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イラクのバスラで世界最高気温58.8℃が記録されたといわれていた日

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1921年の今日。7月8日は、イラクバスラで58.8℃が観測されたとされていた日である。
日本でも近年夏の猛暑日には30℃を超え, 40℃にもなる地域があるようだが日本でバスラのような気温になったら、もう「今日は暑いね」を通り越して死んじゃう人も多いだろうね~。しかし、もしこのまま地球温暖化が進んだら、日本でどれくらいの最高気温を示すところが出てくるのだろう・・。

バスラ(アル=バスラ、al-Baṣrah)は、サウジアラビアイランに続き、世界で3番目の原油産出量(=埋蔵国、2010年実績※1参照)であるイラク南東のシャットゥルアラブ川の右岸にある同国第2の都市で、イラク国内で唯一、海(ペルシャ湾)に面する県であるバスラ県の県都である。
東にイラン、南にクウェートと国境を接している。石油パイプラインの終点で、石油製品や、メソポタミア南部で生産された穀物やナツメヤシなどの輸出港(港湾都市)でもある。
 
上掲はバスラの「地図での位置」画像画像クリックでYahoo!検索画像ページへ。
古代には、人類最初の王権が成立した都市とされているエリドゥがあった。
バスラは、現在のイラク南部に、第2代正統カリフウマル1世(ウマル・イブン・アル=ハッターブ)が、638年に派遣したウトバ・イブン=ガズワーンによって、イスラム史上最初の軍営都市(ミスル)として建設された.もので、もともとの市街はシャトル・アラブ川から離れた場所にあり、現在ズバイルと呼ばれている町の位置であったようだ。
旧バスラは、当初はイラン(サーサーン朝領)征服・統治の拠点として活用され、まず政治都市として発展したが、運河と川を通じてペルシャ湾に接続され、ペルシャ岸最大の貿易港として、ムスリム商人のインド洋交易圏に進出する際の拠点の一つとして栄えた、また、肥沃なチグリスユーフラテス川下流域で生産された穀物の集積地として繁栄をきわめた.。
アッバース朝イスラム帝国という呼称は特にこの王朝を指すことが多いそうだ)時代には人口が30万人を超え、『千夜一夜物語』(アラビアンナイト)の「シンドバットの冒険」の舞台ともなり、ダウ船が行き来していたところである。
しかし、839年にイラク南部で興ったザンジュの乱モンゴル帝国チンギス・カン)の侵入による被害から衰え、13世紀にアッバース朝が滅亡した後16 世紀にはサファヴィー朝の領土となり、さらにオスマン帝国領となった。オスマン帝国の統治下にあった時は、この地域はバスラ州(Basra Vilayet)と呼ばれており現在のイラク南部とともにクウェートの一帯をも管轄していた(※1、※2参照)。
そして、第一次世界大戦(1914年~1918年)でイギリスに占領されて補給基地として整備され、原油積出港として栄えた。
イラク独立後は南部における最重要拠点となり、隣国イランとの国境をめぐってのイラン・イラク戦争(1980年9月~1988年8月)や湾岸戦争(1991年1月17日.。イラク・クウェート戦争とも呼ばれる))では爆撃を受けた。
イラン・イラク戦争は、国連安保理事会の決議を受け入れる形で停戦をしたが、この両国の石油輸出にとっての要所であるシャトル・アラブ川の使用権をめぐる対立から生じた紛争は、戦争以前にも長年の間、衝突の原因だった。
湾岸戦争は、先にも述べたイラク建国の歴史を口実に、1990年サッダーム・フセイン元大統領が、ブルガン油田ルマイラ油田を擁するクウェートを併合したが、翌1991年のアメリカを中心とした多国籍軍による空中戦及び地上戦によってなす術もなく敗北、クウェートを手放して停戦していた。
その後、2003年には、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領の「イラク国内に大量破壊兵器が存在する」という発言がもとで、米国を中心とする有志連合によって、イラク武装解除問題の進展義務違反を理由とする『イラクの自由作戦』の名の下にイラク戦争が起こされた。このイラク攻撃にはフランス、ドイツ、ロシア、中国などが強硬に反対を表明する中、アメリカが強引にこれを主張して攻撃したものであるが結果的に大量破壊兵器は発見されなかった.。強引に攻撃しようとするアメリカ、反対していた国にもそれぞれの思惑がらみの戦争であったが、いずれにしても、フセイン政権との関係やイラクの石油利権に絡んでいるとする見方が多い。イラク戦争の経緯や結果はイラク戦争を参照)
戦後は2003年5月から米英の暫定占領当局(CPA)が統治し、同年7月イラク人によるイラク統治評議会が発足、翌2004年6月末イラクに主権が移譲された。治安は相変わらず悪く、当初多国籍軍や外国・国際機関などの民間人が人質やテロの標的となっていたが、治安維持の主体がイラク政府になるにつれて、スンニ派シーア派の対立が激化し、内戦を指摘する者もいる。
そして、2008年には、新政権下組織された新イラク軍とマフディー軍との間で戦闘が行われた。
これらの戦争で製油所やパイプラインなど、イラクの石油関連施設は、大変大きなダメージを受け、製油所だけでなく、輸出には欠かせない港湾設備も破壊された。シャット・アル・アラブ川やバスラの港には、今も湾岸戦争時代に沈められた船の残骸があり、航行の妨げになっているという。潜在的にはうなるほどのオイルダラーを手に入れられるはずのイラクは今、産油国としてのメリットを享受できないまま、経済的に瀕しているが、石油エネルギーをこの地域に依存している日本にとっては重要な地域でもある(※3参照)。
また、今、イラクはイスラム過激派組織イスラム国」にも脅かされているが、その「イスラム国生みの親は、前ブッシュ大統領ではないか・・」とアメリカで、共和党の大統領候補ジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事と、兄でイラク戦争を主導したジョージ・W・ブッシュ前大統領が批判にさらされているようだ(※4参照)。

バスラはバグダードから545キロの位置にあり、都市内には、運河が整備されており、1970年代頃までは中東のベニスとも呼ばれていたようである。運河を取り入れた街並みは西洋と異なり、また東洋とも趣が異なる異国情緒溢れる港湾都市で、クェートやサウジなどの周辺国から観光客が沢山押し寄せてきたようである(※5参照)が、イランとの戦争や最近の湾岸戦争などの戦乱で街は荒廃し、イスラム国にも脅かされている状況下では、観光も難しいだろうね。
サッダーム・フセインはイラク戦争後米軍に逮捕され処刑されてしまった。何かと野蛮に見えたサダムだが、イラク戦争そして進行中の中東地域の混乱を見れば物事は単純じゃ~ない。あのような民族的、宗教的、歴史的にも複雑な地域て、ハネ上がり者もフセインのような独裁者の前ではネコのように大人しくしていたようで、何とか国も収まっていたようだが、今では、収支の付かない状況になっている。うまくゆかないものだ。

シャットゥルアラブ川に沿いに位置するイラク最大の都市バスラは砂漠気候だが海に近い分だけ冬季は内陸より降雨がある。通常でも6-8月は最高気温が38℃以上あるが、12-2月は21℃以下になるそうだ。降水量は5-10月がほぼゼロ、11-4月は月間30mm前後だそうである。以下で、平均気温と、現時点の10日間の天気予報が見られる。

Basraの気候

バスラの天気予報 - 世界各地の10日間の天気予報

気温とは気象を構成する要素の1つで、通常は地上の大気空気)の温度のことを指す。
気温は温度計により測定するが、構造や測定値の特性が異なるいくつかの種類の温度計が存在するため、測定値を利用する際に留意する必要がある。地上の気温の測定方法は世界気象機関(WMO)は、地上から1.25〜2.0mの高さの間を推奨しており、温度計を直接外気に当てないようにして測定することと定められている。なお日本では、気象庁(※6)が測定高さを1.5mと定めており、ふつう、上記の測定方法を満たすため、温度計や同じような測定環境が求められる湿度計は、ファン付きの通風筒や百葉箱に入れられるようだ。(気象庁『気象観測の手引き (PDF) 』平成10年(1998年)9月の版参照)。気温は日変化、年変化をし、その変化は日射量の変化と密接な関係にある(→気温の日較差、気温の年較差日射量)。

世界最高気温の記録は、NOAANASAなどの記録によれば「リビア/アジージーヤの58.0°C (1922年9月13日)」とされていたが、2012年にWMO(世界気象機関)はアジージーヤの記録が観測ミスによる誤りで、実際は「アメリカ合衆国・カリフォルニア州デスヴァレー(Death Valley)の56.7°C (1913年7月10日)」であったと発表されているそうだ。
一方、日本の気象庁の記録では長らく「イラク・バスラの58.8°C (1921年7月8日)」とされてきたようだが、この記録は、2013(平成25)年に気象庁気象研究所の藤部文昭が「イギリスの気象学会誌で1922年に報告された『セ氏(摂氏)53.8°C、カ氏(華氏)128.9°Fが1934年に日本で出版された『気象学』(改稿版)に誤記載され、その後広まった可能性が高いことが分かった。また、この最高気温を記録した日付も同学会誌のグラフでは7月15日と17日であった(8日は最低気温が最も高かった日)」とする調査結果を発表しているという(※7:「日本気象学会:機関誌「天気」記事年度別検索」の2013年N02「気温の世界最高記録とされる「バスラの58.8℃」について」参照)。
実際、欧米にはバスラの58.8℃ を世界記録として記載した文献は見当たらず、これを報じているのは日本の文献と日本の文献を基にしたと思われる中国や韓国のサイトくらいのものだった様である。そして、バスラの実際の観測値としては、Clemence (1922年) が1921年夏の中東の猛暑に関する報告の中で 7月にバスラで128.9°F (53.8℃ )が観測されたことを記述しているものが正しいようだが、当時バグダッドに住んでいたClemence (1922) は, その観測所の百葉箱が日干し煉瓦の屋根に置かれているのを見て、最高気温の観測値が真の外気温より高い可能性を指摘しており、バスラの128.9’F (53.8℃ ) という値にも、もしかすると同様の問題があるかも知れないという。このこととの関係は分からないが、近年の資料の中には上記の値より低い52.0℃ (2010年6 月) をバスラの(かつイラク全体の) 歴代最高記録としているものがある.・・・とも言っているのだが・・・。
それでは今わかっている範囲の世界最高気温がどうなっているのか・・・。上位5位までを見ると以下のようになっている。

1位 56.7℃:アメリカカリフォルニア州/デスバレー(Death Valley)。1913年7月10日観測。
気候・地勢:デスバレーは、カリフォルニア州中部、同州とネヴァダ州の境界に沿って伸びている.。モハーヴェ砂漠の北に位置する深く乾燥した盆地で、デスヴァレー国立公園の中核をなしている。

2位、55℃ :アフリカ・チュニジア共和国ケビリ(Kebili)。1931年7月7日観測。
気候・地勢:チュニジアの南西に位置し、アルジェリアと国境を接している。冬(夜は非常に寒い)と夏(高温)は暮らしにくい。この地域を訪れるのに適した時期は、春と秋の終わりごろ。ケビリ県は、シェリド湖(塩湖)として知られているチュニジアで一番大きな塩田の大部分を占めている。

3位、53,6C:中東・西アジアのクエート/スライビヤ(Sulaibiya)。2012年7月31日観測。
気候・地勢:スライビヤについてはよく判らないが、クエートは、北と西にイラク、南にサウジアラビア、東にペルシャ湾がある.。1961年にイギリス支配からの独立をし、現在世界第二位の油田であるブルガン油田は1946年より生産を開始しており、これ以降は石油産業が主要な産業となっている。

4位:53,4C:パキスタン南東部シンド州/ラルカナ( Larkana)。2010年5月26日観測。
気候・地勢:モンスーン地域であるが砂漠気候で雨量はごく少ない。冬は比較的温暖で夏は非常に暑い。東側にはタール砂漠があり、西側にはキルタル山脈があってバローチスターン高原に続く。その間のインダス川近くは平野になっている。南部にはインドのグジャラート州にまたがるカッチ湿地(カッチ大湿地およびカッチ小湿地)が広がる。

5位、52.0 °C:メキシコ ソノラ州 (Estado de Sonora)。1966年7月6日観測。
気候・地勢:メキシコ北西部に位置する州。東はチワワ州に接し、南はシナロア州、北西はバハ・カリフォルニア州,に接する。北はアメリカ合衆国のアリゾナ州に接し、西はカリフォルニア湾に面する。州の大半をソノラ砂漠が占める。5月が1年でもっとも乾燥する季節となり、真昼の気温は通常でも40℃に達するという。

さて、以上が世界最高温度上位5位までだが、もし、イラクのバスラの最高気温が58.8°Cでなくても、53.8℃いやそれより低い52.0℃(2010年6月観測)であったのなら、当然、この中に入ってるはずだが含まれていないのは、その観測方法やデーターそのものに疑問があるからなのだろう。
最高気温50,0C以上のところは、このほかに、アフリカ北西部アルジェリア(民主人民共和国)/タマンラセット県(Tamanrasset)で2002年7月12日に観測された50.6 °C、中東・西アジアカタール/ドーハ(Doha)の 2010年7月22日観察の50.4 °C、中国/アイディン湖(Ayding Lake)で2011年7月14日に観測された50.2 °C、南アフリカ共和国/東ケープ州(Eastern Cape)で1918年に観測された50.0 °が見られるが、40,0C以上は多くみられる(詳細は「:en:List of weather records」)を参照。

温暖化の影響で、近年、日本でも真夏日は40度に達するところも出て来ている。

気象庁の歴代全国ランキング(※6のここ参照)を見ると、日本の過去の最高気温の順位は以下のようになっている。

1位は、2013年8月12日に観測された高知県、江川崎 41.0°Cである。
高知県四万十市北部にある江川崎地域では、2013年8月10日、摂氏40.7°Cを記録、翌11日には40.4°C。更に12日には、日本最高記録である41.0°Cを記録し、13日にも40.0°Cを観測し、日本初の4日連続最高気温40°C以上を記録したという。その後も8月23日までの18日間、猛暑日が継続したそうだ。
2位は、2007年8月16日に観測された埼玉県 熊谷市 の40.9°C。
埼玉県北部の熊谷市は、夏場の高温・猛暑に関する多くの最高記録が観測されている。この日の記録は、同日14時20分に記録した岐阜県多治見市(3位)と並び、1933年7月25日に山形県山形市で観測された40.8°C(4位)を上回り、2013年8月12日高知県四万十市江川崎で41.0°Cが観測されるまで日本観測史上の最高気温となっていた。
2011年6月24日には、6月の最高気温39.8°Cを記録し、1991年6月に静岡市で観測された38.3℃を20年ぶりに更新。2000年9月2日には全国の9月最高気温では歴代最高である最高気温39.7°Cを観測している。他にも2010年に年間猛暑日日数が群馬県館林市(2007年8月15日には40.2°C、翌16日に40.3°Cを記録。この温度は上位10位である)と共に国内最多の41日で全国一位となった(2010年 猛暑日日数ランキング)。2012年にも群馬県館林市と同数の32日で全国一位を記録した(2012年 猛暑日日数ランキング)。
このように、熊谷が高温となるのは、海風に乗り北上してくる東京都心のヒートアイランド現象により暖められた熱風と、フェーン現象によって暖められた秩父山地からの熱風が、一般的に日中の最高気温となる午後2時過ぎに同市の上空付近で交差するためだと考えられており、「熱風の交差点」と呼ばれることもあるそうだ。
上位3位は、先にも挙げた、岐阜県多治見市の2007年8月16日観測の40.9°Cであるが、 盆地に位置するため、夏・冬で気温差が激しく、特に夏は最高気温の平年値が日本のアメダス観測地点の中で一番高いらしい。また、盆地の狭い範囲に住宅が密集していること、北からのフェーン現象による熱風、冷たい海風が入りにくいこと、緑地や水辺が少ないことという複合的な要因が交差して起こったものとの仮説(筑波大学計算科学研究センター講師である日下博幸の研究チーム)もある。但し、盆地であるため、熱帯夜となる日は少ないそうだ。
上位4位の1933年7月25日に40.8°Cを記録した山形市も盆地の中に位置するため、盆地特有の内陸型気候で寒暖の差が激しく、夏は暑く冬は寒い。夏は東北の中でも暑さが厳しく、35℃を超える猛暑日となることも珍しくないようだ。
上位5位は、2013年8月10日に記録した山梨県甲府市の40.7°Cである。やはり盆地の中に位置しており、夏季には日本有数の酷暑となり、たびたび猛暑日に見舞われる。
その他「観測史上の順位」表には、399°C以上が19か所観測されている。

上記山梨県の記載の中で、夏季には日本有数の「酷暑」となり、たびたび「猛暑日」に見舞われると書いた。酷暑=酷い暑さも、猛暑=猛烈な暑さも同じような意味ではあるが、気象庁の予報用語=解説用語には、「酷暑」はあるが、「猛暑」という表現はなく、「猛暑日」はあるが、「酷暑日」はない。しかし、これ以下、「酷暑」もあえて「猛暑」として書いている。
猛暑」(もうしょ)とは平常の気温と比べて著しく暑いときのことである。主に夏の天候について用いられる。世界気象機関が推奨する定義は「最高気温の平年値を、連続5日間以上、5℃以上上回ること」としているが、各国はそれぞれの気候傾向によって様々な定義で運用しており、日本国内においては2007年以降、1日の最高気温が35℃以上の日のことを「猛暑日」と言っている。
一般に夏季において背の高い(上空の高い所から地表まで鉛直に長い構造)の高気圧に覆われて全層に渡って風が弱く、周囲の比較的冷たい空気(寒気)や湿気の流入が弱く快晴状態の場合や、南(南半球の場合は北)から継続的に暖気(あたたかい空気)が入った時に起こりやすい。内陸の盆地や山間部では周囲の山岳により外部の大気との混合が妨げられ、熱い空気がその場にとどまりやすい(熱気湖)ことや、どの方向から風が吹いても、フェーン現象(風炎現象)が起こりやすいので、他の地域よりも暑くなりやすい。主な観測地点は山形県山形市、山梨県甲府市、京都市、大分県日田市などがある。
フェーン現象が発生すると、山脈の風下部では山から吹き降りてきた乾燥した高温の風によって盛夏でなくても猛暑となりやすい。主な観測地点は東日本や東北の日本海側、夏季の関東平野(特に北部)などがある。
一方、西日本には2000m以上の山が存在しない(西日本最高峰は愛媛県の石鎚山で1982m、中国地方では鳥取県の大山で1729m、九州本土では大分県の九重山中岳で1791m)のため、水分の放出が充分に行われず吹き下ろしの風に水分が含まれているので、気化熱が昇温を緩和するので、フェーン現象による気温の上昇は東日本ほど激しくないらしい。
又近年ラニーニャダイポールモード現象エルニーニョもどきが発生している夏は猛暑になりやすいといわれているが、夏の期間にこれらの現象が起こっていなかったにも拘らず猛暑になっている年もある。
1994 年~2013年の20年間のうち猛暑年は18年に達し(2003年と2009年を除く全ての年が当てはまる)、猛暑が恒常化している。これに関しては地球温暖化も影響していると考えられるが、それだけが全ての原因とは考えにくく、他にも猛暑になりやすい要因がいろいろと重なっているようだ。
今年の5月は、異常な暑さが続いたが気象庁の予報では、全国的には、ほぼ「平年並みの暑さ」だという。ただ、「集中豪雨による大災害が起こりやすい」という予想もされていたので、注意が必要だね。
最近中東ではイスラム過激派によるテロが相次いでいることから、世界一の最高気温を記録したと言われていたイラクのバスラに絡めて、イラクのことを少しダラダラ書きすぎて、肝心の猛暑については尻切れトンボになってしまった。申し訳ないm(_ _)m。

参考:
※1:バスラ - 世界史の窓
http://www.y-history.net/appendix/wh0501-025_0_1.html
※2:イスラーム帝国の成立
http://manapedia.jp/list?subject_subcategory_id=318
※3:石油産業 - 最大の産業「石油」ビジネスを復興する | 池上彰と歩く日本画できイラク復興」
http://special.nikkeibp.co.jp/as/iraq/vol3/
※4:ダーイシュ(イスラム国)の"生みの親"は、ブッシュ前大統領なのか?
http://www.huffingtonpost.jp/2015/05/21/jeb-bush-isis_n_7418502.html
※5:西方見聞録 6 バスラの街 ~ 建物と街並
http://www.pcfactor.org/travel_book_6_basrah_town3.html
※6:気象庁(国土交通省)
http://www.jma.go.jp/jma/index.html
※7:日本気象学会:機関誌「天気」記事年度別検索
http://www.metsoc.jp/tenki/index_tenki.php
世界一のところに住んでいる人たち
http://www.festivalgoma.com/
気温 -Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E6%B8%A9
世界一の一覧とは - Weblio辞書
http://www.weblio.jp/content/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%B8%80%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7




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