1995(平成7)年1月17日(火)に発生した阪神・淡路大震災は、当時の地震災害(Mj7.3)としては戦後最大規模の被害を出した(建物被害は地震波の強弱によるものか?。※1、※2参照)。
この震災は近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府、京都府も)に大きな被害を与えたが、特に震源に近い神戸市市街地(東灘区・灘区・中央区(三宮・元町・ポートアイランドなど)・兵庫区・長田区・須磨区)の被害状況は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。
この震災で壊滅的な被害を受けた神戸市長田区のJR新長田駅周辺地域の震災後の復興と商店街活性化のシンボルとして、同駅南口を出てから徒歩5分ほどのところにある若松公園に設置されたのが、地元商店街などで作るNPO法人「KOBE鉄人PROJECT」による鉄人28号の高さ15.6m(全長18m)の巨大(実物大)モニュメント像である。
当初は、JP新長田気前に高さ5〜6mの像を建てる方針だったが、「強烈な印象で多くの人を引き付けたい」として、震災時には被災者の避難所ともなっていたこともあるより広い近くの若松公園に5〜6階建てのビルに相当するものにすることとした。
外装は耐候性鋼板製、重量は約50t。総工費は1億3,500万円。ただ資金集めが難航し、神戸市からの補助金4,500万円や神戸市灘区に本社のある食品会社(エム・シーシー食品)が発売した「鉄人カレー」の売上金の一部を充てても足りなかったが、当初の完成予定次期2008(平成20)年の末に公園近くに自動販売機37台を設置することで大手飲料メーカーが支援を決定。費用の8割程度が集まる見通しとなり、残りは個人や企業からの寄付や協賛金によって集められた。
そして、翌・2009(平成21)年7月27日に起工式が行われ、同年、9月29日に完成し(完成セレモニーは10月4日)公園内に恒久設置されたもの。なおこれに合わせ、周辺の街路灯も鉄人の頭部を模したデザインのものに変更して使用している。
いよいよ鉄人28号のモニュメント建設が決まったとき、同プロジェクトの岡田誠司氏が「鉄人は今のロボットアニメの原点。復興の記念碑として沢山の人に見てもらいたい。長田を全国的に有名な町にしたい」と話していた(朝日新聞2009年2月14日朝刊)。
又、完成式典が行なわれた時、同式典で井戸敏三兵庫県知事は「震災15年を迎えるのにふさわしい長田の新たな守り神ができた。街に元気を与え続けることを期待する」と述べていたが、私も心からそれを願っていた。
JR新長田駅の南に広がる大正筋商店街を中心とする周辺一体は震災復興再開発地区(震災復興再開発事業参照)となり、住商一体型のビルが建設され、現在では、商店街も、復興し、人出も震災前にも増したようではあるが、余りにもこの地域としては商業規模が大きく、競合が激しすぎて、商店の営業面では非常に厳しく大変な状況となっているようである。
地元神戸に住み、子どもの頃から、この地域のことをよく知っている私などから見れば、正直言って、神戸市の都市再開発事業の大失敗だと思っているのだが・・・。
ロボットアニメとは、ロボットを主人公格に据えた、あるいは中心的な題材としたアニメのことである。
1950年代(昭和30年代前半)日本では『少年』、『冒険王』 、『ぼくら』、『少年ブック』、『少年クラブ』、『少年画報』 などの月刊誌が、百花繚乱の時代で、毎月競ってマンガを載せ膨大な別冊付録やオマケを付けて販売されていた。
ちなみに『「鉄腕アトム」』や『鉄人28号』なども、これら月刊誌から誕生した人気キャラクターである。
1963(昭和38)年1月1日、テレビ・アニメシリーズ、「鉄腕アトム」第1話がブラウン管(フジテレビ系列)に登場した。
この鉄腕アトムは、手塚治虫(当時34歳)が自ら製作・演出した日本で最初の本格的な1話30分の連続TVアニメであった。
21世紀の未来を舞台に、原子力(後に核融合)をエネルギー源として動き、人と同等の感情を持った少年ロボット、アトムが活躍する物語であり、米題は『ASTRO BOY(アストロ・ボーイ)』。
1951(昭和26)年4月から、翌年3月に連載された『アトム大使』の登場人物の一人(脇役)として出ていたロボット少年アトムを主人公にして、1952年(昭和27年)4月から1968年(昭和43年)にかけて、『少年』(光文社)に連載されるなど、すでに10年余りにわたって雑誌や漫画本で親しまれていたアトム。
そのアトムが、今度はTV画面を所狭しと飛び回る動画として登場したものであったが、そのストーリー性豊かな手塚マンガのアニメ化は、それまでギャグ中心の外国製テレビアニメしか知らなかった子ども達に熱狂的に迎えられ、子ども達はテレビの前に釘付けになった。この第1話の視聴率は27,4%で、以後さらに伸びて、時には40%を超えたという。
この成功の影には、当初の『アトム大使』では、ロボット少年アトムは脇役であり、作品自体の人気も今ひとつであったことから、『少年』編集長の金井武志から「弱さや人間らしい感情のあるロボットを主人公にすれば読者に受け入れられるのでは・・」との手塚への提案があり、アトムを主人公として設定を少し変更したものであったことが挙げられるようだ。
又、漫画鉄腕アトムを、テレビアニメ化する前に、実写版テレビドラマ「腕アトム」として、1959(昭和34))3月7日から1960(昭和35)年5月28日まで毎日放送制作、フジテレビ系列で放送されていた。
しかし、1年間に及ぶ人気作となったものの、手塚治虫は「原作のイメージと余りにもかけ離れている」として、自作漫画の実写化に不満を抱くこととなり、これが『鉄腕アトム (アニメ第1作)』制作の原動力となったものという(Wikipedia)。
以下で、貴重な実写版鉄腕アトムのオープニングアニメ付き画像を見ることが出来る。
鉄腕アトムOP.mpg - YouTube
日本では、終戦後、 GHQ によりテレビ研究の禁止令が出されていたが、1946(昭和21)年から再開され、1953(昭和28)年1月にシャープから国産第1号の白黒テレビが発売される(サイズは14インチ、価格は175,000円)。
同年2月にNHKが本放送を開始。発売当初は高価だったことから購入者は富裕層などに限られていたが、高度経済成長の波に乗って、1959(昭和34)年の当時の皇太子明仁親王(今上天皇)ご成婚パレードを機に普及が進んだ。
1950年代後半には、白黒テレビは電気洗濯機や電気冷蔵庫などとともに「三種の神器」の一つに数えられるようにさえなっていた。
そして、1960(昭和35)年7月には、東芝から国産初のカラーテレビが発売され、1964(昭和39)年の東京オリンピックを契機に各メーカーが宣伝に力を入れはじめ、1960年代後半にはカラー放送が大幅に増えたことによって普及が進み、カラーテレビはクーラーや自動車などとともに「新・三種の神器」(3C)の一つに数えられるようにもなった。
先に書いた、実写版鉄腕アトムの放映は、まだテレビが一般家庭に完全に普及する前の番組だったにもかかわらずよくこんな貴重な映像が撮れたものと感心する。
子ども達にとって、大好きな漫画でも、テレビで視覚的に訴えるアニメは漫画本で見たものより格別に魅力的であったことは間違いない。
テレビアニメが放送・映画業界の注目する新しいメディアとして認知されるようになると、その勢いに刺激されるように、後続のテレビアニメ作品が続々と誕生した。
テレビCM 制作会社のTCJ(現エイケン)は、アニメーションを使ったテレビCMの制作を得意としていたが、テレビCMはアニメから実写での制作が主体となり、アニメの制作スタッフ活用のために、1963(昭和38)年の春、社内に映画部を設立してテレビアニメに進出。
そして、虫プロ制作の「鉄腕アトム」のヒットにあやかって、同年9月には「仙人部落」を、10月からは、「鉄人28号」(共にフジテレビ系)、11月には「エイトマン」(TBS系)などを送り出している。
TCJの連続アニメ番組の第一作となる「仙人部落」は、昔の中国の桃源郷に住む老子の元に就く若い弟子の一人が、3人の乙女仙人や年増仙人と色恋沙汰を繰り広げ、やがて老子をも巻き込んで大騒動に発展してしまう…といったもの。
『アサヒ芸能』(徳間書店)にて1956(昭和31)年より、現在にも続く長期連載されている小島 功の代表作『仙人部落』を、日本初の大人向けのテレビアニメ番組として、一種の深夜番組として製作・放映されたものであった。
その次の 「鉄人28号」、「エイトマン」はともに子どもたちの大好きなロボット物のアニメである。
「鉄人28号」は、神戸市長田区に隣接する須磨区 出身の漫画家、横山光輝(本名:横山 光照)が1956(昭和31)年に発表(月刊誌『少年』で連載開始)した作品に登場する架空のロボットの名称である。
太平洋戦争末期、大日本帝国陸軍が起死回生の秘密兵器として開発していた巨大ロボット「鉄人28号」が戦後に現れ、鉄人を自由に操る小型操縦器(リモコン)を巡って悪漢、犯罪組織にスパイ団までもが入り乱れる争奪戦に、主人公の少年探偵・金田正太郎も巻き込まれる。数々の苦難の末に鉄人を手に入れた正太郎は、今度は鉄人28号の力で次々と現れる犯罪者や怪ロボットを倒して平和を守る為に活躍する・・・、といったストーリーで、リメイクを繰り返し、何度も映像化された人気作品である。
本来は少年探偵ものであったが、鉄人編が好評を博したため、ロボットものへと方針が変更されたとされているようだ。
また、サンケイ新聞記者として工業関係の取材経験のあった横山は、「最初は大きくしかできず、それから小さくなる」と考え、手塚治虫の『鉄腕アトム』を意識して鉄人28号を大型ロボットにしたとも語っていた・・・・と、Wikipediabには書かれている。
鉄人28号 - YouTube
グリコ!グリコ!グー!リー!コー!
グリコ劇場のスポンサーは、江崎グリコとその関連会社グリコ乳業(グリコ協同乳業)であったため、提供クレジットとして放送開始時およびオープニングテーマの最後にこの「グリコ、グリコ、グーリーコー!」というデューク・エイセスによるコーラス(通称「グリココール」)が流れた。
このコーラスまでがテーマ曲。また、開始時の台詞の部分で、画面に「グリコ劇場」という字幕が表示された。
このオープニング・テーマ「鉄人28号」の作詞・作曲・編曲は、三木鶏郎。
ビクター版、朝日ソノラマ版ともに歌手は同じだが、音源が異なる。以下の貴重な164年(昭和39年)発売の朝日ソノシートの「鉄人28号」と聞き比べると面白い。
鉄人28号の歌, 進め正太郎, アニメ「鉄人28号」, ソノシート - YouTube
横山の『鉄人28号』も、テレビアニメ化される前の1959(昭和34)年には、ラジオドラマ『鉄人28号』としてニッポン放送で放送されており、放送メディアでの作品化はこれが最初である。
そして、鉄腕アトム同様に、1960(昭和35)年2月1日 から 同年4月25日まで、日本テレビ系列で実写版テレビドラマ「鉄人28号」としても放送されている(全13話でモノクロ)が、どうも、不人気だったようで、この実写版TVドラマ「鉄人28号」は、わずか3ヶ月の短期間で終了している。この実写版TVドラマの内容や評価は以下参考の※3、※4を参照されると良い。
「エイトマン」の原作はSF作家の平井和正、作画は桑田次郎(現:桑田二郎)。1963(昭和38)年5月からの『週刊少年マガジン』での看板作品をもとに、アニメ化されたの。
あるギャング事件を追跡していて殉職した警視庁捜査一課の敏腕青年刑事東八郎の脳細胞と組み合わされた電子頭脳をもつスーパーロボットである「エイトマン」が主人公。
体は、特殊な金属を使って作られた内部機構を人造皮膚で覆っており、外見は人間そっくりにできている。当然人間と同じように、ものを考えたり手足の動きなども脳の命令でする。
日常は粋なダブルのスーツを着た私立探偵・東八郎だが、ひとたび事件が起き、田中課長から要請を受けると、エイトマンに変身して数々の難事件・怪事件に立ち向かうといった筋立てである(※5参照)。
この原作は、コンペティションによって先行する『鉄腕アトム』とも『鉄人28号』とも異なる、「変身能力」「加速性能」というオリジナリティが受け入れられて採用されたものだという。
作品には平井和正自信に加え、半村良、豊田有恒らに日本の SF の胎動期から活躍した一線級作家陣がシナリオに参加し、内容、キャラクター共に、あまり子供向けとは言えなかったが、相当の視聴率を上げ、惜しまれつつ終わった。
エイトマン(エイトマン登場〜) 第一話 前半 - デイリーモーション動画
漫画の旗手であった手塚治虫は日本のアニメにおいてもパイオニアであった。
そこに、登場する鉄腕アトムなどは、以下参考の※6:「ロボットアニメの歴史」でも触れられているように、ロボットと言うよりも非常に生物くさい、人間と等身大の存在であった。
それを、いわゆる戦闘ロボに変貌させたのが、横山光輝であった。彼が創造した『鉄人28号』は、旧日本陸軍の秘密兵器という設定であった。
これは、リモコンによって操作される兵器であるから、感情を持たぬ冷たい鉄の塊であり、リモコンを用いる者の意思によって、善にも悪にもなる存在である。
横山の描くロボットは、『ジャイアント・ロボ』、『バビル2世』、『マーズ』を通して、全て同じイメージが貫かれているので、これが彼のロボット観なのだろう。
手塚治虫の『鉄腕アトム』に比肩する人気作となった『鉄人28号』は、又、巨大ロボット物の先駆として、『マジンガーZ』(永井豪作品)を初めとする多くの作品に強い影響を与えたという点では、手塚よりも上だろう。これ以後、圧倒的に巨大ロボット物がアニメを含めて作られる様になっているからだ。
今読むと如何にも古臭いとの印象は拭えないかも知れないが、ロボット漫画の歴史を塗り変えた記念碑的作品として、『鉄人28号』は後世に語り継がれていくことだろう。
横山 光輝のことについては、以前に此のブログで書いたので、気が向けば以下参考の※7:「今日のことあれこれと・・・「マンガ家・横山 光輝(『鉄人28号』)誕生日」」を見てください。
(冒頭の画像は2009年11月28日に摂ったもの)
参考:
※1:芝建 東日本大震災と阪神淡路大震災の違い
http://contest.thinkquest.jp/tqj14/140183/page4.4.html
※2:揺れによる建物被害少ない可能性…地震波分析
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110317-OYT1T00173.htm
※3:鉄人28号 実写 角めんこ
http://menkonohako.web.fc2.com/untitled.htm27.htm
※4:超映画批評『鉄人28号』30点(100点満点中)
http://movie.maeda-y.com/movie/00493.htm
※5:EKエイケン公式HP
http://www.eiken-anime.jp/
※6:ロボットアニメの歴史
http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/robot.htm
※7:今日のことあれこれと・・・「マンガ家・横山 光輝(『鉄人28号』)誕生日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/fa68045839b217b2b5a121c91e75fb31
TezukaOsamu.net(JP) - 手塚プロダクション
http://tezukaosamu.net/jp/
神戸市:阪神・淡路大震災の記録
http://www.city.kobe.lg.jp/safety/hanshinawaji/index.html
震災記録写真(大木本美通撮影)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/oogimoto/index.html
横山光輝オフィシャルサイト
http://www.yokoyama-mitsuteru.com/
神戸・ながたまちの情報館
http://i-town-nagata.com/02/cont-02-07.htm
鉄人28号- デューク・エイセス - 歌詞 : 歌ネット
http://www.uta-net.com/song/3135/
鉄人28号 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E4%BA%BA28%E5%8F%B7
この震災は近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府、京都府も)に大きな被害を与えたが、特に震源に近い神戸市市街地(東灘区・灘区・中央区(三宮・元町・ポートアイランドなど)・兵庫区・長田区・須磨区)の被害状況は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。
この震災で壊滅的な被害を受けた神戸市長田区のJR新長田駅周辺地域の震災後の復興と商店街活性化のシンボルとして、同駅南口を出てから徒歩5分ほどのところにある若松公園に設置されたのが、地元商店街などで作るNPO法人「KOBE鉄人PROJECT」による鉄人28号の高さ15.6m(全長18m)の巨大(実物大)モニュメント像である。
当初は、JP新長田気前に高さ5〜6mの像を建てる方針だったが、「強烈な印象で多くの人を引き付けたい」として、震災時には被災者の避難所ともなっていたこともあるより広い近くの若松公園に5〜6階建てのビルに相当するものにすることとした。
外装は耐候性鋼板製、重量は約50t。総工費は1億3,500万円。ただ資金集めが難航し、神戸市からの補助金4,500万円や神戸市灘区に本社のある食品会社(エム・シーシー食品)が発売した「鉄人カレー」の売上金の一部を充てても足りなかったが、当初の完成予定次期2008(平成20)年の末に公園近くに自動販売機37台を設置することで大手飲料メーカーが支援を決定。費用の8割程度が集まる見通しとなり、残りは個人や企業からの寄付や協賛金によって集められた。
そして、翌・2009(平成21)年7月27日に起工式が行われ、同年、9月29日に完成し(完成セレモニーは10月4日)公園内に恒久設置されたもの。なおこれに合わせ、周辺の街路灯も鉄人の頭部を模したデザインのものに変更して使用している。
いよいよ鉄人28号のモニュメント建設が決まったとき、同プロジェクトの岡田誠司氏が「鉄人は今のロボットアニメの原点。復興の記念碑として沢山の人に見てもらいたい。長田を全国的に有名な町にしたい」と話していた(朝日新聞2009年2月14日朝刊)。
又、完成式典が行なわれた時、同式典で井戸敏三兵庫県知事は「震災15年を迎えるのにふさわしい長田の新たな守り神ができた。街に元気を与え続けることを期待する」と述べていたが、私も心からそれを願っていた。
JR新長田駅の南に広がる大正筋商店街を中心とする周辺一体は震災復興再開発地区(震災復興再開発事業参照)となり、住商一体型のビルが建設され、現在では、商店街も、復興し、人出も震災前にも増したようではあるが、余りにもこの地域としては商業規模が大きく、競合が激しすぎて、商店の営業面では非常に厳しく大変な状況となっているようである。
地元神戸に住み、子どもの頃から、この地域のことをよく知っている私などから見れば、正直言って、神戸市の都市再開発事業の大失敗だと思っているのだが・・・。
ロボットアニメとは、ロボットを主人公格に据えた、あるいは中心的な題材としたアニメのことである。
1950年代(昭和30年代前半)日本では『少年』、『冒険王』 、『ぼくら』、『少年ブック』、『少年クラブ』、『少年画報』 などの月刊誌が、百花繚乱の時代で、毎月競ってマンガを載せ膨大な別冊付録やオマケを付けて販売されていた。
ちなみに『「鉄腕アトム」』や『鉄人28号』なども、これら月刊誌から誕生した人気キャラクターである。
1963(昭和38)年1月1日、テレビ・アニメシリーズ、「鉄腕アトム」第1話がブラウン管(フジテレビ系列)に登場した。
この鉄腕アトムは、手塚治虫(当時34歳)が自ら製作・演出した日本で最初の本格的な1話30分の連続TVアニメであった。
21世紀の未来を舞台に、原子力(後に核融合)をエネルギー源として動き、人と同等の感情を持った少年ロボット、アトムが活躍する物語であり、米題は『ASTRO BOY(アストロ・ボーイ)』。
1951(昭和26)年4月から、翌年3月に連載された『アトム大使』の登場人物の一人(脇役)として出ていたロボット少年アトムを主人公にして、1952年(昭和27年)4月から1968年(昭和43年)にかけて、『少年』(光文社)に連載されるなど、すでに10年余りにわたって雑誌や漫画本で親しまれていたアトム。
そのアトムが、今度はTV画面を所狭しと飛び回る動画として登場したものであったが、そのストーリー性豊かな手塚マンガのアニメ化は、それまでギャグ中心の外国製テレビアニメしか知らなかった子ども達に熱狂的に迎えられ、子ども達はテレビの前に釘付けになった。この第1話の視聴率は27,4%で、以後さらに伸びて、時には40%を超えたという。
この成功の影には、当初の『アトム大使』では、ロボット少年アトムは脇役であり、作品自体の人気も今ひとつであったことから、『少年』編集長の金井武志から「弱さや人間らしい感情のあるロボットを主人公にすれば読者に受け入れられるのでは・・」との手塚への提案があり、アトムを主人公として設定を少し変更したものであったことが挙げられるようだ。
又、漫画鉄腕アトムを、テレビアニメ化する前に、実写版テレビドラマ「腕アトム」として、1959(昭和34))3月7日から1960(昭和35)年5月28日まで毎日放送制作、フジテレビ系列で放送されていた。
しかし、1年間に及ぶ人気作となったものの、手塚治虫は「原作のイメージと余りにもかけ離れている」として、自作漫画の実写化に不満を抱くこととなり、これが『鉄腕アトム (アニメ第1作)』制作の原動力となったものという(Wikipedia)。
以下で、貴重な実写版鉄腕アトムのオープニングアニメ付き画像を見ることが出来る。
鉄腕アトムOP.mpg - YouTube
日本では、終戦後、 GHQ によりテレビ研究の禁止令が出されていたが、1946(昭和21)年から再開され、1953(昭和28)年1月にシャープから国産第1号の白黒テレビが発売される(サイズは14インチ、価格は175,000円)。
同年2月にNHKが本放送を開始。発売当初は高価だったことから購入者は富裕層などに限られていたが、高度経済成長の波に乗って、1959(昭和34)年の当時の皇太子明仁親王(今上天皇)ご成婚パレードを機に普及が進んだ。
1950年代後半には、白黒テレビは電気洗濯機や電気冷蔵庫などとともに「三種の神器」の一つに数えられるようにさえなっていた。
そして、1960(昭和35)年7月には、東芝から国産初のカラーテレビが発売され、1964(昭和39)年の東京オリンピックを契機に各メーカーが宣伝に力を入れはじめ、1960年代後半にはカラー放送が大幅に増えたことによって普及が進み、カラーテレビはクーラーや自動車などとともに「新・三種の神器」(3C)の一つに数えられるようにもなった。
先に書いた、実写版鉄腕アトムの放映は、まだテレビが一般家庭に完全に普及する前の番組だったにもかかわらずよくこんな貴重な映像が撮れたものと感心する。
子ども達にとって、大好きな漫画でも、テレビで視覚的に訴えるアニメは漫画本で見たものより格別に魅力的であったことは間違いない。
テレビアニメが放送・映画業界の注目する新しいメディアとして認知されるようになると、その勢いに刺激されるように、後続のテレビアニメ作品が続々と誕生した。
テレビCM 制作会社のTCJ(現エイケン)は、アニメーションを使ったテレビCMの制作を得意としていたが、テレビCMはアニメから実写での制作が主体となり、アニメの制作スタッフ活用のために、1963(昭和38)年の春、社内に映画部を設立してテレビアニメに進出。
そして、虫プロ制作の「鉄腕アトム」のヒットにあやかって、同年9月には「仙人部落」を、10月からは、「鉄人28号」(共にフジテレビ系)、11月には「エイトマン」(TBS系)などを送り出している。
TCJの連続アニメ番組の第一作となる「仙人部落」は、昔の中国の桃源郷に住む老子の元に就く若い弟子の一人が、3人の乙女仙人や年増仙人と色恋沙汰を繰り広げ、やがて老子をも巻き込んで大騒動に発展してしまう…といったもの。
『アサヒ芸能』(徳間書店)にて1956(昭和31)年より、現在にも続く長期連載されている小島 功の代表作『仙人部落』を、日本初の大人向けのテレビアニメ番組として、一種の深夜番組として製作・放映されたものであった。
その次の 「鉄人28号」、「エイトマン」はともに子どもたちの大好きなロボット物のアニメである。
「鉄人28号」は、神戸市長田区に隣接する須磨区 出身の漫画家、横山光輝(本名:横山 光照)が1956(昭和31)年に発表(月刊誌『少年』で連載開始)した作品に登場する架空のロボットの名称である。
太平洋戦争末期、大日本帝国陸軍が起死回生の秘密兵器として開発していた巨大ロボット「鉄人28号」が戦後に現れ、鉄人を自由に操る小型操縦器(リモコン)を巡って悪漢、犯罪組織にスパイ団までもが入り乱れる争奪戦に、主人公の少年探偵・金田正太郎も巻き込まれる。数々の苦難の末に鉄人を手に入れた正太郎は、今度は鉄人28号の力で次々と現れる犯罪者や怪ロボットを倒して平和を守る為に活躍する・・・、といったストーリーで、リメイクを繰り返し、何度も映像化された人気作品である。
本来は少年探偵ものであったが、鉄人編が好評を博したため、ロボットものへと方針が変更されたとされているようだ。
また、サンケイ新聞記者として工業関係の取材経験のあった横山は、「最初は大きくしかできず、それから小さくなる」と考え、手塚治虫の『鉄腕アトム』を意識して鉄人28号を大型ロボットにしたとも語っていた・・・・と、Wikipediabには書かれている。
鉄人28号 - YouTube
グリコ!グリコ!グー!リー!コー!
グリコ劇場のスポンサーは、江崎グリコとその関連会社グリコ乳業(グリコ協同乳業)であったため、提供クレジットとして放送開始時およびオープニングテーマの最後にこの「グリコ、グリコ、グーリーコー!」というデューク・エイセスによるコーラス(通称「グリココール」)が流れた。
このコーラスまでがテーマ曲。また、開始時の台詞の部分で、画面に「グリコ劇場」という字幕が表示された。
このオープニング・テーマ「鉄人28号」の作詞・作曲・編曲は、三木鶏郎。
ビクター版、朝日ソノラマ版ともに歌手は同じだが、音源が異なる。以下の貴重な164年(昭和39年)発売の朝日ソノシートの「鉄人28号」と聞き比べると面白い。
鉄人28号の歌, 進め正太郎, アニメ「鉄人28号」, ソノシート - YouTube
横山の『鉄人28号』も、テレビアニメ化される前の1959(昭和34)年には、ラジオドラマ『鉄人28号』としてニッポン放送で放送されており、放送メディアでの作品化はこれが最初である。
そして、鉄腕アトム同様に、1960(昭和35)年2月1日 から 同年4月25日まで、日本テレビ系列で実写版テレビドラマ「鉄人28号」としても放送されている(全13話でモノクロ)が、どうも、不人気だったようで、この実写版TVドラマ「鉄人28号」は、わずか3ヶ月の短期間で終了している。この実写版TVドラマの内容や評価は以下参考の※3、※4を参照されると良い。
「エイトマン」の原作はSF作家の平井和正、作画は桑田次郎(現:桑田二郎)。1963(昭和38)年5月からの『週刊少年マガジン』での看板作品をもとに、アニメ化されたの。
あるギャング事件を追跡していて殉職した警視庁捜査一課の敏腕青年刑事東八郎の脳細胞と組み合わされた電子頭脳をもつスーパーロボットである「エイトマン」が主人公。
体は、特殊な金属を使って作られた内部機構を人造皮膚で覆っており、外見は人間そっくりにできている。当然人間と同じように、ものを考えたり手足の動きなども脳の命令でする。
日常は粋なダブルのスーツを着た私立探偵・東八郎だが、ひとたび事件が起き、田中課長から要請を受けると、エイトマンに変身して数々の難事件・怪事件に立ち向かうといった筋立てである(※5参照)。
この原作は、コンペティションによって先行する『鉄腕アトム』とも『鉄人28号』とも異なる、「変身能力」「加速性能」というオリジナリティが受け入れられて採用されたものだという。
作品には平井和正自信に加え、半村良、豊田有恒らに日本の SF の胎動期から活躍した一線級作家陣がシナリオに参加し、内容、キャラクター共に、あまり子供向けとは言えなかったが、相当の視聴率を上げ、惜しまれつつ終わった。
エイトマン(エイトマン登場〜) 第一話 前半 - デイリーモーション動画
漫画の旗手であった手塚治虫は日本のアニメにおいてもパイオニアであった。
そこに、登場する鉄腕アトムなどは、以下参考の※6:「ロボットアニメの歴史」でも触れられているように、ロボットと言うよりも非常に生物くさい、人間と等身大の存在であった。
それを、いわゆる戦闘ロボに変貌させたのが、横山光輝であった。彼が創造した『鉄人28号』は、旧日本陸軍の秘密兵器という設定であった。
これは、リモコンによって操作される兵器であるから、感情を持たぬ冷たい鉄の塊であり、リモコンを用いる者の意思によって、善にも悪にもなる存在である。
横山の描くロボットは、『ジャイアント・ロボ』、『バビル2世』、『マーズ』を通して、全て同じイメージが貫かれているので、これが彼のロボット観なのだろう。
手塚治虫の『鉄腕アトム』に比肩する人気作となった『鉄人28号』は、又、巨大ロボット物の先駆として、『マジンガーZ』(永井豪作品)を初めとする多くの作品に強い影響を与えたという点では、手塚よりも上だろう。これ以後、圧倒的に巨大ロボット物がアニメを含めて作られる様になっているからだ。
今読むと如何にも古臭いとの印象は拭えないかも知れないが、ロボット漫画の歴史を塗り変えた記念碑的作品として、『鉄人28号』は後世に語り継がれていくことだろう。
横山 光輝のことについては、以前に此のブログで書いたので、気が向けば以下参考の※7:「今日のことあれこれと・・・「マンガ家・横山 光輝(『鉄人28号』)誕生日」」を見てください。
(冒頭の画像は2009年11月28日に摂ったもの)
参考:
※1:芝建 東日本大震災と阪神淡路大震災の違い
http://contest.thinkquest.jp/tqj14/140183/page4.4.html
※2:揺れによる建物被害少ない可能性…地震波分析
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110317-OYT1T00173.htm
※3:鉄人28号 実写 角めんこ
http://menkonohako.web.fc2.com/untitled.htm27.htm
※4:超映画批評『鉄人28号』30点(100点満点中)
http://movie.maeda-y.com/movie/00493.htm
※5:EKエイケン公式HP
http://www.eiken-anime.jp/
※6:ロボットアニメの歴史
http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/robot.htm
※7:今日のことあれこれと・・・「マンガ家・横山 光輝(『鉄人28号』)誕生日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/fa68045839b217b2b5a121c91e75fb31
TezukaOsamu.net(JP) - 手塚プロダクション
http://tezukaosamu.net/jp/
神戸市:阪神・淡路大震災の記録
http://www.city.kobe.lg.jp/safety/hanshinawaji/index.html
震災記録写真(大木本美通撮影)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/oogimoto/index.html
横山光輝オフィシャルサイト
http://www.yokoyama-mitsuteru.com/
神戸・ながたまちの情報館
http://i-town-nagata.com/02/cont-02-07.htm
鉄人28号- デューク・エイセス - 歌詞 : 歌ネット
http://www.uta-net.com/song/3135/
鉄人28号 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E4%BA%BA28%E5%8F%B7