冒頭の画像は「ご当地キャラ大集合inさんだ(第5回2014年)」ポスター(ここ参照。画像クリックで拡大する。
今日は「ご当地キャラの日」だそうだ。
記念日に制定したのは、滋賀県彦根市に本部を置く一般社団法人日本ご当地キャラクター協会(※1)で、地域の活性化を目指し、街を元気にするご当地キャラクター(キャラ)同士の連携を深め、それぞれのローカルキャラクターを全国に発信するのが目的だそうだ。日付は5と11で「ご(5)当(10)地(1)」と読む語呂合わせからだそうだ。
人間や動物のような生物や、生物を模したロボットに限らず、さまざまな道具、時には生物の器官、星や元素、さらには感情や自然、国家など、ありとあらゆる概念は擬人化とデフォルメを介することでキャラクター化されうる。略してキャラとも言われる。
「キャラクター」の語源である英語の「character」という語の本来の意味は、「特徴」「性質」だそうであり、元の語源はギリシャ語で「刻まれた印、記号」(※2)だそうだ。その意味での用例として、似た性質を持つ人物が社会集団に複数いる状態を『キャラがかぶる』と表現することがある。また、人物を意味する場合も本来は架空の登場人物とは限らず、日本語でも、CMキャラクターなどは実在の人物をさす用例も多い。
上掲の画像は、「元気ハツラツ!」のキャッチフレーズで知られる大塚製薬のオロナミンCのCMタレント、こんちゃんこと大村 崑 (ホーロー看板)。以下の動画は、「ひと味ちがいます。」のキャッチフレーズで、1968(昭和43)年 以降一時中断はあったものの40年間も「タケヤみその顔」として親しまれていた日本のお母さんこと、女優森 光子のCMである。
日本語において、架空の登場人物を指す「キャラクター」という言葉は、1950年代にディズニーのアニメーション映画の契約書にあった「fanciful character」を「空想的キャラクター」と訳した際に誕生したとされている(Wikipedia)。
日本では大正期にかけて外国から輸入されたアニメーション映画の人気を受けて、天活(天然色活動写真株式会社)で下川凹天が、小林商会で幸内純一が、日活で北山清太郎が独自にアニメーション制作を開始した。
1917(大正6)年1月、下川が手がけた短篇アニメーション映画『芋川椋三玄関番の巻』が公開され国産アニメーション映画の第1号となったが、現存するものは2007(平成19)年に玩具版が発見された幸内純一の同年6月30日公開『塙凹内名刀之巻』(『なまくら刀』とも。)のみであり、これが、現存する日本最古のアニメーション作品として知られている。
諸外国と同じく当初作られていたアニメは数分程度の短編映画が多かった。作り手も個人もしくは少人数の工房での家庭内手工業に準ずる製作体制で、生産本数も少なく、生産の効率化を可能とするセル画の導入も遅れていた。1930(昭和5)年前後にセル画が使われ始まるまでは、日本では、フランスなどと同様、切り絵によるアニメが主流であったという。
当映画で、劇中のキャラクターは、既に漫画調のデフォルメが為された頭身であり、試し切りをしようとした武士が蹴られて回転をしたり、星マークなどの漫符の活用が見受けられるなど、この時代にして、これくらいのアニメが作られていたとはすごいことである。以下でそのワンカットが見られる。
日本現存最古のアニメ「なまくら刀」発見 - YouTube
アニメ映画も太平洋戦争を迎えると、戦意高揚を目的とする作品が制作され瀬尾光世監督による日本初の長編アニメーション『桃太郎の海鷲』(1942年)が藝術映画社より製作され、1945(昭和20)年には松竹動画研究所より『桃太郎の海鷲』の姉妹編『桃太郎 海の神兵』も産み出された。
『桃太郎 海の神兵』は、南方戦線のインドネシア中部にあるセレベス島・メナドへの日本海軍の奇襲作戦を題材に海軍陸戦隊落下傘部隊の活躍を描き、当時の日本政府の大義であった「八紘一宇」と「アジア解放」(※3)を主題にした大作(74分)である。当時の日本政府、海軍より270,000円という巨費と100名近い人員を投じて制作されたという(参考:当時の東京の物価:銀行員給与80円、米10キロ6円、総理府統計局、「週刊朝日」編値段の風俗史などから)。
落下傘部隊のシーンは、1週間の体験入隊を行うなどして実際の動きを細かく分析、マルチプレーン撮影や透過光[※4参照]などの特殊効果も用いた大掛かりな制作であった(特に透過光の使用は世界初であるとも言われている)。
そして、ミュージカル仕立ての場面があり、これは監督である瀬尾が、1940(昭和15)年にアメリカで公開されたディズニーの長編カラーアニメ『ファンタジア』(日本軍が戦地で没収したフィルムを、海軍省を通じて見る機会を得たそうで、日本での公開は戦後になってから)を参考としたとはいえ戦意高揚が目的であっても『ファンタジア』のように子供たちに夢や希望を与えるような作品にしようとしたことや、姉妹編である『桃太郎の海鷲』と同様に平和への願いを作品中に暗示させたことが作品に大きく影響している。
そして、松竹動画研究所の制作スタジオは東京・銀座の歌舞伎座隣のビルに設けられ、ひとつのキャラクターに一人のアニメーターが専従するという、今日では考えられないような贅沢な作画体制がとられたという。
戦後日本においてストーリー漫画の第一人者として、漫画の草分け的存在として活躍した手塚治虫は1961(昭和36)年に「手塚治虫プロダクション動画部」を設立しているが、その動機となったのがこの映画で、手塚は、封切り初日に大阪松竹座でこの作品を観て、当時、海軍の意図した戦意高揚の演出中に隠された希望や平和への願いを解し、甚く感動し涙を流したと後に語っているそうだ。そうしていつかアニメを自分の手で作りたいという決意を持ったとされている。瀬尾は、手塚も愛読したノラ(野良犬・孤児)の黒犬を主人公にした『のらくろ』を動画化(『のらくろ一等兵』『のらくろ二等兵』ともに1935年制作)するなど、当時、有名なアニメ作家であった。
以下では、その動画と解説、それに、ディズニーの長編カラーアニメ『ファンタジア』の動画の一部参考に掲載されている。その下は「のらくろ」の動画である。
桃太郎 海の神兵 - NAVER まとめ
のらくろ二等兵
一方、1953(昭和28)年にテレビ放送が始まると、単発で数分程度のアニメが番組内の1コーナーとして、また、CMにも用いられるようになるが、当時、アニメ制作には長い期間と制作費がかかるため、NHK、民放を問わず、本格的なアニメ番組を制作するテレビ局は現れず、『ポパイ』・『恐妻天国』(後に『原始家族』として再放映)・『宇宙家族』など海外アニメーションが盛んに放送されていたが、日本の本格的なアニメは1963(昭和38)年の『鉄腕アトム』を待たなければならなかった。
この後、日本のアニメは、世界に誇る産業へと成長するが、その原点にあるのは、日本のマンガ文化であろう。日本には、少年向け、少女向け、サラリーマン向け、OL向け、主婦向け・・・と、多種多様な、凄い数のジャンルのマンガがある。
この漫画が原作となり、アニメ化、映画化され、ゲーム化され、そして、キャラクター関連グッズなどが製品化される。この循環が相乗効果を発揮し、今日のようなマンガやアニメ、キャラクターブームを生み出す。その相乗効果は2倍にも3倍にもなるだろう、
このようなマンガやアニメ、キャラクターを生み出した背景には、一神教の西洋などとは違って八百万神(欧米の辞書にはShintoとして紹介されているそうだ)を崇拝する民族的、宗教的な伝統によって育まれた日本のアニミズム的な感性が日本独特のマンガ文化を生み出しているのだろうという説がある(※5参照)。
この説が正しいかどうかは知らないが、確かに、私たちの日常生活を見渡すと、ペットや魚など生き物の供養だけでなく、人形供養、針供養、箸供養、包丁供養など、無生物さえ供養する多くの風習が残っているのは、アニミズム的な自然信仰に根差すと思われる習俗や 風習が残っているからなのだろう。
それが、ビキニ環礁の核実験に着想を得て製作された、水爆大怪獣映画『ゴジラ』(1954年)を生み出したり、鉄腕アトム(雑誌連載1956年、1963年よりTVアニメ化)やドラえもん(1969年より雑誌連載、1073年よりTVアニメ化)のようなロボットにも生命を与えたり、ゲゲゲの鬼太郎 (1954年の紙芝居から始まり1965年からマンガ本化、1968年からアニメ化)の妖怪さえも生み出してゆくことになる。
そんなマンガ文化が今のキャラクターブームを生み出したのだろう。
このようなマンガ、アニメーション、小説などに登場する実在また架空の人物や動物などをかたどったものが多いが、これら優れたキャラクターは、高い人気を持ち、ぬいぐるみやフィギュアなどの玩具や置物、キャラクターの印刷された衣類や日用品、文房具などの商品によって、キャラクターの出自である作品以上の売上がもたらされることも稀ではない。
1970年代以前は、キャラクターを使った商品展開の対象は主に子供たちであったが、東京ディズニーランドのオープン以降は大人達へも広がっていき、1980年代にはロボットアニメブームにより大人も対象とした商品展開が増え始めた。 近年ではアニメなどの流行により、その対象は広い世代に拡大している。
これらのキャラクターを商品に印刷したり、企業のイメージアップに、あるいは、テレビCMに使うなどすると、ライセンス料を払わねばならないためコストは上がるが、企業のイメージアップや販促に有効な手段であるため、最近はマスコットキャラクターの作成に力を入れている企業、団体も多い。
例えば、1956(昭和31)年には経済白書の「もはや戦後ではない」が流行語となり、日本経済は高度成長期への弾みをつけていた。
1950年代後半から、個人預金を獲得するために様々なサービスを展開し、新規顧客開拓に力を入れていた金融機関は、既存キャラクターを統一的に使用し、預金者に対しグッズをプレゼントしたりキャッシュカードや通帳に描くことでそのキャラクターのファンに顧客になってもらおうとする方法が広く取られている(例えば、三菱東京UFJ銀行におけるディズニーキャラクターなど)。
また、近年ではアニメファンなどを対象とした、キャラクターを用いた商品展開も挙げられる。(例えば萌え系美少女のイラスト[イラストレーター:西又葵]をパッケージに使った秋田県羽後町産「あきたこまち」など)。
よーさんの我楽多部屋Corection-Room1貯 金 箱
上記は私の本館「よーさんの我楽多部屋」のCorection Room:貯金箱のページである。又、この下の画像は、萌え系美少女のイラストが描かれたJAうごから発売されている「あきたこまち」である。
そのほか、公共交通機関を運営する会社に於いても、会社の所有する乗り物でキャラクターを作ったり、擬人化された動物等に会社の制服を着せる等して、それを、関係施設や切符などにプリントしたりして、イメージアップを進めていたりしている。
上掲の画像は、警視庁のマスコットキャラクターのピーポくん。名前の由来は、人々の「ピープル」と、警察の「ポリス」の頭文字からだそうだ。
通常アニメによる二次元のキャラクターは幼稚で大人には向かないとの印象が強く感じられるのだが、日本では今やその二次元キャラクターが企業の広告塔になりつつある。
Facebookページで人気を誇るキャラクターとしてしられる伊藤ハムのハム係長などもその一つである。
ハム係長 第1話 初めの一歩 - YouTube
そして、今どんな人気タレントよりも、テレビやイベントなどで引っぱりダコになっている「ゆるキャラ」と呼ばれているものもその一つ。例えば、今日の記念日を制定している一般社団法人日本ご当地キャラクター協会が本部を置く、滋賀県彦根市のマスコットキャラクターひこにゃんや熊本県のくまモン、千葉県船橋市のふなっしーなどがよく知られている。
上掲の画像向かって左から、ひこにゃん、くまモン、ふなっしー。画像クリックで拡大する。
ゆるキャラは「ひこにゃん」あたりからブームになったように記憶しているのだが・・・。「ひこにゃん」は、江戸時代に同地にあった彦根藩の2代目藩主・井伊直孝に縁(ゆかり)ある1匹の白猫をモデルとしているそうだが、デザインしたのは大阪府出身のイラストレーターであるもへろんだという。なにか、登場した当初から、非常に人気があり、原案者(もへろん)と彦根市の間で、キャラクターの著作権問題で、争っていたことだけは記憶に強く残っている。今では、千葉県船橋市の「ふなっしー」が超人気の様である。
私の地元兵庫県の「ゆるきゃら」には「はばタン」がいるが、このキャラクターは、のじぎく兵庫国体・のじぎく兵庫大会(2003年1月17日~ )の大会マスコットとしてつくられたものであり、「ゆるきゃら」ブームに便乗してか、大会終了後の,2007年4月より、兵庫県のマスコットとなったものである。
フェニックスをモチーフにしたキャラクターで、スポーツ万能な男の子という設定でつくられたようだ。現在は、「ひょうご観光大使」第1号として、又「ひょうご農(みのり)大使」など多様な分野で県政をアピールしているようだ(ここ参照)。
この「ゆるキャラ」とは、「ゆるいマスコットキャラクター」を略したものだそうで、イベント、各種キャンペーン、地域おこし、名産品の紹介などのような地域全般の情報PR、企業・団体のコーポレートアイデンティティなどに使用するマスコットキャラクターのことであるが、そういったかわいらしいイラスト全般を指す場合もある。
狭義では、対象が国や地方公共団体、その他の公共機関等のマスコットキャラクターで着ぐるみ化されているもの(後述の「ゆるキャラ三か条」も参照)に限られるが、広義では大企業のプロモーション(宣伝用)キャラクター等も含まれる。
「ゆるキャラ」という名称は「マイブーム」(1997年流行語大賞)で知られる漫画家、エッセイストであるみうらじゅんが考案したとされ、2004(平成16)年11月26日には「ゆるキャラ」という言葉が、扶桑社とみうらじゅんによって商標登録されている(第4821202号)。
「ゆるキャラ」の提唱者であるみうらじゅんは、あるキャラクターが「ゆるキャラ」として認められるための条件として、以下の三条件を挙げているようだ。
1.郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること。
2.立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること。
3.愛すべき、ゆるさ、を持ち合わせていること。
みうらは「ひこにゃん」がブームになった2006(平成18)年を境とした「ひこにゃんビフォーアフター」(before after=使用前/使用後)でゆるキャラという言葉の使われ方が変化してきていると指摘している。「ひこにゃん」以前は自分たちのキャラクターを「ゆるキャラ」と呼ばれることにマイナスイメージを持っていた自治体側が、ひこにゃん以降は、自分たちから「ゆるキャラ」を名乗るようになり、広告会社等のプロが自治体からの依頼を受けデザインや運用を行う「素人ならではのゆるさ」というみうらの定義から外れた「ご当地キャラクター」も数多く登場するようになった。
つまり、本来は、かわいいキャラクターと区別するために「ゆるキャラ」とカテゴライズしたものが、いつの間にかちゃんとしたキャラクターに向かっていった。しかし、「ひこにゃん」以降でも『ゆるキャラグランプリ2012』(※6参照)で最下位グループを形成した「ポピアン」(※6のここ参照)、「浜寺ローズちゃん」(※6のここ参照)、「フルル」(※6のここと※7参照)のような「ゆるさ」を持つキャラクターは依然として存在しており、「ゆるキャラ」という呼称の定義が広がり、「ご当地キャラクター」全般を指すようになってきているという(※8参照)。
業界でも大手のイベントの一つだった『ゆるキャラまつりin彦根』は2013(平成25)年より「ゆるキャラ」という言葉を使用せず、「ゆるくない世界で地道に地元を一生懸命PRしている」キャラクターの祭典として『ご当地キャラ博in彦根』へと改名。昨・2014(平成26)年には同様の大手イベントだった『ゆるキャラサミットin羽生』も、「企業キャラクターやご当地ヒーロー等に間口を広げるため」という理由で『世界キャラクターさみっとin羽生』(※9参照)に改称しているという(Wikipedia)。
なにかよく判らないが、「ゆるキャラ」という名前が商標登録されていることに関係しているのではないだろうか。人気が出れば出るほど、それぞれの団体が自身の権利を保護したいものね~。
しかし、なぜ日本にはこんなにも「ゆるキャラ」が溢れたのだろうか。何がここまで人の心を掴むのだろうか。
青木貞茂著『キャラクター・パワー ゆるキャラから国家ブランディングまで』(NHK出版。※10)では、キャラクターに溢れた日本文化の分析を試みており、青木は、「ゆるキャラ」ブームがおきた要因として、東日本大震災と地方経済の苦境を挙げており、以下のように言っているという。
“東日本大震災発生後、人々が感情的・精神的な絆を欲するようになった一方で、地方自治体の経済は困窮した。このような時代情勢の中で、合理性や機能性を超えたエモーショナル([emotional]感情に動かされやすいさま。感情的、情緒的なさま。)な温かさを持つ戦略を考えた時、最も有効だったのが、「ゆるキャラ」という存在だった。地方の名産品の売り込みのためには、元長野県知事の田中康夫や宮崎県知事だった東国原英夫のように自治体に「顔」がないと知名度をあげることができないと気づいたのだ。
そして、(中簡略) 人間関係が稀薄な現代、人は人間でないものにまで感情的な潤いを求め、感情移入する。本来、友人や人間との関係において充足されるはずだった安らぎは稀薄化する人間関係によってなかなか満たされない。そのため友人や家族の代替物としてキャラクターが求められるようになったという。
強いストレス社会が人々がキャラクターを愛でる時代背景となった。「ゆるキャラ」についていえば、その魅力は名の通りの「ゆるさ」だろう。たとえば、人気の「ゆるキャラ」には、「きもかわいい」と表現されるキャラクターが多い。その代表例としては、仏様に鹿の角をつけたことで物議をかもした奈良の「せんとくん」のように。何か不完全で劣っている存在を見ることで、人は、特別な心地よさや心理的な親密さを感じるのだ。“・・と。
一部抜粋しただけなのでわかりにくい点は参考※10:「なぜ日本人は「ゆるキャラ」が好きなのか」を読まれるとよい。
確かに、最近の若い人達は私たちにはちょっと気持ちの悪いものを「きもかわいい」と感じるらしい。田中や東国原も私などには、少々気持ち悪い存在だが、結構人気はあったね~。
もともとマスコットという言葉は身近に置いたり身につけていれば幸運をもたらすと信じられているものを指すそうだ。そういった意味においては七福神のヱビス様を使ったヱビスビールや、幸福を招くとされる福助人形からヒントを得た福助足袋(現:福助)の福助マークなどは最も正統的なマスコット・キャラクターだったといえるだろう。
しかし、今のような時代に、このようなマスコットキャラクターなどは堅苦しく、古くさくって、親近感がわかないのだろう。
、「ゆるキャラ」の一覧は「官公庁のマスコットキャラクター一覧」や、※1:(社)日本ご当地キャラクター協会又、※6:ゆるキャラグランプリ オフィシャルウェブサイトをご覧になるとよい。
参考:
※1:(社)日本ご当地キャラクター協会
http://kigurumisummit.org/
※2:キャラクター - 語源由来辞典
http://gogen-allguide.com/ki/character.html
※3:戦争に負けてアジアから去った日本への賛美の声 - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2134615487596995101
※4:デジタル TB
http://msc-jp.biz/material_html/terms_T.html
※5:アニメとアニミズム:世界に広がるマンガ・アニメ02
http://blog.goo.ne.jp/cooljapan/e/6ef2f1ca95960606323033cc2cb4210b
※6:ゆるキャラグランプリ オフィシャルウェブサイト
http://www.yurugp.jp/
※7:【最下位】ゆるキャラグランプリ2012【ポピアン】とは!? - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2135400412723718401
※8:みうらじゅん氏 2006年の「ひこにゃんビフォーアフター」指摘 – SNN
http://snn.getnews.jp/archives/162294
※9:世界キャラクターさみっとin羽生
http://gotouchi-chara.jp/hanyu2014/index.html
※10:なぜ日本人は「ゆるキャラ」が好きなのか
http://news.ameba.jp/20140508-118/
日本を評価するアジアの指導者の証言
http://www1.ocn.ne.jp/~terakoya/ajia.html
第61回国民体育大会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC61%E5%9B%9E%E5%9B%BD%E6%B0%91%E4%BD%93%E8%82%B2%E5%A4%A7%E4%BC%9A
企業とキャラクター
http://www.disaster-info.jp/seminar2008/kurahashi.pdf#search='%E6%9C%80%E3%82%82%E5%8F%A4%E3%81%84+%E4%BC%81%E6%A5%AD+%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9++%E7%A6%8F%E5%8A%A9+%E8%B6%B3%E8%A2%8B'
ゆるキャラ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%82%8B%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9