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ホスピタリティ・デー

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今日・3月24日は「ホスピタリティ・デー 」
思いやり、もてなしといった意味のホスピタリティの精神を広めるためにNPO法人日本ホスピタリティ推進協会(旧称・日本ホスピタリティ協会※1:参照)が1994(平成 6) 年3 月24 日に制定したそうだ。
この日を日常生活の中で他人に対して思いやる心をほんの少しでもあらわす実践の日として位置づけ、その普及することが目的だそうで、日付は「3」は新しいものを創り出すエネルギー、自己表現を表し、「2」は思いやり、協力、を意味し、「4」は全体を作りあげる基礎の数字とされることから、その組み合わせである3月24日としたのだという。

さて、「ホスピタリティ」の話の前に、数字の話だが、数字には、「数字、一つ一つに固有の意味がある」のだといった話は聞いたことがあるが、私はそのようなこと良く知らないのでネットで調べてみると、以下参考の※2:「THREEの由来と数秘術」には、 “数秘術”では「3」という数字に「果てしない創造性、表現力、バランス」といった意味があるらしく、他の1~9までの個々の数字にも、上記に書かれていたような数字の意味が書かれていた。
この数秘術というのは、西洋占星術易学等と並ぶ占術の一つで、生年月日(西暦)や姓名などから、固有の計算式に基づいて運勢傾向や先天的な宿命を占う方法としても利用されているらしいが、
、数秘術の創始者は一般的にピタゴラスの定理で有名な古代ギリシャの数学者・哲学者のピタゴラスだと言われているそうだから、それなりに意味はあるのかもしれないね~。
ま、余談はこれくらいにして、本題へ入ろう。

日本記念日協会(※3)には、10月30日の記念日に「マナーの日」が登録されていたので以前にこのブログで「マナー」について書いたたことがある(ここ参照)。
ビジネスマナー、一般マナーなど、あらゆる場面において必要不可欠な「マナー」について見直し、生活に役立ててもらうことを目的にNPO法人・日本サービスマナー協会が制定(※4 参照)したものであった。
“企業が成り立つ重要な要素として、「ヒト」「モノ」「カネ」「情報」があると言われる中で、この不況を乗り切るために一番重要とされているのが人材教育だと言われている。 特に最近は「人は財産」という考え方から「人財」とする企業も多くなってきた。
現代の社会では今まで以上に顧客に対する現場の対応力が問われるようになり、相手先の企業やお客様とどのように接することが出来るかということが顧客満足度(CS)を高める重要な要素となってきているからだ。
「お客様は神様です」は三波春夫の有名なフレーズであるが、確かに、サービス業 (サービスを取り扱う産業)のビジネスマンにとって、相手先の企業担当者やお客様に満足度を高めなければ、成果は得られないし、そのために必要なビジネスマナーは当然身に着けておく必要があるだろう。
マナー (英語:manners) は、一般的に礼儀、行儀・作法を指すが、このマナーは、日常生活をしていく中で自然と身につけていく作法であり、戦前生まれの道徳躾(しつけ)教育にはそれなりに厳しかった環境の中で育てられてきた私などの世代の者から見ると、業務上必要とされるビジネスマナーなどは企業で教育もされておりこれは別として、今の時代の人の普段の行動には、そのマナーの悪さが気にかかる人も多いのではないだろうか・・・。私だけがそんなことを思っているのかと、ネットで検索してみると以下のようなアンケート結果もあるようだ。

礼儀正しいなんてウソ!? 日本人のマナーを日本在住の外国人に聞いてみた!

私は、海外旅行は仕事柄アメリカ中西部、ハワイなどへの研修や視察を兼ねて、1週間単位で3度ほどは行ったが、世界の国々と比較して日本人のマナーが実際にどの程度良いか悪いかなど比較出来るほどの見識もない。
ただ、良し悪しは別にして、日本人には、誰にでも昔から、やたらぺこぺこと頭を下げて低姿勢で応対をする習性が今でも残っているようであり、そういった面では、初めて会った外国人などから見て好感は持たれるかも知れないし、平均的な外国人に比較して見れば、まじめで親切な面もあるのだろう。
私が若い頃仕事をしていた商都大阪の商人などは、客を相手にいつもにこにこ笑顔で揉み手をしながらお愛想を言っていたが、サービス業に携る者は、誰しもたとえそれが演技であれ.他人に喜ばれるような立ち居振る舞いやリップサービスを行うのが常であるが、日常の人間関係においても、この精神作用は自覚に関わりなく、多かれ少なかれ常に働いているものと考えられている。
仮に相手に喜ばれようとする気持ちが全くなく相手に接した場合は、エゴイズム(利己主義)の衝突となり、良好な人間関係は成立しないからである。また、他者に喜ばれることが当事者の喜びになる心理作用や、人に嫌われたくないという気持ちが働くため、この精神作用はごくありふれて見られる。このため、通常よりこの精神作用が強い場合を指して、「サービス精神」が旺盛などと呼んだりする。歴史的に「和をもって尊しと為す」を信条してきた日本人には、このサービス精神は外国人よりは多いかもしれない。
20世紀の工業を中心とした経済社会における企業の役割は、優れた価値のある製品・サービスを提供することであった。モノが不足している時代であったから、良いモノを安く大量に作れば、売上も利益も向上したが、21世紀の知識・情報・サービスが重要な役割を果たす経済社会は、モノあまりの時代でもあり、単に、良いモノが安いからと言っただけでは買ってもらえない時代になった。それだけモノ余り時代の競争は激しいのである。
そんな時代にどうしたら、消費者にモノを買ってもらえるのか・・・?そこで求められるのが、「サービス」から「ホスピタリティ」への移行だという。

毎日いただくおは香りとにがみを頂くのである。おうす(薄茶の丁寧語※4のコラム参照)にしろお濃い茶(※4のコラム参照)にしろ、あの甘いにほひとにがみがなかつたら、茶道なんてものはないのだらう。ほうじ茶やばん茶、これは香ばしいだけでにがみがない、ずゐぶん間がぬけてゐるやうでも、それはそれで、温かい香ばしい飲物である。コーヒーのやうな強烈な香りの飲物を毎日いただく余裕のない時や胃の弱いときに、コーヒーの身がはりにほうじ茶を濃く熱く煮出して飲むと、ほんの少しだけ咽のどこかの感じがたのしくされる。たいそうほうじ茶とばん茶の悪口をいふやうだけれど、出からしのおせん茶のなまぬるいのを飲むよりどんなにおいしいか分らない。これはやはり贅沢な関東人の智慧が考へ出したものに違ひない。地方の質素な古風な家庭で育つた人なぞはお客さんの咽の感じなぞを考へることは教へられてゐないで、その生ぬるい薄いおせん茶を何度でも何度でも注いで出す。お茶を出すといふことが昔から日本人のホスピタリティであつて、奥さんみづからが立派な古めいたきうすに銀びんのお湯を注いで替へてくれるお茶は大へんなホスピタリティにちがひない。

上掲の文は、大人気だったNHKの朝ドラ『花子とアン』の主人公のモデルとなった村岡花子や同ドラマに登場し脚光をあびた柳原白蓮と同じ東洋英和女学院を卒業し、歌人・随筆家・翻訳家として明治・大正・昭和の三時代を生きた片山 廣子(※5参照)の随筆『アケビ』(※6参照)からの抜粋である。
彼女は、芥川龍之介などから、人の陰口などは一切言わないことから「くちなし夫人」と呼ばれたという。片山の身のこなしの優雅さ清楚な外見をクチナシの花になぞらえてのことだろう。

「思い遣る心」を【形】として表わすことが「マナー」であれば、「ホスピタリティ」(hospitality)とは、「思いやり」「心からのおもてなし」という意味である。
2013年9月アルゼンチン・ブエノスアイレスで開かれたIOCの夏季東京五輪誘致の最終プレゼンテーションでは、滝川クリステルが日本の「お・も・て・な・し」の心を印象的にフランス語と日本語でアピール。東京への招致に一役買い、この言葉が2013年の「新語・流行語大賞」の年間大賞を受賞した。




石田三成の性格を表す有名な逸話に「三献の茶」の話がある。
長浜城主となった羽柴秀吉(豊臣秀吉)は、ある日、鷹狩りから帰る途中のお寺でお茶を所望したら、寺の小姓が、まず最初に大ぶりの茶碗にぬるめのお茶をたっぷり入れて出した。喉の乾いていた秀吉は、それを一気に飲み干し、さらにもう一杯頼むと、今度はやや小さめの碗に、やや熱めにしたお茶を出した。秀吉は試みにもう一杯所望したところ、今度は小ぶりの碗に熱く点てたお茶が出てきた。
相手の様子を見て、その欲するものを出す。秀吉は茶の入れ方ひとつにも気を配る小姓に感動し、城へ連れ帰った。それが後の石田三成であるという逸話である。
ただこの逸話の信憑性は乏しいが、滋賀県のJR長浜駅前には、この三献茶に因んだ三成と秀吉の像が設置されている。以下参照。
秀吉公と石田三成公 出逢いの像

片山の随筆やこのエピソードには「おもてなし」の心「ホスピタリティ」が色濃く息づいている。以下参考の※7 :「「接客マナーは心の礎」 おもてなしの「礎」語源」に詳しく解説されているが、「おもてなし」は、「もてなし」に丁寧語「お」を付けた言葉で、「もてなし」の語源は「モノを持って成し遂げる」という意味であり、別に、お客様に応対する扱い、待遇とも言われている。また、「おもてなし」のもう一つの語源は「表裏なし」、つまり、表裏のない「心」でお客様をお迎えすることで、 接客業、サービス業に限らず、人の生活する場、すべての家、人に必要なもの。そして、この「おもてなし」には目に見える「もの」と、目に見えない「こと」があるという。
この「もの」「こと」を、お茶の世界(茶道)で例えると主客一体の心の元、お見え頂いた「お客人」をもてなす際に、季節感のある生花、お迎えするお客様に合わせた掛け軸、絵、茶器、匂い(御香)など具体的に身体に感じ、目に見えるリアルなものが「もの」であり、もてなす人の瞬時に消えてしまう言葉、表情、仕草など、目に見えないバーチャルな心を「こと」と言いあらわしているそうだ。
日本の懐石(茶懐石)料理での「もの」には上記した意外に、飲み物、料理やお菓子(デザート)が加えられ、接客時にもお客様の五感を取り巻く、全ての「もの」の知識(グラス、器、料理、素材、デザート等々) と共にお客様の状態を素早く察知し、 目配り、気配り、手配り、身配り、気働きなどの動作で応える気遣い、お料理を楽しんで頂く会話や日本文化の心わびさびの余韻を与えるなど、「三味一体」(この場合人・料理・場)でお客様の五感と心に満足、感動と余韻を与えることが「おもてなし」だと言っている(詳しくは同HP=※7参照)。やはり「おもてなし」の心は日本の伝統ともいわれる茶道の世界に一番色濃く見られるようだ。
形や行動などで示す「マナー」は相手に不快感を与えないための最低限のルールであるが、そこに「心」が加わると、「ホスピタリティ」になる。
深い心地良さが加わることで、信頼、安心感そして感動が生まれるわけである。
NPO法人日本ホスピタリティ推進協会のHP(※1)にも、
ホスピタリティとは接客・接遇の場面だけで発揮されるものではなく、人と人、人ともの、人と社会、人と自然などの関わりにおいて具現化されるものである。
狭義の定義では、人が人に対して行なういわゆる「もてなし」の行動や考え方について触れていて、これは接客・接遇の場面でも使われるホスピタリティのことである。 主人と客人の間でホスピタリティが行き交うが、それは一方通行のものではなく、主人が客人のために行なう行動に対して、それを受ける客人も感謝の気持ちを持ち、客人が喜びを感じていることが主人に伝わることで、共に喜びを共有するという関係が成立することが必要だ。すなわち、ホスピタリティは両者の間に「相互満足」があってこそ成立する。つまり、主客の両方がお互いに満足し、それによって信頼関係を強め、共に価値を高めていく「共創」がホスピタリティにおける重要なキーワードなのである。
広義の定義では、ホスピタリティが主人と客人の二者間の話にとどまらないことを言っている。社会全体に対して、その構成員である人々が、ホスピタリティの精神を発揮することで、相互に満足感を得たり、助け合ったり、共に何かを創りあげることができ、それによって社会が豊かになっていくという大きな意味でもホスピタリティは重要である。
ホスピタリティは一般的にはサービスを提供する企業と、それを受け取る顧客との領域で論じられることが多いが、決してそれだけにとどまるものではない。例えば企業活動においては、顧客以外のステークホルダーである従業員や、地域社会に対してもホスピタリティを発揮することが大切で、それによって社員の働きがいを高め、社員同士がチームとして創造性を高めたり、地域社会との関係性を高めたりすることで好ましい経営環境をつくりあげることができる。・・・と。

重要なことは、狭義の定義で、“ホスピタリティは両者の間に「相互満足」があってこそ成立する”ということである。「相互満足」は、顧客満足と従業員満足を区別して考えるのではなく、一体として考える立場から生まれたものである。そして、さらに経営者の満足も取り入れた概念と解すべきだろう。
1995(平成7)年の阪神・淡路大震災では全国から大勢の善意のボランティアが被災地に駆けつけたことから、「ボランティア元年」とも呼ばれるようになったが、一方で、例え善意のボランティアであっても、現地で必要とする技能がなく、そのため、現地が望んでいる必要とする事はできず、逆にその日の食事が満足に食べられない地域において、残り少ない食品や飲料水をコンビニで消費していったためますます現地の人の食糧不足に拍車をかけた・・といった不満から「ボランティア迷惑論」が出て問題となったこともあった。ここには、例え善意の行為であっても、それが必ずしも相手の望むことではない時の典型的な問題が見られるだろう。これは、「ホスピタリティ」の場合も同様である。
又、もっと重要なことは、広義の定義で書かれているように、お客様が満足し、お客様に喜んでいただくためには、お客様の要望を超えるサービスを提供し続ける事が重要であるが、同時に、そのような仕事をする、社員も満足し、さらに、その企業が存在する地域社会の皆様にも満足していただける、そのようなホスピタリティでなければいけないということだろう。これは非常に難しい。
牛丼チェーンのすきやは労働生産性を追求するあまり、労働問題(詳細は「ゼンショー#諸問題」を参照)からアルバイトやパートタイマーの不満が噴出し、経営が揺らぎかけたこともあったように、先ず、従業員がイヤイヤ働いて、お客様に心からのサービスが提供できるわけがない。これはもう最低の条件がそろっていない。
これに反し、「夢と魔法の王国」と呼ばれているディズニランドのホスピタリティには定評がある。楽しいから客がディズニーに集まるのである。それはディズニーのリピート客の多さでわかるだろう。
私も現役時代、東京ディズニーランドが開業して間なしの頃、すでにディズニランドのホスピタリティは話題になっていたので、アメリカ西部を研修で視察に行った時、本場アメリカのディズニーランドも視察を兼ねて遊びに行ったが実に楽しかった。平日ではあったが日本のディズニーランドなどと違って年配者が多かった。
兎に角ディズニーでは、あらゆることが、ただただお客様が楽しめるよう企画・演出され、キャストと呼ばれる従業員は社員もアルバイトもお客様を楽しませるために日々働いており、会社(ディズニー)自体も、自らの仕事に誇りをもってサービスをお客様に提供してもらえるようすべてのキャストへのホスピタリティ教育や動機づけを行っているからこそ顧客満足を産み、長きにわたり、多くのお客様を世界中から惹きつけているのだろう。(参考の※8 、※9 参照)。

「思いやり」「心からのおもてなし」という意味の「ホスピタリティ」。この言葉は、サービス業のみならず、最近では医療現場などでも頻繁に使われるようになっている。
医師山崎章郎の『病院で死ぬということ』が日本エッセイストクラブ賞を受けたのは、1991(平成3)年だった。1993(平成5)年にはこの作品を市川準監督がドキュメンタリータッチで描いた同名映画を製作されている。
この本が人々の心をとらえたのには、一般病院における終末期医療の現場の悲惨ともいえる状況が生々しく正確に描かれていたからであった。
「苦痛と絶望、不信と怒りの連続の中で、告知もされず、痛みに顔を歪め「物いわぬ物体」となって、病院のベッドで死んでゆく患者の姿は、読者にとって明日の自分の姿であり、肉親でもあった。多くの人の中にある医療不信がこの悲憤の書をベストセラーにした。
山崎は本の中で「僕はホスピスを目指す」と宣言し、1991(平成3)年10月聖ヨハネ会桜町病院(※10参照)のホスピス科部長となった。、それ以降、日本のホスピスが充実を見せ始めたのは自分の全存在を注ぎ込む山崎や現場を支えるたくさんの人々の志の集積が貢献している。山崎氏は、2005(平成17)年に、在宅診療専門診療所ケアタウン小平クリニック院長(※11参照)を務め現在に至っている。

「ホスピス」(英: hospice)とは、ターミナルケア(終末期ケア)を行う施設のこと。または在宅で行うターミナルケアのことをいう。
英語の、「ホスピス」(hospice)は、ラテン語のホスペス(hospes:主、客の両者を意味する)を語源とし、ラテン語のホスピティウム(Hospitium:客を厚遇すること)に由来するホスピスは、「客を暖かくもてなす」ことを表し、元来、中世の初めヨーロッパ西部で巡礼や旅行者、病人たちを休ませた宿泊施設を意味している。これが今日のホテル(Hotel)や病院(Hospital)の原型となっている。

日本ホスピス緩和ケア協会編(NHK厚生文化事業団発行) の小冊子『 ホスピスってなあに?-困っているあなたのために』(※12参照)の1ページの冒頭に以下のように書かれている。

治すことを目標にひた走っている医師と患者。その同じ病室で、同じ目標をめざせなくなっている私のからだ。 途方に暮れるたびに、私のなかの病院砂漠がひろがっていき、いつしか私は疲れきった旅人になってしまった。 そんなある日、 「ホスピスはあなたのオアシス」、砂漠の向こうから吹く風が、そう私におしえてくれた。 ・・・と。

そして、この小冊子にはさらにホスピス誕生の理由を次のように解説している。

これまでの医療は、治癒させることに専念するあまり、治癒できない場合の対応がほとんど考えられていませんでした。治癒できなければ延命策を講ずるという図式が連綿と続けられていました。「検査・診断・治療・延命」という4つの働きが近代病院の目的と考えられてきたからです。 
 しかし、たとえば、症状の進行した患者さんの何割かが直面する激しい痛みや息苦しさ、変化する症状への不安に対しては、この4つの流れの中で対応するには限界があります。 このような状況におかれた患者さんの痛みと不安を、何とかやわらげてあげたい・・・。 それがホスピスを誕生させたときの願いでした。
 この考え方を本格的に実践してみせてくれたのが1967年、シシリー・ソンダース医師が率いるイギリスのセント・クリストファー・ホスピス(聖クリストファー病院。※13参照)です。 ・・・と。  
シシリー・ソンダース医師によって全世界に広まった「近代ホスピス」は、「病気の治癒を目指した治療がもはや有効でなくなった患者の苦痛を緩和し、最期までその人らしく生き抜いてもらえるるよう、命の質とか、生活の質(Quality of Life)を高く生きられるよう、チームで援助していこうというプログラムのことをいい、そして、「ホスピス」に入院せずに、自宅で同じような「ホスピスケア」を受けて家族と過ごすことを「在宅ホスピス」と言っている。
日本の「入院ホスピス」の場合は「進行癌(がん)とエイズ(AIDS)」だけが治療対象のようだが、「在宅ホスピス」の場合はどんな病気の人でも対象となるようだ。
ホスピスは、人間がどれだけ「 人間らしさ」を保って生きられるか、つまりは、尊厳死の問題にもかかわってくることなので、これにはいろいろ意見もあるようだ(※14参照)。

私達夫婦ももう80歳に近くなった。今は元気であるが、平均寿命まではそう長くはない。
それ以上の余命はできるだけ元気で長生きてはしたいものの、もし、癌その他重い病で寝たきりになった場合、ただ息をしているだけの状態で、何時までも苦しみながら生きようなどとは思わない。
だから、常日頃から、夫婦でそのような状態での延命治療だけは絶対にしないようにと、確認し合っている。もしそのような状況になったら、私は、ホスピスなのお世話になりたいのだが・・・。、

参考:
※1:NPO法人日本ホスピタリティ推進協会
http://hospitality-jhma.org/
※2:「THREEの由来と数秘術」|THREE TREE JOURNAL
http://tree.threecosmetics.com/2015/11/features023-1/
※3:一般社団法人 日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/
※4:はじめての茶道ガイド
http://sadou.info/
※5:片山廣子が芥川龍之介に抱いた“文学への恋” | NHKテキストビュー
http://textview.jp/post/culture/14057
※6:作家別作品リスト:片山 広子
<ahref=http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1346.html> > http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1346.html
※6:接客マナーは心の礎」 おもてなしの「礎」語源
http://projectishizue.blog60.fc2.com/blog-entry-154.html
※7:ホスピタリティの極意
http://www.hospitality-gokui.com/index.html
※8:知ってるだけで100倍楽しい!「ディズニーランド」の豆知識 - M3Q
http://m3q.jp/t/120
※10:社会福祉法人 聖ヨハネ会
http://www.seiyohanekai.or.jp/
※11:ケアタウン小平クリニック 山崎章郎 ホスピス
http://caretownkodaira.net/clinic/
※12:ホスピスガイドブック※配布終了 | NHK厚生文化事業団
http://www.npwo.or.jp/library/hospice/
※13:シシリー・ソンダースとホスピス | 在宅ホスピス医 内藤いづみ
http://www.naito-izumi.net/archives/60.html
※14:QOL の問題点
http://www.saiton.net/ethics/kc06.htm














































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