天皇陛下御在位60年記念硬貨は、昭和天皇の在位60年を記念して、1986(昭和61)年11月10日(一部は1987年=昭和62年)に発行された記念硬貨である。臨時補助貨幣でもある。10万円金貨、1万円銀貨、500円白銅貨の3種類が発行された。
冒頭の画像は、天皇在位60周年記念硬貨(10万円金貨)である(マイコレクションより)。
10万円金貨は、日本で初めて発行された記念金貨、および初の1万円を超える額面の貨幣であり、かつ第二次世界大戦後初めて発行された金貨である。また、金貨・銀貨ともに、初めて千円を超える額面の硬貨である。昭和天皇の在位50年の際には100円白銅貨(銅貨参照)が発行されたのみであるが、これ以降は天皇の即位や在位の節目などを記念する金貨・銀貨がたびたび発行されていくことになる。
金貨とは、金を素材として作られた貨幣。銀貨・銅貨とともに、古くから世界各地で流通した。
金は、
美しい黄色の光沢を放ち、見栄えがいいこと
希少性があり偽造が難しいこと
柔らかく加工しやすいこと
化学的に極めて安定しており、日常的な環境では錆びたり腐食しないこと
などの理由で、古来、世界各地で貨幣の材料として使用されてきた。
例えば、古代ローマの金貨「アウレウス(aureus)」はラテン語で「金」を意味する。
以下参考に記載の※1:「コインの散歩道」の“ローマコインの物語”など参照すると、古代、エーゲ海の西側(現在のギリシャ)を「ヨーロッパ」、東側(現在のトルコ)を「アジア」と呼んでいたようだが、世界で最初に鋳造貨幣(エレクトロン貨)を使用したのは、そのエーゲ海東側のアジアと呼ばれていたアナトリア半島 のリディア地方を中心に栄えた王国リディアだといわれている。
ローマに貨幣制度ができたのは、289BC(紀元前、英語略。ラテン語略A.C)頃とされており、 ギリシャ人やフェニキア人 (当時のシリアの一角)の国家と比べると、貨幣に関しては後進国であったらしい。
当初、銀貨の単位はギリシャ世界のドラクマ(Drachm)、銅貨の単位はアス(As)を使用していたが、211BC、ポエニ戦争のさなかに自国独自の貨幣制度に整えた。それが小額の銀貨デナリウス(Denarius)であり、1デナリウス(Denarius)銀貨=10アス(As)銅貨としていた。「デナリウス銀貨」は、西暦紀元をはさんで400年間以上共和政ローマ時代のもっとも標準的だったコインであった。
順次地中海世界を統一し、3世紀、ローマ帝国は「3世紀の危機」とも称される全般的な混乱期であった。政治的分裂は同世紀末にディオクレティアヌス帝によって収拾されパクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現した皇帝アウグストゥスア(オクタビアヌス)は、23年BCから、通貨制度改革に着手。
それが、アウレウス金貨(金100%。7,8g)であり、1アウレウスは、デナリウス銀貨(銀100%。7,8g)25枚相当の価値であったそうだ。因みに、この時代、農園に働く労働者の1日の賃金は1デナリウスだったそうだ。
以後紀元4世紀初頭まで定期的に造幣され、300年に渡り、ローマ帝国の基軸通貨となるが、3世紀、ローマ帝国は「3世紀の危機」とも称される全般的な混乱期であった。政治的分裂は同世紀末にディオクレティアヌスによって収拾されたものの、物価騰貴などの経済混乱は収拾したとはいえなかった。こうした中、4世紀前半にコンスタンティヌス1世が通貨の安定を図って鋳造した金貨ソリドゥス金貨に代わることとなった。
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上掲の画像が、コンスタンティヌス1世を描いたソリドゥス金貨。Wikipediaより。
東ローマ帝国の時代にも同様の金貨が流通した。
ソリドゥス金貨(東ローマ帝国期にはノミスマと称される)は帝国統治における経済的な主柱であり、6世紀にユスティニアヌス1世の命によってトリボニアヌスによって編纂された『ローマ法大全』においても、金貨についての取り決めが多く記されていたという。金貨の重量と純度は歴代皇帝によって遵守されたため信頼性が高く、11世紀ころまで高純度を維持し、「中世のドル」として東ローマ帝国の内外で流通したという(詳しくは、※1参照)。
ただし、金貨の場合、純粋な金は、流通を前提とした硬貨として使用するには柔らかすぎるため、通常は、銀や銅などの他の金属との合金が用いられる。古代社会においては、エレクトラムと言われる、金、銀、白金などの自然合金が用いられた。近代社会では、日本やアメリカ合衆国を始め、一般的には90%の金と10%の銀または銅の合金が用いられたが、イギリスでは、22カラット(金91.67%)の標準金と呼ばれる合金でソブリン金貨が、1817年から本位金貨として鋳造された。
上掲の画像は、法的に世界最初の本位金貨、イギリス1817年銘のソブリン金貨。Wikipediaより。
また、流通を目的としない近年の地金型金貨(投資用に発行されている金貨の一種)、収集型金貨(記念硬貨などの形で発行される金貨の種類)には、純金製の物も存在する。
中世ヨーロッパでは長らく金貨が鋳造されず、東ローマ帝国(ビザンツ)からもたらされるビザント金貨か、イスラム圏からもたらされるディナール金貨が儀礼用などに使用されるのみだった。
一般的にヨーロッパの近代貨幣制度は1252年のイタリア・フィレンツェにおけるフローリン金貨をもって始まったと言われているそうだが、その後ヴェネツィアで1284年にドゥカート(ダカット:Ducat)と呼ばれる金貨が鋳造された(※1の“ヴェネツィアの商人”参照)。そして、この2つの金貨が広く貿易に利用され、今日の貨幣経済を築いた。これらの金貨はともに品位は.875で、56グレーン(54トロイグレーン)の量目を有していた。ドゥカート金貨はその後も現在に至るまで発行が続けられ(現在は収集用)、近代になってからは、より純度の高い.986という品位で鋳造されている。
金貨の世界的な流通は、やがて「金製の貨幣」としての貨幣価値にとどまらず、金という物質そのものと経済を連動させる制度金本位制へと発展させ、19世紀末には、この制度が国際的に確立した。この金本位制には、国際収支を均衡させる効果があると考えられているが、第一次世界大戦により各国政府とも金本位制を中断し、管理通貨制度に移行する。
その後1919年にアメリカ合衆国が復帰したのを皮切りに、再び各国が金本位制に復帰したが、1929年の世界大恐慌により再び機能しなくなった。
第二次世界大戦後、米ドル金為替本位制(※3参照)を中心としたIMF体制(いわゆるブレトン・ウッズ体制)が創設された。他国経済が疲弊する中、アメリカは世界一の金保有量を誇っていたので、各国はアメリカの通貨米ドルとの固定為替相場制(※4参照)を介し、間接的に金と結びつく形での金本位制となったのである。しかし、1971年8月15日のいわゆるニクソン・ショック以降は金と米ドルの兌換(だかん=とりかえる。ひきかえること。)が停止され、各国の通貨も1973年までに変動為替相場制に移行したため、金本位制は完全に終焉を迎えた(※5 また、※6の世界最強の通貨「ドル」の力参照)。
制度としての金本位制が崩れた現在、額面と含有純金価格の等しい本位金貨は発行されていない。
現在発行されている金貨は、すべて補助貨幣か、金地金の市場価格に連動して時価取引される地金型金貨か、金地金の価格を超える固定価格で発売される収集型金貨のいずれかになっている。
日本では、淳和天皇の天平宝字4年(760)に発行された開基勝宝という金銭が日本最初の金貨で、1枚で、同時期に発行された、太平元宝(銀銭)10枚分、萬年通寳(銅貨)100枚分に相当させていたようだ(続日本紀)。しかし、金銀銭は実際には殆ど流通せず、以降、金は銀に先駆けて特定の用途に使われる定位貨幣として整備されていき、戦国時代には、甲州金が発行されるなどしたが、本格的な全国流通を前提としたのは、江戸時代に入ってであり、小判、一分判など(エレクトロン貨幣)定位金貨の発行が幕末期まで継続した。
明治時代に入って、金本位制度が確立すると、銀行が発行する紙幣(日本銀行券)は、金貨との交換が可能で(兌換紙幣)、その価値が保証されていた(※2:「日本銀行金融研究所貨幣博物館」のわが国の貨幣史参照)。近代社会になって初めての金貨は1871年(明治4)年5月に制定された近代日本最初の貨幣法である新貨条例において発行された旧金貨(20円、10円、5円、2円、1円金貨)と1897(明治30)年の貨幣法により発行された新金貨(20円、10円、5円)がある。
新貨条例では純金の1.5グラム(23.15グレーン)、貨幣法では金重量を半減した純金の0.75グラムを1円とする金平価(コトバンク参照)が定められていた。旧1両が新1円に等価となり、さらに1米ドルとも連動する分かりやすい体系となった。旧金貨は倍額面での通用とされ、新金貨は昭和初期の金解禁停止に伴う兌換停止まで製造発行された。貨幣法による新金貨は、昭和の初期まで製造発行された(日本の金貨参照)。
上掲の画像日本の最初の本位金貨、旧1円金貨・明治4年銘。Wikipediaより。
新旧の本位金貨は1987(昭和62)年制定、1988年4月施行の通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律によって正式に廃止された。(日本の硬貨を参照)
金本位制が崩れて以降、法定の平価に相当する額面価値分の金を含有した本位金貨は発行されておらず、1986(昭和61)年の今日・11月10日発行された「昭和天皇ご在位60周年記念10万円金貨」は、久しぶりに発行された「通貨型金貨」ではあったが、額面は金地金の価格より高く設定されており、補助貨幣的な性格(臨時補助貨幣)を有し、20枚までの限定した強制通用力しか有していない。これが、後に問題を起す。
1986(昭和61)年は、国際的にも国内的にも、政治、経済、社会、天災、そして、事件に・・と、本当に色々あった年だ(Wikipedia-1986年 又、 ※7参照)。今、蔵書のアサヒクロニクル「週間20世紀」の1986年号を見ていると、同年のできごとに、“1986年9月30日:国土庁が基準地価公示(7月1日現在)、年初から地価は急騰し、この1年で東京の田園調布での4倍を最高に世田谷区、目黒区でも平均60%上昇。以後、土地業者の投機買いも激増し、「狂乱地価」の様相。”・・・とあるように、不動産業者が次々に土地を買い、高値で転売する「土地転がし」が流行り言葉にもなり、折柄のバブルは、翌年には「バブル景気」と命名された。
日本経済は、1985(昭和60)年頃まで輸出主導型で経済成長を遂げてきた。バブル景気の引き金になったのは1985(昭和60)年9月のプラザ合意とされている。当時、ドル高による貿易赤字に悩むアメリカ(実際には、財政赤字を伴う「双子の赤字」に悩んでいた)はG5諸国と協調介入する旨の共同声明を発表した。
日本にとって不利になるこの合意がなされた背景には、以前からあった日米貿易摩擦問題があったと考えられるが、これにより急激な円高が進行。1ドル240円前後だった為替相場が1年後に1ドル120円台まで急伸した。元大蔵省財務官の榊原英資は、日本と西ドイツがアメリカのドル安政策の標的にされたと著書の中で述べているという。これにより、中曽根康弘内閣は貿易摩擦解消の為、国内需要の拡大を国際公約し、これまでの緊縮財政から一転、公共事業の拡大政策をとった。又、急速な円高によって「円高不況」が起きると懸念されたため、低金利政策を継続的に採用した。この低金利政策が、不動産や株式に対する投機を促進し、やがてバブル景気をもたらすこととなる(詳しくはWikipedia-バブル景気参照)。
そして、1985年(昭和60年)11月18日、中曽根内閣の竹下登大蔵大臣が昭和天皇の在位60年を祝うために金貨を発行する方針を発表。この背景には次年度の財源確保のためと、貿易摩擦が深刻であったアメリカから金貨鋳造に使用する大量の金(223t)を購入することでこれを緩和しようとの思惑があったようだ。
そのため当局は10万円金貨、1万円銀貨、500円白銅貨を大量に発行することになった。特に10万円金貨は1000万枚と金貨としては異例の大量発行であり、額面だけで1兆円にも上った。しかも金貨1枚あたり金を20g使用していたが、素材の価値が1g1900円(当時)であり製造費込みでも半分以下の原価にすぎなかった。そのためその差益5500億円が国庫に入る見込みであるとされた。当時の臨時補助貨幣の額面の上限は500円であったため、1964年(昭和39年)のオリンピック東京大会記念千円銀貨発行の際と同様に、特別法として天皇陛下御在位六十年記念のための十万円及び一万円の臨時補助貨幣の発行に関する法律が制定され、金銀貨発行の根拠とされた。
それでも、先に述べたようなバブルの上昇時であり、日本で初めての10万円金貨は、金融機関窓口での引き換え以前から話題に上り、政府は引換抽選券を発行し当選した人だけが交換できる仕組みにした。10万円金貨、1万円銀貨の引換抽選券各5000万枚を銀行郵便局で配布。1986(昭和61)年10月16日の抽選券配布当日には、この引換券を得ようと長蛇の列ができ、倍率約5倍と言われ、一部では抽選券が高値で取引されたとも・・・。
上掲の画像が、天皇陛下御在位60年記念貨幣「金貨幣引換抽選券」と「銀貨幣引換抽選券」の外れ券。マイコレクションより。
この当初の人気状況を見て、関係筋から追加発行の意向が漏らされ報道された。しかし、引き換え当日は打って変り、記念貨幣への両替に訪れる人もまばらで、金貨は最終的に910万枚が市中に出回り、未引換の90万枚については鋳潰されたようだ。追加発行について当初は初発行分と同じ「昭和61年」銘のものを数百万枚発行する案も出たが、結局翌年に「昭和62年」銘の金貨が100万枚発行された。追加発行分の一部はプルーフ貨幣としてプレミアム付き価格で発売され、これは日本初の一般販売向けプルーフ金貨となる。
天皇陛下御在位60年記念金貨には、当時の金貨価格で換算すると4万円分の金しか含まれておらず、「通貨型金貨」でありながら、引換価格の10万円とは6万円の差があった、バブルに乗じて日本政府がこんなぼろ儲けをして良いのか、これでは偽造金貨も出ないかと心配する人もいたのだが、案の定、発行から3年余経った1990(平成2)年1月29日、天皇陛下御在位60年金貨の大量偽造が発覚した。その後の調査で偽造された金貨は2年前から日本に流入していたこと、しかも確認された偽造金貨10万7946枚のうち8万5647枚が日本銀行に還流していたことが判明した。つまり、被害額は107億9460万円という巨額であった。これには、国際的偽造グループが介在していた可能性が高いというが、結局、偽造グループが特はされることはなく、偽造グループは日本円で約60億円という高額な金銭を懐に入れて消えてしまったようだ(Wikipedia)。
これらの事態を踏まえ、以降、日本で発行された記念金貨については様々な偽造防止対策がなされるようになった。また近年では、偽造された金貨のように額面保証型のものから、金の地金価格をはるかに超える価格で販売されるが、その代わり額面をそれより低くする収集型金貨の形式で発行されるようになった。そのため、明治時代に制定された従来の「貨幣法」を改正し、1988 (昭和63)年から「新貨幣法」(通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律)が施行され、「記念貨」を「通常貨」と異なる特別なものと位置づけ、政府が「記念貨」を商品として販売し、差額を利益として得ることが出来ようになっている(※8参照)。
しかし、皮肉なことは、1985(昭和60)年のプラザ合意による円高不況克服のために行なった公定歩合引き下げなど過大な金融緩和により引き起こされた「バブル景気」は、1989(平成元)年の東証大納会では平均株価が史上最高値の3万8915円ともう、4万円目前で引けたが、後で見るとこれが、バブルの頂点であった。ところが翌・1990(平成2)年、つまり、天皇陛下御在位60年記念金貨の大量偽造が発覚した年に入るや企業や人々は肝を冷やすことになった。
大量偽造が発覚した翌月2月26日、東証の平均株価は3万3321円まで急落、下げ幅は1569円。さらに4月2日には1978円の大暴落を記録した。そして、10月1日には、一時的に1万9781円と2万円の大台を割った。9ヶ月でほぼ半値となった株価の下落は、中曽根内閣以降の急激な金融引き締めに起因している(アサヒクロニクル『週間20世紀』1990年号)。
これにより、手持ちの債権もマンション価格も急激に価値を失った「バブル」の崩壊である。このバブル崩壊が、「失われた20年」、更には現代の格差社会の発生へとつながっていくことになった。
丁度良いタイミングで、偽造しやすい金を20g使っただけで10万円もする金貨を作ってくれたので、これを偽造しぼろもうけをした世界の詐欺師は、日本政府の経済オンチの御蔭だとほくそ笑んでいたことだろう。
2008(平成20)年9月に米国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズの破綻は、世界的な金融危機(世界同時不況)を引き起こしたことからリーマン・ショックと呼ばれているが、このショックにより、日本の日経平均株価も大暴落を起こし、同年9月12日(金)の終値は12,214円だったが、10月28日には6,000円台の安値をつけるまで下落した。
リーマン・ブラザーズ破綻の主要因には、前年・2007(平成19)年のサブプライムローン(サブプライム住宅ローン危機)問題に端を発した米国住宅バブル崩壊にあるが、日本はサブプライムローンにあまり手を出していなかったため影響は軽微と見られていたものの、リーマン・ショック後に経済が一番落ち込んだのは、日本であった。
このリーマン・ショック後の日本政府の対応とその効果を検証した論文が発表されている(※9参照)。要約すると以下のようなことが書かれている。
“日本政府は「百年に一度」といわれる経済危機を乗り切るため、日本政府及び日銀が財政・金融両面からの対応をしてきたことから、短期的には、経済活動の低下ほどには、失業や企業倒産は増加せず、痛みを和らげることに成功したと評価できるものの、その結果として、日本の財政赤字が拡大し、政府債務(※10参照)は先進国で最も悪い状況となってしまった上、金利もほぼゼロという状態であり、これ以上、金融、財政の政策的な刺激策の余地が乏しくなっている。他方で、2010年に入ってもデフレ傾向は継続しており、更には、潜在成長率(※4の潜在成長率も参照されるとよい)そのものが低下傾向にあり、OECD加盟国に比べても非常に低くい。にもかかわらず、足元では円高が進み、企業の海外流出の恐れが強まっている”・・・ことが指摘されている。
この論文には、会計検査研究No43(2011,3)とあるので、今年2011(平成23)年3月11日に東北地方の震災によって引き起こされた大規模地震災害「東日本大震災」が発生する前の論文であろう。
この論文の言うようにリーマン・ショック後最悪の状況からはなんとか持ち直したかに見えた震災以降、又世界的に大きな問題が表面化した。
昨2010(平成22)年のギリシャの財政破綻の危機(ギリシャの経済参照)が発覚以来、EU(欧州連合)ではユーロ圏のイタリアやスペインの財政問題が話題となり、世界的に「ソブリン・リスク」が高まってきた。ソブリン・リスクとは、国にお金を貸したら帰ってこないのではないかというリスクであるが、特に、財政状況が悪い5カ国(ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペインという)は、その国の頭文字をつなげ、豚(PIG)にかけてつくられた造語「PIIGS」という屈辱的な名前で呼ばれている。
そして、米国債、日本国債も実際に格下げされ(国債参照)ているが、今年に入って10月7日には、格付け会社フィッチ・レーティングスが、スペインとイタリアの長期国債を格下げ(スペイン、2段階下げ、イタリア1段階下げ)していていたが、続いて、今月・11月4日には、ムーディーズが、イタリア国債を「Aa2」から「A2」に3段階引き下げたと発表。
こうした国への債券は紙くずになってしまうのではないかという不安が全世界を襲い金融市場が混乱している。
これらリスク回避の動きは、株価、債権を下落させており、昨日・11月9日、の欧州金融市場では、イタリア政府が借金のためにに発行している国債の価格は下落し金利は「危険水準」される年7%台を上回った。又、9日のアメリカ・ニューヨーク株式市場は、ギリシャに端を発した債務危機がイタリアにも波及するとの懸念から、ダウ平均株は一時、430ドル以上も値を下げ、終値は前日比389ドル24セント安い1万1780ドル94セントだった。日本も今日:10日午前の東京株式市場の日経平均株価は、前日比158円16銭安の8597円28銭で始まっっている。日本の政府債務(国債残高)も、先進国で最も悪い状況となっているにもかかわらず、日本の円がまだましと、円買い圧力が強高まり、円高が続いており、腰の思い日本政府もやっと単独での為替介入などをして来たことから、77円台後半(ドル/円)を維持してはいるものの、これが何時まで持つかはわからない。又、このような通貨不安時の投資として、昔からの金投資が盛んであったが、今は金価格がうなぎ上りに上昇している。
なんと今や、金地金は11月9日では4,741円(田中貴金属調べ)をしており、そうすれば、天皇陛下御在位60年記念の10万円金貨にしても、純金は20g含まれているのでこの日の時価換算だと、ほぼ、10万円近い金額の94,820円することになり、これは10万を超えるようになるかもしれない。
私は、プレミアモノの金貨は買わないが、平成5年発行の「皇太子殿下御成婚記念5万円金貨」(上掲の画像)なども持っているが、この金貨は、偽造金貨に懲りて、しっかりと偽造防止策も講じられており、天皇陛下御在位60年記念の10万円金貨の純金20gに対して、5万円金貨でありながら純金18gが使用されている。そのため、こちらの方は、金の時価だけでも、18g*4,741円=85.338円となる。これなら、コイン屋へ持っていけば、6万円くらいで買ってもらえるのではないかな・・・。売る気はないけど、近くに買ってくれるところを見つけたら、今の間に、1枚だけを残しておいて、売っておこうかな〜・・・・。
最後になったが、先にも述べたように、世界で最初に貨幣を鋳造し使用したのは古代、エーゲ海の西側のギリシャやそれに続く、ローマ帝国を築いた現在のイタリアであったはずなのだが、そのような歴史ある国が、今世界で最初の財政破綻国になろうとしているのはなんとも皮肉なことだね〜。
しかし、日本の財政赤字の状況は、ギリシャやイタリアの財政悲劇を、他人事のように見ているわけにはいかないギリギリのところにまで来ており、これからは、東北地方の震災や和歌山地方の水害など復興のための必要な費用は幾らいるかもわからず、増税ラッシュでひどいことになるだろう・・・。今の円高の反動は必ず来ると思うが、だからといって、別に現物投資で金など買わなくてもよいが、少なくとも。借金だけはなくしておかないとね〜・・・・。
刻々と増加していく日本の赤字は以下を見て!
リアルタイム財政赤字カウンター 11
http://www.kh-web.org/fin/
最後の最後になったが、今のような各国の財政状況を引き起こしたのは、リーマンショック時に、投機に夢中になっておかしくなっていた銀行や企業を救うために、国民の税金を使って国家が援助をし、それら企業の赤字を国が肩代わりしたことや、戦後、金も無いのに財力以上の福祉や社会保障に金をつぎ込んできたこと、破綻を仕掛けている国は何処も親方日の丸の公務員天国である事などが共通しているようだ。
しかし、そもそもの始まりは、金本位制をなくして以降、金と言う担保なしに、好きなだけ、ただの紙切れでドルという基軸通貨・紙幣を自国の都合で次々と刷り続けてきたアメリカと言う国のやり方が破綻したのであり、そんなドルが全世界に蔓延しており、それに追随してきた国々がアメリカと同じようにおかしくなってきているだけと私は思っている。ただ、何といってもアメリカと言う市場は大きく、日本のように、アメリカが風邪を引くと一緒に風邪を引いた体力のない国から順におかしくなっているにすぎないのだろう。
かって関西人は、東京等の人たちが丸井の宣伝に乗せられて、アメリカ人のように、クレジットで買物などすることなく、現金払いが当たり前であった。
私など、クレジットは何かの時用に持っているだけで、殆ど使わないし、現役時代でも、いきつけの飲み屋でも付けなどはしなかった。飲兵衛の私は飲みに行く時それ相当の金は持ってゆくが、ハシゴの最後は必ず行きつけの店で、有り金を全て前払いしそれで適当にやってもらっていた。それは、若いときだけでなく、現役を終わった今でも同じである。
マイホームのような高額なものを買う際には、そのうちどのくらいを頭金として入れるかの問題は別として、ある程度のローンを組むのは止むを得ないが、定年後にもローンが残るなどというのは私には考えられないこと。かって企業の寿命は30年と言われていたが、それも今や10年の時代が来たともいわれている。
サラリーマンが今勤務している企業に定年まで勤めていられるかどうか分からない時代になっているのだ。手元にある金を使うのなら良いが、遊びや贅沢にまでクレジットを使うのは余り好ましいとはいえない時代になってきたと思っているが、今でも、殆どの人が当たり前のように利用しているのではないか。
私は銀行や流通業界などのことは相当詳しく知っていると自負しているが、クレジットで買う人に色々特典を設けているのは、それはあくまで、必ずや現金で買う人達よりもクレジット利用客の方が不用不急のものを安易に多く買うことが統計的に立証されているからであることを知っておくべきだ。これからの時代を見据えて、自分の生活スタイルや買物行動など見直すときに来ているのではないかと思っている。
以下参考の※6:「Anti-Rothschild Alliance」など面白いと思うよ。
参考:
※1:コインの散歩道
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/index.html
※2:日本銀行金融研究所貨幣博物館トップページ
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/index.htm
※3:金為替本位制: 外国為替用語と基礎知識:金為替本位制
http://www.1gaitame.com/archives/2005/09/post_455.html
※4:固定為替相場制とは|金融経済用語集
http://www.ifinance.ne.jp/glossary/currency/cur130.html
※5:通貨制度の歴史?(金本位制→金為替本位制→変動相場制)
http://www.trend-review.net/blog/2007/08/000389.html
※6:Anti-Rothschild Alliance
http://www.anti-rothschild.net/index.html
※7:1986年[ザ・20世紀]
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1986.html
※8:通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律施行令(昭和63年3月23日政令第50号)
http://www.lawdata.org/law/htmldata/S63/S63SE050.html
※9:グローバル金融危機に対する日本政府および 日本銀行の政策対応とその効果の検証 (Adobe PDF)
http://www.jbaudit.go.jp/effort/study/mag/pdf/j43d02.pdf#search='リーマン・ショック後 日本政府 対応'
※10:図録政府債務残高の推移の国際比較
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5103.html
※11:【世界経済のネタ帳】
http://ecodb.net/
造幣局ホームページ
http://www.mint.go.jp/index.html
日本の金貨 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%87%91%E8%B2%A8
H&Acoins:古代コインの種類
http://ha-coins.shop-pro.jp/?mode=f5
Forex Cannel為替相場 - リアルタイム チャート - ドル⁄円
http://www.forexchannel.net/realtime_chart/usdjpy.htm
冒頭の画像は、天皇在位60周年記念硬貨(10万円金貨)である(マイコレクションより)。
10万円金貨は、日本で初めて発行された記念金貨、および初の1万円を超える額面の貨幣であり、かつ第二次世界大戦後初めて発行された金貨である。また、金貨・銀貨ともに、初めて千円を超える額面の硬貨である。昭和天皇の在位50年の際には100円白銅貨(銅貨参照)が発行されたのみであるが、これ以降は天皇の即位や在位の節目などを記念する金貨・銀貨がたびたび発行されていくことになる。
金貨とは、金を素材として作られた貨幣。銀貨・銅貨とともに、古くから世界各地で流通した。
金は、
美しい黄色の光沢を放ち、見栄えがいいこと
希少性があり偽造が難しいこと
柔らかく加工しやすいこと
化学的に極めて安定しており、日常的な環境では錆びたり腐食しないこと
などの理由で、古来、世界各地で貨幣の材料として使用されてきた。
例えば、古代ローマの金貨「アウレウス(aureus)」はラテン語で「金」を意味する。
以下参考に記載の※1:「コインの散歩道」の“ローマコインの物語”など参照すると、古代、エーゲ海の西側(現在のギリシャ)を「ヨーロッパ」、東側(現在のトルコ)を「アジア」と呼んでいたようだが、世界で最初に鋳造貨幣(エレクトロン貨)を使用したのは、そのエーゲ海東側のアジアと呼ばれていたアナトリア半島 のリディア地方を中心に栄えた王国リディアだといわれている。
ローマに貨幣制度ができたのは、289BC(紀元前、英語略。ラテン語略A.C)頃とされており、 ギリシャ人やフェニキア人 (当時のシリアの一角)の国家と比べると、貨幣に関しては後進国であったらしい。
当初、銀貨の単位はギリシャ世界のドラクマ(Drachm)、銅貨の単位はアス(As)を使用していたが、211BC、ポエニ戦争のさなかに自国独自の貨幣制度に整えた。それが小額の銀貨デナリウス(Denarius)であり、1デナリウス(Denarius)銀貨=10アス(As)銅貨としていた。「デナリウス銀貨」は、西暦紀元をはさんで400年間以上共和政ローマ時代のもっとも標準的だったコインであった。
順次地中海世界を統一し、3世紀、ローマ帝国は「3世紀の危機」とも称される全般的な混乱期であった。政治的分裂は同世紀末にディオクレティアヌス帝によって収拾されパクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現した皇帝アウグストゥスア(オクタビアヌス)は、23年BCから、通貨制度改革に着手。
それが、アウレウス金貨(金100%。7,8g)であり、1アウレウスは、デナリウス銀貨(銀100%。7,8g)25枚相当の価値であったそうだ。因みに、この時代、農園に働く労働者の1日の賃金は1デナリウスだったそうだ。
以後紀元4世紀初頭まで定期的に造幣され、300年に渡り、ローマ帝国の基軸通貨となるが、3世紀、ローマ帝国は「3世紀の危機」とも称される全般的な混乱期であった。政治的分裂は同世紀末にディオクレティアヌスによって収拾されたものの、物価騰貴などの経済混乱は収拾したとはいえなかった。こうした中、4世紀前半にコンスタンティヌス1世が通貨の安定を図って鋳造した金貨ソリドゥス金貨に代わることとなった。
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上掲の画像が、コンスタンティヌス1世を描いたソリドゥス金貨。Wikipediaより。
東ローマ帝国の時代にも同様の金貨が流通した。
ソリドゥス金貨(東ローマ帝国期にはノミスマと称される)は帝国統治における経済的な主柱であり、6世紀にユスティニアヌス1世の命によってトリボニアヌスによって編纂された『ローマ法大全』においても、金貨についての取り決めが多く記されていたという。金貨の重量と純度は歴代皇帝によって遵守されたため信頼性が高く、11世紀ころまで高純度を維持し、「中世のドル」として東ローマ帝国の内外で流通したという(詳しくは、※1参照)。
ただし、金貨の場合、純粋な金は、流通を前提とした硬貨として使用するには柔らかすぎるため、通常は、銀や銅などの他の金属との合金が用いられる。古代社会においては、エレクトラムと言われる、金、銀、白金などの自然合金が用いられた。近代社会では、日本やアメリカ合衆国を始め、一般的には90%の金と10%の銀または銅の合金が用いられたが、イギリスでは、22カラット(金91.67%)の標準金と呼ばれる合金でソブリン金貨が、1817年から本位金貨として鋳造された。
上掲の画像は、法的に世界最初の本位金貨、イギリス1817年銘のソブリン金貨。Wikipediaより。
また、流通を目的としない近年の地金型金貨(投資用に発行されている金貨の一種)、収集型金貨(記念硬貨などの形で発行される金貨の種類)には、純金製の物も存在する。
中世ヨーロッパでは長らく金貨が鋳造されず、東ローマ帝国(ビザンツ)からもたらされるビザント金貨か、イスラム圏からもたらされるディナール金貨が儀礼用などに使用されるのみだった。
一般的にヨーロッパの近代貨幣制度は1252年のイタリア・フィレンツェにおけるフローリン金貨をもって始まったと言われているそうだが、その後ヴェネツィアで1284年にドゥカート(ダカット:Ducat)と呼ばれる金貨が鋳造された(※1の“ヴェネツィアの商人”参照)。そして、この2つの金貨が広く貿易に利用され、今日の貨幣経済を築いた。これらの金貨はともに品位は.875で、56グレーン(54トロイグレーン)の量目を有していた。ドゥカート金貨はその後も現在に至るまで発行が続けられ(現在は収集用)、近代になってからは、より純度の高い.986という品位で鋳造されている。
金貨の世界的な流通は、やがて「金製の貨幣」としての貨幣価値にとどまらず、金という物質そのものと経済を連動させる制度金本位制へと発展させ、19世紀末には、この制度が国際的に確立した。この金本位制には、国際収支を均衡させる効果があると考えられているが、第一次世界大戦により各国政府とも金本位制を中断し、管理通貨制度に移行する。
その後1919年にアメリカ合衆国が復帰したのを皮切りに、再び各国が金本位制に復帰したが、1929年の世界大恐慌により再び機能しなくなった。
第二次世界大戦後、米ドル金為替本位制(※3参照)を中心としたIMF体制(いわゆるブレトン・ウッズ体制)が創設された。他国経済が疲弊する中、アメリカは世界一の金保有量を誇っていたので、各国はアメリカの通貨米ドルとの固定為替相場制(※4参照)を介し、間接的に金と結びつく形での金本位制となったのである。しかし、1971年8月15日のいわゆるニクソン・ショック以降は金と米ドルの兌換(だかん=とりかえる。ひきかえること。)が停止され、各国の通貨も1973年までに変動為替相場制に移行したため、金本位制は完全に終焉を迎えた(※5 また、※6の世界最強の通貨「ドル」の力参照)。
制度としての金本位制が崩れた現在、額面と含有純金価格の等しい本位金貨は発行されていない。
現在発行されている金貨は、すべて補助貨幣か、金地金の市場価格に連動して時価取引される地金型金貨か、金地金の価格を超える固定価格で発売される収集型金貨のいずれかになっている。
日本では、淳和天皇の天平宝字4年(760)に発行された開基勝宝という金銭が日本最初の金貨で、1枚で、同時期に発行された、太平元宝(銀銭)10枚分、萬年通寳(銅貨)100枚分に相当させていたようだ(続日本紀)。しかし、金銀銭は実際には殆ど流通せず、以降、金は銀に先駆けて特定の用途に使われる定位貨幣として整備されていき、戦国時代には、甲州金が発行されるなどしたが、本格的な全国流通を前提としたのは、江戸時代に入ってであり、小判、一分判など(エレクトロン貨幣)定位金貨の発行が幕末期まで継続した。
明治時代に入って、金本位制度が確立すると、銀行が発行する紙幣(日本銀行券)は、金貨との交換が可能で(兌換紙幣)、その価値が保証されていた(※2:「日本銀行金融研究所貨幣博物館」のわが国の貨幣史参照)。近代社会になって初めての金貨は1871年(明治4)年5月に制定された近代日本最初の貨幣法である新貨条例において発行された旧金貨(20円、10円、5円、2円、1円金貨)と1897(明治30)年の貨幣法により発行された新金貨(20円、10円、5円)がある。
新貨条例では純金の1.5グラム(23.15グレーン)、貨幣法では金重量を半減した純金の0.75グラムを1円とする金平価(コトバンク参照)が定められていた。旧1両が新1円に等価となり、さらに1米ドルとも連動する分かりやすい体系となった。旧金貨は倍額面での通用とされ、新金貨は昭和初期の金解禁停止に伴う兌換停止まで製造発行された。貨幣法による新金貨は、昭和の初期まで製造発行された(日本の金貨参照)。
上掲の画像日本の最初の本位金貨、旧1円金貨・明治4年銘。Wikipediaより。
新旧の本位金貨は1987(昭和62)年制定、1988年4月施行の通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律によって正式に廃止された。(日本の硬貨を参照)
金本位制が崩れて以降、法定の平価に相当する額面価値分の金を含有した本位金貨は発行されておらず、1986(昭和61)年の今日・11月10日発行された「昭和天皇ご在位60周年記念10万円金貨」は、久しぶりに発行された「通貨型金貨」ではあったが、額面は金地金の価格より高く設定されており、補助貨幣的な性格(臨時補助貨幣)を有し、20枚までの限定した強制通用力しか有していない。これが、後に問題を起す。
1986(昭和61)年は、国際的にも国内的にも、政治、経済、社会、天災、そして、事件に・・と、本当に色々あった年だ(Wikipedia-1986年 又、 ※7参照)。今、蔵書のアサヒクロニクル「週間20世紀」の1986年号を見ていると、同年のできごとに、“1986年9月30日:国土庁が基準地価公示(7月1日現在)、年初から地価は急騰し、この1年で東京の田園調布での4倍を最高に世田谷区、目黒区でも平均60%上昇。以後、土地業者の投機買いも激増し、「狂乱地価」の様相。”・・・とあるように、不動産業者が次々に土地を買い、高値で転売する「土地転がし」が流行り言葉にもなり、折柄のバブルは、翌年には「バブル景気」と命名された。
日本経済は、1985(昭和60)年頃まで輸出主導型で経済成長を遂げてきた。バブル景気の引き金になったのは1985(昭和60)年9月のプラザ合意とされている。当時、ドル高による貿易赤字に悩むアメリカ(実際には、財政赤字を伴う「双子の赤字」に悩んでいた)はG5諸国と協調介入する旨の共同声明を発表した。
日本にとって不利になるこの合意がなされた背景には、以前からあった日米貿易摩擦問題があったと考えられるが、これにより急激な円高が進行。1ドル240円前後だった為替相場が1年後に1ドル120円台まで急伸した。元大蔵省財務官の榊原英資は、日本と西ドイツがアメリカのドル安政策の標的にされたと著書の中で述べているという。これにより、中曽根康弘内閣は貿易摩擦解消の為、国内需要の拡大を国際公約し、これまでの緊縮財政から一転、公共事業の拡大政策をとった。又、急速な円高によって「円高不況」が起きると懸念されたため、低金利政策を継続的に採用した。この低金利政策が、不動産や株式に対する投機を促進し、やがてバブル景気をもたらすこととなる(詳しくはWikipedia-バブル景気参照)。
そして、1985年(昭和60年)11月18日、中曽根内閣の竹下登大蔵大臣が昭和天皇の在位60年を祝うために金貨を発行する方針を発表。この背景には次年度の財源確保のためと、貿易摩擦が深刻であったアメリカから金貨鋳造に使用する大量の金(223t)を購入することでこれを緩和しようとの思惑があったようだ。
そのため当局は10万円金貨、1万円銀貨、500円白銅貨を大量に発行することになった。特に10万円金貨は1000万枚と金貨としては異例の大量発行であり、額面だけで1兆円にも上った。しかも金貨1枚あたり金を20g使用していたが、素材の価値が1g1900円(当時)であり製造費込みでも半分以下の原価にすぎなかった。そのためその差益5500億円が国庫に入る見込みであるとされた。当時の臨時補助貨幣の額面の上限は500円であったため、1964年(昭和39年)のオリンピック東京大会記念千円銀貨発行の際と同様に、特別法として天皇陛下御在位六十年記念のための十万円及び一万円の臨時補助貨幣の発行に関する法律が制定され、金銀貨発行の根拠とされた。
それでも、先に述べたようなバブルの上昇時であり、日本で初めての10万円金貨は、金融機関窓口での引き換え以前から話題に上り、政府は引換抽選券を発行し当選した人だけが交換できる仕組みにした。10万円金貨、1万円銀貨の引換抽選券各5000万枚を銀行郵便局で配布。1986(昭和61)年10月16日の抽選券配布当日には、この引換券を得ようと長蛇の列ができ、倍率約5倍と言われ、一部では抽選券が高値で取引されたとも・・・。
上掲の画像が、天皇陛下御在位60年記念貨幣「金貨幣引換抽選券」と「銀貨幣引換抽選券」の外れ券。マイコレクションより。
この当初の人気状況を見て、関係筋から追加発行の意向が漏らされ報道された。しかし、引き換え当日は打って変り、記念貨幣への両替に訪れる人もまばらで、金貨は最終的に910万枚が市中に出回り、未引換の90万枚については鋳潰されたようだ。追加発行について当初は初発行分と同じ「昭和61年」銘のものを数百万枚発行する案も出たが、結局翌年に「昭和62年」銘の金貨が100万枚発行された。追加発行分の一部はプルーフ貨幣としてプレミアム付き価格で発売され、これは日本初の一般販売向けプルーフ金貨となる。
天皇陛下御在位60年記念金貨には、当時の金貨価格で換算すると4万円分の金しか含まれておらず、「通貨型金貨」でありながら、引換価格の10万円とは6万円の差があった、バブルに乗じて日本政府がこんなぼろ儲けをして良いのか、これでは偽造金貨も出ないかと心配する人もいたのだが、案の定、発行から3年余経った1990(平成2)年1月29日、天皇陛下御在位60年金貨の大量偽造が発覚した。その後の調査で偽造された金貨は2年前から日本に流入していたこと、しかも確認された偽造金貨10万7946枚のうち8万5647枚が日本銀行に還流していたことが判明した。つまり、被害額は107億9460万円という巨額であった。これには、国際的偽造グループが介在していた可能性が高いというが、結局、偽造グループが特はされることはなく、偽造グループは日本円で約60億円という高額な金銭を懐に入れて消えてしまったようだ(Wikipedia)。
これらの事態を踏まえ、以降、日本で発行された記念金貨については様々な偽造防止対策がなされるようになった。また近年では、偽造された金貨のように額面保証型のものから、金の地金価格をはるかに超える価格で販売されるが、その代わり額面をそれより低くする収集型金貨の形式で発行されるようになった。そのため、明治時代に制定された従来の「貨幣法」を改正し、1988 (昭和63)年から「新貨幣法」(通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律)が施行され、「記念貨」を「通常貨」と異なる特別なものと位置づけ、政府が「記念貨」を商品として販売し、差額を利益として得ることが出来ようになっている(※8参照)。
しかし、皮肉なことは、1985(昭和60)年のプラザ合意による円高不況克服のために行なった公定歩合引き下げなど過大な金融緩和により引き起こされた「バブル景気」は、1989(平成元)年の東証大納会では平均株価が史上最高値の3万8915円ともう、4万円目前で引けたが、後で見るとこれが、バブルの頂点であった。ところが翌・1990(平成2)年、つまり、天皇陛下御在位60年記念金貨の大量偽造が発覚した年に入るや企業や人々は肝を冷やすことになった。
大量偽造が発覚した翌月2月26日、東証の平均株価は3万3321円まで急落、下げ幅は1569円。さらに4月2日には1978円の大暴落を記録した。そして、10月1日には、一時的に1万9781円と2万円の大台を割った。9ヶ月でほぼ半値となった株価の下落は、中曽根内閣以降の急激な金融引き締めに起因している(アサヒクロニクル『週間20世紀』1990年号)。
これにより、手持ちの債権もマンション価格も急激に価値を失った「バブル」の崩壊である。このバブル崩壊が、「失われた20年」、更には現代の格差社会の発生へとつながっていくことになった。
丁度良いタイミングで、偽造しやすい金を20g使っただけで10万円もする金貨を作ってくれたので、これを偽造しぼろもうけをした世界の詐欺師は、日本政府の経済オンチの御蔭だとほくそ笑んでいたことだろう。
2008(平成20)年9月に米国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズの破綻は、世界的な金融危機(世界同時不況)を引き起こしたことからリーマン・ショックと呼ばれているが、このショックにより、日本の日経平均株価も大暴落を起こし、同年9月12日(金)の終値は12,214円だったが、10月28日には6,000円台の安値をつけるまで下落した。
リーマン・ブラザーズ破綻の主要因には、前年・2007(平成19)年のサブプライムローン(サブプライム住宅ローン危機)問題に端を発した米国住宅バブル崩壊にあるが、日本はサブプライムローンにあまり手を出していなかったため影響は軽微と見られていたものの、リーマン・ショック後に経済が一番落ち込んだのは、日本であった。
このリーマン・ショック後の日本政府の対応とその効果を検証した論文が発表されている(※9参照)。要約すると以下のようなことが書かれている。
“日本政府は「百年に一度」といわれる経済危機を乗り切るため、日本政府及び日銀が財政・金融両面からの対応をしてきたことから、短期的には、経済活動の低下ほどには、失業や企業倒産は増加せず、痛みを和らげることに成功したと評価できるものの、その結果として、日本の財政赤字が拡大し、政府債務(※10参照)は先進国で最も悪い状況となってしまった上、金利もほぼゼロという状態であり、これ以上、金融、財政の政策的な刺激策の余地が乏しくなっている。他方で、2010年に入ってもデフレ傾向は継続しており、更には、潜在成長率(※4の潜在成長率も参照されるとよい)そのものが低下傾向にあり、OECD加盟国に比べても非常に低くい。にもかかわらず、足元では円高が進み、企業の海外流出の恐れが強まっている”・・・ことが指摘されている。
この論文には、会計検査研究No43(2011,3)とあるので、今年2011(平成23)年3月11日に東北地方の震災によって引き起こされた大規模地震災害「東日本大震災」が発生する前の論文であろう。
この論文の言うようにリーマン・ショック後最悪の状況からはなんとか持ち直したかに見えた震災以降、又世界的に大きな問題が表面化した。
昨2010(平成22)年のギリシャの財政破綻の危機(ギリシャの経済参照)が発覚以来、EU(欧州連合)ではユーロ圏のイタリアやスペインの財政問題が話題となり、世界的に「ソブリン・リスク」が高まってきた。ソブリン・リスクとは、国にお金を貸したら帰ってこないのではないかというリスクであるが、特に、財政状況が悪い5カ国(ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペインという)は、その国の頭文字をつなげ、豚(PIG)にかけてつくられた造語「PIIGS」という屈辱的な名前で呼ばれている。
そして、米国債、日本国債も実際に格下げされ(国債参照)ているが、今年に入って10月7日には、格付け会社フィッチ・レーティングスが、スペインとイタリアの長期国債を格下げ(スペイン、2段階下げ、イタリア1段階下げ)していていたが、続いて、今月・11月4日には、ムーディーズが、イタリア国債を「Aa2」から「A2」に3段階引き下げたと発表。
こうした国への債券は紙くずになってしまうのではないかという不安が全世界を襲い金融市場が混乱している。
これらリスク回避の動きは、株価、債権を下落させており、昨日・11月9日、の欧州金融市場では、イタリア政府が借金のためにに発行している国債の価格は下落し金利は「危険水準」される年7%台を上回った。又、9日のアメリカ・ニューヨーク株式市場は、ギリシャに端を発した債務危機がイタリアにも波及するとの懸念から、ダウ平均株は一時、430ドル以上も値を下げ、終値は前日比389ドル24セント安い1万1780ドル94セントだった。日本も今日:10日午前の東京株式市場の日経平均株価は、前日比158円16銭安の8597円28銭で始まっっている。日本の政府債務(国債残高)も、先進国で最も悪い状況となっているにもかかわらず、日本の円がまだましと、円買い圧力が強高まり、円高が続いており、腰の思い日本政府もやっと単独での為替介入などをして来たことから、77円台後半(ドル/円)を維持してはいるものの、これが何時まで持つかはわからない。又、このような通貨不安時の投資として、昔からの金投資が盛んであったが、今は金価格がうなぎ上りに上昇している。
なんと今や、金地金は11月9日では4,741円(田中貴金属調べ)をしており、そうすれば、天皇陛下御在位60年記念の10万円金貨にしても、純金は20g含まれているのでこの日の時価換算だと、ほぼ、10万円近い金額の94,820円することになり、これは10万を超えるようになるかもしれない。
私は、プレミアモノの金貨は買わないが、平成5年発行の「皇太子殿下御成婚記念5万円金貨」(上掲の画像)なども持っているが、この金貨は、偽造金貨に懲りて、しっかりと偽造防止策も講じられており、天皇陛下御在位60年記念の10万円金貨の純金20gに対して、5万円金貨でありながら純金18gが使用されている。そのため、こちらの方は、金の時価だけでも、18g*4,741円=85.338円となる。これなら、コイン屋へ持っていけば、6万円くらいで買ってもらえるのではないかな・・・。売る気はないけど、近くに買ってくれるところを見つけたら、今の間に、1枚だけを残しておいて、売っておこうかな〜・・・・。
最後になったが、先にも述べたように、世界で最初に貨幣を鋳造し使用したのは古代、エーゲ海の西側のギリシャやそれに続く、ローマ帝国を築いた現在のイタリアであったはずなのだが、そのような歴史ある国が、今世界で最初の財政破綻国になろうとしているのはなんとも皮肉なことだね〜。
しかし、日本の財政赤字の状況は、ギリシャやイタリアの財政悲劇を、他人事のように見ているわけにはいかないギリギリのところにまで来ており、これからは、東北地方の震災や和歌山地方の水害など復興のための必要な費用は幾らいるかもわからず、増税ラッシュでひどいことになるだろう・・・。今の円高の反動は必ず来ると思うが、だからといって、別に現物投資で金など買わなくてもよいが、少なくとも。借金だけはなくしておかないとね〜・・・・。
刻々と増加していく日本の赤字は以下を見て!
リアルタイム財政赤字カウンター 11
http://www.kh-web.org/fin/
最後の最後になったが、今のような各国の財政状況を引き起こしたのは、リーマンショック時に、投機に夢中になっておかしくなっていた銀行や企業を救うために、国民の税金を使って国家が援助をし、それら企業の赤字を国が肩代わりしたことや、戦後、金も無いのに財力以上の福祉や社会保障に金をつぎ込んできたこと、破綻を仕掛けている国は何処も親方日の丸の公務員天国である事などが共通しているようだ。
しかし、そもそもの始まりは、金本位制をなくして以降、金と言う担保なしに、好きなだけ、ただの紙切れでドルという基軸通貨・紙幣を自国の都合で次々と刷り続けてきたアメリカと言う国のやり方が破綻したのであり、そんなドルが全世界に蔓延しており、それに追随してきた国々がアメリカと同じようにおかしくなってきているだけと私は思っている。ただ、何といってもアメリカと言う市場は大きく、日本のように、アメリカが風邪を引くと一緒に風邪を引いた体力のない国から順におかしくなっているにすぎないのだろう。
かって関西人は、東京等の人たちが丸井の宣伝に乗せられて、アメリカ人のように、クレジットで買物などすることなく、現金払いが当たり前であった。
私など、クレジットは何かの時用に持っているだけで、殆ど使わないし、現役時代でも、いきつけの飲み屋でも付けなどはしなかった。飲兵衛の私は飲みに行く時それ相当の金は持ってゆくが、ハシゴの最後は必ず行きつけの店で、有り金を全て前払いしそれで適当にやってもらっていた。それは、若いときだけでなく、現役を終わった今でも同じである。
マイホームのような高額なものを買う際には、そのうちどのくらいを頭金として入れるかの問題は別として、ある程度のローンを組むのは止むを得ないが、定年後にもローンが残るなどというのは私には考えられないこと。かって企業の寿命は30年と言われていたが、それも今や10年の時代が来たともいわれている。
サラリーマンが今勤務している企業に定年まで勤めていられるかどうか分からない時代になっているのだ。手元にある金を使うのなら良いが、遊びや贅沢にまでクレジットを使うのは余り好ましいとはいえない時代になってきたと思っているが、今でも、殆どの人が当たり前のように利用しているのではないか。
私は銀行や流通業界などのことは相当詳しく知っていると自負しているが、クレジットで買う人に色々特典を設けているのは、それはあくまで、必ずや現金で買う人達よりもクレジット利用客の方が不用不急のものを安易に多く買うことが統計的に立証されているからであることを知っておくべきだ。これからの時代を見据えて、自分の生活スタイルや買物行動など見直すときに来ているのではないかと思っている。
以下参考の※6:「Anti-Rothschild Alliance」など面白いと思うよ。
参考:
※1:コインの散歩道
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/index.html
※2:日本銀行金融研究所貨幣博物館トップページ
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/index.htm
※3:金為替本位制: 外国為替用語と基礎知識:金為替本位制
http://www.1gaitame.com/archives/2005/09/post_455.html
※4:固定為替相場制とは|金融経済用語集
http://www.ifinance.ne.jp/glossary/currency/cur130.html
※5:通貨制度の歴史?(金本位制→金為替本位制→変動相場制)
http://www.trend-review.net/blog/2007/08/000389.html
※6:Anti-Rothschild Alliance
http://www.anti-rothschild.net/index.html
※7:1986年[ザ・20世紀]
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1986.html
※8:通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律施行令(昭和63年3月23日政令第50号)
http://www.lawdata.org/law/htmldata/S63/S63SE050.html
※9:グローバル金融危機に対する日本政府および 日本銀行の政策対応とその効果の検証 (Adobe PDF)
http://www.jbaudit.go.jp/effort/study/mag/pdf/j43d02.pdf#search='リーマン・ショック後 日本政府 対応'
※10:図録政府債務残高の推移の国際比較
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5103.html
※11:【世界経済のネタ帳】
http://ecodb.net/
造幣局ホームページ
http://www.mint.go.jp/index.html
日本の金貨 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%87%91%E8%B2%A8
H&Acoins:古代コインの種類
http://ha-coins.shop-pro.jp/?mode=f5
Forex Cannel為替相場 - リアルタイム チャート - ドル⁄円
http://www.forexchannel.net/realtime_chart/usdjpy.htm