大正時代、断髪洋服の女性は「モガ」(「モダンガール」)と呼ばれた。当然、女性の雑誌にとって流行はいつも大事である。学生である女の子の髪型は、通学服と大いに関係があった。通学服が着物と袴だった大正期には長い髪を結い上げた髪型であった(『ごちそうさん』の女学生め以子も同じである)が、セーラー服やブレザーが定着した昭和期には、断髪(おかっぱ)が主流となった。
昭和時代を代表する抒情画家と言えば、多くの人は中原淳一のことを思い浮かべるのではないだろうか。竹久夢二などの影響を受けながら、若くして才能を認められ、戦前・戦後の40余年にわたって、抒情画家、人形作家、ファッションイラストレーター、デザイナー、手工芸家、装丁家、スタイリスト、演出家、編集者、シャンソン作詞家、エッセイストとして八面六臂の活躍をし、戦後日本の繁栄期までを駆け抜けた中原淳一(1913年[大正2年]2月16日生まれ)は、2013(平成25)年の今年、生誕100年および没後30年を迎えた。
中原は、昭和10年から15年まで、少女雑誌『少女の友』の表紙絵を担当をしたことによりその黄金期を築いた。この『少女の友』で、1937年(昭和12年)]5月号 〜 1940年(昭和15年)5月号まで、「女学生服装帖」というファッション・ページを担当していた(ここ参照)が、この「女学生服装帖」は、中原が大戦前夜の1937(昭和12)年、街をゆく女学生の洋装のちぐはぐさに心を痛めて筆をとったイラストエッセイで、1940年(昭和15)年、戦争が始まると、優美でハイカラ、かつ目が大きく西洋的な淳一のイラストが軍部から睨まれ、その軍部の圧力によって突然雑誌への執筆を禁じられ終了するまで、セーラー服の着こなしから、髪型、しぐさなど、すこぶる親身でちょっぴり辛口なアドバイスで、読者に大きな影響を与えたという。
どうも、淳一は少女たちに、外見の服装だけではなく立ち振る舞いや身だしなみ、心掛けなど内面も美しい存在であることを願っていたのだろう。つまり、中原は、当時の男が求めている「いい女」はこんな人なのだよと言いたかったのではないだろうか。
戦前に活躍したほとんどの抒情画家が、まつげをあまり重視していないのに対し、淳一 の描く少女にはぱっちりと見開いた大きな目に非常に長いまつげが生えている。 特に、他の抒情画では皆無に 等しい下まつげが、淳一の作品ではデビュー当時から重視されている。現代の少女劇画の先達ともされる、モダンで、しなやかで、その中にもクラシックな美を伴った、彼固有の画は非常に魅力的で、この時代に生きる女性が大正時代よりはそれだけ明るく開放的にそして活動的になっていたことを表してもいるのだろう。
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上掲の画象は、私のコレクションの絵葉書「中原淳一抒情画の世界」の中の2枚である。
私の本館のホームページ「よーさんの我楽多部屋」のCorection RoomのRoom2:絵葉書の部屋には「中原淳一の抒情画の世界(36枚)」の他、「中原淳一の慰問絵葉書(16枚)」、「中原淳一の少女雑誌付録(2枚)」を展示しているので興味のある人は見てください。
特にこの中の「中原淳一の慰問絵葉書(16枚)」は戦時中に戦場の兵隊さんたちを慰問する目的で描かれたもので、画は、「詩」や「服装」を題材にしているが、その詩は「白百合」「愛国の花」と言った内容で服の題も「モンペ」や「ツギハギ」と言ったものであり、当時の状況が偲ばれるが、そのような時代に書かれた絵としては非常にモダンで、今の時代にも通用しそうなセンスの良さで、中原がファッションデザイナーとしても優秀だったことがわかる。この絵はがきは是非一度見ていただきたい絵葉書である。
「中原淳一の慰問絵葉書(16枚)」
昭和に入って、働く女性は増加していったものの、戦後の高度経済成長期までは、多くの女性の会社勤めは嫁入り前までの腰掛程度で、結婚すれば退職し、家庭に入って家事や子育てに専念していた。その点ではそれまでの良妻賢母と基本的に大きな変化はなかった。
戦後、1947(昭和22)年の教育基本法では男女の教育機会均等が定められ、男女共学が認められた。これ以前は、女性の教育は男性のものとは独立して行われ、その教育の中心は家政科目を中心としたものであったが、これ以降、女性も男性同様の知識を身に着けることが出来るようになった。
女性の社会での地位については、1880(明治13)年9月に、初めて女性参政権が認められていたが、この女性は戸主に限定されていた。その後、政府の不平等な政策に対して、政治的な要求を叫んだ平塚らいてうら女性解放運動家が誕生し、女性の地位に少しの変化はあったものの、女性の基本的な権利、たとえば、女性参政権(選挙権や被選挙権)の獲得と言った大目標は、1931(昭和6)年には条件付で認める法案が衆議院を通過したものの、貴族院の反対で廃案に追い込まれ、達成出来なかった。
第二次世界大戦後の1945(昭和20)年10月10日、幣原内閣で婦人参政権に関する閣議決定がなされ、また、その翌10月11日には、幣原内閣に対してなされた、マッカーサーによる五大改革の指令には、「参政権賦与による日本婦人の解放」が盛られていた(日本の戦後改革参照)。
その後は、1986(昭和61)年の男女雇用機会均等法( Yahoo!百科事典も参照)施行を待つまでもなく、女性の職場進出、社会進出はめざましいものがあった。
戦後、民主主義の導入で、女性にもさまざまな権利が認められ、封建時代のように女性が大人しく家の奥に収まっている事もなくなってきたことから、「戦後強くなったのは靴下と女性」などと言った言葉までが流行ったことがあるが、これは、当時敗戦により、自信喪失で気弱になっていた男性のそんな、元気のよい女性に対するやっかみとも言えなくもないが・・・。ただ、この現象は、現代でも、ますます、エスカレートしているように思われるのだが・・・。
戦後の女性は身長も伸び、化粧品や美容整形の発達などにより、戦前に比して、非常にスタイルも容姿もよくなり、これらの面でも男性を圧倒している。最近の女性の眉や眦を釣り上げた化粧などは、そんな女性の自己主張の表れでもあるのだろう。
1999(平成11)年には男女雇用機会均等法の大幅な改正(ここ参照)によって、雇用上の女性の権利、育児休暇の権利が獲得され、今では、日本女性は、家を出て社会へ進出し続けている。
彼女たちは、今までの「賢妻良母」のようになるための教育ではなく、自分自身の個性的な能力をアップするのに必要な新しい教育を自由に受けることもできるようになった。そして、社会へ出て、自分の力で金を稼いで経済の独立性を追求している。それは当然、女性の自信にもつながり、逞しい女性へと変化していった。
女性が結婚相手に求める条件も、時代によって変化するが、バブル期には、「高収入・高学歴・高身長」の三高が結婚の決め手といわれていた。そんな条件を求められても、それに応じられる男性ばかりではなく「、結婚しない女と結婚できない男」などという言葉も流行ったが、逆に「三高」を兼ね備えた男性は、多くの女性の中から選りすぐればよいので、わざわざ低収入や器量の悪い女性などとは結婚したがらない(※13参照)から、結局は、多くの男も、そして女の方も結婚できないということになってしまう。
私たちのように戦前生まれの年代の者の多くは昔から慣例となっていた見合い結婚であったが、戦後「結婚は愛し合う人同士で恋愛結婚するものよ」と見合い結婚をする人は持てない人がすることのように馬鹿にもされ、敬遠されてきた為、最近では仲人をしてくれるようなおせっかいな世話好きもいなくなってしまったが、そのくせ、自分では結婚相手も探せないかわいそうな人達は、合コン(合同コンパ=コンパニー【company】の略)などと言って、集合見合いを斡旋する業者のお世話になったりする人が多くなったようだ。
私は現役時代に、関係のあった流通業が子会社を設立して、有料の会員制結婚相談所をつくるという話を聞いたときには、そんなもの本当に事業として成り立つのかと驚いたものだが、今や、その子会社が東証の二部上場会社にまでなっているのだからなお驚きである。それだけ需要が多いということだ。
国立社会保障・人口問題研究所が全国の18〜49歳の独身男女約1万4000人を対象に2010(平成22)年6月に調査し、2011(平成23)年11月に発表した出生動向基本調査(独身者調査※14参照)によると、異性の交際相手がいない18〜34歳の未婚者が男性で61.4%、女性では49.5%に上り、いずれも過去最高になったそうだ。前回の2005年調査と比べると、「交際相手がいない」割合は、男性では9.2%、女性で4.8%増加しているという。
このうち、25〜34歳の男女について、結婚しない理由として「結婚資金が足りない」と答えた人の割合は前回の調査と比較すると、男性が8ポイント増の30.3%、女性は3.5ポイント増の16.5%であったそうだ。
経済が不安定となり、いつリストラされるか分からない近年は、女性が男性を結婚相手に求める条件も、バブル期の「三高」から少し変化して、「低姿勢、低リスク、低依存」という「三低」また、「平均的な年収」「平凡な外見」「平穏な性格」の「三平」(※15参照)が選ぶ条件になっているという。
そのような状況の中、婚活支援サービスを展開する株式会社パートナーエージェント(本社:東京)が2012(平成24 )年11月に、20〜50代の未・既婚男性1,000名に向け、理想のパートナー像と、パートナーとの理想の関係に関するアンケートを行い、調査した結果を発表しているが、結果は、未婚男性の理想的な女性像は「三等」、仕事・家事の機会は【平等】 、年収は【対等】、 身長・年齢は【同等】 を望んでいるらしい(※16参照)。
つまり、未婚男性は「共働きで家事分担」を指向。昔は「一家の大黒柱は男」という意識が強かったが、最近では男女で平等に働いて、平等に家事を分担しておこうという意識が、若年層ほど広まっているようだ。
一方で、既婚男性の中には「パートナーには家事や育児などを担当してほしい」と考える人が目立っている。未婚男性で役割分担を求めるのは10.4%しかいなかったが、既婚男性では約3倍の29.6%。また年収700万円台では32.7%、年収800万円以上では35.9%が“男は仕事、女は家庭”を理想としているようだ。
この様なデータは、結局のところ、女性にしても、男性にしても、自分が思っている、本当のいい男、いい女というより、現実の状況を見定めたうえで、妥協の産物としての願望であろう。アベノミクスで浮ついていても、それがいつ崩壊するかもしれない昨今、就職氷河期世代を含む男性には、このくらい堅実なスタンスが必要なのかもしれない。
このような現代社会で、結婚するしないは、別として、今の男性目線から見たいい女とはいったいどんな女だろうか?
ネットで検索していると、オリコン(Oricon Inc.)が運営するポータルサイト・ORICON STYLE調べによる、「男性が選ぶ恋人にしたい有名人」(20013年2月調べ)ランキングがあった、それを見ると以下のようになっている。()内は2011年調べのものである。
1位新垣結衣(2位)、
2位綾瀬はるか(1位)、
3位上戸 彩(5位)、
4位、堀北真希(16位)、
5位、宮崎あおい(4位)以下略。
常に上位にランキングしていた新垣結衣は、2009年より出演しさまざまなパターンの笑顔を提供している「十六茶」(アサヒ飲料)のCMの存在が大きいようだ。
CMギャラリー|十六茶|アサヒ飲料
新垣結衣同様上位ランキングの常連綾瀬はるかも明るくて、天然で可愛いと評判が良い。昨年電撃結婚をした上戸 彩も同様だ。映画「天地名察」など話題作への出演が絶えない宮崎あおいなど常連が強い。
常蓮たちが強さを見せつけている中で、急上昇を果たした新進気鋭の存在も見られる。昨年16位→今年4位へ躍進の堀北真希は昨年のNHK朝ドラ「梅ちゃん先生」での好演がよかった。同じく10位圏外から6位へ初登場の女優 剛力彩芽は、元気が溢れる感じのあの笑顔が好きと評判。もう1人「顔が小さくてかわいい、オシャレでスタイルが良いと評判の現役モデルでスタイル抜群の本田翼も人気で8位に入っている。(詳細は、参考の※17照)。
容姿はもちろんだが、絶対的な透明感、守ってあげたくなるような天然タイプなど多様な”美しさ”を放つランキング上位の女優達。共通するのはやはり、外見だけではなく、内側から女性らしさを放つ面々が支持されたようだ。ここ数年男性から女性に求めるものが”自立した女性”から”癒し”へと変化してきていたが、引き続きその傾向は続きそうだと分析されている。なんといっても、笑顔が魅力的。「美人じゃなくても笑顔が可愛い子」が一番の様だ。
先にも書いたが、「いい女」の条件は“外見”だけではなく、“内面”的なものや、“女らしさ”も合わせた総合的なものだ。男の私が、「いい女」はああだこうだと書くと怒られそうなので、今、どんな女が良いとされているのかは、参考※18、※19、※20などを見られるとよいだろう。
しかし、私たちの時代には「いい男」「いい女」の条件は、まず、「男なら男らしい」、「女なら女らしい」ことが前提にあったのだが、文部科学省の外郭団体である財団法人「一ツ橋文芸教育振興会」と「日本青少年研究所」は、2003(平成15)年秋に日本・米国・韓国・中華人民共和国の高校生各千人を対象にアンケート調査を行い、翌2004(平成15)年2月にその結果を発表した。この結果にもとづき、読売新聞は、日本では「女は女らしくすべきだ」を肯定した生徒が28.4%であり、他国(米58.0%、中71.6%、韓47.7%)よりも「突出して低い」と報じた。また、「男は男らしく」を肯定した人も43.4%と、4カ国で唯一半数以下であると指摘していた(現代の若者の意識調査また、参考の※21参照)。
今、ジェンダー・フリーが政治問題になっている。ジェンダー・フリーは女らしさや男らしさを否定するものだという批判がある一方、そのように批判する人は、何が男らしさで、何が女らしさなのかを、はっきりさせてもらいたい・・との反論もある。また、同じジェンダー・フリー批判論者でも、考え方は人によって様々のようだ。
私はこのような難しい問題を論じるだけの知識もないし、その気もない。
劇作家で、小説家・評論家・演出家でもある岸田國士(1890年 - 1954年)の随筆に『「女らしさ」について』と題して書いたものがある、以下参考※2青空文庫より一部を抜粋する(詳細はここ参照)。
「私はかういふ問題について特に興味をもつてゐるわけではないが、今時かういふ問題が婦人公論のやうな雑誌でとりあげられるといふ事実に多少時代的な意義を見出すのである。
大体「女」といふ言葉は、古来、複雑微妙な語感をもち、時と場合で、その響き方がいろいろに変るのであるが、この「女らしさ」にしても、なにかさういふ捕捉しがたい模糊とした感覚のなかにその正体をつきとめなければならぬ厄介さがある。
、すべての女は、何等かの意味で女らしいといふよりほか、私には理窟のつけやうがない。たゞ、普通の標準に従へば、常に、時代と民族、階級或は職業などに通ずる女の典型なるものが考へられる。ある特定の生活と文化とが、特定の理想的「女らしさ」を作りだすのである。
時によると、男の眼が「女らしさ」を発見し、それに価値を与へることもあるが、女も亦、同性のうちの「女らしさ」を鋭く感じ取るものである。従つて、好悪の別はあつても、それが「女らしい」といふ一点で、それを見るものの眼に、さう著しい違ひはないと思はれる。(中簡略)」そして最後に、
「賢明な本誌の読者諸嬢は、もうとつくにご承知の筈だが、美しい恋愛も幸福な結婚も、男性の側から云へば、常に対手の女性の「清純なコケツトリイ」によつて導かれるものである。」(「婦人公論」昭和十四年二月)。・・とある。
女性を見る側が、男性か女性かといった性別によっても、どんな女性がいい女かは相当違ってくるだろう。それに、「いい女」の条件は、顔やスタイルなど外見の容姿だけに限られたことではなく、社会的常識や自分自身の信念、喜怒哀楽等「内面」的なものなど諸々の要素が加わっているので、それがどんなものかは一概には決められないだろう。しかし、地球上に男と女の2つの性別しかないとすれば、それが良いとか悪いとかは別にしても、恋愛や、結婚を望む男が好む「いい女」と女が望む「いい男」は双方が互いに歩み寄り、納得し、認め合わない限り、結局は、恋愛も幸福な結婚もなかなか成立はしない・・ということではないかと思うのだが・・・。。
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昭和時代を代表する抒情画家と言えば、多くの人は中原淳一のことを思い浮かべるのではないだろうか。竹久夢二などの影響を受けながら、若くして才能を認められ、戦前・戦後の40余年にわたって、抒情画家、人形作家、ファッションイラストレーター、デザイナー、手工芸家、装丁家、スタイリスト、演出家、編集者、シャンソン作詞家、エッセイストとして八面六臂の活躍をし、戦後日本の繁栄期までを駆け抜けた中原淳一(1913年[大正2年]2月16日生まれ)は、2013(平成25)年の今年、生誕100年および没後30年を迎えた。
中原は、昭和10年から15年まで、少女雑誌『少女の友』の表紙絵を担当をしたことによりその黄金期を築いた。この『少女の友』で、1937年(昭和12年)]5月号 〜 1940年(昭和15年)5月号まで、「女学生服装帖」というファッション・ページを担当していた(ここ参照)が、この「女学生服装帖」は、中原が大戦前夜の1937(昭和12)年、街をゆく女学生の洋装のちぐはぐさに心を痛めて筆をとったイラストエッセイで、1940年(昭和15)年、戦争が始まると、優美でハイカラ、かつ目が大きく西洋的な淳一のイラストが軍部から睨まれ、その軍部の圧力によって突然雑誌への執筆を禁じられ終了するまで、セーラー服の着こなしから、髪型、しぐさなど、すこぶる親身でちょっぴり辛口なアドバイスで、読者に大きな影響を与えたという。
どうも、淳一は少女たちに、外見の服装だけではなく立ち振る舞いや身だしなみ、心掛けなど内面も美しい存在であることを願っていたのだろう。つまり、中原は、当時の男が求めている「いい女」はこんな人なのだよと言いたかったのではないだろうか。
戦前に活躍したほとんどの抒情画家が、まつげをあまり重視していないのに対し、淳一 の描く少女にはぱっちりと見開いた大きな目に非常に長いまつげが生えている。 特に、他の抒情画では皆無に 等しい下まつげが、淳一の作品ではデビュー当時から重視されている。現代の少女劇画の先達ともされる、モダンで、しなやかで、その中にもクラシックな美を伴った、彼固有の画は非常に魅力的で、この時代に生きる女性が大正時代よりはそれだけ明るく開放的にそして活動的になっていたことを表してもいるのだろう。
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上掲の画象は、私のコレクションの絵葉書「中原淳一抒情画の世界」の中の2枚である。
私の本館のホームページ「よーさんの我楽多部屋」のCorection RoomのRoom2:絵葉書の部屋には「中原淳一の抒情画の世界(36枚)」の他、「中原淳一の慰問絵葉書(16枚)」、「中原淳一の少女雑誌付録(2枚)」を展示しているので興味のある人は見てください。
特にこの中の「中原淳一の慰問絵葉書(16枚)」は戦時中に戦場の兵隊さんたちを慰問する目的で描かれたもので、画は、「詩」や「服装」を題材にしているが、その詩は「白百合」「愛国の花」と言った内容で服の題も「モンペ」や「ツギハギ」と言ったものであり、当時の状況が偲ばれるが、そのような時代に書かれた絵としては非常にモダンで、今の時代にも通用しそうなセンスの良さで、中原がファッションデザイナーとしても優秀だったことがわかる。この絵はがきは是非一度見ていただきたい絵葉書である。
「中原淳一の慰問絵葉書(16枚)」
昭和に入って、働く女性は増加していったものの、戦後の高度経済成長期までは、多くの女性の会社勤めは嫁入り前までの腰掛程度で、結婚すれば退職し、家庭に入って家事や子育てに専念していた。その点ではそれまでの良妻賢母と基本的に大きな変化はなかった。
戦後、1947(昭和22)年の教育基本法では男女の教育機会均等が定められ、男女共学が認められた。これ以前は、女性の教育は男性のものとは独立して行われ、その教育の中心は家政科目を中心としたものであったが、これ以降、女性も男性同様の知識を身に着けることが出来るようになった。
女性の社会での地位については、1880(明治13)年9月に、初めて女性参政権が認められていたが、この女性は戸主に限定されていた。その後、政府の不平等な政策に対して、政治的な要求を叫んだ平塚らいてうら女性解放運動家が誕生し、女性の地位に少しの変化はあったものの、女性の基本的な権利、たとえば、女性参政権(選挙権や被選挙権)の獲得と言った大目標は、1931(昭和6)年には条件付で認める法案が衆議院を通過したものの、貴族院の反対で廃案に追い込まれ、達成出来なかった。
第二次世界大戦後の1945(昭和20)年10月10日、幣原内閣で婦人参政権に関する閣議決定がなされ、また、その翌10月11日には、幣原内閣に対してなされた、マッカーサーによる五大改革の指令には、「参政権賦与による日本婦人の解放」が盛られていた(日本の戦後改革参照)。
その後は、1986(昭和61)年の男女雇用機会均等法( Yahoo!百科事典も参照)施行を待つまでもなく、女性の職場進出、社会進出はめざましいものがあった。
戦後、民主主義の導入で、女性にもさまざまな権利が認められ、封建時代のように女性が大人しく家の奥に収まっている事もなくなってきたことから、「戦後強くなったのは靴下と女性」などと言った言葉までが流行ったことがあるが、これは、当時敗戦により、自信喪失で気弱になっていた男性のそんな、元気のよい女性に対するやっかみとも言えなくもないが・・・。ただ、この現象は、現代でも、ますます、エスカレートしているように思われるのだが・・・。
戦後の女性は身長も伸び、化粧品や美容整形の発達などにより、戦前に比して、非常にスタイルも容姿もよくなり、これらの面でも男性を圧倒している。最近の女性の眉や眦を釣り上げた化粧などは、そんな女性の自己主張の表れでもあるのだろう。
1999(平成11)年には男女雇用機会均等法の大幅な改正(ここ参照)によって、雇用上の女性の権利、育児休暇の権利が獲得され、今では、日本女性は、家を出て社会へ進出し続けている。
彼女たちは、今までの「賢妻良母」のようになるための教育ではなく、自分自身の個性的な能力をアップするのに必要な新しい教育を自由に受けることもできるようになった。そして、社会へ出て、自分の力で金を稼いで経済の独立性を追求している。それは当然、女性の自信にもつながり、逞しい女性へと変化していった。
女性が結婚相手に求める条件も、時代によって変化するが、バブル期には、「高収入・高学歴・高身長」の三高が結婚の決め手といわれていた。そんな条件を求められても、それに応じられる男性ばかりではなく「、結婚しない女と結婚できない男」などという言葉も流行ったが、逆に「三高」を兼ね備えた男性は、多くの女性の中から選りすぐればよいので、わざわざ低収入や器量の悪い女性などとは結婚したがらない(※13参照)から、結局は、多くの男も、そして女の方も結婚できないということになってしまう。
私たちのように戦前生まれの年代の者の多くは昔から慣例となっていた見合い結婚であったが、戦後「結婚は愛し合う人同士で恋愛結婚するものよ」と見合い結婚をする人は持てない人がすることのように馬鹿にもされ、敬遠されてきた為、最近では仲人をしてくれるようなおせっかいな世話好きもいなくなってしまったが、そのくせ、自分では結婚相手も探せないかわいそうな人達は、合コン(合同コンパ=コンパニー【company】の略)などと言って、集合見合いを斡旋する業者のお世話になったりする人が多くなったようだ。
私は現役時代に、関係のあった流通業が子会社を設立して、有料の会員制結婚相談所をつくるという話を聞いたときには、そんなもの本当に事業として成り立つのかと驚いたものだが、今や、その子会社が東証の二部上場会社にまでなっているのだからなお驚きである。それだけ需要が多いということだ。
国立社会保障・人口問題研究所が全国の18〜49歳の独身男女約1万4000人を対象に2010(平成22)年6月に調査し、2011(平成23)年11月に発表した出生動向基本調査(独身者調査※14参照)によると、異性の交際相手がいない18〜34歳の未婚者が男性で61.4%、女性では49.5%に上り、いずれも過去最高になったそうだ。前回の2005年調査と比べると、「交際相手がいない」割合は、男性では9.2%、女性で4.8%増加しているという。
このうち、25〜34歳の男女について、結婚しない理由として「結婚資金が足りない」と答えた人の割合は前回の調査と比較すると、男性が8ポイント増の30.3%、女性は3.5ポイント増の16.5%であったそうだ。
経済が不安定となり、いつリストラされるか分からない近年は、女性が男性を結婚相手に求める条件も、バブル期の「三高」から少し変化して、「低姿勢、低リスク、低依存」という「三低」また、「平均的な年収」「平凡な外見」「平穏な性格」の「三平」(※15参照)が選ぶ条件になっているという。
そのような状況の中、婚活支援サービスを展開する株式会社パートナーエージェント(本社:東京)が2012(平成24 )年11月に、20〜50代の未・既婚男性1,000名に向け、理想のパートナー像と、パートナーとの理想の関係に関するアンケートを行い、調査した結果を発表しているが、結果は、未婚男性の理想的な女性像は「三等」、仕事・家事の機会は【平等】 、年収は【対等】、 身長・年齢は【同等】 を望んでいるらしい(※16参照)。
つまり、未婚男性は「共働きで家事分担」を指向。昔は「一家の大黒柱は男」という意識が強かったが、最近では男女で平等に働いて、平等に家事を分担しておこうという意識が、若年層ほど広まっているようだ。
一方で、既婚男性の中には「パートナーには家事や育児などを担当してほしい」と考える人が目立っている。未婚男性で役割分担を求めるのは10.4%しかいなかったが、既婚男性では約3倍の29.6%。また年収700万円台では32.7%、年収800万円以上では35.9%が“男は仕事、女は家庭”を理想としているようだ。
この様なデータは、結局のところ、女性にしても、男性にしても、自分が思っている、本当のいい男、いい女というより、現実の状況を見定めたうえで、妥協の産物としての願望であろう。アベノミクスで浮ついていても、それがいつ崩壊するかもしれない昨今、就職氷河期世代を含む男性には、このくらい堅実なスタンスが必要なのかもしれない。
このような現代社会で、結婚するしないは、別として、今の男性目線から見たいい女とはいったいどんな女だろうか?
ネットで検索していると、オリコン(Oricon Inc.)が運営するポータルサイト・ORICON STYLE調べによる、「男性が選ぶ恋人にしたい有名人」(20013年2月調べ)ランキングがあった、それを見ると以下のようになっている。()内は2011年調べのものである。
1位新垣結衣(2位)、
2位綾瀬はるか(1位)、
3位上戸 彩(5位)、
4位、堀北真希(16位)、
5位、宮崎あおい(4位)以下略。
常に上位にランキングしていた新垣結衣は、2009年より出演しさまざまなパターンの笑顔を提供している「十六茶」(アサヒ飲料)のCMの存在が大きいようだ。
CMギャラリー|十六茶|アサヒ飲料
新垣結衣同様上位ランキングの常連綾瀬はるかも明るくて、天然で可愛いと評判が良い。昨年電撃結婚をした上戸 彩も同様だ。映画「天地名察」など話題作への出演が絶えない宮崎あおいなど常連が強い。
常蓮たちが強さを見せつけている中で、急上昇を果たした新進気鋭の存在も見られる。昨年16位→今年4位へ躍進の堀北真希は昨年のNHK朝ドラ「梅ちゃん先生」での好演がよかった。同じく10位圏外から6位へ初登場の女優 剛力彩芽は、元気が溢れる感じのあの笑顔が好きと評判。もう1人「顔が小さくてかわいい、オシャレでスタイルが良いと評判の現役モデルでスタイル抜群の本田翼も人気で8位に入っている。(詳細は、参考の※17照)。
容姿はもちろんだが、絶対的な透明感、守ってあげたくなるような天然タイプなど多様な”美しさ”を放つランキング上位の女優達。共通するのはやはり、外見だけではなく、内側から女性らしさを放つ面々が支持されたようだ。ここ数年男性から女性に求めるものが”自立した女性”から”癒し”へと変化してきていたが、引き続きその傾向は続きそうだと分析されている。なんといっても、笑顔が魅力的。「美人じゃなくても笑顔が可愛い子」が一番の様だ。
先にも書いたが、「いい女」の条件は“外見”だけではなく、“内面”的なものや、“女らしさ”も合わせた総合的なものだ。男の私が、「いい女」はああだこうだと書くと怒られそうなので、今、どんな女が良いとされているのかは、参考※18、※19、※20などを見られるとよいだろう。
しかし、私たちの時代には「いい男」「いい女」の条件は、まず、「男なら男らしい」、「女なら女らしい」ことが前提にあったのだが、文部科学省の外郭団体である財団法人「一ツ橋文芸教育振興会」と「日本青少年研究所」は、2003(平成15)年秋に日本・米国・韓国・中華人民共和国の高校生各千人を対象にアンケート調査を行い、翌2004(平成15)年2月にその結果を発表した。この結果にもとづき、読売新聞は、日本では「女は女らしくすべきだ」を肯定した生徒が28.4%であり、他国(米58.0%、中71.6%、韓47.7%)よりも「突出して低い」と報じた。また、「男は男らしく」を肯定した人も43.4%と、4カ国で唯一半数以下であると指摘していた(現代の若者の意識調査また、参考の※21参照)。
今、ジェンダー・フリーが政治問題になっている。ジェンダー・フリーは女らしさや男らしさを否定するものだという批判がある一方、そのように批判する人は、何が男らしさで、何が女らしさなのかを、はっきりさせてもらいたい・・との反論もある。また、同じジェンダー・フリー批判論者でも、考え方は人によって様々のようだ。
私はこのような難しい問題を論じるだけの知識もないし、その気もない。
劇作家で、小説家・評論家・演出家でもある岸田國士(1890年 - 1954年)の随筆に『「女らしさ」について』と題して書いたものがある、以下参考※2青空文庫より一部を抜粋する(詳細はここ参照)。
「私はかういふ問題について特に興味をもつてゐるわけではないが、今時かういふ問題が婦人公論のやうな雑誌でとりあげられるといふ事実に多少時代的な意義を見出すのである。
大体「女」といふ言葉は、古来、複雑微妙な語感をもち、時と場合で、その響き方がいろいろに変るのであるが、この「女らしさ」にしても、なにかさういふ捕捉しがたい模糊とした感覚のなかにその正体をつきとめなければならぬ厄介さがある。
、すべての女は、何等かの意味で女らしいといふよりほか、私には理窟のつけやうがない。たゞ、普通の標準に従へば、常に、時代と民族、階級或は職業などに通ずる女の典型なるものが考へられる。ある特定の生活と文化とが、特定の理想的「女らしさ」を作りだすのである。
時によると、男の眼が「女らしさ」を発見し、それに価値を与へることもあるが、女も亦、同性のうちの「女らしさ」を鋭く感じ取るものである。従つて、好悪の別はあつても、それが「女らしい」といふ一点で、それを見るものの眼に、さう著しい違ひはないと思はれる。(中簡略)」そして最後に、
「賢明な本誌の読者諸嬢は、もうとつくにご承知の筈だが、美しい恋愛も幸福な結婚も、男性の側から云へば、常に対手の女性の「清純なコケツトリイ」によつて導かれるものである。」(「婦人公論」昭和十四年二月)。・・とある。
女性を見る側が、男性か女性かといった性別によっても、どんな女性がいい女かは相当違ってくるだろう。それに、「いい女」の条件は、顔やスタイルなど外見の容姿だけに限られたことではなく、社会的常識や自分自身の信念、喜怒哀楽等「内面」的なものなど諸々の要素が加わっているので、それがどんなものかは一概には決められないだろう。しかし、地球上に男と女の2つの性別しかないとすれば、それが良いとか悪いとかは別にしても、恋愛や、結婚を望む男が好む「いい女」と女が望む「いい男」は双方が互いに歩み寄り、納得し、認め合わない限り、結局は、恋愛も幸福な結婚もなかなか成立はしない・・ということではないかと思うのだが・・・。。
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