いつもこのブログ書くのに利用させてもらっている「今日は何の日〜毎日が記念日〜」(※1)に今日6月6日の記念日として、「恐怖の日」と言うのがあった。
由緒は、『新約聖書』の『ヨハネの黙示録』に登場する「獣の数字」666に因む。
「また凡ての人をして、大小・貧富・自主・奴隷の別[わかち]なく、或はその右の手、あるいは其の額に徽章[しるし]を受けしむ。この徽章を有[も]たぬ凡ての者に賣買することを得ざらしめたり。その徽章は獸の名、もしくは其の名の數字なり。智慧は茲[ここ]にあり、心ある者は獸の數字を算へよ。獸の數字は人の數字にして、その數字は六百六十六なり。」(ヨハネの默示録第13章16ー18)
映画「オーメン」に出てくる「666」という数字の根拠は上記の一節である。…とあった。
しかし、この記念日、日本記念日協会には登録されておらず、また、一体、何時、どこのだれが記念日登録したのかなどはわからない。
1976年に公開され世界中で大ヒットをとばした米国映画「オーメン」は、正統派オカルト映画の傑作として歴史に名を刻んでいる。
物語のベースは聖書で、6月6日午前6時に誕生(人類を滅ぼすためこの世に送られてきた)し、頭に新約聖書の『ヨハネの黙示録』で獣の数字とされる「666」のアザを持つ悪魔の子ダミアンを巡る物語であり、主演には「ローマの休日」のグレゴリー・ ペックにリー ・レミックといった演技達者でかためている。しかも、ジェリー・ゴールドスミスによるテーマ音楽が不気味さを掻き立てる上で絶大な効果を発揮しており、音楽を担当したジェリー・ゴールドスミスが第49回アカデミー作曲賞を受賞しているなど、B級ホラー映画とは一線を画している。
以下でそのテーマ曲が聞ける。
The Omen(1977) - Ave Satani - YouTube
映画は、当初から3部作として予定されており、第1作のヒットによって正式にシリーズ化されたが、1978年製作の続編の「オーメン2/ダミアン」(日本での公開1979年2月)で、成長したダミアンは聖書の黙示録を続み、自分の頭髪の下の666という数字の謎、自分が悪魔の子であることを知りショックを受けるが、やがて、自分の使命を受け入れ、悪の世界にのめり込んでゆくことになる。
この時に朗読されるのが、前段の記念日の由緒のところに書かれている『ヨハネの默示録』(第13章)にあたるのだろうが、この文が正式な『ヨハネの默示録』(第13章)とは同じと言うわけではない。映画では脚本としてアレンジしたものだろう。『獣の数字』の登場する『新約聖書』の『ヨハネの黙示録』(※2参照)第13章18節は以下のように書かれている。
「ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六(666)である。」・・・と。
ところで、この数字の「666」は何を教えているのろう?
旧約聖書『創世記』によれば、神は、7日で、世界を作ったとされ(参考※2の1章天地創造を参照)、それゆえに、7は、神の数字であり、完全であると言う意味があるのに対して、その手前の数字6は、7に一歩及ばないことかから、神と同等の力を持つとされる悪魔でも、神には及ばない。
転じて、いかに人類が強大な力を手に入れようと、自然の全てを解明しようと、所詮神には及ばないと、言う意味を表しているそうだ。つまり、完全な神の力:7に対して、それに及ばない不完全な力:6。666はその6が、三回繰り返される事により,不完全さを、より強調したかたちとなっている。
俗に「666」は悪魔や、悪魔主義的なものを指す数字とされているが、それは黙示録が象徴的に「獣」と呼ぶ反キリストのことでもあり、これは、默示録第13章の「赤い竜」に出てくる詩に由来する666恐怖症から転じて生まれたもののようだ。詳しくは、参考の※2:『ヨハネの黙示録』(第13章)を一読されるとよい。
上掲の画象は、七つの頭と十本の角を持つ竜が十本の角と七つの頭を持つ獣に権威を与えるシーン。中世期のタペストリー。Wikipediaより。
しかし、正典とはいえ、『ヨハネの黙示録』は異色の書であり、書かれている内容も、かなり抽象的・象徴的で難解な文章である。読み方によってはいかようにも解釈できるし、その内容も不吉な文であり、ホラー映画などではどうしても取り上げたくもなるだろう。尚、「666」の意味などは、以下参考の※3:「キリスト教読み物サイト」の終末の独裁者「獣」とは?など参考になるのでは・・。
オーメンの完結編「オーメン 最後の闘争」は、1981年に制作・公開された。32歳という若さで大企業の社長となり、駐英大使を猟銃自殺に追いやり、まんまと後釜となったダミアンの真の目的は、悪魔的使命として、イギリスの何処かで誕生しようとしているキリストの生まれ変わりの抹殺にあった…。それに気づき挑戦する神父たちとの闘いを描いている。
この映画の10年後米国でのテレビ用に前3作をなぞってダミアンを女の子に変えて作られたTVムービー『オーメン4』(※4)が日本では劇場公開(1991年)されたがこの後に、1000年に1度、6の3つ重なる日・06年6月6日に「第1作」のリメイク版が公開されている。
オカルト映画の公開にこれほど好都合な日はない。今日の記念日は、このリメイク版映画の宣伝用に、映画関係のところなどが話題として、取り上げたのではないかなどと思ったりしているのだが・・・・。こんな記念日が、「今日は何の日〜毎日が記念日〜」では外国の記念日ではなく日本の記念日としているところからみてもそう疑いたくなるのだが・・・。
『ヨハネの黙示録』は『新約聖書』の最後に配置された書であり、『新約聖書』の中で唯一預言書的性格を持つ書であるが、これまでの福音書とは違う恐怖に満ちた恐るべき終末世界が描かれた異端の書であるが、この著書を著したヨハネとはどんな人物か?
キリスト教で有名なヨハネは2人おり、1人は「洗礼者ヨハネ」(『新約聖書』に登場する、ヨルダン川でイエスに洗礼を授けた人、預言者)であり、もう一人は使徒ヨハネ(イエス【ナザレのイエス】の12使徒の1人。4つの福音書の1つ「ヨハネの福音書」の著者とされる) 。
一応後者ではないかとされているが、はっきりしたことはわからず、真の人物は謎のようだ。また、『黙示録』(特に21章と22章)における終末理解と『ヨハネによる福音書』の著者の終末理解には大きな隔たりがあることを指摘する学者も多く、『ペトロの黙示録』と共に「真性に疑問のある書物」として聖書正典収録に関しての議論が巻き起こっていたものらしいが、最終的には中世末期、正教会でも正典に加えられはしたものの、聖書の中で唯一奉神礼で朗読されることのない書となっているそうだ(Wikipedia)。
ヨハネの黙示録が記された時代は、ローマ帝国のドミティアヌス帝末期の紀元96年頃とされているが、ネロ帝の69年頃との説もあるようだが、前者の説が有力な様である。いずれにしても、どちらの皇帝もキリスト教徒への迫害があり、当時はキリスト教徒受難の時代であったようだ。
迫害に遭った使徒たちの中で唯一殉教しなかったとされているヨハネであるが、その後、ヨハネは、エーゲ海の孤島パトモス島に幽閉され、この地で、ヨハネは或る日、神の啓示を受け、未来の出来事を目にする(ヨハネ黙1:9)。
『ヨハネの黙示録』は、それを書き留め、古代キリスト教の小アジア(現在のトルコ西部)にある7つの主要なキリスト教信者の団体(水と御霊の福音への信仰によって創立された教会【黙示録 第2章 1−1】)にあてられる書簡という形をとっている。その構成は、ここを見られると簡単にわかる。
戦乱や飢饉、大地震など、ありとあらゆる禍が、そして、天使と悪魔の戦いやの様子を記して終わっている。詳しく知りたければ、以下参考に記載の※2「聖書」のヨハネの黙示を読まれるとよい。重複するが要約すると以下のようになる。
黙示録には、人々の偶像礼拝(神への不信仰)と不品行(性の乱れも含まれる)、 それに対する神の激しい怒りが、繰り返し述べられている。
この世の終わり(世界の終末)には海から「666」で暗示される竜のような怪獣(サタン)が現れ、その偶像を崇拝しない者は処刑される時代が到来する。
それに対し天使率いる神の軍が対抗し、悪霊(=獣=終末の時代の独裁者。と、彼に同調する連合軍。反キリスト)がイスラエルのハルマゲドン(メギドの丘)に集結 (第16章:12-16)し、サタンと神の最終戦争が勃発する。神(キリスト)は、ハルマゲドンの戦いに勝利し、地上の悪の勢力を一掃。そののち神は、地上に降りてきて、「千年王国」を樹立する。…と、いうものである。
このヨハネの語る終末の中には、世界の終末が2度訪れることになる。最初の終末時には世界が滅び、メシアが来臨して、幸福な千年王国を樹立する。千年の後、一時的に投獄されていたサタンが復活し、最後の決戦を行うが、これによってサタンは滅び、最終的な終末が訪れる。
その後、最後の審判が行われるが、この時、数々の書物が開かれ「死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じて裁かれた。」が、もう一つ「命の書」(20章 12節)が開かれここに名前のない人は地獄に落とされ、名前のある人は天国に昇ることができる。そして最後に、救世主イエスの再臨はまもなくだと伝え、ヨハネの黙示録は終わる。
この「命の書」は、イエス・キリストを自分の救い主として個人的に受け入れ、信じた者たち、すなわちクリスチャンたちの名前がすべて記されてある名簿のようなものなのだろうか。裁きを受けたものは、この世の不信者であり、キリストの救いを拒んだ人々だろう。「一度死ぬことと死後にさばきを受けることとが人間には、定まっている」・・・とヘブル人への手紙第9章27節(※2参照)にも書かれている。
上掲の画像は、Maria Yakunchikova Fear. 1893-95年頃の作品。Wikipediaより。
。ところで、人が恐怖を感じるのはどのような時だろうか・・?
暗い所や一人でいる時とき、また、オーメンのようなオカルト映画を見たときなど、人それぞれ、その状況等によってもいろいろと感じ方は違うだろう。
恐怖(英::fear, horror)は現実もしくは想像上の危険、喜ばしくないリスクに対する強い生物学的な感覚であり、ジョン・ワトソンやパウル・エクマンなどの心理学者は恐怖をほかの基礎的な感情である喜び、怒りとともに、これらをすべての人間に内在する感情だと主張しており、ワトソンは、生後11ヶ月の幼児アルバート坊やを対象に恐怖条件づけを行った実験(※5参照)から、おとなの抱く不安や恐怖も、多くは幼年期の経験(心的外傷=トラウマ)が由来しているものだとしている。
また実際の世界においても、第二次世界大戦や、阪神・淡路大震災・東日本大震災といったような特に強いトラウマ的な事故などを経験した場合、後にその記憶がフラッシュバック)し、長期間にわたって被体験者を苦しめること(PTSD)が指摘されている。
「トラウマ(心的外傷)」というのは、過去の体験に基づき、「大脳辺縁系(扁桃体)」というところに「特定の情動反応」が学習されてしまうために起こるという。この反応と同時に頭の中に過去の情景が蘇ったり、聞こえないはずの音や言葉が聞こえてしまうというのが「フラッシュバック」だそうである(※6)。だから、扁桃体を失うと「恐怖」の感情がなくなってしまうそうだ。
「恐怖」を表す英語の“fear”は「思いがけない危険」を意味する古い英語の“faer”に由来し、それは「驚き(fright)」をも意味している。つまり、恐怖の対象となる危険は具体的・現実的で、はっきり認識できるものであり、驚きの要素が含まれている。そこには、危険への防御本能が働いていると言えるかもしれない。
人間には、まず、「目に見えるものへの恐怖」と「目には見えないもの-未知-への恐怖」がある。「目で見えるものへの恐怖」は近所の猛犬といった特定の動物とか、ヒステリー症の奥さんや、意地悪な上司、また自分と比較して異常に大きな人や怖い顔をした見知らぬ人、それに高いところと言ったものの他、スプラッター映画で血を吹き出すシーンや、惨殺シーンに恐怖したり、ホラー映画における絶叫や床のきしむ音を聞いて恐怖するものもある。
これらは、見た後で、自分に多大な被害、や苦痛、ひいては死が及ぶであろうことを想像することから恐怖を感じるのであろうが、特に死を予感した時には、多くの人が相当な恐怖を感じるだろう。
哲学者の樫山欽四郎は、『哲学概説』において、人間の本質的な特性として「死を自覚する存在」であることを挙げ、「死を知ることがなければ、人間はこれほど楽なことはない」という趣旨の言葉を述べているそうだ(Wikipedia)。
人間が他の生物と異なる1つの特徴は、人間は全て(そして自分自身も)やがて死ぬということを「知っている」ことだともいう。いいかえると、未来を考えることができる動物は人間だけであるともいえ(※7参照)、これが、文化的世界観(人生に意味を与え、自己評価の基準となる価値観を提供する)と、人がその価値観に合致することによって得られる自尊心によって統制できるとされているようだ(恐怖管理理論参照)。
そして、死を知ることが哲学への契機でもあり、また宗教への契機でもあると言えるのだろう。
かって人間は、周りにいる猛獣や自分たちとは違った部族や見知らぬ自然と闘い、「目に見えるものへの恐怖」を克服してきたが、その戦いは神話や昔話によく登場してくる。しかし、我々の住んでいる世界には、人間の活動能力の限界を超えた領域もある。それが目に見えない未知の海底や地底、大宇宙、そして時間と言った領域である。
これらは、人類の最大の特徴である「想像力」がマイナス方向へ働いた場合に発生する恐怖感と言えるだろう。何かが居る「かも知れない」、「出るかも知れない」と言う予想、想像が働くがゆえの恐怖感で、お化け屋敷や映画でよく使われる恐怖感である。
昔の人は、これらの原因を科学的に理解することができず、これらの「恐怖」が、神や悪魔、亡霊や怨霊といった存在を生み出した。
悪魔は、主にキリスト教やイスラム教といった一神教の世界に登場する存在であり、唯一神と対立する概念であり、神=善、悪魔=悪と考えられているが、キリスト教世界などでは、神と悪魔はしばしば混然としている。それは、『ヨハネの黙示録』にも見られるように、人間の態度いかんによって、神が悪(=天罰)を為すこともある。『ヨハネの黙示録』を読んでも神は神の意思に沿わない人間をすべて殺している。
参考※8:「「恐怖」の歴史」にもあるように、欧州のキリスト教会では、悪魔は人間の心の弱さに付けこんで、心を腐らせる邪悪な存在であると教えていた。
庶民は、教会に縋(すが)り、正しい信仰を守ることを怠れば、弱い心が悪魔に食われてしまい、神の御許に辿り着けなくなるという。つまり悪魔は、個人の信仰を揺るがせる「恐怖」なのであり、天災や疫病は、むしろ、人間が悪魔に負けて正しい信仰を失ったことに対する「神が下した天罰」と考えるのである。しかし、悪魔は、信仰の力で撃退はできるものの、根絶することは出来ない存在である。一神教世界の悪魔は、神と表裏一体の概念だからである(※9も参照)。
1973年製作の米国映画『エクソシスト』は,少女に取り憑いた悪魔とキリスト教の神父との壮絶な戦いを描いたオカルト映画の傑作であり、公開されると、リアルに描かれたショックシーンが話題を呼び、世界中で大ヒットし、空前のオカルト・ブームを巻き起こした。
1949年アメリカ・メリーランド州で実際に起きた男の子(ロビー・マンハイム。架空名)の悪魔憑き事件“メリーランド悪魔憑依事件”をもとにしたウィリアム・ピーター・ブラッティの同名小説『The Exorcist"(エクソシスト)』を原作とし、作者本人が脚色を行い製作したもので、ホラー作品でありながらアカデミー脚本賞をも受賞している。
1977年にエクソシスト2(Exorcist II: The Heretic )、1990年にエクソシスト3(The Exorcist III )も作られた。
エクソシストとは、英語で"悪魔払い(カトリック教会のエクソシスム)の祈祷師"という意味である。
実際に、ロビー・マンハイム少年の体から悪魔を追い払うための儀式は2ヶ月以上の期間にわたって30回行われたそうだ。そして悪魔が去ると、ロビーは普段の言葉を発した。その時の言葉は"Christus, Domini"(主キリスト)あるいは"Christ, Lord"(神さま)だった。これらの言葉を発した時、雷鳴やショットガンのような轟音が病院中に響いたとレポートに記されているそうだ。
悪魔祓いの後、マンハイム一家には平穏が戻り、一家は家へと帰った。やがてロビー・マンハイムは成功をおさめ、幸せな結婚をし、父親となった。そして50年が過ぎ、ロビー・マンハイムは悪魔憑きの記憶を忘れてしまった・・・という。
ロビー・マンハイムについて、精神医学的意見として、解離性同一性障害、トゥレット症候群、統合失調症、性的虐待、集団ヒステリーといった一般的精神医学上の解釈がなされてきたが、結局、この事件が一般的な精神医学では説明がつかないという結論に達したそうだ。映画ではなく、ロビー・マンハイム少年に起こったことなどは参考※10:「メリーランド悪魔憑依事件についての質問に対する回答Robbie Mannheim」を参照されるとよい。
世の中には、我々には理解できない怪奇現象が実際にあることは、私自身も経験して知っている。私が、子供の頃、父が商売に失敗し、家は破産状態、その上、父親は若くしてなくなってしまった。
精神的に参った母親は、宗教にのめり込み、お寺のお導師らと共に裏山の滝に打たれての修業などもしていたが、ある時から突然、に、家の仏壇の前でお経をあげる声が一段と大きくなったと思っていたら、正座したまま、お経をあげながらその場でポンポン相当高くまで飛び跳ねだしたのだ。
そんなこと私でもできないのによく肥えた母親がやりだすのだからびっくりした。お導師に聞くと、滝に打たれて修業している間にタヌキが憑いるという。そして本人自身はそのことを全然自覚していないのだ。
私は、そんな馬鹿な・・とはじめは疑ったが、奇異な行動が収まらないので、母親は、お導師にタヌキの霊を取り払ってもらうための業を始めた。そして、結構の日数がかかったが、とにかくその後は、奇妙な行動はしなくなった。
悪魔や怨霊のパワーは、科学技術の進歩によって弱められ、今は、昔ほどの影響力は持っていないが、いまだに根絶できない「目に見えない未知への恐怖」はなくならない。それが、今でも悪魔や怨霊の物語が作られ続け、人気を博している由縁であろう。
人類の最大の特徴は「想像力」をもっていることである。想像をするためには、知識が必要であり、なんの知識もない赤ん坊が、あらゆるものを恐れないのと同様に、知識のないものは恐れを知らない。「恐怖」はある面で人間のリスク回避に役立っているともいえるが、知識のない恐れを知らないものは、時として無謀にもなる。
人は恐怖を克服するために知識を付け、知識を付けることで、目に見えない恐怖も目に見えるものへと変化させ「恐怖」を克服してきたが、そのことがまた未知の恐怖の対象を増やしていくという、無限連鎖の中に陥っていくのである。知らないこと、理解できないこと、自分に認識できない事象があると言う恐怖。その恐怖は、ますます大きなものへと変わってゆくことになるのは、いかにも皮肉なことであると言っていいだろう。
1974(昭和49)年7月、日本で映画『エクソシスト』が公開されたが、この年は、「日本列島改造論」を唱えていた田中角栄首相の「田中金脈」(※11参照)が暴かれ、オイルショックによる「狂乱物価」と「便乗値上げ」とろくなことがなかった。何を頼りにして良いかわからないという無力感、そのくせ、深く物事を考えなくても生きてゆけるという風潮が高まっていた。
そんな時に、ノストラダムスが「1999年7の月」に「恐怖の大王」によって人類が滅亡すると予言した・・・と、信憑性を増すために創作された逸話などもまじえる形で紹介された五島勉の著書『ノストラダムスの大予言』(1973年、祥伝祉刊)は、このような社会不安を背景に大ベストセラーとなったが、当時、素朴にこんな予言を信じた若者も少なくなく、今、東京の拘置所に居る麻原彰晃本名:松本智津夫)率いるカルト・新興宗教「オウム真理教」による「地下鉄サリン事件」(1995年)もこの「ノストラダムスの大予言」が遠因となっていると指摘するものも居る。
このなんとなくフワァーとしたところをテレビを中心としたマスメディアが付け込み、みんながまんまと乗せられたということではないだろうか。
また、1974(昭和48)年小松左京のSF小説「日本沈没」のヒットを受けて、同年12月29日より正月映画として東宝で同名で映画化もされた。以下の画像は映画チラシ「日本沈没」。
小説の発行された1973(昭和48)年は関東大震災から50年という節目でもあり、本作によって大規模災害への不安が喚起されるきっかけともなった。
そして、ノストラダムスの大予言である”1999年の7月に地球が滅亡する“・・・という予言は、結局何事もなく過ぎてしまい、もう、このような予言を信じている人も少ないだろうと思うのだが、この当時、TVでは細木なんとかいう伯母さんの占いだか予言が人気を呼んでいた。
その後の社会情勢も不安定な情況が続く中、小松左京の『日本沈没』が2006(平成18)年、再映画化されたりしているが・・・、世の中が不安定になると人を不安に陥れるこの種の予言が流行るということだろう。
しかし、振り返れば、その間、1995(平成7)年1月17日には、あの忌まわしい阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)が発生しているが、地震予知連絡会は、東海地震 (後に東南海地震と呼称される)の予知ばかり研究しており、全くこの震災の余地は、出来ておらず、その後の新潟地震(1964年)また、2011(平成23)年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)など、何も余地はできなかった。
そして、東日本大震災による地震と津波は福島第一原発事故も発生させ、その放射能汚染が、2重の災害(被害)をもたらすことにもなってしまった。
四季に恵まれた日本ではあるが、日本列島の生い立ちから地核変動による、地震が多く、地震大国とも言われている。
そして、ここのところ、周期的大地震が頻繁しているが、今年1月には、東南海地震の今後30年以内の発生確率が、昨年の「70%程度」から「70〜80%」に上昇するなどと発表視されていたが、南海トラフ巨大地震の対策を検討していた国の有識者会議は、5月28日、地震予知が現状では困難と認め、備えの重要性を指摘する最終報告をまとめたと、5月29日にマスコミは一斉に報じていた(※12)。
そしてあまりにも巨大な震災なので、救助が間に合わなから各家庭で1週間分の食料等を、備蓄してほしいという。要するに政府は責任を持てないということだ。
今や、日本では、悪霊に怯えるようなことはないもののの、家族制度は崩壊し、少子高齢化の中、年金問題がどうなるかもわからず、医療や高齢者介護など問題が山積みで、高齢者の孤独死や、低所得者の餓死すら発生し、これから、どう生きるか、先の見えない不安と恐怖に怯えて生きなけれならない時代になってきた。
その上に、何時起こるかもわからない巨大地震や津波などの自然災害、それに、原子力発電所事故の不安など、生きてゆくにはあまりにも怖いことが多すぎる。
変な言い方をすると、これは、一度神に粛清された悪魔の総反撃が起きようとしているのだろうか・・・。これは、まさに恐怖以外の何物でもない・・・・。
(冒頭の画像はギリシャ数字の666。Wikipediaより)
参考:
※1:今日は何の日〜毎日が記念日〜
http://www.nnh.to/06/06.htmlhttp://www.nnh.to/06/06.html
※2:聖書INDEX聖書とは
http://web1.kcn.jp/tombo/v2/testament.html
※3:キリスト教読み物サイト
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/yomu.htm#shumatsu
※4:映画 オーメン4 - allcinema
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=3506
※5:脳と心と人工知能:情動研究における恐怖条件づけ
http://nouai.blog.fc2.com/blog-entry-102.html
※6:フラッシュバックの症状とは
http://okwave.jp/qa/q3462921.html
※7:人間だけが未来を思い描く 「スタンフォードの自分を変える教室」
http://susumu-akashi.com/2013/04/%E8%87%AA%E5%88%86%E3%82%92%E5%A4%89%E3%81%88%E3%82%8B%E6%95%99%E5%AE%A4/
※8:「恐怖」の歴史
http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/kyoufu.htm
※9:聖書の神が悪魔を創造されたのですか - Yahoo!知恵袋
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n40718
※10:メリーランド悪魔憑依事件についての質問に対する回答Robbie Mannheim
http://www.geocities.jp/occult20100508/robbie_mannheim.txt
※11:田中首相・金脈事件
http://jikenshi.web.fc2.com/newpage145.htm
※12:南海トラフ地震の予知は困難 中央防災会議最終報告 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130528/dst13052817290019-n1.htm
今日のことあれこれと・・・「オカルト記念日」、「ノストラダムスの日」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/s/%A5%A8%A5%AF%A5%BD%A5%B7%A5%B9%A5%C8
聖書研究の部屋:歴史に働いた神
http://www14.ocn.ne.jp/~godswork/
ノストラダムスと聖書の予言
http://www.geocities.jp/mongoler800/nosutora-seisyo/nosutora-seisyo0.htm
獣の数字- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8D%A3%E3%81%AE%E6%95%B0%E5%AD%97
ヨハネの黙示録 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2
ヨハネの黙示録666の正体 - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=qhQfNDJdiRE