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ロータス(蓮)デー :別表インドの大地

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別表:インドの大地(宇宙観)

マハーバーラタ』第VI巻の巻頭は、開戦直前の場面を描いている。
クル族(Kuru )の長老でもある聖仙 ヴィヤーサ(vyaasa) が、盲目の老王ドゥリタラーシュトラ( Dhrtarstra)に大戦の帰趨に関して予言を与えて去った後、王とスータ (suta.。王の車に陪乗し補佐役・伝令役を勤める)のサンジャヤ(Sanjaya)の対話が始まる。その始めの部分 は、大地のありさまに関する王の問いに、ヴィヤーサによって特殊な眼力を与えられたサンジャヤが答える体裁をとっている。
サンジャヤは先ず生物(二元論)の分類と五大元素説を語り、次いで大地の形態や山岳・河川・民族の名称等を詳細に述べているがプラーナ文献。「第5のヴェーダ」とも呼ばれている)で陸海は次のように描かれる。
中央に円形の大陸ジャンブー・ドヴィーパ( Jambudvipa)がある。その中心にメル山(Meru山=須弥山。) がそびえ、大陸を東西に横断して六つの山脈が地を区切っている。中央の区画は、 メル山の東西にそれぞれ一つの山脈が南北に延びることによって三分される。山脈によってジャンブー・ドヴィーパは九つの領域 (varlila)に区切られていることになり、南端のバーラタヴァルシャ(Bharatavarsa)が「我々の領域である。
又、 ジャンブー・ドヴィーパの周囲は、ドーナツ形の海陸が順次同心円状に取り巻いており、大陸の数はジャンブー・ドヴィーパ を含めて七つである。これらのさらに外郭には黄金の土地があって、その上を "Lokaloka山"が巡っている。・・・と(※1参照)。
ここに描かれている "Lokaloka山"がよくわからないが、まさに古代インドの世界観=宇宙観宇宙論)が描かれたものである。
古代インドで編纂された一連の宗教文書ヴェーダ(紀元前1000年頃から紀元前500年頃)の時代から、すでにからの発生、原初の原人の犠牲による創造、苦行の熱からの創造、といった宇宙生成論があったという。また、地上界・空界・天界という三界への分類もあったという(仏教用語の三界についてはここ参照)。後の時代、繰り返し生成・消滅している宇宙という考え方が成立したという。これには(ごう、カルマン)の思想が関連しているという。
ごう【業】は行為を意味するサンスクリットの漢訳語。善人も悪人も死んでしまえばみな同じだというのは不公平だという考えをもとに、インドでは業はその善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず、輪廻転生に伴って、アートマンに代々伝えられると考えられた。
これに関し、ブラーフマナ文献あたりから因果応報思想が見え始め、ウパニシャッド文献で、輪廻思想の成立とともに急速に理論化され、のちに一種の運命論となった。
行為は,身体的な行為(身業),語るという行為(口業),思うという行為(意業)に分類されるが,それらの行為はその場かぎりで消えるのではなく、不可見のいわば潜勢体(功徳と罪障,法と非法)として行為の主体につきまとう(※2)。
この無限の反復の原因は、比較的初期の仏教においては、衆生の業の力の集積として理解されていたという。それが、ヒンドゥー教においては、創造神ブラフマーの眠りと覚醒の周期として表象(シンボライズ)されるようになったという(ブラフマーは後にヴィシュヌに置き換わった)。
このインド仏教の宇宙観の体系を示す書物の1つに、インド5世紀の仏僧ヴァスバンドゥ(世親)の『倶舎論 』(※3参照)があるが、この論書が書かれたのは釈尊入滅後900の事であり、『マハーバーラタ(Mahabharata)』 第VI巻(Bhi~maparvan) の巻頭でサンジャヤが述べているような宇宙観を仏教的に整理し体系化したものと思われる。冒頭の画像は須弥山の概念図。
因みに、『倶舎論』の中の1章 「世品(せほん)」に述べられているいわゆる須弥山(しゅみせん)説は以下のとおりである。

『倶舎論』によれば、世界は相重なる三輪、つまり、風輪の上に水輪、その上に金輪がある。また、その最上層をなす金輪の最上面が大地の底に接する際となっており、これを金輪際(こんりんざい)という。なお、このことが俗に転じて、物事の最後の最後までを表して金輪際と言うようになった。
我々が住むのは海水をたたえた金輪に浮かぶジャンブー・ドヴィーパ(閻浮提)であり、須弥山中腹には日天と月天(どちらも天部十二天の一人)がまわっている。須弥山の高さは八万由旬(yojana)といわれ、中腹に四大王天(とう利天主・帝釈天の外臣)がおり四洲を守る。
さらにその上の山頂のとう利天欲界における六欲天の第2の天部である。意訳して三十三天ともいう)にはインドラ帝釈天)が所有し住居とする善見城がある。
尚、須弥山の四洲を守る四大王天のうちの一人、東勝神洲を守護する持国天 の梵名はドゥリタラーシュトラ・・・・冒頭の『マハーバーラタ(Mahabharata)』・・・つまり、 第VI巻の巻頭に登場している盲目の老王のことである。
この 須弥山には甘露(アムリタ,amṛta)の雨が降っており、それによって須弥山に住む天たちは空腹を免れる。・・・という。

上掲の画像は、アンコール・ワット第1回廊、浅浮き彫りにみられる乳海攪拌(一部)。中央にヴィシュヌ、その下に彼の化身の亀クールマがいる。ヴァースキを引っ張っているアスラが左側に、神々が右側に描かれている。
また、釈迦の母が死後とう利天こに生まれたため、釈迦が彼女に説法するため一時ここに昇り、帰りに三道の宝階によって地上へ降ったといわれる(※4参照)
三道の宝階について、
僧院を持つ都城で、ウッタル・プラデーシュアーグラの東にあるサンカーシャは、仏教の八大聖地の一つだが、ここだけが伝説に基づいた聖地だそうだ。
ここに、三道宝階降下の地とされる丘の上には、何かが崩れてできた煉瓦の小さな山と、釈迦の生母マヤ夫人を記念する小さな祠、ヒンドゥ教の神ハヌマーンを祀った小さな祠がある。
釈迦は、生後7日目に死別して天界にいる母マヤ夫人に無上の法(※5)を説くことを念願していた。ある時、祇園精舎サヘート)を訪れていた釈迦は、祇園精舎近くのオラジハール(Orajhar)の丘から三十三天(忉利天)に昇天して、雨安居の3ヶ月間、マヤ夫人に法を説き、報恩を果たしたと伝えられている。
釈迦は、三道の宝階を下って、再び、地上界のサンカシャに帰ってきたといわれている(※5)。降下する時、インドラが造らせた天界と地上界を結ぶ三つの階段が築かれた。釈迦は中央の金の階段を通り、右側の白金の階段をブラフマ神(梵天)が白い払子(ホッス)を手にして降下し、左側の瑠璃の階段をインドラ神(帝釈天)が天蓋を釈迦にかざして、多くの天人たちを従えて降下したとされている。
釈迦が地上に降り立つ時、少し先に降下したブラフマ神とインドラ神が合掌して、また、比丘尼が仏足の所で跪いて迎えたと伝えられているそうだ。

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参考:
※1:Maha bha rata VI.5-13の世界観
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/10785/1/mrp_031-043A.pdf#search='%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8A+%E4%B9%9D%E3%81%A4%E3%81%AE%E
5%9C%B0%E5%9F%9F%E4%B8%96%E7%95%8C'

※2:永遠のダルマと顕在化(Adobe PDF)
http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~kkataoka/Kataoka/Kataoka_1999d.pdf#search='%E6%BD%9C%E5%8B%A2%E4%BD%93'
※3:倶舎論 (くしゃろん)
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/kusharon.htm
※4:【補註10】Saṅkassa(サンカッサ) - 原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究(Adobe PDF)
http://www.sakya-muni.jp/pdf/mono15_s02_10.pdf#search='%E4%B8%89%E9%81%93%E5%AE%9D%E9%9A%8E'
※5:大乗無上の法
http://www.geocities.jp/fuw145/01-busseki-10.html
%8C%81%E5%9B%BD%E5%A4%A9/>http://busson.jp/busson/%E6%<8C%81%E5%9B%BD%E5%A4%A9/</a>
※6:仏跡 聖地 表紙
http://www.geocities.jp/fuw145/01-busseki-10.html
持国天 | 仏尊.jp - 仏像

仏教の宇宙観
http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0320a/contents/rekishi/answer01/main.html#top

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