今日・7月1日は「山開き」、「海開き」の日でもある。
「山開き」は、毎年日程を決めて一般人に登山を許すことであるが、昔、日本の山は山岳信仰の盛んな所が多く、僧侶たち以外何時でも誰でもが山に登ることは禁止されていたが、江戸中期以降、各地に山岳信仰の講(富士講参照)が結成され、山頂に祀(まつ)られている神を拝むための講中登山が行われるようになった。その様子は冒頭の画像葛飾北斎の浮世絵『冨嶽三十六景 諸人登山』(Wikipediaより)でも見られるし、以下の歌川国芳(一勇斎国芳)の三枚続き錦絵でも見ることができる。
国立国会図書館デジタル化資料 - 富士登山諸講中之図
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1304354。
このために日数を決めて山を俗人に開放した。これが「山開き」で、初日をとくに「お山開」きとよび、信徒たちは山に登れることを祝った。
最終日は山仕舞いとよび、山はまた僧侶たちのみの世界となった。富士山は7月1日がお山開きであったが、現在はほとんどの山がこの日に合わせて登山が行われている。
2013年の今年は6月に富士山が「信仰の対象と芸術の源泉」としてユネスコにより文化遺産(世界遺産)に登録された。そして、世界文化遺産に登録された富士山が今年になって今日・7月1日に初めて山開きした。
世界文化遺産に登録されたことで観光ブームが期待される一方、登山者の大幅増に伴う事故や環境破壊が懸念されている。
山梨、静岡両県は、徹夜で山頂を目指す「弾丸登山」の自粛やマナー順守などを呼び掛けているという。
富士山の7月と8月の夏山シーズン中の登山者は、去年はおよそ32万人であったが、世界文化遺産に登録された今年は当然これより大幅に増えるとみられ、山梨県などは登山道の誘導員を去年の2倍に増やして、安全の確保を図る計画だというのだが・・。
富士山山開きへ 次々登山者訪れる
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130630/k10015696801000.html
本来、富士山の世界遺産登録は、自然遺産であるべきなのだが、世界遺産委員会が定める「自然遺産」としての評価基準に適合出来なかったことから「自然遺産」としての国内の候補地としても入ることが出来ず、やっと文化遺産として認められたということをしっかりと認識してもらいたいものだ。以下参照。
富士山を世界文化遺産に - 富士宮市
http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/isan/sekai-hujisan.htm
浮世絵などの見られるごとく、富士山を遠方から見れば確かに美しいが、大写しの写真などを見てもわかるが、自動車道、登山道、ブルドーザー道が山腹に無数に切り刻まれており、これだけで「自然遺産」には無理だと思われる上に、マナーの悪い登山者等のゴミ問題もある。ユネスコの担当者が富士山を見て、そのゴミのひどさに驚いたという話を聞く。
日本人は、何かあると我も我もと集中する。節度ある行動と、品格を失わないでもらいたいものだ。
今まで、富士山の自然を守るため必死にごみ収集などをしていたボランティの人たちは、これまでも手に負えなかったので、もし世界遺産に登録されて後、大勢の人達がどっと山に登るようになるとごみの収集なども全く手に負えなくなる・・・。だから、富士山の自然を守るためにも「世界遺産への登録をして欲しくない」・・と言っているのをテレビ報道で見た。
私も、富士周辺の観光業の人達や、観光業者が金儲けに、どんどんと観光客を集めれば、ますます自然景観は失われ、下手をすれば、「文化遺産」としての登録さえ抹消されかねなくなるのではと心配している。
「海開き」は、山開きのようにとくに日附は決まっていないが、夏の海水浴シーズンを前に神主などによる海での安全を祈願する神事を執り行うことが多い。
因みに、神戸の場合、今年は、須磨海水浴場は7月5日に海開きを行い,8月31日まで58日間開設する。海開きの行事としては、幼稚園児の記念水遊びと海開き神事を5日に須磨海水浴場東端(須磨海浜水族園南東砂浜)で行われるよていである。
海水浴場の場合 水質検査、漂着物やゴミの除去、海水温、を考慮して期間を決めて海開き宣言している。期間以外での「遊泳禁止」は、気象状況などで発令されたときだけだが、まだ、この時期は、天候等によって、水温の低い日もあるので、注意しなくてはいけないのは当然だろう。
さて、日本では、旧暦7月を文月(ふみづき、ふづき)と呼ぶ。
天保暦よりも前の定義では、処暑を含む月を7月(旧暦)とする。
新暦では7月下旬から9月上旬ごろに当たる。現在では、「文月」を新暦7月の別名としても用いている。
文月の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説となっている。
これは、平安時代の 藤原清輔(きよすけ)の『奥義抄』に「此(こ)の月7日、七夕にかすとて、文どもをひらく故に、文ひろげ月といふを略せり」とあり、「文披月(ふみひらきづき、ふみひろげづき)」が転じたとするもの。以下参照。
文月 和歌歳時記
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/saijiki/humituki.html
しかし七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったもので、元々日本にはないものである。そこで、稲が穂を含む「穂含月(ほふみづき)」や稲穂の「含月(ふくみづき)」から転じた という説(山岡浚明著『類聚名物考』)もあるようだ。
また、この月は諸人が親の墓に参詣するからふづき(親月)というとする説((貝原好古著『和爾雅(わじが)』)などがある他、「秋初月(あきはづき)」、「七夜月(ななよづき)」の別名などもあるようだ。
いずれが本当か私などにわかるはずもないが、「文(ふみ)」(字源はここ)は、もともと、文字で書き記したものをさす言葉。昔は、手紙に限らず、書物や記録などのことも、「文」といった。また、特に、漢詩や漢文のことを、「文」と呼ぶこともある。
文を書くには言葉を知っていなければならない。私のように学生時代から、国語を大の苦手としてきたものには辞書は手放せない。困ったときに「広辞苑を調べるが、普段は今でも学生時代から使っていた旺文社の『新総合国語辞典』を使っている。もう、真っ黒になっている。
朝日新聞の今朝7月1日朝刊の天声人語におもしろいことが書かれていた。そのまま以下に引用する。
「何もする気が起きない時、辞書を読む。調べる必要があっての「引く」とか「当たる」とかでなく、ただ興味の赴くままに読み進む。言葉の海は広く、深い。その都度なにかしら新しいことを知る。
▼お笑い芸人で日本語学の学者でもあるサンキュータツオさんの本が面白い。『学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方』。200冊のコレクションを誇る「辞書オタク」が読み比べを熱く勧める。「大人なら国語辞典は二冊持て!」と、
▼たとえば「恋愛」という言葉を、〈男女間の〉愛情とするものあれば、〈特定の異性に対して〉と表現するものあり。〈まれに同性同士〉という記述を定義に加えるものもある。どれも似たり寄ったりと思ったら間違いで、それぞれ特徴がある。
▼確かに新明解国語辞典のような「ひとこと多い」個性派を読み出すとやめられなくなる。辞書ならぬ字書も誘惑に満ちている。漢字の字源を明らかにする白川静 (しずか) の字統』を開くのは危険である。一つの文字から関心が広がってきりがなくなる。
▼箴言(しんげん)集も学びの宝庫だ。〈憎悪、敵意、粗暴は、弱さの所産である……弱者が自分以上の弱者を餌食にするときの、あの酷薄さ!〉(エリック・ホッファー『魂の錬金術』)。今の日本の世相に照らして考え込む.。
▼7月は文月(ふみづき)。だからというわけではないが、たまには言葉の海を遊泳して心の肥やしにしたい。時を忘れがちになるのが玉に瑕(きず)だが。この原稿も、そういう成り行きで大あわてで書く羽目となった。」・・と。
天声人語ではないけれど、実は私も今日はこのブログを書く予定ではなかった 。今別の日の別の0テーマーで準備中だが、少し、前回のブログから日数があくこととなること、富士山の山開きのニュースを耳にしたことなどで急に書く気になった。
それと、朝の散歩時に、ラジオの毎日放送「子守康範 朝からてんコモリ!」の中で、聞いた話が面白かったことがある。
放送の途中からだったので、よくわからないが、どうもお笑いタレントハイヒールモモコとリンゴの会話からのことらしい。
女性が「今日の天気はどうなんかな〜」と聞いたとき、「そんなこと知らんがな〜」と答えたら、女性の気持ちは分かっていないのだという。それは、何もお天気のことを聞いた女性は天気が良いか悪いかを聞いているのではない。その女性は、お天気のことなどどうでもよくて、聞いた人から「どうしたの、お天気が悪いと何か都合の悪いことがあるの?」と聞き返してくれることを望んでいるのだという。
要するに何か別に話したいことがあってそれを聞いてもらいたいためにお天気のことを聞いただけなのだという。・・・モモコは女性らしい女性で、リンゴは「そんなことわからんわ」と答える男性的な女性だと言えるのだと・・・。
何か面倒くさい話なのだが、そんな質問をする女性の気持ちをわかる人が、女性というものを理解している人であり、そんあ質問の意味がわからない人は女性を理解していない人…と言うことになるらしい。あなたたちはどうですか・・・?
私など、しょっちゅう女房からこのような質問をされているのだが、そのような質問の意味がわからずにいい加減な返事ばかりしているので…女房殿のご機嫌を損ねているのだが・・・・。
急に思い立って書いたのでなにか摂りとめのない話になってしまった.。
気象庁の予想では、本州の梅雨明けは、まだまだ先のこととなっているのだが・・・。皆さん、食べ物や紫外線、水不足による熱中症などに気を付けてくださいよ。
参考
近代デジタルライブラリー - 類聚名物考. 第2冊 地理部
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898154
貝原 恥軒 - 古典籍総合データベース
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%8AL%8C%B4+%92p%8C%AC
『国語辞典の遊び方』 (サンキュータツオ 著) | 著者は語る - 文藝春秋WEB
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/639
840夜『波止場日記』エリック・ホッファー|松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/0840.html
藤原清輔 千人万首
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kiyosuke.html
気象庁 | 平成25年の梅雨入りと梅雨明け(速報値)
http://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/baiu/sokuhou_baiu.html
「山開き」は、毎年日程を決めて一般人に登山を許すことであるが、昔、日本の山は山岳信仰の盛んな所が多く、僧侶たち以外何時でも誰でもが山に登ることは禁止されていたが、江戸中期以降、各地に山岳信仰の講(富士講参照)が結成され、山頂に祀(まつ)られている神を拝むための講中登山が行われるようになった。その様子は冒頭の画像葛飾北斎の浮世絵『冨嶽三十六景 諸人登山』(Wikipediaより)でも見られるし、以下の歌川国芳(一勇斎国芳)の三枚続き錦絵でも見ることができる。
国立国会図書館デジタル化資料 - 富士登山諸講中之図
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1304354。
このために日数を決めて山を俗人に開放した。これが「山開き」で、初日をとくに「お山開」きとよび、信徒たちは山に登れることを祝った。
最終日は山仕舞いとよび、山はまた僧侶たちのみの世界となった。富士山は7月1日がお山開きであったが、現在はほとんどの山がこの日に合わせて登山が行われている。
2013年の今年は6月に富士山が「信仰の対象と芸術の源泉」としてユネスコにより文化遺産(世界遺産)に登録された。そして、世界文化遺産に登録された富士山が今年になって今日・7月1日に初めて山開きした。
世界文化遺産に登録されたことで観光ブームが期待される一方、登山者の大幅増に伴う事故や環境破壊が懸念されている。
山梨、静岡両県は、徹夜で山頂を目指す「弾丸登山」の自粛やマナー順守などを呼び掛けているという。
富士山の7月と8月の夏山シーズン中の登山者は、去年はおよそ32万人であったが、世界文化遺産に登録された今年は当然これより大幅に増えるとみられ、山梨県などは登山道の誘導員を去年の2倍に増やして、安全の確保を図る計画だというのだが・・。
富士山山開きへ 次々登山者訪れる
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130630/k10015696801000.html
本来、富士山の世界遺産登録は、自然遺産であるべきなのだが、世界遺産委員会が定める「自然遺産」としての評価基準に適合出来なかったことから「自然遺産」としての国内の候補地としても入ることが出来ず、やっと文化遺産として認められたということをしっかりと認識してもらいたいものだ。以下参照。
富士山を世界文化遺産に - 富士宮市
http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/isan/sekai-hujisan.htm
浮世絵などの見られるごとく、富士山を遠方から見れば確かに美しいが、大写しの写真などを見てもわかるが、自動車道、登山道、ブルドーザー道が山腹に無数に切り刻まれており、これだけで「自然遺産」には無理だと思われる上に、マナーの悪い登山者等のゴミ問題もある。ユネスコの担当者が富士山を見て、そのゴミのひどさに驚いたという話を聞く。
日本人は、何かあると我も我もと集中する。節度ある行動と、品格を失わないでもらいたいものだ。
今まで、富士山の自然を守るため必死にごみ収集などをしていたボランティの人たちは、これまでも手に負えなかったので、もし世界遺産に登録されて後、大勢の人達がどっと山に登るようになるとごみの収集なども全く手に負えなくなる・・・。だから、富士山の自然を守るためにも「世界遺産への登録をして欲しくない」・・と言っているのをテレビ報道で見た。
私も、富士周辺の観光業の人達や、観光業者が金儲けに、どんどんと観光客を集めれば、ますます自然景観は失われ、下手をすれば、「文化遺産」としての登録さえ抹消されかねなくなるのではと心配している。
「海開き」は、山開きのようにとくに日附は決まっていないが、夏の海水浴シーズンを前に神主などによる海での安全を祈願する神事を執り行うことが多い。
因みに、神戸の場合、今年は、須磨海水浴場は7月5日に海開きを行い,8月31日まで58日間開設する。海開きの行事としては、幼稚園児の記念水遊びと海開き神事を5日に須磨海水浴場東端(須磨海浜水族園南東砂浜)で行われるよていである。
海水浴場の場合 水質検査、漂着物やゴミの除去、海水温、を考慮して期間を決めて海開き宣言している。期間以外での「遊泳禁止」は、気象状況などで発令されたときだけだが、まだ、この時期は、天候等によって、水温の低い日もあるので、注意しなくてはいけないのは当然だろう。
さて、日本では、旧暦7月を文月(ふみづき、ふづき)と呼ぶ。
天保暦よりも前の定義では、処暑を含む月を7月(旧暦)とする。
新暦では7月下旬から9月上旬ごろに当たる。現在では、「文月」を新暦7月の別名としても用いている。
文月の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説となっている。
これは、平安時代の 藤原清輔(きよすけ)の『奥義抄』に「此(こ)の月7日、七夕にかすとて、文どもをひらく故に、文ひろげ月といふを略せり」とあり、「文披月(ふみひらきづき、ふみひろげづき)」が転じたとするもの。以下参照。
文月 和歌歳時記
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/saijiki/humituki.html
しかし七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったもので、元々日本にはないものである。そこで、稲が穂を含む「穂含月(ほふみづき)」や稲穂の「含月(ふくみづき)」から転じた という説(山岡浚明著『類聚名物考』)もあるようだ。
また、この月は諸人が親の墓に参詣するからふづき(親月)というとする説((貝原好古著『和爾雅(わじが)』)などがある他、「秋初月(あきはづき)」、「七夜月(ななよづき)」の別名などもあるようだ。
いずれが本当か私などにわかるはずもないが、「文(ふみ)」(字源はここ)は、もともと、文字で書き記したものをさす言葉。昔は、手紙に限らず、書物や記録などのことも、「文」といった。また、特に、漢詩や漢文のことを、「文」と呼ぶこともある。
文を書くには言葉を知っていなければならない。私のように学生時代から、国語を大の苦手としてきたものには辞書は手放せない。困ったときに「広辞苑を調べるが、普段は今でも学生時代から使っていた旺文社の『新総合国語辞典』を使っている。もう、真っ黒になっている。
朝日新聞の今朝7月1日朝刊の天声人語におもしろいことが書かれていた。そのまま以下に引用する。
「何もする気が起きない時、辞書を読む。調べる必要があっての「引く」とか「当たる」とかでなく、ただ興味の赴くままに読み進む。言葉の海は広く、深い。その都度なにかしら新しいことを知る。
▼お笑い芸人で日本語学の学者でもあるサンキュータツオさんの本が面白い。『学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方』。200冊のコレクションを誇る「辞書オタク」が読み比べを熱く勧める。「大人なら国語辞典は二冊持て!」と、
▼たとえば「恋愛」という言葉を、〈男女間の〉愛情とするものあれば、〈特定の異性に対して〉と表現するものあり。〈まれに同性同士〉という記述を定義に加えるものもある。どれも似たり寄ったりと思ったら間違いで、それぞれ特徴がある。
▼確かに新明解国語辞典のような「ひとこと多い」個性派を読み出すとやめられなくなる。辞書ならぬ字書も誘惑に満ちている。漢字の字源を明らかにする白川静 (しずか) の字統』を開くのは危険である。一つの文字から関心が広がってきりがなくなる。
▼箴言(しんげん)集も学びの宝庫だ。〈憎悪、敵意、粗暴は、弱さの所産である……弱者が自分以上の弱者を餌食にするときの、あの酷薄さ!〉(エリック・ホッファー『魂の錬金術』)。今の日本の世相に照らして考え込む.。
▼7月は文月(ふみづき)。だからというわけではないが、たまには言葉の海を遊泳して心の肥やしにしたい。時を忘れがちになるのが玉に瑕(きず)だが。この原稿も、そういう成り行きで大あわてで書く羽目となった。」・・と。
天声人語ではないけれど、実は私も今日はこのブログを書く予定ではなかった 。今別の日の別の0テーマーで準備中だが、少し、前回のブログから日数があくこととなること、富士山の山開きのニュースを耳にしたことなどで急に書く気になった。
それと、朝の散歩時に、ラジオの毎日放送「子守康範 朝からてんコモリ!」の中で、聞いた話が面白かったことがある。
放送の途中からだったので、よくわからないが、どうもお笑いタレントハイヒールモモコとリンゴの会話からのことらしい。
女性が「今日の天気はどうなんかな〜」と聞いたとき、「そんなこと知らんがな〜」と答えたら、女性の気持ちは分かっていないのだという。それは、何もお天気のことを聞いた女性は天気が良いか悪いかを聞いているのではない。その女性は、お天気のことなどどうでもよくて、聞いた人から「どうしたの、お天気が悪いと何か都合の悪いことがあるの?」と聞き返してくれることを望んでいるのだという。
要するに何か別に話したいことがあってそれを聞いてもらいたいためにお天気のことを聞いただけなのだという。・・・モモコは女性らしい女性で、リンゴは「そんなことわからんわ」と答える男性的な女性だと言えるのだと・・・。
何か面倒くさい話なのだが、そんな質問をする女性の気持ちをわかる人が、女性というものを理解している人であり、そんあ質問の意味がわからない人は女性を理解していない人…と言うことになるらしい。あなたたちはどうですか・・・?
私など、しょっちゅう女房からこのような質問をされているのだが、そのような質問の意味がわからずにいい加減な返事ばかりしているので…女房殿のご機嫌を損ねているのだが・・・・。
急に思い立って書いたのでなにか摂りとめのない話になってしまった.。
気象庁の予想では、本州の梅雨明けは、まだまだ先のこととなっているのだが・・・。皆さん、食べ物や紫外線、水不足による熱中症などに気を付けてくださいよ。
参考
近代デジタルライブラリー - 類聚名物考. 第2冊 地理部
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898154
貝原 恥軒 - 古典籍総合データベース
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%8AL%8C%B4+%92p%8C%AC
『国語辞典の遊び方』 (サンキュータツオ 著) | 著者は語る - 文藝春秋WEB
http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/639
840夜『波止場日記』エリック・ホッファー|松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/0840.html
藤原清輔 千人万首
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kiyosuke.html
気象庁 | 平成25年の梅雨入りと梅雨明け(速報値)
http://www.data.jma.go.jp/fcd/yoho/baiu/sokuhou_baiu.html