日本記念日協会の今日・4月22日の記念日に「大人の日」があった。
ケチャップ、デミグラスソースなど、洋食の分野の世界的ブランドとして知られるハインツ。その日本における企業、ハインツ日本株式会社(※2)が制定。
自社商品の「大人むけパスタ」「大人むけスープ」などをPRし、「大人な時間・気分」の演出を食卓から応援していくことが目的だとか。日付は4月22日が「よい夫婦の日」、11月22日が「いい夫婦の日」として知られている「大人の日」であることから、この両日を記念日に登録している。
同社HPを覗くとこのようなことが書かれていた。
「「大人むけ」のブランドは、誰もがもっている“大人な気分を楽しみたい”というニーズに着目し、“食にこだわる楽しみを知っている大人が満足するクオリティー”というコンセプトで展開するブランドです。
こうした“大人ニーズ”に注目し、「夫婦でも大人同士」の楽しみ方を提案するため、この度、“よい(いい)夫婦の日”として知られる4月22日と11月22日を『大人の日』という新しい記念日として、日本記念日協会に登録しました。
『大人の日』は夫婦やパートナー同士が日頃の子育て等を離れ、2人で“ちょっと大人な気分”を味わい、互いの関係をより良好なものにするための記念日です。夫婦が大人同士でちょっとだけ贅沢な時間を過ごす、そんなおしゃれな演出を食卓から応援します。将来は家族の役割を記念する「父の日」や「母の日」と同様に、社会的に重要な記念日として認知されることを目指します。」・・・と。
ケチャップ(英: ketchup)とは、野菜、キノコ、または魚などを原料にした調味料であり、トマトを用いたものはトマトケチャップと呼ばれる。
このトマトケチャップは、現在ケチャップを代表するものとなっており、単に「ケチャップ」と言えばトマトケチャップを指すことが多いが、これは海外でも同様のようである。
歴史的に「ケチャップ」という言葉は、必ずしもトマトケチャップのみを意味してきた用語ではなく、過去にはキノコなどで作られたソースや魚醤などを含む、ソース全般を指していた言葉であったようだ。
そんなケチャップがトマトと劇的な出会いをしたのが新天地アメリカで、18〜19世紀にアメリカに渡ったヨーロッパ人たちが、当時ようやく食用として普及し始めていたトマトでケチャップを作ったという。
Wikipediaによれば、最古のレシピは1795年の "Receipt Book of Sally Bella Dunlop" とされているが、切ったトマトに塩を振り、2・3日置いてからしみ出した果汁を香辛料と煮詰めたもので、酢も砂糖も加えていない(現在とは違い、調理中に隠し味として使ったと考えられている)ものだったという。
その後、1876年に世界で初めて、アメリカのハインツ社(H.J.Heinz)の創業者であるヘンリー・ジョン・ハインツ(ドイツ系アメリカ人。ここ参照)が瓶詰めトマトケチャップを販売し、広く普及した結果、これが、ケチャップの代表になったといわれている。
日本にケチャップが登場するのは明治時代。当時すでにトマトケチャップが主流になっていたアメリカから伝わったため、日本では当初からケチャップといえばトマトケチャップであった。
トマトケチャップの国産製品は、1896(明治29)年に横浜で清水與助が創業した清水屋が、1903年(明治36年)に製造販売を開始したという記録が横浜開港資料館所蔵の資料に残っており、これが最初の国産ケチャップであると考えられているそうだ。
1908(明治41)年には現在のカゴメがトマトケチャップの発売を開始(※4)。
トマトケチャップの世界流通・販売量世界第1位と云われているハインツだが、国内シェアでは、カゴメ(50%)と「デルモンテ」ブランドのキッコーマン(30%)の2社が大勢を占めており、ハインツは日本では約3%と苦戦しているのが現状だという(Wikipedia)。
世界の偉人の名言格言集(※5の中の創業者参照)を見ていると、ハイツ社の創業者ヘンリー・ジョン・ハインツ(H. J. Heinz )の名言が掲載されていた。
「地道に普通のことを行っていれば、驚くほどの成功がもたらされる」
良い言葉だね〜。私はいろいろな名言がある中でもこのような言葉が大好きだ。何事を成すにも日ごろの小さな努力の積み重ねが大事であることを説いている。大きな成功を収めている人が、必ずしも特異な才能を持っているわけではない。きっちりとした自分なりのヴィジョンを持ち、地道な努力や苦労を惜しまない。そのような姿勢こそが成功者に必要なのだろう。
ただ、そのような地道な努力でケチャップの販売量世界第1位となったハイツでも、日本国内でのシェアーがこれほど低いというのは、やはり、日本人の嗜好にはあっていないということなのだろうね〜。今日は、トマトジュースの話を書くのが趣旨ではないので、この話はこれまでにしよう。
今日の本題の記念日「大人の日」ではハインツは「大人むけパスタ」「大人むけスープ」などをPRし、「大人な時間・気分」の演出を食卓から応援していくことが目的としている」・・・というのだが、ここでいう「大人」・・・ってどんなことを言っているのだろう。
ハインツでは、大人の日のページに以下のようなことも書いている。
「たまには、夫婦ふたりだけで、ちょっと贅沢な大人の時間を過ごして欲しい。
そんな時間を叶える新たな記念日として、「大人の日」が制定されました。
その日は、父でも母でもなく、夫でも妻でもなく、大人同士として、いつもとはひと味違う過ごし方をしてみるのはいかがでしょう。
もちろん、大人のためのパスタやスープをいただきながら・・・。
普段は照れくさくてできない、夢や生き方の話をするのもいいかもしれません。
ちょっといいワインを空けたりして、大人同士の特別なひとときを。」・・・と。
「大人」とは、もともと日本の固有語の「和語」である「おとな」に漢字をあてた熟字訓であるが、造語成分(語素)と結合して、「大人ぶる」「大人びる」「大人っぽい」「大人しい」などの動詞や形容詞として使われたりもする。和語は一部を除き音読みはなく、また、身近な基礎的な言葉に多く、漢字と違って一般に意味が広いのが特徴である。
日本では、「大人=おとな」は、一般には、子供に対して、成人した人を意味する。さらには、精神構造が熟成していて目先の感情よりも理性的な判断を優先する人、もしくは自立的に行動し自身の行動に責任の持てる人の事を指す場合もある。また、理性を優先するという点から、妥協や周囲への迎合、事なかれ主義などを、「大人の考え」「大人の都合」「大人の事情」「大人になれよ・・・。」などと揶揄して言う場合もある。
もともと「大人」は、日本固有の「和語」であった「おとな」に「大きな人」と書く漢字をあてたものだが、中国語の「大人」(たいじん、ダーレン[daren])とは、日本語の「大人」(おとな)とは少々概念が違う言葉、名詞 (尊敬語) で、「立派な人=人格者」というのが本来の意味であり、転じて、目上の人に対する敬称として使われている。したがって、歳を取っているだけでは中国語の「大人」にはなれないのだ。
弱肉強食の論理が優先される戦国時代に、軍事力による覇道政治を戒めて、徳による王道政治の理想を説いたのが儒家の孟子であった。
●上掲の画像は孟子。
孟子と戦国諸侯の含蓄のある対話や孟子と高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『孟子』の『離婁章句(りろうしょうく)下』には「大人」への言及が3ヵ所見られ、以下のように書かれている(読み下しは※6、読み直しは※7を参照)。
第六章
「孟子曰、非禮之禮、非義之義、大人弗爲。」
【読み下し】孟子曰く、非禮の禮、非義の義、大人はせず、と。
(読み直し)孟子は言った。礼に似ているが礼でないことや、義に似ているが義ではないことを、立派な人格者(大人)は決してしないものだ。
第十一章
「孟子曰、大人者言不必信、行不必果、惟義所在。」
大人は、言信[まこと]あらんことを必とせず、行果たさんことを必とせず、惟義の在る所のままにす、と。
(読み直し)孟子は言った。大徳のある人(大人)といわれる人は、云ったことを必ずしも実行するとは限らないし、やりかけたことを是が非でもやり遂げるとは限らない。ただ、義に従って適宜に行うまでのことだ。
第十二章
「孟子曰、大人者、不失其赤子之心者也。」
【読み下し】孟子曰く、大人は、其の赤子の心を失わざる者なり、と。
(読み直し)孟子は言った。大徳の人と言われる人(大人)は、いつまでも赤子のような純真な心を失わずに持っている者だ。
上記中、第十一章の「言不必信、行不必果」“言ったことを必ずしも実行するとは限らないし、やりかけたことを是が非でもやり遂げるとは限らない”という言葉には、少し、引っかかる人もいるかもしれないが、何事も“義に従って適宜に行う”のであって、一度言ったことにいちいち拘束されない。やりかけていたことであろうとも効果がないと見切ればスッパリと中断するのが大人だと言いたいのだろう。
孟子の考え方は、『離婁章句上』第四章に書かれていることでわかる。
第四章
「孟子曰、愛人不親、反其仁、治人不治、反其智、禮人不答、反其敬、行有不得者、皆反求諸己、其身正而天下歸之、詩云永言配命、自求多福。」
【読み】孟子曰く、人を愛して親しんぜざれば、其の仁に反る。人を治めて治まらざれば、其の智に反る。人を禮して答えざれば、其の敬に反る。行うて得ざること有れば、皆反って諸を己に求む。其の身正しうして天下之に歸す。詩に云く、永く言[おも]うて命に配す。自ら多福を求む、と
(読み直し)
孟子は、「人を愛しても相手から親しまれない時には、じぶんの仁愛の心が足りないからではないかと反省するがよい。人を治めてもうまく治まらない時には、自分の知恵が足りないからではないかと反省するがよい。人に礼を尽くしても相手が答礼しない時には、自分の敬意が足りないからではないかと反省するがよい。このようにすれば、自分の身も心も真に正しくなって、必ず天下の人もみな帰服してくるものだ」と言った。
詩経に言う、
とこしえに、天命に従い、自らの手で、福を呼び寄せなさい。・・・と。
孟子は、「人の性の善なるは、猶(なお)水の下(ひく)きに就くがごとし」(※6、※7の『告子章句上』第一章、第二章参照)と述べ、人の性は善であり、どのような聖人も小人(しょうじん=「君子」「大人」の対義語。)もその性は一様であると主張した(性善説)。そして、
『告子章句上』第十五章では、大人、と小人について以下のようなことが書かれている。
告子章句上 十五
「公都子問曰、鈞是人也。或爲大人、或爲小人、何也。
孟子曰、從其大體爲大人。從其小體爲小人。
曰、鈞是人也。或從其大體、或從其小體、何也。
曰、耳目之官不思、而蔽於物。物交物、則引之而已矣。心之官則思。思則得之、不思則不得也。此天之所與我者。先立乎其大者、則其小者弗能奪也。此爲大人而已矣。」
【読み下し】
公都子問うて曰く、鈞[ひと]しく是れ人なり。或は大人爲り、或は小人爲ること、何ぞ、と。
孟子曰く、其の大體に從うを大人とす。其の小體に從うを小人とす、と。
曰く、鈞しく是れ人なり。或は其の大體に從い、或は其の小體に從うは、何ぞ、と。
曰く、耳目の官は思わずして、物に蔽わる。物物に交わるときは、則ち之を引くのみ。心の官は則ち思う。思うときは則ち之を得、思わざるときは則ち得ず。此れ天の我に與うる所の者なり。先ず其の大いなる者を立つるときは、則ち其の小しきなる者奪うこと能わず。此れを大人とするのみ、と。
(読み直し)
公都子が孟子にたずねた。「同じ人間でありながら、偉大な人物(大人)となったり、つまらぬ人物(小人)となったリするのはどういうわけでしょうか」
「良心に従っていけば偉大な人物(大人)となり、欲望のまま従っていけばつまらぬ人物(小人)となるのだ」
同じ人間で、良心に従う者もあり、欲望に従うものもあるというのは、どういうわけでしょうか」
「耳や目は考える働きがないので誘惑されやすく、心で考えさえすれば、物の道理が分かるのである。よって、心をしっかりと確立してさえおけば、偉大な人物(大人)になれるのだ。・・・と。
このように、孟子は、性が善でありながら人が時として不善を行うことについては、この善なる性が外物によって失われてしまうからだとした。そのため孟子は、『離婁章句下』第十二章でも書いているように、「大人(たいじん、大徳の人の意)とは、其の赤子の心を失わざる者なり」とも述べているのである。
ここらで、中国の大人(たいじん)の話は横において、別の話へ行こう。
大人(おとな)のことを、アパレル・ファッション関係などでは、英語(adultのカタカナ語)の「アダルト」を好んで使う。これは、子供服に対して成人向けの衣類を指す他、成熟したイメージを演出するデザインについて用いており、子供と大人の中間を「ヤングアダルト(英:Young Adulthood)」などともいう。
普通は「ヤングアダルト」とは、発達心理学では成人期前期のこと。自分は子供ではないと思い始めているが、周囲からは大人と認められない時期。思春期を過ごす年代で、自我の芽生え、進路の選択、大人や社会との葛藤がある時期でもある。
以下参考※8:「Aとは(YAの定義) - 静岡市立図書館」では、以下のように書いている。
「ヤングアダルト(以下YAと呼ぶ)の定義について、日本では公式の規定はないものの「公共図書館におけるヤングアダルト(青少年)サービス実態報告」(日本図書館協会・1993)では、13歳から18歳(中学生と高校生にあたる学齢)の利用者とみなしている。
この年代は「第二の誕生」(ルソーの言葉※9参照)とされるように、子どもから大人への脱皮を遂げなければならない。にもかかわらず身体的、知的、社会的な発達がそれぞれ並行して進行せずに、葛藤と矛盾が共存する特異な時期といえる。
具体的には、自分を子どもとは思っていないのに、社会からはまだ大人ではないと思われている年齢の利用者であり、YAは周囲の世界が非常に気になるのに、同時に激しく内省的であり、自己中心的である。誰にも負けないと思う一方で、物凄く不安でもある。親から自由になりたいと願った次の瞬間には、もう両親や大人の指導を求めているということがあげられる。」・・・と。
それに対して、以下参考の※10、「ファショコン通信」のファッション用語集には、「ヤング‐アダルト」( young adult)について、こう書いている。
「“若い大人”の意。ファッション業界では男女でやや違いがあり、男性が23〜35歳くらい、女性が23〜27歳くらい。最近では、女性のこの年代を「OL」と称する傾向にある。」・・・と。
国語辞書には、「ヤングアダルト」とは、
1、10代後半の若者。20代前半を含めることもある。
2、若々しい雰囲気をもった大人。
と言ったように年代的には結構幅が広いようだが、用語に対する公式の規定がなければ、それぞれの業界によって、対象年齢が違ってくるのも仕方がないだろう。
日本図書館協会でいう「ヤングアダルト」は子供から大人への脱皮を遂げなければならないにもかかわらず身体的、知的、社会的な発達がそれぞれ並行して進行せず、子供自身は自分は大人だ・・・と思っているのに、社会からはまだ大人と認められていないと感じている年代を言っているようだが、ファッション業界の場合は、本人はまだ大人と自覚していない子供じみた人達(青年世代)、・・・年齢的にはもう十分大人のはずなんだが…と言える世代を言っているのかも・・・。
そんなこと考えていると、日本では2012年公開のアメリカ映画『ヤング≒アダルト』(※11)が思い出される。
●上掲のものはマイコレクションより映画『ヤング≒アダルト』のチラシ。
この映画の内容は解説にもある通り以下のようなもの。
仕事も恋愛もうまくいかない30代の女性が、妻子のいる元恋人と復縁しようと大騒動を繰り広げる人間ドラマであり、2007年公開のアメリカ・カナダ合作映画『JUNO/ジュノ』の監督・脚本コンビ、ジェイソン・ライトマンとディアブロ・コーディが再びタッグを組み、「真の幸せとは何か」というテーマを辛らつな笑いと共に描き出したもの。大人に成り切れずイタい言動を繰り広げるヒロインを、オスカー女優シャーリーズ・セロンが熱演している。
この映画の中でセロン演ずるメイビスは「田舎町は、大嫌い」と田舎から都会へ出て来て、本を書いているキャリアと、自分の容姿に絶対の自信を持っているバツイチの37歳。今の日本でも多く見かけられる女性像ではないか。
しかし、自称作家といっても、実はヤングアダルト向け小説のゴーストライターであり、今はその仕事も行き詰まり、しかも、恋人もできず何もうまくいかない。こんなはずではなかった。高校時代は憧れの的だったのにッ。
落ち込んでいる時、何故か届いた元カレからの子供の誕生を祝うパーティーの案内状。
高校時代の人気者気分がアラフォーになっても抜けきらない見栄っ張りの彼女には、「自分が思う現実」と「他人から見た事実」の間に落差があった。精神が大人になりきれていない彼女は、こともあろうに妻子もおり、子供が生まれて幸せいっぱいの高校時代の元彼・バディとヨリを戻すために帰郷し、大騒動を巻き起こす。果たして、真実から逃れられなくなったメイビスが、たどり着いた境地とは・・・?
以下参考の※12の映画感想に書かれている。
この映画では、デブという理由だけでいじめられ、暴行を受けて下半身不随になったという暗い過去をもつメイビスの同級生だったマットの存在が大きい。
元彼バーディーの誘惑に失敗し大暴走するメイビス。自分の行動がうまくいかないと、メイビスはすぐにマットを飲みに誘い、愚痴りまくる。心優しいマットはそんなメイビスの誘いを断らない。ボロボロに傷ついたメイビスは、マットを訪ね、戸惑うマットと一夜を過ごす・・・。メイビスを心の底から理解し、受け入れてくれるのはマットだけだった・・・。
マットの妹に、「あなたの気持ちは分かるし憧れている。こんな田舎町から私も連れ出して」と懇願されるメイビス。
その言葉を拒絶するメイビスのハッとした表情・・・。メイビスが自分の生き方にひとつの答えを出した瞬間である。幸せは何か?それは映画を見た人が感じること。
この映画ではタイトルを『ヤングアダルト』ではなく『ヤング≒アダルト』としている。数字記号「≒」はほぼ等しい。だから、「x ≒ y」は x と y がほぼ等しいことを表す。その意味するところは?・・・よく判らないが、見かけは大人でも大人になっていない人の映画ということだろうか。
最近の流行語「アラフォー」。なにか、得意げに「私はアラフォーよ」などと言っている人を見ているとこの映画の主人公とダブってくるのだが・・・。
先日(4月19日土曜)に、NHKテレビ「週刊ニュース深読み」で「“配偶者控除”見直し? どうなる女の生きる道」と題し、“日本に“専業主婦”がいなくなる!?政府は成長戦略の一つ「女性の就労拡大」を実現させるため、「所得税の配偶者控除」などの制度見直しを検討しています。これまで女性に期待されてきた「家事、子育て、介護の担い手」という役割が、「働き手」へと大きく転換していくかもしれません。 でも本当に企業や社会で女性を支援する仕組みがつくれるの?男性の意識は変えられるの?そして、女性たちはどう生きていくことが幸せなの?“・・・について、視聴者からのメールなど受け付けながら専門家やゲストを交えて討議をしていた(ここ参照)。
私は、用事があり途中の一部しか見ることが出来なかったので、どのような結末になったのかはわからないが、NHKらしい非常に良いテーマーを討議してると思った。
見た範囲の中で、最近の若い女性は社会で頑張っているアラフォー世代の人達を見て、「自分達はそのようになりたくない。早く結婚して主婦になりたい」と願っている人たちが増えてきているのだと言っていた。そのような意見は確かに多いようだ。以下参照。
配偶者控除 | ついっぷるトレンド HOTワード
実際、内閣府が、2012年12月、「男女共同参画社会に関する世論調査(10月調査)」(※13)をした結果を発表しているが「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」という考え方について、賛成が51,6%、反対は45,1でこの質問を始めた1992年から前回調査の2009まで一貫して賛成が減り、反対は増える傾向が続いていたが、この年初めて反転している(参考※13の2.家庭生活等に関する意識について(1) 家庭生活に関する意識。図14 を参照)。面倒であれば、以下参照。
時事ドットコム:「妻は家庭」5割が賛成=初の増加、反対上回る−内閣府調査
少子高齢化社会の今の時代、高齢化が悪いことではない。医療も発達し元気で長生きできるなら、みんなが長生きできるようにすべきだろう。根本的な問題は少子化である。
男女機会均等法に従って、女性の社会進出は進んだが、子供を産み・育てることのできる社会環境・生活環境の整備が出来ていない。そのような環境整備が出来ていない現状で、だれもかれもが仕事仕事と言っていたら、誰が家庭を守り、子供を産み育てるのか?
そして、今のように、結婚もせず子供も産まないまま、年を取り、高齢化社会の中で、安心して老後を過ごせる社会も、社会保障の整備もできていない中で、孤独な一人暮らしをしながら80歳、90歳までも生きている姿を想像してごらんなさい。若い女性が早く結婚して家庭で子供を育てたいと専業主婦願望になるのもごく自然なことだろう。女性の社会進出には、男子の働き方や賃金も含めて働きながら子供を育てられる土壌づくりこそが急がれるべき問題であろう。
人は生まれ年と共に身体は大きくなり、社会経験を積みながら精神的にも成長する。
戦中・戦後の食べるものに不自由した時代に幼・少期を過ごしてきた私たちの世代と比較すると、今の豊かな時代に育った子供たちは、もう中学生くらいになると身体的には私たちと同じ位に成長している。また、私たちの世代の者では、戦後5年経った昭和30年頃でも、義務教育である中学生を卒業する(15歳)と社会人として就職してゆく人がクラスに何人かはいた。
『学校基本調査:年次統計』(参考※14の9 高等教育機関への入学状況参照)を見ても分かるように、高校を卒業する18歳人口のうち昭和30年には、大学・短期大学、高専4年制等、専修学校などの高等教育機関への入学状況(過年度卒業者等含む)は10,1 %であったものが、昨・2013(平成25)年には77,9%(内大学。短期大学55,15%、高専4年制等0,9%、専修学校21,9%)となっているなど、私たちの年代の人達よりは知識も多く身につけている人が増えている。また、メディアも発達し情報も豊かになって知りたいことは何時でも調べればわかる時代になった。
そのような中で、20歳になると成人式を迎え、この日を境に、法的には、単独で法律行為も行えるようになり、酒を飲もうがタバコを吸おうが自由となる。世間的には、一人前の大人になった・・ということになっている。
しかし、私は時代劇ファンでよく時代劇を見るが、昔の男の子はおおよそ数え年で12 - 16歳で元服していたが、もうその頃になると、精神的にはしっかりとした大人に成長していたと言える。
今の時代はどうだろう。年齢的にも教養(知識)的には昔の人よりも成長しているかもしれないが、年齢に応じて精神的にも大きくなっていなければならないと思うのだが、こちらの方は少々未熟な人が多い様な気がする。これは、20歳を過ぎて、30代40代の人にも言える気がする。
戦前というか戦後間なしまでの、まだ豊かでないだれもが貧乏な時代に生きた人間は、小さい子供のころから家の手伝いなどをしながら苦労して苦労して育った。そんな苦労をしてゆく中で精神面でも鍛えられ、また、自分が苦労しているからこそ、人の苦労も自然と理解が出来るようになり人間的に成長していった。
しかし、戦後の高度経済成長と共に、家庭も随分と豊かになり、子供は何の不自由もなく欲しいものを買い与えられ自由にのびのびと育ち、就職も今の時代、「3K」と呼ばれる「きつい、汚い、 危険」な仕事には見向きもしなくなり、思う仕事がないと愚痴ばかり言っているのを聞くが、労力さえ惜しまなければ仕事は十分にあるのである。
高学歴化した故に、望みが高く、自分が満足できない仕事には見向きもしないだけのこと。これは、就職だけのことではなく他のどのようなことにも言えそうだ。就職した後の職場での仕事への取り組み方、会社内での上司や同僚との付き合い方、ひいては、結婚しようとする相手や友人、親などのとの間でも。いわんや、地域社会との付き合いにおいておやある。
人間年を取り成長するにつれ知識も増えるが、また社会における責任も増し、要求されることも高くなってゆく。つまり立場はますます複雑かつ難解になっていく。
そのような中にあって問題なのは、「大人とはどうあるべきか」・・・ということではないだろうか。逆に言えば、どうある人が「大人」というに値するかであろう。
私には、これが「大人」だなんていう資格はない。ただ、なにかあればすぐに切れてしまったり、気に入らないことがあればふてくされてしまう。いつも欲なことばかり考えている、そして 自己中な人、また、人に対する慈しみの気持ちや気遣いも持たない人を、単に年をとっているからといって私は、その人を「大人」とは呼びたくない。
理想的な大人とは、孟子が言うように、いつまでも赤子のような純真な心を失わず、現実とまともに向かい合って生きている人だと言えるかもしれない。
そうすれば、一緒に生活をしている夫婦もご互いに相手の立場を理解しあって、仲よく老後を過ごせるだろう・・・。私も、これを肝に銘じてこれから「自分のわがまま」ばかり云わないように気を付けよう。
冒頭の画像はマイコレクションよりJR西日本のチラシカット:グリーン車が乗り放題となる、熟年および老年夫婦(2人の年齢合計が88歳以上の夫婦)を対象とした特別企画乗車券(「トクトクきっぷ」)「フルムーン夫婦グリーンパス」の俳優二谷 英明と同じく俳優でもある白川由美夫妻。
参考:
※1:日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/
※2:ハインツ日本株式会社
http://www.heinz.jp/
※3:トマトケチャップの歴史
http://www.dole.co.jp/5aday/about/column/column_104.html
※4:国内初の「トマトケチャップ」を再現−横浜・清水屋-. ヨコハマ経済新聞
http://www.hamakei.com/headline/2922/
※5:名言の王国:名言格言集
http://meigennooukoku.net/blog-category-175.html
※6:黙斎を語る:朱子学の基本となる書
http://mokusai-web.com/shushigakukihonsho/shushigakukihonsho.html
※7:孟子:離婁章句上・下他
http://www006.upp.so-net.ne.jp/china/book8-2.html
※8:Aとは(YAの定義) - 静岡市立図書館
http://www.toshokan.city.shizuoka.jp/?page_id=206
※9:青年期の特徴とは / 倫理
http://manapedia.jp/text/index?text_id=2205
※10:ファショコン通信
http://www.tsushin.tv/
※11:ヤング≒アダルト - Yahoo!映画
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id341318/
※12:「ヤング≒アダルト」 - 浪花のゾンビマン、映画館に現る!!
http://blogs.yahoo.co.jp/room304zombie/29595464.html
※13:男女共同参画社会に関する世論調査 −内閣府
http://www8.cao.go.jp/survey/h24/h24-danjo/index.html?utm_medium=referral&utm_source=pulsenews
※14:学校基本調査:年次統計
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001015843
ケチャップ、デミグラスソースなど、洋食の分野の世界的ブランドとして知られるハインツ。その日本における企業、ハインツ日本株式会社(※2)が制定。
自社商品の「大人むけパスタ」「大人むけスープ」などをPRし、「大人な時間・気分」の演出を食卓から応援していくことが目的だとか。日付は4月22日が「よい夫婦の日」、11月22日が「いい夫婦の日」として知られている「大人の日」であることから、この両日を記念日に登録している。
同社HPを覗くとこのようなことが書かれていた。
「「大人むけ」のブランドは、誰もがもっている“大人な気分を楽しみたい”というニーズに着目し、“食にこだわる楽しみを知っている大人が満足するクオリティー”というコンセプトで展開するブランドです。
こうした“大人ニーズ”に注目し、「夫婦でも大人同士」の楽しみ方を提案するため、この度、“よい(いい)夫婦の日”として知られる4月22日と11月22日を『大人の日』という新しい記念日として、日本記念日協会に登録しました。
『大人の日』は夫婦やパートナー同士が日頃の子育て等を離れ、2人で“ちょっと大人な気分”を味わい、互いの関係をより良好なものにするための記念日です。夫婦が大人同士でちょっとだけ贅沢な時間を過ごす、そんなおしゃれな演出を食卓から応援します。将来は家族の役割を記念する「父の日」や「母の日」と同様に、社会的に重要な記念日として認知されることを目指します。」・・・と。
ケチャップ(英: ketchup)とは、野菜、キノコ、または魚などを原料にした調味料であり、トマトを用いたものはトマトケチャップと呼ばれる。
このトマトケチャップは、現在ケチャップを代表するものとなっており、単に「ケチャップ」と言えばトマトケチャップを指すことが多いが、これは海外でも同様のようである。
歴史的に「ケチャップ」という言葉は、必ずしもトマトケチャップのみを意味してきた用語ではなく、過去にはキノコなどで作られたソースや魚醤などを含む、ソース全般を指していた言葉であったようだ。
そんなケチャップがトマトと劇的な出会いをしたのが新天地アメリカで、18〜19世紀にアメリカに渡ったヨーロッパ人たちが、当時ようやく食用として普及し始めていたトマトでケチャップを作ったという。
Wikipediaによれば、最古のレシピは1795年の "Receipt Book of Sally Bella Dunlop" とされているが、切ったトマトに塩を振り、2・3日置いてからしみ出した果汁を香辛料と煮詰めたもので、酢も砂糖も加えていない(現在とは違い、調理中に隠し味として使ったと考えられている)ものだったという。
その後、1876年に世界で初めて、アメリカのハインツ社(H.J.Heinz)の創業者であるヘンリー・ジョン・ハインツ(ドイツ系アメリカ人。ここ参照)が瓶詰めトマトケチャップを販売し、広く普及した結果、これが、ケチャップの代表になったといわれている。
日本にケチャップが登場するのは明治時代。当時すでにトマトケチャップが主流になっていたアメリカから伝わったため、日本では当初からケチャップといえばトマトケチャップであった。
トマトケチャップの国産製品は、1896(明治29)年に横浜で清水與助が創業した清水屋が、1903年(明治36年)に製造販売を開始したという記録が横浜開港資料館所蔵の資料に残っており、これが最初の国産ケチャップであると考えられているそうだ。
1908(明治41)年には現在のカゴメがトマトケチャップの発売を開始(※4)。
トマトケチャップの世界流通・販売量世界第1位と云われているハインツだが、国内シェアでは、カゴメ(50%)と「デルモンテ」ブランドのキッコーマン(30%)の2社が大勢を占めており、ハインツは日本では約3%と苦戦しているのが現状だという(Wikipedia)。
世界の偉人の名言格言集(※5の中の創業者参照)を見ていると、ハイツ社の創業者ヘンリー・ジョン・ハインツ(H. J. Heinz )の名言が掲載されていた。
「地道に普通のことを行っていれば、驚くほどの成功がもたらされる」
良い言葉だね〜。私はいろいろな名言がある中でもこのような言葉が大好きだ。何事を成すにも日ごろの小さな努力の積み重ねが大事であることを説いている。大きな成功を収めている人が、必ずしも特異な才能を持っているわけではない。きっちりとした自分なりのヴィジョンを持ち、地道な努力や苦労を惜しまない。そのような姿勢こそが成功者に必要なのだろう。
ただ、そのような地道な努力でケチャップの販売量世界第1位となったハイツでも、日本国内でのシェアーがこれほど低いというのは、やはり、日本人の嗜好にはあっていないということなのだろうね〜。今日は、トマトジュースの話を書くのが趣旨ではないので、この話はこれまでにしよう。
今日の本題の記念日「大人の日」ではハインツは「大人むけパスタ」「大人むけスープ」などをPRし、「大人な時間・気分」の演出を食卓から応援していくことが目的としている」・・・というのだが、ここでいう「大人」・・・ってどんなことを言っているのだろう。
ハインツでは、大人の日のページに以下のようなことも書いている。
「たまには、夫婦ふたりだけで、ちょっと贅沢な大人の時間を過ごして欲しい。
そんな時間を叶える新たな記念日として、「大人の日」が制定されました。
その日は、父でも母でもなく、夫でも妻でもなく、大人同士として、いつもとはひと味違う過ごし方をしてみるのはいかがでしょう。
もちろん、大人のためのパスタやスープをいただきながら・・・。
普段は照れくさくてできない、夢や生き方の話をするのもいいかもしれません。
ちょっといいワインを空けたりして、大人同士の特別なひとときを。」・・・と。
「大人」とは、もともと日本の固有語の「和語」である「おとな」に漢字をあてた熟字訓であるが、造語成分(語素)と結合して、「大人ぶる」「大人びる」「大人っぽい」「大人しい」などの動詞や形容詞として使われたりもする。和語は一部を除き音読みはなく、また、身近な基礎的な言葉に多く、漢字と違って一般に意味が広いのが特徴である。
日本では、「大人=おとな」は、一般には、子供に対して、成人した人を意味する。さらには、精神構造が熟成していて目先の感情よりも理性的な判断を優先する人、もしくは自立的に行動し自身の行動に責任の持てる人の事を指す場合もある。また、理性を優先するという点から、妥協や周囲への迎合、事なかれ主義などを、「大人の考え」「大人の都合」「大人の事情」「大人になれよ・・・。」などと揶揄して言う場合もある。
もともと「大人」は、日本固有の「和語」であった「おとな」に「大きな人」と書く漢字をあてたものだが、中国語の「大人」(たいじん、ダーレン[daren])とは、日本語の「大人」(おとな)とは少々概念が違う言葉、名詞 (尊敬語) で、「立派な人=人格者」というのが本来の意味であり、転じて、目上の人に対する敬称として使われている。したがって、歳を取っているだけでは中国語の「大人」にはなれないのだ。
弱肉強食の論理が優先される戦国時代に、軍事力による覇道政治を戒めて、徳による王道政治の理想を説いたのが儒家の孟子であった。
●上掲の画像は孟子。
孟子と戦国諸侯の含蓄のある対話や孟子と高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『孟子』の『離婁章句(りろうしょうく)下』には「大人」への言及が3ヵ所見られ、以下のように書かれている(読み下しは※6、読み直しは※7を参照)。
第六章
「孟子曰、非禮之禮、非義之義、大人弗爲。」
【読み下し】孟子曰く、非禮の禮、非義の義、大人はせず、と。
(読み直し)孟子は言った。礼に似ているが礼でないことや、義に似ているが義ではないことを、立派な人格者(大人)は決してしないものだ。
第十一章
「孟子曰、大人者言不必信、行不必果、惟義所在。」
大人は、言信[まこと]あらんことを必とせず、行果たさんことを必とせず、惟義の在る所のままにす、と。
(読み直し)孟子は言った。大徳のある人(大人)といわれる人は、云ったことを必ずしも実行するとは限らないし、やりかけたことを是が非でもやり遂げるとは限らない。ただ、義に従って適宜に行うまでのことだ。
第十二章
「孟子曰、大人者、不失其赤子之心者也。」
【読み下し】孟子曰く、大人は、其の赤子の心を失わざる者なり、と。
(読み直し)孟子は言った。大徳の人と言われる人(大人)は、いつまでも赤子のような純真な心を失わずに持っている者だ。
上記中、第十一章の「言不必信、行不必果」“言ったことを必ずしも実行するとは限らないし、やりかけたことを是が非でもやり遂げるとは限らない”という言葉には、少し、引っかかる人もいるかもしれないが、何事も“義に従って適宜に行う”のであって、一度言ったことにいちいち拘束されない。やりかけていたことであろうとも効果がないと見切ればスッパリと中断するのが大人だと言いたいのだろう。
孟子の考え方は、『離婁章句上』第四章に書かれていることでわかる。
第四章
「孟子曰、愛人不親、反其仁、治人不治、反其智、禮人不答、反其敬、行有不得者、皆反求諸己、其身正而天下歸之、詩云永言配命、自求多福。」
【読み】孟子曰く、人を愛して親しんぜざれば、其の仁に反る。人を治めて治まらざれば、其の智に反る。人を禮して答えざれば、其の敬に反る。行うて得ざること有れば、皆反って諸を己に求む。其の身正しうして天下之に歸す。詩に云く、永く言[おも]うて命に配す。自ら多福を求む、と
(読み直し)
孟子は、「人を愛しても相手から親しまれない時には、じぶんの仁愛の心が足りないからではないかと反省するがよい。人を治めてもうまく治まらない時には、自分の知恵が足りないからではないかと反省するがよい。人に礼を尽くしても相手が答礼しない時には、自分の敬意が足りないからではないかと反省するがよい。このようにすれば、自分の身も心も真に正しくなって、必ず天下の人もみな帰服してくるものだ」と言った。
詩経に言う、
とこしえに、天命に従い、自らの手で、福を呼び寄せなさい。・・・と。
孟子は、「人の性の善なるは、猶(なお)水の下(ひく)きに就くがごとし」(※6、※7の『告子章句上』第一章、第二章参照)と述べ、人の性は善であり、どのような聖人も小人(しょうじん=「君子」「大人」の対義語。)もその性は一様であると主張した(性善説)。そして、
『告子章句上』第十五章では、大人、と小人について以下のようなことが書かれている。
告子章句上 十五
「公都子問曰、鈞是人也。或爲大人、或爲小人、何也。
孟子曰、從其大體爲大人。從其小體爲小人。
曰、鈞是人也。或從其大體、或從其小體、何也。
曰、耳目之官不思、而蔽於物。物交物、則引之而已矣。心之官則思。思則得之、不思則不得也。此天之所與我者。先立乎其大者、則其小者弗能奪也。此爲大人而已矣。」
【読み下し】
公都子問うて曰く、鈞[ひと]しく是れ人なり。或は大人爲り、或は小人爲ること、何ぞ、と。
孟子曰く、其の大體に從うを大人とす。其の小體に從うを小人とす、と。
曰く、鈞しく是れ人なり。或は其の大體に從い、或は其の小體に從うは、何ぞ、と。
曰く、耳目の官は思わずして、物に蔽わる。物物に交わるときは、則ち之を引くのみ。心の官は則ち思う。思うときは則ち之を得、思わざるときは則ち得ず。此れ天の我に與うる所の者なり。先ず其の大いなる者を立つるときは、則ち其の小しきなる者奪うこと能わず。此れを大人とするのみ、と。
(読み直し)
公都子が孟子にたずねた。「同じ人間でありながら、偉大な人物(大人)となったり、つまらぬ人物(小人)となったリするのはどういうわけでしょうか」
「良心に従っていけば偉大な人物(大人)となり、欲望のまま従っていけばつまらぬ人物(小人)となるのだ」
同じ人間で、良心に従う者もあり、欲望に従うものもあるというのは、どういうわけでしょうか」
「耳や目は考える働きがないので誘惑されやすく、心で考えさえすれば、物の道理が分かるのである。よって、心をしっかりと確立してさえおけば、偉大な人物(大人)になれるのだ。・・・と。
このように、孟子は、性が善でありながら人が時として不善を行うことについては、この善なる性が外物によって失われてしまうからだとした。そのため孟子は、『離婁章句下』第十二章でも書いているように、「大人(たいじん、大徳の人の意)とは、其の赤子の心を失わざる者なり」とも述べているのである。
ここらで、中国の大人(たいじん)の話は横において、別の話へ行こう。
大人(おとな)のことを、アパレル・ファッション関係などでは、英語(adultのカタカナ語)の「アダルト」を好んで使う。これは、子供服に対して成人向けの衣類を指す他、成熟したイメージを演出するデザインについて用いており、子供と大人の中間を「ヤングアダルト(英:Young Adulthood)」などともいう。
普通は「ヤングアダルト」とは、発達心理学では成人期前期のこと。自分は子供ではないと思い始めているが、周囲からは大人と認められない時期。思春期を過ごす年代で、自我の芽生え、進路の選択、大人や社会との葛藤がある時期でもある。
以下参考※8:「Aとは(YAの定義) - 静岡市立図書館」では、以下のように書いている。
「ヤングアダルト(以下YAと呼ぶ)の定義について、日本では公式の規定はないものの「公共図書館におけるヤングアダルト(青少年)サービス実態報告」(日本図書館協会・1993)では、13歳から18歳(中学生と高校生にあたる学齢)の利用者とみなしている。
この年代は「第二の誕生」(ルソーの言葉※9参照)とされるように、子どもから大人への脱皮を遂げなければならない。にもかかわらず身体的、知的、社会的な発達がそれぞれ並行して進行せずに、葛藤と矛盾が共存する特異な時期といえる。
具体的には、自分を子どもとは思っていないのに、社会からはまだ大人ではないと思われている年齢の利用者であり、YAは周囲の世界が非常に気になるのに、同時に激しく内省的であり、自己中心的である。誰にも負けないと思う一方で、物凄く不安でもある。親から自由になりたいと願った次の瞬間には、もう両親や大人の指導を求めているということがあげられる。」・・・と。
それに対して、以下参考の※10、「ファショコン通信」のファッション用語集には、「ヤング‐アダルト」( young adult)について、こう書いている。
「“若い大人”の意。ファッション業界では男女でやや違いがあり、男性が23〜35歳くらい、女性が23〜27歳くらい。最近では、女性のこの年代を「OL」と称する傾向にある。」・・・と。
国語辞書には、「ヤングアダルト」とは、
1、10代後半の若者。20代前半を含めることもある。
2、若々しい雰囲気をもった大人。
と言ったように年代的には結構幅が広いようだが、用語に対する公式の規定がなければ、それぞれの業界によって、対象年齢が違ってくるのも仕方がないだろう。
日本図書館協会でいう「ヤングアダルト」は子供から大人への脱皮を遂げなければならないにもかかわらず身体的、知的、社会的な発達がそれぞれ並行して進行せず、子供自身は自分は大人だ・・・と思っているのに、社会からはまだ大人と認められていないと感じている年代を言っているようだが、ファッション業界の場合は、本人はまだ大人と自覚していない子供じみた人達(青年世代)、・・・年齢的にはもう十分大人のはずなんだが…と言える世代を言っているのかも・・・。
そんなこと考えていると、日本では2012年公開のアメリカ映画『ヤング≒アダルト』(※11)が思い出される。
●上掲のものはマイコレクションより映画『ヤング≒アダルト』のチラシ。
この映画の内容は解説にもある通り以下のようなもの。
仕事も恋愛もうまくいかない30代の女性が、妻子のいる元恋人と復縁しようと大騒動を繰り広げる人間ドラマであり、2007年公開のアメリカ・カナダ合作映画『JUNO/ジュノ』の監督・脚本コンビ、ジェイソン・ライトマンとディアブロ・コーディが再びタッグを組み、「真の幸せとは何か」というテーマを辛らつな笑いと共に描き出したもの。大人に成り切れずイタい言動を繰り広げるヒロインを、オスカー女優シャーリーズ・セロンが熱演している。
この映画の中でセロン演ずるメイビスは「田舎町は、大嫌い」と田舎から都会へ出て来て、本を書いているキャリアと、自分の容姿に絶対の自信を持っているバツイチの37歳。今の日本でも多く見かけられる女性像ではないか。
しかし、自称作家といっても、実はヤングアダルト向け小説のゴーストライターであり、今はその仕事も行き詰まり、しかも、恋人もできず何もうまくいかない。こんなはずではなかった。高校時代は憧れの的だったのにッ。
落ち込んでいる時、何故か届いた元カレからの子供の誕生を祝うパーティーの案内状。
高校時代の人気者気分がアラフォーになっても抜けきらない見栄っ張りの彼女には、「自分が思う現実」と「他人から見た事実」の間に落差があった。精神が大人になりきれていない彼女は、こともあろうに妻子もおり、子供が生まれて幸せいっぱいの高校時代の元彼・バディとヨリを戻すために帰郷し、大騒動を巻き起こす。果たして、真実から逃れられなくなったメイビスが、たどり着いた境地とは・・・?
以下参考の※12の映画感想に書かれている。
この映画では、デブという理由だけでいじめられ、暴行を受けて下半身不随になったという暗い過去をもつメイビスの同級生だったマットの存在が大きい。
元彼バーディーの誘惑に失敗し大暴走するメイビス。自分の行動がうまくいかないと、メイビスはすぐにマットを飲みに誘い、愚痴りまくる。心優しいマットはそんなメイビスの誘いを断らない。ボロボロに傷ついたメイビスは、マットを訪ね、戸惑うマットと一夜を過ごす・・・。メイビスを心の底から理解し、受け入れてくれるのはマットだけだった・・・。
マットの妹に、「あなたの気持ちは分かるし憧れている。こんな田舎町から私も連れ出して」と懇願されるメイビス。
その言葉を拒絶するメイビスのハッとした表情・・・。メイビスが自分の生き方にひとつの答えを出した瞬間である。幸せは何か?それは映画を見た人が感じること。
この映画ではタイトルを『ヤングアダルト』ではなく『ヤング≒アダルト』としている。数字記号「≒」はほぼ等しい。だから、「x ≒ y」は x と y がほぼ等しいことを表す。その意味するところは?・・・よく判らないが、見かけは大人でも大人になっていない人の映画ということだろうか。
最近の流行語「アラフォー」。なにか、得意げに「私はアラフォーよ」などと言っている人を見ているとこの映画の主人公とダブってくるのだが・・・。
先日(4月19日土曜)に、NHKテレビ「週刊ニュース深読み」で「“配偶者控除”見直し? どうなる女の生きる道」と題し、“日本に“専業主婦”がいなくなる!?政府は成長戦略の一つ「女性の就労拡大」を実現させるため、「所得税の配偶者控除」などの制度見直しを検討しています。これまで女性に期待されてきた「家事、子育て、介護の担い手」という役割が、「働き手」へと大きく転換していくかもしれません。 でも本当に企業や社会で女性を支援する仕組みがつくれるの?男性の意識は変えられるの?そして、女性たちはどう生きていくことが幸せなの?“・・・について、視聴者からのメールなど受け付けながら専門家やゲストを交えて討議をしていた(ここ参照)。
私は、用事があり途中の一部しか見ることが出来なかったので、どのような結末になったのかはわからないが、NHKらしい非常に良いテーマーを討議してると思った。
見た範囲の中で、最近の若い女性は社会で頑張っているアラフォー世代の人達を見て、「自分達はそのようになりたくない。早く結婚して主婦になりたい」と願っている人たちが増えてきているのだと言っていた。そのような意見は確かに多いようだ。以下参照。
配偶者控除 | ついっぷるトレンド HOTワード
実際、内閣府が、2012年12月、「男女共同参画社会に関する世論調査(10月調査)」(※13)をした結果を発表しているが「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」という考え方について、賛成が51,6%、反対は45,1でこの質問を始めた1992年から前回調査の2009まで一貫して賛成が減り、反対は増える傾向が続いていたが、この年初めて反転している(参考※13の2.家庭生活等に関する意識について(1) 家庭生活に関する意識。図14 を参照)。面倒であれば、以下参照。
時事ドットコム:「妻は家庭」5割が賛成=初の増加、反対上回る−内閣府調査
少子高齢化社会の今の時代、高齢化が悪いことではない。医療も発達し元気で長生きできるなら、みんなが長生きできるようにすべきだろう。根本的な問題は少子化である。
男女機会均等法に従って、女性の社会進出は進んだが、子供を産み・育てることのできる社会環境・生活環境の整備が出来ていない。そのような環境整備が出来ていない現状で、だれもかれもが仕事仕事と言っていたら、誰が家庭を守り、子供を産み育てるのか?
そして、今のように、結婚もせず子供も産まないまま、年を取り、高齢化社会の中で、安心して老後を過ごせる社会も、社会保障の整備もできていない中で、孤独な一人暮らしをしながら80歳、90歳までも生きている姿を想像してごらんなさい。若い女性が早く結婚して家庭で子供を育てたいと専業主婦願望になるのもごく自然なことだろう。女性の社会進出には、男子の働き方や賃金も含めて働きながら子供を育てられる土壌づくりこそが急がれるべき問題であろう。
人は生まれ年と共に身体は大きくなり、社会経験を積みながら精神的にも成長する。
戦中・戦後の食べるものに不自由した時代に幼・少期を過ごしてきた私たちの世代と比較すると、今の豊かな時代に育った子供たちは、もう中学生くらいになると身体的には私たちと同じ位に成長している。また、私たちの世代の者では、戦後5年経った昭和30年頃でも、義務教育である中学生を卒業する(15歳)と社会人として就職してゆく人がクラスに何人かはいた。
『学校基本調査:年次統計』(参考※14の9 高等教育機関への入学状況参照)を見ても分かるように、高校を卒業する18歳人口のうち昭和30年には、大学・短期大学、高専4年制等、専修学校などの高等教育機関への入学状況(過年度卒業者等含む)は10,1 %であったものが、昨・2013(平成25)年には77,9%(内大学。短期大学55,15%、高専4年制等0,9%、専修学校21,9%)となっているなど、私たちの年代の人達よりは知識も多く身につけている人が増えている。また、メディアも発達し情報も豊かになって知りたいことは何時でも調べればわかる時代になった。
そのような中で、20歳になると成人式を迎え、この日を境に、法的には、単独で法律行為も行えるようになり、酒を飲もうがタバコを吸おうが自由となる。世間的には、一人前の大人になった・・ということになっている。
しかし、私は時代劇ファンでよく時代劇を見るが、昔の男の子はおおよそ数え年で12 - 16歳で元服していたが、もうその頃になると、精神的にはしっかりとした大人に成長していたと言える。
今の時代はどうだろう。年齢的にも教養(知識)的には昔の人よりも成長しているかもしれないが、年齢に応じて精神的にも大きくなっていなければならないと思うのだが、こちらの方は少々未熟な人が多い様な気がする。これは、20歳を過ぎて、30代40代の人にも言える気がする。
戦前というか戦後間なしまでの、まだ豊かでないだれもが貧乏な時代に生きた人間は、小さい子供のころから家の手伝いなどをしながら苦労して苦労して育った。そんな苦労をしてゆく中で精神面でも鍛えられ、また、自分が苦労しているからこそ、人の苦労も自然と理解が出来るようになり人間的に成長していった。
しかし、戦後の高度経済成長と共に、家庭も随分と豊かになり、子供は何の不自由もなく欲しいものを買い与えられ自由にのびのびと育ち、就職も今の時代、「3K」と呼ばれる「きつい、汚い、 危険」な仕事には見向きもしなくなり、思う仕事がないと愚痴ばかり言っているのを聞くが、労力さえ惜しまなければ仕事は十分にあるのである。
高学歴化した故に、望みが高く、自分が満足できない仕事には見向きもしないだけのこと。これは、就職だけのことではなく他のどのようなことにも言えそうだ。就職した後の職場での仕事への取り組み方、会社内での上司や同僚との付き合い方、ひいては、結婚しようとする相手や友人、親などのとの間でも。いわんや、地域社会との付き合いにおいておやある。
人間年を取り成長するにつれ知識も増えるが、また社会における責任も増し、要求されることも高くなってゆく。つまり立場はますます複雑かつ難解になっていく。
そのような中にあって問題なのは、「大人とはどうあるべきか」・・・ということではないだろうか。逆に言えば、どうある人が「大人」というに値するかであろう。
私には、これが「大人」だなんていう資格はない。ただ、なにかあればすぐに切れてしまったり、気に入らないことがあればふてくされてしまう。いつも欲なことばかり考えている、そして 自己中な人、また、人に対する慈しみの気持ちや気遣いも持たない人を、単に年をとっているからといって私は、その人を「大人」とは呼びたくない。
理想的な大人とは、孟子が言うように、いつまでも赤子のような純真な心を失わず、現実とまともに向かい合って生きている人だと言えるかもしれない。
そうすれば、一緒に生活をしている夫婦もご互いに相手の立場を理解しあって、仲よく老後を過ごせるだろう・・・。私も、これを肝に銘じてこれから「自分のわがまま」ばかり云わないように気を付けよう。
冒頭の画像はマイコレクションよりJR西日本のチラシカット:グリーン車が乗り放題となる、熟年および老年夫婦(2人の年齢合計が88歳以上の夫婦)を対象とした特別企画乗車券(「トクトクきっぷ」)「フルムーン夫婦グリーンパス」の俳優二谷 英明と同じく俳優でもある白川由美夫妻。
参考:
※1:日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/
※2:ハインツ日本株式会社
http://www.heinz.jp/
※3:トマトケチャップの歴史
http://www.dole.co.jp/5aday/about/column/column_104.html
※4:国内初の「トマトケチャップ」を再現−横浜・清水屋-. ヨコハマ経済新聞
http://www.hamakei.com/headline/2922/
※5:名言の王国:名言格言集
http://meigennooukoku.net/blog-category-175.html
※6:黙斎を語る:朱子学の基本となる書
http://mokusai-web.com/shushigakukihonsho/shushigakukihonsho.html
※7:孟子:離婁章句上・下他
http://www006.upp.so-net.ne.jp/china/book8-2.html
※8:Aとは(YAの定義) - 静岡市立図書館
http://www.toshokan.city.shizuoka.jp/?page_id=206
※9:青年期の特徴とは / 倫理
http://manapedia.jp/text/index?text_id=2205
※10:ファショコン通信
http://www.tsushin.tv/
※11:ヤング≒アダルト - Yahoo!映画
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id341318/
※12:「ヤング≒アダルト」 - 浪花のゾンビマン、映画館に現る!!
http://blogs.yahoo.co.jp/room304zombie/29595464.html
※13:男女共同参画社会に関する世論調査 −内閣府
http://www8.cao.go.jp/survey/h24/h24-danjo/index.html?utm_medium=referral&utm_source=pulsenews
※14:学校基本調査:年次統計
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001015843