日本記念日協会の記念日に「防犯の日」(毎月18日)があった。
日本で初めての警備保障会社として1962年に創業したセコム株式会社(※1)が制定したもの。
セキュリティのトップカンパニーとして社会の安全化に努めてきた同社の、企業や家庭、個人の防犯対策を毎月この日に見直して「安全、安心」に暮らしてもらいたいとの願いが込められているのだとか。
日付は18の1を棒に見立てて「防」、8を「ハン=犯」とする語呂合わせからだそうだ。
セコムの会社設立は、1962(昭和37)年7月7日のこと。昨2012(平成24)年に創立50周年を迎えたことを期にこの記念日を申請し、設定されたようだ。
セコムでは、ここ数年刑法犯の認知件数は減少傾向にある一方で、犯罪の凶悪化、手口の多様化などで、私たちの不安がなくなることはない。
そのような現状の中「もっと安心できる毎日を」・・・と、そんな願いを込めて、毎月18日の「防犯の日」に加えて、7月5日、6日を「セコムの日」と制定。これは、社名の「セコム」にちなみ、7月5日、6日の数字を語呂合わせで「7(セ)」「5(コ)」「6(ム)」と読むそうだ。
本当に、毎日毎日、テレビをつければ、凶悪な犯罪の報道がされない日はないというほど物騒な世の中になった。世界の中では安全な国と言われていた日本も、今では、警察だけに頼らず、それぞれがそれなりの自己防衛をしてゆかなければいけない時代になってしまったということなのだろう。
現在、日本で警備サービス業のトップ企業であるセコム株式会社(英称:SECOM Co., Ltd.)の歴史は、1962(昭和37)年7月、創業者飯田亮(まこと)らが東京都港区芝公園(現在の港区芝大門1-9-1)に日本初の民間警備保障会社として日本警備保障(株)を設立したことに始まる。
事務員数名と警備員2名で始めた初仕事は、ほぼ創業4ヵ月後の千代田区内の旅行代理店との巡回契約であったという。そして、社員も8名ほどとなり、契約数も二けたとなった翌・1963(昭和38)年4月に千代田区神田小川町に本社を移転。巡回契約の他に、初めて常駐警備の契約も取得する。
この年の暮れに東京オリンピックの組織委員会から警備の依頼をうけ、翌・1964(昭和39)年10月オリンピック開催時には、競技施設、選手村警備などの警備委託の同社単独契機となったことにより、警備契約が増大した。
1965(昭和40)4月、当時まだ発展途上だった警備保障会社をテーマとしたTV番組「ザ・ガードマン」が放映された。
「ザ・ガードマンとは、警備と保障を業務とし、大都会に渦巻く犯罪に敢然と立ち向かう勇敢な男たちの物語である。
昼は人々の生活を守り、夜は人々の眠りを安らぐ、自由と責任の名において、日々活躍する名もなき男たち。
それはザ・ガードマン。」
芥川隆行のオープニングナレーションで始まる、TVドラマ「ザ・ガードマン」。
高倉キャップ率いる東京パトロールという会社を舞台に犯罪と事件から市民を守るガードマンたちの刑事ドラマさながらの奮闘を描く。
警備員というと制服を着て特定の場所を守る仕事というイメージがあるが、この作品の主人公たち7人のチームは主に私服(スーツ)を着用。そして、警察とは違って、権限がないかわりに、隠しカメラなどのアイテムを使ったりして任務にあたる。その行動範囲も、潜入捜査を始め、地方はおろか、海外に至るまで非常に広範である。
以下では、その懐かしいテレビドラマ「ザ・ガードマン」のオープニングとエンディングを見ることができる。
ザ・ガードマン OPとED-YouYube
レギュラー出演の高倉隊長、通称キャップを演じる宇津井健他、隊員の川津祐介、藤巻潤、倉石功など当時の若々しい姿・・恰好良かったな〜。本当に懐かしいよ・・・。
このドラマは、日本警備保障(現・セコム)をモデルにしたものだが、セコムがモデルとなったきっかけは、東京オリンピック後に始まった帝国ホテルの常駐警備の警備員が、新しい仕事としてテレビ局のプロデューサーの目に止まったことによるという。
番組制作にあたり、モデルとなった日本警備保障に提示されたタイトルは「東京用心棒」だったそうだ。
これに対し、同社創始者の飯田亮が「自分たちは『用心棒』ではない」として、逆提示したタイトルが「ザ・ガードマン」だったそうで、自社をモデルにされるにあたり、飯田は番組の脚本について「乱暴な言葉づかいをしない」、「女がらみなし」、「酒は飲ませない」の条件を出したと言われている。
そういえば、黒沢明監督の東宝映画「用心棒」が公開されたのは、1961(昭和36)年のことであり、この当時用心棒ブームだったものな〜。そのため、テレビの大人気に乗じて劇場用作品も2本製作されたが、最初の作品名は「ザ・ガードマン 東京用心棒」であった。
このTVドラマ「ザ・ガードマン」は、最高視聴率40%以上を記録するなどお茶の間の人気を集めたことから、それまで馴染のなかった警備保障会社というものが世間の注目を浴びるようになり、同社(セコム)が全国ネット網の整備に着手するきっかけとなったようである。
ただ、この番組で和製英語である「ガードマン」という言葉が少しずつ世間に広まったものの、当時では、ドラマの世界とは違って、現実には依然として守衛が一般的な呼称ではあった。
以下、セコムのHPにある、会社研究・セコムの歩み、セコム創業期物語、木曜コラム 読み解くセコム50年の歩みなどを参考にして書かせてもらうと、
このドラマが始まった次の年である1966(昭和41)年、人手がかかる常駐警備や巡回警備にかわり、わが国初の企業向けのオンラインの監視装置で異常を発見する機械警備システム「SP(セキュリティ・パトロール)アラーム」を開発(以下セコムの防犯・防災用語は※2を参照されるとよい)。
その2年後の1968(昭和43)年10月から11月にかけて、東京都区部・京都市・函館市・名古屋市において、拳銃による連続射殺事件「警察庁広域重要指定108号事件(永山則夫連続射殺事件)」が発生した。
翌・1969(昭和44)年4月7日、手配犯が一連の犯行に使用した拳銃を持って予備校に金銭目的で侵入した所を、機械警備の警報で駆けつけた日本警備保障の警備員に発見されるが、発砲してガードマンがひるんだ隙に逃走。しかし、警視庁が緊急配備を発令。数時間後に、警戒中の代々木警察署のパトカーに発見され逮捕された。
この事件の犯人逮捕を契機に、この機械警備システムが脚光を浴び一般的にも知られることとなり、従来の巡回警備、常駐警備からSPアラーム一本へと方向を転換し、以後、同社のセキュリティ事業の柱に成長した。
セコムの最大の特徴と言えば、この昭和40年代から進められた業務の機械化等があげられるだろう。
1973(昭和48)年には、米国の銀行と提携した無人銀行システム開発をもとに、日本初の金融機関CD(キャッシュディスペンサー)コーナー向け安全システムを開発。
また、都心のビルの大型化に合わせて、日本初の大型施設向け安全管理システムを開発、後の「トータックスZETA」の原点、「セコム3」を発表している。
1974(昭和49)年 防災業界トップの能美防災(株)と業務提携。両社の防犯技術と防災技術を融合した商品を開発をすることで、新しい市場の創出をめざしている。
1975(昭和50)年、コンピュータを導入した世界初の「CSS(コンピュータ・セキュリティ・システム)」が開発され、同社の契約件数は飛躍的に増大していった。
そして、会社設立の1962(昭和37)年から、16年目の1978(昭和53)年5月に東京証券取引所市場第一部に昇格(同市場第二部に株式上場は1974年6月)している。これは、驚異的な成長だ。
また、1981(昭和56)年には、わが国初の家庭用警備システム(セコムホームセキュリティー。発売当時は「マイアラーム」)を発売し、家庭市場を開拓。現在は、企業で約86万3000件、家庭で約85万3000件、合計約171万6000件(2012年9月30日現在)の契約先を有しているという。
このように、防犯及び火災報知の分野(SPアラーム、現在のDXなど)のみならず、同社の戦略においては機械警備が絶大な効果を発揮し、ライバルの綜合警備保障等との激しい競争を制するために大いに貢献したと思われる。
創業以来、革新的なサービスを次々に創造し、提供してきた「日本警備保障(株)」は、東京オリンピックや大阪万博での警備を担当し、その名を徐々に社会に浸透させていた。
1983(昭和58)年、高度情報化社会の到来を目前に控え、CATV会社の設立など情報系事業をスタートし、事業内容もこのころから警備だけではなくなったことから、社名も日本警備保障(株)からセコム(株)に社名を変更した。
もともと、「セコム(SECOM)」とは、「セキュリティ・コミュニケーション(Security Communication)」という言葉を略した造語で、情報通信ネットワークを活用して安全で便利で快適な社会を築く「社会システム産業」の構想が固まりつつあったなか、“人と科学の協力による新しいセキュリティシステム”の構築というコンセプトを持つブランドとして、1973(昭和48)年2月には制定されていたものだそうだ。
新ブランド制定後10年間は、「日本警備保障」の社名のまま「セコム」も使い、ダブルブランドで事業を展開してきたものだが、「セコム」という名前が社会に浸透したのを機会に、CATV事業に進出したこの年12月に社名を変更したもの。
このセコムの名前を世の中に広く知らしめたものに、同社のテレビCMがある。
古くから多くの人に知られているのが、元巨人軍のスターであり、監督も務めた長嶋茂雄氏の出ているCMで「セコムしていますか」・・のコマーシャルである。
この長嶋氏の「セコムしていますか」のキャッチフレーズにより、セコムの「安全・安心」の代名詞になったともいえるほど多くの人の記憶に強烈に焼き付いており、長嶋氏のセコムのCMと言うと、この「セコムしていますか」を思い浮かべるのだが、実際には、長嶋氏の同社CMへの最初の出演は、現役時代絶頂期の1971 (昭和46)年3月20日から1972(昭和47)年にかけてだという。
長嶋氏は、この1971(昭和46)年5月25日のヤクルト戦では、浅野啓司投手から史上5人目となる通算2000本安打を達成。1708試合での到達は、同じ巨人軍の先輩で“打撃の神様”と言われた川上哲治に次いで歴代2位のスピード記録であり、右打者では歴代最速記録を達成。同年シーズンは2位・広島カープの衣笠祥雄の.285を大きく引き離す打率.320を残し、6度目の首位打者となっている。34本塁打・86打点はそれぞれ王 貞治に次いでリーグ2位だった。
しかし、この時のCMは「鉄壁の守り」をテーマにしたものであったというが、長嶋は打撃だけではなく3塁守備での華麗なグラブさばきも売り物だったよな〜。
長嶋は、その後1990 (平成2) 年から再度、セコムのCMキャラクターを務め、2004(平成16)年3月、脳梗塞で倒れ出演できなくるまで、長きにわたり同社のキャラクターとして活躍(2003年からは長嶋氏を象った人形アニメを使用)していたが、以下のセコムCMライブラリーでは、長嶋氏をキャラクターとして使用した「ホームセキュリティ・守り篇(1990年)」以降のものが保存されている。
当編では、CMの最後に「セコム」とは出てくるが、よく知られている「セコムしていますか」は出てこない。この次の同じく長嶋氏使用の「ホームセキュリティ・笑顔篇(1991年)」には「「セコムしていますか」の言葉が出てくる.ので、このキャッチフレーズはこの年くらいから使われ始めたのかな・・・?懐かしいCM、以下見ることが出来る。
セコムCMライブラリー
セコムは1962年に日本初の警備保障会社として誕生して以来、オンライン・セキュリティシステム、ホームセキュリティシステムを始めとするさまざまな日本初のサービスを開発し、企業、公共施設、家庭、個人に「安全・安心」を提供してきた。
さらに、1989(平成元)年には「社会システム産業元年」を宣言。セコムグループとしては、セキュリティを中心に、防災、メディカル、保険、地理情報サービス、情報系事業などを展開。セキュリティで培った安全のネットワークをベースに、安心で便利で、快適なサービスシステムをトータルで提供する、新しい社会システムづくりに取り組んでいる。
上場企業に関する情報を、各社の有価証券報告書に基づいて収集して掲載している上場企業情報サイト「Kmonos(クモノス)」(※3)というユニークなサイトが出来ている(ここ参照)。
このサイトの情報によれば、セコムは、主に警備保障サービス業界に属し、この業界では、国内トップクラス(ここ参照)であり、警備請負サービスを中心としたセキュリティサービス事業、総合防災サービスを中心とした防災事業、在宅医療および遠隔画像診断支援サービスを柱にしたメディカル(医療・医学関連)サービス事業、損害保険業を中心とした保険事業、地理情報サービス事業、情報セキュリティサービスおよび不動産開発・販売を中心とした情報通信・その他の事業を主な内容としており子会社172社、関連会社26社でセコムグループを構成している。
そして、セコムの直近(第51期)の成績は、売上高6791.73億円。ここ最近の時価総額は1兆0359億円くらいであり、共に東証1部に上場している同警備サービス業界で、売上高第2位の綜合警備保障の約8.8倍。3位セントラル警備保障(Kmonosでは4位。以下参照)の83,5倍の規模を要しており、日本国内の他、1980年ごろから、セコム方式の安全システムの海外普及も進め、海外19カ国でも事業展開をしている。特に、セコムで働く従業員は、14911人で、セコムグループ全体で働く従業員は34063人。一万人を超える人を雇用しているということはすごいことである。
売上高ランキング!(事業別ではなく会社全体の売上高を使用)Kmonos
1位 セコム 【6791.73億円 (2012/03/31)】時価総額は1兆0359億円くらい(ここ参照)。
2位 綜合警備保障 【3047.23億円 (2012/03/31)】時価総額は1177億円くらい(ここ参照)。
3位 イオンディライト(☆1参照) 【2197.97億円 (2012/02/29)】最近の時価総額は124億円くらい(ここ参照)。
4位 セントラル警備保障 【399.44億円 (2012/02/29)】最近の時価総額は124億円くらい(ここ参照)。
日本初の警備保障会社セコムの創業者 飯田亮。
警備保障業は日本ではまったくなじみのない新しい事業であったが、同社を大きく成長させ東証一部にまで上場させた偉大な人物である。
自分たちが最高だと思ってやっていることを
真っ向から否定しないと
新しいものは生まれてこない
創造的破壊とはよく言われる言葉だが、それを確実に実行できるかどうかが成功カギだ。以下の飯田亮の名言・格言読んでみませんか。
飯田亮の名言集 - YouTube
法務省が毎年公表している『犯罪白書』は、前年の統計を中心に我が国の犯罪の現状を分析し、今後の治安対策の基礎資料にされるとともに、国民に対する情報提供も目的としている。
同白書などを見ても我が国の犯罪情勢は、平成14年に刑法犯の過半数を占める窃盗を中心に刑法犯認知件数は減少傾向にある一方で、犯罪の凶悪化や、手口の多様化などで、私たちの不安がなくなることはない。
最近の傾向として、少子高齢化の中、高齢犯罪者が急増しており、この高齢犯罪者は、高齢者人口の増加率よりもはるかに高い比率で増加しているという。
そして、この高齢者の犯罪の特徴として窃盗、それも万引きが多いことと、女性の場合、その傾向が特に顕著であるという。逆に、高齢者を狙う犯罪、つまり、高齢被害者も増加しているのである。
また、平成17年以降、一般刑法犯の検挙人員は減少を続けており、そのうち、初犯者が大きく減少している一方で、再犯者の減少はわずかに止まり、その結果、検挙人員に占める再犯者の人員の比率が上昇を続け、平成23年には再犯者率が43.8%に至っており、近年、この再犯防止が犯罪対策における最も重要な課題になっているという。
その要因には、不安定な就労や居住状況といった生活基盤に関わる課題が刑務所出所者等の再犯に共通するリスクとなっていることが確認されているというのだが、まともに、大学を出た犯罪歴のない若者でさえも就職難に喘いでいる今の時代、犯罪歴のある人の就労はさぞ困難なことであろことが察せられる。
野田民主党政権から阿部自民党政権へ政権交代し、政策路線も経済成長路線へと舵が切られたが、これにより、企業が雇用を拡大してくれるとよいのだが・・・・。
それにしても、最近の事件の報道を見聞きしていて、怖いと思うのは、今の時代の人は、普段はおとなしそうに見える普通の人たちが、一旦プツッと切れると何をするかわからない人が増えてきたことだ。
昔は、恐ろしい事件は、その筋の人の中でもちょっと狂人的な人たちが起こすことが多かったと思うが、だから、私たちもそれなりに警戒し、用心もできたのだが、この頃の恐ろしいしかも猟奇的とさえいえる事件が、身の回りにいるようなごく普通の感じの人たちによって引き起こされている。
そんなごく普通に見える人たちが、ちょとした諍(いさか)いごとがあったり、何か自分の気に入らないことが起こると、豹変して、その筋の人さえも躊躇しそうなとんでもない犯罪を犯してしまう・・・。
ここのところ、阪神・淡路大震災や東日本大震災など発生以降、地域との絆の大切さが言われる中、隣近所に住んでいたり、町中を歩いいるごく普通に見える人たちが、些細なことですぐ切れて、何をするかもわからない…などと考えると、一体どう接してゆけば良いのかも分からなくなってしまうのだが・・・。
私は、戦後経済成長の中で甘やかされて育ってきた人たちには、辛いことを我慢する力、いや忍耐力が欠けている・・・といった方が適切かもしれないが・・・。
苦しさ、辛さ、悲しさなどを耐え忍ぶこと。例えば、自分に不都合なことなどを人にされても、暴力的な仕返しをしたり、現実逃避したりしないなど。忍耐する力を「忍耐力」、忍耐力があることを「忍耐強い」と言う。
この「忍耐」は、四元徳のひとつとされている。
仏教においては、さまざまな苦難や他者からの迫害に耐え忍ぶことを忍辱(にんにく)という。
私たちが子供のころには、親や、学校の先生、また周囲の人たちなどからも、「我慢」「忍耐」の大切さを、しっかりと教えられてきたものなのだが・・・。
だから、敗戦後、親や家族を失い、そしてすべての財産を失い、焼け野原の中で、3度の食事もままならない貧乏生活にも耐えて、ただただ、将来に希望を求めてがむしゃらに働いて、今日の幸せを築いてきたのだが・・・。
最近、滋賀県大津市の中学生が“いじめ”を受けたことを苦に自殺した事件(※4)や、大阪市立桜宮高校バスケットボール部のキャプテンを務めていた男子生徒が顧問からの体罰を苦に自殺した事件(※5)などが話題になっている。
このような学校でのいじめや体罰は昔からあった。私自身いじめに近いことをされてきたし、逆に、いたずら半分に女生徒をからかってきたことなど、今流で言えばいじめになるのだろう。
また、やんちゃな私は学校では、先生に叩かれたり、水を入れたバケツを頭に載せて教室の後ろに立たされたり、家にあっては躾の厳しい親から言うことを聞かないと叩かれたり、押し入れに放り込まれたり、家から閉め出されたりの折檻は、しょっちであったが、そのあと、性懲りもなく同じ悪さをしては先生や親を呆れさせていた。
私の子供のころはいたずらっ子や悪がきが多くいたが、いじめや、体罰を苦にして、自殺するなどというようなことは、あまり、聞いたことがないように思うのだが・・・。
これは、いじめや体罰を受けたものの感受性や忍耐力の差によるものだろうか・・・。先にも述べた様に、今の若い人は、昔の人に比べれば忍耐力は低くなっているようだし、感受性も高そう。・・・しかし、それだけではないのだろう。
そこには、同じいじめにしても質の面において、昔よりも今のいじめは非常に陰湿になっているような気がしてならない。大津市の中学生の自殺問題を見ても、これはいじめというよりも完全な犯罪であろう。非常に性質が悪い。
また、桜宮高校で起こったバスケットボール部顧問による体罰も、30発も40発も叩いたとしたら、それはもう指導的な体罰の域を超えて、個人的感情をむき出しにした腹いせ的な暴力であるとしか言えない内容だ。暴力を振るった顧問は人格として指導者失格人間であり、まるで餓鬼のようにキレてしまっているのだ。
※6:「自殺予防総合対策センター」によれば、日本の年間の自殺死亡は、1998(平成10)年に年間死亡数が31,755人と初めて3万人を超えて以来、その水準で推移している(因みに平成23年の年間の自殺者数は3万651人と初めて3万1千人を下回る)が、この自殺死亡率は欧米の先進諸国に比べても突出して高い状態となっており、日本が自殺大国と言われる所以にもなっているようだ。
この高い自殺率の背景には、バブル崩壊後の日本社会の急激な変容があるようだ。年功序列型の終身雇用の崩壊や成果主義から、勝ち組・負け組といった言葉で表されるストレスなどの影響を強く受け、これがうつ(鬱)病など、心の健康を損なわせている。
人生を楽しめなくなり、自分が価値のない存在で、周りの人に迷惑をかけているといった考えで頭がいっぱいになると、死ぬことが苦しみから逃れる為の解決策に見えやすくなる。これは決して、健全な心で生みだされる考えではない。
これら自殺に追い込まれる人はストレス社会の中で、1つの要因だけではなく、何らかの困難な問題に直面しているなど複数の要因が重なって自殺に追い込まれていると考えられている。
最近は、自殺者の年齢が全体的に高くなる一方で、自殺が低年齢層にも広がる兆しがあり、中学や高校生ではいじめや学業不振などといった学校での問題が自殺の原因とみられている。そして、自殺予備軍ともいえるうつ状態の小学生も急増しているそうだ(※7、※8参照)。
先日、2月17日にグアム島で日本人観光客3人が死亡し、10人が負傷した無差別殺傷事件が起こっているが、同じような事件が日本にもあったのを覚えておられるだろう。
2008(平成20)年6月8日、日曜日に起きた「秋葉原、無差別殺人事件」である。この事件も、「うつ病」によって引き起こされたものだという。
なぜ、うつ病の者がこのような行動に出たかは、※9:「日本人の「うつ病」の脳の働き方」を参照されるとよい。
日本の社会で、うつ病の人が増えているようであるが、うつがひどくなると、自らの命を絶つ自殺行為だけでなく、このような大それた行動にも出るのだ。
毎日毎日報道される悲惨な事件の数々、いつ自分や大切な人の身に悲しい出来事が起こらないとも限らない。
用心に越したことはないのだが一体どうしたらよいのだろう。地震や火災などの防災対策だけではなく、今日のような「防犯の日」に、いつ遭遇するかわからない防犯対策について見直しをしておくのもよいだろう。
セコムは毎月18日に防犯に関するニュースレターやメールマガジンの配信。また、セコムの公式Webサイトに「防犯の日」特設ページを公開しているようなので、それを活用するのもよいだろう。また、以下参考の※10:「法務省:犯罪白書」、※11:「警察白書|警察庁」の他、※12:「[防犯] All About」の防犯に関する特集なども参考になるのではないか。
(画像は、「ザ・ガードマン東京警備指令」1965年版VOL.4 [DVD])
参考:
☆1:イオンディライトは、主にビルメンテナンス業界と間接業務請負・支援業界と警備保障サービス業界に属し、イオン系列の施設管理会社。商業施設内の建物設備の保守、点検、警備を行う設備管理事業、イベントの警備などを行う警備保安事業、清掃事業、修繕工事を行う建設施工事業の4事業が主力であり、中国でサービスを開始するなど、海外進出にも積極的である。)
※1;セコム株式会社HP
http://www.secom.co.jp/
※2:セコム防犯・防災用語集
http://www.secom.co.jp/bouhan/yougo/21.html
※3:上場企業情報サイトKmonos(クモノス)
https://kmonos.jp/
※4:【大津市イジメ】皇子山中学校の地元に聞く「親達の心境」と「恐ろしい噂 ..」
http://news.livedoor.com/article/detail/6818297/
※5:「桜宮高校 体罰自殺」特集:イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/feature/6629/
※6:自殺予防総合対策センター
http://ikiru.ncnp.go.jp/ikiru-hp/index.html
※7:自殺大国日本|「うつ」の心に癒しを
http://www.kokoro-iyashi.info/archives/795019.html
※8:All About 「なぜ日本は自殺大国なのか、その理由」(2006年6月6日)
http://focus.allabout.co.jp/gm/gc/303017/?from=dailynews.yahoo.co.jp
※9:日本人の「うつ病」の脳の働き方 特集・「秋葉原、無差別大量殺人事件」の原因は「うつ病」である
http://www.porsonale.co.jp/keikou72.htm
※10:法務省:犯罪白書
http://www.moj.go.jp/housouken/houso_hakusho2.html
※11:警察白書|警察庁
http://www.npa.go.jp/hakusyo/index.htm
※12:[防犯] All About|盗撮・盗聴・痴漢・詐欺・泥棒などの対策を紹介
http://allabout.co.jp/gm/gt/71/
罪と罰>刑事政策関係刊行物:犯罪白書
http://www.jcps.or.jp/publication/index.html
日本で初めての警備保障会社として1962年に創業したセコム株式会社(※1)が制定したもの。
セキュリティのトップカンパニーとして社会の安全化に努めてきた同社の、企業や家庭、個人の防犯対策を毎月この日に見直して「安全、安心」に暮らしてもらいたいとの願いが込められているのだとか。
日付は18の1を棒に見立てて「防」、8を「ハン=犯」とする語呂合わせからだそうだ。
セコムの会社設立は、1962(昭和37)年7月7日のこと。昨2012(平成24)年に創立50周年を迎えたことを期にこの記念日を申請し、設定されたようだ。
セコムでは、ここ数年刑法犯の認知件数は減少傾向にある一方で、犯罪の凶悪化、手口の多様化などで、私たちの不安がなくなることはない。
そのような現状の中「もっと安心できる毎日を」・・・と、そんな願いを込めて、毎月18日の「防犯の日」に加えて、7月5日、6日を「セコムの日」と制定。これは、社名の「セコム」にちなみ、7月5日、6日の数字を語呂合わせで「7(セ)」「5(コ)」「6(ム)」と読むそうだ。
本当に、毎日毎日、テレビをつければ、凶悪な犯罪の報道がされない日はないというほど物騒な世の中になった。世界の中では安全な国と言われていた日本も、今では、警察だけに頼らず、それぞれがそれなりの自己防衛をしてゆかなければいけない時代になってしまったということなのだろう。
現在、日本で警備サービス業のトップ企業であるセコム株式会社(英称:SECOM Co., Ltd.)の歴史は、1962(昭和37)年7月、創業者飯田亮(まこと)らが東京都港区芝公園(現在の港区芝大門1-9-1)に日本初の民間警備保障会社として日本警備保障(株)を設立したことに始まる。
事務員数名と警備員2名で始めた初仕事は、ほぼ創業4ヵ月後の千代田区内の旅行代理店との巡回契約であったという。そして、社員も8名ほどとなり、契約数も二けたとなった翌・1963(昭和38)年4月に千代田区神田小川町に本社を移転。巡回契約の他に、初めて常駐警備の契約も取得する。
この年の暮れに東京オリンピックの組織委員会から警備の依頼をうけ、翌・1964(昭和39)年10月オリンピック開催時には、競技施設、選手村警備などの警備委託の同社単独契機となったことにより、警備契約が増大した。
1965(昭和40)4月、当時まだ発展途上だった警備保障会社をテーマとしたTV番組「ザ・ガードマン」が放映された。
「ザ・ガードマンとは、警備と保障を業務とし、大都会に渦巻く犯罪に敢然と立ち向かう勇敢な男たちの物語である。
昼は人々の生活を守り、夜は人々の眠りを安らぐ、自由と責任の名において、日々活躍する名もなき男たち。
それはザ・ガードマン。」
芥川隆行のオープニングナレーションで始まる、TVドラマ「ザ・ガードマン」。
高倉キャップ率いる東京パトロールという会社を舞台に犯罪と事件から市民を守るガードマンたちの刑事ドラマさながらの奮闘を描く。
警備員というと制服を着て特定の場所を守る仕事というイメージがあるが、この作品の主人公たち7人のチームは主に私服(スーツ)を着用。そして、警察とは違って、権限がないかわりに、隠しカメラなどのアイテムを使ったりして任務にあたる。その行動範囲も、潜入捜査を始め、地方はおろか、海外に至るまで非常に広範である。
以下では、その懐かしいテレビドラマ「ザ・ガードマン」のオープニングとエンディングを見ることができる。
ザ・ガードマン OPとED-YouYube
レギュラー出演の高倉隊長、通称キャップを演じる宇津井健他、隊員の川津祐介、藤巻潤、倉石功など当時の若々しい姿・・恰好良かったな〜。本当に懐かしいよ・・・。
このドラマは、日本警備保障(現・セコム)をモデルにしたものだが、セコムがモデルとなったきっかけは、東京オリンピック後に始まった帝国ホテルの常駐警備の警備員が、新しい仕事としてテレビ局のプロデューサーの目に止まったことによるという。
番組制作にあたり、モデルとなった日本警備保障に提示されたタイトルは「東京用心棒」だったそうだ。
これに対し、同社創始者の飯田亮が「自分たちは『用心棒』ではない」として、逆提示したタイトルが「ザ・ガードマン」だったそうで、自社をモデルにされるにあたり、飯田は番組の脚本について「乱暴な言葉づかいをしない」、「女がらみなし」、「酒は飲ませない」の条件を出したと言われている。
そういえば、黒沢明監督の東宝映画「用心棒」が公開されたのは、1961(昭和36)年のことであり、この当時用心棒ブームだったものな〜。そのため、テレビの大人気に乗じて劇場用作品も2本製作されたが、最初の作品名は「ザ・ガードマン 東京用心棒」であった。
このTVドラマ「ザ・ガードマン」は、最高視聴率40%以上を記録するなどお茶の間の人気を集めたことから、それまで馴染のなかった警備保障会社というものが世間の注目を浴びるようになり、同社(セコム)が全国ネット網の整備に着手するきっかけとなったようである。
ただ、この番組で和製英語である「ガードマン」という言葉が少しずつ世間に広まったものの、当時では、ドラマの世界とは違って、現実には依然として守衛が一般的な呼称ではあった。
以下、セコムのHPにある、会社研究・セコムの歩み、セコム創業期物語、木曜コラム 読み解くセコム50年の歩みなどを参考にして書かせてもらうと、
このドラマが始まった次の年である1966(昭和41)年、人手がかかる常駐警備や巡回警備にかわり、わが国初の企業向けのオンラインの監視装置で異常を発見する機械警備システム「SP(セキュリティ・パトロール)アラーム」を開発(以下セコムの防犯・防災用語は※2を参照されるとよい)。
その2年後の1968(昭和43)年10月から11月にかけて、東京都区部・京都市・函館市・名古屋市において、拳銃による連続射殺事件「警察庁広域重要指定108号事件(永山則夫連続射殺事件)」が発生した。
翌・1969(昭和44)年4月7日、手配犯が一連の犯行に使用した拳銃を持って予備校に金銭目的で侵入した所を、機械警備の警報で駆けつけた日本警備保障の警備員に発見されるが、発砲してガードマンがひるんだ隙に逃走。しかし、警視庁が緊急配備を発令。数時間後に、警戒中の代々木警察署のパトカーに発見され逮捕された。
この事件の犯人逮捕を契機に、この機械警備システムが脚光を浴び一般的にも知られることとなり、従来の巡回警備、常駐警備からSPアラーム一本へと方向を転換し、以後、同社のセキュリティ事業の柱に成長した。
セコムの最大の特徴と言えば、この昭和40年代から進められた業務の機械化等があげられるだろう。
1973(昭和48)年には、米国の銀行と提携した無人銀行システム開発をもとに、日本初の金融機関CD(キャッシュディスペンサー)コーナー向け安全システムを開発。
また、都心のビルの大型化に合わせて、日本初の大型施設向け安全管理システムを開発、後の「トータックスZETA」の原点、「セコム3」を発表している。
1974(昭和49)年 防災業界トップの能美防災(株)と業務提携。両社の防犯技術と防災技術を融合した商品を開発をすることで、新しい市場の創出をめざしている。
1975(昭和50)年、コンピュータを導入した世界初の「CSS(コンピュータ・セキュリティ・システム)」が開発され、同社の契約件数は飛躍的に増大していった。
そして、会社設立の1962(昭和37)年から、16年目の1978(昭和53)年5月に東京証券取引所市場第一部に昇格(同市場第二部に株式上場は1974年6月)している。これは、驚異的な成長だ。
また、1981(昭和56)年には、わが国初の家庭用警備システム(セコムホームセキュリティー。発売当時は「マイアラーム」)を発売し、家庭市場を開拓。現在は、企業で約86万3000件、家庭で約85万3000件、合計約171万6000件(2012年9月30日現在)の契約先を有しているという。
このように、防犯及び火災報知の分野(SPアラーム、現在のDXなど)のみならず、同社の戦略においては機械警備が絶大な効果を発揮し、ライバルの綜合警備保障等との激しい競争を制するために大いに貢献したと思われる。
創業以来、革新的なサービスを次々に創造し、提供してきた「日本警備保障(株)」は、東京オリンピックや大阪万博での警備を担当し、その名を徐々に社会に浸透させていた。
1983(昭和58)年、高度情報化社会の到来を目前に控え、CATV会社の設立など情報系事業をスタートし、事業内容もこのころから警備だけではなくなったことから、社名も日本警備保障(株)からセコム(株)に社名を変更した。
もともと、「セコム(SECOM)」とは、「セキュリティ・コミュニケーション(Security Communication)」という言葉を略した造語で、情報通信ネットワークを活用して安全で便利で快適な社会を築く「社会システム産業」の構想が固まりつつあったなか、“人と科学の協力による新しいセキュリティシステム”の構築というコンセプトを持つブランドとして、1973(昭和48)年2月には制定されていたものだそうだ。
新ブランド制定後10年間は、「日本警備保障」の社名のまま「セコム」も使い、ダブルブランドで事業を展開してきたものだが、「セコム」という名前が社会に浸透したのを機会に、CATV事業に進出したこの年12月に社名を変更したもの。
このセコムの名前を世の中に広く知らしめたものに、同社のテレビCMがある。
古くから多くの人に知られているのが、元巨人軍のスターであり、監督も務めた長嶋茂雄氏の出ているCMで「セコムしていますか」・・のコマーシャルである。
この長嶋氏の「セコムしていますか」のキャッチフレーズにより、セコムの「安全・安心」の代名詞になったともいえるほど多くの人の記憶に強烈に焼き付いており、長嶋氏のセコムのCMと言うと、この「セコムしていますか」を思い浮かべるのだが、実際には、長嶋氏の同社CMへの最初の出演は、現役時代絶頂期の1971 (昭和46)年3月20日から1972(昭和47)年にかけてだという。
長嶋氏は、この1971(昭和46)年5月25日のヤクルト戦では、浅野啓司投手から史上5人目となる通算2000本安打を達成。1708試合での到達は、同じ巨人軍の先輩で“打撃の神様”と言われた川上哲治に次いで歴代2位のスピード記録であり、右打者では歴代最速記録を達成。同年シーズンは2位・広島カープの衣笠祥雄の.285を大きく引き離す打率.320を残し、6度目の首位打者となっている。34本塁打・86打点はそれぞれ王 貞治に次いでリーグ2位だった。
しかし、この時のCMは「鉄壁の守り」をテーマにしたものであったというが、長嶋は打撃だけではなく3塁守備での華麗なグラブさばきも売り物だったよな〜。
長嶋は、その後1990 (平成2) 年から再度、セコムのCMキャラクターを務め、2004(平成16)年3月、脳梗塞で倒れ出演できなくるまで、長きにわたり同社のキャラクターとして活躍(2003年からは長嶋氏を象った人形アニメを使用)していたが、以下のセコムCMライブラリーでは、長嶋氏をキャラクターとして使用した「ホームセキュリティ・守り篇(1990年)」以降のものが保存されている。
当編では、CMの最後に「セコム」とは出てくるが、よく知られている「セコムしていますか」は出てこない。この次の同じく長嶋氏使用の「ホームセキュリティ・笑顔篇(1991年)」には「「セコムしていますか」の言葉が出てくる.ので、このキャッチフレーズはこの年くらいから使われ始めたのかな・・・?懐かしいCM、以下見ることが出来る。
セコムCMライブラリー
セコムは1962年に日本初の警備保障会社として誕生して以来、オンライン・セキュリティシステム、ホームセキュリティシステムを始めとするさまざまな日本初のサービスを開発し、企業、公共施設、家庭、個人に「安全・安心」を提供してきた。
さらに、1989(平成元)年には「社会システム産業元年」を宣言。セコムグループとしては、セキュリティを中心に、防災、メディカル、保険、地理情報サービス、情報系事業などを展開。セキュリティで培った安全のネットワークをベースに、安心で便利で、快適なサービスシステムをトータルで提供する、新しい社会システムづくりに取り組んでいる。
上場企業に関する情報を、各社の有価証券報告書に基づいて収集して掲載している上場企業情報サイト「Kmonos(クモノス)」(※3)というユニークなサイトが出来ている(ここ参照)。
このサイトの情報によれば、セコムは、主に警備保障サービス業界に属し、この業界では、国内トップクラス(ここ参照)であり、警備請負サービスを中心としたセキュリティサービス事業、総合防災サービスを中心とした防災事業、在宅医療および遠隔画像診断支援サービスを柱にしたメディカル(医療・医学関連)サービス事業、損害保険業を中心とした保険事業、地理情報サービス事業、情報セキュリティサービスおよび不動産開発・販売を中心とした情報通信・その他の事業を主な内容としており子会社172社、関連会社26社でセコムグループを構成している。
そして、セコムの直近(第51期)の成績は、売上高6791.73億円。ここ最近の時価総額は1兆0359億円くらいであり、共に東証1部に上場している同警備サービス業界で、売上高第2位の綜合警備保障の約8.8倍。3位セントラル警備保障(Kmonosでは4位。以下参照)の83,5倍の規模を要しており、日本国内の他、1980年ごろから、セコム方式の安全システムの海外普及も進め、海外19カ国でも事業展開をしている。特に、セコムで働く従業員は、14911人で、セコムグループ全体で働く従業員は34063人。一万人を超える人を雇用しているということはすごいことである。
売上高ランキング!(事業別ではなく会社全体の売上高を使用)Kmonos
1位 セコム 【6791.73億円 (2012/03/31)】時価総額は1兆0359億円くらい(ここ参照)。
2位 綜合警備保障 【3047.23億円 (2012/03/31)】時価総額は1177億円くらい(ここ参照)。
3位 イオンディライト(☆1参照) 【2197.97億円 (2012/02/29)】最近の時価総額は124億円くらい(ここ参照)。
4位 セントラル警備保障 【399.44億円 (2012/02/29)】最近の時価総額は124億円くらい(ここ参照)。
日本初の警備保障会社セコムの創業者 飯田亮。
警備保障業は日本ではまったくなじみのない新しい事業であったが、同社を大きく成長させ東証一部にまで上場させた偉大な人物である。
自分たちが最高だと思ってやっていることを
真っ向から否定しないと
新しいものは生まれてこない
創造的破壊とはよく言われる言葉だが、それを確実に実行できるかどうかが成功カギだ。以下の飯田亮の名言・格言読んでみませんか。
飯田亮の名言集 - YouTube
法務省が毎年公表している『犯罪白書』は、前年の統計を中心に我が国の犯罪の現状を分析し、今後の治安対策の基礎資料にされるとともに、国民に対する情報提供も目的としている。
同白書などを見ても我が国の犯罪情勢は、平成14年に刑法犯の過半数を占める窃盗を中心に刑法犯認知件数は減少傾向にある一方で、犯罪の凶悪化や、手口の多様化などで、私たちの不安がなくなることはない。
最近の傾向として、少子高齢化の中、高齢犯罪者が急増しており、この高齢犯罪者は、高齢者人口の増加率よりもはるかに高い比率で増加しているという。
そして、この高齢者の犯罪の特徴として窃盗、それも万引きが多いことと、女性の場合、その傾向が特に顕著であるという。逆に、高齢者を狙う犯罪、つまり、高齢被害者も増加しているのである。
また、平成17年以降、一般刑法犯の検挙人員は減少を続けており、そのうち、初犯者が大きく減少している一方で、再犯者の減少はわずかに止まり、その結果、検挙人員に占める再犯者の人員の比率が上昇を続け、平成23年には再犯者率が43.8%に至っており、近年、この再犯防止が犯罪対策における最も重要な課題になっているという。
その要因には、不安定な就労や居住状況といった生活基盤に関わる課題が刑務所出所者等の再犯に共通するリスクとなっていることが確認されているというのだが、まともに、大学を出た犯罪歴のない若者でさえも就職難に喘いでいる今の時代、犯罪歴のある人の就労はさぞ困難なことであろことが察せられる。
野田民主党政権から阿部自民党政権へ政権交代し、政策路線も経済成長路線へと舵が切られたが、これにより、企業が雇用を拡大してくれるとよいのだが・・・・。
それにしても、最近の事件の報道を見聞きしていて、怖いと思うのは、今の時代の人は、普段はおとなしそうに見える普通の人たちが、一旦プツッと切れると何をするかわからない人が増えてきたことだ。
昔は、恐ろしい事件は、その筋の人の中でもちょっと狂人的な人たちが起こすことが多かったと思うが、だから、私たちもそれなりに警戒し、用心もできたのだが、この頃の恐ろしいしかも猟奇的とさえいえる事件が、身の回りにいるようなごく普通の感じの人たちによって引き起こされている。
そんなごく普通に見える人たちが、ちょとした諍(いさか)いごとがあったり、何か自分の気に入らないことが起こると、豹変して、その筋の人さえも躊躇しそうなとんでもない犯罪を犯してしまう・・・。
ここのところ、阪神・淡路大震災や東日本大震災など発生以降、地域との絆の大切さが言われる中、隣近所に住んでいたり、町中を歩いいるごく普通に見える人たちが、些細なことですぐ切れて、何をするかもわからない…などと考えると、一体どう接してゆけば良いのかも分からなくなってしまうのだが・・・。
私は、戦後経済成長の中で甘やかされて育ってきた人たちには、辛いことを我慢する力、いや忍耐力が欠けている・・・といった方が適切かもしれないが・・・。
苦しさ、辛さ、悲しさなどを耐え忍ぶこと。例えば、自分に不都合なことなどを人にされても、暴力的な仕返しをしたり、現実逃避したりしないなど。忍耐する力を「忍耐力」、忍耐力があることを「忍耐強い」と言う。
この「忍耐」は、四元徳のひとつとされている。
仏教においては、さまざまな苦難や他者からの迫害に耐え忍ぶことを忍辱(にんにく)という。
私たちが子供のころには、親や、学校の先生、また周囲の人たちなどからも、「我慢」「忍耐」の大切さを、しっかりと教えられてきたものなのだが・・・。
だから、敗戦後、親や家族を失い、そしてすべての財産を失い、焼け野原の中で、3度の食事もままならない貧乏生活にも耐えて、ただただ、将来に希望を求めてがむしゃらに働いて、今日の幸せを築いてきたのだが・・・。
最近、滋賀県大津市の中学生が“いじめ”を受けたことを苦に自殺した事件(※4)や、大阪市立桜宮高校バスケットボール部のキャプテンを務めていた男子生徒が顧問からの体罰を苦に自殺した事件(※5)などが話題になっている。
このような学校でのいじめや体罰は昔からあった。私自身いじめに近いことをされてきたし、逆に、いたずら半分に女生徒をからかってきたことなど、今流で言えばいじめになるのだろう。
また、やんちゃな私は学校では、先生に叩かれたり、水を入れたバケツを頭に載せて教室の後ろに立たされたり、家にあっては躾の厳しい親から言うことを聞かないと叩かれたり、押し入れに放り込まれたり、家から閉め出されたりの折檻は、しょっちであったが、そのあと、性懲りもなく同じ悪さをしては先生や親を呆れさせていた。
私の子供のころはいたずらっ子や悪がきが多くいたが、いじめや、体罰を苦にして、自殺するなどというようなことは、あまり、聞いたことがないように思うのだが・・・。
これは、いじめや体罰を受けたものの感受性や忍耐力の差によるものだろうか・・・。先にも述べた様に、今の若い人は、昔の人に比べれば忍耐力は低くなっているようだし、感受性も高そう。・・・しかし、それだけではないのだろう。
そこには、同じいじめにしても質の面において、昔よりも今のいじめは非常に陰湿になっているような気がしてならない。大津市の中学生の自殺問題を見ても、これはいじめというよりも完全な犯罪であろう。非常に性質が悪い。
また、桜宮高校で起こったバスケットボール部顧問による体罰も、30発も40発も叩いたとしたら、それはもう指導的な体罰の域を超えて、個人的感情をむき出しにした腹いせ的な暴力であるとしか言えない内容だ。暴力を振るった顧問は人格として指導者失格人間であり、まるで餓鬼のようにキレてしまっているのだ。
※6:「自殺予防総合対策センター」によれば、日本の年間の自殺死亡は、1998(平成10)年に年間死亡数が31,755人と初めて3万人を超えて以来、その水準で推移している(因みに平成23年の年間の自殺者数は3万651人と初めて3万1千人を下回る)が、この自殺死亡率は欧米の先進諸国に比べても突出して高い状態となっており、日本が自殺大国と言われる所以にもなっているようだ。
この高い自殺率の背景には、バブル崩壊後の日本社会の急激な変容があるようだ。年功序列型の終身雇用の崩壊や成果主義から、勝ち組・負け組といった言葉で表されるストレスなどの影響を強く受け、これがうつ(鬱)病など、心の健康を損なわせている。
人生を楽しめなくなり、自分が価値のない存在で、周りの人に迷惑をかけているといった考えで頭がいっぱいになると、死ぬことが苦しみから逃れる為の解決策に見えやすくなる。これは決して、健全な心で生みだされる考えではない。
これら自殺に追い込まれる人はストレス社会の中で、1つの要因だけではなく、何らかの困難な問題に直面しているなど複数の要因が重なって自殺に追い込まれていると考えられている。
最近は、自殺者の年齢が全体的に高くなる一方で、自殺が低年齢層にも広がる兆しがあり、中学や高校生ではいじめや学業不振などといった学校での問題が自殺の原因とみられている。そして、自殺予備軍ともいえるうつ状態の小学生も急増しているそうだ(※7、※8参照)。
先日、2月17日にグアム島で日本人観光客3人が死亡し、10人が負傷した無差別殺傷事件が起こっているが、同じような事件が日本にもあったのを覚えておられるだろう。
2008(平成20)年6月8日、日曜日に起きた「秋葉原、無差別殺人事件」である。この事件も、「うつ病」によって引き起こされたものだという。
なぜ、うつ病の者がこのような行動に出たかは、※9:「日本人の「うつ病」の脳の働き方」を参照されるとよい。
日本の社会で、うつ病の人が増えているようであるが、うつがひどくなると、自らの命を絶つ自殺行為だけでなく、このような大それた行動にも出るのだ。
毎日毎日報道される悲惨な事件の数々、いつ自分や大切な人の身に悲しい出来事が起こらないとも限らない。
用心に越したことはないのだが一体どうしたらよいのだろう。地震や火災などの防災対策だけではなく、今日のような「防犯の日」に、いつ遭遇するかわからない防犯対策について見直しをしておくのもよいだろう。
セコムは毎月18日に防犯に関するニュースレターやメールマガジンの配信。また、セコムの公式Webサイトに「防犯の日」特設ページを公開しているようなので、それを活用するのもよいだろう。また、以下参考の※10:「法務省:犯罪白書」、※11:「警察白書|警察庁」の他、※12:「[防犯] All About」の防犯に関する特集なども参考になるのではないか。
(画像は、「ザ・ガードマン東京警備指令」1965年版VOL.4 [DVD])
参考:
☆1:イオンディライトは、主にビルメンテナンス業界と間接業務請負・支援業界と警備保障サービス業界に属し、イオン系列の施設管理会社。商業施設内の建物設備の保守、点検、警備を行う設備管理事業、イベントの警備などを行う警備保安事業、清掃事業、修繕工事を行う建設施工事業の4事業が主力であり、中国でサービスを開始するなど、海外進出にも積極的である。)
※1;セコム株式会社HP
http://www.secom.co.jp/
※2:セコム防犯・防災用語集
http://www.secom.co.jp/bouhan/yougo/21.html
※3:上場企業情報サイトKmonos(クモノス)
https://kmonos.jp/
※4:【大津市イジメ】皇子山中学校の地元に聞く「親達の心境」と「恐ろしい噂 ..」
http://news.livedoor.com/article/detail/6818297/
※5:「桜宮高校 体罰自殺」特集:イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/feature/6629/
※6:自殺予防総合対策センター
http://ikiru.ncnp.go.jp/ikiru-hp/index.html
※7:自殺大国日本|「うつ」の心に癒しを
http://www.kokoro-iyashi.info/archives/795019.html
※8:All About 「なぜ日本は自殺大国なのか、その理由」(2006年6月6日)
http://focus.allabout.co.jp/gm/gc/303017/?from=dailynews.yahoo.co.jp
※9:日本人の「うつ病」の脳の働き方 特集・「秋葉原、無差別大量殺人事件」の原因は「うつ病」である
http://www.porsonale.co.jp/keikou72.htm
※10:法務省:犯罪白書
http://www.moj.go.jp/housouken/houso_hakusho2.html
※11:警察白書|警察庁
http://www.npa.go.jp/hakusyo/index.htm
※12:[防犯] All About|盗撮・盗聴・痴漢・詐欺・泥棒などの対策を紹介
http://allabout.co.jp/gm/gt/71/
罪と罰>刑事政策関係刊行物:犯罪白書
http://www.jcps.or.jp/publication/index.html