何時も参考にしている「今日は何の日~毎日が記念日~」(※1)を見ると、今日・1月10日の記念日に「明太子の日」があった。
福岡県福岡市博多区に本社を置く辛子明太子のメーカーふくや(※2)が制定したそうである。
1949(昭和24)年のこの日(十日恵比須の日)、前年のふくや創業以来研究を重ねてきた「明太子」を初めて製造し、店頭に並べ販売を開始。福岡名産「からし明太子」が誕生した。
「明太子」は助宗鱈(すけそうだら。介党鱈とも書く)の卵(鱈子[たらこ])の塩辛で、元々は朝鮮半島に伝わる家庭の惣菜だった。これを日本人の口に合うように味附けして、からし明太子が作り上げられた。…とある。
「十日恵比須」(十日戎)は、正月10日に行われる初恵比須(はつえびす)の祭礼である。わが地元・兵庫県西宮市の西宮神社・大阪の浪速区にある今宮戎・京都東山区建仁寺門前の蛭子(えびす)神社などの祭りが名高い。西宮神社は、えびす神社の総本社(名称:「えびす宮総本社」)とされている。
えびす神社は、えびす或いはヒルコ或いは事代主を祭神とする神社であり、全国に点在し、夷神社、戎神社、胡神社、蛭子神社、恵比須神社、恵比寿神社、恵美須神社、恵毘須神社などと表記する。また正式名では「えびす」の語を含まない神社であっても、祭神がえびすである場合「○○えびす神社」と通称されることもある。またおもに関西地域では、親しみを込めて、「えべっさん」などと呼称されている。
神社では、いろいろな宝物を枝先につけた縁起物の笹を売るが、この始まりは、京都の蛭子神社だと聞いている。「商売繁盛でササもってこい」。京都では「酒」のことを「ササ」という。お酒を飲んで千鳥足で来る参拝客が多く、この「ササ」から「笹」とし、青々として真っすぐ伸びることから縁起が良く、ゑびす様の持ち物である釣り竿でもあることから笹の授与が始まったという。それを、門前に店を構えていた露天商たちが全国の「ゑびす神社」で笹を縁起物として販売し、えべっさんと笹は切っても切れないものになったようだ。
ふくやが「明太子」を製造・販売を開始したのが十日恵比須の日とあるが、これは、ふくやの本社と同じ場所・博多区にある十日恵比須神社の祭礼の日であろう。
同神社では、毎年1月8日から1月11日まで正月大祭が執り行われ、8日が「初えびす」、9日が「宵えびす」、10日が「正大祭」、11日が「残りえびす」と呼ばれている。正月三が日を過ぎて福岡博多の街で最初に行われるお祭りであり、正月大祭期間中は福引きや芸妓かち(徒歩)詣り(1月9日)などが有名。今年一年間の商売繁昌、家内安全、交通安全、漁業繁栄などを願う人々で大変賑わっているようだ。
同社正月大祭については、同社HP(※3)の以下のページが詳しい。
http://www.tooka-ebisu.or.jp/newyear.html
ふくやが制定した1月10日の「明太子の日」は、日本記念日協会には登録されていないが、同協会には、これとは別に、12月12日の「明太子の日」が記念日登録されている。その由来については以下のように書かれている。
「韓国伝来の辛子明太子が初めて日本に到来した発祥の地の山口県下関。その下関市で明太子専門業として、辛子明太子を全国に普及させてきた前田海産株式会社(※4)が制定したもの。
日付は日本で初めて「明太子」という名称が新聞(関門日日新聞)に登場した1914(大正3)年12月12日に由来する(「明太子開発史」成山堂刊に記載)。・・・と。そして、「当時の新聞などの客観的な資料を中心に制作している」という以下参考の※5:「明太子.JP」のホームページがリンクされていた。
このように、明太子については、韓国から輸入したという話(下関)と明太子を独自に開発した(博多)という説があるようだ。
Wikipediaによると、朝鮮王朝 (李朝) の太祖(李 成桂)から第 25代哲宗までの 471年間の歴史を編年体で記録した書『李朝実録』(正式には『朝鮮王朝実録』) のなかの1424年に編纂されたという『世宗実録』には、「1424年、監司(ここ参照)がタラの卵の塩辛を献上した」との記述が残っているが、タラコはどこにでもあるもので、学術的に辛子明太子と結びつけることはできない。スケトウダラを加工して食べる食文化は江戸時代の日本でも広まっていた。・・・とある。
スケトウダラ (介党鱈、鯳、Theragra chalcogramma、英: Alaska pollock)は、タラ目タラ科に属する魚類で、体長約70cm、最大で全長91 cm、体重1,400 gに達するが寿命は不明だそうである。3歳以上で性成熟し、産卵期は海域によって異なり12月から翌年3月、分離沈性卵(沈性卵=周りの水より重く沈む卵。⇔浮性卵)を産卵する。稚魚は春先の藍藻類の大増殖期の頃に孵化し、成長すると沖合の深い海域に移動する。
マダラよりは小さく、背側の体色は褐色で、まだら模様が繋がった2本の縦帯模様がある。腹側は白色。タラ類に共通の特徴である。3基の背鰭(せびれ)と2基の臀鰭(しりびれ)をもつ。外見はマダラやコマイに似るが、スケトウダラは目が大きく、下顎が上顎より前に出ており、口ひげはほとんど目立たない。
上掲の画像はスケトウダラ、下段がマダラである。
単一種としての漁獲対象資源の大きさとしては世界の漁業資源の中でも、最も大きなものの一つだそうである。本種は北太平洋およびその付属海に広く分布し、太平洋東岸のオレゴン沖から、アラスカ湾、ベーリング海、カムチャッカ半島東岸・西岸、オホーツク海、日本周辺東北沖以北の太平洋および日本海に分布がみられる.。
広い範囲を回遊せず比較的狭い範囲の群れを形成していると考えられており、これらの海域にはそれぞれ産卵場が形成され、漁業が広く展開されている(※6)。
我が国のスケトウダラを対象とする漁業は、北海道周辺海域とともに200海里体制(排他的経済水域)が確立される以前はベーリング海を主要な漁場として利用していた。ベーリング海東部では1930 年代にすでにスケトウダラを漁獲してフィッシュミール(魚粉)としていた記録があるそうだ。
1960 年代に北海道立水産試験場(※7のここ参照)により冷凍スリミ製法が開発されたことにより、スケトウダラの需要が高まり、これにより漁場もベーリング海から沿海州、オホーツク海へと北洋全域に広がり、漁獲量は増大し始めた。
FAO(国際連合食糧農業機関)統計によると、我が国沿岸を含む北太平洋全域のスケトウダラ漁獲量は1976年にはピークの500万トンに達し、その後一時減少するものの、1978 年から再び増加の傾向を示し、1986年には歴史上最大の680万トンの漁獲が得られているが、1990 年代以降になると、米国の漁獲が堅調な推移を示す中で、日本とロシアの漁獲量は減少し、近年の総漁獲量は300万トンを下回り、最盛期の半分以下となっているようだ(※8参照)。
又、我が国周辺では、北海道および本州北部の太平洋岸および日本海側にスケトウダラの産卵場が形成され、沖合底曳き網および刺し網漁業等の沿岸漁業により漁獲されている。北海道南部の噴火湾(内浦湾)は太平洋系群を支える産卵場として、また北海道西部の桧山沖(江差町)は日本海北部系群の産卵場として知られている。北海道では 1900 年代からスケトウダラ漁業が開発され、1910 年ころから、すでに漁獲統計上にスケトウダラが現れていたとされている。
1970~80 年代における国内総漁獲量は年間最大50 万トンを超えていたが、1990 年代に入ると、根室海峡、日本海北部系群、およびオホーツク海南部の漁獲量は減少を続け、近年の資源水準は低位となっている。1980 年代後半にはこれら3系群(海域)で年間30万トン前後であった漁獲量は1998年以降10万トン未満となっている。このような中で、唯一、太平洋系群のみは比較的安定した漁獲が続いてきた。
太平洋系群の資源量は1990年代には106~156万トンの範囲で変動していると推定されており、年間20万トン前後の漁獲が得られていた。しかし、この群れに関しては、近年、加入量が安定せず、不連続に発生する卓越年級の有無に資源量が大きく影響される状況にあり、資源状況は楽観できないとされている。2006年度の資源量は77万トンと推定され、ここから年間およそ14万トンの漁獲が得られているという(※8参照)。
このようなスケトウダラは、漁獲しても古くは冷凍できないために、ほとんどが干ものなどに加工されていたが、それでも利用しきれないものは、飼料になったり破棄されることもあったようだ。これを船上ですり身にし、冷凍する技術が確立されてから、一躍脚光を浴びることになり、以来、現在でも多くの竹輪や蒲鉾、薩摩揚げなどが本種のすり身で作られている。又、鮮魚としてはあまり馴染みがないが、安い鍋材料、煮つけなどに使われてもいるようだ。
本体よりも、万人に好かれているのが真子(食用とされる魚類の卵巣⇒魚介類の卵参照)であり、名称は「鱈子(タラコ)」であるが、正しくは「スケトウダラコ」である。タラ類でもっとも卵巣の味が良いという。
白子 (精巣)の味わいもよいのだが、こちらはマダラよりも落ちるそうだ(※9参照)。
1903年頃から北海道においてスケトウダラ漁が本格化して、スケトウダラの卵の塩漬け(たらこ)が盛んに食べられるようになり、1910年から1921年にかけてスケトウダラの卵巣に食塩と食紅を添加した「紅葉子(もみじこ)」が開発され、樽詰めにして北海道各地、山形、新潟、東京、名古屋、大阪、下関等に出荷されたという。
昭和初期までは塩漬け、生のものを「すけこ」、「すけそうこ」と呼ばれていたようで、これは「すけそうだら子(すけそうだらこ)」の略で、製品名としては正しく表記していた。それがいつの間にか「すけそう」が消費者の側で略されて「たらこ」になったという。これとゆでたジャガイモで作るタラモサラダも美味しいそうだ(※10参照)。
冒頭に述べたように、辛子明太子の歴史は、現在、諸説が複数存在しているようだが、※5:「明太子.JP」では歴史的資料に基づいた、今西一・中谷三男共著『明太子開発史』(成山堂刊)を基に、辛子明太子の一節が述べられている。
スケトウダラを加工して食べる食文化は、17世紀ごろには朝鮮半島で広まっていたとされており、赤唐辛子やニンニクでまぶした「キムチ」や「コチョジャン」等と同じように辛子めんたいこは古くから辛子を使用した朝鮮半島の伝統的食品の1つとなっていた。
日露戦争直後の1905(明治38)年、から、鉄道省(後の日本国有鉄道→現・JRグループ)は下関と当時日本領であった朝鮮の釜山との間に関釜連絡船を運航していた。また、太平洋戦争中1943(昭和18)年には下関港の容量不足と輸送力の増強の目的から、博多~釜山間にも「博釜連絡船も新設されていた。昭和の初期から、韓国側の連絡船では釜山を経由して、赤唐辛子やニンニクでまぶした辛子明太子(「明卵漬[ミョンナッジョ]」)が日本へ輸入され、下関、福岡、北九州、などの朝鮮半島との交流が盛んな地域では、日常の惣菜として魚屋の店頭などに並んでいた。
これが「博多の辛子明太子」として博多の名物食品になったのは、第二次世界大戦後、朝鮮(現在の韓国のソウルの地)で育った川原俊夫氏(㈱ふくやの創業者)が博多に引き揚げてきて、朝鮮で食べた美味しい辛子明太子の味を日本人に伝えたいとの想いで、1949(昭和24)年頃から北海道産のタラコを使って唐辛子を用いた調味液等で味付けする独自の加工方法で製品化し、博多中洲で販売したのがきっかけとされている。
辛子明太子は、当初は、食卓に並ぶ惣菜の一つという存在であったが、この博多の辛子明太子は朝鮮半島の原形のものより、漬け込みで味を染みこませるだけではなく、乳酸発酵をともなうという効果もあり、日本人の味覚に合うように工夫されていることから、徐々にその美味しさが広く浸透することとなる。
ふくやの後を追って、福岡市内を中心にメーカーも増え、競争による製品開発も活発化し、特に、1975(昭和50)年に山陽新幹線が博多駅まで繋がり、東京博多開全通後に設立された福さ屋(※12)が新幹線駅や東京の三越百貨店等へ販路を築き、「博多名物辛子めんたいこ」として全国的に知れ渡るようになり、土産品、贈答品としても高い評価を得るようになった。
博多名産・辛子明太子の方が全国へ波及したために最初に入ってきた下関のまぶし製法よりも博多で盛んであった漬け込み製法が主流となり(※11のQ&A参照)、近年では料亭や老舗醤油メーカーなども明太子を扱うようになり、良質の原材料を贅沢に使用した高級品の研究も進んでいるが、現在でも、まぶし製法も少数ながら生産されており、市場向けの高級品として流通している。
そんな辛子明太子。土産用以外に、全国でおにぎり・パスタの具としても広く利用・販売されており、2007年には、おにぎりなどの加工用辛子明太子の出荷量が、ついに土産用の辛子明太子の出荷量を逆転したという。
辛子明太子は日本全国に広がり、その普及の裏で誰が辛子明太子の元祖かを調べ主張する者がいる。これはかつて各業者がそれぞれ自分だと名乗っていたから混乱が起きたのであり、日本統治時代の朝鮮で現地の辛子漬け明太子を初めて販売した樋口商店(※13)の樋口伊都羽、戦後のパイオニアを育てた油政商店(下関/海産物関連業)の山根考三、従来の紅葉子に唐辛子や酒粕を散布したまぶし型明太子の始祖・高井商店(下関。現在のイリイチ食品の前身)の高井英一郎、現在の辛子明太子の直系を造ったふくや(博多)の川原俊夫の労があって今日に至っているという説がある。このように多くのプロセスを経て今日の辛子明太子が日本に普及したのである。
先日(2015年1月5日)朝日新聞朝刊第一面トップ記事に「明太子 国境を溶かす」のタイトルで、冒頭以下のように書かれていた。
昨年暮れ、ソウル。百貨店の食品売り場で辛子明太子店に人だかりが出来ていた。
店員が呼びかける。
「日本の家庭の味です」・・・・と。
そして、明太子の起源の一つは、1948年、博多にある。としてふくやの紹介がされていた。朝鮮半島から伝わったメンタイが日本の家庭の味として本国に逆に進出している。日本には、明太子の他キムチやチジミ、焼肉など今では朝鮮半島から伝わった食文化が多く根付いている。
日本の国土、風土の中で独自に発達した料理「日本料理」(日本食。和食とも呼ぶ)が世界の注目を集めている。
2013年11月、「和食」の無形文化遺産への登録が、ユネスコの事前審査で勧告され、同年12月に登録されたからだ。
米(穀類)・野菜・魚が多くの場合料理の基本素材とされており、寿司および刺身、天ぷら、蕎麦などは日本国内外でもよく知られると共に料理店はミシュランにおける評価も高い。
オムライスやカレーライスなど洋食の一部でも、日本に定着し一般的に食され日本で独自の発達を遂げている料理は日本国外において日本の料理として扱われることもある。ラーメンなど中国料理をルーツとする(和式)中華料理や、イタリア料理をルーツとするスパゲッティ・ナポリタンなどについても同様である。ここの所日本には外国人観光客が大勢訪れるようになり、日本文化の多様さに驚いていることだろう。
日本は昔から外国の文化を受け入れられるものはすべて受け入れ、それを日本ナイズ化してきた。朝鮮半島の食文化も同様である。
同じ素材を使っても、調味料やソースを使て日本独自の料理に変えてゆく。戦後しばらくの間薄味好みの日本人、特に関西などは、焼肉屋やキムチなど一部の人を除いては嫌って食べなかった。それが、日本人の好みに合わせた味付けに変えてゆき今では、大勢の人が之を食べるようになった。あらゆるものを日本のものに変えてゆく…これは日本の一番大きなとくしょくかもしれない。今や日本人にとって明太子も日本の食べ物となっている。
韓国への進出では明太子のライバル社「やまやコミュニケーションズ」(福岡市。※14参照)が先行しているが、「ふくや」も里帰りを果たすべく計画を練っているようだ。
上掲の画像はソウルに進出した「やまや」の料理店で、明太子が食べ放題のランチをとる人達(2015年1月5日付朝日新聞より)
辛子明太子は、その形状によって販売価格・流通経路が大きく異なる。
卵巣の形を保ったままのものは「真子(まこ)」といい、比較的高値で取引される。主に贈答や接待に用いられる。皮が切れたものを「切れ子(きれこ)」と称し、比較的安価で家庭用として好まれる。さらにまったく形がなく粒のみのものを「ばら子(ばらこ)」という。ばら子はパック詰めにして業務用に使用されたり、チューブに入れたりして販売されている。切れ子には少し切れただけのものから、ほとんどばら子に近いようなものまで多種が存在する。なお、真子・切れ子・ばら子の品質には特に違いはない。
私は神戸在住だが、私の家では、三宮に出たときなどはそごう神戸店に入店している鮮魚店「漁舟」で明太子を買っている。切れ子だがちょっと切れただけの立派なものであり、非常においしい。この正月用に年末に買いに行った時も常連客がすごく大勢列を作って買ってっていた。
冒頭に掲載のものは、私達大人が食べるための明太子である。あまり辛くはなく、生のままで食べる。ただ孫用には別には明太子ではなく普通のたらこを買っている。明太子同様立派なものでこれも生で食べるとおいしい。
明太子に対してどのようなイメージを持っているのかは人それぞれだが、本当においしい明太子のことを知らないのは不幸なことだ。
明太子を食べくらべてみると、ものすごく辛いものもあれば、辛さが控えめなものもある。そして本当においしい明太子は、辛らさの中にもしっかりとした味が感じられる。そういう明太子は値段も高いが、一度は食べてみて欲しいものだ。「漁舟」で明太子はほんの少し切れただけの切れ子のものをグラム買いするので、非常にお買い得だ。
人によって、明太子にどういうものを求めるかも違うだろうが、一度本当においしい明太子を体験したら、スーパーなどで売っている普通のものではもの足りなくなるだろう。明太子されど明太子・・・・と言ったところである。
お土産用や贈答用として販売されている良質な明太子も、実は食べくらべてみると全然味が違う。私は現役時代仕事柄出張が多く、福岡や下関へ出張することが多かったし、サラリーマン人生後半には福岡にも5~6年転勤で住んでいたこともある。
福岡ではやまややふくやのものを良く買っていたし、下関へ行くとかば田食品(※14参照)の「,昆布漬の辛子明太子」を土産によく買ってきたものだ。辛さも昆布味でまろやかになっており、私たち関西人の口にはよく合い、だれからも好まれ評判が良かった。
スケトウダラの卵巣は2本が一対(いっつい)の状態で繋がっており、対単位で一腹(ひとはら)ニ腹(ふたはら)と数える。
1尾の卵巣には約20万~150万粒の魚卵が詰まっている。 一般に魚卵は栄養豊富とされているが、スケトウダラの卵巣も例外ではなく、ビタミンB1・B2・Eが豊富に含まれている。また、エネルギーは100g当たり126キロカロリー(※15:「五訂増補日本食品標準成分表」参照)あるという。
私は酒が好きなのでの明太子やたらこでも質の良いものは,生でそのまま食べるのが好きだが、普通のものなら これを加熱して少し焼いたり、おにぎりの具材やお茶漬けの具、あるいはイカと和えて酒の肴としたりなど・・・好物なので良く食べる。
しかし、私の場合、痛風ではないが数値的にその直前にあり、明太子などの魚卵は痛風には良くないプリン体が多いともいわれるので余り量をとらず適量を食べる事に心がけている。大体、病気と云うのは、嫌なもので、好きなものが食べられなくなるのが辛いよ。
参考:
※1:今日は何の日~毎日が記念日~
http://www.nnh.to/
※2:ふくや
http://www.fukuya.com
※3:十日恵比須神社 公式ホームページ
http://www.tooka-ebisu.or.jp/
※4:前田海産公式ホームページ
http://www.maeda.ne.jp/indexj.html
※5:明太子.JP
http://gpi.sakura.ne.jp/rekishi/
※6:水産庁/「平成25年度 我が国周辺水域の資源評価」の公表 ... - 農林水産省
http://www.jfa.maff.go.jp/j/press/sigen/131031.html
※7:独立行政法人 水産総合研究センター
http://www.fra.affrc.go.jp/
※8:スケトウダラ(総説) - 国際漁業資源の現況(Adobe PDF)
http://kokushi.job.affrc.go.jp/H19/H19/H19_59.pdf#search='%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%80%E3%83%A9+%E6%BC%81%E7%8D%B2+%E6%AD%B4%E5%8F%B2'
※9:市場魚貝類図鑑
http://www.zukan-bouz.com/
※10:タラモサラダのレシピ 469品 [クックパッド]
http://cookpad.com/search/%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%80
※11:全国辛子めんたいこ食品公正取引協議会
http://www.mentaiko-ftc.org/index.html
※12:福さ屋公式ホームページ
http://www.fukusaya.info/
※13:株式会社樋口商店 ホームページ
http://www.higuchisyoten.co.jp/webpage/
※14:明太子(めんたいこ)のやまやコミュニケーションズ
http://www.yamaya.com/
※15:かば田食品ホームページ
http://www.kabata.com/
※15:五訂増補日本食品標準成分表-文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu3/toushin/05031802.htm
朝鮮王朝実録 - 文化財庁
http://jpn.cha.go.kr/japanese/html/sub3/sub2.jsp
東京大学総合図書館旧蔵 朝鮮王朝実録 画像データベース
http://rarebook.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/jitsuroku/
辛子明太子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E5%AD%90%E6%98%8E%E5%A4%AA%E5%AD%90
福岡県福岡市博多区に本社を置く辛子明太子のメーカーふくや(※2)が制定したそうである。
1949(昭和24)年のこの日(十日恵比須の日)、前年のふくや創業以来研究を重ねてきた「明太子」を初めて製造し、店頭に並べ販売を開始。福岡名産「からし明太子」が誕生した。
「明太子」は助宗鱈(すけそうだら。介党鱈とも書く)の卵(鱈子[たらこ])の塩辛で、元々は朝鮮半島に伝わる家庭の惣菜だった。これを日本人の口に合うように味附けして、からし明太子が作り上げられた。…とある。
「十日恵比須」(十日戎)は、正月10日に行われる初恵比須(はつえびす)の祭礼である。わが地元・兵庫県西宮市の西宮神社・大阪の浪速区にある今宮戎・京都東山区建仁寺門前の蛭子(えびす)神社などの祭りが名高い。西宮神社は、えびす神社の総本社(名称:「えびす宮総本社」)とされている。
えびす神社は、えびす或いはヒルコ或いは事代主を祭神とする神社であり、全国に点在し、夷神社、戎神社、胡神社、蛭子神社、恵比須神社、恵比寿神社、恵美須神社、恵毘須神社などと表記する。また正式名では「えびす」の語を含まない神社であっても、祭神がえびすである場合「○○えびす神社」と通称されることもある。またおもに関西地域では、親しみを込めて、「えべっさん」などと呼称されている。
神社では、いろいろな宝物を枝先につけた縁起物の笹を売るが、この始まりは、京都の蛭子神社だと聞いている。「商売繁盛でササもってこい」。京都では「酒」のことを「ササ」という。お酒を飲んで千鳥足で来る参拝客が多く、この「ササ」から「笹」とし、青々として真っすぐ伸びることから縁起が良く、ゑびす様の持ち物である釣り竿でもあることから笹の授与が始まったという。それを、門前に店を構えていた露天商たちが全国の「ゑびす神社」で笹を縁起物として販売し、えべっさんと笹は切っても切れないものになったようだ。
ふくやが「明太子」を製造・販売を開始したのが十日恵比須の日とあるが、これは、ふくやの本社と同じ場所・博多区にある十日恵比須神社の祭礼の日であろう。
同神社では、毎年1月8日から1月11日まで正月大祭が執り行われ、8日が「初えびす」、9日が「宵えびす」、10日が「正大祭」、11日が「残りえびす」と呼ばれている。正月三が日を過ぎて福岡博多の街で最初に行われるお祭りであり、正月大祭期間中は福引きや芸妓かち(徒歩)詣り(1月9日)などが有名。今年一年間の商売繁昌、家内安全、交通安全、漁業繁栄などを願う人々で大変賑わっているようだ。
同社正月大祭については、同社HP(※3)の以下のページが詳しい。
http://www.tooka-ebisu.or.jp/newyear.html
ふくやが制定した1月10日の「明太子の日」は、日本記念日協会には登録されていないが、同協会には、これとは別に、12月12日の「明太子の日」が記念日登録されている。その由来については以下のように書かれている。
「韓国伝来の辛子明太子が初めて日本に到来した発祥の地の山口県下関。その下関市で明太子専門業として、辛子明太子を全国に普及させてきた前田海産株式会社(※4)が制定したもの。
日付は日本で初めて「明太子」という名称が新聞(関門日日新聞)に登場した1914(大正3)年12月12日に由来する(「明太子開発史」成山堂刊に記載)。・・・と。そして、「当時の新聞などの客観的な資料を中心に制作している」という以下参考の※5:「明太子.JP」のホームページがリンクされていた。
このように、明太子については、韓国から輸入したという話(下関)と明太子を独自に開発した(博多)という説があるようだ。
Wikipediaによると、朝鮮王朝 (李朝) の太祖(李 成桂)から第 25代哲宗までの 471年間の歴史を編年体で記録した書『李朝実録』(正式には『朝鮮王朝実録』) のなかの1424年に編纂されたという『世宗実録』には、「1424年、監司(ここ参照)がタラの卵の塩辛を献上した」との記述が残っているが、タラコはどこにでもあるもので、学術的に辛子明太子と結びつけることはできない。スケトウダラを加工して食べる食文化は江戸時代の日本でも広まっていた。・・・とある。
スケトウダラ (介党鱈、鯳、Theragra chalcogramma、英: Alaska pollock)は、タラ目タラ科に属する魚類で、体長約70cm、最大で全長91 cm、体重1,400 gに達するが寿命は不明だそうである。3歳以上で性成熟し、産卵期は海域によって異なり12月から翌年3月、分離沈性卵(沈性卵=周りの水より重く沈む卵。⇔浮性卵)を産卵する。稚魚は春先の藍藻類の大増殖期の頃に孵化し、成長すると沖合の深い海域に移動する。
マダラよりは小さく、背側の体色は褐色で、まだら模様が繋がった2本の縦帯模様がある。腹側は白色。タラ類に共通の特徴である。3基の背鰭(せびれ)と2基の臀鰭(しりびれ)をもつ。外見はマダラやコマイに似るが、スケトウダラは目が大きく、下顎が上顎より前に出ており、口ひげはほとんど目立たない。
上掲の画像はスケトウダラ、下段がマダラである。
単一種としての漁獲対象資源の大きさとしては世界の漁業資源の中でも、最も大きなものの一つだそうである。本種は北太平洋およびその付属海に広く分布し、太平洋東岸のオレゴン沖から、アラスカ湾、ベーリング海、カムチャッカ半島東岸・西岸、オホーツク海、日本周辺東北沖以北の太平洋および日本海に分布がみられる.。
広い範囲を回遊せず比較的狭い範囲の群れを形成していると考えられており、これらの海域にはそれぞれ産卵場が形成され、漁業が広く展開されている(※6)。
我が国のスケトウダラを対象とする漁業は、北海道周辺海域とともに200海里体制(排他的経済水域)が確立される以前はベーリング海を主要な漁場として利用していた。ベーリング海東部では1930 年代にすでにスケトウダラを漁獲してフィッシュミール(魚粉)としていた記録があるそうだ。
1960 年代に北海道立水産試験場(※7のここ参照)により冷凍スリミ製法が開発されたことにより、スケトウダラの需要が高まり、これにより漁場もベーリング海から沿海州、オホーツク海へと北洋全域に広がり、漁獲量は増大し始めた。
FAO(国際連合食糧農業機関)統計によると、我が国沿岸を含む北太平洋全域のスケトウダラ漁獲量は1976年にはピークの500万トンに達し、その後一時減少するものの、1978 年から再び増加の傾向を示し、1986年には歴史上最大の680万トンの漁獲が得られているが、1990 年代以降になると、米国の漁獲が堅調な推移を示す中で、日本とロシアの漁獲量は減少し、近年の総漁獲量は300万トンを下回り、最盛期の半分以下となっているようだ(※8参照)。
又、我が国周辺では、北海道および本州北部の太平洋岸および日本海側にスケトウダラの産卵場が形成され、沖合底曳き網および刺し網漁業等の沿岸漁業により漁獲されている。北海道南部の噴火湾(内浦湾)は太平洋系群を支える産卵場として、また北海道西部の桧山沖(江差町)は日本海北部系群の産卵場として知られている。北海道では 1900 年代からスケトウダラ漁業が開発され、1910 年ころから、すでに漁獲統計上にスケトウダラが現れていたとされている。
1970~80 年代における国内総漁獲量は年間最大50 万トンを超えていたが、1990 年代に入ると、根室海峡、日本海北部系群、およびオホーツク海南部の漁獲量は減少を続け、近年の資源水準は低位となっている。1980 年代後半にはこれら3系群(海域)で年間30万トン前後であった漁獲量は1998年以降10万トン未満となっている。このような中で、唯一、太平洋系群のみは比較的安定した漁獲が続いてきた。
太平洋系群の資源量は1990年代には106~156万トンの範囲で変動していると推定されており、年間20万トン前後の漁獲が得られていた。しかし、この群れに関しては、近年、加入量が安定せず、不連続に発生する卓越年級の有無に資源量が大きく影響される状況にあり、資源状況は楽観できないとされている。2006年度の資源量は77万トンと推定され、ここから年間およそ14万トンの漁獲が得られているという(※8参照)。
このようなスケトウダラは、漁獲しても古くは冷凍できないために、ほとんどが干ものなどに加工されていたが、それでも利用しきれないものは、飼料になったり破棄されることもあったようだ。これを船上ですり身にし、冷凍する技術が確立されてから、一躍脚光を浴びることになり、以来、現在でも多くの竹輪や蒲鉾、薩摩揚げなどが本種のすり身で作られている。又、鮮魚としてはあまり馴染みがないが、安い鍋材料、煮つけなどに使われてもいるようだ。
本体よりも、万人に好かれているのが真子(食用とされる魚類の卵巣⇒魚介類の卵参照)であり、名称は「鱈子(タラコ)」であるが、正しくは「スケトウダラコ」である。タラ類でもっとも卵巣の味が良いという。
白子 (精巣)の味わいもよいのだが、こちらはマダラよりも落ちるそうだ(※9参照)。
1903年頃から北海道においてスケトウダラ漁が本格化して、スケトウダラの卵の塩漬け(たらこ)が盛んに食べられるようになり、1910年から1921年にかけてスケトウダラの卵巣に食塩と食紅を添加した「紅葉子(もみじこ)」が開発され、樽詰めにして北海道各地、山形、新潟、東京、名古屋、大阪、下関等に出荷されたという。
昭和初期までは塩漬け、生のものを「すけこ」、「すけそうこ」と呼ばれていたようで、これは「すけそうだら子(すけそうだらこ)」の略で、製品名としては正しく表記していた。それがいつの間にか「すけそう」が消費者の側で略されて「たらこ」になったという。これとゆでたジャガイモで作るタラモサラダも美味しいそうだ(※10参照)。
冒頭に述べたように、辛子明太子の歴史は、現在、諸説が複数存在しているようだが、※5:「明太子.JP」では歴史的資料に基づいた、今西一・中谷三男共著『明太子開発史』(成山堂刊)を基に、辛子明太子の一節が述べられている。
スケトウダラを加工して食べる食文化は、17世紀ごろには朝鮮半島で広まっていたとされており、赤唐辛子やニンニクでまぶした「キムチ」や「コチョジャン」等と同じように辛子めんたいこは古くから辛子を使用した朝鮮半島の伝統的食品の1つとなっていた。
日露戦争直後の1905(明治38)年、から、鉄道省(後の日本国有鉄道→現・JRグループ)は下関と当時日本領であった朝鮮の釜山との間に関釜連絡船を運航していた。また、太平洋戦争中1943(昭和18)年には下関港の容量不足と輸送力の増強の目的から、博多~釜山間にも「博釜連絡船も新設されていた。昭和の初期から、韓国側の連絡船では釜山を経由して、赤唐辛子やニンニクでまぶした辛子明太子(「明卵漬[ミョンナッジョ]」)が日本へ輸入され、下関、福岡、北九州、などの朝鮮半島との交流が盛んな地域では、日常の惣菜として魚屋の店頭などに並んでいた。
これが「博多の辛子明太子」として博多の名物食品になったのは、第二次世界大戦後、朝鮮(現在の韓国のソウルの地)で育った川原俊夫氏(㈱ふくやの創業者)が博多に引き揚げてきて、朝鮮で食べた美味しい辛子明太子の味を日本人に伝えたいとの想いで、1949(昭和24)年頃から北海道産のタラコを使って唐辛子を用いた調味液等で味付けする独自の加工方法で製品化し、博多中洲で販売したのがきっかけとされている。
辛子明太子は、当初は、食卓に並ぶ惣菜の一つという存在であったが、この博多の辛子明太子は朝鮮半島の原形のものより、漬け込みで味を染みこませるだけではなく、乳酸発酵をともなうという効果もあり、日本人の味覚に合うように工夫されていることから、徐々にその美味しさが広く浸透することとなる。
ふくやの後を追って、福岡市内を中心にメーカーも増え、競争による製品開発も活発化し、特に、1975(昭和50)年に山陽新幹線が博多駅まで繋がり、東京博多開全通後に設立された福さ屋(※12)が新幹線駅や東京の三越百貨店等へ販路を築き、「博多名物辛子めんたいこ」として全国的に知れ渡るようになり、土産品、贈答品としても高い評価を得るようになった。
博多名産・辛子明太子の方が全国へ波及したために最初に入ってきた下関のまぶし製法よりも博多で盛んであった漬け込み製法が主流となり(※11のQ&A参照)、近年では料亭や老舗醤油メーカーなども明太子を扱うようになり、良質の原材料を贅沢に使用した高級品の研究も進んでいるが、現在でも、まぶし製法も少数ながら生産されており、市場向けの高級品として流通している。
そんな辛子明太子。土産用以外に、全国でおにぎり・パスタの具としても広く利用・販売されており、2007年には、おにぎりなどの加工用辛子明太子の出荷量が、ついに土産用の辛子明太子の出荷量を逆転したという。
辛子明太子は日本全国に広がり、その普及の裏で誰が辛子明太子の元祖かを調べ主張する者がいる。これはかつて各業者がそれぞれ自分だと名乗っていたから混乱が起きたのであり、日本統治時代の朝鮮で現地の辛子漬け明太子を初めて販売した樋口商店(※13)の樋口伊都羽、戦後のパイオニアを育てた油政商店(下関/海産物関連業)の山根考三、従来の紅葉子に唐辛子や酒粕を散布したまぶし型明太子の始祖・高井商店(下関。現在のイリイチ食品の前身)の高井英一郎、現在の辛子明太子の直系を造ったふくや(博多)の川原俊夫の労があって今日に至っているという説がある。このように多くのプロセスを経て今日の辛子明太子が日本に普及したのである。
先日(2015年1月5日)朝日新聞朝刊第一面トップ記事に「明太子 国境を溶かす」のタイトルで、冒頭以下のように書かれていた。
昨年暮れ、ソウル。百貨店の食品売り場で辛子明太子店に人だかりが出来ていた。
店員が呼びかける。
「日本の家庭の味です」・・・・と。
そして、明太子の起源の一つは、1948年、博多にある。としてふくやの紹介がされていた。朝鮮半島から伝わったメンタイが日本の家庭の味として本国に逆に進出している。日本には、明太子の他キムチやチジミ、焼肉など今では朝鮮半島から伝わった食文化が多く根付いている。
日本の国土、風土の中で独自に発達した料理「日本料理」(日本食。和食とも呼ぶ)が世界の注目を集めている。
2013年11月、「和食」の無形文化遺産への登録が、ユネスコの事前審査で勧告され、同年12月に登録されたからだ。
米(穀類)・野菜・魚が多くの場合料理の基本素材とされており、寿司および刺身、天ぷら、蕎麦などは日本国内外でもよく知られると共に料理店はミシュランにおける評価も高い。
オムライスやカレーライスなど洋食の一部でも、日本に定着し一般的に食され日本で独自の発達を遂げている料理は日本国外において日本の料理として扱われることもある。ラーメンなど中国料理をルーツとする(和式)中華料理や、イタリア料理をルーツとするスパゲッティ・ナポリタンなどについても同様である。ここの所日本には外国人観光客が大勢訪れるようになり、日本文化の多様さに驚いていることだろう。
日本は昔から外国の文化を受け入れられるものはすべて受け入れ、それを日本ナイズ化してきた。朝鮮半島の食文化も同様である。
同じ素材を使っても、調味料やソースを使て日本独自の料理に変えてゆく。戦後しばらくの間薄味好みの日本人、特に関西などは、焼肉屋やキムチなど一部の人を除いては嫌って食べなかった。それが、日本人の好みに合わせた味付けに変えてゆき今では、大勢の人が之を食べるようになった。あらゆるものを日本のものに変えてゆく…これは日本の一番大きなとくしょくかもしれない。今や日本人にとって明太子も日本の食べ物となっている。
韓国への進出では明太子のライバル社「やまやコミュニケーションズ」(福岡市。※14参照)が先行しているが、「ふくや」も里帰りを果たすべく計画を練っているようだ。
上掲の画像はソウルに進出した「やまや」の料理店で、明太子が食べ放題のランチをとる人達(2015年1月5日付朝日新聞より)
辛子明太子は、その形状によって販売価格・流通経路が大きく異なる。
卵巣の形を保ったままのものは「真子(まこ)」といい、比較的高値で取引される。主に贈答や接待に用いられる。皮が切れたものを「切れ子(きれこ)」と称し、比較的安価で家庭用として好まれる。さらにまったく形がなく粒のみのものを「ばら子(ばらこ)」という。ばら子はパック詰めにして業務用に使用されたり、チューブに入れたりして販売されている。切れ子には少し切れただけのものから、ほとんどばら子に近いようなものまで多種が存在する。なお、真子・切れ子・ばら子の品質には特に違いはない。
私は神戸在住だが、私の家では、三宮に出たときなどはそごう神戸店に入店している鮮魚店「漁舟」で明太子を買っている。切れ子だがちょっと切れただけの立派なものであり、非常においしい。この正月用に年末に買いに行った時も常連客がすごく大勢列を作って買ってっていた。
冒頭に掲載のものは、私達大人が食べるための明太子である。あまり辛くはなく、生のままで食べる。ただ孫用には別には明太子ではなく普通のたらこを買っている。明太子同様立派なものでこれも生で食べるとおいしい。
明太子に対してどのようなイメージを持っているのかは人それぞれだが、本当においしい明太子のことを知らないのは不幸なことだ。
明太子を食べくらべてみると、ものすごく辛いものもあれば、辛さが控えめなものもある。そして本当においしい明太子は、辛らさの中にもしっかりとした味が感じられる。そういう明太子は値段も高いが、一度は食べてみて欲しいものだ。「漁舟」で明太子はほんの少し切れただけの切れ子のものをグラム買いするので、非常にお買い得だ。
人によって、明太子にどういうものを求めるかも違うだろうが、一度本当においしい明太子を体験したら、スーパーなどで売っている普通のものではもの足りなくなるだろう。明太子されど明太子・・・・と言ったところである。
お土産用や贈答用として販売されている良質な明太子も、実は食べくらべてみると全然味が違う。私は現役時代仕事柄出張が多く、福岡や下関へ出張することが多かったし、サラリーマン人生後半には福岡にも5~6年転勤で住んでいたこともある。
福岡ではやまややふくやのものを良く買っていたし、下関へ行くとかば田食品(※14参照)の「,昆布漬の辛子明太子」を土産によく買ってきたものだ。辛さも昆布味でまろやかになっており、私たち関西人の口にはよく合い、だれからも好まれ評判が良かった。
スケトウダラの卵巣は2本が一対(いっつい)の状態で繋がっており、対単位で一腹(ひとはら)ニ腹(ふたはら)と数える。
1尾の卵巣には約20万~150万粒の魚卵が詰まっている。 一般に魚卵は栄養豊富とされているが、スケトウダラの卵巣も例外ではなく、ビタミンB1・B2・Eが豊富に含まれている。また、エネルギーは100g当たり126キロカロリー(※15:「五訂増補日本食品標準成分表」参照)あるという。
私は酒が好きなのでの明太子やたらこでも質の良いものは,生でそのまま食べるのが好きだが、普通のものなら これを加熱して少し焼いたり、おにぎりの具材やお茶漬けの具、あるいはイカと和えて酒の肴としたりなど・・・好物なので良く食べる。
しかし、私の場合、痛風ではないが数値的にその直前にあり、明太子などの魚卵は痛風には良くないプリン体が多いともいわれるので余り量をとらず適量を食べる事に心がけている。大体、病気と云うのは、嫌なもので、好きなものが食べられなくなるのが辛いよ。
参考:
※1:今日は何の日~毎日が記念日~
http://www.nnh.to/
※2:ふくや
http://www.fukuya.com
※3:十日恵比須神社 公式ホームページ
http://www.tooka-ebisu.or.jp/
※4:前田海産公式ホームページ
http://www.maeda.ne.jp/indexj.html
※5:明太子.JP
http://gpi.sakura.ne.jp/rekishi/
※6:水産庁/「平成25年度 我が国周辺水域の資源評価」の公表 ... - 農林水産省
http://www.jfa.maff.go.jp/j/press/sigen/131031.html
※7:独立行政法人 水産総合研究センター
http://www.fra.affrc.go.jp/
※8:スケトウダラ(総説) - 国際漁業資源の現況(Adobe PDF)
http://kokushi.job.affrc.go.jp/H19/H19/H19_59.pdf#search='%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%80%E3%83%A9+%E6%BC%81%E7%8D%B2+%E6%AD%B4%E5%8F%B2'
※9:市場魚貝類図鑑
http://www.zukan-bouz.com/
※10:タラモサラダのレシピ 469品 [クックパッド]
http://cookpad.com/search/%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%80
※11:全国辛子めんたいこ食品公正取引協議会
http://www.mentaiko-ftc.org/index.html
※12:福さ屋公式ホームページ
http://www.fukusaya.info/
※13:株式会社樋口商店 ホームページ
http://www.higuchisyoten.co.jp/webpage/
※14:明太子(めんたいこ)のやまやコミュニケーションズ
http://www.yamaya.com/
※15:かば田食品ホームページ
http://www.kabata.com/
※15:五訂増補日本食品標準成分表-文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu3/toushin/05031802.htm
朝鮮王朝実録 - 文化財庁
http://jpn.cha.go.kr/japanese/html/sub3/sub2.jsp
東京大学総合図書館旧蔵 朝鮮王朝実録 画像データベース
http://rarebook.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/jitsuroku/
辛子明太子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%9B%E5%AD%90%E6%98%8E%E5%A4%AA%E5%AD%90