今日の記念日「110番の日」は110番(ひゃくとおばん)の適切な使用を推進しようと、1985(昭和60)年12月に警察庁が定めた。
記念日の日付自体は110番を日付にすると、1月10日となる語呂合わせからであり、緊急通報制度の興りなどとは全く関係はない。
110番(ひゃくとおばん)とは、日本において警察機関に提供される緊急通報用電話番号のことであり、これが、110番「ひゃくとうばん」の正式名称である。
記念日登録した翌1986(昭和61)年1月から警視庁では「通信指令センター」を一般公開している。
また1月10日には、全国の警察でもこれに関連したキャンペーンが行われている。
東京では、今日の午後2時から4時まで、千代田区有楽町の読売会館7階 「よみうりホール」で、「110番の日の集い」が行われ、平成25年110番イメージキャラクター「川島海荷さん」・「ピーポくん」とともに110番通報時の正確な場所の伝え方等について学び、警視庁音楽隊・警視庁音楽隊カラーガード(※1のここ参照 )の演奏・演技で、楽しいひとときを過ごそうということらしい(※1:警視庁HP『110番』参照)。
冒頭掲載の画像は、平成25年 警視庁「110番」広報用ポスターであるが、ポスターの女性が川島海荷さん。
上掲画像は、「ピーポくん」のぬいぐるみ(Wikipediaより)。
ほぼ全身が黄色であり、耳が大きく、腰には拳銃を装備したベルト(1994年3月まで警察官の装備として採用されていた負革の付いた帯革)を締めているピーポくんは、都民と警視庁のきずなを強めるため「親しまれ、信頼される警視庁」をテーマに、警視庁のシンボルマスコットとして、1987(昭和62)年4月17日に誕生した警視庁のマスコットキャラクターである。
名前の由来は、人々の「ピープル」(People)と、警察の「ポリス」(Police)の頭文字(Peopo)からだそうだ。
ピーポくんは特定の動物ではなく、いろいろな動物の可愛らしい部分をイメージ化して作られたもので、顔が大きく体が小さいなど、愛着のあるキャラクターとして幼児向けの要素も盛り込んでいるが、大きい耳や触角のようなアンテナ、見開いた目には、それぞれ以下のような役目を持つとされる(※1:警視庁HPピーポくんタウンより)。
耳:都民の声を幅広く聞くためのもの
アンテナ:社会全体の動きを素早くキャッチするためのもの
目:社会をすみずみまで見わたすためのもの
ピーポくんは元々、警視庁広報課が発案しキャラクターデザイナーと共同で製作したもので、その著作権は警視庁に帰属し、商標登録もされている(登録権利者は東京都)。ネットで検索していると、キャラクターをデザインしたのは日本漫画界の巨匠・手塚治虫とのうわさも見られるが、根拠は見当たらない。
いずれにしてもかわいいキャラクターなので、当初は防犯ポスターなどに使われていたが、その後、縫いぐるみや携帯ストラップ、メモ帳、消しゴム、マウスパッド、テレカ、Tシャツ、キーホルダー、防犯ブザー等各種グッズが製作・販売されるようになり(警視庁管内の運転免許試験場の売店等で購入できる)、また、警視庁公式ウェブサイトには、いたるところにピーポくんが登場する。
さらに、警視庁管内の交番や警察署の各課窓口等には、縫いぐるみやポスター、建て看板などが置かれていたりもするようだ。
ぴーぽくんには家族もおり、これらキャラの使用については、1988(昭和63)年に、「シンボルマスコット等活用要綱」で決められている(警視庁シンボルマスコット等活用要綱の制定について参照)。
こんなかわいいピーポくんンの誕生は、都民に対して、それまでの、「怖い、威圧的な警察」のイメージ改善には結構貢献したことだろう。今は、ぴーぽ君の歌までできている(ぴーぽ君の歌)。
もともと、戦後の警察は民主警察を基本としており、警察官による警察活動も「市民を脅かす」、「恐い顔をして牽制する」などという戦前の旧体制下の警察とは全く異なるものである。
日本の警察制度は明治維新とともに始まる。江戸時代には警察に相当する役所として町奉行所があった。
江戸には南北の町奉行が、諸国には遠国奉行があり、その職員である与力、同心が現在の警察官に相当した。ただし与力、同心の人数は人口に対して非常に少なく、江戸の人口100万人に対して与力は50人、同心は250人しかいなかったという。そのため、同心は私的に岡っ引と呼ばれる手先を雇い、警察業務を執行していた。
明治維新によって江戸幕府が崩壊すると、諸藩の兵(藩兵)が治安維持に当たった。しかし藩兵は純然たる軍隊であり、警察ではなかった。
1871(明治4)年、東京府に 邏卒(らそつ:“巡邏の兵卒”の略.。巡査参照)3000人が設置されたことが近代警察の始まりとなった。同年、司法省警保寮が創設されると、警察権は同省に一括され、東京府邏卒も同省へ移管された。
そして、明治5年(1872年)、邏卒総長に就任した薩摩藩出身の川路利良が、新時代にふさわしい警察制度研究のため、同年、司法省の西欧視察団(8人)の一員として、欧州各国の警察制度を視察、渡欧し、帰国後、フランスの警察に倣った制度改革を建議。司法省警保寮は内務省に移され、1874(明治7)年、首都警察としての警視庁創設に伴い初代大警視(後の警視総監)に就任。日本の近代警察制度がここに始まる。
以後の警察は、国家主導体制のもと、管轄する中央省庁の権限委任も多く行われたが、最終的に内務省に警察権が委任され、内務省方の国家警察・国家直属の首都警察としての警視庁と、各道府県知事が直接管理下に置く地方警察の体制に落ち着いた。
そして、内務大臣が主任の大臣として、地方長官たる警視総監及び府県知事等を指揮監督し、これらの地方長官は、国の機関としての警視庁及び道府県(警察部)とその下に置かれた警察署等を指揮監督した。
この体制は昭和に入っても継続され、第二次世界大戦中には、特高や憲兵といった秘密警察を筆頭に地域の警察署や交番に至るまで軍部や政府の方針通りに思想統制を行う弾圧機関として暴走していた過去がある。この頃の警察は現在とは異なり、イメージ的には威圧的で、市民から恐怖と非難の的となってた存在であり、とても現在のような「正義の為の警察」、「市民の安全を守る警察」といったイメージではなかった。
こうした暴走を繰り返さない為、戦後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指導の下、日本警察の再編が行われ、それまでの中央集権的な警察組織が廃止され、1948(昭和23)年に旧警察法が定められる。
旧法では、地方分権色の強い国家地方警察と自治体警察の二本立ての運営で行われる(※2の『平成16年 警察白書』のここ参照)が、1954(昭和29)年には現警察法に改正され、国家行政組織の警察庁と地方組織の警視庁・道府県警察に統一されて今日に至っている(※2の『平成16年 警察白書』のここ参照)。
また、警察官の服装に関しては、第二次世界大戦中までは、一般の制服警察官が常時拳銃を携行することはなく、常時の武装としてはサーベルを佩用(はいよう。身におび、用いること)していた。交通警察・消防警察・水上警察その他サーベル佩用が不便な業務に従事する警察官は、サーベルに代えて短剣を佩用していたが、終戦後はサーベル・短剣は、GHQの指示に基づき、1946(昭和21)年3月12日付勅令第133条(昭和時代の日本の勅令一覧)により佩用禁止となり、警棒を持つようになった。また、1948(昭和23)年からGHQの指示により警察官が拳銃を携行(※3)するようもなった。
そして、警察官のシンボルである、制服も戦前は軍服と似たような襟詰デザインだったが、これも変更され、戦後しばらくは、GHQの指導のもと、アメリカの占領軍兵士が着ているような気色味をおびたカーキ色のブレザー風制服だったが、その後、紺色ブレザーへと変わった。
現在の制服は、従来の制服にさらに威圧感軽減を図ったもので、警棒や拳銃を納めた帯革が上衣の下に隠れるようになり、外観から武器が極力見えないようになって威圧感がより軽減された。
110番制度も、1948(昭和23)年にGHQからの申し入れにより、国家地方警察(現在の警察庁)と逓信省(現在の総務省)が協議して、同年10月1日より始まった。
当初は東京都区部・大阪市・京都市・横浜市・川崎市・名古屋市・神戸市・福岡市の8都市のみでスタートした。
110番や1110番というようにバラバラだったが、1954(昭和29)年7月1日の新警察法施行をもって110番に統一された。
この警察への通報用電話が110番となった理由としては、
国民に覚えやすい番号とすること
誤報が少ないように番号を3桁にすること
ストッパーまでの距離が短い「1」を多くすること(当時の電話機は回転ダイヤル式であった)
の三項目を基本に検討された結果だと言われている。
日本では、1950年(昭和25年)に電気通信省(現在の総務省、NTTグループ)によって4号電話機(※4のここ参照)が制式化され、1952(昭和27)年に、電気通信省が廃止され日本電信電話公社(現:NTT)に移行し、この年から提供が開始された。
1950年代には、商店・企業の連絡手段として電話は必要不可欠なものとなっていたが、そのころ一般家庭では、まだ「呼出電話」と呼ばれる、電話を持っている人に着信させ、電話を受けた人が呼び出す人をその人の家まで呼びに行くものであった。そのため、電話機は玄関に設置されていた。
私の家は商売をしていたので、早く戦前から電話は設置されていたが、記憶に残っているのは長方形の壁掛け式の電話であった。そして、よく近所の人が利用していたのを覚えている。
日本で一般の家庭にも、電話が普及しはじめたのは1970年代以降のことである。
緊急通報用電話番号の110番の読み方が「ひゃくとおばん」と世間に広まったきっかけは、作家の故向田邦子さんが、脚本家としてデビューしたテレビドラマ「ダイヤル110番」であり(※5参照)、実際に起きた刑事事件をモチーフに製作された。
当連続ドラマは、1957(昭和32)年9月3日から1964(昭和39)年9月6日まで、日本テレビ系列にて放映された日本初の刑事ドラマだとされている。
オープニングでは、警視庁の通信指令室が映った後、係が受話器を取って「はい、こちら110番」と応じる場面から始まった。また、本作では本物のパトカーが使用されたことも評判になった(ここ参照)。
Wikipediaによれば、このドラマ「ダイヤル110番」は、アメリカで放映された実録刑事ドラマ「ドラグネット」にヒントを得て制作。
アメリカのドラマ同様、警視庁の協力を得て、警視庁、警察庁、日本全国の警察署から寄せられた現実の事件等の資料に基づいてストーリーが構成されたものだそうであり、後に本作は、警察庁長官賞を受賞したとある(日本テレビ編『日テレドラマ半世紀』114ページ)。
私は、この「ドラグネット」という映画の名前に記憶があり、調べてみると、私のコレクションの中の1つ、映画のチラシの中に同ドラマを映画化した1987年度アメリカ映画「ドラグネットー正義一直線―」(※6)があった。
上掲のものがその映画のチラシである。同チラシ説明によると、「ドラグネット」は1949年NBCのラジオ番組として産声を上げた。
このドラマは、アメリカで実際に起こった事件と、警察の捜査に基づいたリアルなシリーズとして、当時の聴取者達をラジオの前にくぎ付けにしたという。
その人気は、そのまま、テレビシリーズとして引き継がれ、テーマ曲として有名な“ダーンダ・ダンダ”と共に、コンビで活躍する2人の刑事ドラマを原点として、テレビや映画に強い影響を与えた。
テレビシリーズでは、途中数年間のブランクの後、1970年の放送終了まで延べ22年間に渡って人々に愛された正に国民的な(日本でいう水戸黄門的な)番組であったらしい。
そんなシリアスな刑事ドラマがダン・エイクロイド とトム・ハンクスの2人の名優によって、現代に蘇り、1987年度全米興行成績第9位に輝く新刑事コンビが誕生した・・とある。
今では、全米No1 スターに成長した、当時まだ売り出し始めたばかりのトム・ハンクスが若い・・・。以下では、映画解説と共にそのワンシーンも見ることができるよ。
燃えよ!映画論 : ドラグネット 正義一直線
電話も普及した今、警察への直通電話番号として「110」番が定着しており、警察への問い合わせにも「110」番が使われることが多くなったため、全国共通のプッシュ回線(トーン回線)や携帯電話専用の直通総合相談番号「#(シャープ)9110」も設定され、ダイヤル回線(パルス回線)の場合には、更に別の番号が用意されている(ここ参照)。あわせて、警察署の代表番号の下4桁を「110」番から連想しやすい「0110」、「9110」とする地区も多い。
警察への事件の連絡が「110番」にかかると、各都道府県警察本部や地域の通信司令室の110番受理台につながり、場所・事件内容を確認後、管轄の警察署から警察官が出動する形を取っている。
場所が警察署の管轄地域の境界に近い場合、管轄の署をめぐって出動に手間取ることも多いようだ。また、ダイヤルの0と9の位置が隣り合っているため、緊急事態であることも加わって、消防・救急(119番)と間違える場合も多いと言われている(110番と119番との受付台で相互に連絡を取り合っているようだが(※7)。
平成23年警察白書(※2:「警察庁HP」のここ参照)の“110番通報の現状”を見ると、
110番通報受理件数は、平成22年中は約931万件と、前年より約27万件増加し、依然として高い水準にあり、これは、約3.4秒に1回、国民約14人に1人の割合で通報したことになるらしい。
また、携帯電話等の移動電話からの110番通報が65.9%を占めているという。
警察では、1月10日を「110番の日」と定め、110番通報を適切に利用し、緊急の対応を必要としない相談等の電話には専用の「#(シャープ)9110」番を利用するよう呼び掛けている。また、移動電話を用いて110番通報をするときは、所在地や番地、目標物を確認するほか、通話中にはできる限り場所を移動しないことなどを呼び掛けている。・・・ようだ。
“刑法犯の認知・検挙状況”を見ると、
平成22年中の刑法犯の認知件数は158万5,856件と、前年より11万7,188件(6.9%)減少したが、120万件前後で推移していた昭和40年代と比較すると高い水準にあることに変わりなく、情勢は依然として厳しい。
この刑法犯の認知件数は、平成8年以降急増したが、中でも街頭での強盗やひったくり、住宅等に侵入して行われる窃盗や強盗等の増加が顕著であったことから、警察では、平成15年1月から街頭犯罪・侵入犯罪抑止総合対策を推進している。・・・という。
事件の早期解決は、事件発生直後、いかに多くの情報を正確に早く伝えるかにかかっている。
犯罪から自身の身を守るため、また、地域の人たちの安全を守るため、110番は、正しく活用したいものですね。
参考:
※1:警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/index.htm
※2:警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
※3:警察官等けん銃使用及び取扱い規範
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S37/S37F30301000007.html
※4:NTT DIGITAL MUSEUM:電信・電話の歴史年表
http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html
※5:向田さん“幻のデビュー作”発見 「ダイヤル110番」脚本
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009091401000150.html
※6:映画 ドラグネット・正義一直線 – allcinema
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=16144
※7 :大分県警察本部>110番について
http://www.pref.oita.jp/keisatu/110ban/110_01_08.htm
「全国読売防犯協力会」のホームページ
http://www.bouhan-nippon.jp/
罪と罰(日本刑事政策研究会)
http://www.jcps.or.jp/publication/index.html
110番の日 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/110%E7%95%AA%E3%81%AE%E6%97%A5
記念日の日付自体は110番を日付にすると、1月10日となる語呂合わせからであり、緊急通報制度の興りなどとは全く関係はない。
110番(ひゃくとおばん)とは、日本において警察機関に提供される緊急通報用電話番号のことであり、これが、110番「ひゃくとうばん」の正式名称である。
記念日登録した翌1986(昭和61)年1月から警視庁では「通信指令センター」を一般公開している。
また1月10日には、全国の警察でもこれに関連したキャンペーンが行われている。
東京では、今日の午後2時から4時まで、千代田区有楽町の読売会館7階 「よみうりホール」で、「110番の日の集い」が行われ、平成25年110番イメージキャラクター「川島海荷さん」・「ピーポくん」とともに110番通報時の正確な場所の伝え方等について学び、警視庁音楽隊・警視庁音楽隊カラーガード(※1のここ参照 )の演奏・演技で、楽しいひとときを過ごそうということらしい(※1:警視庁HP『110番』参照)。
冒頭掲載の画像は、平成25年 警視庁「110番」広報用ポスターであるが、ポスターの女性が川島海荷さん。
上掲画像は、「ピーポくん」のぬいぐるみ(Wikipediaより)。
ほぼ全身が黄色であり、耳が大きく、腰には拳銃を装備したベルト(1994年3月まで警察官の装備として採用されていた負革の付いた帯革)を締めているピーポくんは、都民と警視庁のきずなを強めるため「親しまれ、信頼される警視庁」をテーマに、警視庁のシンボルマスコットとして、1987(昭和62)年4月17日に誕生した警視庁のマスコットキャラクターである。
名前の由来は、人々の「ピープル」(People)と、警察の「ポリス」(Police)の頭文字(Peopo)からだそうだ。
ピーポくんは特定の動物ではなく、いろいろな動物の可愛らしい部分をイメージ化して作られたもので、顔が大きく体が小さいなど、愛着のあるキャラクターとして幼児向けの要素も盛り込んでいるが、大きい耳や触角のようなアンテナ、見開いた目には、それぞれ以下のような役目を持つとされる(※1:警視庁HPピーポくんタウンより)。
耳:都民の声を幅広く聞くためのもの
アンテナ:社会全体の動きを素早くキャッチするためのもの
目:社会をすみずみまで見わたすためのもの
ピーポくんは元々、警視庁広報課が発案しキャラクターデザイナーと共同で製作したもので、その著作権は警視庁に帰属し、商標登録もされている(登録権利者は東京都)。ネットで検索していると、キャラクターをデザインしたのは日本漫画界の巨匠・手塚治虫とのうわさも見られるが、根拠は見当たらない。
いずれにしてもかわいいキャラクターなので、当初は防犯ポスターなどに使われていたが、その後、縫いぐるみや携帯ストラップ、メモ帳、消しゴム、マウスパッド、テレカ、Tシャツ、キーホルダー、防犯ブザー等各種グッズが製作・販売されるようになり(警視庁管内の運転免許試験場の売店等で購入できる)、また、警視庁公式ウェブサイトには、いたるところにピーポくんが登場する。
さらに、警視庁管内の交番や警察署の各課窓口等には、縫いぐるみやポスター、建て看板などが置かれていたりもするようだ。
ぴーぽくんには家族もおり、これらキャラの使用については、1988(昭和63)年に、「シンボルマスコット等活用要綱」で決められている(警視庁シンボルマスコット等活用要綱の制定について参照)。
こんなかわいいピーポくんンの誕生は、都民に対して、それまでの、「怖い、威圧的な警察」のイメージ改善には結構貢献したことだろう。今は、ぴーぽ君の歌までできている(ぴーぽ君の歌)。
もともと、戦後の警察は民主警察を基本としており、警察官による警察活動も「市民を脅かす」、「恐い顔をして牽制する」などという戦前の旧体制下の警察とは全く異なるものである。
日本の警察制度は明治維新とともに始まる。江戸時代には警察に相当する役所として町奉行所があった。
江戸には南北の町奉行が、諸国には遠国奉行があり、その職員である与力、同心が現在の警察官に相当した。ただし与力、同心の人数は人口に対して非常に少なく、江戸の人口100万人に対して与力は50人、同心は250人しかいなかったという。そのため、同心は私的に岡っ引と呼ばれる手先を雇い、警察業務を執行していた。
明治維新によって江戸幕府が崩壊すると、諸藩の兵(藩兵)が治安維持に当たった。しかし藩兵は純然たる軍隊であり、警察ではなかった。
1871(明治4)年、東京府に 邏卒(らそつ:“巡邏の兵卒”の略.。巡査参照)3000人が設置されたことが近代警察の始まりとなった。同年、司法省警保寮が創設されると、警察権は同省に一括され、東京府邏卒も同省へ移管された。
そして、明治5年(1872年)、邏卒総長に就任した薩摩藩出身の川路利良が、新時代にふさわしい警察制度研究のため、同年、司法省の西欧視察団(8人)の一員として、欧州各国の警察制度を視察、渡欧し、帰国後、フランスの警察に倣った制度改革を建議。司法省警保寮は内務省に移され、1874(明治7)年、首都警察としての警視庁創設に伴い初代大警視(後の警視総監)に就任。日本の近代警察制度がここに始まる。
以後の警察は、国家主導体制のもと、管轄する中央省庁の権限委任も多く行われたが、最終的に内務省に警察権が委任され、内務省方の国家警察・国家直属の首都警察としての警視庁と、各道府県知事が直接管理下に置く地方警察の体制に落ち着いた。
そして、内務大臣が主任の大臣として、地方長官たる警視総監及び府県知事等を指揮監督し、これらの地方長官は、国の機関としての警視庁及び道府県(警察部)とその下に置かれた警察署等を指揮監督した。
この体制は昭和に入っても継続され、第二次世界大戦中には、特高や憲兵といった秘密警察を筆頭に地域の警察署や交番に至るまで軍部や政府の方針通りに思想統制を行う弾圧機関として暴走していた過去がある。この頃の警察は現在とは異なり、イメージ的には威圧的で、市民から恐怖と非難の的となってた存在であり、とても現在のような「正義の為の警察」、「市民の安全を守る警察」といったイメージではなかった。
こうした暴走を繰り返さない為、戦後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指導の下、日本警察の再編が行われ、それまでの中央集権的な警察組織が廃止され、1948(昭和23)年に旧警察法が定められる。
旧法では、地方分権色の強い国家地方警察と自治体警察の二本立ての運営で行われる(※2の『平成16年 警察白書』のここ参照)が、1954(昭和29)年には現警察法に改正され、国家行政組織の警察庁と地方組織の警視庁・道府県警察に統一されて今日に至っている(※2の『平成16年 警察白書』のここ参照)。
また、警察官の服装に関しては、第二次世界大戦中までは、一般の制服警察官が常時拳銃を携行することはなく、常時の武装としてはサーベルを佩用(はいよう。身におび、用いること)していた。交通警察・消防警察・水上警察その他サーベル佩用が不便な業務に従事する警察官は、サーベルに代えて短剣を佩用していたが、終戦後はサーベル・短剣は、GHQの指示に基づき、1946(昭和21)年3月12日付勅令第133条(昭和時代の日本の勅令一覧)により佩用禁止となり、警棒を持つようになった。また、1948(昭和23)年からGHQの指示により警察官が拳銃を携行(※3)するようもなった。
そして、警察官のシンボルである、制服も戦前は軍服と似たような襟詰デザインだったが、これも変更され、戦後しばらくは、GHQの指導のもと、アメリカの占領軍兵士が着ているような気色味をおびたカーキ色のブレザー風制服だったが、その後、紺色ブレザーへと変わった。
現在の制服は、従来の制服にさらに威圧感軽減を図ったもので、警棒や拳銃を納めた帯革が上衣の下に隠れるようになり、外観から武器が極力見えないようになって威圧感がより軽減された。
110番制度も、1948(昭和23)年にGHQからの申し入れにより、国家地方警察(現在の警察庁)と逓信省(現在の総務省)が協議して、同年10月1日より始まった。
当初は東京都区部・大阪市・京都市・横浜市・川崎市・名古屋市・神戸市・福岡市の8都市のみでスタートした。
110番や1110番というようにバラバラだったが、1954(昭和29)年7月1日の新警察法施行をもって110番に統一された。
この警察への通報用電話が110番となった理由としては、
国民に覚えやすい番号とすること
誤報が少ないように番号を3桁にすること
ストッパーまでの距離が短い「1」を多くすること(当時の電話機は回転ダイヤル式であった)
の三項目を基本に検討された結果だと言われている。
日本では、1950年(昭和25年)に電気通信省(現在の総務省、NTTグループ)によって4号電話機(※4のここ参照)が制式化され、1952(昭和27)年に、電気通信省が廃止され日本電信電話公社(現:NTT)に移行し、この年から提供が開始された。
1950年代には、商店・企業の連絡手段として電話は必要不可欠なものとなっていたが、そのころ一般家庭では、まだ「呼出電話」と呼ばれる、電話を持っている人に着信させ、電話を受けた人が呼び出す人をその人の家まで呼びに行くものであった。そのため、電話機は玄関に設置されていた。
私の家は商売をしていたので、早く戦前から電話は設置されていたが、記憶に残っているのは長方形の壁掛け式の電話であった。そして、よく近所の人が利用していたのを覚えている。
日本で一般の家庭にも、電話が普及しはじめたのは1970年代以降のことである。
緊急通報用電話番号の110番の読み方が「ひゃくとおばん」と世間に広まったきっかけは、作家の故向田邦子さんが、脚本家としてデビューしたテレビドラマ「ダイヤル110番」であり(※5参照)、実際に起きた刑事事件をモチーフに製作された。
当連続ドラマは、1957(昭和32)年9月3日から1964(昭和39)年9月6日まで、日本テレビ系列にて放映された日本初の刑事ドラマだとされている。
オープニングでは、警視庁の通信指令室が映った後、係が受話器を取って「はい、こちら110番」と応じる場面から始まった。また、本作では本物のパトカーが使用されたことも評判になった(ここ参照)。
Wikipediaによれば、このドラマ「ダイヤル110番」は、アメリカで放映された実録刑事ドラマ「ドラグネット」にヒントを得て制作。
アメリカのドラマ同様、警視庁の協力を得て、警視庁、警察庁、日本全国の警察署から寄せられた現実の事件等の資料に基づいてストーリーが構成されたものだそうであり、後に本作は、警察庁長官賞を受賞したとある(日本テレビ編『日テレドラマ半世紀』114ページ)。
私は、この「ドラグネット」という映画の名前に記憶があり、調べてみると、私のコレクションの中の1つ、映画のチラシの中に同ドラマを映画化した1987年度アメリカ映画「ドラグネットー正義一直線―」(※6)があった。
上掲のものがその映画のチラシである。同チラシ説明によると、「ドラグネット」は1949年NBCのラジオ番組として産声を上げた。
このドラマは、アメリカで実際に起こった事件と、警察の捜査に基づいたリアルなシリーズとして、当時の聴取者達をラジオの前にくぎ付けにしたという。
その人気は、そのまま、テレビシリーズとして引き継がれ、テーマ曲として有名な“ダーンダ・ダンダ”と共に、コンビで活躍する2人の刑事ドラマを原点として、テレビや映画に強い影響を与えた。
テレビシリーズでは、途中数年間のブランクの後、1970年の放送終了まで延べ22年間に渡って人々に愛された正に国民的な(日本でいう水戸黄門的な)番組であったらしい。
そんなシリアスな刑事ドラマがダン・エイクロイド とトム・ハンクスの2人の名優によって、現代に蘇り、1987年度全米興行成績第9位に輝く新刑事コンビが誕生した・・とある。
今では、全米No1 スターに成長した、当時まだ売り出し始めたばかりのトム・ハンクスが若い・・・。以下では、映画解説と共にそのワンシーンも見ることができるよ。
燃えよ!映画論 : ドラグネット 正義一直線
電話も普及した今、警察への直通電話番号として「110」番が定着しており、警察への問い合わせにも「110」番が使われることが多くなったため、全国共通のプッシュ回線(トーン回線)や携帯電話専用の直通総合相談番号「#(シャープ)9110」も設定され、ダイヤル回線(パルス回線)の場合には、更に別の番号が用意されている(ここ参照)。あわせて、警察署の代表番号の下4桁を「110」番から連想しやすい「0110」、「9110」とする地区も多い。
警察への事件の連絡が「110番」にかかると、各都道府県警察本部や地域の通信司令室の110番受理台につながり、場所・事件内容を確認後、管轄の警察署から警察官が出動する形を取っている。
場所が警察署の管轄地域の境界に近い場合、管轄の署をめぐって出動に手間取ることも多いようだ。また、ダイヤルの0と9の位置が隣り合っているため、緊急事態であることも加わって、消防・救急(119番)と間違える場合も多いと言われている(110番と119番との受付台で相互に連絡を取り合っているようだが(※7)。
平成23年警察白書(※2:「警察庁HP」のここ参照)の“110番通報の現状”を見ると、
110番通報受理件数は、平成22年中は約931万件と、前年より約27万件増加し、依然として高い水準にあり、これは、約3.4秒に1回、国民約14人に1人の割合で通報したことになるらしい。
また、携帯電話等の移動電話からの110番通報が65.9%を占めているという。
警察では、1月10日を「110番の日」と定め、110番通報を適切に利用し、緊急の対応を必要としない相談等の電話には専用の「#(シャープ)9110」番を利用するよう呼び掛けている。また、移動電話を用いて110番通報をするときは、所在地や番地、目標物を確認するほか、通話中にはできる限り場所を移動しないことなどを呼び掛けている。・・・ようだ。
“刑法犯の認知・検挙状況”を見ると、
平成22年中の刑法犯の認知件数は158万5,856件と、前年より11万7,188件(6.9%)減少したが、120万件前後で推移していた昭和40年代と比較すると高い水準にあることに変わりなく、情勢は依然として厳しい。
この刑法犯の認知件数は、平成8年以降急増したが、中でも街頭での強盗やひったくり、住宅等に侵入して行われる窃盗や強盗等の増加が顕著であったことから、警察では、平成15年1月から街頭犯罪・侵入犯罪抑止総合対策を推進している。・・・という。
事件の早期解決は、事件発生直後、いかに多くの情報を正確に早く伝えるかにかかっている。
犯罪から自身の身を守るため、また、地域の人たちの安全を守るため、110番は、正しく活用したいものですね。
参考:
※1:警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/index.htm
※2:警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
※3:警察官等けん銃使用及び取扱い規範
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S37/S37F30301000007.html
※4:NTT DIGITAL MUSEUM:電信・電話の歴史年表
http://park.org/Japan/NTT/DM-/html_ht/HT_idx_j.html
※5:向田さん“幻のデビュー作”発見 「ダイヤル110番」脚本
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009091401000150.html
※6:映画 ドラグネット・正義一直線 – allcinema
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=16144
※7 :大分県警察本部>110番について
http://www.pref.oita.jp/keisatu/110ban/110_01_08.htm
「全国読売防犯協力会」のホームページ
http://www.bouhan-nippon.jp/
罪と罰(日本刑事政策研究会)
http://www.jcps.or.jp/publication/index.html
110番の日 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/110%E7%95%AA%E3%81%AE%E6%97%A5