2011(平成23)年、ドイツで開催された第6回 FIFA女子ワールドカップ最終日の7月18日(日本時間)、国際サッカー連盟(FIFA)ランキング4位の日本代表チームなでしこジャパン(※1)が、フランクフルトで、同ランキング1位の米国と決勝戦を戦った。
6度目の出場で初めて決勝に進んだ日本は、1点を追う後半36分に宮間あや(岡山湯郷Belle所属)のゴールで追い付き、1 -2の延長後半12分にもCKから主将の沢穂希(INAC神戸レオネッサ所属)が同点とした。日本は2―2からのPK戦ではGKの海堀あゆみ(INAC)が1 、3 人目をセーブし、日本は米国を3―1で下して、初の世界一に輝いた。一方の米国は3大会ぶり3度目の世界一を逃した(詳細は「2011 FIFA女子ワールドカップ・決勝」を参照)。また、その時の感動は、以下でどうぞ。
[永久保存版] なでしこジャパン ドイツW杯ハイライト "Queen Yamato Nadeshiko" -YouTub
サッカーの国際大会で日本が優勝するのは男女を通じて初めての快挙であり、日本列島が歓喜に沸いたのは当然であった。
チームはフェアプレー賞、澤穂希が得点王とMVPを受賞。計6回開催されたFIFA女子ワールドカップのうち、アメリカ合衆国(1991, 1999)、ノルウェー(1995)、ドイツ(2003, 2007)に続いて、4ヶ国目の優勝国となった女子サッカー日本代表 の「なでしこジャパン」。
サッカー日本女子代表チームの愛称「なでしこジャパン」の由来は、2004年から。
アテネオリンピックアジア予選として行われた「AFC女子サッカー予選大会2004」の際、「やまとなでしこ」(大和撫子)」という言葉がよく使われていたためと、アテネ五輪出場を決め、注目度が高まっていた女子の人気定着を狙った日本サッカー協会が愛称を一般公募した中から選考し決定したもので、「世界に羽ばたき、世界に通用するように」との願いを込めて「なでしこ」と命名され、日本国の昔の呼び方「大和」が「ジャパン」となったものだそうであるが、2011年のドイツW杯ではそれが見事に実現したといえる。
「やまとなでしこ」は、日本女性の清楚な美しさをたたえていう言葉であるが、ほかに、秋の七草の一つナデシコ(撫子)の花に見立てて、可憐で繊細だが芯の強さや、ひたむきさといった日本女性にふさわしい思いが込められている。大柄な米国選手に立ち向かった小柄の日本選手は、「可憐」に走りつづけ「辛抱」強く戦って勝利をものにした。
ドイツW杯で世界一に輝いた「なでしこジャパン」を、世界が絶賛したのはその華麗な「パスサッカー」であったが、これは選手たち自身が議論を繰り返して作り上げてきた信頼関係に支えられてのものだったという。 日本女子サッカーリーグの加盟チームは、Jリーグ傘下のクラブチーム・実業団チーム・市民クラブ(NPO法人・株式会社等)・学校法人等様々な形態をとっている。また男子のトップリーグ(Jリーグ)が、ほぼプロ選手で構成されているのに対し、日本女子サッカーリーグは選手の多くがアマチュアである。1998年、第10回日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)が開催されたが、このシーズンは相次ぐスポンサーの撤退などで、4チームが相次いで脱退を表明。
これによりL・リーグは存続の危機と直面するなど大変にショッキングな出来事が続いた(第11回日本女子サッカーリーグも参照)。さらに2000年シドニーオリンピックの出場を逃した後の人気低迷が続いた。 そして満を持して迎えた2008年北京オリンピックでのベストフォー進出…。この大会での健闘ぶりが世界に注目されるようになった。「結果を出さなければ、女子サッカーは忘れられる」という危機感を胸に成長してきたのが、なでしこジャパンであった。そんな危機感が、度重なるピンチに耐え、強豪アメリカとの激闘に競り勝ち優勝の栄冠を手にすることができたといえるだろう。
大会中、チームは試合後に同年3月11日に発生した東日本大震災に対する世界からの支援へ感謝を表す横断幕をかかげ、会場の大きな拍手を受けたが、各国メディアは復興への思いも勝利へのモチベーションとなっていると分析、なでしこジャパンの素早いパスサッカーとともに、その戦いぶりを賞賛した(※2、※3)。
2011年8月2日、日本政府から「国民に感動と勇気を与えた」として、団体では初となる国民栄誉賞受賞と女子サッカー支援充実の検討も発表された(※4)。又,同年9月、中国で行われたロンドンオリンピックアジア予選では4勝1分の1位でロンドンオリンピック出場権を獲得。11月3日、女子団体スポーツでは初の紫綬褒章が授与されている。
今年(2012年)1月、2011年度のFIFA年間表彰式において、澤穂希がFIFA女子最優秀選手賞を、監督の佐々木則夫がFIFA女子最優秀監督賞を受賞している。
W杯で世界一に輝いた「なでしこジャパン」。ロンドンオリンピックでは、追われる立場になった。各国チームが、日本の「パスサッカー」を徹底的に研究しているという。指揮官・佐々木監督も、ロンドンオりンピックで再び世界一になるためには更なるパスサッカーのレベルアップと、これまで以上に「攻撃」への意識付けを選手に徹底していると聞く。是非優勝し再び私たちに感動を与えて欲しいものだが、今大会では、米国とともに開催国イギリスが台風の目になるかも知れない。
オりンピック開催国イギリスのオリンピック委員会が、6月26日に、ロンドンオリンピックのサッカーイギリス女子代表18人を発表した。
近代フットボール/(サッカー)発祥の地でもあるイギリスは、国際サッカー連盟 (FIFA) から、ワールドカップなどの大会の際は、イギリス本土4協会(イングランドサッカー協会、スコットランドサッカー協会、北アイルランドサッカー協会、ウェールズサッカー協会)のそれぞれが独立したチームとして参加することがみとめられていた。そのため、イギリス女子代表のFIFA主催の国際女子大会への出場はこれまでない。
夏季オリンピックのサッカー競技を主催する国際オリンピック委員会(IOC)は、オリンピックには、イギリとしての統一チームしか出場を認めていないが、イギリスでは、これまで、4地域の各協会の足並みがそろわず前回の2008年北京オリンピックを含め総て不参加であり、今回初めて、女子サッカーのイギリス統一チームを結成してのオリンピック初出場となる。このイギリス統一チームには、昨年ドイツでの第6回FIFA女子ワールドカップで、日本を唯一破ったイングランドから、FWのホワイトとヤンキー(いずれもアーセナルLFC)ら16人と、スコットランドから2人が入ったが、ウェールズと北アイルランドからは選出されなかった。
「近代サッカーの母国」イングランドでの最古の記録として1895年に北イングランドと南イングランドによる対抗試合が残っており、観客10,000人を集めたといわれるこの試合がきっかけとなり、サッカーは僅かな間に女性にも普及していったようだ。
この予想以上の盛り上がりに対し、イングランドサッカー協会(FA)は、1902年サッカーは「男のスポーツである」、「サッカーは女性の健康を損なう」として、傘下のクラブに対し女性チームとの試合を禁止。
こうした規制は1971年まで続くなど、英国では長い間、女子サッカーは超マイナースポーツだったこともあり、女子サッカーが盛んになった現在でも、英国民の間では、女子サッカーが不人気のようで、ロンドンオリンピックでの女子サッカーのチケットが売れ残り、「ガラガラのスタジアムで試合を行うより、いっそのこと無料で観客がたくさん入ったほうがいいじゃないか」といった意見が出るほどだという(※5、※6参照)。
男子サッカーと差別され、低く見られてきた女子サッカー選手の屈辱・・・それを晴らせるのが、ロンドンオリンピックだとしたら・・・。
そう思うと、昨年W盃で「なでしこジャパン」が初優勝したように、英国女子代表が決勝へ勝ち進み、もし、優勝を飾るると念願の「メジャー化」ひいては女子サッカーの「プロ化」への大きな起爆剤になるかもしれない・・・。以下は、「なでしこジャパン」が唯一負けたイングランドとの仕合風景である。
[FIFA女子ワールドカップグループリーグ 2011] イングランド女子代表 vs 日本女子代表(なでしこジャパン) 動画
今年(2012年)7月27日(サッカー競技は7/25)に開幕する「第30回オリンピック競技大会(2012/ロンドン)」に出場するサッカー日本女子代表(なでしこジャパン) のメンバー18名は7月2日に発表された。
金メダルを目指す「なでしこジャパン」は全員が、優勝した昨年のドイツW杯のメンバー。エースのMF沢穂希(33歳、所属:INAC神戸)は「年齢的にこれが最後かも」と自身4度目の大舞台に決意を燃やしていたが、これまで主将として、チームの先頭に立ってきた沢だが、今大会は宮間あや(岡山湯郷Belle)が主将としてチームを引っ張るなど世代交代が見られる。
なでしこジャパンが活躍し、世界の頂点に立ったことでにわかに注目を集めるようになった日本女子サッカー。
このなでしこジャパンのメンバー18名のうち、7名(沢穂希、海堀 あゆみ、近賀 ゆかり、川澄 奈穂美、田中 明日菜、大野 忍、高瀬 愛実)がINAC神戸レオネッサより選出された人達である(※1:なでしこジャパン公式サイト選手名鑑参照)。
INAC神戸レオネッサは、我が地元、兵庫県神戸市を本拠地とする女子サッカークラブである。
娯楽・飲食・スポーツ事業などを手掛ける「アスコホールディングス」(神戸市中央区。※7)が設立。アイナック(INAC)とはINternational Athletic Clubの略で、神戸市及び兵庫県におけるスポーツコミュニティの担い手を育成し、更には国際的な活動も展開していく総合スポーツクラブとして2001(平成13)年4月に設立され、女子サッカーチーム「レオネッサ」は同年11月に誕生た。チーム名の「レオネッサ」はイタリア語で雌ライオンを意味する。
神戸は日本サッカー発祥の地とされるなど、古くから日本サッカーの中心地であった。
1863年にイングランドでFA(フットボール・アソシエーション=イングランドサッカー協会)が設立され、ルールが統一されて世界に広まった“手を使わないフットボール”つまりサッカーは神戸にも明治開港(条約港)のころから持ち込まれと思われる。
明治3年、居留地住む外国人は早速KRAC(神戸 レガッタアンドアスレチッククラブ)を結成し、 フットボールなどの競技を楽しんでいたようだ。
1871(明治4)年の英字新聞『Hiogo Nwes』には「フットボールの試合が本日午後、居留地において開催される」との記事が見られるという。(※8:「神戸のサッカー」歴史参照)。
開放的だったKRACのグラウンド(現在の東遊園地)には、多くの市民が見物に訪れ、サッカーは神戸に根づいていったようだ。1888(明治21)年には、横浜外国人クラブ(YCAC)との間でのインターポートマッチ(港対抗戦)が開催されている。これが、日本最初の対抗試合だといわれている。
このサッカーが日本に伝えられた記録としてはっきりとしたものは、1873(明治6)年に、海軍兵学校の教官として、招かれた英国海軍教官団(※9参照)A.L.ダグラス少佐と海軍将兵により、日本の海軍軍人にサッカーを教えたというものがある(日本に初めて近代サッカーが伝わる)。
1870年代末になってようやく、富国強兵の一環として国民の健康な身体の維持、軍事教練の一環として「体育」、「体操」という概念の発芽が見られるようになると、1878(明治11)年、体操伝習所(のちの東京高等師範学校体操専修科)が創設され、教科の一つにサッカーが取り入れられた。
そして、1899(明治32)年には、神戸市の御影師範学で日本人だけのチームが結成されたのは、その後のサッカー界にとって重要なことであった。
近畿地方がサッカー先進地となり、師範学校の交流を通じて東京高等師範学校(以下、東京高師)をはじめ全国の師範学校もこれに追随する事に影響した。そして1917(大正6)年10月21日には、近畿の師範学校を中心として近畿蹴球大会が開催された。
この教員養成を行う師範学校で普及した事は、部員たちが卒業し各地で教員となることによって、波及的に全国の中等学校や高等学校に広まって行くという事に影響した。大正から昭和初期にかけて、御影師範学校や神戸一中(現兵庫県立神戸高等学校の前身)など神戸勢が、日本のサッカー界の覇者として活躍していた。
以後、サッカーは野球と並んで人気スポーツとなった。しかし、長年サッカーは、男性だけのものというイメージが強かった。日本のサッカーにおける女子サッカーの歴史はそれほど長くなく、日本の女性がサッカーを始めた時期も、はっきりはしないが、日本で初めて女子サッカーチームが結成されたのは我が地元神戸であった。
”1966(昭和41)年12月23日の「朝日グラフ」特集に、同年11月に神戸市立福住小学校(※10)が全国で始めての女子サッカークラブを結成した・・ということを報じている。
上掲の画像は保存していた2011(平成23)年8月17日朝日新聞朝刊の「ますます勝手に関西遺産」の特集記事“キックオフは神戸から/なでしこの源流”で掲載されていた「福住小の女子サッカーチームを紹介した新聞記事。1967年3月29日付朝日新聞から」である。
同紙には今では、57〜58歳となった、当時のメンバーを探し当て、彼女達から聞いた話を掲載しているが、同女子サッカークラブ「福住女子サッカースポーツ少年団」の結成は当時の女子の反発心がきっかけだったという。そのころ、女子のクラブと言えば手芸や料理、演劇であり、サッカー部を作る男子から「女子は入られへんで」と言われたことが悔しかった。「何で男子だけ?おかしいやん」ということで、数人で校長室に直談判。「みんながやるっていうなら、やろう」と、御影師範の名サッカー選手だった故・大橋真平校長の一言で、「憧れの先生に教えてもらえる」「運動がしたい」「兄がやっていた」と次々と6年生の女子が手を挙げたという。
チーム結成直後に、偶然、神戸女学院中学部(西宮市)にもサッカー部が誕生した。「女性の体に悪影響があるのでは」と難色を示す周囲を説得して、両チームは1967(昭和42)年3月19日に対戦。翌日の朝日新聞は、「後半中頃、1点をあげた福住小が、姉さんチームをふりきった」と報じているそうだ。(この新聞記事は、朝日新聞デジタルでも見られる。詳しく知りたい人は、参考※11参照)。
この試合が行われたのは、1964(昭和39)年の東京オリンピックの影響で急激に女性のスポーツ参加者が増えた時期とも一致する。
第二次大戦後、女性の社会経済的条件の向上、余暇、所得の増大、進学率の向上、加えて1960年代から70年代にかけてのウーマン・リブなど女性解放運動が高揚し、男女平等を求めて様々な分野で女性の活動がなされ始めたころ、このころから女性のスポーツへの参加も増えてきて、サッカー競技を行う女性も少しずつ見られようになる。
しかし、サッカーをしたい活発な女子は、兄弟や友達と遊びとしてサッカーを行なうか、少年団やクラブチームで男子と一緒に練習をさせてもらい、人数が増えた場合のみ女子チームが作られるといた状況であったと推測される。
1972(昭和47)年には東京で、日本の女子サッカー初のクラブチーム「FCジンナン」が誕生。その後関東地方において、望月三起也が設立したワイルド・イレブン・レディース(横浜)、三菱重工女子サッカー部(三菱重工社員を中心としたクラブ)、三菱養和レディース(※12参照)、実践女子大学(※13参照)サッカー同好会などが誕生している。京浜女子リーグ、チキンフットボールリーグ (東京都)、横浜女子サッカーリーグなどのリーグも設立された。
一方で、1976(昭和51)年に、兵庫県神戸市を本拠とするアマチュアサッカークラブで、サッカー関連団体としては日本で初めて( JFA より4年早い)法人格を取得した本格的市民サッカークラブである神戸FC (※14)の女子チーム (神戸FCレディース)が、三重県上野市で、伊賀上野くノ一が設立された他、1978(昭和53)年には、静岡市(旧・清水市)に、清水第八スポーツクラブが、また大阪府高槻市では高槻女子フットボールクラブ (スペランツァFC大阪高槻の前身とは別のチーム) が設立され、関西地区においては、関西女子サッカーリーグが設立されて、神戸女学院 (中学部・高等学部)や高槻女子FC、大阪FCレディース (現バニーズ京都SC ) などが参加した。
こうして、1970年代には、首都圏と京阪地区でリーグが行なわれていたようであるが、1979(昭和54)年に FIFA (国際サッカー連盟)が各国のサッカー協会宛てに、女子サッカーを管轄下において普及と発展に努める旨の通達を出した事を受けて、日本女子サッカー連盟が設立され、この団体が日本サッカー協会加盟団体となり、女子サッカーは正式に同協会の管轄下に入った。
そして、全日本女子サッカー選手権大会が開催され、男子サッカーの天皇杯全日本サッカー選手権大会にあたる大会として日本全国のチームを対象とするトーナメントが行われるようになったのは1980(昭和55)年になってからのことであった。
1980年代後半より、FIFA女子ワールドカップの新設を前提とする国際親善大会の開催 (1988年) や、1990年度アジア競技大会における女子サッカーの正式種目への採用など、国際状況が変化する中で、所属クラブにおける試合経験を積むための場所がない事が問題とされ、1989(平成1)年、日本女子サッカー連盟は全国リーグの設立という結論に達し、日本女子サッカーリーグが設立され現在に至っている。
なお、参考※15:「女子サッカーの変遷」によると、1970年代の、東京にチキンフットボールリーグ、横浜に横浜女子サッカーリーグ、関西に関西女子サッカーリーグができ活動していた時代、関東と関西のNO1同士が”日本一”を争う女子王座決定戦というものがあったそうだ。
又、兵庫県出身の元サッカー日本代表選手で、スポーツライター賀川浩のブログ(※16:「賀川浩の片言隻句」)には、先に書いた福住女子サッカースポーツ少年団と神戸女学院が1967(昭和42)年3月19日に対戦した女子チーム同士の試合は、神戸フットボールクラブの前身である兵庫サッカー友の会が開催したものらしい。、従がって、多くの観客の前で行なわれたこの試合こそが、日本の女子サッカー「なでしこ」の源流であるといっても過言ではないだろう。
(冒頭の画像は、2012年5月26日熊本市で開かれたなでしこリーグの仕合で競り合う沢穂希[右]と宮間あや。2011年7月11日朝日新聞朝刊より借用
参考:
※1:なでしこジャパン公式サイト
※2:なでしこ優勝に歓喜と称賛の声が続々世界が伝えた日本の快挙-スポーツナビ
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/2011/text/201107180006-spnavi.html
※3:なでしこ快挙の陰に隠れたアメリカの負けっぷりの良さとフェアネスの精神〜日本称賛を続けた米メディア -ダイヤモンドオンライン
http://diamond.jp/articles/-/13194
※4:官房長官記者発表 平成23年8月2日(火)午前首相官邸サイト
http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201108/2_a.html
※5:【S・クーパー】ワールドカップ開幕直前〜女子サッカーがたどった数奇な歴史
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/wfootball/2011/06/20/article287/
※6: 意外に不人気…五輪サッカー、チケット売れ残りの理由
http://megalodon.jp/2012-0528-1706-20/www.nikkei.com/article/DGXZZO41779780U2A520C1000000/?df=2
※7:株式会社アスコホールディングス
http://www.asco-holdings.co.jp/
※8:神戸のサッカー
http://www.kobe-fa.gr.jp/profile/
※9:ダグラス教官団 ‐ 通信用語の基礎知識
http://www.wdic.org/w/MILI/%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E6%95%99%E5%AE%98%E5%9B%A3
※10:神戸市立福住小学校
http://www2.kobe-c.ed.jp/fkz-es/index.php?page_id=0
※11:朝日新聞デジタル:キックオフは神戸から
http://digital.asahi.com/articles/OSK201108170082.html?id1=3&id2=cabbaicc
※12:公益財団法人 三菱養和会
※13:実践女子学園
http://www.jissen.ac.jp/jpn/top/01/index.php
※14:神戸フットボールクラブ(神戸FC)
※15:女子サッカーの変遷
http://www.geocities.co.jp/colosseum/3652/gara06.html
※16:賀川浩の片言隻句: 女子サッカー草創の頃のエピソード
http://kagawa.footballjapan.jp/2011/07/post-3da1.html
女子サッカーの日米比較研究(?)-日本女子サッカーの歴史と現状について- (PDF)
http://ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/1766/1/KJ512400433.pdf
朝日新聞デジタルロンドンオリンピック2012サッカー
http://www.asahi.com/olympics/news/football2012/
なでしこジャパンW杯優勝(ニュース特集)
http://www.kyodonews.jp/feature/nadeshiko/
日本女子サッカーリーグ オフィシャルサイト
http://www.nadeshikoleague.jp/
サッカー日本女子代表 - Wikipedia