日本ではあまりよく知られてはいないが、今日、3月17日はアイルランドの伝説の守護聖人『聖パトリックの祝日』(英: St Patrick's Day、セントパトリックス・デー)である。
このアイルランドにキリスト教を広めた司教(主教)パトリキウス(ラテン語: Patricius。387年? - 461年3月17日))の命日は西方教会で記念日とされている。現在のカトリック教会では任意の記念日であるが、アイルランド(アイルランド共和国)やアイルランド移民の多いアメリカ、オーストラリアでは、聖パトリックの日(St. Patrick's Day)として盛大に祝われている(教派についてはキリスト教参照)。
この日にはシャムロックを身(帽子や服)につけたり、ミサに行ったりする。
アイルランドでは何世紀も前からこの日を祝う伝統が受け継がれてきたが、正式に1903年より祝日となり、イギリスから独立後徐々に祭礼日として成長したようだ。1996年には政府が主体となって首都ダブリンで5日間の盛大なフェスティバルとなりパレードやその他の行事が行われるようになったという。
現在見られるようなパトリックスデイの巨大パレードが始められたのは実はアイルランドではなく、アイルランド系移民の多いアメリカ合衆国の ニューヨーク、ボストンやシカゴなどだそうで、アメリカでは世俗化し、カトリック信徒でないものでも緑の服を着るなどしてこの行事に参加する人も多く、ニューヨークのマンハッタンは世界で一番大きな聖パトリックの日のパレードが行われる場所となっている(※1参照)ようで、緑色の物を身につけて祝う日なので、「緑の日」とも呼ばれているそうだ。
日本でも「アイルランドを一般の人にもっと知ってもらおう!」を主旨に、アイリッシュ・ネットワーク・ジャパン(※2参照)により1992年からセント・パトリックス・デイ・パレードが、シンボルカラーのグリーンやシンボルの三つ葉のクローバーデザインの衣装、小物を身につけたりして各地でパレードなどが開催されているようだ。
アイルランドで「聖パトリックの日」に、胸などに飾るシャムロック(Shamrock)は、アイルランド政府により世界知的所有権機関(World Intellectual Property Organisation)にアイルランドの国花として登録され、アイルランドのスポーツチーム、政府機関や会社のロゴとして頻繁に用いられることが多く、アイルランドのフラッグ・キャリアであるエアリンガスも、尾翼章にシャムロックを図案化している。以下がその画像である。
これは、聖パトリックがアイルランドでキリスト教を広める際に、キリスト教の三位一体(Trinity=tri[3つ] + unity[単一性])の教義(アタナシオス信条参照)をシャムロックを用いて説いたという言い伝えがあり、シャムロックそのものが聖パトリックやキリスト教の象徴ともなっていることからだという。
シャムロック(Shamrock)は、アイルランド語でクローバーの意味の“seamair”または、若い牧草を意味する“seamróg”を、似た発音で読めるように英語で綴った語であり、マメ科のクローバー(シロツメクサ、コメツブツメクサなど)、ウマゴヤシ、カタバミ科のミヤマカタバミなど、葉が3枚に分かれている草の総称であり、アイルランド国花としてのシャムロックは、その形状からの指定で特に種を定めていないようだが、形状から見て、シロツメクサのようだ。
この三つ葉のクローバー「シャムロック」の文様は、古くは、紀元前2500年から紀元前1800年にかけ繁栄し、最大で4万人近くが居住していたと推測されるインダス文明最大級の都市遺跡モヘンジョ=ダロ(パキスタン南部)から発掘された神官王と呼ばれる彫像の衣服(以下の画像参照)にも見る事ができる。この像は、東京都美術館他で開催されていた「世界四大文明 インダス文明展」でも展示されていた(※3参照)。
●画像は「神官王」と呼ばれる胸像、ソープストーン(en)製の複製と思われる。Wikipediaより。
又、シャムロック(Shamrock)という名前は、イスラム教以前の古代アラブの三日月の女神の象徴という意味のアラビア語「Shamrakh」に由来しているとも云われているそうだ(※4参照)。
そういえば、三日月と星はイスラム教の象徴であり、多くのイスラム教国の国旗に使われている。
上掲の画像は、アラブ世界の一員でもあるチュニジアの国旗であるが、中央の三日月と星は古くからのイスラム教の象徴であり、幸運のシンボルでもあった。赤い色はオスマン帝国時代の反抗勢力の名残であり、三日月は古代都市国家カルタゴを建設した、フェニキア人の美の女神タニスを象徴したものとも言われている。
同国の国名は観光地としても有名な首都チュニスに由来し、この名は紀元前4世紀にこの地に存在した古代都市トゥネス(Thunes。チェニェス) から転化した名前であり、この名はビーナスと同格のフェニキア人の美の女神(トゥネス)を語源としているとも言われ、女神(トゥネス)はかつて国家の守護神であったという(国旗については※5参照)。
現在地理的なアイルランド島は、26の県から成る独立主権国家であるアイルランド(共和国)と、島の東北部に位置する北アイルランドの6つの県から構成されている。
アイルランド共和国は1998年の聖金曜日協定( ベルファスト合意>以前は全島(32県)の領有権を主張していたが、現在は、北アイルランドは、同聖金曜日協定の取り決めに従って設立された連立型の行政府と議会によってイギリス統治下にとどまっており、北アイルランド問題は今なお未解決となっている(アイルランドの歴史は複雑であり詳しくはアイルランドの歴史及び※6、※7など参照)。
アイルランド島の大半を占める島国アイルランドは、牧草が茂り「緑の島」とも呼ばれている。2005年の英「エコノミスト」誌の調査では最も住みやすい国に選出されているそうだ。
独立主権国家としての現在のアイルランド(共和国)の国旗は緑、白、橙の三色から成る。1922年にアイルランド自由国の国旗として採用され、1937年に新憲法を施行してエール共和国(自国ではアイルランド語でエール「Eire」と称する。)と改称した際に、憲法で国旗として定められた。尚憲法で英語読みではアイルランド「Ireland」と定められており、この「Ireland」はアイルランド語の「Eire」とゲルマン語の「Land」をあわせたものだという。
「国」を表わす三色旗は1848年に最初に使用された。フランス革命の影響から考案されたという。1916年のイースター蜂起の際に中央郵便局に掲げられ、三色旗が国旗として認識されるようになった。
緑はカソリック教徒や先住民族ケルトなどの伝統要素を、オレンジはオレンジ(オラニエ)公ウィリアム(ウィリアム3世)の支持者、プロテスタントとアングロサクソン系などの新興要素を、白はその両者の融和・平和と友愛を表すという。
アイルランドの国の名前「Eire」(エール)の「Eire」の語源については諸説さまざまで、あまりよくわかっていないようだが、アイルランド(語)文学には「Eire」の古い形である「Eriu」が頻繁に用いられており、「Eriu(エリウ)」はケルト神話(アイルランド神話)に登場するトゥアハ・ディ・ダナーン(ダーナ神族)の戦いと豊穣の女神。古代のアイルランドを統治していた、土地の主権者たる三人の女神の長姉である。
バンバ(Banba)と、フォドラ(Fodla)三相一体の女神(三相女神)のひとりで、三人の女神はマイリージャ族がアイルランド島に侵略してきたとき、それを阻止するために勇敢に戦った。その戦いに敬意を表わし、エリウの名がアイルランドの古い名前エールEireとなったともいわれている。
エリウは、フォモール族の王・マクグレーネ(ダクダの孫。太陽の子の意味がある)の妻。トゥアハ・ディ・ダナーンの王ブレスの母である。バンバとフォドラも詩や物語の中でアイルランドの古称として登場するようだ。
人間を寄せ付けない極限的な風景と、人々の心を癒す牧歌的な風景が共存する不思議な国アイルランド。ヨーロッパの最果てにあるこの島国には、今も神秘的なケルト文明の遺跡が残り、独自の美の世界がみられる。
アイルランド島に初めて人類が居住したのは、紀元前7500年ごろ旧石器時代であるとされる。紀元後600年ごろにキリスト教布教がおこなわれ、それまで信仰されていた多神教が駆逐された。
キリスト教布教以前のアイルランド人に関する記述はわずかしか残されておらず、古代ローマの記述家によるアイルランドの詩、神話などが残されているだけだという。
ケルト人はゲルマン民族やラテン民族よりはるか以前、ほぼヨーロッパ全域に居住していた古代民族であり、その起源は非常に古く、紀元前(BC)2千年には、いわゆる“ケルト世界”が形成されつつあったといわれる。
紀元前(B.C.)8世紀頃、大いに栄え、その勢力を各地に広げていったが拡大する古代ローマ帝国や中央ヨーロッパのゲルマン民族に追われるように大陸の西へ西へと移動し、BC3世紀ごろから数回に渡ってアイルランド島へやってきた。
入植したケルト人は紀元前3世紀頃に鉄器文化をアイルランドにもたらし、400年ごろまでに先住民を支配統合してケルト社会を形成。ローマ帝国の侵略を免れたアイルランド島は、このケルト民族がもたらした言語や文化が島全体に受け継がれ、ヨーロッパでもルーツを異とするケルト文化の国となり、今日でもアイルランドのアイデンティティーとして息づいている。
しかし、アイルランド島におけるケルト系民族をアイルランド人と呼ぶが、紀元前に大陸から渡来したケルト系民族だけでなく、ケルト渡来前の有史以前から居住して石器時代・青銅器時代・鉄器時代を歩んだ民族もいた。ただ、その後、衰退したケルト文明は神秘と謎に包まれたまま、多くの伝説や神話をこの国に残しているが、他の鉄器時代のヨーロッパの民族と同じく、初期のケルト人は多神教の神話・宗教構造を持っていた。
ただ、アイルランドのケルト人にまつわる神話『ケルト神話』は他の神話と比べて創生神話がないのが特徴で、登場する神族も実在した民族とその歴史を元にしているため人間臭さが前面に出ているという。そして、ケルト神話はダヌ(ダーナ)とその敵フォモール族(Formorians/Fomors)とを描いたものが中心となっているが、ダーナ神族が妖精ディーナ・シー(※8:「ファンタジィ事典」ディーナ・シー参照)となった以降の人間の世の話であり、アルスター伝説、フィアナ伝説(フィアナ騎士団)、マビノギ(物語集)なども含めてケルト神話と称されることもあるという(※9参照)。
先に紹介した神の一族トゥアハ・ディ・ダナーンはケルト神話ではアイルランドに上陸した4番目の種族で、女神ダヌ(ダーナ)を母神とする神族とされている。
アイルランドには旧約聖書の『創世記』(6章-9章)に登場する、大洪水(ノアの方舟参照)以後に太古からフォモール族と呼ばれる先住民族がいた。
その後紀元前(BC)2700年ころ、アイルランド島にわたってきた最初の侵略者はパーソラン族であったが、彼らはフォモール族によって放たれた疫病の前に全滅したが、アイルランドに農業と手工業をもたらした。
パーソラン族に続いて2番目にやってきたのは、紀元前(BC)2300年ころ、スペインかあるいはスキタイからアイルランド島にやってきたネミドをリーダーとするネミディア族であった。ネミディア族もパーソラン族と同じく疫病によってほろび、生き残ったわずかのネミディア族は2つのグループに別れ、一つは北の地方へ、もう一つは西の地方へ逃れて行った。
第3番目には、西の地方へ逃れたネミディア族がフィル・ボルグ族として紀元前1930年ころ再びアイルランド島へもどってきた。彼らは、フォモール族とは争わずに共存する道を選んだ。
そして、第4番目にやってきたのが、ダーナ神族であった。
フォモール族に追い出され北の地方に逃れたネミディア族は、女神ダヌを母神とする神々の一族トゥアハ・ディ・ダナーンとなり、巨人で魔法を身につけ、紀元前1900年ころ霧の中に姿を隠しアイルランド島にやってきた。彼等は高い文化、文明、すぐれた技能や芸術をもち、フィル・ボルグ族は彼らを巨人の魔術師と呼んたという。彼等はフィル・ボルグ族の土地をつぎつぎ侵略し、人々を支配下に治めていった。
その後も2種の激しい戦いがあったが、戦いの最後にはタラのドルイドの王フィゴル・マクマモスは巧妙な魔法を使い、ついにフォモール族を倒した。
敗北したフォモール族は「喜びの島」と呼ばれる海底の死者の国マグ・メル(Mag Mell)に移住し、こうしてアイルランドは完全にダーナ神族のものとなった。
ダーナ神族はアイルランド上陸時、北方四島の四都市、ファリアス(Falias)、フィンジアス(Findias)、ゴリアス(Gorias)、ムリアス(Murias)より四種の神器、またはThe Hallows of Irelandを持ち込んだ。 これは、リア・ファル(運命の石)、ブリューナク(「貫くもの」の意味で灼熱の槍とも呼ばれる)、クラウ・ソラス(光の剣)、ダグザの大釜の事であるとされるそうだ。
トゥアハ・ディ・ダナーンは紀元前1700年ころ、5番目の侵略者であるミルが率いるマイリージャ族(ミレー族ともいう)との戦いで三女神が活躍、エリウの強力な魔力で敵の前進を食い止めたのだが、最後は、マイリージャ族の大軍を前にティルタウンの戦いにおいてついに敗れアイルランド島はマイリージャ族の手にわたることとなった。
そしてミルの息子エリモンはアイルランドで最初の人間の王となリ、現在のアイルランド人の祖先となった。この時、その土地を三女神との約束で彼女らの一人にちなんで名付けると約束していたこたことからエリウと名付けたという。
トゥアハ・ディ・ダナーンはマイリージャ族にアイルランド島を奪われるが、約200年の間アイルランド島を支配し、島に数多くの痕跡、今日も謎とされる巨石群や古墳を各地に建てた。
その代表的なものは、ミーズ州にあるパッセージグレーブ(羨道墳)と呼ばれるニューグレンジである。その入り口にある巨大な石の平板に描かれている渦巻き模様(以下画像参照)はニューグレンジ特有のもので、通路や石室内にもある。
上掲の画像はニューグレンジ入り口前にあった彫刻を施された巨石である。入り口の上には日の出の際の太陽光がすぐ上の開口部から射し込むようにしたルーフボックスがある。ニューグレンジは墓だとする説が優勢であるが、太陽が信仰の中で重要な一部となっていたとも言われている。
このニューグレンジ入口に見られる巨大な石の平板に描かれている渦巻き模様はマン島、シチリア、北ウェールズのアングルシー島の羨道墳などに見られる三脚巴にも似ている。ニューグレンジには他の縁石にも同様の彫刻が見られる(特に52番と67番)という。
この3つの渦巻や、三脚巴の裏に横たわる観念は、三つの渦巻きを結合させたケルトシンボルと似通った「三つの意味」という意味を持つっているのだろう。
上掲の画像はケルトの渦巻き型三脚巴。Wikipediaより。
この様な三脚巴は多くの国で使用されているがどんなものがあるかはここ→各地の三脚巴を見られるとよい。
以下参考に記載の※10、「ケルトデザインの持つ意味」には、ニューグレンジなど巨石時代、新石器時代のアイルランド遺跡にも多く見られるケルトの渦巻き型三脚巴(トリプル・スパイラル=トリスケル)は、非常に古くから存在するシンボルで、古代ケルトのドルイド教的世界観では、3つの女神(女神の3要素)であるところの、『少女(処女)』『母』『老婆』を意味している。
紀元前の古代ケルトの時代にも頻繁に使われていたが、復活を暗示させるスパイラル模様と三位一体の概念が融合した神聖な形として、その後ケルト系キリスト教の写本の中にも同じデザインが描かれるようになったという。聖なる数字3と、回転・復活するエネルギーの融合したこの形は、神聖ながら野性的躍動感を秘めている。又、それぞれのスパイラルが、満ちて行く月、欠けて行く月、そして満月の3つを象徴し、月の力と繋がる形としても捉えられており、非常に神秘性の強い形である。・・・と書かれている。
この概念は、先に掲示したモヘンジョ=ダロから発掘された神官王と呼ばれる彫像の衣服描かれた三つ葉のクローバーの模様にも共通しているものと考える。
また先のトゥアハ・ディ・ダナーンがアイルランド島を支配していた頃、タラの丘(Hill of Tara)にリア・ファイル(運命の石)と呼ばれる石柱をたて、アイルランドの上王たちはその上に立ち王位を授けられたと言われている。
上掲の画像はアイルランドのミース州ナヴァンの12km南方にある丘陵「タラの丘」。Wikipediaより。
タラの丘は、カウンティ・ミース(Co.Meath=ミース州)のナヴァン(Navan)の12km南方にある丘。ケルト族がアイルランドに渡来後、ケルトの王が君臨していた古代アイルランドの首都で、聖パトリックがシャムロックを用いて三位一体を説いたのも、この地とされている。
アイルランド島の4分の3が、この丘から見渡せると言われている。現在はアイルランドの経済成長を反映して首都ダブリンのベッドタウンとして発展しているようだ。
参考※7:「エールスクエア」によれば、ケルト人は家父長制大家族を単位とした大氏族からなるトゥーハ(小王国)を各地に作り、6世紀ごろにはおよそ150のトゥーハが存在した。小国の王はトゥーハを統治し、やがて一群のトゥーハを統治するさらに力のある王に支配されていった。さらに有力な小王国に支配、統合されて次第に部族国家へと変貌していった。
ケルト人のアイルランドは単純な農業経済で、金銭を用いずに牛を交換の単位としていた。人々は個々の農地に住み、町は存在しなかった。政治的単位としての小王国(トウーハ)のほかに社会の基本単位としての家族共同体(フィネ)があった。
ケルト人が信仰していたドルイド教の僧侶ドルイドは国全体を律する唯一の法典ブレホン法を制定し、人々はそのブレホン法の親族や法的権利についての詳細なおきてによって統制されていた。ケルト人のアイルランドは政治的には統一されていなかったが、ドルイド教は文化的統一をもたらし、同一民族意識をはぐくんだ。・・・という。
【Druid】(ドルイド)は神官や、僧侶のことで、ケルト社会の知的エリート層(主導的な階級)というべき存在で、ケルト人に多大な影響力と絶対的な権力を持ち、ケルト民族全体の支配者として、神々の祭祀を司るだけでなく、数学、天文、詩文に通じ、部族間の調停や裁判を行なった。また特権身分で、ケルト人の文化的伝統の体現者として政治、社会を指導していた。・・・という。ドルイドを要請する教育期間のようなものがあり、ドルイドになるための修行とは教義の暗唱が必要。宗教儀式や予言、占いでは生け贄などもあった。・・・そうだ。
このケルト社会のキリスト教化につとめたのが、432年に渡来したと伝えられる聖パトリックであった。聖パトリック以前に、すでにローマから派遣された宣教師がアイルランド島で布教を行なっていたが、教会制度を確立し、司教を叙任したのは聖パトリックが最初であったようだ。
アイルランドの首長はドルイドに基づく独自の宗教を行っていたために聖パトリックの布教に嫌悪感を示していたが、聖パトリックはアイルランド人の伝統と宗教を理解しつつ、キリスト教との融合をはかりながら布教を行い、このときパトリックは、三つ葉のシャムロックを使い、「シャムロックが三つ葉になっているのは、父なる神・子なるキリスト・聖霊が1つとなっている"三位一体"を表している」と教えたのである。
また、ケルト教会のシンボルとなっているケルティック・クロス(ケルト十字架)は、アイルランドでは、聖パトリックが異教のアイルランド人を改宗させる際にこのケルト十字を創った、という伝説が広く信じられているそうだ。※10、「ケルトデザインの持つ意味」によると、このクロスはキリスト教的な十字の意味に加え、十字の横線は地上世界への導線、縦線は霊性的世界への導線、円形は ”永遠” の神の愛や、尽きる事ない力を示していると言われている。
それ以前から、アイルランド、スコットランド及びその他のケルト系の島に、この形の石碑が多く建てられ、信仰のシンボルとなっていた。ケルトは元々、自然・精霊信仰に基づいた、ドルイド教と呼ばれるアニミズムの様な独自の世界観を持っていたので、それと見事に融合したようだ。・・・とある。
これらは、渦巻きや円で構成された異教時代の古いシンボルが、新しい意味を付与されて現れたものであり、このようなケルト的なキリスト教で、ケルトの宗教や民族性と融合する形で広まったことから、アイルランドでは一人の殉教者も出さずに改宗がすすめられたのが特徴のひとつだという。
参考:
※1:緑一色に包まれた一日 セントパトリックスデーパレード
http://koedasmile.exblog.jp/12340386/
※2:アイリッシュ・ネットワーク・ジャパン(INJ)
http://www.inj.or.jp/
※3:世界四大文明 インダス文明展
http://www.juqcho.jp/appreciation/2000/20001015-1.html
※4:四葉のクローバーの歴史
http://fhp.from.jp/sweet-clovers/?p=0102&n=
※5:国旗の由来・歴史の資料室
http://tospa-flags.com/index.html
※6駐日アイルランド大使館
http://www.irishembassy.jp/home/index.aspx?id=33616
※7:エールスクエア
http://www.globe.co.jp/homepage.html
※8:ファンタジィ事典
http://fantasy.kakurezato.com/info/index.html
※9:ケルト神話
http://tinyangel.jog.client.jp/Faith/CelticMythology.html
※10、ケルトデザインの持つ意味
http://high-land.org/celticdesign.html
世界史の目::翠玉(すいぎょく)の聖島・その1〜ある伝道師の布教〜
http://www.kobemantoman.jp/sub/177.html
シャムロックと四つ葉のクローバー
http://www.avis.ne.jp/~zuzu/culture/art/craft/amulet/4shamrock.html
駐日アイルランド大使館
http://www.irishembassy.jp/home/index.aspx?id=33616
統合版(口語訳+文語訳) 聖書
http://bible.salterrae.net/
Botanical Garden(植物園)
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/Katabami.html
聖パトリックの祝日 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E7%A5%9D%E6%97%A5
南アジアへの招待
http://southasia.world.coocan.jp/
このアイルランドにキリスト教を広めた司教(主教)パトリキウス(ラテン語: Patricius。387年? - 461年3月17日))の命日は西方教会で記念日とされている。現在のカトリック教会では任意の記念日であるが、アイルランド(アイルランド共和国)やアイルランド移民の多いアメリカ、オーストラリアでは、聖パトリックの日(St. Patrick's Day)として盛大に祝われている(教派についてはキリスト教参照)。
この日にはシャムロックを身(帽子や服)につけたり、ミサに行ったりする。
アイルランドでは何世紀も前からこの日を祝う伝統が受け継がれてきたが、正式に1903年より祝日となり、イギリスから独立後徐々に祭礼日として成長したようだ。1996年には政府が主体となって首都ダブリンで5日間の盛大なフェスティバルとなりパレードやその他の行事が行われるようになったという。
現在見られるようなパトリックスデイの巨大パレードが始められたのは実はアイルランドではなく、アイルランド系移民の多いアメリカ合衆国の ニューヨーク、ボストンやシカゴなどだそうで、アメリカでは世俗化し、カトリック信徒でないものでも緑の服を着るなどしてこの行事に参加する人も多く、ニューヨークのマンハッタンは世界で一番大きな聖パトリックの日のパレードが行われる場所となっている(※1参照)ようで、緑色の物を身につけて祝う日なので、「緑の日」とも呼ばれているそうだ。
日本でも「アイルランドを一般の人にもっと知ってもらおう!」を主旨に、アイリッシュ・ネットワーク・ジャパン(※2参照)により1992年からセント・パトリックス・デイ・パレードが、シンボルカラーのグリーンやシンボルの三つ葉のクローバーデザインの衣装、小物を身につけたりして各地でパレードなどが開催されているようだ。
アイルランドで「聖パトリックの日」に、胸などに飾るシャムロック(Shamrock)は、アイルランド政府により世界知的所有権機関(World Intellectual Property Organisation)にアイルランドの国花として登録され、アイルランドのスポーツチーム、政府機関や会社のロゴとして頻繁に用いられることが多く、アイルランドのフラッグ・キャリアであるエアリンガスも、尾翼章にシャムロックを図案化している。以下がその画像である。
これは、聖パトリックがアイルランドでキリスト教を広める際に、キリスト教の三位一体(Trinity=tri[3つ] + unity[単一性])の教義(アタナシオス信条参照)をシャムロックを用いて説いたという言い伝えがあり、シャムロックそのものが聖パトリックやキリスト教の象徴ともなっていることからだという。
シャムロック(Shamrock)は、アイルランド語でクローバーの意味の“seamair”または、若い牧草を意味する“seamróg”を、似た発音で読めるように英語で綴った語であり、マメ科のクローバー(シロツメクサ、コメツブツメクサなど)、ウマゴヤシ、カタバミ科のミヤマカタバミなど、葉が3枚に分かれている草の総称であり、アイルランド国花としてのシャムロックは、その形状からの指定で特に種を定めていないようだが、形状から見て、シロツメクサのようだ。
この三つ葉のクローバー「シャムロック」の文様は、古くは、紀元前2500年から紀元前1800年にかけ繁栄し、最大で4万人近くが居住していたと推測されるインダス文明最大級の都市遺跡モヘンジョ=ダロ(パキスタン南部)から発掘された神官王と呼ばれる彫像の衣服(以下の画像参照)にも見る事ができる。この像は、東京都美術館他で開催されていた「世界四大文明 インダス文明展」でも展示されていた(※3参照)。
●画像は「神官王」と呼ばれる胸像、ソープストーン(en)製の複製と思われる。Wikipediaより。
又、シャムロック(Shamrock)という名前は、イスラム教以前の古代アラブの三日月の女神の象徴という意味のアラビア語「Shamrakh」に由来しているとも云われているそうだ(※4参照)。
そういえば、三日月と星はイスラム教の象徴であり、多くのイスラム教国の国旗に使われている。
上掲の画像は、アラブ世界の一員でもあるチュニジアの国旗であるが、中央の三日月と星は古くからのイスラム教の象徴であり、幸運のシンボルでもあった。赤い色はオスマン帝国時代の反抗勢力の名残であり、三日月は古代都市国家カルタゴを建設した、フェニキア人の美の女神タニスを象徴したものとも言われている。
同国の国名は観光地としても有名な首都チュニスに由来し、この名は紀元前4世紀にこの地に存在した古代都市トゥネス(Thunes。チェニェス) から転化した名前であり、この名はビーナスと同格のフェニキア人の美の女神(トゥネス)を語源としているとも言われ、女神(トゥネス)はかつて国家の守護神であったという(国旗については※5参照)。
現在地理的なアイルランド島は、26の県から成る独立主権国家であるアイルランド(共和国)と、島の東北部に位置する北アイルランドの6つの県から構成されている。
アイルランド共和国は1998年の聖金曜日協定( ベルファスト合意>以前は全島(32県)の領有権を主張していたが、現在は、北アイルランドは、同聖金曜日協定の取り決めに従って設立された連立型の行政府と議会によってイギリス統治下にとどまっており、北アイルランド問題は今なお未解決となっている(アイルランドの歴史は複雑であり詳しくはアイルランドの歴史及び※6、※7など参照)。
アイルランド島の大半を占める島国アイルランドは、牧草が茂り「緑の島」とも呼ばれている。2005年の英「エコノミスト」誌の調査では最も住みやすい国に選出されているそうだ。
独立主権国家としての現在のアイルランド(共和国)の国旗は緑、白、橙の三色から成る。1922年にアイルランド自由国の国旗として採用され、1937年に新憲法を施行してエール共和国(自国ではアイルランド語でエール「Eire」と称する。)と改称した際に、憲法で国旗として定められた。尚憲法で英語読みではアイルランド「Ireland」と定められており、この「Ireland」はアイルランド語の「Eire」とゲルマン語の「Land」をあわせたものだという。
「国」を表わす三色旗は1848年に最初に使用された。フランス革命の影響から考案されたという。1916年のイースター蜂起の際に中央郵便局に掲げられ、三色旗が国旗として認識されるようになった。
緑はカソリック教徒や先住民族ケルトなどの伝統要素を、オレンジはオレンジ(オラニエ)公ウィリアム(ウィリアム3世)の支持者、プロテスタントとアングロサクソン系などの新興要素を、白はその両者の融和・平和と友愛を表すという。
アイルランドの国の名前「Eire」(エール)の「Eire」の語源については諸説さまざまで、あまりよくわかっていないようだが、アイルランド(語)文学には「Eire」の古い形である「Eriu」が頻繁に用いられており、「Eriu(エリウ)」はケルト神話(アイルランド神話)に登場するトゥアハ・ディ・ダナーン(ダーナ神族)の戦いと豊穣の女神。古代のアイルランドを統治していた、土地の主権者たる三人の女神の長姉である。
バンバ(Banba)と、フォドラ(Fodla)三相一体の女神(三相女神)のひとりで、三人の女神はマイリージャ族がアイルランド島に侵略してきたとき、それを阻止するために勇敢に戦った。その戦いに敬意を表わし、エリウの名がアイルランドの古い名前エールEireとなったともいわれている。
エリウは、フォモール族の王・マクグレーネ(ダクダの孫。太陽の子の意味がある)の妻。トゥアハ・ディ・ダナーンの王ブレスの母である。バンバとフォドラも詩や物語の中でアイルランドの古称として登場するようだ。
人間を寄せ付けない極限的な風景と、人々の心を癒す牧歌的な風景が共存する不思議な国アイルランド。ヨーロッパの最果てにあるこの島国には、今も神秘的なケルト文明の遺跡が残り、独自の美の世界がみられる。
アイルランド島に初めて人類が居住したのは、紀元前7500年ごろ旧石器時代であるとされる。紀元後600年ごろにキリスト教布教がおこなわれ、それまで信仰されていた多神教が駆逐された。
キリスト教布教以前のアイルランド人に関する記述はわずかしか残されておらず、古代ローマの記述家によるアイルランドの詩、神話などが残されているだけだという。
ケルト人はゲルマン民族やラテン民族よりはるか以前、ほぼヨーロッパ全域に居住していた古代民族であり、その起源は非常に古く、紀元前(BC)2千年には、いわゆる“ケルト世界”が形成されつつあったといわれる。
紀元前(B.C.)8世紀頃、大いに栄え、その勢力を各地に広げていったが拡大する古代ローマ帝国や中央ヨーロッパのゲルマン民族に追われるように大陸の西へ西へと移動し、BC3世紀ごろから数回に渡ってアイルランド島へやってきた。
入植したケルト人は紀元前3世紀頃に鉄器文化をアイルランドにもたらし、400年ごろまでに先住民を支配統合してケルト社会を形成。ローマ帝国の侵略を免れたアイルランド島は、このケルト民族がもたらした言語や文化が島全体に受け継がれ、ヨーロッパでもルーツを異とするケルト文化の国となり、今日でもアイルランドのアイデンティティーとして息づいている。
しかし、アイルランド島におけるケルト系民族をアイルランド人と呼ぶが、紀元前に大陸から渡来したケルト系民族だけでなく、ケルト渡来前の有史以前から居住して石器時代・青銅器時代・鉄器時代を歩んだ民族もいた。ただ、その後、衰退したケルト文明は神秘と謎に包まれたまま、多くの伝説や神話をこの国に残しているが、他の鉄器時代のヨーロッパの民族と同じく、初期のケルト人は多神教の神話・宗教構造を持っていた。
ただ、アイルランドのケルト人にまつわる神話『ケルト神話』は他の神話と比べて創生神話がないのが特徴で、登場する神族も実在した民族とその歴史を元にしているため人間臭さが前面に出ているという。そして、ケルト神話はダヌ(ダーナ)とその敵フォモール族(Formorians/Fomors)とを描いたものが中心となっているが、ダーナ神族が妖精ディーナ・シー(※8:「ファンタジィ事典」ディーナ・シー参照)となった以降の人間の世の話であり、アルスター伝説、フィアナ伝説(フィアナ騎士団)、マビノギ(物語集)なども含めてケルト神話と称されることもあるという(※9参照)。
先に紹介した神の一族トゥアハ・ディ・ダナーンはケルト神話ではアイルランドに上陸した4番目の種族で、女神ダヌ(ダーナ)を母神とする神族とされている。
アイルランドには旧約聖書の『創世記』(6章-9章)に登場する、大洪水(ノアの方舟参照)以後に太古からフォモール族と呼ばれる先住民族がいた。
その後紀元前(BC)2700年ころ、アイルランド島にわたってきた最初の侵略者はパーソラン族であったが、彼らはフォモール族によって放たれた疫病の前に全滅したが、アイルランドに農業と手工業をもたらした。
パーソラン族に続いて2番目にやってきたのは、紀元前(BC)2300年ころ、スペインかあるいはスキタイからアイルランド島にやってきたネミドをリーダーとするネミディア族であった。ネミディア族もパーソラン族と同じく疫病によってほろび、生き残ったわずかのネミディア族は2つのグループに別れ、一つは北の地方へ、もう一つは西の地方へ逃れて行った。
第3番目には、西の地方へ逃れたネミディア族がフィル・ボルグ族として紀元前1930年ころ再びアイルランド島へもどってきた。彼らは、フォモール族とは争わずに共存する道を選んだ。
そして、第4番目にやってきたのが、ダーナ神族であった。
フォモール族に追い出され北の地方に逃れたネミディア族は、女神ダヌを母神とする神々の一族トゥアハ・ディ・ダナーンとなり、巨人で魔法を身につけ、紀元前1900年ころ霧の中に姿を隠しアイルランド島にやってきた。彼等は高い文化、文明、すぐれた技能や芸術をもち、フィル・ボルグ族は彼らを巨人の魔術師と呼んたという。彼等はフィル・ボルグ族の土地をつぎつぎ侵略し、人々を支配下に治めていった。
その後も2種の激しい戦いがあったが、戦いの最後にはタラのドルイドの王フィゴル・マクマモスは巧妙な魔法を使い、ついにフォモール族を倒した。
敗北したフォモール族は「喜びの島」と呼ばれる海底の死者の国マグ・メル(Mag Mell)に移住し、こうしてアイルランドは完全にダーナ神族のものとなった。
ダーナ神族はアイルランド上陸時、北方四島の四都市、ファリアス(Falias)、フィンジアス(Findias)、ゴリアス(Gorias)、ムリアス(Murias)より四種の神器、またはThe Hallows of Irelandを持ち込んだ。 これは、リア・ファル(運命の石)、ブリューナク(「貫くもの」の意味で灼熱の槍とも呼ばれる)、クラウ・ソラス(光の剣)、ダグザの大釜の事であるとされるそうだ。
トゥアハ・ディ・ダナーンは紀元前1700年ころ、5番目の侵略者であるミルが率いるマイリージャ族(ミレー族ともいう)との戦いで三女神が活躍、エリウの強力な魔力で敵の前進を食い止めたのだが、最後は、マイリージャ族の大軍を前にティルタウンの戦いにおいてついに敗れアイルランド島はマイリージャ族の手にわたることとなった。
そしてミルの息子エリモンはアイルランドで最初の人間の王となリ、現在のアイルランド人の祖先となった。この時、その土地を三女神との約束で彼女らの一人にちなんで名付けると約束していたこたことからエリウと名付けたという。
トゥアハ・ディ・ダナーンはマイリージャ族にアイルランド島を奪われるが、約200年の間アイルランド島を支配し、島に数多くの痕跡、今日も謎とされる巨石群や古墳を各地に建てた。
その代表的なものは、ミーズ州にあるパッセージグレーブ(羨道墳)と呼ばれるニューグレンジである。その入り口にある巨大な石の平板に描かれている渦巻き模様(以下画像参照)はニューグレンジ特有のもので、通路や石室内にもある。
上掲の画像はニューグレンジ入り口前にあった彫刻を施された巨石である。入り口の上には日の出の際の太陽光がすぐ上の開口部から射し込むようにしたルーフボックスがある。ニューグレンジは墓だとする説が優勢であるが、太陽が信仰の中で重要な一部となっていたとも言われている。
このニューグレンジ入口に見られる巨大な石の平板に描かれている渦巻き模様はマン島、シチリア、北ウェールズのアングルシー島の羨道墳などに見られる三脚巴にも似ている。ニューグレンジには他の縁石にも同様の彫刻が見られる(特に52番と67番)という。
この3つの渦巻や、三脚巴の裏に横たわる観念は、三つの渦巻きを結合させたケルトシンボルと似通った「三つの意味」という意味を持つっているのだろう。
上掲の画像はケルトの渦巻き型三脚巴。Wikipediaより。
この様な三脚巴は多くの国で使用されているがどんなものがあるかはここ→各地の三脚巴を見られるとよい。
以下参考に記載の※10、「ケルトデザインの持つ意味」には、ニューグレンジなど巨石時代、新石器時代のアイルランド遺跡にも多く見られるケルトの渦巻き型三脚巴(トリプル・スパイラル=トリスケル)は、非常に古くから存在するシンボルで、古代ケルトのドルイド教的世界観では、3つの女神(女神の3要素)であるところの、『少女(処女)』『母』『老婆』を意味している。
紀元前の古代ケルトの時代にも頻繁に使われていたが、復活を暗示させるスパイラル模様と三位一体の概念が融合した神聖な形として、その後ケルト系キリスト教の写本の中にも同じデザインが描かれるようになったという。聖なる数字3と、回転・復活するエネルギーの融合したこの形は、神聖ながら野性的躍動感を秘めている。又、それぞれのスパイラルが、満ちて行く月、欠けて行く月、そして満月の3つを象徴し、月の力と繋がる形としても捉えられており、非常に神秘性の強い形である。・・・と書かれている。
この概念は、先に掲示したモヘンジョ=ダロから発掘された神官王と呼ばれる彫像の衣服描かれた三つ葉のクローバーの模様にも共通しているものと考える。
また先のトゥアハ・ディ・ダナーンがアイルランド島を支配していた頃、タラの丘(Hill of Tara)にリア・ファイル(運命の石)と呼ばれる石柱をたて、アイルランドの上王たちはその上に立ち王位を授けられたと言われている。
上掲の画像はアイルランドのミース州ナヴァンの12km南方にある丘陵「タラの丘」。Wikipediaより。
タラの丘は、カウンティ・ミース(Co.Meath=ミース州)のナヴァン(Navan)の12km南方にある丘。ケルト族がアイルランドに渡来後、ケルトの王が君臨していた古代アイルランドの首都で、聖パトリックがシャムロックを用いて三位一体を説いたのも、この地とされている。
アイルランド島の4分の3が、この丘から見渡せると言われている。現在はアイルランドの経済成長を反映して首都ダブリンのベッドタウンとして発展しているようだ。
参考※7:「エールスクエア」によれば、ケルト人は家父長制大家族を単位とした大氏族からなるトゥーハ(小王国)を各地に作り、6世紀ごろにはおよそ150のトゥーハが存在した。小国の王はトゥーハを統治し、やがて一群のトゥーハを統治するさらに力のある王に支配されていった。さらに有力な小王国に支配、統合されて次第に部族国家へと変貌していった。
ケルト人のアイルランドは単純な農業経済で、金銭を用いずに牛を交換の単位としていた。人々は個々の農地に住み、町は存在しなかった。政治的単位としての小王国(トウーハ)のほかに社会の基本単位としての家族共同体(フィネ)があった。
ケルト人が信仰していたドルイド教の僧侶ドルイドは国全体を律する唯一の法典ブレホン法を制定し、人々はそのブレホン法の親族や法的権利についての詳細なおきてによって統制されていた。ケルト人のアイルランドは政治的には統一されていなかったが、ドルイド教は文化的統一をもたらし、同一民族意識をはぐくんだ。・・・という。
【Druid】(ドルイド)は神官や、僧侶のことで、ケルト社会の知的エリート層(主導的な階級)というべき存在で、ケルト人に多大な影響力と絶対的な権力を持ち、ケルト民族全体の支配者として、神々の祭祀を司るだけでなく、数学、天文、詩文に通じ、部族間の調停や裁判を行なった。また特権身分で、ケルト人の文化的伝統の体現者として政治、社会を指導していた。・・・という。ドルイドを要請する教育期間のようなものがあり、ドルイドになるための修行とは教義の暗唱が必要。宗教儀式や予言、占いでは生け贄などもあった。・・・そうだ。
このケルト社会のキリスト教化につとめたのが、432年に渡来したと伝えられる聖パトリックであった。聖パトリック以前に、すでにローマから派遣された宣教師がアイルランド島で布教を行なっていたが、教会制度を確立し、司教を叙任したのは聖パトリックが最初であったようだ。
アイルランドの首長はドルイドに基づく独自の宗教を行っていたために聖パトリックの布教に嫌悪感を示していたが、聖パトリックはアイルランド人の伝統と宗教を理解しつつ、キリスト教との融合をはかりながら布教を行い、このときパトリックは、三つ葉のシャムロックを使い、「シャムロックが三つ葉になっているのは、父なる神・子なるキリスト・聖霊が1つとなっている"三位一体"を表している」と教えたのである。
また、ケルト教会のシンボルとなっているケルティック・クロス(ケルト十字架)は、アイルランドでは、聖パトリックが異教のアイルランド人を改宗させる際にこのケルト十字を創った、という伝説が広く信じられているそうだ。※10、「ケルトデザインの持つ意味」によると、このクロスはキリスト教的な十字の意味に加え、十字の横線は地上世界への導線、縦線は霊性的世界への導線、円形は ”永遠” の神の愛や、尽きる事ない力を示していると言われている。
それ以前から、アイルランド、スコットランド及びその他のケルト系の島に、この形の石碑が多く建てられ、信仰のシンボルとなっていた。ケルトは元々、自然・精霊信仰に基づいた、ドルイド教と呼ばれるアニミズムの様な独自の世界観を持っていたので、それと見事に融合したようだ。・・・とある。
これらは、渦巻きや円で構成された異教時代の古いシンボルが、新しい意味を付与されて現れたものであり、このようなケルト的なキリスト教で、ケルトの宗教や民族性と融合する形で広まったことから、アイルランドでは一人の殉教者も出さずに改宗がすすめられたのが特徴のひとつだという。
参考:
※1:緑一色に包まれた一日 セントパトリックスデーパレード
http://koedasmile.exblog.jp/12340386/
※2:アイリッシュ・ネットワーク・ジャパン(INJ)
http://www.inj.or.jp/
※3:世界四大文明 インダス文明展
http://www.juqcho.jp/appreciation/2000/20001015-1.html
※4:四葉のクローバーの歴史
http://fhp.from.jp/sweet-clovers/?p=0102&n=
※5:国旗の由来・歴史の資料室
http://tospa-flags.com/index.html
※6駐日アイルランド大使館
http://www.irishembassy.jp/home/index.aspx?id=33616
※7:エールスクエア
http://www.globe.co.jp/homepage.html
※8:ファンタジィ事典
http://fantasy.kakurezato.com/info/index.html
※9:ケルト神話
http://tinyangel.jog.client.jp/Faith/CelticMythology.html
※10、ケルトデザインの持つ意味
http://high-land.org/celticdesign.html
世界史の目::翠玉(すいぎょく)の聖島・その1〜ある伝道師の布教〜
http://www.kobemantoman.jp/sub/177.html
シャムロックと四つ葉のクローバー
http://www.avis.ne.jp/~zuzu/culture/art/craft/amulet/4shamrock.html
駐日アイルランド大使館
http://www.irishembassy.jp/home/index.aspx?id=33616
統合版(口語訳+文語訳) 聖書
http://bible.salterrae.net/
Botanical Garden(植物園)
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/Katabami.html
聖パトリックの祝日 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E7%A5%9D%E6%97%A5
南アジアへの招待
http://southasia.world.coocan.jp/