日本では、紅葉する季節になると、人によっては紅葉狩り(もみじがり)も一つの行事になっているかも知れない。
樹木の分類には、マツやスギなど1年を通じて葉が落ちない常緑樹と、サクラ、カエデ、ブナ、イチョウなど冬や乾期に葉の落ちる落葉樹があり、落葉樹が紅葉する。
落葉樹は春に冬芽が発芽して葉を展開し、夏の間に盛んに光合成をして、自らを生長させたり、種子を作るための養分を貯蔵する。そして、秋になり気温が下がってきたとき、薄い葉を持つ落葉樹が緑の葉をつけたままでいると、葉の葉緑体での光合成能力が落ち、植物体(植物の個体)を維持できなくなる。
また、乾燥する冬には葉裏の気孔からどんどん水分を奪われてしまい、樹木全体が死んでしまうことになる。そこで樹木は生育に不利な時期には一度に落葉して、休眠芽(形成されたのち、生長を止めて休眠状態にある芽。)や冬芽の形で休眠する。
一方の、常緑樹は常緑といっても全く落葉しないわけではなく、毎年新しい葉が展開して、古いものから落葉していくが目立たないだけである(植物における休眠参照)。
紅葉(こうよう)とは、こうした樹木の冬支度をしている姿であり、冬に葉を落とすために、秋になって気温が下がりだすと糖分や水分などの供給を中止すると、葉緑素が壊れてしまうため、今まで見えなかったカロチノイドという黄色い色素が浮き出て見え、これが黄色く色づくイチョウなどの黄葉(こうよう、おうよう)である。
また、葉の中に残った糖分によってアントシアンという赤い色素が出来ていると赤が目立ってくるので、カエデのような赤い紅葉(こうよう) になる。
そして、ブナやケヤキなど褐色に変わるのを「褐葉(かつよう)」と呼ぶが、これらを厳密に区別するのが困難な場合も多く、いずれも「紅葉」として扱われることが多い(※1参照)。
同じ種類の木でも、生育条件や個体差によって、赤くなったり黄色くなったりすることがある。
葉が何のために色づくのかについては、その理由は諸説あるが、いまだ明らかになっておらず、落葉する過程でそういう色になるというしか言い様がないらしい。
秋が深まり、朝晩の気温が下がってくると、草木の葉が赤や黄に色づき、深山で見られる圧倒的な紅葉には誰しもが心打たれるが、一般に紅葉は、落葉樹のものが有名であり、カエデ科の数種を特に“モミジ”と呼ぶことが多く、実際に“モミジ”の紅葉が鮮やかな木の代表種であることに間違いはない。
日本の紅葉は9月頃から北海道の大雪山を手始めに始まり、徐々に南下する。紅葉が始まってから完了するまでは約1か月かかる。見頃は開始後20〜25日程度で、時期は北海道と東北地方が10月、関東から九州では11月から12月初め頃まで。また、山間部や内陸では朝晩の冷え込みが起こりやすいために、通常これより早い。
ただ、同じ場所でも毎年色の具合が違う。紅葉の良し悪しには、赤い色素となる糖分が光合成によって作られていることから、日中の天気が良いこと。次に、夜の気温が高いと、昼間作った糖分を使って活動してしまうため鮮やかな赤にならない。そのため、昼と夜の寒暖の差があること。そして、乾燥しすぎると葉が紅葉する前に枯れてしまうことから、適度な雨や水分があることなど、この3つの条件が揃うと真っ赤に色づき綺麗に紅葉する。
紅葉の名所と言われる所(全国的には奥入瀬(青森県)や日光(栃木県)、京都の社寺などが有名)に、渓谷や川沿いが多いのは、こうした条件が揃っているからである。
日本では紅葉の見頃の推移を桜前線と対比して「紅葉前線」と呼ぶが、この前線は寒い北から南へ、山から下の平野部へと進んでゆく。
古の人は奈良の竜田山に住む「竜田姫」という女神が秋を司り、その着物の袖を振って山々を染めていくとしており、平安時代前期の勅撰和歌集である『古今和歌集』(略称『古今集』)の巻五 秋歌下(※2参照)二九八番に次の歌が収められている。
竜田姫 たむくる神の あればこそ 秋の木の葉の 幣(ぬさ)と散るらめ (作者:兼覧王。※2の千人万首 兼覧王参照)
歌の意は、旅立つ竜田姫には手向けをする神さまがいらっしゃるので、秋の木(こ)の葉が神へのささげ物として散るのでしょうといったもの。
竜田山は、生駒山地の最南端、信貴山の南に連なる大和川北岸の山々の総称であり、竜田川流域にあって、その下流は平安時代より、紅葉(もみじ)の名所として名高く、歌枕として多くの和歌に詠まれている。
幣(ぬさ)とは、神に祈る時、神前に供えて撒(ま)く物で、当時、小さく切った布(麻や葛など植物繊維の布のこと)や帛(はく、絹の布のこと)、紙などを用いた。
この歌は、散る紅葉を竜田姫の幣に見立てており、竜田姫を紅葉の化身(秋の女神)とすることによって、秋という季節が華麗に表象されている。
この竜田姫が秋をつかさどる神とされたのは、竜田山一帯が平城京の西に当たり、「西」は陰陽五行説で「秋」にあたるからだといわれている(逆に春は東)。
そして、竜田姫は、佐保姫(さほひめ)が春霞の化身(春の女神)であるのに対し、竜田姫は紅葉の化身(秋の女神)として、東西・春秋の一対の女神として知られる。
又、竜田姫は、「龍田比古龍田比女神社」(龍田神社)に祭られれていた夫神・龍田比古神(竜田彦)同様、いまだ土着の神(秋の風を司る風神)としての面影も宿している。
283 竜田河紅葉乱(みだれ)て流るめり渡らば錦中やたえなむ(今和歌集、読人知らず)
『今和歌集』における竜田の歌の中で、最も古いと捉えられる上掲の二八三番歌も「平城(なら)の帝(みかど)」の歌」として伝承されているようで、竜田川に流れる紅葉が錦に見立てられている。
紅葉は錦織に喩えられるが、竜田姫は染織物の名手であり、時雨を縦糸に露・霜を横糸にして織ったといわれている。紅葉の色は時雨・露が染めたと思われていた古代・中世ならではの発想である。
この歌も含めて『古今集』の竜田の歌は十四首で、その中の十首が秋の歌である。しかもすべて「竜田川」の紅葉が詠まれており、このように歌枕としての竜田の季節が秋に固定されるようになったきっかけも、先ほどの五行説が反映されたからであろうという。詳しくは、参考※3:※4を参照されると良い。
今の季節、温暖な関西、特に京都の社寺など紅葉で有名なところは、どこも紅葉狩りの行楽客で大いに賑わっていることだろう。今日、明日は天気がよくないが、土日は回復しそうで良かったですね。
上掲の画像は、我が地元兵庫県神戸市北区の有馬温泉郷にある都市公園瑞宝寺公園の紅葉である。温泉街の最高部(標高500m)に位置し、紅葉の名所として知られている。写真は、今年のものではなく2004年11月25日撮影のものであり、時期的には丁度今頃が見ごろである。
歴史的には、豊臣秀吉も有馬をたびたび訪れていたといわれる。秀吉が「いくら見ても飽きない」などと瑞宝寺の紅葉を気に入ったという故事から、この地の紅葉には「日暮しの庭」、「錦繍谷」の別称がある。
公園内には、小倉百人一首にも詠まれている大弐三位(だいにのさんみ。女房三十六歌仙の一人。藤原宣孝の女、母は紫式部。本名は藤原賢子〔ふじわら の かたいこ/けんし〕)の和歌「有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする」の歌碑もある。(歌の意は※2:「やまとうた」の千人万首 大弐三位 参照)
上掲の紅葉の画像は、京都の嵯峨野にある常寂光院のもの(2002年11月14日撮影のもの)。
百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望でき、秋は全山紅葉に包まれる。その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされる。木下から光を透かしてモミジの葉の裏から見る光景が素晴らしい。
又、上掲の画像は、勝川春潮画「海晏寺の楓狩」東京国立図書館蔵。 大判錦絵3枚続きの 右2枚である。
江戸の名所は幾つかあるが、品川の海晏寺(かいあんじ)に止めを刺すといわれていたようで、俗謡にも、
「あれ見やしゃんせ海晏寺 ままよ竜田が高尾でも 及びないぞえ紅葉狩り」・・と、
昔から紅葉の名所として有名で、奈良の竜田や京の高尾(高雄。京都市右京区の清滝川に沿う景勝地で、北に接する栂尾〔とがのお〕・槙尾〔まきのお〕とともに三尾〔さんび〕とよばれる紅葉の名所)さえ及ばないほどだと謡われている(※5)。
ここでは、「紅葉狩り」を「楓狩」と表記している。つまり。”モミジ(紅葉)”ではなく、”カエデ(楓)”と書いているのである。
日本では、“モミジ”が、紅葉する季節に紅葉を見物をすることを紅葉狩り(もみじがり)紅葉狩りと言っているがそれはなぜか・・・?
900年頃成立した菅原道真撰と伝えられる歌集『新撰万葉集』は、万葉仮名で書かれた和歌と、和歌を漢詩に読み替えたものが載せられており、そこに載せられた猿丸大夫の和歌に小倉百人一首でも有名な以下の歌がある。
奥山に紅葉ふみわけなく鹿のこゑきく時ぞ秋はかなしき (百人一首5番、)
この歌は、新撰万葉集では、万葉仮名で以下のように書かれている。
奥山丹 黄葉踏別 鳴鹿之 音聆時曾 秋者金敷
(おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき)
歌意は、奧山に、黄葉した萩の下枝を踏み分けて鳴く、鹿の声が聞こえる。−そんな時だ、秋は悲しい季節だと感じるのは・・・といったとこらしい。(※6:「やまとうた」の小倉百人一首 注釈:猿丸大夫参照)
なお『古今和歌集』215番では「読み人しらず」とされており、「おくやまに」の歌は『猿丸大夫集(猿丸集)』にも入っているが語句に異同があり、「あきやまの もみぢふみわけ なくしかの こゑきく時ぞ 物はかなしき」となっている(御所本三十六人集に拠る)。
猿丸大夫は実に謎の多い人物で、私もファンである哲学者の梅原猛は『水底の歌-柿本人麻呂論』において、柿本人麻呂説を説きその評論で大佛次郎賞受賞指定している。
なぜ猿丸大夫の歌が「よみ人しらず」とされてしまったのか・・・など。興味のある人は、(※6 「やまとうた」の百人一首のなぜこの人・なぜこの一首:第5番猿丸大夫を読まれると良い。
そのようなことはさておき、花札の「モミジに、シカ(鹿)」の取り合わせは、この歌による(上掲の画像は花札「モミジと鹿」)。
葉が落ちて、獣の動きが捉え易く、弓矢で狩り易くなる季節が「秋」であり、この時期が当時のシカ狩りに適した季節であった。
本来なら獣などを捕まえるという意味の「狩り」が、時代とともに小動物や野鳥を捕まえるという意味にも広がり、さらには動植物を採るという意味(みかん狩りやイチゴ狩りなどの「果実狩り」や「潮干狩り」など)になって、草花などの自然を観賞するという意味(「紅葉狩り」「桜狩り(※7)」)の意味をもつようになった。
特に観賞する意味になったのは、狩猟をしない貴族が花や草木を眺めるために野山をめぐる様子を、狩りにたとえるようになったからである。
ただ、実際に。古代(奈良時代あたりまで)、貴族の間では紅葉の枝をもぎ取って賞でるという風習が実際にあった。「花を見る」ことを「花狩り」といい、「紅葉を見る」ことを「紅葉狩り」というのは、花や紅葉をただ眼でみるだけではなく、枝を折るという行動を通して自然との関わりをもとうとする行為だったといえる。
そして、桜などもただ見るだけではなく、実際に枝を折って頭に挿したりした。つまり、能動的に折るという行為で、花と関係をもつことによって親しむという思想である。
そのことは、以前の私のブログ3月16日十六団子の日でも詳しく触れたのでそこを見て欲しいが、農耕民族である日本人の農業は木を倒し、土を掘り起こし、草木を刈るという反自然の環境破壊行為であり、そのような環境破壊行為をすることによって、人は生きてゆけた。そのような生きてゆくための行為への神への感謝の気持ちをこめて、始められたのが、花見の始まりだったのである。
そのような風習から、よく色づいた枝葉を折って、部屋に飾ったり、外出もままならない貴人に献上したり、思いを寄せる人に贈ったりしていたが、平安時代以降は、邸宅や寺院の敷地内にカエデなどを植えてそのまま鑑賞することが多くなり、わざわざ山に入って枝を折って持ち帰る風習は廃れていき、そして「紅葉狩り」という言葉だけが残っようだ。
日本にはカエデ属の植物は多種あるが、各地でごく普通に見るのはイロハモミジとオオモミジである。イロハモミジはタカオカエデとも呼ばれるが、この名は前に述べた京都の清滝川渓谷の高雄に因んだものである。
紅葉見物のことを「モミジ狩り」というが、学術的には「モミジ」という植物はなく、植物分類上はカエデもモミジもともにカエデ属樹木を表す同義語であるが、園芸界ではイロハモミジ、オオモミジ、ハウチワカエデなどイロハモミジ系のものをモミジといい、それ以外のイタヤカエデ、ウリハダカエデなどをカエデとして区別する習慣があるようだ。
日本では、一般にはカエデに、楓の漢字をあてるが、中国で楓とはマンサク科の植物であるフウのことで、カエデは槭と書くらしい。フウは日本には自生しないが、葉形がややカエデに似ているので両者を混同したのだろうという。
万葉集巻八に:大伴田村大嬢の詠んだ以下の歌が見られる。
原文:吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無(巻八-1623)
読み:我がやど(宿)に もみつ蝦手(かえるで)見るごとに 妹を懸(か)けつつ 恋ひぬ日はなし
歌意:家の庭の紅葉した蝦手(かえるで)=楓(かえで)を見るたびに、あなたのことを思って、恋しくないなんて日はありませんよ。
異母姉の坂上大嬢(さかのうえのだいじょう)に贈った歌である(※8:「たのしい万葉集:」の楓(かえで)を詠んだ歌参照)。
ここでももみじに「黄葉」の漢字を宛てており、「もみじ」と詠んでいるが、本来「もみじ」は動詞であり、草木が秋になって変色することを「もみつ」などといったが、カエデが一番美しく紅葉するので、その別名詞となったのだろういう。
なお、「もみつ」よりも古くは「もみち」ともよまれている例がある。万葉集巻十-2205、作者不明の以下の歌参照。
秋萩の下葉もみちぬあらたまの 月の経ぬれば風をいたみかも
歌意:秋萩の下葉が赤くなってきた。月が経って行くにつれて風がはげしく吹くからであろうか。
以下参考の※9 「秋萩の 下葉もみちぬ あらたまの(京都府立山城郷土資料館)」では、この歌について詳しく検証をしているが、記紀歌謡には「モミチ」の歌は収録されておらず、万葉集には 「モミチ」・「モミツ」・・・と発音するものは99首、102例。うち、「黄葉」と表記するものが70例と圧倒的に多く、大半が、「モミチ」 = 「黄葉」で、「紅葉」 ・ 「赤」 ・ 「赤葉」の表記はたったの4例しかないという。そして、「モミチ」は巻8と巻10 に集中しているという。
この「秋萩の・・・」の歌の原文は、以下である。
秋芽子乃 下葉赤 荒玉乃 月之歴去者 風疾鴨
冒頭部分「秋芽子乃 下葉赤」は「「アキハギノ シタバモミチ」であり、「モミチ」は普通、万葉集では 「黄葉」と表記するものを、この歌の、「下葉赤」の赤という表現は、極めて稀であり、この歌を訓読みで収録した万葉集の担当者は、萩の下葉が色づき始めた黄色ではないよ。月が経って行くにつれて、風がはげしく吹いたから萩の下葉の色がさらに色が濃くなって、晩秋の枯葉色に紅葉したということを言いたかったので、あえて「赤」という漢字を使ったのではないかと言っている。
万葉集の常識 「モミチ」 = 「黄葉」 は誰が設定したか。・・それは、柿本人麻呂が設定したと考えられる。
まず、不思議なことに万葉集には最初の歌から「黄葉」と表記されていること。山の紅葉や落ち葉は黄のほかにも紅や赤もあるのになぜ「黄葉」なんだろうか。カギは柿本人麻呂の以下のような挽歌にあるようだ。
原文: 秋山尓 落黄葉 須臾者 勿散乱曽 妹之當将見
よみ:秋山に 落つる黄葉 しましくは な散りまがひそ 妹があたり見む(巻二‐137)
原文: 秋山之 黄葉乎茂 迷流 妹乎将求 山道不知母(巻ニ-208)
よみ: 秋山の、黄葉(もみぢ)を茂み、惑(まど)ひぬる、妹(いも)を求めむ、山道(やまぢ)知らずも
これと同じような歌が他にもある。これらの歌の解析から、太古の日本には黄泉の国に通じる黄泉路(よみぢ)が存在し、黄泉比良坂(よもつひらさか。この世とあの世をつなぐ道)で、葦原中国とつながっていると考えられていた。
人麻呂は亡くなった人が住むという黄泉の国、その黄泉の国の「黄」を使って「もみち」 = 「黄葉」とし、色づいた葉という意の「もみち」に重ねて歌に詠んで亡くなった人を偲んだ。
しかし、黄泉という意を含んだ「黄葉」を詠んだのは人麻呂と持統天皇(巻2 159)くらいで、以降は黄泉の意は黄葉から抜け落ちてしまって、ただの色づいた葉という意味の「もみち」 = 「黄葉」だけが世の中に流布してしまった。これが「もみち」が「黄葉」となった真相ではなかろうかと考えている・・・とのことである(詳しくは※9参照)。
この他、「黄葉の」という枕詞もあり『万葉集』では、うつろい、散るところから、「移る」「過ぐ」にかかる語として、後には紅葉のあかいところから、「あけ」にかかる語として使用され又、この『万葉集』の「もみち」が濁音化して「紅葉」という漢字を常用するようになったのが平安時代になってからのようである。
このブログを書いていて、先日(11月23日)朝日新聞夕刊に、「人類の知性は2千年〜6千年前頃をピークにゆっくりと低下し続けているかも知れない」との説を米国スタンフォード大学のジュラルド・クラブトリー教授が米科学誌『セル』の関連誌に発表したと書かれていた(※5参照)のを思い出した。
私なども以前からこのような万葉人の和歌や平安時代中期に成立したとされる『源氏物語』など古典文学を読んでいると、今の文学に比して、その創造力の豊かさにいつも感心させられていたので、この報道にさもあらんと納得したのだが、皆さんはどう思われますか?
ヒトの知性、6千年前ピーク? 米教授「狩りやめ低下」 (朝日新聞デジタル11月20日(火)16時49分配信 )
参考:
※1参照:BotanyWEB
http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~algae/BotanyWEB/top.html
※2: 古今和歌集の部屋
http://www.milord-club.com/Kokin/
※3:竜田姫の秋 古典文学(平安)・日本文化史
http://www.ndsu.ac.jp/1000_guid/1400_depa/1430_japa/1432_essay/1432_essay_4th/1432_essay_4th_36_kataoka.html
※4:折々の銘 76 【竜田姫】たつたひめ
http://www.morita-fumiyasu.com/docs/oriori_076.pdf#search='%E7%AB%9C%E7%94%B0%E5%A7%AB+%E7%A7%8B+%E7%B4%85%E8%91%89'
※5:端唄・俗曲 その3 か〜き
http://sky.geocities.jp/tears_of_ruby_grapefruit/minyou3/hauta3.htm
※6:やまとうた
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/index.html
※7:季語・桜狩
http://kigosai.sub.jp/kigo500d/637.html
※8:たのしい万葉集:
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/home.html
※9:秋萩の 下葉もみちぬ あらたまの(京都府立山城郷土資料館)
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/32.htm
中国と日本の「紅葉」の違い_中国網_日本語
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2011-10/18/content_23658210.htm
レファレンス協同データベース
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000089034
カエデとモミジ
http://www.geocities.jp/kinomemocho/sanpo_kaede.html
もみじの魅力
http://www.hayashiya-gr.co.jp/momiji/index.html
「椛」・・・人気漢字の読み・意味・名前例
http://happyname.livedoor.biz/archives/50422437.html
紅葉(もみじ) - 語源由来辞典
http://gogen-allguide.com/mo/momiji.html
紅葉 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E8%91%89
樹木の分類には、マツやスギなど1年を通じて葉が落ちない常緑樹と、サクラ、カエデ、ブナ、イチョウなど冬や乾期に葉の落ちる落葉樹があり、落葉樹が紅葉する。
落葉樹は春に冬芽が発芽して葉を展開し、夏の間に盛んに光合成をして、自らを生長させたり、種子を作るための養分を貯蔵する。そして、秋になり気温が下がってきたとき、薄い葉を持つ落葉樹が緑の葉をつけたままでいると、葉の葉緑体での光合成能力が落ち、植物体(植物の個体)を維持できなくなる。
また、乾燥する冬には葉裏の気孔からどんどん水分を奪われてしまい、樹木全体が死んでしまうことになる。そこで樹木は生育に不利な時期には一度に落葉して、休眠芽(形成されたのち、生長を止めて休眠状態にある芽。)や冬芽の形で休眠する。
一方の、常緑樹は常緑といっても全く落葉しないわけではなく、毎年新しい葉が展開して、古いものから落葉していくが目立たないだけである(植物における休眠参照)。
紅葉(こうよう)とは、こうした樹木の冬支度をしている姿であり、冬に葉を落とすために、秋になって気温が下がりだすと糖分や水分などの供給を中止すると、葉緑素が壊れてしまうため、今まで見えなかったカロチノイドという黄色い色素が浮き出て見え、これが黄色く色づくイチョウなどの黄葉(こうよう、おうよう)である。
また、葉の中に残った糖分によってアントシアンという赤い色素が出来ていると赤が目立ってくるので、カエデのような赤い紅葉(こうよう) になる。
そして、ブナやケヤキなど褐色に変わるのを「褐葉(かつよう)」と呼ぶが、これらを厳密に区別するのが困難な場合も多く、いずれも「紅葉」として扱われることが多い(※1参照)。
同じ種類の木でも、生育条件や個体差によって、赤くなったり黄色くなったりすることがある。
葉が何のために色づくのかについては、その理由は諸説あるが、いまだ明らかになっておらず、落葉する過程でそういう色になるというしか言い様がないらしい。
秋が深まり、朝晩の気温が下がってくると、草木の葉が赤や黄に色づき、深山で見られる圧倒的な紅葉には誰しもが心打たれるが、一般に紅葉は、落葉樹のものが有名であり、カエデ科の数種を特に“モミジ”と呼ぶことが多く、実際に“モミジ”の紅葉が鮮やかな木の代表種であることに間違いはない。
日本の紅葉は9月頃から北海道の大雪山を手始めに始まり、徐々に南下する。紅葉が始まってから完了するまでは約1か月かかる。見頃は開始後20〜25日程度で、時期は北海道と東北地方が10月、関東から九州では11月から12月初め頃まで。また、山間部や内陸では朝晩の冷え込みが起こりやすいために、通常これより早い。
ただ、同じ場所でも毎年色の具合が違う。紅葉の良し悪しには、赤い色素となる糖分が光合成によって作られていることから、日中の天気が良いこと。次に、夜の気温が高いと、昼間作った糖分を使って活動してしまうため鮮やかな赤にならない。そのため、昼と夜の寒暖の差があること。そして、乾燥しすぎると葉が紅葉する前に枯れてしまうことから、適度な雨や水分があることなど、この3つの条件が揃うと真っ赤に色づき綺麗に紅葉する。
紅葉の名所と言われる所(全国的には奥入瀬(青森県)や日光(栃木県)、京都の社寺などが有名)に、渓谷や川沿いが多いのは、こうした条件が揃っているからである。
日本では紅葉の見頃の推移を桜前線と対比して「紅葉前線」と呼ぶが、この前線は寒い北から南へ、山から下の平野部へと進んでゆく。
古の人は奈良の竜田山に住む「竜田姫」という女神が秋を司り、その着物の袖を振って山々を染めていくとしており、平安時代前期の勅撰和歌集である『古今和歌集』(略称『古今集』)の巻五 秋歌下(※2参照)二九八番に次の歌が収められている。
竜田姫 たむくる神の あればこそ 秋の木の葉の 幣(ぬさ)と散るらめ (作者:兼覧王。※2の千人万首 兼覧王参照)
歌の意は、旅立つ竜田姫には手向けをする神さまがいらっしゃるので、秋の木(こ)の葉が神へのささげ物として散るのでしょうといったもの。
竜田山は、生駒山地の最南端、信貴山の南に連なる大和川北岸の山々の総称であり、竜田川流域にあって、その下流は平安時代より、紅葉(もみじ)の名所として名高く、歌枕として多くの和歌に詠まれている。
幣(ぬさ)とは、神に祈る時、神前に供えて撒(ま)く物で、当時、小さく切った布(麻や葛など植物繊維の布のこと)や帛(はく、絹の布のこと)、紙などを用いた。
この歌は、散る紅葉を竜田姫の幣に見立てており、竜田姫を紅葉の化身(秋の女神)とすることによって、秋という季節が華麗に表象されている。
この竜田姫が秋をつかさどる神とされたのは、竜田山一帯が平城京の西に当たり、「西」は陰陽五行説で「秋」にあたるからだといわれている(逆に春は東)。
そして、竜田姫は、佐保姫(さほひめ)が春霞の化身(春の女神)であるのに対し、竜田姫は紅葉の化身(秋の女神)として、東西・春秋の一対の女神として知られる。
又、竜田姫は、「龍田比古龍田比女神社」(龍田神社)に祭られれていた夫神・龍田比古神(竜田彦)同様、いまだ土着の神(秋の風を司る風神)としての面影も宿している。
283 竜田河紅葉乱(みだれ)て流るめり渡らば錦中やたえなむ(今和歌集、読人知らず)
『今和歌集』における竜田の歌の中で、最も古いと捉えられる上掲の二八三番歌も「平城(なら)の帝(みかど)」の歌」として伝承されているようで、竜田川に流れる紅葉が錦に見立てられている。
紅葉は錦織に喩えられるが、竜田姫は染織物の名手であり、時雨を縦糸に露・霜を横糸にして織ったといわれている。紅葉の色は時雨・露が染めたと思われていた古代・中世ならではの発想である。
この歌も含めて『古今集』の竜田の歌は十四首で、その中の十首が秋の歌である。しかもすべて「竜田川」の紅葉が詠まれており、このように歌枕としての竜田の季節が秋に固定されるようになったきっかけも、先ほどの五行説が反映されたからであろうという。詳しくは、参考※3:※4を参照されると良い。
今の季節、温暖な関西、特に京都の社寺など紅葉で有名なところは、どこも紅葉狩りの行楽客で大いに賑わっていることだろう。今日、明日は天気がよくないが、土日は回復しそうで良かったですね。
上掲の画像は、我が地元兵庫県神戸市北区の有馬温泉郷にある都市公園瑞宝寺公園の紅葉である。温泉街の最高部(標高500m)に位置し、紅葉の名所として知られている。写真は、今年のものではなく2004年11月25日撮影のものであり、時期的には丁度今頃が見ごろである。
歴史的には、豊臣秀吉も有馬をたびたび訪れていたといわれる。秀吉が「いくら見ても飽きない」などと瑞宝寺の紅葉を気に入ったという故事から、この地の紅葉には「日暮しの庭」、「錦繍谷」の別称がある。
公園内には、小倉百人一首にも詠まれている大弐三位(だいにのさんみ。女房三十六歌仙の一人。藤原宣孝の女、母は紫式部。本名は藤原賢子〔ふじわら の かたいこ/けんし〕)の和歌「有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする」の歌碑もある。(歌の意は※2:「やまとうた」の千人万首 大弐三位 参照)
上掲の紅葉の画像は、京都の嵯峨野にある常寂光院のもの(2002年11月14日撮影のもの)。
百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望でき、秋は全山紅葉に包まれる。その常寂光土のような風情から寺号がつけられたとされる。木下から光を透かしてモミジの葉の裏から見る光景が素晴らしい。
又、上掲の画像は、勝川春潮画「海晏寺の楓狩」東京国立図書館蔵。 大判錦絵3枚続きの 右2枚である。
江戸の名所は幾つかあるが、品川の海晏寺(かいあんじ)に止めを刺すといわれていたようで、俗謡にも、
「あれ見やしゃんせ海晏寺 ままよ竜田が高尾でも 及びないぞえ紅葉狩り」・・と、
昔から紅葉の名所として有名で、奈良の竜田や京の高尾(高雄。京都市右京区の清滝川に沿う景勝地で、北に接する栂尾〔とがのお〕・槙尾〔まきのお〕とともに三尾〔さんび〕とよばれる紅葉の名所)さえ及ばないほどだと謡われている(※5)。
ここでは、「紅葉狩り」を「楓狩」と表記している。つまり。”モミジ(紅葉)”ではなく、”カエデ(楓)”と書いているのである。
日本では、“モミジ”が、紅葉する季節に紅葉を見物をすることを紅葉狩り(もみじがり)紅葉狩りと言っているがそれはなぜか・・・?
900年頃成立した菅原道真撰と伝えられる歌集『新撰万葉集』は、万葉仮名で書かれた和歌と、和歌を漢詩に読み替えたものが載せられており、そこに載せられた猿丸大夫の和歌に小倉百人一首でも有名な以下の歌がある。
奥山に紅葉ふみわけなく鹿のこゑきく時ぞ秋はかなしき (百人一首5番、)
この歌は、新撰万葉集では、万葉仮名で以下のように書かれている。
奥山丹 黄葉踏別 鳴鹿之 音聆時曾 秋者金敷
(おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき)
歌意は、奧山に、黄葉した萩の下枝を踏み分けて鳴く、鹿の声が聞こえる。−そんな時だ、秋は悲しい季節だと感じるのは・・・といったとこらしい。(※6:「やまとうた」の小倉百人一首 注釈:猿丸大夫参照)
なお『古今和歌集』215番では「読み人しらず」とされており、「おくやまに」の歌は『猿丸大夫集(猿丸集)』にも入っているが語句に異同があり、「あきやまの もみぢふみわけ なくしかの こゑきく時ぞ 物はかなしき」となっている(御所本三十六人集に拠る)。
猿丸大夫は実に謎の多い人物で、私もファンである哲学者の梅原猛は『水底の歌-柿本人麻呂論』において、柿本人麻呂説を説きその評論で大佛次郎賞受賞指定している。
なぜ猿丸大夫の歌が「よみ人しらず」とされてしまったのか・・・など。興味のある人は、(※6 「やまとうた」の百人一首のなぜこの人・なぜこの一首:第5番猿丸大夫を読まれると良い。
そのようなことはさておき、花札の「モミジに、シカ(鹿)」の取り合わせは、この歌による(上掲の画像は花札「モミジと鹿」)。
葉が落ちて、獣の動きが捉え易く、弓矢で狩り易くなる季節が「秋」であり、この時期が当時のシカ狩りに適した季節であった。
本来なら獣などを捕まえるという意味の「狩り」が、時代とともに小動物や野鳥を捕まえるという意味にも広がり、さらには動植物を採るという意味(みかん狩りやイチゴ狩りなどの「果実狩り」や「潮干狩り」など)になって、草花などの自然を観賞するという意味(「紅葉狩り」「桜狩り(※7)」)の意味をもつようになった。
特に観賞する意味になったのは、狩猟をしない貴族が花や草木を眺めるために野山をめぐる様子を、狩りにたとえるようになったからである。
ただ、実際に。古代(奈良時代あたりまで)、貴族の間では紅葉の枝をもぎ取って賞でるという風習が実際にあった。「花を見る」ことを「花狩り」といい、「紅葉を見る」ことを「紅葉狩り」というのは、花や紅葉をただ眼でみるだけではなく、枝を折るという行動を通して自然との関わりをもとうとする行為だったといえる。
そして、桜などもただ見るだけではなく、実際に枝を折って頭に挿したりした。つまり、能動的に折るという行為で、花と関係をもつことによって親しむという思想である。
そのことは、以前の私のブログ3月16日十六団子の日でも詳しく触れたのでそこを見て欲しいが、農耕民族である日本人の農業は木を倒し、土を掘り起こし、草木を刈るという反自然の環境破壊行為であり、そのような環境破壊行為をすることによって、人は生きてゆけた。そのような生きてゆくための行為への神への感謝の気持ちをこめて、始められたのが、花見の始まりだったのである。
そのような風習から、よく色づいた枝葉を折って、部屋に飾ったり、外出もままならない貴人に献上したり、思いを寄せる人に贈ったりしていたが、平安時代以降は、邸宅や寺院の敷地内にカエデなどを植えてそのまま鑑賞することが多くなり、わざわざ山に入って枝を折って持ち帰る風習は廃れていき、そして「紅葉狩り」という言葉だけが残っようだ。
日本にはカエデ属の植物は多種あるが、各地でごく普通に見るのはイロハモミジとオオモミジである。イロハモミジはタカオカエデとも呼ばれるが、この名は前に述べた京都の清滝川渓谷の高雄に因んだものである。
紅葉見物のことを「モミジ狩り」というが、学術的には「モミジ」という植物はなく、植物分類上はカエデもモミジもともにカエデ属樹木を表す同義語であるが、園芸界ではイロハモミジ、オオモミジ、ハウチワカエデなどイロハモミジ系のものをモミジといい、それ以外のイタヤカエデ、ウリハダカエデなどをカエデとして区別する習慣があるようだ。
日本では、一般にはカエデに、楓の漢字をあてるが、中国で楓とはマンサク科の植物であるフウのことで、カエデは槭と書くらしい。フウは日本には自生しないが、葉形がややカエデに似ているので両者を混同したのだろうという。
万葉集巻八に:大伴田村大嬢の詠んだ以下の歌が見られる。
原文:吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無(巻八-1623)
読み:我がやど(宿)に もみつ蝦手(かえるで)見るごとに 妹を懸(か)けつつ 恋ひぬ日はなし
歌意:家の庭の紅葉した蝦手(かえるで)=楓(かえで)を見るたびに、あなたのことを思って、恋しくないなんて日はありませんよ。
異母姉の坂上大嬢(さかのうえのだいじょう)に贈った歌である(※8:「たのしい万葉集:」の楓(かえで)を詠んだ歌参照)。
ここでももみじに「黄葉」の漢字を宛てており、「もみじ」と詠んでいるが、本来「もみじ」は動詞であり、草木が秋になって変色することを「もみつ」などといったが、カエデが一番美しく紅葉するので、その別名詞となったのだろういう。
なお、「もみつ」よりも古くは「もみち」ともよまれている例がある。万葉集巻十-2205、作者不明の以下の歌参照。
秋萩の下葉もみちぬあらたまの 月の経ぬれば風をいたみかも
歌意:秋萩の下葉が赤くなってきた。月が経って行くにつれて風がはげしく吹くからであろうか。
以下参考の※9 「秋萩の 下葉もみちぬ あらたまの(京都府立山城郷土資料館)」では、この歌について詳しく検証をしているが、記紀歌謡には「モミチ」の歌は収録されておらず、万葉集には 「モミチ」・「モミツ」・・・と発音するものは99首、102例。うち、「黄葉」と表記するものが70例と圧倒的に多く、大半が、「モミチ」 = 「黄葉」で、「紅葉」 ・ 「赤」 ・ 「赤葉」の表記はたったの4例しかないという。そして、「モミチ」は巻8と巻10 に集中しているという。
この「秋萩の・・・」の歌の原文は、以下である。
秋芽子乃 下葉赤 荒玉乃 月之歴去者 風疾鴨
冒頭部分「秋芽子乃 下葉赤」は「「アキハギノ シタバモミチ」であり、「モミチ」は普通、万葉集では 「黄葉」と表記するものを、この歌の、「下葉赤」の赤という表現は、極めて稀であり、この歌を訓読みで収録した万葉集の担当者は、萩の下葉が色づき始めた黄色ではないよ。月が経って行くにつれて、風がはげしく吹いたから萩の下葉の色がさらに色が濃くなって、晩秋の枯葉色に紅葉したということを言いたかったので、あえて「赤」という漢字を使ったのではないかと言っている。
万葉集の常識 「モミチ」 = 「黄葉」 は誰が設定したか。・・それは、柿本人麻呂が設定したと考えられる。
まず、不思議なことに万葉集には最初の歌から「黄葉」と表記されていること。山の紅葉や落ち葉は黄のほかにも紅や赤もあるのになぜ「黄葉」なんだろうか。カギは柿本人麻呂の以下のような挽歌にあるようだ。
原文: 秋山尓 落黄葉 須臾者 勿散乱曽 妹之當将見
よみ:秋山に 落つる黄葉 しましくは な散りまがひそ 妹があたり見む(巻二‐137)
原文: 秋山之 黄葉乎茂 迷流 妹乎将求 山道不知母(巻ニ-208)
よみ: 秋山の、黄葉(もみぢ)を茂み、惑(まど)ひぬる、妹(いも)を求めむ、山道(やまぢ)知らずも
これと同じような歌が他にもある。これらの歌の解析から、太古の日本には黄泉の国に通じる黄泉路(よみぢ)が存在し、黄泉比良坂(よもつひらさか。この世とあの世をつなぐ道)で、葦原中国とつながっていると考えられていた。
人麻呂は亡くなった人が住むという黄泉の国、その黄泉の国の「黄」を使って「もみち」 = 「黄葉」とし、色づいた葉という意の「もみち」に重ねて歌に詠んで亡くなった人を偲んだ。
しかし、黄泉という意を含んだ「黄葉」を詠んだのは人麻呂と持統天皇(巻2 159)くらいで、以降は黄泉の意は黄葉から抜け落ちてしまって、ただの色づいた葉という意味の「もみち」 = 「黄葉」だけが世の中に流布してしまった。これが「もみち」が「黄葉」となった真相ではなかろうかと考えている・・・とのことである(詳しくは※9参照)。
この他、「黄葉の」という枕詞もあり『万葉集』では、うつろい、散るところから、「移る」「過ぐ」にかかる語として、後には紅葉のあかいところから、「あけ」にかかる語として使用され又、この『万葉集』の「もみち」が濁音化して「紅葉」という漢字を常用するようになったのが平安時代になってからのようである。
このブログを書いていて、先日(11月23日)朝日新聞夕刊に、「人類の知性は2千年〜6千年前頃をピークにゆっくりと低下し続けているかも知れない」との説を米国スタンフォード大学のジュラルド・クラブトリー教授が米科学誌『セル』の関連誌に発表したと書かれていた(※5参照)のを思い出した。
私なども以前からこのような万葉人の和歌や平安時代中期に成立したとされる『源氏物語』など古典文学を読んでいると、今の文学に比して、その創造力の豊かさにいつも感心させられていたので、この報道にさもあらんと納得したのだが、皆さんはどう思われますか?
ヒトの知性、6千年前ピーク? 米教授「狩りやめ低下」 (朝日新聞デジタル11月20日(火)16時49分配信 )
参考:
※1参照:BotanyWEB
http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~algae/BotanyWEB/top.html
※2: 古今和歌集の部屋
http://www.milord-club.com/Kokin/
※3:竜田姫の秋 古典文学(平安)・日本文化史
http://www.ndsu.ac.jp/1000_guid/1400_depa/1430_japa/1432_essay/1432_essay_4th/1432_essay_4th_36_kataoka.html
※4:折々の銘 76 【竜田姫】たつたひめ
http://www.morita-fumiyasu.com/docs/oriori_076.pdf#search='%E7%AB%9C%E7%94%B0%E5%A7%AB+%E7%A7%8B+%E7%B4%85%E8%91%89'
※5:端唄・俗曲 その3 か〜き
http://sky.geocities.jp/tears_of_ruby_grapefruit/minyou3/hauta3.htm
※6:やまとうた
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/index.html
※7:季語・桜狩
http://kigosai.sub.jp/kigo500d/637.html
※8:たのしい万葉集:
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/home.html
※9:秋萩の 下葉もみちぬ あらたまの(京都府立山城郷土資料館)
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/32.htm
中国と日本の「紅葉」の違い_中国網_日本語
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2011-10/18/content_23658210.htm
レファレンス協同データベース
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000089034
カエデとモミジ
http://www.geocities.jp/kinomemocho/sanpo_kaede.html
もみじの魅力
http://www.hayashiya-gr.co.jp/momiji/index.html
「椛」・・・人気漢字の読み・意味・名前例
http://happyname.livedoor.biz/archives/50422437.html
紅葉(もみじ) - 語源由来辞典
http://gogen-allguide.com/mo/momiji.html
紅葉 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E8%91%89