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国際盲導犬の日

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国際盲導犬の日(International Guide Dog Day) 記念日
今日4月29日、は、国際盲導犬の日(International Guide Dog Day) 。
1989(平成元)年4月26日に国際盲導犬学校連盟(現、国際盲導犬連盟)が発足したことを記念して、1992(平成 4)年より国際盲導犬学校連盟が制定。
目の不自由な人にとって大切な盲導犬の普及と、盲導犬に対する人々の理解を高めるのが目的。
日本では公益財団法人日本盲導犬協会(※1)が一般社団法人日本記念日協会に登録。日付は国際盲導犬学校連盟の発足した日がその年の4月の最終水曜日だったことからだそうだ。

盲導犬は、視覚障害者を安全に快適に誘導する犬であり、身体障害者補助犬の中でもっとも広く知られた存在である。日本語名の由来は「盲人誘導犬」。
日本国内では道路交通法(※2参照)により、視覚障害者は公道を通行する際には、政令で定める杖(白杖)か、盲導犬を携帯しなければならないことになっている(※2、法第十四条第二項参照)。また、身体障害者補助犬法により、仕事中の盲導犬は胴輪式のハーネスを着用し、そのハーネスのハンドルにそれが盲導犬であることを明示し、その利用者はその盲導犬を使用するための使用者証や身体障害者補助犬健康手帳を携帯しなければならないことになっている。そして、盲導犬の訓練団体や利用者は盲導犬を清潔に保つ義務を持つている。これらを満たした盲導犬に対し、公に開かれた施設では正当な理由無く盲導犬の立ち入りを制限してはならないことになっている。従って、各施設などでは「犬だから」という理由で受け入れを拒否しないようにしなければならない。

盲導犬と言えば、私は、NHK総合テレビの月曜ドラマシリーズで放送された『盲導犬クイールの一生』(2003年全7話。※3参照)を思い出した。秋元良平(写真。※4参照)・石黒謙吾(文)による、視覚障害者と盲導犬、クイールの生涯を描いた写真集をドラマ化したものだが、1年後には崔洋一監督により『クイール』のタイトルで映画化もされた。
実話をもとに、多くの人々との出会いと別れを通して立派な盲導犬に成長をとげた、1匹のクイールの生涯を追う物語である。
映画のあらすじは、ラブラドール・レトリーバーの子犬(産まれたときの名は「ジョナサン」)が生ませの親の元から、盲導犬になるために訓練士を通じて、パピー(子犬)ウォーカー(※1のここ参照)と呼ばれるボランティアの夫妻に預けられ、ここで“クイール” (英語でquill「鳥の羽根」)と名づけられ、1年間愛情一杯に育てられながら社会や家庭の中で暮らすためのルールを学んでゆく。そして、盲導犬訓練センターでの本格的な訓練が始まるが、のんびり屋でマイペースなクイールはベテランの訓練士でさえ手を焼くほど。やがて立派な盲導犬へと成長したクイールは、視覚障害者とめぐり会い、初めこそ息の合わなかった障害者と、ハーネスを介して次第に心を開くようになり、互いにかけがえのない存在になっていくが、2年を過ぎた頃、飼い主である障害者は重度の糖尿病で入院。クイールは小学校などでのデモンストレーション犬として使われた後、それまでの飼い主である障碍者と3年後に3度目の別れをし、その後は、子犬の時のパピーウォーカーのもとに帰り、盲導犬として働くこともなくのんびりと余生を送り、静かに生涯を全うする。・・といったものである。
本当に感動の物語であった。なんといっても子犬の時代のクイールのかわいいこと。産まれて2ヶ月たつと、こんな可愛い子犬たちも一緒に育っていた母犬や兄妹犬のもとを離れ、1頭ずつパピーウォーカー宅に預けられ人間の家族の一員として生活を共にするのだが、1年たつと、パピーウォーカーにとってもせっかく育てた犬との別れの日が来る。人間の我が子同様、犬も社会へと巣立ってゆくのであるが、この辺は、犬にとっても、人にとっても悲しい別れですよね。
生まれたばかりの子犬が盲導犬になるのには、盲導犬ユーザー(視覚障碍者)をはじめ、繁殖犬飼育ボランティアやパピーウォーカーなど、じつに多くの人々の関わりがあってのこと。関係者の努力に頭が下がります。
●以下は映画の予告編である。


予告編でも見られる通り、こんなかわいい子犬が、生まれて後多くの人との出会い、別れ、また厳しい訓練などを繰り返し受けた後、長い期間ユーザーとの生活を共にするのだが、私など何もわからないものからすると、盲導犬のストレスは相当大きいだろうから、普通の犬と比較すると、長生きは出来ないのではないかと考えるのだが、実際には、それは誤解の様であり、盲導犬の寿命はだいたい13歳くらいで、ご主人といっしょにいることが好きな犬なので、常に盲導犬としてご主人(盲導犬ユーザー)のそばにいることからストレスが少ないこと、仕事を楽しめる犬が盲導犬になっていること、子犬の頃から健康管理には気をつけていることなどから、長生きする犬が多い様だという(※1のよくある質問参照)。
人のために一生を尽くした犬なのだから、そうでなければ可愛そうだものね~。“よくある質問”に書かれている通りであれば、救われた思いがする。盲導犬の一生については、この映画を見れば大体わかる。「関西盲導犬協会」(※5)の以下のページを見れば、盲導犬のことが詳しくわかるので、見て理解してください。
クイールと一緒に盲導犬を勉強しよう!
盲導犬を知る

世界の歴史上で、目の不自由な人の歩行補助に犬が使われていた様子は、最も古い例としては、古代ローマ時代ポンペイで発掘された壁画に見られ、13世紀に描かれた「黄河」というタイトルの中国の絵巻物にも同じような絵が発見されているそうだが、それらはどれもロープに繋がれた犬が、視覚障害者を引っ張っている、というものばかりであった。
確実な資料では、1819年、ヨハン・ウイルヘルム・クライン (Johann Wilhelm Klein) というウィーンの神父が、犬の首輪に細長い棒をつけ盲導犬として正式に訓練したのが最初だそうである。その後1916年に、ドイツ赤十字のシュターリンとドイツシェパード犬協会のシュテファニッツが、第一次世界大戦中、戦盲者(戦争によって失明した「失明戦傷病者」)のために盲導犬を育成しようとオルテブルグに学校を設立し、翌年に盲導犬が作出されて戦盲者の誘導に役立てたという。1923年にはポツダムに国立の盲導犬学校が設立され、多数の盲導犬が誕生し戦盲者の社会復帰を促したそうだ。
警察犬の実用化を研究するためヨーロッパに滞在中であったアメリカ人のドロシー・ハリソン・ユースティス夫人は盲導犬の活躍に関心を抱き、スイスのヴェヴェイにある盲導犬学校での研究の後、1929年にニュージャージー州モーリスタウン近くのホイッパニーに盲導犬育成の学校を設立した。これが現在、世界で最も歴史と実績のある協会“The Seeing Eye, Inc.”だそうである。
現在、アメリカ合衆国にはこの他にそれぞれが独立した組織として9つの育成施設があるが、その内容はまちまちで質的にもかなりの差があるようだ。また、イギリスでも、1930年に、“The Seeing Eye, Inc.”より1人の指導者を招聘し、1934年に英国盲導犬協会が設立された。このようにして、盲導犬育成事業は少しずつ、世界各国に広まってゆき、現在、国際盲導犬連盟(International Guide Dog Federation = IGDF)という国際組織が出来、日本を含め30カ国84団体が加盟しているようだ。(※1のここ参照)。本部はイギリスにあり、世界各国の盲導犬育成事業の発展をサポートすることを使命として、繁殖や盲導犬訓練に関する情報交換、スタンダード(標準、規格)づくりなどを行っているという。

日本では、1938(昭和13)年、アメリカ人の盲導犬ユーザー、ジョン=ゴードン氏が“The Seeing Eye, Inc.”卒の盲導犬と共に観光旅行で来日し、各地で講演会が開かれたことがきっかけとなり、その後1939年、浅田・磯部・荻田・相馬の四実業家が1頭ずつ、盲導犬としての科目を訓練した犬をドイツから輸入して陸軍に献納。日本シェパード犬協会(現: 日本シェパード犬登録協会)の蟻川定俊が、ドイツ語の命令語を日本語に教え直した後、戦盲軍人が使用したという。しかし、4頭の死亡後、盲導犬は絶えたまま敗戦を迎え、国中が生活に追われていたこともあって盲導犬の育成のことなどは全く忘れられていた。
国産の盲導犬が誕生したのは、第二次世界大戦後の塩屋賢一(後のアイメイト協会創設者)が試行錯誤の末、日本人として初めて盲導犬の訓練に取り組んだ。そして1957(昭和32)年、ジャーマン・シェパード犬(犬の名:チャンピィ)を盲導犬として訓練することに成功し、チャンピィの所有者であった河相洌氏(塩屋に盲導犬としての調教を依頼した人であり、河相達夫の子。当時、滋賀県立彦根盲学校教諭)が国産第一号の盲導犬のユーザーとなった。このことがきっかけで、日本においての盲導犬(ひいては聴導犬や、介助犬などの身体障害者補助犬)の拡大につなげていくことにもなった。
そういえば、この日本第一号の盲導犬導入の逸話も「盲導犬クイールの一生」が放映される1年前の2002(平成14)年2月12日に同じNHK『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』で「ゆけチャンピイ 奇跡の犬~日本初の盲導犬・愛の物語~」というタイトルで取り上げられていた。以下でその動画の一部が見られる。
●動画挿入


また、2008(平成20)年9月13日には『ありがとう!チャンピイ』というタイトルでフジテレビの「土曜プレミアム」枠でテレビドラマ化もされていた(※6参照)。
一人の調教師(塩屋賢一役:高嶋政伸)とチャンピイの飼い主である一人の視覚障害者(河相洌役:伊藤 淳史)が、家族の応援を得ながら日本初となる盲導犬を誕生させるというドラマ(実話)には、「人間と犬の」だけではなく、「家族愛」、「人間愛」、そして「使命感」という要素がたくさん詰まっている。
現在、日本での現状は、ジャーマン・シェパード・ドッグよりも、ラブラドール・レトリバーや、ゴールデン・レトリバー、ラブとゴールデンの雑種 (F1レトリーバー) が多く活躍している。これは、シェパードのように精悍な顔つきよりもラブのようにおっとりして温和な顔つきの方が、街を歩く犬嫌いの人や子供にも受け入れられ易いことが大きな理由となっているようだが、このドラマ『ありがとう!チャンピイ』で、使用した盲導犬は、当時を正確に再現する為、今では使用されていないシェパード犬が起用されている。それにこの時代には盲導犬であっても、犬を連れて電車には乗れず犬は貨物扱いで運ばれたりもした。盲導犬チャンピーの、最後は河相が上京の際に預けた浜松の知り合いの獣医のもとで急死してしまうが、「クイール」の時とは状況も違ていてかわいそうな最後だったね。
このドラマ『ありがとう!チャンピイ』のテーマ曲には、私も大好きな中島みゆきの 「」が使われていた。以下はその動画リンク付き歌詞ブログである。
「ありがとう!チャンピイ~日本初の盲導犬誕生物語」テーマ曲 - 中島みゆき「糸」
野島伸司脚本の1998年TBS系の金曜ドラマ枠で放送されたテレビドラマ『聖者の行進』にて前半主題歌に使われ、その後バンクバンドにてカバーされた曲は、同じフジテレビの2 時間ドラマ、2007年3月、人と動物、愛のドラマスペシャル『太郎と次郎~反省ザルとボクの夢~』、同年4月金曜プレステージでの人と動物、愛のドラマスペシャル。難病に冒された14歳の少女が、介助犬との出会いによって笑顔を取り戻すまでの過程を描いた物語『介助犬ムサシ~学校へ行こう!~』の主題歌としても使われている。
2011(平成23)年3月の東日本大震災後、人と人との関わりあいから生まれる「絆」の重要性は人が、飼っている犬や猫など動物との間にもあることが再認識された。特に、身体障碍者と身体障害者補助犬との絆は、普通の人と人以上に太いものだろう。中島みゆきの歌は詩がとっても良いね~。



身体障害者補助犬には、ここに書いた盲導犬の他に聴導犬や、介助犬がいる。それぞれの仕事内容は異なるが、「身体障害者の自立と社会参加を促進する」という目的は同じである。
現在日本国内でのこれら身体障害者補助犬(3種類の補助犬)の育成・認定団体状況を見ると、これら3種類(盲導犬、介助犬 聞導犬)全ての補助犬を育成及び認定できる団体(法人)は、公益財団法人日本補助犬協会のみであり、この協会以外に、盲導犬の育成をしている団体が9団体、介助犬の育成団体が11団体、聞導犬の育成団体が8団体あるようだ(※7参照)。
3種類の補助犬関係団体には、其々の役割がある。 つまり育成と認定であるが、特に認定を行う団体は、盲導犬は国家公安委員会、介助犬・聴導犬は厚生労働省の指定法人となる必要があるようだが、盲導犬育成団体には、国家公安委員会の認定のない団体はないが、介助犬・聴導犬の育成団体の中には、厚生労働省の指定法人となっていないところもあるようだ。
「介助犬」は、肢体不自由者の日常の生活動作のサポートをしてくれるし、「聴導犬」は、聴覚障害者に音を聞き分けて教え、音源へ誘導してくれるが、これら、介助犬・聴導犬の育成に関しては、厚生労働省の定める訓練基準)や認定要領に基づいて行われている必要がある(※8:「厚生労働省:身体障害者補助犬」の3 身体障害者補助犬に関する情報参照)。
「盲導犬」は、視覚障害者の安全で快適な歩行をサポートするため、政令で定めるハーネス(胴輪)をつけて、使用者に「障害物・曲がり角・段差」を教えてくれる。・・・が、盲導犬による歩行は盲導犬とユーザー­との共同作業だといわれている。
目が不自由と言っても、全く目の見えない人、見えても見えにくい程度が人それぞれに違う。従って、その目の不自由さによって、日常生活では何が必要か、目の代わりとなる情報も違ってくる。盲導犬との歩行もその一つである。盲導犬は様々な目の変わりになる情報を伝えてくれるが、盲導犬がいても信号の判断をしてくれるわけでも、行きたいところへ連れて行ってくれるわけでもない。目の不自由な人は、自分が行きたいところまでの地図を頭に描き、盲導犬に指示を出しながら歩くわけで、信号の判断も目の不自由な人が、主に車の音などを聞いて青か赤かを判断しなければならない。何もしないでも盲導犬が判断して誘導してくれるわけではないので、そのため、ユーザーも盲導犬と一緒に訓練が必要なのである。だから、目が不自由だからと言って、誰にでも盲導犬が必要でもないし、逆に、盲導犬と一緒に行動できない人もいるわけである。
盲導犬の育成をしている9団体の中に、日本初の盲導犬を育てた塩屋賢一が創設したというアイメイト協会があるので、同協会のホームページ(※9参照)を覗いてみると、“私たちの協会は「盲導犬」ではなく「アイメイト」という呼称を使っているとして、その理由”を以下のように述べている。
日本ではひと口に「盲導犬」と呼ばれているが、米国では「Seeing Eye Dog」「guide dog」「leader dog」など、いくつかの呼び方があり、たとえば「Seeing Eye Dog」と呼べるのは、米国でもっとも優れた技術や歴史、哲学を誇る団体The Seeing Eye inc.が送り出した犬だけ。つまり米国では、出身団体や犬の能力などによって、それぞれ呼び方が異なる。日本においても、定義だけを見ても育成団体ごとに違いがある。・・・として、
アイメイト教会では、「アイメイト」(盲導犬の呼称)の定義を「全盲者が晴眼者の同行や白杖の併用なしで犬とだけで単独歩行できる。」・・・としているのに対して、その他の盲導犬育成団体では、その定義を・白杖との併用が前提。・原則として晴眼者が同行する。・限定した場所のみ歩行できる。・全盲者は対象としない。(※全盲者が単独歩行できる協会もある)。・・・と協会によってまちまちの様だという(ここ参照)。
また、盲導犬育成団体には、上部組織や代表組織はなく、各育成団体がそれぞれの基準に基づいて事業を行なっているそうだ。確かに、ややこしい話ではあるが、先にも書いたように、目が不自由と言っても、全く目の見えない人、見えても見えにくい程度が人それぞれに違うのであれば、その人の状況等に応じて必要とする盲導犬も違っていて当たり前かもしれないとは言えるのだが・・・。
全日本盲導犬使用者の会(※10)の盲導犬データ を見ると、2012年 3月末現在、全国の盲導犬実働数は、1043頭。2011年 3月末の盲導犬実働数は1067頭だったので、昨年に続き盲導犬実働数は減少しているという。世界各国の盲導犬実働数は、連盟に加盟していない国もあるので、正確にはわからないが、盲導犬の訓練は、約30数か国で訓練され、世界では、約25,000頭以上の盲導犬が活躍していると推定されており、全国盲導犬施設連合会発行機関誌「デュエット」第15号 (2006年4月発行)より、国別の実働数を見ると、1位、アメリカでは8000頭以上、2位、イギリス4656頭、3位、ドイツ1500~2000頭、4位、フランス1500頭に続いて、5位、日本957頭(2014年3月31日現在1,010頭)となっているようで、人口で見ると少々少ないように思われるのだが・・・。
※5:「関西盲導犬協会」のホームページの「日本と世界の盲導犬普及の違い」にも、 国内の視覚障害者数約38万人に対して、実際に活動している盲導犬ユーザーの数は1031人(2014年3月末現在)と明らかに少なく、これは、世界各国の導犬普及率見れば明らかになっているが、これは、盲導犬の数だけではなく、視覚障害者が盲導犬を申し込んでからお渡しするまでの待機期間も大きな開きがあるようだ。それには、歩行環境や住宅面、犬に対する意識、共同訓練のための社会的認識、優秀な繁殖犬の確保が難しい等々いろいろな要因があるようだ(ここ参照)。私たちは、もう少し、盲導犬のことについて協力してゆかなくてはいけないでしょうね。
しかし、盲導犬の育成も必要だが、これからの少子・高齢化社会においては、介助犬(身体障害者補助犬)を必要とする人も益々増えてくるのではないだろうか。
介助犬と言えば、我が地元・兵庫県宝塚市在住でコンピュータプログラマーの木村佳友に飼われていた。「シンシア」という名の介助犬がいたのを知っていますか。育成団体で訓練を受け、1996(平成8)年7月に介助犬となった。1998(平成10)年に、毎日新聞社が介助犬の法的認知を訴えるキャンペーンを行ったことから、その存在が広く知られるようになった。
毎日新聞の地域面(兵庫、大阪面)に掲載された連載「介助犬シンシア」は523回(1998年9月-2006年2月)を数えた。ちなみに、その後シンシアは206(平成18)年3月に死亡したことから、シンシアの献身的な働きぶりは全国の人々の共感を誘い、障害を持つ人のパートナーとして多くの人が認めるところとなった。そして、2000(平成12)年5月、宝塚市が「シンシアの街」を宣言するなど、介助犬受け入れの機運は盛り上がりを見せ、ついに、2002(平成14)年5月「身体障害者補助犬法」が成立し、同年10月に施行されることになった。こうした一連の補助犬認知運動の中で、シンシアは補助犬の象徴的存在として大きな役割を果たしたのである。
シンシアは人間なら60~70歳となった2005(平成17)年12月、介助犬を引退。木村家で余生を送っていたが、翌2006(平成18)年1月にひ臓に腫瘍が見つかり緊急手術。同年3月14日、に死去(12歳)している。今年・2015(平成27))年3月14日、JR宝塚駅構内に「シンシア像」(※11のここ参照)が設置された。
なお、木村さんの介助犬はシンシアからエルモへ、エルモ(11歳)も2014(平成26)年04月30日介助犬を引退、デイジーへとバトンタッチされているようだ(※11の介助犬『シンシア・エルモ・デイジー』関連の新聞記事参照)。
そして、飼い主の木村さんは現在「日本介助犬使用者の会」(※11のここ参照)の会長を務め、介助犬普及活動の中心的存在として活動している。
介助犬について“日本では1992(平成4 )年に育成が始まり、身体障害者補助犬法の成立により、社会福祉法人となった育成団体が数カ所あるが、ほとんどはNPO法人などのボランティア団体であり、トレーナーの数も充分とはいえない。育成費が実費だけでも1頭30~50万円、人件費・諸経費を含めれば300万円以上を要し、またトレーニングにも相当の時間がかかる。現在、行政による介助犬の育成助成制度も設けられたが、各都道府県によるメニュー事業のため、育成助成制度の無い都道府県もあるなど、育成経費の多くは、賛助会費・寄付金・バザーの売上等などからの収入でまかなわれており、従って、介助犬の育成頭数に限りがあり知名度も低いのが現状だ”・・という。“介助犬の都道府県別分布”状況も表示されているが、 “身体障害者補助犬法に基づいて、正式に認定され実働している介助犬は71頭(2015年02月01日現在)”(※11のここ参照)というから、確かに、2012年 3月末現在で、全国の盲導犬実働数が、1043頭もいるのに対して、これは余りにも少ない数だ。盲導犬同様に、もう少し、介助犬に対する理解が深まらなくてはいけないだろう。

そんな中、「言葉だけでは伝わらないことがある」「歌で補助犬への理解の輪を広げたい」と、身体障害者補助犬法が成立、施行した2002(平成14)年、補助犬の歌2曲を作った時の気持ちを忘れず、今もコンサートで人々の心に響かせているフォークデュオがいる。『冬が来る前に』などのヒット曲で知られる西宮市在住のフォークデュオ「紙ふうせん」(後藤悦治郎、平山泰代)である。
その歌とは、介助犬シンシアを歌った『あなたの風になりたい』と3種類の補助犬をテーマにした『補助犬トリオ』の2曲であり、コンサートやCDなどを通じて、補助犬の理解を深めてもらおうと努力している。
2012(平成24)年12月9日(日)宝塚市で開かれた「第21回障害者週間記念事業・第14回身体障害者補助犬シンポジウム」の記事に、紙ふうせんの、後藤悦治郎さん、平山泰代さんのこの歌の作成に関してのコメントが掲載されている。そこには、以下のように書かれている(※11のここ参照)。
毎日新聞で長期連載中の「介助犬シンシア」をずっと読んでいて、介助犬に関心を持っていた。そんな折、補助犬法が成立した時の新聞に、飼い主の障害者、木村佳友さん(当時42歳)の「法律ができても、受け入れ側の心のバリアフリーがないと、社会参加はできない」という内容のコメントが載っていた。
後藤さんが作詞・作曲したのは「あなたの風になりたい」。曲作りのため木村さん宅を訪ねた時のシンシアの印象は、「なんて透明感のある犬なんだ」であったという。
“ぼくら人間の心はいろいろなものが塗りたくられているけど、シンシアは純粋で惜しみない愛を木村さんに注いでいる。障害を乗り越えてきた木村さんも同じ愛で応えている。そのにごりのない関係を歌にしようと思った。シンシアはいつも木村さんのそばにいて、そっと後押しする「風」のような存在だと考え、「あなたの風になりたい」を作詞、作曲した。歌にはあえて「介助犬」という言葉は入れなかった。初めて聴いた人が、「シンシアって何だろう?」と、関心を広げて、介助犬のことを知ってほしいと願っています。”・・という。
平山さんは補助犬に親しんでもらおうと『補助犬トリオ』を作詞・作曲した。「制服着た時は そっと見ててね 声をかけないで」と補助犬に出会った時のマナーも織り込んだ。それは平山さんに苦い経験があったから。学生時代に西宮市から大阪市へ向かう電車で視覚障害がある男性と盲導犬のペアに出会った。「どう接したらいいんだろう」と戸惑うばかりで何もできなかった。平山さんは「犬ではなく人に『お手伝いすることはありませんか』と声をかければよいのです」と歌で呼び掛ける。
後藤さんは補助犬の役割は大きくなると信じる。「犬が1頭いれば心が和む。ロボットには愛やぬくもりはありません」と、高齢者福祉介護の現場での活躍に期待を寄せる。
平山さんは教育が大事だと考えている。「子どもの時に体験すれば記憶に残るもの。学校で保護者と一緒に学んだり、家で補助犬について会話してみては」と提案し、子どもに願いを託しているという。。
平山さんは、「歌手として、心のバリアフリーのために歌いたい」と心を動かされ、作詞、作曲した『補助犬トリオ』は、子どもたちでもすぐに歌えるような親しみやすい歌にしているので、口ずさむうちに自然に補助犬の役割や出合った時のマナーを理解してもらえたら、うれしいです。・・・といっているそうだ。

『あなたの風になりたい』
 いつも あなたが さがしてる
 希望の星が雲にかくれる時
 いつもあなたの 風になり
 悲しみ色の雲を 吹き飛ばそう
 きこえる あなたの声が
 シンシア シンシア
 グッドガール グッドガール
 あなたは 心のマストを上げて
 私はあなたの 風になりたい

『補助犬トリオ』
 僕らは イヌ科の 動物に生まれた
 人間が 大好き いつでも どこでも
 自慢の鼻と耳 走れば風のよう
 言葉覚えて レッスン重ねたら
 僕達 働く スリーナイスドッグ
 盲導犬 聴導犬
 介助犬 補助犬トリオ
(※歌詞はいずれも1番)
『補助犬トリオ』の全歌詞はわからないが、『あなたの風になりたい』の全歌詞は以下で、見られるし、また以下の動画で歌も聞ける。
あなたの風になりたい レインブック - 歌詞タイムhttp://www.kasi-time.com/item-41274.html

さ~、私達には、何ができるのか。人それぞれに協力できることは違うだろうが、せめて、補助犬と補助犬を必要としている人たちのことを十分に理解し気持ちよく接してあげたいものですね。

冒頭の画像盲導犬は厚生労働省HPより借用のもの。
参考:
※1:日本盲導犬協会
https://www.moudouken.net/
※2:道路交通法施行令
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S35/S35SE270.html
※3:【盲導犬クイールの一生】 NHK月曜ドラマシリーズ
http://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=moudou
※4:犬 インタビュー 写真家 秋元良平 盲動犬クイール PETLINK
http://www.petlink.jp/topic_interview/data/interview/007/interview007.htm
※5関西盲導犬協会盲導-犬を知る
http://www.kansai-guidedog.jp/knowledge/history/index.html
※6:ありがとう!チャンピイ~日本初の盲導犬誕生物語~」|番組|2008年度 番組活動トピックス
http://www.fujitv.co.jp/csr/activities_report_2008/bangumi/report/0014.html
※7:公益財団法人日本補助犬協会
http://www.hojyoken.or.jp/
※8:厚生労働省:身体障害者補助犬
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/hojoken/index.html
※9:アイメイト協会公式ブログ
http://www.eyemate.org/
※10:全日本盲導犬使用者の会
http://guidedog-jp.net/index.htm#menu2
※11:介助犬シンシア日記
http://homepage3.nifty.com/cynthia/index.htm
盲導犬 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B2%E5%B0%8E%E7%8A%AC

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