4月1の今日は、何の日ですか?
そう聞いたら殆どの人は「エイプリルフール」(April Fool's Day)・・・と答えるだろうほどに、この日は有名。
興味のある日なので、私も「エイプリルフール」関連のことは、このブログで既に3度も書いている。
第1回目は「エープリルフール」のタイトルで簡単に。
第2回目「四月馬鹿」のタイトルで、横溝正史のデビュー作 『恐ろしき四月馬鹿』に絡めてのお話を。
第3回目は「ピノキオの鼻とうそ」のタイトルで、「嘘(うそ)」についての話を。
にもかかわらず、過去3回の中で、肝心のエイプリルフールの起源については書いていなかったが、いつ、どこでエイプリルフールの習慣が始まったかはよくわかっていないらしい。たた有力とされる起源説として、その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。
それまで慣れ親しんだ年初の概念を覆すシャルル 9世の突然の年初変更は、民衆の間には強い反発を生み出し、これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた。・・・・これがエイプリルフールの始まりだと言われているようだが、あくまで仮説の域を出ていないようだ。
全国的な風習として、この日は一般に“軽いいたずらや、まことしやかな嘘で他人をかついだり、無駄足を踏ませても良い日として知られており、騙された人のことを日本語では直訳で「四月馬鹿」と呼んでいる。
フランス語ではエイプリルフールを「プワソン・ダヴリル」(Poisson d'avril, 四月の魚)と呼び、子供達が紙に書いた魚の絵を人の背中にこっそり張る付けるいたずらをするそうだ。この『4月の魚』とはサバのことを指すと言われ、ちょうどこの頃にサバがよく釣れるためこう呼ばれるとされているようだ。
そういえば、エイプリルフールをあらわすフランス語からタイトルをつけた大林宣彦監督の同名タイトルの『四月の魚』(1986年)というラブコメディ映画があった(冒頭の画像はそのチラシ)。
映画の中で根本昌平(高橋幸宏主演)が万理村マリ(今日かの子)に、フランスでは4月1日を「ポワソン・ダブリル (Poisson d'avril)」といい、魚の形をしたチョコレートを贈ると恋愛が成就するという嘘をつくシーンがある。この映画の主題歌を担当したのは主演の高橋幸宏。映画と同名の主題歌『POISSON D'AVRIL -四月の魚』は出だしだけは日本がだがあとはフランス語で歌っているのでよく意味が解らなかったが良い曲であったので紹介しておきたい。以下がそれ。
POISSON D'AVRIL -四月の魚- / 高橋幸宏 - YouTube
フランス語の歌詞の部分が知りたいと検索していて見つけた。以下の参考※3:「近童弐吉プロデュース『四月の魚 Poisson d'avril』 - 閑人手帖」の「四月の魚」のフランス語歌詞部分の翻訳を参照。
いずれにしても今日「四月馬鹿」の日の話は、どこの誰がどこまでが本当のことを言っているか?
一応疑ってみなければ・・・。もし、それを真に受けて聞いているようなら・・・。ひょっとして、このブログだってどこまでが・・・ホントカナー?(¬з¬)
日本記念日協会(※1)に登録されている」4月1日の記念日で、「エイプリルフール」以外のものには、「第2の成人式」「資格チャレンジの日」「携帯ストラップの日」「釜飯の日」「オンライントレードの日」「あずきの日」「熊本甘夏の日」「トレーニングの日」などがあるが、「釜飯の日」は毎月1日が記念日なので、この記念日については、昨・2013(平成25)年9月1日に書いた。→ここ
それで、他の記念日について書こうかと思ったのだが、余り気が乗らなかったので、今日のような可笑しなタイトル“「エープリルフール」は新年度。今年は消費税アップの日。”なんて長いタイトルでで書くことにした。
4月の「1日」。この「1日」とは、暦上の各月における1日目であり普通は「ついたち」と読む。これ以外に「朔日」、「朔」とも表記し、朔日については「さくじつ」とも読む。
「朔」とは新月のことであり、元は旧暦(太陰太陽暦)の1日のことを指した。
旧暦の一日は、「朔」(新月)の日、つまり、月の1か月の旅立ちの日、「月立ち(つきたち)」が変化したものが「ついたち」だと言われている。
そして、旧暦四月一日を称して「綿抜の朔日」といった。
「綿抜」(わたぬき)とは、かつては、冬の間に防寒として着物に詰めていた綿を旧暦4月1日に抜いて、袷(あわせ)に縫いなおしたもの」をいった。要するに「更衣」(衣替え)である。そういえば、この「衣替え」についても2009(平成21)年に書いたのでそこを見てください(→ここ)。
そのようなことから、 「四月一日」「四月朔日」、と書いて「わたぬき」と読む姓も存在する。例えば、四月朔日 義昭(わたぬき よしあき。ギタリスト、作曲家、編曲家、プロデューサー)の如きである。同様に「八月一日」「八月朔日」と書いて、「ほつみ」或いは「ほづみ」と読む苗字も存在するらしい。この頃に実る早稲(わせ)は、当年最初の稲穂つまり初穂である。その穂を摘み、恩人などに贈る風習が古くから農民の間にあったことに因むもの。なお、この風習の詳細は2006(平成18)年に書いたブログ「八朔(はっさく)。田の実の節句」を見てください。
現在日本では、4月が政府機関や多くの企業などの新年度(会計年度)とされており、この様な暦の年度と会計年度の2つの年度のあることに何の疑問も感じずに慣れっこになっているのだが、それが昔からそうであったかというとそうではない。
「会計年度」という言葉は無かったものの、国家の会計を1年間で区切る方法は、律令国家の段階から存在していたとみられ、7世紀末期には、「旧暦1月 - 旧暦12月制」が導入され、これに基づいた租税の徴収や予算配分などが実施されており、明治政府における「会計年度」も、明治元年(1868年)においては、従来の慣例に従って「旧暦1月 - 旧暦12月制」だった。今でもその習慣が残っており、年も押し迫った大晦日には、その年の借金の返済を済ませ、清々しい気持ちで新年を迎えるのが常識であったのだ。
日本で今のように暦年と異なった会計年度が生まれたのは、明治になり、その都度、財政状況の都合で年度の区切りが変えられてきたが、1882(明治15)年の壬午事変により、翌年から帝国海軍の拡充計画が進んだため、財政赤字の穴埋めの必要から明治18年度(1885年度)の酒造税を明治17年度(1884年度)に繰り入れしてしまった。
翌年度の税収を繰り入れてしまったこの状況を改善するには、明治19年度(1886年度)より酒造税の納期(第1期が4月)に合わせて年度変更するほかに方法がないことになり、明治17(1884)年10月に「4月 - 3月制」の導入が決定され、明治19(1886)年4月から実施された。つまり、明治17年松方正義により提出された「会計年度改定趣意書」上、形式的には会計年度を租税年度に適合させることを趣旨としているように見えるが、結局は、軍事費増強に対して、大蔵省のやりくりが破綻してしまった結果であったのだ。この辺の事情は、以下参考に記載の※3:「会計年度と財政立憲主義の可能性 −松方正義の決断」に詳しく書かれているので参照されるとよい。
会計原則の一つである発生主義に照らしても「会計年度は4月1日から開始するが、課税年度は暦年の1月1日から開始する」といった不自然な会計制度の変更は、まだ、民主主義的な政治が確立していなかった時代だからこそ成し得たことである。
インターネット百科事典『ウイキペディア』(英: Wikipedia)aによれば、会計年度の始期・終期を変更しようとする議論は、実際に変更がなされた以外にも明治時代から何度も提起されているらしいが、いずれも見送られており、1972(昭和47)年には当時の田中角栄首相が会計年度の暦年制移行を訴えたが、結局、大蔵省(当時)などの反対により暦年制への移行は実施されなかったという。
従って、我々の税金は課税年度(1月-12月)で徴収され、その所得配分である年度予算の編成は会計年度で行われているのである。
そして、会計年度の初日である今日4月1日は、政府機関や企業等で多くの制度変更や、新設、発足が行われ、個人レベルでも異動や新入学など大きな変化が起こる日である。
だから、私がこのブログで大いに利用させてもらっているWikipediaの4月1日の「できごと」を見ても、実にいろいろなできごとが見られる。ここ参照→4月1日-Wikipedia
だから、私も、過去の4月1日の出来事の中から、以下のブログを書いた。
「「新学年」。学年度始めの日」では、新学期の成立について。→ここ参照。
「明治政府が男子の満20歳以上を丁年(成年)と定める」では、明治政府がなぜ男子の20歳を成年と公的に定めたのかなどについて。→ここ参照。
「神戸市」誕生」では、我が地元神戸市誕生秘話を。→ここ参照。
「地域団体商標制度」スタートの日」では、全国各地で取り組んでいる差別化を図るための地域ブランド作りについて。→ここ参照。
これら過去の出来事の中には、当然、一番の関心事消費税の導入や税率のアップも含まれている。
消費税とは、消費に対して課される租税であり、特定の物品・サービスを課税対象とする個別消費税(※5のここ参照)と、原則としてすべての物品・サービスを課税対象とする一般消費税(※5のここ参照)とに分けられる。
また、納税義務者(※5のここ参照)と担税者(実際に税を負担する者。直接税[所得税・法人税・相続税など]では納税義務者と同一であるが、間接税[酒税・有価証券取引税など]では異なる。)とが、一致して消費者であることが予定されている直接消費税と、納税義務者が事業者であって租税負担の消費者への転嫁が予定されている間接消費税とに分けられる(詳しくは※6参照)。
さて、その消費税の歴史を簡単に辿ってみよう。
日本においては、戦前から戦後において物品税と言う消費税があった。
1937(昭和12)年に特別税法に規定された北支事件特別税(1938年から1940年まで支那事変特別税)の一つとして創設された物品特別税が前身となり、1940(昭和15)年に恒久法として物品税法が制定されて物品税となり、さらに1962(昭和37)年に全文改正が行われ今日にまで至っていた(物品税法の改定内容については※7参照)。
この物品税の特徴は2つあり、その一つは、この物品税が他の消費税と異なる点であり、課税対象が酒税や揮発油税のように1種類の消費財ではなく、物品税という単独税目の形態をとりながら課税対象が多種多様な物品に及んでいることであり、その意味においては、複数税的な特質を有している消費税であるといえる。
そして、もう1つは、Wikipediaにも記載されている。
間接税についての伝統的な考え方は、生活必需品に対しては課税を差し控え、贅沢品には担税力が認められるからこれを重く課税するというものである。
戦後の混乱期から高度経済成長を迎える日本においても、前述の考え方は一般的に肯定されていた。具体的には、宝石、毛皮、電化製品、乗用車あるいはゴルフクラブといったものが物品税の対象とされていた。日本の「物品別間接税」は世界に先駆けて導入され、現在欧米で導入されている間接税の物品別軽減税率は日本のこの間接税システムを真似したものと言われている。
物品税は低所得者でも購入せざるをえない生活必需品などが非課税になっており、かわりに高所得者が購入する贅沢品に課税されるという税制であるため、一億総中流社会の原動力になったシステムといえる。・・・・と。この考え方は、基本的に正しいだろう。
しかし、物品税は課税対象の品目をあらかじめリストアップしておく必要があるが、商品の多様化により生活必需品か贅沢品の判定自体が困難なものもあり、奢侈度で税率が異なっていたため、物品税そのものが執行困難性を内包する税制であった。また基本的には蔵出し課税であり、一部を除いてサービスなどには課税されない(問題点参照)。
このような背景もあり、1978(昭和53)年、第1次大平内閣時に、財政再建のため一般消費税導入案を閣議決定したが、総選挙の結果(大敗)を受け撤回。1986(昭和61)年 第3次中曽根内閣時には、「売上税」法案を国会に提出するが、世論の反発にあい廃案となる。
しかし、高齢化に伴う社会保障費用の増大に備え、経済活力を高め、安定的な歳入構造を実現するため、直間比率の見直しを含めた税制改革が必要との認識は定着してゆき、10年に及ぶ議論の末に1988(昭和63)年、竹下内閣時に、消費型付加価値税型である一般消費税導入(昭和63年12月30日法律第108号)が成立し、翌・1989(平成元)年4月1日に施行された。この時に、物品税は廃止され、土地や住宅家賃などの非課税資産やサービスを除き、幅広い資産の譲渡又は役務の提供が課税対象となった。
この時の消費税率は3%であった。当時ちょっとしたものを買おうと思えば20%ほどの税を負担しなければならなかったとき食料品など全商品に「広く浅く」掛けることになっても3%ぐらいなら国民も納得しようという気になった(当時の種別、品目別税率は、※※8を参照)。
その後、1994(平成6)年2月 - 細川内閣で消費税を廃止して福祉目的の税率を7%とする“国民福祉税”構想がマスコミなど世論の批判を浴びたため、即日白紙撤回した。この背景には、日米間の経済問題を協議する日米包括協議でアメリカは日本の内需拡大とそのための所得税減税を日本に求めており、所得税減税分を埋める財源確保の必要に迫られていたのであった。
高い支持率を背景にした連立政権の細川は就任当初から、行政改革、規制改革、地方分権、景気対策等の懸案に取り組んでいく姿勢を見せ、税制改革にも意欲を示していた。
また、 赤字国債を発行しないことが細川政権の公約の柱の一つだったこともあって、当時新生党の小沢一郎代表幹事と大蔵省は財源を赤字国債に頼らず、消費税の増税に求めることにしたが、当時の社会党は消費税増税に絶対反対の姿勢であった。しかも、この構想は厚生大臣や官房長官にも知らせていないもので、政権内外の反発を呼び。翌日の連立与党代表者会議で撤回が合意されるに至ったのであった。そのため、日米首脳会談は決裂し、結局3兆円余の赤字国債発行を盛り込む平成6年度予算案が2月15日に編成された。
昭和55年度をピークに、その後は赤字国債発行額は減少。赤字国債依存体制脱却が財政目標となり、平成3年度(1991年)から平成5年度(1993年)まで、赤字国債の発行実績はゼロとなり、赤字国債依存体制から脱却していたのだが、この細川政権での減税特例公債(特例公債法参照)という名前で赤字国債の再発行が開始され、発行残高は200兆円を超えてしまった。以後平成10年度(1998年)から赤字国債の無制限発行体制へ移行し、今日のような結果を招くことになったのである(日本国債推移参照)。
当時野党に落ちていた自民党の執拗な東京佐川急便事件の追及に嫌気した細川は予算編成時に退任。これは野党に落ちた自民党の余りにも人気のあった細川政権への嫌がらせとも思われるが、それにマスコミが加担した感じであった。そして、細川政権は1年に満たない短命政権で終わった(※9。※10を参照)。
どうせ今頃8%の消費税を導入するなら、理想に燃えていた細川政権に“国民福祉税”構想をやらせていたら、本当に良いものが出来ていたのではないかと思うのだが、野党に落ちた自民党の嫌がらせ、自民党に味方して世間に反対をあおったマスコミ、いつもそんなマスコミに騙され続けている日本国民がつぶしてしまったといえるのではないかな〜。
細川内閣の退陣後の羽田政権での「ワン・ワン・ライス」が主導する政権運営に強く反発した社会党が政権を離脱したため羽田政権は少数与党政権となり、内閣不信任決議が衆院に提出されて、自民党・社会党の賛成多数で可決される見込みとなったため、平成6年度予算成立後、自発的に内閣総辞職した(在任期間64日間であった)。
羽田内閣が総辞職後、政権復帰を目指した自民党(河野洋平総裁)は、社会党(村山富市委員長)・新党さきがけ(武村正義代表)との自社さ連立政権を組み、村山富市社会党委員長を内閣総理大臣とする村山内閣(平成 6 年-平成 8 年)を成立。
細川政権時代から消費税率アップを強硬に反対していたはずの村山だが、自分が首相となった村山内閣にて、所得税を減税して消費税率を引き上げる「所得税法及び消費税法の一部を改正する法律」(平成 6 年法律第 109 号)を、平成6年(1994年)11月第130回国会で成立させた。
所得税は、累進構造が緩和され、人的控除の見直しによって課税最低限度が引き上げられ、そのかわり、消費税は、3%から新たに導入した地方消費税を含めて 5%(国 4%、地方 1%=国の消費税率の25%)に税率が引き上げられた。この時の消費税の増税は「福祉を充実させる」という名目であった。
この改正では一時的な国民負担を増やさないために、村山内閣の1995(平成7)年度から所得減税と社会保障支出増加が実施された一方、村山内閣で内定していた消費税等の税率引き上げと地方消費税の導入は、橋本内閣で1997(平成9)年4月1日より実施された。
所得税収、法人税収はそれぞれ1998(平成10)年度、1999(平成11)年度と減少し続けているが、法人税は両年にわたって、所得税は1999年度に減税が実行されている。他の先進国の基準にあわせる方向で、所得税は高所得者の負担が軽減、法人税は税率が引き下げられているため、減税による税収減も含まれている。
そして、この1997(平成9)年の消費税増税、健康保険の自己負担率引き上げ(10%→20%へ)、特別減税(所得税・住民税)廃止など、総額約10兆円の緊縮財政の影響や金融不況(アジア通貨危機の影響によるもの)の影響もあり、1998 (平成10) 度には名目GDPは前年度比マイナス2%の503兆円まで約10兆円縮小し、GDPデフレーターはマイナス0.5%に落ち込んで、深刻なデフレ経済が蔓延する結果になった。
産経新聞の田村編集委員は、消費増税を実行したせいで、増税実施の翌年から日本がデフレ不況に突入したことを指摘したうえで、消費増税を実施した1997(平成9)年度においては消費税収が約4兆円増えたが、2年後の1999(平成11)年度には、1997(平成9)年度比で、所得税収と法人税収の合計額が6兆5千億もの税収減にとなったと指摘し、消費増税の効果が「たちまち吹っ飛んで現在に至る」と評している。
さらに、「橋本元首相は財務官僚の言いなりになったことを亡くなる間際まで悔いていたと聞く。」と述べている.(2010年6月15日“【経済が告げる】編集委員・田村秀男 カンノミクスの勘違い (1/3ページ)”産経新聞)。また、2001(平成13)年に自民党総裁選挙に出馬した際、橋本は自身のホームページにて、財政再建を急ぐあまり経済の実態を十分に把握しないまま消費税増税に踏み切り、結果として不況に陥らせたことを謝罪している(岩本沙弓『バブルの死角 日本が損するカラクリ』2013年、集英社新書p.83)という。
ちょっと、下記の「消費税の逆進性と物品税1 - ISFJ日本政策学生会議」の図4「国税収入、消費税収入及び税収に占める消費税収入の割合」のグラフを見てください。
消費税の逆進性と物品税1 - ISFJ日本政策学生会議(Adobe PDF)
同図を見ると国税収入に占める所得税収入は減少しているが、消費税収入の割合が毎年じわじわとアップしている。所得税は所得が多い人ほど税金が高く、所得の低い人ほど税金を支払わなくていいという累進性を持っている。
それに対して、消費税が3%の1990年と1995年は所得の大小に関わらず消費税負担率にさほど変わりはなかったが、消費税が5%に上げられた後の1999年と2002年は見事に右下がりのグラフであり3%時より逆進性が強まっている。税率が2%上がっただけで負担率は1%上昇し差が拡大しているのである。このグラフを見ても分かるように、今後もし消費税のアップをすると、消費税負担率の問題はもっと深刻化し、逆進性もより強くなるだろうということを考えなければならないし、単に税収を増やす為の増税ではなく、国民の負担を如何に軽減すべきかを考えないといけないことが分かるだろう。
そのようなことから、今後の消費税率引き上げに関する議論の中で、「複数税率が必要」という議論が出てきた。つまり、一般の商品やサービスの税率とは別に、生活必需品に対する税率を軽減税率ないしゼロ税率とし、複数の税率を設定するというものである。
その後の日本の消費税論議は民主党によって起こる。民主党は2009(平成21)年の衆議院総選挙において、消費税を4年間は引き上げないとの公約を掲げて圧勝した。しかしながら、政権獲得後の翌2010(平成22)年には消費税引き上げを示唆し始め、直後の22回参議院選では大敗を喫する。それにもかかわらず、野田首相は2011(平成23)年11月の主要20カ国・地域(G20)首脳会議では、財政再建のために消費税率を10%に引き上げるとした。
消費税増税は2011(平成23)年6月に民主・自民・公明の3党による「社会保障・税一体改革成案」で決定し、与党内での協議を経て、消費税を2014(平成26)年4月1日より8%、2015(平成27)年10月1日より10%へ段階的に引上げを行うことを明記した「社会保障・税一体改革大綱」(※11参照)を2012(平成24)年2月に決定した(消費税増税問題参照)。
その後、社会保障・税一体改革の関連法案が国会へ提出され、国会にて審議が開始された。審議が続けられる中、2012(平成24)年6月8日から6月15日まで民主、自民、公明の三党による修正協議が行われ、この三党合意を基にした消費税増税法案を含む関連法案が同年6月26日に衆院本会議にて、同年8月10日に参院本会議にて可決された。社会保障改革については、子ども子育て分野など、一部のみ可決され、残りの社会保障改革の多くの分野については「社会保障制度改革国民会議」で議論されることとなった。
その後政権交代などがあったが、「社会保障制度改革国民会議」での議論は、2013年8月5日に報告書(※2参照)として取りまとめられた。
ただ、この2014(平成26 )の消費税率を8%に引き上げるべきか否か−。「総理は本当に悩んでいた…」。ある政府関係者はこの報告書の出来た昨年8月下旬の安倍晋三首相の様子をこう振り返る。その迷いの背景にあったのは、政治が長く払拭できなかった「平成9年のトラウマ」だった。安倍首相はこのトラウマに終止符を打とうとした。そのために何としても「デフレ脱却」の道筋をつける必要があった。そこで、「企業減税→賃上げ→家計の消費拡大」の好循環でデフレ脱却を図ろうという政治的メッセージを示した。
そして、ある日銀首脳は、平成9年の消費税増税前後と現状を比較し、「金融システムの安定度が全く違う。増税しても景気の腰折れはない」と断言。17年前とは経済環境が違うし、打つべき手も打った。デフレ脱却への手応えを得て、首相は増税への「断」を下した。・・・と(※13参照)。
しかし同時期に「苦心の経済対策とのセットでようやく決まった消費税率引き上げだが、少子高齢化で増大する社会保障費の財源の手当てや財政再建という消費税増税の本来の目的を果たせるのか、疑問視される。社会保障制度改革の遅れや5兆円規模の大型経済対策の追加で、昨年の自民、公明、民主の3党合意時点とは大きくシナリオが変わったためだ。
消費税増税は社会保障費の安定財源確保が目的で、3党による「社会保障と税の一体改革」の中で決まった消費税に関しては、既に、「年金、医療、介護などへの給付費は平成24年度予算ベースで約110兆円。これに対し、財源となる社会保険料などは60兆円程度。差額のうち40兆円を国税、地方税、国債発行(借金)でまかなっている。国の税収が40兆円台で推移する中、社会保障関係費は今後も毎年1兆円規模で膨らみ続ける。大和総研の市川正樹主席研究員は『負担と財源の差が毎年約1兆8千億円広がってきたことを考えると、消費税率が10%になっても7年程度で食いつぶす」との指摘もあった(※14参照)。
又、「社会保障制度改革国民会議」報告書については、総論および少子化対策、医療・介護、年金の各論で構成されているが、日本総合研究所では、これらの主なポイントを整理するとともに、評価を試みているが、例えば、医療については、医療提供体制の改革について、これを医療提供側の自主性にほぼ任せており、報告書の目指すところが実現するのか不透明である。消費税収が医療機関へのばら撒きとなる危険がある。又、現在は市町村が保険者となっている国民健康保険(国保)の都道府県への移行について、財政責任の軽くなった市町村のインセンティブ低下も懸念される。そして、医療保険財政全体の長期的な持続可能性に対する関心が希薄な点もある。他にも、年金に関して殆ど時間が割かれておらず、報告書もそれを反映している。そのなかで、年金財政健全化に向け、政府に決断を迫っている、また、わが国の年金制度体系は、依然として 60%を割り込んでいる国民年金保険料納付率、第3号被保険者制度に代表されるように今日の家族・就労形態と必ずしも合致しない仕組みなど抱える課題は少なくないものの、報告書は、制度体系のあり方については解を示せていない。…といったことが指摘されている(※15参照)。
自民、公明両党は、昨年12月12日に「2014年度(平成26年度)「与党税制改正大綱」を正式決定した。ここで先にも書いた低所得者の税負担率を低減するため、消費税に欧州のような「軽減税率」が導入されることとなった。ただ、導入時期は「消費税率10%時」と記すにとどめ、以下のようなあいまいな書き方となっている。
消費税の軽減税率制度については、「社会保障と税の一体改革」の原点に立って必要な財源を確保しつつ、関係事業者を含む国民の理解を得た上で、税率10%時に導入する。このため、今後、引き続き、与党税制協議会において、これまでの軽減税率をめぐる議論の経緯及び成果を十分に踏まえ、社会保障を含む財政上の課題とあわせ、対象品目の選定、区分経理等のための制度整備、具体的な安定財源の手当、国民の理解を得るためのプロセス等、軽減税率制度の導入に係る詳細な内容について検討し、平成26年12月までに結論を得て、与党税制改正大綱を決定する。・・・と。(※16「平成26年度 税制改正大綱」6ページ参照)
そして、何故か、経団連は企業側の利益追求団体であるのに、最近では消費税の増税に賛成意見を述べるようになってきた。過去に消費税の増税が行われた際には、すべからく消費を減退させて景気を冷え込ませている。にもかかわらず、なぜ経団連は、売上減少が確実である増税に賛成するのだろうか?
そしてこの消費税の複数税率についても、平成25年度与党税制改正大綱において「本年12月予定の2014年度与党税制改正決定時までに、関係者の理解を得た上で、結論を得るものとする。」とされているが、以下の理由により、複数税率制度は導入せず、単一税率を維持すべきであるといろいろ理由を挙げて消費税の単一税率にこだわっているI(反対の理由等は※17参照)。これはなぜなのだろうか?
これに対しては、先にも挙げた金融コンサルタントで大阪経済大学経営学部客員教授 岩本沙弓さん(※18参照)の『バブルの死角 日本が損するカラクリ』(2013年、集英社新書)「第一章 消費税というカラクリ」(※19参照)に書かれているように、「輸出還付金」(正式には「輸出免税」=「輸出戻し税」による益税)というものがあるからなのである。
消費税法7条に、「本邦から輸出として行われる資産の譲渡又は貸付については、消費税を免除する」という規定があり、消費税が免除されている。これが「輸出免税」といわれる規定である。そのカラクリ(還付の仕組み)は以下参考の※20:「輸出企業に消費税が還付されるしくみ」を見られるとよい。このしくみを利用し、例えば、2003 年分輸出上位 10 社の輸出戻し税(還付税額)の試算をすると、
、輸出大企業には巨額の消費税が還付され、トヨタ自動車1社で輸出割戻し税は1710 億円、輸出上位 10 社で 6842 億円にもなるという(※20表 1参照)。
これは2003年のものだから10年も前のこと、この優遇税制が改善されたという話は聞かないので、今ならその額は1兆円にもぼるのではないだろうか。「広く浅く国民全体から集めたお金を特定企業に渡してしまうわけであるから輸出大企業優遇制度とも言えるだろう。
大多数の国民に向けては、「増税しなければ、社会保障費がパンクする」「日本の消費税は国際的に非常に低い」と言い募り、消費増税がやむを得ないような空気を醸成し、集めた税を大企業へ補助金として出す。消費税率が上がれば上がるほど、大企業の「益税」は増え、中小下請け企業の負担は増えていくのである。
安倍首相は経団連に対して、この隠れた企業優遇税は別にして、消費税率引き上げと同時に打ち出した経済対策は「企業優遇」に重点が置かれた。企業がため込んだ手元資金など280兆円にのぼる内部留保を賃上げや設備投資に向かわせ、消費、雇用の拡大を生む好循環につなげるにはまず経営者に行動を促す仕掛けが欠かせないと判断したためだが・・・実効性をどれほど上げられるか。
今年安倍首相は2014年度税制改正大綱では、2014年度末までとされていた復興特別法人税を1年前倒しで廃止する、「民間活力の活用」などの口実に大企業の交際費や設備投資に減税するとしている。また、財界が強く要求した法人実効税率についても引き下げを検討するとしている。
安倍首相は経団連に対して、賃上げ要請をした・・・。これにこたえてというか輸出大企業がほんのわずか従業員の賃上げをしたようだが、円安の影響で莫大な為替差益も出している企業にとってはお愛想のようなものであろう。
経団連はマスコミを通じて、消費税増税のプロパガンダ戦略を打ちだしている。テレビや新聞に「消費税増税やむなし」という報道をさせる事で、国民に増税が必要な事であるかのように洗脳し、法人税減税などの必要性への布石もしている。大スポンサーの広告がなくては困るテレビや新聞は、彼らの意向に沿うような報道しか行わないので、メディアは増税やむなしという報道一色になっていた。これに多くの庶民が洗脳されている。
先にも書いた金融コンサルタントの岩本沙弓さんは、PRESIDENT2013年9月30日号:米国が今も消費税を導入しない「もっともな理由」(※21参照)で今回の「消費税の集中点検会合の人選はあまりにも偏向しすぎではないか。特に最終日の8月31日の第2回目の経済・金融の有識者の会合のメンバーに、増税そのものへの反対を明確に唱える人は1人もいなかった」。・・「これでは増税を実施するか否かの判断ではなく、増税を前提にその方法論が話し合われているだけである」・・・とあきれ返っている。そしてこの中で、
「財政難の米国がいまだに消費税(付加価値税)を採用していないことは、意外と知られていない。米国が採用しているのは通称州税といわれる小売売上税で、消費税とはまったく違うタイプの税制だ。
実は、米国議会では過去何十年にもわたって、付加価値税の導入について議論が持たれてきた。法人税や所得税に代表される直接税に比べて、消費税・付加価値税など間接税が優れているとは見なせないという理由で採用は見送りとなっている。ちなみに、米国の国税における直間比率は9対1だ。付加価値税の場合は特に、輸出に還付金が渡され、輸入には課税される点、法人税引き下げとセットにされやすい点などが議論の焦点となってきたことが米公文書に多く残る。」。。。という。
「例えば法人税がなぜ有効で、消費税・付加価値税と代替させるべきではないと考えるのか。1960年代の米財務省の報告書には、すでにこんな記述がある。
消費税は売り上げにかかるために赤字の企業でも支払いの義務が生じるが、「赤字企業が法人税を支払わなくて済むことは、その企業にとっても経済全体にとっても有効である。たとえどんなに効率的で革新的な新規ビジネスであっても、収益構造が確立するまではある程度の時間がかかる」とし、さらに仮に、赤字の繰り越し機能付きの法人税をなくし付加価値税を導入するほうが、付加価値税なしで高い法人税を設定するよりも企業を助けるという前提について「これでは急激な景気後退局面では、たとえ効率的な企業であったとしても、単に一般需要が落ち込んだという理由だけで多くの企業が赤字企業となってしまう」と記す。こうした記述を見るにつけ、米国はやはりフロンティア精神の国家なのだと認識を新たにする。新しい挑戦の芽を潰すことはしない、それが消費税・付加価値税採用を見送り、法人税に依存する理由とするのはいかにも米国らしいではないか。」と、そして、最後に、
「アベノミクスが成長戦略にベンチャー企業の育成を掲げるなら、法人税こそ引き上げ、消費税は凍結、あるいは引き下げが筋というものではなかろうか。」・・・と提言しているが私もそう思う。
政治家の決まり文句は「日本は世界に比べて消費税率は低い」であるが本当にそうなのだろうか?なにか疑問が残りそう(※22参照)。
消費税率が高い北欧諸国は、高福祉・高負担を国民が選択した結果である。日本の場合、年金や医療への国民の期待は大きいものの、先ずは消費税増税前に、行政改革の余地が大きいとの見方が強く、消費税率の引き上げについての世論は割れている。仮に消費税率の改定を行う際には、国民の批判が強い税金の無駄遣いを正し、国民負担と政府の役割についての国民的な合意を形成した上で、財政と社会保障が持続するための負担増に理解を求めているか?
負担増においては、消費税だけではなく、所得税や法人税を含めた税制全体を見直し、公平と活力の両面から望ましい税制を構築する必要があるのだが・・・・。
多くの国民は安倍政権の経済政策「アベノミクス」の効果を実感しているどころか、消費税増税でさらに支出を切り詰めようとしている。所得や雇用は改善しているとは言えず、増税前の駆け込み需要の終わった4月から消費が冷えこめば経済が悪化し財政の足も引っ張られるのではないか。円安で物価も上がり、医療費から何から何まで値上がりしているときに増税し、年金の支給などは引き下げられる。こんな状況の時に消費税増税は、暮らしと経済をいよいよ破壊して行くのでは・・・。
今は、増税よりも税収がどれだけ必要なところに正しく使われているか・・・その使われ方をもっともっと厳しくチェックした上で、経済の活性化に集中すべきと思うのだが・・・。何か、政治家や官僚が信用できないのである。
最後に、「政治にとって何が大事な問題なのか」・・・。
『論語』の顔淵第十二の中に孔子とその弟子の子貢の次のような会話があるので書いておこう。尚、顔淵(がんえん)とは子貢同様孔子(孔丘)の弟子(孔門十哲の一人で随一の秀才)顔回のこと。字(あざな)は子淵(しえん)である。
【原文】
子貢問政。子曰。足食。足兵。民信之矣。
子貢曰。必不得已而去。於斯三者何先。
曰。去兵。子貢曰。必不得已而去。於斯二者何先。
曰。去食。自古皆有死。民無信不立。
【読み下し】
子貢(しこう)、政(まつりごと)を問う。子(し)曰(いわ)く、食を足らし、兵を足らし、民(たみ)之(これ)を信ず。
子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯(こ)の三者に於いて何をか先にせん。
曰(いわ)く、兵を去らん。子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯(こ)の二者に於いて何をか先きにせん。
曰く、食を去らん。古(いにしえ)より皆な死有り、民、信無くんば立たず。
【通釈】下村湖人(1884〜1955)の『現代訳論語』による。
「子貢が政治の要諦についてたずねた。先師はこたえられた。食糧をゆたかにして国庫の充実をはかること、軍備を完成すること、国民をして政治を信頼せしめること、この三つであろう。子貢がさらにたずねた。その三つのうち、やむなくいずれか一つを断念しなければならないとしますと、まずどれをやめたらよろしゅうございましょうか。先師――むろん軍備だ。子貢がさらにたずねた。あとの二つのうち、やむなくその一つを断念しなければならないとしますと?
先師――食糧だ。国庫が窮乏しては為政者が困るだろうが、昔から人間は早晩死ぬものときまっている。国民に信を失うぐらいなら、飢えて死ぬ方がいいのだ。信がなくては、政治の根本が立たないのだから」
(原文・読み下し、通釈等は以下参考の※23:「Web漢文大系:論語」の顔淵第十二 7参照)
ここでは、「食の確保」は現代でいうと「社会保障とその資金源の税金・社会保険料の確保」の問題を含む。だが孔子はそれよりもなお政治に対する信頼が重要だというのである。解釈を加えるならば、税金の増減よりも税金が正しく使われるかどうかということに対する信頼の方が重要だということになる。・・・、政治家はどう読むのだろう。
「エープリルフール」は新年度。今年は消費税アップの日 参考へ
そう聞いたら殆どの人は「エイプリルフール」(April Fool's Day)・・・と答えるだろうほどに、この日は有名。
興味のある日なので、私も「エイプリルフール」関連のことは、このブログで既に3度も書いている。
第1回目は「エープリルフール」のタイトルで簡単に。
第2回目「四月馬鹿」のタイトルで、横溝正史のデビュー作 『恐ろしき四月馬鹿』に絡めてのお話を。
第3回目は「ピノキオの鼻とうそ」のタイトルで、「嘘(うそ)」についての話を。
にもかかわらず、過去3回の中で、肝心のエイプリルフールの起源については書いていなかったが、いつ、どこでエイプリルフールの習慣が始まったかはよくわかっていないらしい。たた有力とされる起源説として、その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。
それまで慣れ親しんだ年初の概念を覆すシャルル 9世の突然の年初変更は、民衆の間には強い反発を生み出し、これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた。・・・・これがエイプリルフールの始まりだと言われているようだが、あくまで仮説の域を出ていないようだ。
全国的な風習として、この日は一般に“軽いいたずらや、まことしやかな嘘で他人をかついだり、無駄足を踏ませても良い日として知られており、騙された人のことを日本語では直訳で「四月馬鹿」と呼んでいる。
フランス語ではエイプリルフールを「プワソン・ダヴリル」(Poisson d'avril, 四月の魚)と呼び、子供達が紙に書いた魚の絵を人の背中にこっそり張る付けるいたずらをするそうだ。この『4月の魚』とはサバのことを指すと言われ、ちょうどこの頃にサバがよく釣れるためこう呼ばれるとされているようだ。
そういえば、エイプリルフールをあらわすフランス語からタイトルをつけた大林宣彦監督の同名タイトルの『四月の魚』(1986年)というラブコメディ映画があった(冒頭の画像はそのチラシ)。
映画の中で根本昌平(高橋幸宏主演)が万理村マリ(今日かの子)に、フランスでは4月1日を「ポワソン・ダブリル (Poisson d'avril)」といい、魚の形をしたチョコレートを贈ると恋愛が成就するという嘘をつくシーンがある。この映画の主題歌を担当したのは主演の高橋幸宏。映画と同名の主題歌『POISSON D'AVRIL -四月の魚』は出だしだけは日本がだがあとはフランス語で歌っているのでよく意味が解らなかったが良い曲であったので紹介しておきたい。以下がそれ。
POISSON D'AVRIL -四月の魚- / 高橋幸宏 - YouTube
フランス語の歌詞の部分が知りたいと検索していて見つけた。以下の参考※3:「近童弐吉プロデュース『四月の魚 Poisson d'avril』 - 閑人手帖」の「四月の魚」のフランス語歌詞部分の翻訳を参照。
いずれにしても今日「四月馬鹿」の日の話は、どこの誰がどこまでが本当のことを言っているか?
一応疑ってみなければ・・・。もし、それを真に受けて聞いているようなら・・・。ひょっとして、このブログだってどこまでが・・・ホントカナー?(¬з¬)
日本記念日協会(※1)に登録されている」4月1日の記念日で、「エイプリルフール」以外のものには、「第2の成人式」「資格チャレンジの日」「携帯ストラップの日」「釜飯の日」「オンライントレードの日」「あずきの日」「熊本甘夏の日」「トレーニングの日」などがあるが、「釜飯の日」は毎月1日が記念日なので、この記念日については、昨・2013(平成25)年9月1日に書いた。→ここ
それで、他の記念日について書こうかと思ったのだが、余り気が乗らなかったので、今日のような可笑しなタイトル“「エープリルフール」は新年度。今年は消費税アップの日。”なんて長いタイトルでで書くことにした。
4月の「1日」。この「1日」とは、暦上の各月における1日目であり普通は「ついたち」と読む。これ以外に「朔日」、「朔」とも表記し、朔日については「さくじつ」とも読む。
「朔」とは新月のことであり、元は旧暦(太陰太陽暦)の1日のことを指した。
旧暦の一日は、「朔」(新月)の日、つまり、月の1か月の旅立ちの日、「月立ち(つきたち)」が変化したものが「ついたち」だと言われている。
そして、旧暦四月一日を称して「綿抜の朔日」といった。
「綿抜」(わたぬき)とは、かつては、冬の間に防寒として着物に詰めていた綿を旧暦4月1日に抜いて、袷(あわせ)に縫いなおしたもの」をいった。要するに「更衣」(衣替え)である。そういえば、この「衣替え」についても2009(平成21)年に書いたのでそこを見てください(→ここ)。
そのようなことから、 「四月一日」「四月朔日」、と書いて「わたぬき」と読む姓も存在する。例えば、四月朔日 義昭(わたぬき よしあき。ギタリスト、作曲家、編曲家、プロデューサー)の如きである。同様に「八月一日」「八月朔日」と書いて、「ほつみ」或いは「ほづみ」と読む苗字も存在するらしい。この頃に実る早稲(わせ)は、当年最初の稲穂つまり初穂である。その穂を摘み、恩人などに贈る風習が古くから農民の間にあったことに因むもの。なお、この風習の詳細は2006(平成18)年に書いたブログ「八朔(はっさく)。田の実の節句」を見てください。
現在日本では、4月が政府機関や多くの企業などの新年度(会計年度)とされており、この様な暦の年度と会計年度の2つの年度のあることに何の疑問も感じずに慣れっこになっているのだが、それが昔からそうであったかというとそうではない。
「会計年度」という言葉は無かったものの、国家の会計を1年間で区切る方法は、律令国家の段階から存在していたとみられ、7世紀末期には、「旧暦1月 - 旧暦12月制」が導入され、これに基づいた租税の徴収や予算配分などが実施されており、明治政府における「会計年度」も、明治元年(1868年)においては、従来の慣例に従って「旧暦1月 - 旧暦12月制」だった。今でもその習慣が残っており、年も押し迫った大晦日には、その年の借金の返済を済ませ、清々しい気持ちで新年を迎えるのが常識であったのだ。
日本で今のように暦年と異なった会計年度が生まれたのは、明治になり、その都度、財政状況の都合で年度の区切りが変えられてきたが、1882(明治15)年の壬午事変により、翌年から帝国海軍の拡充計画が進んだため、財政赤字の穴埋めの必要から明治18年度(1885年度)の酒造税を明治17年度(1884年度)に繰り入れしてしまった。
翌年度の税収を繰り入れてしまったこの状況を改善するには、明治19年度(1886年度)より酒造税の納期(第1期が4月)に合わせて年度変更するほかに方法がないことになり、明治17(1884)年10月に「4月 - 3月制」の導入が決定され、明治19(1886)年4月から実施された。つまり、明治17年松方正義により提出された「会計年度改定趣意書」上、形式的には会計年度を租税年度に適合させることを趣旨としているように見えるが、結局は、軍事費増強に対して、大蔵省のやりくりが破綻してしまった結果であったのだ。この辺の事情は、以下参考に記載の※3:「会計年度と財政立憲主義の可能性 −松方正義の決断」に詳しく書かれているので参照されるとよい。
会計原則の一つである発生主義に照らしても「会計年度は4月1日から開始するが、課税年度は暦年の1月1日から開始する」といった不自然な会計制度の変更は、まだ、民主主義的な政治が確立していなかった時代だからこそ成し得たことである。
インターネット百科事典『ウイキペディア』(英: Wikipedia)aによれば、会計年度の始期・終期を変更しようとする議論は、実際に変更がなされた以外にも明治時代から何度も提起されているらしいが、いずれも見送られており、1972(昭和47)年には当時の田中角栄首相が会計年度の暦年制移行を訴えたが、結局、大蔵省(当時)などの反対により暦年制への移行は実施されなかったという。
従って、我々の税金は課税年度(1月-12月)で徴収され、その所得配分である年度予算の編成は会計年度で行われているのである。
そして、会計年度の初日である今日4月1日は、政府機関や企業等で多くの制度変更や、新設、発足が行われ、個人レベルでも異動や新入学など大きな変化が起こる日である。
だから、私がこのブログで大いに利用させてもらっているWikipediaの4月1日の「できごと」を見ても、実にいろいろなできごとが見られる。ここ参照→4月1日-Wikipedia
だから、私も、過去の4月1日の出来事の中から、以下のブログを書いた。
「「新学年」。学年度始めの日」では、新学期の成立について。→ここ参照。
「明治政府が男子の満20歳以上を丁年(成年)と定める」では、明治政府がなぜ男子の20歳を成年と公的に定めたのかなどについて。→ここ参照。
「神戸市」誕生」では、我が地元神戸市誕生秘話を。→ここ参照。
「地域団体商標制度」スタートの日」では、全国各地で取り組んでいる差別化を図るための地域ブランド作りについて。→ここ参照。
これら過去の出来事の中には、当然、一番の関心事消費税の導入や税率のアップも含まれている。
消費税とは、消費に対して課される租税であり、特定の物品・サービスを課税対象とする個別消費税(※5のここ参照)と、原則としてすべての物品・サービスを課税対象とする一般消費税(※5のここ参照)とに分けられる。
また、納税義務者(※5のここ参照)と担税者(実際に税を負担する者。直接税[所得税・法人税・相続税など]では納税義務者と同一であるが、間接税[酒税・有価証券取引税など]では異なる。)とが、一致して消費者であることが予定されている直接消費税と、納税義務者が事業者であって租税負担の消費者への転嫁が予定されている間接消費税とに分けられる(詳しくは※6参照)。
さて、その消費税の歴史を簡単に辿ってみよう。
日本においては、戦前から戦後において物品税と言う消費税があった。
1937(昭和12)年に特別税法に規定された北支事件特別税(1938年から1940年まで支那事変特別税)の一つとして創設された物品特別税が前身となり、1940(昭和15)年に恒久法として物品税法が制定されて物品税となり、さらに1962(昭和37)年に全文改正が行われ今日にまで至っていた(物品税法の改定内容については※7参照)。
この物品税の特徴は2つあり、その一つは、この物品税が他の消費税と異なる点であり、課税対象が酒税や揮発油税のように1種類の消費財ではなく、物品税という単独税目の形態をとりながら課税対象が多種多様な物品に及んでいることであり、その意味においては、複数税的な特質を有している消費税であるといえる。
そして、もう1つは、Wikipediaにも記載されている。
間接税についての伝統的な考え方は、生活必需品に対しては課税を差し控え、贅沢品には担税力が認められるからこれを重く課税するというものである。
戦後の混乱期から高度経済成長を迎える日本においても、前述の考え方は一般的に肯定されていた。具体的には、宝石、毛皮、電化製品、乗用車あるいはゴルフクラブといったものが物品税の対象とされていた。日本の「物品別間接税」は世界に先駆けて導入され、現在欧米で導入されている間接税の物品別軽減税率は日本のこの間接税システムを真似したものと言われている。
物品税は低所得者でも購入せざるをえない生活必需品などが非課税になっており、かわりに高所得者が購入する贅沢品に課税されるという税制であるため、一億総中流社会の原動力になったシステムといえる。・・・・と。この考え方は、基本的に正しいだろう。
しかし、物品税は課税対象の品目をあらかじめリストアップしておく必要があるが、商品の多様化により生活必需品か贅沢品の判定自体が困難なものもあり、奢侈度で税率が異なっていたため、物品税そのものが執行困難性を内包する税制であった。また基本的には蔵出し課税であり、一部を除いてサービスなどには課税されない(問題点参照)。
このような背景もあり、1978(昭和53)年、第1次大平内閣時に、財政再建のため一般消費税導入案を閣議決定したが、総選挙の結果(大敗)を受け撤回。1986(昭和61)年 第3次中曽根内閣時には、「売上税」法案を国会に提出するが、世論の反発にあい廃案となる。
しかし、高齢化に伴う社会保障費用の増大に備え、経済活力を高め、安定的な歳入構造を実現するため、直間比率の見直しを含めた税制改革が必要との認識は定着してゆき、10年に及ぶ議論の末に1988(昭和63)年、竹下内閣時に、消費型付加価値税型である一般消費税導入(昭和63年12月30日法律第108号)が成立し、翌・1989(平成元)年4月1日に施行された。この時に、物品税は廃止され、土地や住宅家賃などの非課税資産やサービスを除き、幅広い資産の譲渡又は役務の提供が課税対象となった。
この時の消費税率は3%であった。当時ちょっとしたものを買おうと思えば20%ほどの税を負担しなければならなかったとき食料品など全商品に「広く浅く」掛けることになっても3%ぐらいなら国民も納得しようという気になった(当時の種別、品目別税率は、※※8を参照)。
その後、1994(平成6)年2月 - 細川内閣で消費税を廃止して福祉目的の税率を7%とする“国民福祉税”構想がマスコミなど世論の批判を浴びたため、即日白紙撤回した。この背景には、日米間の経済問題を協議する日米包括協議でアメリカは日本の内需拡大とそのための所得税減税を日本に求めており、所得税減税分を埋める財源確保の必要に迫られていたのであった。
高い支持率を背景にした連立政権の細川は就任当初から、行政改革、規制改革、地方分権、景気対策等の懸案に取り組んでいく姿勢を見せ、税制改革にも意欲を示していた。
また、 赤字国債を発行しないことが細川政権の公約の柱の一つだったこともあって、当時新生党の小沢一郎代表幹事と大蔵省は財源を赤字国債に頼らず、消費税の増税に求めることにしたが、当時の社会党は消費税増税に絶対反対の姿勢であった。しかも、この構想は厚生大臣や官房長官にも知らせていないもので、政権内外の反発を呼び。翌日の連立与党代表者会議で撤回が合意されるに至ったのであった。そのため、日米首脳会談は決裂し、結局3兆円余の赤字国債発行を盛り込む平成6年度予算案が2月15日に編成された。
昭和55年度をピークに、その後は赤字国債発行額は減少。赤字国債依存体制脱却が財政目標となり、平成3年度(1991年)から平成5年度(1993年)まで、赤字国債の発行実績はゼロとなり、赤字国債依存体制から脱却していたのだが、この細川政権での減税特例公債(特例公債法参照)という名前で赤字国債の再発行が開始され、発行残高は200兆円を超えてしまった。以後平成10年度(1998年)から赤字国債の無制限発行体制へ移行し、今日のような結果を招くことになったのである(日本国債推移参照)。
当時野党に落ちていた自民党の執拗な東京佐川急便事件の追及に嫌気した細川は予算編成時に退任。これは野党に落ちた自民党の余りにも人気のあった細川政権への嫌がらせとも思われるが、それにマスコミが加担した感じであった。そして、細川政権は1年に満たない短命政権で終わった(※9。※10を参照)。
どうせ今頃8%の消費税を導入するなら、理想に燃えていた細川政権に“国民福祉税”構想をやらせていたら、本当に良いものが出来ていたのではないかと思うのだが、野党に落ちた自民党の嫌がらせ、自民党に味方して世間に反対をあおったマスコミ、いつもそんなマスコミに騙され続けている日本国民がつぶしてしまったといえるのではないかな〜。
細川内閣の退陣後の羽田政権での「ワン・ワン・ライス」が主導する政権運営に強く反発した社会党が政権を離脱したため羽田政権は少数与党政権となり、内閣不信任決議が衆院に提出されて、自民党・社会党の賛成多数で可決される見込みとなったため、平成6年度予算成立後、自発的に内閣総辞職した(在任期間64日間であった)。
羽田内閣が総辞職後、政権復帰を目指した自民党(河野洋平総裁)は、社会党(村山富市委員長)・新党さきがけ(武村正義代表)との自社さ連立政権を組み、村山富市社会党委員長を内閣総理大臣とする村山内閣(平成 6 年-平成 8 年)を成立。
細川政権時代から消費税率アップを強硬に反対していたはずの村山だが、自分が首相となった村山内閣にて、所得税を減税して消費税率を引き上げる「所得税法及び消費税法の一部を改正する法律」(平成 6 年法律第 109 号)を、平成6年(1994年)11月第130回国会で成立させた。
所得税は、累進構造が緩和され、人的控除の見直しによって課税最低限度が引き上げられ、そのかわり、消費税は、3%から新たに導入した地方消費税を含めて 5%(国 4%、地方 1%=国の消費税率の25%)に税率が引き上げられた。この時の消費税の増税は「福祉を充実させる」という名目であった。
この改正では一時的な国民負担を増やさないために、村山内閣の1995(平成7)年度から所得減税と社会保障支出増加が実施された一方、村山内閣で内定していた消費税等の税率引き上げと地方消費税の導入は、橋本内閣で1997(平成9)年4月1日より実施された。
所得税収、法人税収はそれぞれ1998(平成10)年度、1999(平成11)年度と減少し続けているが、法人税は両年にわたって、所得税は1999年度に減税が実行されている。他の先進国の基準にあわせる方向で、所得税は高所得者の負担が軽減、法人税は税率が引き下げられているため、減税による税収減も含まれている。
そして、この1997(平成9)年の消費税増税、健康保険の自己負担率引き上げ(10%→20%へ)、特別減税(所得税・住民税)廃止など、総額約10兆円の緊縮財政の影響や金融不況(アジア通貨危機の影響によるもの)の影響もあり、1998 (平成10) 度には名目GDPは前年度比マイナス2%の503兆円まで約10兆円縮小し、GDPデフレーターはマイナス0.5%に落ち込んで、深刻なデフレ経済が蔓延する結果になった。
産経新聞の田村編集委員は、消費増税を実行したせいで、増税実施の翌年から日本がデフレ不況に突入したことを指摘したうえで、消費増税を実施した1997(平成9)年度においては消費税収が約4兆円増えたが、2年後の1999(平成11)年度には、1997(平成9)年度比で、所得税収と法人税収の合計額が6兆5千億もの税収減にとなったと指摘し、消費増税の効果が「たちまち吹っ飛んで現在に至る」と評している。
さらに、「橋本元首相は財務官僚の言いなりになったことを亡くなる間際まで悔いていたと聞く。」と述べている.(2010年6月15日“【経済が告げる】編集委員・田村秀男 カンノミクスの勘違い (1/3ページ)”産経新聞)。また、2001(平成13)年に自民党総裁選挙に出馬した際、橋本は自身のホームページにて、財政再建を急ぐあまり経済の実態を十分に把握しないまま消費税増税に踏み切り、結果として不況に陥らせたことを謝罪している(岩本沙弓『バブルの死角 日本が損するカラクリ』2013年、集英社新書p.83)という。
ちょっと、下記の「消費税の逆進性と物品税1 - ISFJ日本政策学生会議」の図4「国税収入、消費税収入及び税収に占める消費税収入の割合」のグラフを見てください。
消費税の逆進性と物品税1 - ISFJ日本政策学生会議(Adobe PDF)
同図を見ると国税収入に占める所得税収入は減少しているが、消費税収入の割合が毎年じわじわとアップしている。所得税は所得が多い人ほど税金が高く、所得の低い人ほど税金を支払わなくていいという累進性を持っている。
それに対して、消費税が3%の1990年と1995年は所得の大小に関わらず消費税負担率にさほど変わりはなかったが、消費税が5%に上げられた後の1999年と2002年は見事に右下がりのグラフであり3%時より逆進性が強まっている。税率が2%上がっただけで負担率は1%上昇し差が拡大しているのである。このグラフを見ても分かるように、今後もし消費税のアップをすると、消費税負担率の問題はもっと深刻化し、逆進性もより強くなるだろうということを考えなければならないし、単に税収を増やす為の増税ではなく、国民の負担を如何に軽減すべきかを考えないといけないことが分かるだろう。
そのようなことから、今後の消費税率引き上げに関する議論の中で、「複数税率が必要」という議論が出てきた。つまり、一般の商品やサービスの税率とは別に、生活必需品に対する税率を軽減税率ないしゼロ税率とし、複数の税率を設定するというものである。
その後の日本の消費税論議は民主党によって起こる。民主党は2009(平成21)年の衆議院総選挙において、消費税を4年間は引き上げないとの公約を掲げて圧勝した。しかしながら、政権獲得後の翌2010(平成22)年には消費税引き上げを示唆し始め、直後の22回参議院選では大敗を喫する。それにもかかわらず、野田首相は2011(平成23)年11月の主要20カ国・地域(G20)首脳会議では、財政再建のために消費税率を10%に引き上げるとした。
消費税増税は2011(平成23)年6月に民主・自民・公明の3党による「社会保障・税一体改革成案」で決定し、与党内での協議を経て、消費税を2014(平成26)年4月1日より8%、2015(平成27)年10月1日より10%へ段階的に引上げを行うことを明記した「社会保障・税一体改革大綱」(※11参照)を2012(平成24)年2月に決定した(消費税増税問題参照)。
その後、社会保障・税一体改革の関連法案が国会へ提出され、国会にて審議が開始された。審議が続けられる中、2012(平成24)年6月8日から6月15日まで民主、自民、公明の三党による修正協議が行われ、この三党合意を基にした消費税増税法案を含む関連法案が同年6月26日に衆院本会議にて、同年8月10日に参院本会議にて可決された。社会保障改革については、子ども子育て分野など、一部のみ可決され、残りの社会保障改革の多くの分野については「社会保障制度改革国民会議」で議論されることとなった。
その後政権交代などがあったが、「社会保障制度改革国民会議」での議論は、2013年8月5日に報告書(※2参照)として取りまとめられた。
ただ、この2014(平成26 )の消費税率を8%に引き上げるべきか否か−。「総理は本当に悩んでいた…」。ある政府関係者はこの報告書の出来た昨年8月下旬の安倍晋三首相の様子をこう振り返る。その迷いの背景にあったのは、政治が長く払拭できなかった「平成9年のトラウマ」だった。安倍首相はこのトラウマに終止符を打とうとした。そのために何としても「デフレ脱却」の道筋をつける必要があった。そこで、「企業減税→賃上げ→家計の消費拡大」の好循環でデフレ脱却を図ろうという政治的メッセージを示した。
そして、ある日銀首脳は、平成9年の消費税増税前後と現状を比較し、「金融システムの安定度が全く違う。増税しても景気の腰折れはない」と断言。17年前とは経済環境が違うし、打つべき手も打った。デフレ脱却への手応えを得て、首相は増税への「断」を下した。・・・と(※13参照)。
しかし同時期に「苦心の経済対策とのセットでようやく決まった消費税率引き上げだが、少子高齢化で増大する社会保障費の財源の手当てや財政再建という消費税増税の本来の目的を果たせるのか、疑問視される。社会保障制度改革の遅れや5兆円規模の大型経済対策の追加で、昨年の自民、公明、民主の3党合意時点とは大きくシナリオが変わったためだ。
消費税増税は社会保障費の安定財源確保が目的で、3党による「社会保障と税の一体改革」の中で決まった消費税に関しては、既に、「年金、医療、介護などへの給付費は平成24年度予算ベースで約110兆円。これに対し、財源となる社会保険料などは60兆円程度。差額のうち40兆円を国税、地方税、国債発行(借金)でまかなっている。国の税収が40兆円台で推移する中、社会保障関係費は今後も毎年1兆円規模で膨らみ続ける。大和総研の市川正樹主席研究員は『負担と財源の差が毎年約1兆8千億円広がってきたことを考えると、消費税率が10%になっても7年程度で食いつぶす」との指摘もあった(※14参照)。
又、「社会保障制度改革国民会議」報告書については、総論および少子化対策、医療・介護、年金の各論で構成されているが、日本総合研究所では、これらの主なポイントを整理するとともに、評価を試みているが、例えば、医療については、医療提供体制の改革について、これを医療提供側の自主性にほぼ任せており、報告書の目指すところが実現するのか不透明である。消費税収が医療機関へのばら撒きとなる危険がある。又、現在は市町村が保険者となっている国民健康保険(国保)の都道府県への移行について、財政責任の軽くなった市町村のインセンティブ低下も懸念される。そして、医療保険財政全体の長期的な持続可能性に対する関心が希薄な点もある。他にも、年金に関して殆ど時間が割かれておらず、報告書もそれを反映している。そのなかで、年金財政健全化に向け、政府に決断を迫っている、また、わが国の年金制度体系は、依然として 60%を割り込んでいる国民年金保険料納付率、第3号被保険者制度に代表されるように今日の家族・就労形態と必ずしも合致しない仕組みなど抱える課題は少なくないものの、報告書は、制度体系のあり方については解を示せていない。…といったことが指摘されている(※15参照)。
自民、公明両党は、昨年12月12日に「2014年度(平成26年度)「与党税制改正大綱」を正式決定した。ここで先にも書いた低所得者の税負担率を低減するため、消費税に欧州のような「軽減税率」が導入されることとなった。ただ、導入時期は「消費税率10%時」と記すにとどめ、以下のようなあいまいな書き方となっている。
消費税の軽減税率制度については、「社会保障と税の一体改革」の原点に立って必要な財源を確保しつつ、関係事業者を含む国民の理解を得た上で、税率10%時に導入する。このため、今後、引き続き、与党税制協議会において、これまでの軽減税率をめぐる議論の経緯及び成果を十分に踏まえ、社会保障を含む財政上の課題とあわせ、対象品目の選定、区分経理等のための制度整備、具体的な安定財源の手当、国民の理解を得るためのプロセス等、軽減税率制度の導入に係る詳細な内容について検討し、平成26年12月までに結論を得て、与党税制改正大綱を決定する。・・・と。(※16「平成26年度 税制改正大綱」6ページ参照)
そして、何故か、経団連は企業側の利益追求団体であるのに、最近では消費税の増税に賛成意見を述べるようになってきた。過去に消費税の増税が行われた際には、すべからく消費を減退させて景気を冷え込ませている。にもかかわらず、なぜ経団連は、売上減少が確実である増税に賛成するのだろうか?
そしてこの消費税の複数税率についても、平成25年度与党税制改正大綱において「本年12月予定の2014年度与党税制改正決定時までに、関係者の理解を得た上で、結論を得るものとする。」とされているが、以下の理由により、複数税率制度は導入せず、単一税率を維持すべきであるといろいろ理由を挙げて消費税の単一税率にこだわっているI(反対の理由等は※17参照)。これはなぜなのだろうか?
これに対しては、先にも挙げた金融コンサルタントで大阪経済大学経営学部客員教授 岩本沙弓さん(※18参照)の『バブルの死角 日本が損するカラクリ』(2013年、集英社新書)「第一章 消費税というカラクリ」(※19参照)に書かれているように、「輸出還付金」(正式には「輸出免税」=「輸出戻し税」による益税)というものがあるからなのである。
消費税法7条に、「本邦から輸出として行われる資産の譲渡又は貸付については、消費税を免除する」という規定があり、消費税が免除されている。これが「輸出免税」といわれる規定である。そのカラクリ(還付の仕組み)は以下参考の※20:「輸出企業に消費税が還付されるしくみ」を見られるとよい。このしくみを利用し、例えば、2003 年分輸出上位 10 社の輸出戻し税(還付税額)の試算をすると、
、輸出大企業には巨額の消費税が還付され、トヨタ自動車1社で輸出割戻し税は1710 億円、輸出上位 10 社で 6842 億円にもなるという(※20表 1参照)。
これは2003年のものだから10年も前のこと、この優遇税制が改善されたという話は聞かないので、今ならその額は1兆円にもぼるのではないだろうか。「広く浅く国民全体から集めたお金を特定企業に渡してしまうわけであるから輸出大企業優遇制度とも言えるだろう。
大多数の国民に向けては、「増税しなければ、社会保障費がパンクする」「日本の消費税は国際的に非常に低い」と言い募り、消費増税がやむを得ないような空気を醸成し、集めた税を大企業へ補助金として出す。消費税率が上がれば上がるほど、大企業の「益税」は増え、中小下請け企業の負担は増えていくのである。
安倍首相は経団連に対して、この隠れた企業優遇税は別にして、消費税率引き上げと同時に打ち出した経済対策は「企業優遇」に重点が置かれた。企業がため込んだ手元資金など280兆円にのぼる内部留保を賃上げや設備投資に向かわせ、消費、雇用の拡大を生む好循環につなげるにはまず経営者に行動を促す仕掛けが欠かせないと判断したためだが・・・実効性をどれほど上げられるか。
今年安倍首相は2014年度税制改正大綱では、2014年度末までとされていた復興特別法人税を1年前倒しで廃止する、「民間活力の活用」などの口実に大企業の交際費や設備投資に減税するとしている。また、財界が強く要求した法人実効税率についても引き下げを検討するとしている。
安倍首相は経団連に対して、賃上げ要請をした・・・。これにこたえてというか輸出大企業がほんのわずか従業員の賃上げをしたようだが、円安の影響で莫大な為替差益も出している企業にとってはお愛想のようなものであろう。
経団連はマスコミを通じて、消費税増税のプロパガンダ戦略を打ちだしている。テレビや新聞に「消費税増税やむなし」という報道をさせる事で、国民に増税が必要な事であるかのように洗脳し、法人税減税などの必要性への布石もしている。大スポンサーの広告がなくては困るテレビや新聞は、彼らの意向に沿うような報道しか行わないので、メディアは増税やむなしという報道一色になっていた。これに多くの庶民が洗脳されている。
先にも書いた金融コンサルタントの岩本沙弓さんは、PRESIDENT2013年9月30日号:米国が今も消費税を導入しない「もっともな理由」(※21参照)で今回の「消費税の集中点検会合の人選はあまりにも偏向しすぎではないか。特に最終日の8月31日の第2回目の経済・金融の有識者の会合のメンバーに、増税そのものへの反対を明確に唱える人は1人もいなかった」。・・「これでは増税を実施するか否かの判断ではなく、増税を前提にその方法論が話し合われているだけである」・・・とあきれ返っている。そしてこの中で、
「財政難の米国がいまだに消費税(付加価値税)を採用していないことは、意外と知られていない。米国が採用しているのは通称州税といわれる小売売上税で、消費税とはまったく違うタイプの税制だ。
実は、米国議会では過去何十年にもわたって、付加価値税の導入について議論が持たれてきた。法人税や所得税に代表される直接税に比べて、消費税・付加価値税など間接税が優れているとは見なせないという理由で採用は見送りとなっている。ちなみに、米国の国税における直間比率は9対1だ。付加価値税の場合は特に、輸出に還付金が渡され、輸入には課税される点、法人税引き下げとセットにされやすい点などが議論の焦点となってきたことが米公文書に多く残る。」。。。という。
「例えば法人税がなぜ有効で、消費税・付加価値税と代替させるべきではないと考えるのか。1960年代の米財務省の報告書には、すでにこんな記述がある。
消費税は売り上げにかかるために赤字の企業でも支払いの義務が生じるが、「赤字企業が法人税を支払わなくて済むことは、その企業にとっても経済全体にとっても有効である。たとえどんなに効率的で革新的な新規ビジネスであっても、収益構造が確立するまではある程度の時間がかかる」とし、さらに仮に、赤字の繰り越し機能付きの法人税をなくし付加価値税を導入するほうが、付加価値税なしで高い法人税を設定するよりも企業を助けるという前提について「これでは急激な景気後退局面では、たとえ効率的な企業であったとしても、単に一般需要が落ち込んだという理由だけで多くの企業が赤字企業となってしまう」と記す。こうした記述を見るにつけ、米国はやはりフロンティア精神の国家なのだと認識を新たにする。新しい挑戦の芽を潰すことはしない、それが消費税・付加価値税採用を見送り、法人税に依存する理由とするのはいかにも米国らしいではないか。」と、そして、最後に、
「アベノミクスが成長戦略にベンチャー企業の育成を掲げるなら、法人税こそ引き上げ、消費税は凍結、あるいは引き下げが筋というものではなかろうか。」・・・と提言しているが私もそう思う。
政治家の決まり文句は「日本は世界に比べて消費税率は低い」であるが本当にそうなのだろうか?なにか疑問が残りそう(※22参照)。
消費税率が高い北欧諸国は、高福祉・高負担を国民が選択した結果である。日本の場合、年金や医療への国民の期待は大きいものの、先ずは消費税増税前に、行政改革の余地が大きいとの見方が強く、消費税率の引き上げについての世論は割れている。仮に消費税率の改定を行う際には、国民の批判が強い税金の無駄遣いを正し、国民負担と政府の役割についての国民的な合意を形成した上で、財政と社会保障が持続するための負担増に理解を求めているか?
負担増においては、消費税だけではなく、所得税や法人税を含めた税制全体を見直し、公平と活力の両面から望ましい税制を構築する必要があるのだが・・・・。
多くの国民は安倍政権の経済政策「アベノミクス」の効果を実感しているどころか、消費税増税でさらに支出を切り詰めようとしている。所得や雇用は改善しているとは言えず、増税前の駆け込み需要の終わった4月から消費が冷えこめば経済が悪化し財政の足も引っ張られるのではないか。円安で物価も上がり、医療費から何から何まで値上がりしているときに増税し、年金の支給などは引き下げられる。こんな状況の時に消費税増税は、暮らしと経済をいよいよ破壊して行くのでは・・・。
今は、増税よりも税収がどれだけ必要なところに正しく使われているか・・・その使われ方をもっともっと厳しくチェックした上で、経済の活性化に集中すべきと思うのだが・・・。何か、政治家や官僚が信用できないのである。
最後に、「政治にとって何が大事な問題なのか」・・・。
『論語』の顔淵第十二の中に孔子とその弟子の子貢の次のような会話があるので書いておこう。尚、顔淵(がんえん)とは子貢同様孔子(孔丘)の弟子(孔門十哲の一人で随一の秀才)顔回のこと。字(あざな)は子淵(しえん)である。
【原文】
子貢問政。子曰。足食。足兵。民信之矣。
子貢曰。必不得已而去。於斯三者何先。
曰。去兵。子貢曰。必不得已而去。於斯二者何先。
曰。去食。自古皆有死。民無信不立。
【読み下し】
子貢(しこう)、政(まつりごと)を問う。子(し)曰(いわ)く、食を足らし、兵を足らし、民(たみ)之(これ)を信ず。
子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯(こ)の三者に於いて何をか先にせん。
曰(いわ)く、兵を去らん。子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯(こ)の二者に於いて何をか先きにせん。
曰く、食を去らん。古(いにしえ)より皆な死有り、民、信無くんば立たず。
【通釈】下村湖人(1884〜1955)の『現代訳論語』による。
「子貢が政治の要諦についてたずねた。先師はこたえられた。食糧をゆたかにして国庫の充実をはかること、軍備を完成すること、国民をして政治を信頼せしめること、この三つであろう。子貢がさらにたずねた。その三つのうち、やむなくいずれか一つを断念しなければならないとしますと、まずどれをやめたらよろしゅうございましょうか。先師――むろん軍備だ。子貢がさらにたずねた。あとの二つのうち、やむなくその一つを断念しなければならないとしますと?
先師――食糧だ。国庫が窮乏しては為政者が困るだろうが、昔から人間は早晩死ぬものときまっている。国民に信を失うぐらいなら、飢えて死ぬ方がいいのだ。信がなくては、政治の根本が立たないのだから」
(原文・読み下し、通釈等は以下参考の※23:「Web漢文大系:論語」の顔淵第十二 7参照)
ここでは、「食の確保」は現代でいうと「社会保障とその資金源の税金・社会保険料の確保」の問題を含む。だが孔子はそれよりもなお政治に対する信頼が重要だというのである。解釈を加えるならば、税金の増減よりも税金が正しく使われるかどうかということに対する信頼の方が重要だということになる。・・・、政治家はどう読むのだろう。
「エープリルフール」は新年度。今年は消費税アップの日 参考へ