マラソン発祥の地神戸で、待望の都市型市民マラソン大会「第1回神戸マラソン・(KOBE2011)」(※1)が、今日(2011年11月20日)開催される。
種目 は、マラソン(42.195km ) と、一般市民向けのクォーターマラソン(10.6km ) の2種目。
開始時間は、マラソン・クォーターマラソン共に、9:00 に神戸市役所前をスタート。
通常のフルマラソンは、神戸市役所をスタート後、明石海峡大橋袂(県立舞子公園付近)を折り返し、ポートアイランド(市民広場付近※2参照)をフィニッシュとするコース(日本陸上競技連盟およびAIMS公認コース。AIMSについては※3、※4参照)、を、クォーターマラソンは、神戸市役所前をスタートし、須磨浦公園をフィニッシュとするコースを走る。
制限時間は、フルマラソンが、7時間となっており、16:00に終了、 クォーターマラソンは、2時間で11:00終了 となっている。交通・警備、競技運営上、一定の距離ごとに関門閉鎖時間を設けており、関門以外にも著しく遅れた場合は、競技中止を指示することとなっているが、これは止むを得ない処置である。
景観の良い観光都市と知られている神戸の市街地は、山が海に迫り、南北はその狭い地にあり、東西に長く延びている。そこに、東西を結ぶ幹線道路が走っているわけで、普段から交通量の多いところである。
今日は、マラソンのスタート、ゴール地点の神戸市中央区から折り返し点の垂水区(明石海峡大橋の起点がある)にかけて交通規制が行なわれるが、特に影響が大きいとみられるのが普段から交通量の多い神戸市須磨区から垂水区の国道2号(浜国道【国道250号】と重複路線)は、約5時間“封鎖”されるが、「大阪や京都と違って、南北を結ぶ歩道橋や地下道がほとんどなく、規制中は人も一切行き来できなくなる」問題があり、このような大規模な交通規制で沿道で混乱が起きるのではないかと大会関係者や県警関係者などが心配しているようだ(※5)。
神戸マラソンのコース及び交通規制マップは以下を参照。
ランナー向けコース詳細マップ PDF(約1034KB) (クリックで画像は拡大できる)
日本においてはオリンピックでもマラソンは常に注目競技の上位であった。1964年(昭和39)年の東京オリンピックで円谷幸吉が3位、つづく1968(昭和43)年のメキシコオリンピックで君原健二が2位になるなど、日本の男子マラソンが知名度の高いレースで優勝・上位入賞する時代があった。一方日本人女子マラソン選手は、1992(平成4)年バルセロナ五輪で有森裕子が銀メダルを獲得し、次の1996(平成8)年アトランタでも続いて銅メダル を獲得する快挙をなすなど、1990年代前半からは、女子マラソン選手が世界的な競技大会で活躍を見せるようになり、2000(平成12)年シドニーでは、高橋尚子がオリンピック新記録で、日本の女子陸上競技として初の金メダルを獲得。次の2004(平成16)年アテネでは、野口みずきが高橋に続いて金メダルを獲得しオリンピック連続優勝を果たした他、出場した他の土佐礼子、坂本直子の2選手も入賞を果たすという快挙を成し遂げた。又、強豪揃いで、不振の続いていた男子マラソンでも油谷繁、諏訪利成の2選手が3大会ぶりの入賞(5位6位)を果たし、世界に日本のマラソン陣営の層の厚さを見せ付けるが、特に女子マラソンは、男子選手が低迷するするなか、諸外国と比べても最も選手層が厚いといわれるほどの全盛時代を迎えた。
それが、日本人のマラソンへの関心をますます高め、その上、近年の健康志向の高まりとともに、ウオーキングやジョッギングなどからハードなスポーツであるマラソンも、今までの見るマラソンから、市民が参加するマラソンへと発展してきた。
わが地元兵庫県の篠山市内で、1981(昭和56)年以来3月に開催されている篠山ABCマラソン大会など、従来から市民ランナーが参加できるマラソン大会は日本にも多く存在している(日本国内の主な市民マラソン大会参照)が、アメリカ合衆国の「ニューヨークシティマラソン」、「シカゴマラソン」、「ボストンマラソン」などと並ぶ「全米4大マラソン大会」の1つ「ホノルルマラソン」などにも日本人が多数参加するようになったことから、これらに、匹敵するような市民参加型の大規模シティマラソンとして、石原慎太郎都知事の肝いりで計画されたのが2007(平成19)年に始まった東京マラソンであった。日本陸連公認の大会(ここ参照)としては初めて市民ランナーにも開放され、交通遮断の問題なども懸念されたが、参加人員も3万人規模の大会として大成功を収めた。
そして、やっと、我が地元・神戸市でも、『第1回神戸マラソン』として、開催されることとなった訳であるが、実は、この人気のマラソンの日本での発祥の地は、神戸なのである。
今より、102年も前の、1909(明治42)年3月21日、神戸の湊川埋め立て地(現在の新開地)から大阪の西成大橋(現淀川大橋)までの31.7キロの「マラソン大競争」が行われた。日本で「マラソン」という名称が使われたのは、この大会が初めてである。
(上掲の画像がこの日本での初マラソンの様子である。写真は「中学世界」掲載のもので、画像は、蔵書のアサヒクロニクル「週間20世紀」1908-1909年号より借用した)。
世界で最初にマラソンレースが行われたのは、1896(明治29)年に開催された第1回アテネ近代オリンピック(ギリシャ)でのこと。ボストン体育協会が、現在とほぼ同じコースで初の都市マラソン、「ボストンマラソン」をスタートさせたのはその翌年である。当時アメリカはまだニューヨークの時代ではなく、アメリカ代表の大半はボストン体育協会の選手だった。このような歴史がある事から、「ボストンマラソン」は今でも最も格式ある老舗レースとして見られているようだ。
この12年後、第4回ロンドンオリンピック(1908年、イギリス)の翌年に開催と言うのだから本当に早くから行なわれていたことになる。
日本で初めての神戸で開催されたマラソンは大阪毎日新聞社主催による「阪神間二十哩(マイル)長距離競走」であった。陸上の距離の計測に用いられる1マイルは、1,609.344メートルであるため、約32キロメートル走ということになる。
因みに、現在のマラソンの距離は42.195kmと設定されているが、これは古代マラソンに直接由来するものではなく、 オリンピックでマラソン競技が実施された当初は、大会ごとの競技距離は一定ではなく(同じコースを全選手が走ることが重要とされていたため)、当時の規定では、40kmを目安とするというものであったため厳密な実測はされず、第1回アテネのマラソンの距離について、後年の測定では36.75kmの走行距離であったそうだ(小学館編集部による)。競技距離が42.195km(26マイル385ヤード)と統一されたのは、第8回パリオリンピック以後のことだそうである(Wikipedia-マラソン)。
この1909(明治42)年の神戸でのマラソンへの、参加申込者は408人にのぼり、体格試験によって120人に絞り込まれ、当時は兵庫県武庫郡鳴尾村(1951年西宮市に編入され消滅)にあった鳴尾競馬場で予選が実施され、出場選手20人が決まり、大会当日の午前11時30分、当時の神戸市長水上浩躬(※6)が、短剣で選手の前に張られた紅白のテープを切り、スタート。1位は、身長161・4 cm。がっしりした体格の岡山県在郷軍人の金子長之助選手だったそうだ。
序盤、長之助は7番手と出遅れたが、現在の東灘区辺りで奮起するが、きっかけは「なんだ、みっともない」という沿道の怒声。同郷の友人だったという。さらに、神戸出身のライバルに送られる大声援。御影付近でわらじの緒が緒が切れるアクシデントがあったが、脱ぎ捨てて走り続け、芦屋で2位、西宮で先頭に出、尼崎までに一気に離して走り続け、タイムは2時間10分54秒、2着を5分近くも引き離しての逆転優勝であったという。
優勝者には、300円の賞金のほか、金時計や銀屏風などの豪華な賞品が贈られたそうだ。当時の銀行員の初任給(大卒)が35円、牛肉100g10銭(アサヒクロニクル「週間20世紀」)と言うから、相当な賞金である。
明治のこの時代、日本初のマラソンの沿道を絶え間ない観衆が包み応援しているのも、スポーツ史に詳しい神商大(現兵庫県立大)の棚田真輔名誉教授は「神戸だから盛り上がった。居留地の外国人の持ち込んだスポーツにいち早く触れ、関心が高かった」からだろうといっている。
このマラソン大競走の37年も前、「神戸レガッタアンドアスレチッククラブ」が、神戸の外国人居留地―摩耶山天上寺間で長距離走の競技会を既に開催していた。マラソン大競走で、長之助の反骨心に火を付けた大声援。長距離走の魅力を知っていた神戸ならでは、と言えないだろうか。」・・・・と言っている(※7参照)。
今、「第1回神戸マラソン」(2011年11月20日実施)のスタート地点でもある神戸市役所前に、「日本マラソン発祥の地 神戸」の記念碑が建てられている。
上掲の画像は「日本マラソン発祥の地 神戸」の記念碑(※8の神戸市HPより借用)。
今回開催される「第1回神戸マラソン」を記念して、神戸須磨ライオンズクラブが同市に寄贈したもので、高さ約130cm、幅約185cm、厚さ約60cmの石板に5人のランナーの後ろ姿が切り出されている(日本初マラソンのことは※5、※6、※7等参照)。
このような日本初のマラソン開催地でありながら、これだけ人気の高いマラソンを今日まで開催できなかったのは、1995(平成7)年阪神淡路大震災からの復興が急がれたことのほか、先に述べたような神戸独特の地形による交通規制の難しさも有ったからであろう。
そのような都市事情の中、神戸市に本社を置く医療機器メーカーで、野口みずき(2004年アテネオリンピック女子マラソン金メダリスト・現女子マラソン日本記録保持者) が籍を置く シスメックス など多くのスポンサーやボランティアの協力を得て、今日は、神戸の町を、メキシコ五輪銀メダリスト君原健二やソウル五輪銀メダリストダグラス・ワキウリらゲスト奏者や兵庫県ゆかりの招待選手体を含め約2万5千人が駆け抜ける。
交通規制で、不便をかけるドライバーや地域の皆さんには、色々不満もあるだろうけれども、神戸にとって歴史のあるマラソンを復活させるために、今日1日は我慢して優しく走者を見守り、応援してやって欲しいと思います。
今回開催される「第1回神戸マラソン」のテーマーは、
”被災から復興、そして現在にいたるまで、手を差し伸べていただいた国内外の人々や地域へ感謝の気持ちを現したい。
神戸マラソンは、「自分のために走ることはもちろんだが、それ以上に「人々のために走る」マラソンをめざしている。
そのコンセプトの根底にあるのは、「仲間」「共同体」という気持ち。
創造的復興を果たした兵庫・神戸の姿や、震災の経験・教訓を世界中の被災者に提供していくという行動は、
すべての人が仲間であり、喜びも悲しみも分かち合うという考え方に基づいている。・・・”ということだ。
ただ、本番前の前日19日神戸市内のあいにくの荒天に見舞われ、雨と強風のためポートアイラドで始まった屋外イベントもも中止となってしまっそうたが今日はどうなるのだろう。とにかく昨日の夕方から雨は上がり、今日は曇り空ながら太陽が輝いておりランナーには支障はなさそう。
走者の健康上の問題等も守るため大勢の医師たちもボランティアとして参加しており、実際に走者と走りながら、何かあれば即対応できる体制もとっているので安心して走りを楽しんでください。
沿道の各所での地元や東北の被災地の美味を集めたグルメフェスなど多彩な応援イベントも実施する予定になっていたがそれが予定通りに行なわれかどうかはわからないが、皆で一緒に楽しみたいもの。
そして、事故やトラブルもなく、無事に終了してくれることを一市民として心より願っています。
なお、今年からの都市型フルマラソン「神戸マラソン」開催により、昨・2010(平成22)年まで31回開催さていた「神戸全日本女子ハーフマラソン」はこれに吸収され発展的解消する形となった。
(冒頭の画像は、2011・11・17朝日新聞朝刊よりカット)
参考:
※1:KOBE2011(第1回神戸マラソン)公式ページ
http://www.kobe-marathon.net/
※2:神戸ポートアイランド市民広場 | トップページ
http://www.siminhiroba.net/
※3:AIMS|ランニングクラブ「Wisdom.RC」
http://ameblo.jp/wisdom-rc/entry-10118020363.html
※4:公認記録について
http://net-rc.com/bible_02.html
※5:神戸マラソン 大規模な交通規制で沿道混乱も
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004586023.shtml
※6:神戸市文書館 収蔵資料:古文書
http://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/document/shiryou/komonzyo02.html
※7:マラソン大競走(上) - 神戸新聞
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sports/201103marathon/01.shtml
※8:神戸市:神戸を知る: 日本マラソン発祥の地神戸
http://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/library/furusato/marathon.html
※9:マラソン:日本初開催から100年 走る喜び、今もなお - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/enta/sports/graph/2009/marathon100/
神戸ランナーズステーション/RunSta
http://www.run-sta.com/index.html
公益財団法人 日本陸上競技連盟(JAAF)
http://www.jaaf.or.jp/fan/
Yahoo!辞書 新語探検
http://dic.yahoo.co.jp/newword?category=8&pagenum=31&ref=1&index=2008000025
種目 は、マラソン(42.195km ) と、一般市民向けのクォーターマラソン(10.6km ) の2種目。
開始時間は、マラソン・クォーターマラソン共に、9:00 に神戸市役所前をスタート。
通常のフルマラソンは、神戸市役所をスタート後、明石海峡大橋袂(県立舞子公園付近)を折り返し、ポートアイランド(市民広場付近※2参照)をフィニッシュとするコース(日本陸上競技連盟およびAIMS公認コース。AIMSについては※3、※4参照)、を、クォーターマラソンは、神戸市役所前をスタートし、須磨浦公園をフィニッシュとするコースを走る。
制限時間は、フルマラソンが、7時間となっており、16:00に終了、 クォーターマラソンは、2時間で11:00終了 となっている。交通・警備、競技運営上、一定の距離ごとに関門閉鎖時間を設けており、関門以外にも著しく遅れた場合は、競技中止を指示することとなっているが、これは止むを得ない処置である。
景観の良い観光都市と知られている神戸の市街地は、山が海に迫り、南北はその狭い地にあり、東西に長く延びている。そこに、東西を結ぶ幹線道路が走っているわけで、普段から交通量の多いところである。
今日は、マラソンのスタート、ゴール地点の神戸市中央区から折り返し点の垂水区(明石海峡大橋の起点がある)にかけて交通規制が行なわれるが、特に影響が大きいとみられるのが普段から交通量の多い神戸市須磨区から垂水区の国道2号(浜国道【国道250号】と重複路線)は、約5時間“封鎖”されるが、「大阪や京都と違って、南北を結ぶ歩道橋や地下道がほとんどなく、規制中は人も一切行き来できなくなる」問題があり、このような大規模な交通規制で沿道で混乱が起きるのではないかと大会関係者や県警関係者などが心配しているようだ(※5)。
神戸マラソンのコース及び交通規制マップは以下を参照。
ランナー向けコース詳細マップ PDF(約1034KB) (クリックで画像は拡大できる)
日本においてはオリンピックでもマラソンは常に注目競技の上位であった。1964年(昭和39)年の東京オリンピックで円谷幸吉が3位、つづく1968(昭和43)年のメキシコオリンピックで君原健二が2位になるなど、日本の男子マラソンが知名度の高いレースで優勝・上位入賞する時代があった。一方日本人女子マラソン選手は、1992(平成4)年バルセロナ五輪で有森裕子が銀メダルを獲得し、次の1996(平成8)年アトランタでも続いて銅メダル を獲得する快挙をなすなど、1990年代前半からは、女子マラソン選手が世界的な競技大会で活躍を見せるようになり、2000(平成12)年シドニーでは、高橋尚子がオリンピック新記録で、日本の女子陸上競技として初の金メダルを獲得。次の2004(平成16)年アテネでは、野口みずきが高橋に続いて金メダルを獲得しオリンピック連続優勝を果たした他、出場した他の土佐礼子、坂本直子の2選手も入賞を果たすという快挙を成し遂げた。又、強豪揃いで、不振の続いていた男子マラソンでも油谷繁、諏訪利成の2選手が3大会ぶりの入賞(5位6位)を果たし、世界に日本のマラソン陣営の層の厚さを見せ付けるが、特に女子マラソンは、男子選手が低迷するするなか、諸外国と比べても最も選手層が厚いといわれるほどの全盛時代を迎えた。
それが、日本人のマラソンへの関心をますます高め、その上、近年の健康志向の高まりとともに、ウオーキングやジョッギングなどからハードなスポーツであるマラソンも、今までの見るマラソンから、市民が参加するマラソンへと発展してきた。
わが地元兵庫県の篠山市内で、1981(昭和56)年以来3月に開催されている篠山ABCマラソン大会など、従来から市民ランナーが参加できるマラソン大会は日本にも多く存在している(日本国内の主な市民マラソン大会参照)が、アメリカ合衆国の「ニューヨークシティマラソン」、「シカゴマラソン」、「ボストンマラソン」などと並ぶ「全米4大マラソン大会」の1つ「ホノルルマラソン」などにも日本人が多数参加するようになったことから、これらに、匹敵するような市民参加型の大規模シティマラソンとして、石原慎太郎都知事の肝いりで計画されたのが2007(平成19)年に始まった東京マラソンであった。日本陸連公認の大会(ここ参照)としては初めて市民ランナーにも開放され、交通遮断の問題なども懸念されたが、参加人員も3万人規模の大会として大成功を収めた。
そして、やっと、我が地元・神戸市でも、『第1回神戸マラソン』として、開催されることとなった訳であるが、実は、この人気のマラソンの日本での発祥の地は、神戸なのである。
今より、102年も前の、1909(明治42)年3月21日、神戸の湊川埋め立て地(現在の新開地)から大阪の西成大橋(現淀川大橋)までの31.7キロの「マラソン大競争」が行われた。日本で「マラソン」という名称が使われたのは、この大会が初めてである。
(上掲の画像がこの日本での初マラソンの様子である。写真は「中学世界」掲載のもので、画像は、蔵書のアサヒクロニクル「週間20世紀」1908-1909年号より借用した)。
世界で最初にマラソンレースが行われたのは、1896(明治29)年に開催された第1回アテネ近代オリンピック(ギリシャ)でのこと。ボストン体育協会が、現在とほぼ同じコースで初の都市マラソン、「ボストンマラソン」をスタートさせたのはその翌年である。当時アメリカはまだニューヨークの時代ではなく、アメリカ代表の大半はボストン体育協会の選手だった。このような歴史がある事から、「ボストンマラソン」は今でも最も格式ある老舗レースとして見られているようだ。
この12年後、第4回ロンドンオリンピック(1908年、イギリス)の翌年に開催と言うのだから本当に早くから行なわれていたことになる。
日本で初めての神戸で開催されたマラソンは大阪毎日新聞社主催による「阪神間二十哩(マイル)長距離競走」であった。陸上の距離の計測に用いられる1マイルは、1,609.344メートルであるため、約32キロメートル走ということになる。
因みに、現在のマラソンの距離は42.195kmと設定されているが、これは古代マラソンに直接由来するものではなく、 オリンピックでマラソン競技が実施された当初は、大会ごとの競技距離は一定ではなく(同じコースを全選手が走ることが重要とされていたため)、当時の規定では、40kmを目安とするというものであったため厳密な実測はされず、第1回アテネのマラソンの距離について、後年の測定では36.75kmの走行距離であったそうだ(小学館編集部による)。競技距離が42.195km(26マイル385ヤード)と統一されたのは、第8回パリオリンピック以後のことだそうである(Wikipedia-マラソン)。
この1909(明治42)年の神戸でのマラソンへの、参加申込者は408人にのぼり、体格試験によって120人に絞り込まれ、当時は兵庫県武庫郡鳴尾村(1951年西宮市に編入され消滅)にあった鳴尾競馬場で予選が実施され、出場選手20人が決まり、大会当日の午前11時30分、当時の神戸市長水上浩躬(※6)が、短剣で選手の前に張られた紅白のテープを切り、スタート。1位は、身長161・4 cm。がっしりした体格の岡山県在郷軍人の金子長之助選手だったそうだ。
序盤、長之助は7番手と出遅れたが、現在の東灘区辺りで奮起するが、きっかけは「なんだ、みっともない」という沿道の怒声。同郷の友人だったという。さらに、神戸出身のライバルに送られる大声援。御影付近でわらじの緒が緒が切れるアクシデントがあったが、脱ぎ捨てて走り続け、芦屋で2位、西宮で先頭に出、尼崎までに一気に離して走り続け、タイムは2時間10分54秒、2着を5分近くも引き離しての逆転優勝であったという。
優勝者には、300円の賞金のほか、金時計や銀屏風などの豪華な賞品が贈られたそうだ。当時の銀行員の初任給(大卒)が35円、牛肉100g10銭(アサヒクロニクル「週間20世紀」)と言うから、相当な賞金である。
明治のこの時代、日本初のマラソンの沿道を絶え間ない観衆が包み応援しているのも、スポーツ史に詳しい神商大(現兵庫県立大)の棚田真輔名誉教授は「神戸だから盛り上がった。居留地の外国人の持ち込んだスポーツにいち早く触れ、関心が高かった」からだろうといっている。
このマラソン大競走の37年も前、「神戸レガッタアンドアスレチッククラブ」が、神戸の外国人居留地―摩耶山天上寺間で長距離走の競技会を既に開催していた。マラソン大競走で、長之助の反骨心に火を付けた大声援。長距離走の魅力を知っていた神戸ならでは、と言えないだろうか。」・・・・と言っている(※7参照)。
今、「第1回神戸マラソン」(2011年11月20日実施)のスタート地点でもある神戸市役所前に、「日本マラソン発祥の地 神戸」の記念碑が建てられている。
上掲の画像は「日本マラソン発祥の地 神戸」の記念碑(※8の神戸市HPより借用)。
今回開催される「第1回神戸マラソン」を記念して、神戸須磨ライオンズクラブが同市に寄贈したもので、高さ約130cm、幅約185cm、厚さ約60cmの石板に5人のランナーの後ろ姿が切り出されている(日本初マラソンのことは※5、※6、※7等参照)。
このような日本初のマラソン開催地でありながら、これだけ人気の高いマラソンを今日まで開催できなかったのは、1995(平成7)年阪神淡路大震災からの復興が急がれたことのほか、先に述べたような神戸独特の地形による交通規制の難しさも有ったからであろう。
そのような都市事情の中、神戸市に本社を置く医療機器メーカーで、野口みずき(2004年アテネオリンピック女子マラソン金メダリスト・現女子マラソン日本記録保持者) が籍を置く シスメックス など多くのスポンサーやボランティアの協力を得て、今日は、神戸の町を、メキシコ五輪銀メダリスト君原健二やソウル五輪銀メダリストダグラス・ワキウリらゲスト奏者や兵庫県ゆかりの招待選手体を含め約2万5千人が駆け抜ける。
交通規制で、不便をかけるドライバーや地域の皆さんには、色々不満もあるだろうけれども、神戸にとって歴史のあるマラソンを復活させるために、今日1日は我慢して優しく走者を見守り、応援してやって欲しいと思います。
今回開催される「第1回神戸マラソン」のテーマーは、
”被災から復興、そして現在にいたるまで、手を差し伸べていただいた国内外の人々や地域へ感謝の気持ちを現したい。
神戸マラソンは、「自分のために走ることはもちろんだが、それ以上に「人々のために走る」マラソンをめざしている。
そのコンセプトの根底にあるのは、「仲間」「共同体」という気持ち。
創造的復興を果たした兵庫・神戸の姿や、震災の経験・教訓を世界中の被災者に提供していくという行動は、
すべての人が仲間であり、喜びも悲しみも分かち合うという考え方に基づいている。・・・”ということだ。
ただ、本番前の前日19日神戸市内のあいにくの荒天に見舞われ、雨と強風のためポートアイラドで始まった屋外イベントもも中止となってしまっそうたが今日はどうなるのだろう。とにかく昨日の夕方から雨は上がり、今日は曇り空ながら太陽が輝いておりランナーには支障はなさそう。
走者の健康上の問題等も守るため大勢の医師たちもボランティアとして参加しており、実際に走者と走りながら、何かあれば即対応できる体制もとっているので安心して走りを楽しんでください。
沿道の各所での地元や東北の被災地の美味を集めたグルメフェスなど多彩な応援イベントも実施する予定になっていたがそれが予定通りに行なわれかどうかはわからないが、皆で一緒に楽しみたいもの。
そして、事故やトラブルもなく、無事に終了してくれることを一市民として心より願っています。
なお、今年からの都市型フルマラソン「神戸マラソン」開催により、昨・2010(平成22)年まで31回開催さていた「神戸全日本女子ハーフマラソン」はこれに吸収され発展的解消する形となった。
(冒頭の画像は、2011・11・17朝日新聞朝刊よりカット)
参考:
※1:KOBE2011(第1回神戸マラソン)公式ページ
http://www.kobe-marathon.net/
※2:神戸ポートアイランド市民広場 | トップページ
http://www.siminhiroba.net/
※3:AIMS|ランニングクラブ「Wisdom.RC」
http://ameblo.jp/wisdom-rc/entry-10118020363.html
※4:公認記録について
http://net-rc.com/bible_02.html
※5:神戸マラソン 大規模な交通規制で沿道混乱も
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004586023.shtml
※6:神戸市文書館 収蔵資料:古文書
http://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/document/shiryou/komonzyo02.html
※7:マラソン大競走(上) - 神戸新聞
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sports/201103marathon/01.shtml
※8:神戸市:神戸を知る: 日本マラソン発祥の地神戸
http://www.city.kobe.lg.jp/information/institution/institution/library/furusato/marathon.html
※9:マラソン:日本初開催から100年 走る喜び、今もなお - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/enta/sports/graph/2009/marathon100/
神戸ランナーズステーション/RunSta
http://www.run-sta.com/index.html
公益財団法人 日本陸上競技連盟(JAAF)
http://www.jaaf.or.jp/fan/
Yahoo!辞書 新語探検
http://dic.yahoo.co.jp/newword?category=8&pagenum=31&ref=1&index=2008000025