を直接炉や火鉢等の火で熱したり熱湯に入れたりして温め、布などに包んで温度を調整して暖をとる携帯の暖房具として使用していたらしい。
しかし、近世になると、石に限らず土製品や瓦、塩を焼き固めたもの、塩を混ぜて炒った糠(ぬか)なども用いられたようだ。また、「温石」は暖をとるだけではなく、江戸の文献で寛政元年(1789年)に出版された『頭書増補訓蒙図彙大成』(かしらがきぞうほきんもうずいい)という子供のために書かれた事典には温石の解説に、「火に温めて、火のしとしても使え、長い病気を回復させ、悪い血をちらす」とあり、「火のし」とは、今で言うアイロンのように、衣類のしわ伸ばしや形なおしに用いられたり、腹痛や神経痛の患部に当てて温熱治療用具としても使用したようだ。
石を使った保温は古くは平安後期の『大鏡』に、「焼き石のように御身に当てて持ち給へりけるに・・・」とあり、「焼き石」と呼ばれて温石と同じ使われ方をしていたようだ。保温性が高く加工しやすい種類の石を利用した温石は、江戸時代に「懐炉灰」が発明されるまで、形を変えて長く利用されていた。“・・・という。
元禄時代の初め頃には、木炭末に保温力の強いイヌタデ(犬蓼)やナス(茄子)の茎などの灰(懐炉灰)に点火し、金属性の容器に密閉して燃焼させる懐炉が発明された。この木炭末に混ぜる灰としては他に麻殻や桐の灰なども使われたようだ。
近代になると、桐灰・麻殻灰・ゴマ殻灰・わら灰・ヨモギ灰などに助燃剤を加え紙袋に詰めた懐炉灰や、また、これを練り固めた固形のものが登場。
大正時代の末(1923年)には、矢満登商会(現:ハクキンカイロ。※14)の創業者・的場仁市により、気化したベンジン(揮発油)をプラチナ(白金)の触媒作用で徐々に酸化発熱させる原理を利用したカイロが発明され、「白金懐炉」と命名し売り出された。
ベンジンが稀少であった戦前・戦中は、軍隊など一部での利用が中心だったようだが、戦後はハクキンカイロ社以外の製品も登場し一般にも広く普及した。
現在は使い捨てカイロが主流だが、この使い捨てカイロは、鉄粉の酸化作用を利用したカイロであり、袋の中には、発熱体である鉄粉、触媒作用のある食塩水、それを保持する高分子吸水剤活性炭などが混ぜられている。安価で簡便なことなどから、ベンジンカイロに取って代わり現在はカイロの主流となっている。
この使い捨てカイロは、1978(昭和53)年にお菓子のロッテの子会社・旧ロッテ電子工業(現ロッテ健康産業=平成18年、ロッテ本体の健康食品事業を統合し社名変更)が携帯カイロ「ホカロン」という名前で発売した。同社が最初これを発明した経緯は、お菓子の脱酸素剤が空気に触れると発熱するところからヒントを得たらしい(※15)。また「ホカロン」 の名前は、温かいホカホカの「ホカ」と、当時(1978年)ロート製薬の胃腸薬「パンシロン」など、最後に「ロン」とつけた賞品がヒットしていたため、これを合わせて「ホカロン」としたそうだ(※5のカイロの名前参照)。この商品が大ヒット商品となって一般に普及したことから使い捨てカイロの元祖として「ホカロン」を思い浮かべる人が多いと思うが、実際には、これより早く使い捨てカイロは作られており、1975(昭和50)年には、アメリカ陸軍が使用していたフットウォーマーを元に、旭化成工業(現:旭化成)が、九州でのみで「アッタカサン」の名称で試験販売していたそうだ。
しかし、この米軍のフットウォーマーの原型とされるものの基本特許が明治時代に成立していた古いものということもあり、はっきりしない(Wikipedia)ようであり、それをあちこちの会社が研究して、いくつもの後追い製品ができるのだが、旧ロッテ電子工業もそのうちの1つであり、それを原型にして、三菱瓦斯化学(株)の子会社である日本純水素(株)(現・日本パイオニクス【株】)が1978(昭和53)年に開発し、その販売協力をロッテ電子工業に仰ぎ、ロッテ電子工業が「ホカロン」の商品名で使い捨てカイロを全国発売したものがヒット商品となって一般に普及した。
日本純水素は、その後、ホカロン等の携帯カイロメーカーに同社の不織布「スパンボンド」を独占的に供給することで、大きな利益を挙げていったという。同社は、1974(昭和49)年に内袋の包材に不織布を用いる「発熱性保温袋」を実用新案として出願していたそうだ(※16)。
私が住んでいる神戸を代表する地場産業に、ケミカルシューズがあり、その生産工場は長田区と須磨区、中でも長田区に集中しており、私も神戸に長く住んでいる関係からケミカルシューズ関係の会社で仕事をしている人達も多く知っている。
私の母と同郷で幼い頃からの友人、母親同様に、神戸に出てきて結婚した人のご主人が関係している会社で今面白いものが実験的に作られているといって持ってきてくれたものがあった。それが、今でいう使い捨てのカイロであり、当時まだ、神戸では、使い捨てのカイロなどなかった時代、つまり、「ホカロン」など売られていなかったときのことである。
その製品がそこの工場独自に開発していたものであったのか、それともどこか大手の要請をうけての下請けで開発中であったのかは、ただ、開発中のものということしか教えてくれなかったので良く知らない。又、まだ完成品として出来上がっているものではなかったようなので、製品名等の書かれた正式な包装(パッケージ)もされておらず中身の内袋の状態のものをくれた。サイズは、今の使い捨てカイロの普通サイズのものとほぼ同じだったと記憶している。
ただ、そのカイロは、手に持って振っただけでは暖かくならず、カイロの両端を持って揉むようにすると次第に熱をおびてきたが、それが温かくなるには今のものなどに比べると大分時間も要した。カイロの内袋の中に何が入っているのかなど当時知る由も無いが、今のカイロよりも厚みがあり、カイロを振ると中身がカサカサと音を立て袋の中のものが異動していたのを記憶している。
それまで、寒い日など、会社への通勤時には白金触媒式カイロ(ハクキンカイロ)を、服のポケットなどいれて使用していたが、コンパクトで携帯が便利で揉むだけで暖かくなり、使いたいときにすぐ使用できる便利もので重宝したので、近所の親戚などの人にあげると皆欲しいというので、工場で買ってきてくれと頼んだが、何度もは買えないと言いながらも2回ほど買ってきてくれた。工場の関係者が直接製造しているところから買っているので、価格のことなどもう忘れてしまったが非常に安かったことだけは覚えている。
使い捨てカイロは登場後、技術の進歩により、使い始めてから温かくなるまでの時間も短縮され、肌着に貼れるタイプのものも出来ピンポイントで身体を温められるようにもなった。
現在使い捨てカイロは、様々なメーカーから数多くの種類の製品が作られ、「くつ用」「座布団用」「くつ下用」「中敷用」「スリッパ用」など用途別のカイロも発売され広く一般に普及している。
また、古来養生訓として身体を冷やすことが良くなことはよく知られていることであるが、慢性の腰痛や、膝痛などは患部を温めることによって血行よくすることが良いことも知られており、カイロは温湿布代わりとしても有効だ。
正直、年を重ねるごとに寒さがこたえ、若いときのように薄着ではいられなくなる。年齢から来る代謝量減少などにより身体の熱量が下がっているからだろう。足先から体の芯までジンジンと冷たさが身にしみる。これからの寒さの厳しい冬に、節電が要請される中、一般的には、冬の防寒対策として、服を1枚多く着るとか、保温効果の高い素材のものを着て寒さを防ごうということになるのだが、厚着をすれば肩も凝るし身体の芯からの冷えは防げない。
寒い時、体の内側から温まるには“陽性”の食べ物(※17参照)と言われているつまり冬野菜や、大根、人参、ゴボウ、蓮根といった根菜に、トウガラシ、ネギ、ショウガなどは体を温める作用があると言われているので、積極的に摂りたい。そして、外側から体を温めるとき、近年の研究では38〜39℃の温度で筋肉を温めるのが理想的と分かっているそうだ。例えば、使い捨てカイロの使い方にひと工夫し、単に手足を温めるだけでも悪くはないが、お腹、太腿、二の腕など気になる部分に当てて30分ほど動くと、その部分の細胞が活性化し筋肉量も増えるという。
それに、基礎代謝量が増えれば脂肪が燃焼されやすい身体になり、身体が早く温まるという。基礎代謝を上昇させるには褐色細胞(脂肪組織参照)を温めると良いらしいが、褐色細胞は背中や首筋、わきの下などに多く分布しているので、出来れば、軽いウォーキングやヨガ、ストレッチなど、背中やワキの下など、褐色脂肪の集中しているゾーンを意識しながら行うと着実に効果が期待できるが、どうしても出来ない時はその部位にカイロを貼って温めるだけでも効果があるという(※18、※19参照)。
世界的に何処の国の経済状況も混沌としてきた現代、省エネ・節電もしながらの寒い冬は、適度な運動をして、食事のとり方、防寒衣料や防寒グッズそれにカイロなどを有功に使って乗り切りましょうね。
画像は、桐灰化学(小林製薬の子会社)「桐灰はる」
※1:古事類苑
http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/index.html
※2:古代史獺祭::列島編/日本書紀
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/shoki/frame/m00.htm
※3:万葉仮名で読む万葉集
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/manyoushuu.txt
※4:紀女郎 千人万首
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/osika2.html
※:5日本カイロ工業会
http://www.kairo.jp
※6:「徒然草」H. Shinozaki『日本古典文学テキスト』
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/turez_1.htm
※7:住宅:改正省エネルギー法関連情報(住宅・建築物関係) - 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/jutakukentiku_house_tk4_000005.html
※8:ECCJ :改正省エネ法の解説 (平成22年4月1日施行)
http://www.eccj.or.jp/law06/info/index.html
※9:家電エコポイント制度とは
http://eco-points.jp/index.html
※10:桂離宮 京都通百科事典
http://www.kyototsuu.jp/Sightseeing/HistorySpotRikyuuKatsuraRikyuu.html
※11:日本の暖房の歴史
http://www.netmuseum.co.jp/satou3/history.html
※12:火道具と炭火文化
http://blog.livedoor.jp/hidougu/
※13:財団法人京都市埋蔵文化研究所・京都市考古資料館
http://www.kyoto-arc.or.jp/
※14:ハクキンカイロHP
http://www.hakukin.co.jp/index.html
※15:ロッテ健康/ホカロン
http://www.lottekenko.co.jp/products/hokaron/index.html
※16:「環」第166号 九州は携帯カイロの故郷
http://www1.ocn.ne.jp/~knight00/kan166.htm
※17:食べ物で冷え性改善|冷え性ドットコム
http://www.hiesyo.com/tabemono/index.html
※18:正月太りを楽して解消。冬に溜まった脂肪にサヨウナラ(日経トレンディ)
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/special/20090108/1022605/?P=3
体温と褐色脂肪細胞 - 基礎代謝を高めるための99の技法
http://taisya.denze.net/saibo.html
『日本書記』卷第三 神武天皇 即位前紀 太歳甲寅十二月の項には以下ののようにある。
「十有二月(しはす)丙辰(ひのえ・たつ)の朔(ついたち)壬午(みずのえ・うま)。 安藝國(あきのくに)に至り、埃宮(えのみや)に居(いま)しき。」(※2)
又、万葉集巻8冬雜の、紀少鹿女郎梅歌一首には以下のように書かれている。
「十二月爾者(しはすには) 沫雪零跡(あわゆきふれど) 不知可毛(しらぬかも) 梅花開(うめのはなさく) 含不有而 (ふふめらずして)」(1648。※3=万葉仮名)
このように、万葉集や記紀時代には12月を「シハス」と読み、「師走」とは表記しておらず、従って、「師走」は後世の当て字であることがわかる。
なお、上掲の万葉集巻8冬雜の紀少鹿女郎(きのをしかのいらつめ)についてと、この歌のことは、以下参考に記載の※4:「紀女郎 千人万首」で解説されているが、歌については以下のように解説している。
【通釈】十二月には沫雪(あわゆき)が降ると知らないのだろうか、梅の花が咲き始めた。蕾のままでいないで。
【補記】陰暦十二月は春間近で、早梅が花開くことも珍しくないが、まだ雪の降ることの多い季節。早咲きの梅の花に親身に心を寄せている。・・と。
旧暦12月は、新暦では12月下旬から2月上旬ごろに当たるため1年でも最も寒いころである。
上掲で紹介した『古事類苑』には、“「シハス」の「シ」とは「トシ」といふ詞の転じたものである。「ハス」は「ハツ」の転じたもので我國の語に、凡事の終りを、「ハツ」とも「ハテ」ともいい、萬葉集では、「極」の字を「ハツ」とも読むので俗に極月の字を用ひて、「シハ」ともいふのももっともなことだ”と書いてある。だから、12月を漢字で書くとしたら、「極月」とかいて「シワス」と書くのが本当は妥当なのだろう。
12月になると、もうぼちぼちと、正月の準備と共に、その一環としての年賀状作りもしなければならず、何かと、気ぜわしくなってきた。12月が、何かとせわしないという意味では、後世に当てられた「師走」がもっともらしくは見える。
今日、このブログで何を題材に書こうかと思って、Wikipediaで調べてみたら、“1949(昭和24)年 の今日は初のお年玉年賀はがきが発売された日なのだそうで、これをネタに書こうかと思ったのだが、新聞で、今年は、東日本大震災の起きた被災地では年賀状のかわりに挨拶状を送る動きが広がっている。そんな中で、年賀状の話は少し気が引けたので、他に面白そうなネタはないかと調べていたら「カイロの日」があり、注釈には“日本使いすてカイロ同業会(現在の日本カイロ工業会。※5)が1991年に制定。カイロ(懐炉)の需要が高くなる時期である12月の最初の日を記念日とした。”・・・とあった。
昨・2010(平成22)年から今年・2011(平成23)年にかけての冬の気温は、暖冬と予想されていたが、非常に顕著な北暖西冷の特徴が現れた年となり、北・東日本では3年連続の暖冬となったようだが、西日本全体では2月の気温が高かったためにトータルでは並冬となったが、1月までは記録的な寒冬となった。特に12月下旬から1月末にかけて、ほぼ一貫して寒気に覆われ非常に寒い思いをした。
吉田兼好(兼好法師)の書いたとされる随筆『徒然草』(※6)第五十五段には、「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。」(※5)とあるように、我が家は、一寸高台の木造建築であり各部屋には窓も2ヶ所ずつ設けてあるので、夏は通気性もよく涼しいので非常に住み良いのだが、その反面、冬は、どこからか隙間風などが入ってきて寒い。一応、隙間風など入らぬよう断熱カーテンやドアの隙間を埋める工夫などもしているが、それでも、年のせいか、年々寒さが身に堪えるようになってきた。
2004(平成16)年 から 2008(平成20)年頃にかけて起こった原油価格高騰では、光熱費の大きな値上げによって企業や家庭で省エネムードが高まり、2010年4月1日、改正省エネルギー法(※7、※8参照)も施行され、工場など企業だけでなく、我々庶民にも協力が訴えられ、昨年は、家電エコポイント制度(※9)を使って省エネ対応の「エアコン」や扇風機他節電のための省エネグッズなどのブームも起こった。
今年、2011(平成23)年3月以降は、東日本大震災によって福島第1原子力発電所事故の影響で電力供給力が大幅低下したことにより、企業だけでなく家庭での節電が推進されたが、夏の危機だけではなく、この冬も更なる節電が要請されている。
しかし、節電/″\と言わても、家の中の設備面は、昨年中に、ほぼ省エネ商品に切り替えられるものはきり変えているし、もともと、我が家では普段から無駄な電気は使わないような生活をしているので、これ以上特に大きな節電をするところはないのだが、それでも、出来るだけ電力を使用しないよう協力はしなければいけないだろうから、暖かい食べ物で身体のうちより身体を温め、ヒートテックの肌着や綿入れの半纏などの衣類、ルームソックスや、ひざ掛けなどの防寒グッズなど最大限に活用するしかないだろう。
そんな防寒グッズの中で、寒がりの我々夫婦には、使い捨てのカイロ(懐炉)などは欠かせない一品となっている。最近はドラッグストアーなどで非常に安く売っているので有難い。
このブログなどは日当たりの良い2階の私の部屋で書いているが、寒い日でもエアコンなど使わずに、腰と背中に使い捨てカイロを貼り、パソコンを置いている机の椅子には小さないす用電気座布団を敷いてやっている。
現代のような「エアコン」のなかった時代、昔から何処の家でもつかわれていた暖房器具に、火鉢やこたつ(炬燵)がある。
歴史的に日本では、室内で使われる火は、煮炊き用と暖房用に分化し、一方はかまどに、一方、暖をとるための室内の暖房も土間の穴で薪を焚くところから始まったことから農家の囲炉裏 (いろり)になっていった。このような暖をとるための室内の炉は、書院造や茶屋造(※10の中の茶屋も参照)の建築物に残り、近世の町家でも座敷に炉をきった家がある。
この炉(火入)の上に櫓(やぐら)をのせ、小袖などの衣服をかぶせて暖をとったのものが「こたつ」(炬燵)の始まりのようだ。
歴史は古く室町時代に登場するが、一般に普及したのは、木綿布団の出回る江戸中期以降と見られている。「こたつ」は炬燵の他に火燵・火闥などとも書かれていた。
こたつには掘り炬燵と置き炬燵の2種類に分かれるが、上掲の画像は、江戸時代の大坂の浮世絵師高木貞武が 著した『絵本和歌浦』に描いた掘り炬燵(切り炬燵とも呼ばれる)と呼ばれるものである(絵は、NHKデータ情報部ヴィジュアル百科『江戸事情第1巻生活編』より借用)。
置き炬燵(岡炬燵とも呼ばれる)は、火鉢と櫓を一体化して布団を掛けたもので、こちらは可動式が最大の長所であり、現代の電気炬燵はこの系譜にあたる。
この置き炬燵が登場したのも、畳が一般に普及した江戸時代であり、土火鉢という瓦製の安物の火鉢を、初めは壊れやすいので木箱に入れて使っていたものを、後に櫓に替えて布団をかけるようにしたものである。炬燵は、部屋全体を暖めることはできないものの熱源を布団で覆うため熱効率が非常に良く、現代の私たちのように洋風の居間でも椅子に座らず床に座って生活しているものにとっては非常に心地よい暖房器具である。
この置き炬燵の一種に、櫓の代りに焼き物や石で囲った小型のあんか(行火)がある。
「行火」の「行」は「あん」と読ませているがこれは「行燈」(あんどん)、「行脚」(あんぎゃ)、「行宮」(あんぐう)等が同じ用法で、漢音では「こう」、呉音では「ぎょう」と読ませるが「行」は「持ち運びが出来る」と言う意味で、炭火を入れて手足を暖める可動式の道具、つまり「行火炉」(あんかろ)の略語である。
元は仏教用語で、修行僧も寒い季節には絶えられず「移動式暖房器具」を工夫して足を暖めたようだ。一般には、室町時代に禅僧によって広められ、江戸時代には夜の町を見張る「辻番」(つじばん)が同様の物を盛んに使ったので「つじばん」また、もっぱら足を暖めることから「足焙」(あしあぶり)とも呼ばれたようだ。これは、後に炭火を入れる「炉(火入)」と「蒲鉾型蔽(かまぼこがたおおい)」を合わせたたものと、炉(火入)の本体に灰と炭火を直接入れる「火鉢」に蓋をした形式のものとに分かれていたようだ。
「行火炉」には櫓炬燵」(やぐらこたつ)とそっくりな形をした小型のものがあるが、歴史的には、やぐら炬燵より「行火炉」が古くから使用され、「行火炉」から「炬燵」が考案されたようである。
また、江戸時代初期に中国から移入された布団の中に入れて足を暖める湯たんぽも熱源が手軽に手に入るお湯なので、簡便な暖身法として人気があったようだが、この「あんか」も小型で火持ちの良いことから、湯たんぽと同じように就寝時には敷布団の端の方に覆いを掛けて置くことで足を暖める可動式暖房器具としてよく用いられた(参考の※11又※12の中の陶磁火道具や木質火道具 行火炉(1)参照)。
長いこと囲炉裏の時代が続くが、平行して煙や煤を嫌って炭火で暖をとることになりここで火鉢が生まれてきた。火鉢の歴史は古く、平安時代から貴族など上流階級の間では火桶(ひおけ)、火櫃(ひつ)、炭桶(すみおけ)、炭櫃(すひつ)などと同様のものが考案され、江戸時代から金属製、木製、陶製の火鉢が使用された。
「こたつ」が家庭用だったのに対し、火鉢は接客用に用いられたため様々に意匠を凝らしたものがある。町家では、長火鉢の改良が進んで、下に引き出しがついたり、そのまま食卓になるもの、銅製の酒の燗が出来る銅壷(どうこ)をつけたものなどが出現した。
余談だが、この長火鉢を自分の家に置くのが夢だったが、いいものが手頃に手に入らかったのが酒器などコレクションとしている私にはちょっと残念である。
普通の火鉢は、戦後エアコンに変わるまで、ずっと普通の家庭で、使われてきたが、簡単なものの煮炊きにも利用されたし、五徳の上に水を張った鉄瓶等をかけておくと加湿器代わりにもなり、便利な暖房器具だった。
ところで、肝心の話が最後の最後になってしまったが、先に述べた移動式暖房器具「行火」をさらに小型化し、懐中に入れたまま持ち運べるようにしたものが懐炉(カイロ)である。
日本には、古くから懐中に入れて暖をとる道具として温石(おんじゃく)といわれるものがあったそうで、これが、懐炉のツールであるとも言われており、懐炉は日本生まれの日本独自の保温具なのだそうだ。
以下参考に記載の※13:「財団法人京都市埋蔵文化研究所・京都市考古資料館」の”各種資料情報/これまでの各種資料情報/177生活・文化11 温 石”によると、
、“京都御苑内の発掘調査で出土した中世の遺物を整理していると滑石製石釜(石を積み上げてつくった堅炭製造用のかま)と思われる破片が4 6点見つかり、これらを調べていくうちに、これは滑石製石釜を転用した「温石」である事がわかり、この石には紐を通したり石を加熱した後に火箸などで取り扱いやすいようにあけられたと考えられる穴がある。ためしに、これらの石を熱湯につけて温め、タオルにくるんで温度の変化を調べてみると、室温2 4℃で2時間後でも3 8℃を保ち、保温力のある事がわかった。「温石」は、その字の通り、石を直接炉や火鉢等の火で熱したり熱湯に入れたりして温め、布などに包んで温度を調整して暖をとる携帯の暖房具として使用していたらしい。
しかし、近世になると、石に限らず土製品や瓦、塩を焼き固めたもの、塩を混ぜて炒った糠(ぬか)なども用いられたようだ。また、「温石」は暖をとるだけではなく、江戸の文献で寛政元年(1789年)に出版された『頭書増補訓蒙図彙大成』(かしらがきぞうほきんもうずいい)という子供のために書かれた事典には温石の解説に、「火に温めて、火のしとしても使え、長い病気を回復させ、悪い血をちらす」とあり、「火のし」とは、今で言うアイロンのように、衣類のしわ伸ばしや形なおしに用いられたり、腹痛や神経痛の患部に当てて温熱治療用具としても使用したようだ。
石を使った保温は古くは平安後期の『大鏡』に、「焼き石のように御身に当てて持ち給へりけるに・・・」とあり、「焼き石」と呼ばれて温石と同じ使われ方をしていたようだ。保温性が高く加工しやすい種類の石を利用した温石は、江戸時代に「懐炉灰」が発明されるまで、形を変えて長く利用されていた。“・・・という。
元禄時代の初め頃には、木炭末に保温力の強いイヌタデ(犬蓼)やナス(茄子)の茎などの灰(懐炉灰)に点火し、金属性の容器に密閉して燃焼させる懐炉が発明された。この木炭末に混ぜる灰としては他に麻殻や桐の灰なども使われたようだ。
近代になると、桐灰・麻殻灰・ゴマ殻灰・わら灰・ヨモギ灰などに助燃剤を加え紙袋に詰めた懐炉灰や、また、これを練り固めた固形のものが登場。
大正時代の末(1923年)には、矢満登商会(現:ハクキンカイロ。※14)の創業者・的場仁市により、気化したベンジン(揮発油)をプラチナ(白金)の触媒作用で徐々に酸化発熱させる原理を利用したカイロが発明され、「白金懐炉」と命名し売り出された。
ベンジンが稀少であった戦前・戦中は、軍隊など一部での利用が中心だったようだが、戦後はハクキンカイロ社以外の製品も登場し一般にも広く普及した。
現在は使い捨てカイロが主流だが、この使い捨てカイロは、鉄粉の酸化作用を利用したカイロであり、袋の中には、発熱体である鉄粉、触媒作用のある食塩水、それを保持する高分子吸水剤活性炭などが混ぜられている。安価で簡便なことなどから、ベンジンカイロに取って代わり現在はカイロの主流となっている。
この使い捨てカイロは、1978(昭和53)年にお菓子のロッテの子会社・旧ロッテ電子工業(現ロッテ健康産業=平成18年、ロッテ本体の健康食品事業を統合し社名変更)が携帯カイロ「ホカロン」という名前で発売した。同社が最初これを発明した経緯は、お菓子の脱酸素剤が空気に触れると発熱するところからヒントを得たらしい(※15)。また「ホカロン」 の名前は、温かいホカホカの「ホカ」と、当時(1978年)ロート製薬の胃腸薬「パンシロン」など、最後に「ロン」とつけた賞品がヒットしていたため、これを合わせて「ホカロン」としたそうだ(※5のカイロの名前参照)。この商品が大ヒット商品となって一般に普及したことから使い捨てカイロの元祖として「ホカロン」を思い浮かべる人が多いと思うが、実際には、これより早く使い捨てカイロは作られており、1975(昭和50)年には、アメリカ陸軍が使用していたフットウォーマーを元に、旭化成工業(現:旭化成)が、九州でのみで「アッタカサン」の名称で試験販売していたそうだ。
しかし、この米軍のフットウォーマーの原型とされるものの基本特許が明治時代に成立していた古いものということもあり、はっきりしない(Wikipedia)ようであり、それをあちこちの会社が研究して、いくつもの後追い製品ができるのだが、旧ロッテ電子工業もそのうちの1つであり、それを原型にして、三菱瓦斯化学(株)の子会社である日本純水素(株)(現・日本パイオニクス【株】)が1978(昭和53)年に開発し、その販売協力をロッテ電子工業に仰ぎ、ロッテ電子工業が「ホカロン」の商品名で使い捨てカイロを全国発売したものがヒット商品となって一般に普及した。
日本純水素は、その後、ホカロン等の携帯カイロメーカーに同社の不織布「スパンボンド」を独占的に供給することで、大きな利益を挙げていったという。同社は、1974(昭和49)年に内袋の包材に不織布を用いる「発熱性保温袋」を実用新案として出願していたそうだ(※16)。
私が住んでいる神戸を代表する地場産業に、ケミカルシューズがあり、その生産工場は長田区と須磨区、中でも長田区に集中しており、私も神戸に長く住んでいる関係からケミカルシューズ関係の会社で仕事をしている人達も多く知っている。
私の母と同郷で幼い頃からの友人、母親同様に、神戸に出てきて結婚した人のご主人が関係している会社で今面白いものが実験的に作られているといって持ってきてくれたものがあった。それが、今でいう使い捨てのカイロであり、当時まだ、神戸では、使い捨てのカイロなどなかった時代、つまり、「ホカロン」など売られていなかったときのことである。
その製品がそこの工場独自に開発していたものであったのか、それともどこか大手の要請をうけての下請けで開発中であったのかは、ただ、開発中のものということしか教えてくれなかったので良く知らない。又、まだ完成品として出来上がっているものではなかったようなので、製品名等の書かれた正式な包装(パッケージ)もされておらず中身の内袋の状態のものをくれた。サイズは、今の使い捨てカイロの普通サイズのものとほぼ同じだったと記憶している。
ただ、そのカイロは、手に持って振っただけでは暖かくならず、カイロの両端を持って揉むようにすると次第に熱をおびてきたが、それが温かくなるには今のものなどに比べると大分時間も要した。カイロの内袋の中に何が入っているのかなど当時知る由も無いが、今のカイロよりも厚みがあり、カイロを振ると中身がカサカサと音を立て袋の中のものが異動していたのを記憶している。
それまで、寒い日など、会社への通勤時には白金触媒式カイロ(ハクキンカイロ)を、服のポケットなどいれて使用していたが、コンパクトで携帯が便利で揉むだけで暖かくなり、使いたいときにすぐ使用できる便利もので重宝したので、近所の親戚などの人にあげると皆欲しいというので、工場で買ってきてくれと頼んだが、何度もは買えないと言いながらも2回ほど買ってきてくれた。工場の関係者が直接製造しているところから買っているので、価格のことなどもう忘れてしまったが非常に安かったことだけは覚えている。
使い捨てカイロは登場後、技術の進歩により、使い始めてから温かくなるまでの時間も短縮され、肌着に貼れるタイプのものも出来ピンポイントで身体を温められるようにもなった。
現在使い捨てカイロは、様々なメーカーから数多くの種類の製品が作られ、「くつ用」「座布団用」「くつ下用」「中敷用」「スリッパ用」など用途別のカイロも発売され広く一般に普及している。
また、古来養生訓として身体を冷やすことが良くなことはよく知られていることであるが、慢性の腰痛や、膝痛などは患部を温めることによって血行よくすることが良いことも知られており、カイロは温湿布代わりとしても有効だ。
正直、年を重ねるごとに寒さがこたえ、若いときのように薄着ではいられなくなる。年齢から来る代謝量減少などにより身体の熱量が下がっているからだろう。足先から体の芯までジンジンと冷たさが身にしみる。これからの寒さの厳しい冬に、節電が要請される中、一般的には、冬の防寒対策として、服を1枚多く着るとか、保温効果の高い素材のものを着て寒さを防ごうということになるのだが、厚着をすれば肩も凝るし身体の芯からの冷えは防げない。
寒い時、体の内側から温まるには“陽性”の食べ物(※17参照)と言われているつまり冬野菜や、大根、人参、ゴボウ、蓮根といった根菜に、トウガラシ、ネギ、ショウガなどは体を温める作用があると言われているので、積極的に摂りたい。そして、外側から体を温めるとき、近年の研究では38〜39℃の温度で筋肉を温めるのが理想的と分かっているそうだ。例えば、使い捨てカイロの使い方にひと工夫し、単に手足を温めるだけでも悪くはないが、お腹、太腿、二の腕など気になる部分に当てて30分ほど動くと、その部分の細胞が活性化し筋肉量も増えるという。
それに、基礎代謝量が増えれば脂肪が燃焼されやすい身体になり、身体が早く温まるという。基礎代謝を上昇させるには褐色細胞(脂肪組織参照)を温めると良いらしいが、褐色細胞は背中や首筋、わきの下などに多く分布しているので、出来れば、軽いウォーキングやヨガ、ストレッチなど、背中やワキの下など、褐色脂肪の集中しているゾーンを意識しながら行うと着実に効果が期待できるが、どうしても出来ない時はその部位にカイロを貼って温めるだけでも効果があるという(※18、※19参照)。
世界的に何処の国の経済状況も混沌としてきた現代、省エネ・節電もしながらの寒い冬は、適度な運動をして、食事のとり方、防寒衣料や防寒グッズそれにカイロなどを有功に使って乗り切りましょうね。
画像は、桐灰化学(小林製薬の子会社)「桐灰はる」
※1:古事類苑
http://base1.nijl.ac.jp/~kojiruien/index.html
※2:古代史獺祭::列島編/日本書紀
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/shoki/frame/m00.htm
※3:万葉仮名で読む万葉集
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/manyoushuu.txt
※4:紀女郎 千人万首
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/osika2.html
※:5日本カイロ工業会
http://www.kairo.jp
※6:「徒然草」H. Shinozaki『日本古典文学テキスト』
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/turez_1.htm
※7:住宅:改正省エネルギー法関連情報(住宅・建築物関係) - 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/jutakukentiku_house_tk4_000005.html
※8:ECCJ :改正省エネ法の解説 (平成22年4月1日施行)
http://www.eccj.or.jp/law06/info/index.html
※9:家電エコポイント制度とは
http://eco-points.jp/index.html
※10:桂離宮 京都通百科事典
http://www.kyototsuu.jp/Sightseeing/HistorySpotRikyuuKatsuraRikyuu.html
※11:日本の暖房の歴史
http://www.netmuseum.co.jp/satou3/history.html
※12:火道具と炭火文化
http://blog.livedoor.jp/hidougu/
※13:財団法人京都市埋蔵文化研究所・京都市考古資料館
http://www.kyoto-arc.or.jp/
※14:ハクキンカイロHP
http://www.hakukin.co.jp/index.html
※15:ロッテ健康/ホカロン
http://www.lottekenko.co.jp/products/hokaron/index.html
※16:「環」第166号 九州は携帯カイロの故郷
http://www1.ocn.ne.jp/~knight00/kan166.htm
※17:食べ物で冷え性改善|冷え性ドットコム
http://www.hiesyo.com/tabemono/index.html
※18:正月太りを楽して解消。冬に溜まった脂肪にサヨウナラ(日経トレンディ)
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/special/20090108/1022605/?P=3
体温と褐色脂肪細胞 - 基礎代謝を高めるための99の技法
http://taisya.denze.net/saibo.html