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現在の暦「グレゴリオ暦」を編纂したグレゴリウス13世 (ローマ教皇)の忌日

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「時は金なり・・・」とは、よく言われるが、私達は、日頃、人と人の約束事を始め、企業間の契約から国家間の条約まで、それれをらを成立させ、また、その効力を発揮するたに必要不可欠なものとしてを自由に使いこなしているものの、暦の来歴に意識することはない。
暦(こよみ、れき)とは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの、また、その構成の方法論(暦法)や、それを記載した暦書・暦表(日本のいわゆる「カレンダー」)を指す。
暦の歴史を見ると、実に様々な暦があり、いくつかは現代まで生き残っているが、その多くはその痕跡を残して消えていったが、そうした中、現在使用している暦(太陽暦)の先祖(古代太陽暦)とも言われる重要なものが、古代エジプトのエジプト暦(シリウス星暦)とも言われるものであった。エジプトでは遅くとも紀元前3000年頃には恒星シリウス(Sirius)の動きから1年が365日であることを知っていたといわれる。
現行暦は1582年、ローマ教皇グレゴリウス13世が、当時のヨーロッパの代表的な天文学者たちを集めて編纂させたグレゴリオ暦である。
この暦はエジプトを征服したユリウス・カエサルアレキサンドリアの暦学者ソシゲネスに命じて紀元前46年に、エジプト暦を改良し古代ローマに導入して以来使われていたユリウス暦を改良して制定したものである。この暦は、単に新暦(ラテン語: Ornatus)と呼ばれる場合もあるが、現在使われている西暦はグレゴリオ暦のことでである。
日本では、1872(明治5)年11月9日に太政官布告を頒行(はんこう。ここ参照)、1898(明治31)年に勅令によってグレゴリウス暦を施行した。
従来からの太陰太陽暦を廃して翌年から太陽暦を採用するとした明治5年の年も押し詰まった11月の布告はあまり突然なことに社会的な混乱を来したことだろう。
特に、暦の販売権をもつ弘暦者(江戸時代からの暦師。明治5年には頒暦商社が結成された)は、例年10月1日に翌年の暦の販売を始めることとしており、この年もすでに翌年の暦が発売されていた。急な改暦により従来の暦は返本され、また急遽新しい暦を作ることになり、弘暦者は甚大な損害を蒙ることになった。
一方、太陽暦改暦を唱えていた福沢諭吉は、改暦決定を聞くと直ちに『改暦弁』を著して改暦の正当性を論じた。太陽暦施行と同時に刊行されたこの書は大いに売れその純益は1,500円にまで及んだという。1977(昭和52)年時点米価をもとにした明治6年の米俵1俵(60kg)の米価は、1円20銭(米価の変遷参照)だといから、これを現在の価値基準(昭和55年=17,294円)に置き換えると、2、100万円以上となる。福沢としては何の苦労もせずに、わずか6時間程で書き上げて随分と儲けたことになる(※1参照)。
この中で福沢は政府による一方的な改暦に不満を募らせるひとびとに対し、福沢は『改暦弁』の中で政府と同様、暦注(れきちゅう)について、次のように徹底的に批判している。
「日本国中の人々、この改暦を怪しむ人は、まちがいなく無学文盲の馬鹿者である。これを怪しまない者は、まちがいなく日頃から学問の心がけのある知者である。よってこのたびの一件は、日本国中の知者と馬鹿者とを区別する吟味の問題といってもよろしい。」・・・と。
もっとも、福沢が馬鹿者呼ばわりするのは、旧暦時代の暦(カレンダー)に記載されていた「暦注」という、おもに陰陽五行にもとづいた日々の吉凶判断の類を信じていた人たちをさすようだが、以前、このブログの「福澤諭吉が『学問ノスゝメ』の最終刊・第17篇を刊行」の中でも書いたが、『学問ノスゝメ』のなかでも、「人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし」と身分差別を批判し、「職業に貴賎なし」としているものの、「難しき仕事をする人を身分重き人と名づけ」が彼の本心で、「無学なるものは貧人となり下人となるなり」とあるように、日用の役にたつ学問(「実学」)の強調もあるのだろうが、それをしていない無学で、貧乏な人達への偏見が見て取れて、私は、福沢が賢い人である事は認めるがあまり好きになれる人物とはいえない。
さて、明治新政府が、明治5年の年も押し詰まった11月に何故、唐突に「グレゴリオ暦」を導入しようとしたのかと言えば、欧米諸国との国交を開いた日本にとって、暦の違いは読み替えを必要とし、不便であったこともあるが、もっと重要な理由として、政府が直面していた財政難があった。
1873(明治6)年は太陰太陽暦でゆくと閏年で、6月が2回あり、1年13ヶ月となり、2年前の明治4年9月2日(グレゴリオ暦1871年10月14日)に役人の給与を年俸性から月給制に改正していたので、政府は13回月給を支払わなければならなかった。これを、1年12ヶ月の太陽暦に移行すれば給与1ヵ月分の支出を削減できたからである(※2参照)。そのため、改暦により、明治5年12月2日(旧暦)の翌日を明治6年1月1日(新暦)とした。全く、政府にとっては都合の良いことかしらないが、役人にとっては迷惑なせこい(細かくてケチなことや、ずるいことを意味する)考えによるものだった。
先に述べたように、今日・4月10日は、現行の太陽暦として世界各国で用いられている「グレゴリオ暦」を制定したローマ教皇グレゴリウス13世(Gregorius XIII,)、本名はウーゴ・ブオンコンパーニ(Ugo Buoncompagni。)の1585年の忌日である。
ローマ教皇グレゴリウス13世の第226代ローマ教皇としての在位期間は1572年-1585年であり、日本との接点としては、以前にこのブログ「長崎二十六聖人殉教の日」の中で、戦国時代の日本に巡察師として到来していた“イエズス会アレッサンドロ・ヴァリニャーノの発案によって、1582(天正10)年、九州のキリシタン大名大友宗麟大村純忠有馬晴信の名代として、天正遣欧少年使節(4名の少年)がローマへ派遣された。”・・・ことを書いたことがあるが、その4人の少年使節が1585(天正13)年3月に ローマに入り、バチカンで、グレゴリウス13世に謁見したという(※3)・・・。
ローマ教皇グレゴリウス13世のことについて、私は、グレゴリオ暦を作った人であることと、このことぐらいしか知らないので、グレゴリウス13世についての詳しいことを知りたい人は、Wikipedia への記載ここを参考にされたい。
兎に角、今日は、グレゴリウス13世の忌日だというので、暦ができるまでを考えてみたい。
人間は、なぜ、どのようにして自然を測るようになったのだろうか。
時間空間を測り、それによって日常生活を調整しているのはなにもわれわれ人間だけではない。よく知られているのは生物の体内時計(概日リズム。英語: Circadian rhythmサーカディアン・リズム。ラテン語合成 Circa〔およそ〕di〔1 日〕)である。生物の体内は24時間に近い周期に従って短期的な活動を繰り返す仕組みになっている。
生物が生活をしている地球上では、24時間の周期で昼夜が交代し、明るさや温度が変化する。太陽の出没によって生ずるこの周期は、自然環境そのものの時間の節目であり、区切りである。
太陽はゆうまでもなく、地球上のあらゆる生物のエネルギー源であり、その出没は生物の一日の生活に基本的な枠組みを与える。かりに体内時計の周期(約25時間。但し、個人差24+-5時間ありとのこと。※5参照)と太陽出没の周期(※6)とがはじめから一致しているとしたら、そこには、時間を測るなどという問題は生じない。同じ時間のリズムで動いてゆくだけのことである。ところが、両者の周期は異なる。因みに、それが故に現代人の概日リズム睡眠障害などは概日リズム機能の低下と結びつけて考えられてもいる(※5参照。)
生物はいつも遅れるか進む時計を持っている。生物が太陽エネルギーをもっとも効果的に利用しようとするならば、体内時計は、一日の周期に合わせて動くように自己調整(同調)しなければならない。つまり、周期の差を測り、時間のずれをなくす。生物はこの自己調整能力のお蔭で、環境にある程度の変化が生じても適応してゆけるのである。
それでは、体内時計はどのようにして周期の差、すなわち時間を測るのだろうか。体内時計が同調するのは第一に明るさ、そして、第二は温度に対してだといわれている。
例えば、毎年移動を繰り返す渡り鳥は、体内時計に照合して太陽の位置を見定め、一方向に飛んでゆくことが知られている。
つまり、太陽コンパスを使って、角度を測っているのだそうである。そのメカニズムは、太陽の位置する方向を基準線にして、今度は空間が明暗の縞模様を描き出す。放射状に明暗で描き分けられた時間の文字盤板をイメージすれば良いのだそうだ。
縞模様は太陽の動きにつれて時計回りに回転する。それを体内時計が同調し、特定の時間には特定の明るさをもつ縞のすじの指示する方向をこの生物に選択させるのだそうである。
しかし、人類は言語を獲得して後、生物として単に体内時計に依存する生態から脱出し、生物の自然の現象の描く図形ないし図柄を指標として行う非数量的なアナログ型の測定に加えて、自然に関する知識をつかって時間を測るやり方を発明した。
古代のギリシャの詩人ヘシオドス(紀元前8世紀)は叙事詩『仕事と日々』のなかに、この型の時間測定の見事な記録を残している。
「プレアデス((英語: Pleiades。トレミーの48星座の1つプレアデス星団)が夕方東の空に上りはじめたら収穫し、太陽と一緒に沈み始めたら種を蒔け。シリウス(Sirius)が昼間しばらく、夜が長い間光る頃は、森に斧を入れる格好の季節だ。オリオン(Orion=オリオン座おうし座の東にある冬の星座。中央に三つ星が並んでいるのが目印。)の三つの星が現れ始めたら、いそいで、麦打場で脱穀するがよい。鶴が雲の上で一声鋭く鳴くのを聞いたら、それが種播(ま)きの合図だ。葡萄の樹の剪定は燕が飛来する前にすませ、蝸牛が樹に這い上がるようになったら葡萄畑の除草をおえなければならぬ。・・・・と。

上掲の画像はプレアデス星団である。画像はWikipediaより。
一方には、自然の時間秩序の指標となる天文や気象や動植物などの季節的な現象があり、他方には、社会集団の中に成立している農作業の時間秩序がある。自然現象の描き出す図柄をたよりに、農作業の時間秩序を調整し、2つの時間秩序を一致させる。そうすれば、労働は最大の効果を収めるだろう。四季の循環と言う大きな時間秩序に変りはないが、気候は年によって変動する。そのために生ずる時間秩序のずれも、この「同調」によって対処できる。このような時間測定は、原理的には、体内時計と全く同じだ。知性による体内時計の拡張ともいえる。
ヘシオドスが生きていたのは農耕社会であり、そこには整った暦もあった。それでも、なお、農民にとって、非数量的なアナログ型の測定に、自然に関する知識をつかって時間を測るやり方を加えた知識-アナログ型の測定は欠かせないものだったようだ.。
自然現象に関するその知識は定着農業に先立つ、狩猟・漁労・植物採集の自然経済時代以来、少しづつ蓄積されてきたものにちがいないようだ。
現存する無文字社会の種族などは知識-アナログ型の測定を行なっており、かれらは 体内時計に従って夜明けとともに起き、日暮れとともに床につく。日の出直前や日没直後に東の空、西の空に輝く星は、そんな生活を送る彼らの目を引かずにはおかない。
プレアデス星団やオリオン星座・、蠍(さそり)座のようなよく目立つ図柄の星の集まり、あるいは、アルタイル鷲座のα星〔アルファ星=一つの星座の中で、最も明るい星。首星〕)・ベガ(ヴェガ。こと座のα星)・カノープスりゅうこつ座のα星)・シリウス大犬座のα星)のようなひときわ明るい星は、かれらにとって、あるいは、鳥や海亀の産卵期を教え、あるいは、野生の芋や木の実の収穫期を知らせ、あるいは、獣や魚の群、雨季や季節風や移動すべき時期の到来を告げる・・・合図であった。
台湾本島の南西沖の孤島蘭嶼(らんしょ)に住むヤミ族(タオ族。アミ族とも)は、くり抜いた木を組み立て、彫刻を施したゴンドラ型の船で海に出て漁をする。飛魚がやってくる3月から5月までが最大の活動期で、月の満ち欠けを数え、新月の夜に祭りを行い飛魚漁を始める。その方法は期せずして、太陰暦に閏月を挿入する太陰太陽暦のやり方を先取りしていると言う(週刊朝日百科「日本の歴史」47古代―3「暦と年号)。
タオ族のことは、以下参考の※7:“1940年頃の蘭嶼”(台湾タオ族)、また、※8:「台湾原住民デジタル博物館」の“アミ族”に詳しく書かれているが、※7から、暦のところを抜粋すると以下のようになる。
1月=カオワン、2月=カッシャマン、3月=カボアン、4月=ピョコカオル、5月=パパタオ(小さい船で飛魚を取りにゆくの意)、6月=ピラピラ(網で魚を取るの意)、7月=ビヌスノマタウ、8月=ビヤムアン、9月=ポアハウ、10月=ゲタナタア、11月=アルマヌ、12月=カヌマン、13月=カピトアン
ヤミ族には時計と言うものがなく、夜が明けるとともに、起き出て朝食をすまして仕事にかかり、午後3時頃昼食をする。昼食後はあまり仕事をせずぶらぶらしているようだが、日が没する頃に夕食を済ませて間もなく寝るのが一日の行事となっている。
仕事と言うのは、漁労と農作業が主なものであるが、男子の仕事と女子の仕事がはっきりと分かれている。
1年を13ヶ月に分けていて、その月によって年中行事が定まっている。例えば2月をカポアンといって、飛魚を獲り始める月、7月をビヌスノマタウといって魚とりは一切止めて家の改築や船の建造をする月、この2月と7月は陽暦に当てはめての月名だそうである。
12月をカピトアンといって、神様を祭り、又、粟蒔きをする月というように、その月の行事がそのまま月の名称になっているという(〔注〕※7の書き誤りか、ここでは12月をカピトアンとあるが、補注では、12月=カヌマン、13月=カピトアンとなっているので、12月のことか13月のことか正確なことはよく判らない)。
時間測定を計量化し、天文観測(天文学)に基づく暦を作成するまでには、なお越えなければならない巨大な壁があった。それは、第一は、文字を知り、計算が出来、天体の運行や星座の配置について系統的な知識を持つ専門家の存在であり、第二は、そのような専門家を必要とし、また養ってゆけるような、社会的分業階級的文化の進んだ社会の出現である。
いわゆる未開社会の人々は、空間や物を測る特定の言葉や手立てを殆ど持ち合わせていない。大抵のことは目分量で間に合う。異動する距離なら、半日の道程というように時間で表せる。
このような場合、そんなに厳密さは必要ないのだから、物の量を比較するのは簡単。例えば、長さの場合、※7に、よれば、ヤミ族は他の種族と同様に一定のスケールを有しないが両手を拡げた長さ即ち一尋を単位として用いている。これをasarupaと言いその2分の1を半尋asarimaと言っている。更にひじを曲げて手を軽く握り肘関節から中指の第2間接までの長さをsiko、指を伸ばして小指から人差し指まで4本の指の幅をapatakamai、紅付指から人差指まで3本の指の幅をatorakamai、中指と人差指と2本の指の幅をnuakamai、人差指1本の幅をasakamaiと読んでいるという。
そのほか、容量は掌籠ですくってみる。重さは持ち運べるかどうかを目安にする。量の比較は必ずしも軽量化ではない。
度(さし)・量(ます)・衡(はかり)というものは流通・交易などの価値の交換において、非常に重要な意味を持っており、そのような、比較のために共通の基準を必要とする社会において、初めて度・量・衡制が実現する。そのような社会とは、同時に暦を必要とする社会でもあり、高度に組織された社会、統一された国家にほかならなかった。
紀元前4000年紀の後半にメソポタミヤシュメール人が始めて都市国家を形成した。同時にかれらは、文字を発明し、数世紀後にそれは古代エジプトに伝わった。そして、メソポタミヤとエジプトの都市間において最初の体系的な暦と度量衡が産まれたのである。
古代ギリシアの歴史家・ヘロドトスは、「エジプトはナイル河の賜物」という言葉を彼の著した最初の歴史書『歴史』に記しているそうだが、ナイル川は毎年氾濫を起こし、肥えた土を下流に広げたことがエジプトの繁栄のもとだといわれている。そんなナイル河の氾濫を正確に予測する必要から天文観測が行われ、太陽暦が作られた。太陽とシリウス星が同時に昇る頃ナイル河は氾濫したという。
人類にとって、昼間は活動して夜は休む、というのが自然に備わったサイクルであり、それが、1日という単位である。また夜の暗闇の中での満ち欠け(月相=朔望〔さくぼう〕※9参照)の周期性も当然に読み取った。1カ月という単位はこれに由来すると言われている。そして、四季の変化を無視して生活をすることが出来ないことから、自然界の流れに順応した、生活のための食料確保や住居作りに取り組んできた。こうして1年ごとのサイクルを身体で覚え、やがて農業や牧畜の進歩とともに、正確な日にちを数えるようになる。こうして、何日で満月が来るか、何日で季節が一回りするのかを知るという「自然の暦」がカレンダーの出発点である。
しかし、地球の自転1回を1とすると、月の公転周期(1朔望月)は平均29.53059日と端数が付き、地球の公転周期(1太陽年)も365.2422日と、これまた整数でないため、近代暦法の成立めざして、各文明、それぞれの民族が取り組んできた。
1日・1朔望月・地球1公転(1太陽年)。この三つの周期のどれを使い、どれをどう組み合わせるかで、太陰暦太陰太陽暦、太陽暦の暦法に区別される。
しかし、冒頭に述べた現在使用している暦(太陽暦)の先祖とも言われる古代エジプトのエジプト暦(シリウス星暦)も、一月を30日、一年を12ヶ月とすることを基本としていることを見ると、月の満ち欠けという目立つ現象が12回繰り返されると1年がすぎたと、気づくことから暦が始まったといえるだろうから、独立に生まれたと思われる世界各地の暦のほとんどが、天体と結びつけて作られた「太陰暦」が最初の暦であったといえるようだ。
ただ、度量衡を定める・改正するという行為もそうだが、それと同様に、暦法を改める事も権力の象徴であり、古代より近世に至るまで、権力者たちによって様々な改訂が行われてきたが、そこには、月の日数を何日にするか又、月のネーミングさえ、権力者の名前を誕生月につけるとか。時の聖職者や権力者の都合で改訂されてきたようだ。
例えば、ユリウス暦の前のヌマ暦(太陰暦、1年355日。ローマ暦参照)を、エジプトの太陽暦を参考にしてつくられたユリウス暦には、為政者ユリウス・カエサル(ジュリウス・シーザー)の誕生月とされる7月をそれまでの「Quintilis」から彼の名「Iulius(Julius)=July」に改名しており、その後、カエサルのあとを継いで初代ローマ皇帝となったアウグストゥスは、カエサルの真似をして、同じくカエサルの7月に続く自分の誕生月8月「Sextilis」を自分の名「Augustus=August」に改名しただけでなく、その時「Sextili」は小の月だったのを、「Augustus」を大の月とし、カエサルの7月と同日数とすることで、アウグストゥスがカエサルと同格の偉大さであるというアピールをこよみに刻んだようだ。今の2月、つまり、古くは「Februarius」が年末の月だったから、閏日はこの月についていたが、「Augustus」が大の月になったため、さらに「Februarius」から1日減らすことで辻褄を合わせた。そのため、平年は28日という短さになってしまった。
又、ローマ教皇グレゴリウス13世による、ユリウス暦からグレゴリオ暦への変更もそうだ。
彼ら聖職者たちの最大の関心事は、キリスト教の最重要行事である復活祭(イースター)催行上の問題を解決することが最大の目的であった。
ユリウス暦もグレゴリオ暦と同じく太陽暦なのだが、1年を365.25日として計算していることから、精度に問題を抱えていた。
その差は、0.01日にも満たないものではあったが、長年放置しておくと、積もり積もって大きな誤差に成長し、グレゴリウス13世がローマ教皇の座につく16世紀になると、暦上の春分の日が実際の春分より10日ほど前倒しになるほどに、ズレは大きくなっていた。
復活祭はキリスト教の典礼暦における最も重要な祝い日で、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが3日目に復活したという伝承にもとづいた宗教行事であり、その催行日は「春分後の満月のあとの最初の日曜」と定められている。このため、暦上の春分が実際の天文学的な春分とズレてしまうと、復活祭の日程もズレてしまうので、それを、閏年の入れ方を調整することで解決したが、この改暦で、太陽暦として1年の長さだけはとにかく正確に測れようになったが、改暦以前からそのまま継承されていた矛盾や理論破綻については考慮に入れられておらず、規則性や客観的根拠を内包しない非合理的な暦となってしまったまま現代に引き継がれていることになる。
そのような現代にも残る暦の論理的矛盾などは、以下参考の※10:「旧暦は地球を救う」の“06 グレゴリオのバグ”に詳しく書かれているので、そこを読まれると良い。
先にも述べたように、実際には自然も人間も循環をもち、同時に自身もまた循環の中にいる。旧暦が循環という実在する法則にのっとった自然暦であるのに対し、キリスト教徒の作った人工暦であるグレゴリオ暦の直線的な時間概念は人間も含む自然界の生命活動の本来のあり方とは決定的に矛盾してしているものであることは承知しておかなければいけないだろう。
グレゴリオ暦の1年=365.2425日によって生じる実際の1年との差は約0.0003日であり、1日分の誤差が生じるまでには3000年以上要するなど、単純さと正確さを兼ね備えた暦ではある。ただ、暦と太陽または月の運行とのズレを補正するためにグレゴリオ暦は、閏年を挿入しているがその法方は、1年を 356.2425 日とし、端数を 97/400 で近似したため、誤差の補正がややこしい。
以下参考の※11:「グレゴリオ暦とバイナリ暦」によると、今日の測定技術で、太陽年 365.24219 の端数をあらためて分数近似したものを求めると、128 で割り切れず 4 で割り切れる年をうるう年にすれば、これだけで数十万年の間はややこしいい他の補正をせずとも誤差が1日以内に収まることになるという。
128 年で割り切れる上、2進数で下位ビットが全部 '0' の改暦するに最も都合の良い年が、2048 年だそうで、この文字通り千載一遇の機会に、宗教的見地からでなく 科学・技術的見地から 是非とも暦法が変更されないものかと提案しているが、私もそれが本当なら、そうすべきと思うが、どうなるのだろう。
今年2012年は、現行の協定世界時 (UTC) において、世界時(UT1)との差を調整するために閏秒が挿入される年だそうだ。
日本時間2012年7月1日午前9時の直前に1秒が挿入される。秒は、世界同時に挿入され、この閏秒挿入時のときのみに60秒という珍しい時刻がカウントされるだそうだ(※12参照)。秒までを手作業で行なうのは大変だろうね〜。
最後に、余談だが、当ブログ中間あたりで、詩人ヘシオドスは「 仕事と日々」という詩の中で、プレアデス星団を「農業の季節を知らせる星」といってることを紹介したが、谷村新司の「(すばる)」を知っていますか。
プレアデス星団(Pleiades )は、牡牛座散開星団である。
大神ゼウスが牛の姿に化けた牡牛座の肩の辺りにあり、ギリシア神話に登場する「プレイアデス」では7人姉妹の妖精の星とされているが、欧米では「The Seven Sisters 」とも言われているように、普通は6つの星しか見えないようだ。
ギリシャ神話では七人の娘の一人エレクトラが自分の息子ダルダノスが建設したトロイの町がトロイ戦争の結果、焼け落ちたのを七日七晩泣き明かし、涙で姿がかすんで見えなくなったと言う。
プレアデス星団は、日本でも六連星(むつらぼし)」とも呼ばれているが、日本では古来より、「昴(すばる)」の名前で親しまれ、今から千年も前に清少納言の『枕草子』の一節(第236段)には、「星は すばる。ひこぼし(彦星=牽牛星)。ゆふづつ(夕星=宵の明星=金星)。・・・」とあるように、彦星や宵の明星もいいけど、星は「昴」が最高」と書いている。
谷村新司の歌 「昴」の中で、「さらばー昴(すばる)よー」 と別れの言葉を歌っているが、“「なぜ、昴に別れを告げているのか」という 疑問が自分で詩を書き歌っている谷村自身にも解けなかったが、 作詞から20年以上たってから「物を中心に据え た価値観に別れを告げるという意味だった」と納得したそうである”・・と.Wikipediaの中には書いてあった。
プレアデス星団は、地球から約400光年のところにあり、120個ほどの恒星が集まっている。周囲には星が誕生したときの星間ガスがただよい、明るくうつしだされている。また青白く輝いていることから表面温度のきわめて高い白色巨星で、質量は太陽の十数倍と考えられているという。
プレアデスは代表的な散開集団で、その名のとおり、不規則に飛び散るようすを示しているが、激しい燃焼のために寿命は短く、あと1,000万年ほどで超新星爆発を起こして消滅するのではないかともいわれているそうだ。
谷村新司の歌 「昴」を聴いていると、私には、そのような、プレアデス星団の運命的なものが感じられるのだが・・・。
いい歌なので、最後にこの歌を聴いて終わろう。

YouTube -昴-すばる-/谷村 新司

(冒頭の画像は、「グレゴリオ暦」を制定したローマ教皇グレゴリウス13世。Wikipediaより)
参考:
※1:慶應義塾大学出版会|慶應義塾・福澤諭吉
http://www.keio-up.co.jp/kup/webonly/ko/fukuzawaya/21.html
※2:改暦弁 - 静岡県立中央図書館[PDF]
http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/data/open/cnt/3/354/1/SZK0002748_20040929064244537.pdf ※3:天正少年使節 
http://home.att.ne.jp/wood/aztak/untiku/tenshou.html
※4:グレゴリウス13世 (ローマ教皇) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B913%E4%B8%96_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87)
※5:元MRが語る・医療と生物の信じられない実態2
http://www.unlimit517.co.jp/repomedi2.pdf#search='体内時計 太陽の出没'
※6:第五管区海上保安本部> 海の相談室 >日出没情報
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN5/sun/calendar2012.htm
※7:“1940年頃の蘭嶼”(台湾タオ族)[PDF]
http://chijiiwa.kaishao.idv.tw/110007595544.pdf
※8:台湾原住民デジタル博物館
http://www.dmtip.gov.tw/JP/index.htm
※9:国立天文台>暦計算室>トピックス:月の満ち欠け(朔望)
http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/topics/html/topics2010.html
※10:旧暦は地球を救う
http://88d.jp/feature01/feature.html
※11:グレゴリオ暦とバイナリ暦
http://www.finetune.jp/~lyuka/interests/essay/binarian/binarian.html
※12:日本標準時グループうるう秒の対応〔2012年7月実施版〕
http://jjy.nict.go.jp/news/leaps2012.html
【亀のつぶやき】バー ステイツ コラム Vol.46 六連星
http://www.barstates.com/log/ken12.htm
カレンダー学術百科事典
http://www.koken.ne.jp/hyakka/gakujutu1.html
暦のページ
http://koyomi.vis.ne.jp/
Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/

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