日本記念日協会に登録されている今日・7月16日の記念日に「虹の日」がある。
由緒を見ると、“7と16で「ナナイロ=七色」と読む語呂合わせと、梅雨明けのこの時期には空に大きな虹が出ることが多いことから、この日を人と人、人と自然などが、七色の虹のように結びつく日にしようとデザイナーの山内康弘氏が制定。先輩世代が後輩世代をサポートする日にとの意味合いもあり、音楽を中心としたイベントなども展開する。”・・とある。
虹の日公式サイト(※1参照)を覗いてはみたのだが、何か音楽中心のイベントをしているようだが、私には一体何をしようとしているのかはよくわからなかった。カッコ良さが売り物のデザイナーとダサいわたしなどとの考え方や表現方法の違いからなのだろうが・・・。
私としては今日の記念日の趣旨はともかくとして、「虹の日」をテーマーにこのブログを書くことにする。
虹とは、赤から紫までの光のスペクトルが並んだ、円弧状の光であり、気象現象の中でも、大気光学現象に含まれる。
虹は太陽光が空気中の水滴がプリズムの役割をして、屈折(折れ曲がる)・反射(はね返る)して起きる現象であり、太陽光が反射して起こる現象であるから、虹は必ず太陽を背にした方向に現れる。
虹は鮮やかに見える場合とぼんやりしか見えない場合がある。それは、空気中の水滴の大きさに関係しており、水滴が大きいほど、色がくっきりみえる。
普通の虹は、光が分解されて、複数色の帯に見え、外側が赤、内側が紫と決まっている。虹の外から内側にかけて、赤、橙、黄、緑、青、紫となる。
日本では、虹の色の数は一般的に七色(赤、橙、黄、緑、青、藍、紫)と言われており、学校で、この色の順を覚えるのに、「あ〜かに だいだい きいろにみどり あ〜おに あ〜いに む〜らさき」なんて歌いながら覚えたのを思い出すが、現代の西洋人に虹を構成する色の数を問うと、たいてい六色以下で答えるそうで、アメリカやイギリスでは一般的に、赤、橙、黄、緑、青、紫の六色、ドイツでは赤、黄、緑、青、紫の五色と認識されているという。
また、日本でも『吾妻鏡』には健保6年6月11日「西方見二五色虹一、上一重黄、次五尺餘隔赤色、次青、次紅梅也、其中間又赤色」とあり、中世では虹は五色と見る観念があったようだ(※3の吾妻鏡のところを参照)が、日本で、虹を七色と認識するようになったのは、ニュートン(Isaac Newton 1643-1727)による太陽光線の分光実験に由来した学校教育によるものだそうである(※2参照)。
「にじ」(虹)の語源には諸説あるようだが、『万葉集』(巻14東歌相聞、3414。※3の万葉集のところ参照)には、伊香保の高い堰(せき)の上にくっきりと立つ虹は「努自」=「ノジ」と読み(「ヌジ」と読む説もあるようだが・・)、平安時代初期の『日本霊異記』(日本最古の仏教説話集)では「ニジ」とあり(※4参照)、極楽に行った大部屋栖野古が「五色の雲が虹のように北に伸びており」と極楽に延びる五色の雲が虹に喩えられている(※5)。
この「ノジ」「ニジ」の言葉には、蛇類を表す古語ナギ(ナジ)に通じるという説あもるようだ(天叢雲剣の「蛇の剣」のところを参照)。
漢字の「虹」は、「虫」+音符「工」の会意形声文字である。「虫=毒蛇の象形文字)」は空に上った蛇を意味し(双頭の蛇の伝説による象形文字も甲骨文字には見られるそうだ。下図参照)。
●上掲の文字は、双頭の蛇を象った甲骨文字である。
つまり、蛟(みずち、雨を降らせる水 神とされている蛇、または龍)が空を貫いている(「工」はあるものに穴を開け貫くを意味する会意文字。)で、古代の中国 人が虹を「天を貫く蛇(または龍)」に見立てたことに由来しているそうだ。
字の意義としては、1:はっきりと見えるにじの他、2::橋、3:乱す。4:潰れるなどがある。
この「にじ」と云ふ読みで漢和大辞典を引くと【虹】【霓】【蜺】【蝃】【蝀】の漢字が挙がっている。【虹】とは雄、【霓】【蜺】とは雌の「にじ」であるという。
「にじ」に雄も雌もあるのかと思はれるかもしれないが、これは古代中國人が「にじ」を龍と捉えた事に拠るという。
「虹」を意味する漢語表現に、「虹霓」(コウゲイ)がある。「虹霓」のように雄雌を表す漢字を組合わせた言葉は他にも「麒麟(キリン)」 「鳳凰(ホウオウ)」など中国ではよく見られる表現だ。虹が雄で、霓が雌。雨によって天地が結ばれ、竜が水を飲みにくるときに虹ができるのだそうだ。
虹の多色性の例外として「白虹」と呼ばれる現象があり、これは、現在の気象学では「暈(かさ)」等と見られる現象であるが、中国では古代、このような白虹が太陽を貫くことは、戦乱が起こるなどの凶兆ともされた(白虹貫日参照)。
日本にも古代より白虹思想は流入しており、中世の『吾妻鏡』では度々白虹の発生が記録されている(※3:「故事類苑」参照)。
一方で、普通の虹については、以下参考の※6:南方熊楠の「十二支考 田原藤太竜宮入りの話」に、以下のようにある。
“史書に、〈太昊(たいこう.=伏羲)景竜の瑞あり、故に竜を以て官に紀す〉、また〈女カ(じょか)黒竜を殺し以て冀州、また〈黄帝は土徳(陰陽家の徳の一つ)にして黄竜見(あらわ)る〉、また〈夏は木徳(土徳と同じ陰陽家の徳の一つ)にして、青竜郊に生ず〉など、吉凶とも竜の動静を国務上の大事件として特筆しており、天子の面を竜顔に比し、非凡の人を臥竜と称えたり。
漢高祖(劉邦)や文帝や北魏の宣武など、母が竜に感じて帝王を生んだ話も少なからず。”・・と。
この様に、、竜(虹)に感じて聖王(徳があり立派な政治を行う王・君主)を孕(はら)むといった吉兆(よいことが起こる前ぶれ。瑞祥。吉相)を示すこともあり、吉凶両方の言い伝えが残っている。
虹を英語では「レインボー(Rainbow)」と言う。“Rainbow”は、雨(rain)+弓(bow)。雨によってできる弓、つまり、「雨の弓」を意味しているが、虹の多くは雨がやんだ後に天空に現れるものを指す。しかし、雨上がりに限らず滝や噴水で見られる虹もあり、英語では、そんな虹は“sunbow”と言う。
また、フランス語では “arc-en-ciel”(アルカンシエル)といい、「空に掛かるアーチ」を意味するそうだ。語源を辿れば、みな同じようなことを意味している。
いずれにしても、空高く、あたかも天空にかかった美しい橋のように見える虹は、多くの子供たちにとってロマンティックな夢を誘う代表的なものだろう。
子供の頃、虹の立つところに黄金などの財宝が埋まっているという話を聞かされ、こころをときめかした経験を持つ人も少なくないのではないか。
アイルランドの民間伝承に出てくるレプラコーン(leprechaun)という小さな小さな妖精は、虹の麓(虹と地面が接している場所)に黄金を隠しているのだと言われている。
このレプラコーンは、靴職人とされ、グリム童話『小人の靴屋』(※7 )に登場する妖精とはこのレプラコーンのことと言われる。
レプラコーンは妖精の中でもとびきりの働き者で、長年かかって貯め込んだ財宝は厖大な量になると言われており、うまく捕まえることができると黄金のありかを教えてくれるが、彼らは隠れ上手なので大抵の場合、黄金を手に入れることはできないという。
そのようなことから決して見つからないレプラコーンの黄金入りの壷。「実現不可能な叶わぬ夢」のことをこの壷に喩えて、英語では、「a pot of gold at the end of the rainbow」と言うらしい(※8)。
ドイツの伝承によると、虹の根元には金のカップがあるとされているそうだ。
虹は水を飲みに天から現れるのだが、虹が水を飲んでいる間に虹の根元に辿り着ければ、そのカップを手に入れることができる。そして、一生、持ち主に幸運をもたらし、手放すとたちまち不幸に見舞われるというカップ。
中国の『異苑』では虹が釜の中の酒を飲みに来て、あとに金塊を吐いていくという(※9:「雑学考」の虹のカップの話参照)。
この虹の立つところに黄金・財宝・幸運ありとする信仰は、世界各地に広く存在したが、我が国でも、前に述べた平安初期の仏教説話集『日本霊異記』に、その類和が乗せられているのをはじめ、このような話は、近代にいたるまで全国各地に伝承され続けてきた。
そして、同じく、興味深いことに、中世の史書や貴族の日記には、虹の立つところに市をたてなければならないという慣行が存在したことが記されている。
中世の貴族たちは、虹を奇瑞と考え、虹が現れると、公的に天文博士などにそれが、吉祥か災異かを卜定(ぼくじょう。吉凶を占い定めること)させたと『故事類苑』に記されている(※3「故事類苑」の冒頭p−310のところを参照)が、一方民間信仰のもとで、「世間の習、虹見ゆるところ市を立つ」(※3「故事類苑」のp316“虹見處立市”のところ参照)とあるように、そこがいかなる場であれ、数日間市をたて、売買を行うべきであるという観念に縛られており、朝廷の池などに虹が現れたときには、大いに困惑したようだ。
このように民間の俗信にもとづいて、平安時代から戦国時代にいたるまで、現実に各地に市が立てられたことが資料的に確認されるが、おそらくその源はもっと古く、また、民間の慣行としては、もっと後まで継承されたと思われる。
私の蔵書「週刊朝日百科日本の歴史」(51)を見ると、“マリノフスキーが紹介した、トロブリアンド諸島(パプアニューギニア東部)のクラと呼ばれる部族間の原始的交換儀式の際、呪術師によって虹を呼び出す呪詩が唱えられるという事例からいって、虹はおそらく我が国の原初的な市、さらには、原初的な交換の観念と密接な関係をもっていたといえよう。”・・・とある。
そして、民俗学者の安間清は、我が国だけでなく、世界各地の虹についての俗信のひとつの大きな流れとして虹は天地をつなぐ橋、つまり、「虹の橋」という共通した観念の存在を紹介しており、「精霊は虹を通って往来する」「神は虹によって旅をする」「死者の霊魂の他界への通路」「虹は天女が入浴するとき、天降(あまくだ)ってくる橋」などの俗信が、世界各地に存在し、また多くの民族の神話のなかでも虹は天と地との間の橋であることを明らかにしているという。
また、我が国でも、「虹は天国から地上に向かって出る」「虹は天の橋」などの伝承が残り、それらから、『日本書紀』『古事記』の創世神話(国産み)にみられる「天の浮橋」を虹と解することも可能であり、我が国にも天神が虹を通って、下界へ降ってくるという信仰があったことを想定している。
このように虹は天界(他界)と俗界とを結ぶと考えられていたのであり、虹が立てばその橋を渡って神や精霊が降りてくると信じられ、地上の虹の立つところは、天界と俗界の境にある出入り口で、神々の示現する場であった。
そのため、虹の立つところでは、神迎えの行事をする必要があり、その祭りの行事そのものが、市を立て、交換を行うことであったのである。
我が国の市の起源は、主としてその語源を探ることによって、身を清めて神に奉仕する「斉(いつき)」という話と結びつけられている。
すなわち「斉(いつ)く地」が「イチ」と縮んだとされているが、以上みてきたような虹と市の関係を媒介とするならば、この語源説は妥当性をもつといえる。
中世の市が三斉市、六斉市、という斉日に立てられ、三斉市・六斉市といわれたのもこの日が天界から四天王が下界に降りてくる日されていたからである。
『枕草子』には「おぶさの市」という市の名があげられている(※10「枕草子」の14:市は参照)。
おぶさは虹を指す語であるから、当時「虹の市」という名称が現実に存在していたことになる。
このように原始的な市は神々の示現する聖なる空間、神々が支配する場であることがその本質であったのであり、交換する場としての機能は、その非日常的で特殊な空間という特質と深く結びついていたようだ。
この市のことについては以前にこのブログ「六斎日(?)(?)」で詳しく書いたのでこれ以上は書かないのでそこで見てください。
「虹の橋」は天と地、現世と他界と言った異なるカテゴリーを結ぶという面を持っている。
人間の世界と神々の世界、あるいは生者の世界と死者の世界など、異なったカテゴリーに属する2つの世界の間には、その境界を明示するものとして何らかの自然の障壁がもうけられている場合が多い。
たとえば日本神話なら、葦原中国(地上界)と常世国(不老不死の理想郷)との間は広大な「海」によって、また黄泉国(死者の国)との間は巨岩でふさがれた「黄泉比良坂」(よもつひらさか)によって隔てられているとされている。また、仏教の世界においては、この世とあの世は「三途の川」によって分かたれている。
●上記の画像は、島根県松江市東出雲町の黄泉比良坂。Wikipediaより。
この三途の川のギリシア版がステュクス河だそうだ(※10:「Styx」参照)。
ギリシア神話に登場する虹の女神「Iris(イーリス)」は、輝く翼を持った女神が天空を翔ける姿だと言われるが、このイーリスも「黄金の水差しで冥界の河ステュクスの水を汲んだ」とされているそうだ(※10:「Styx」のイリスまた、※11参照)。この他神話における虹については神話の虹を参照。
ところで、このような虹の橋などの話から生まれたものと思うのだが、原作者不詳ながら、ペットを失った世界の動物愛好家の間で広く知られているという、有名な散文詩『虹の橋』がある。
Wikipediaによれば、作品は1980年代に作られたものと考えらているそうだが、正確な時期は不明らしい。英語で書かれた原文はアメリカで流布していたが、やがて世界中に広がり、日本でもこの詩の原文やいくつかの翻訳が広く知られているという。
亡くなったペットがその主人を待つこのような場所について語っている宗教は存在していないが、北欧神話に語られる「ビフレスト橋」が、神の国と人間の世界を繋ぐ「虹の橋」について伝えている。
ペットが生前の主人を待っている場所という訳ではなが、この世を越えた世界へと魂を導く場所としては類似性があるという。
●上掲に画はイギリスの挿絵画家アーサー・ラッカムが描いたビフレスト。Wikipediaより。
詩は次のような内容となっている。
この世を去ったペットたちは、天国の手前の緑の草原に行く。食べ物も水も用意された暖かい場所で、老いや病気から回復した元気な体で仲間と楽しく遊び回る。しかしたった一つ気がかりなのが、残してきた大好きな飼い主のことである。 一匹のペットの目に、草原に向かってくる人影が映る。懐かしいその姿を認めるなり、そのペットは喜びにうち震え、仲間から離れて全力で駆けていきその人に飛びついて顔中にキスをする。 死んでしまった飼い主=あなたは、こうしてペットと再会し、一緒に虹の橋を渡っていく。
●上掲の画は、虹の橋 緑の野原と動物たち。Wikipediaより。
ペット付きの人達にはたまらない詩だよね。詩の内容などはWikipedia虹の橋(詩)の外部リンクを参照されるとよい。
ここでは、以下のYouTubeのものを紹介しよう。感動ものですよ。これを見ながら、人と人、人と愛する動物との絆のこと、そして、虹の日のことを考えてみるのもよいのでは・・・・。
虹の橋 - YouTube
(冒頭の虹の画像は、Wikipediaより借用)
参考:
※1:虹の日公式サイト
http://www.716nijinohi.com/
※2:虹は本当に七色か - 一橋大学附属図書館
http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/tenji/owen/rainbow-color.html
※3:故事類苑-天部/虹〈氣 陽炎併入〉
http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/index.php?%E5%A4%A9%E9%83%A8%2F%E8%99%B9%E3%80%88%E6%B0%A3%E3%80%80%E9%99%BD%E7%82%8E%E4%BD%B5%E5%85%A5%E3%80%89
※4:虹と日本j文芸(十)続
http://ir.lib.sugiyama-u.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/205/1/H18OGINO.PDF
※5:日本人の思想とこころ(2)極楽往生の実践 ―その組織とケース・スタディ
http://www.araki-labo.jp/shiso53.htm
※6:南方熊楠 「十二支考 田原藤太竜宮入りの話」- 青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/1916_29070.html
※7:小人とクツ屋 グリム童話 <福娘童話集 きょうの世界昔話>
http://hukumusume.com/douwa/pc/world/03/13.htm
※8:英英辞典で英単語あてQ 37 rainbow(虹) - 英語クイズストリート
http://park1.wakwak.com/~english/quiz/eequize_37.html
※9:雑学考
http://suwa3.web.fc2.com/enkan/zatu/index.html
※10:原文『枕草子』全巻
http://www.geocities.jp/rikwhi/nyumon/az/makuranosousi_zen.html
※10:Styx
http://www.h6.dion.ne.jp/~em-em/page150.html
※11:イーリス(#IriV)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/iris.html
イシュタルの首飾り(1 )〜(5)
http://blog.goo.ne.jp/zi-nn-u-ru/c/0dec4949056248ec5765c30c11b7c81d
虹の立つ市(1)〜(4)
http://ot-blog.at.webry.info/theme/4a80dd0746.html
Title 虹と市 : 境界と交換のシンボリズム Author(s) 小野地, 健
http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/3609/1/kana-10-21-0003.pdf#search='%E5%AE%89%E9%96%93%E6%B8%85++%E8%99%B9%E3%81%AE%E6%A9%8B'
虹の色は、現代の日本では通常「七色」とされていますが、この起源はニュートンです
http://q.hatena.ne.jp/1240238161
清明号 - 日本伝統文化振興機構(JTCO)
http://jtco.or.jp/magazine-list/?act=detail&id=123
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/
虹 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%B9
由緒を見ると、“7と16で「ナナイロ=七色」と読む語呂合わせと、梅雨明けのこの時期には空に大きな虹が出ることが多いことから、この日を人と人、人と自然などが、七色の虹のように結びつく日にしようとデザイナーの山内康弘氏が制定。先輩世代が後輩世代をサポートする日にとの意味合いもあり、音楽を中心としたイベントなども展開する。”・・とある。
虹の日公式サイト(※1参照)を覗いてはみたのだが、何か音楽中心のイベントをしているようだが、私には一体何をしようとしているのかはよくわからなかった。カッコ良さが売り物のデザイナーとダサいわたしなどとの考え方や表現方法の違いからなのだろうが・・・。
私としては今日の記念日の趣旨はともかくとして、「虹の日」をテーマーにこのブログを書くことにする。
虹とは、赤から紫までの光のスペクトルが並んだ、円弧状の光であり、気象現象の中でも、大気光学現象に含まれる。
虹は太陽光が空気中の水滴がプリズムの役割をして、屈折(折れ曲がる)・反射(はね返る)して起きる現象であり、太陽光が反射して起こる現象であるから、虹は必ず太陽を背にした方向に現れる。
虹は鮮やかに見える場合とぼんやりしか見えない場合がある。それは、空気中の水滴の大きさに関係しており、水滴が大きいほど、色がくっきりみえる。
普通の虹は、光が分解されて、複数色の帯に見え、外側が赤、内側が紫と決まっている。虹の外から内側にかけて、赤、橙、黄、緑、青、紫となる。
日本では、虹の色の数は一般的に七色(赤、橙、黄、緑、青、藍、紫)と言われており、学校で、この色の順を覚えるのに、「あ〜かに だいだい きいろにみどり あ〜おに あ〜いに む〜らさき」なんて歌いながら覚えたのを思い出すが、現代の西洋人に虹を構成する色の数を問うと、たいてい六色以下で答えるそうで、アメリカやイギリスでは一般的に、赤、橙、黄、緑、青、紫の六色、ドイツでは赤、黄、緑、青、紫の五色と認識されているという。
また、日本でも『吾妻鏡』には健保6年6月11日「西方見二五色虹一、上一重黄、次五尺餘隔赤色、次青、次紅梅也、其中間又赤色」とあり、中世では虹は五色と見る観念があったようだ(※3の吾妻鏡のところを参照)が、日本で、虹を七色と認識するようになったのは、ニュートン(Isaac Newton 1643-1727)による太陽光線の分光実験に由来した学校教育によるものだそうである(※2参照)。
「にじ」(虹)の語源には諸説あるようだが、『万葉集』(巻14東歌相聞、3414。※3の万葉集のところ参照)には、伊香保の高い堰(せき)の上にくっきりと立つ虹は「努自」=「ノジ」と読み(「ヌジ」と読む説もあるようだが・・)、平安時代初期の『日本霊異記』(日本最古の仏教説話集)では「ニジ」とあり(※4参照)、極楽に行った大部屋栖野古が「五色の雲が虹のように北に伸びており」と極楽に延びる五色の雲が虹に喩えられている(※5)。
この「ノジ」「ニジ」の言葉には、蛇類を表す古語ナギ(ナジ)に通じるという説あもるようだ(天叢雲剣の「蛇の剣」のところを参照)。
漢字の「虹」は、「虫」+音符「工」の会意形声文字である。「虫=毒蛇の象形文字)」は空に上った蛇を意味し(双頭の蛇の伝説による象形文字も甲骨文字には見られるそうだ。下図参照)。
●上掲の文字は、双頭の蛇を象った甲骨文字である。
つまり、蛟(みずち、雨を降らせる水 神とされている蛇、または龍)が空を貫いている(「工」はあるものに穴を開け貫くを意味する会意文字。)で、古代の中国 人が虹を「天を貫く蛇(または龍)」に見立てたことに由来しているそうだ。
字の意義としては、1:はっきりと見えるにじの他、2::橋、3:乱す。4:潰れるなどがある。
この「にじ」と云ふ読みで漢和大辞典を引くと【虹】【霓】【蜺】【蝃】【蝀】の漢字が挙がっている。【虹】とは雄、【霓】【蜺】とは雌の「にじ」であるという。
「にじ」に雄も雌もあるのかと思はれるかもしれないが、これは古代中國人が「にじ」を龍と捉えた事に拠るという。
「虹」を意味する漢語表現に、「虹霓」(コウゲイ)がある。「虹霓」のように雄雌を表す漢字を組合わせた言葉は他にも「麒麟(キリン)」 「鳳凰(ホウオウ)」など中国ではよく見られる表現だ。虹が雄で、霓が雌。雨によって天地が結ばれ、竜が水を飲みにくるときに虹ができるのだそうだ。
虹の多色性の例外として「白虹」と呼ばれる現象があり、これは、現在の気象学では「暈(かさ)」等と見られる現象であるが、中国では古代、このような白虹が太陽を貫くことは、戦乱が起こるなどの凶兆ともされた(白虹貫日参照)。
日本にも古代より白虹思想は流入しており、中世の『吾妻鏡』では度々白虹の発生が記録されている(※3:「故事類苑」参照)。
一方で、普通の虹については、以下参考の※6:南方熊楠の「十二支考 田原藤太竜宮入りの話」に、以下のようにある。
“史書に、〈太昊(たいこう.=伏羲)景竜の瑞あり、故に竜を以て官に紀す〉、また〈女カ(じょか)黒竜を殺し以て冀州、また〈黄帝は土徳(陰陽家の徳の一つ)にして黄竜見(あらわ)る〉、また〈夏は木徳(土徳と同じ陰陽家の徳の一つ)にして、青竜郊に生ず〉など、吉凶とも竜の動静を国務上の大事件として特筆しており、天子の面を竜顔に比し、非凡の人を臥竜と称えたり。
漢高祖(劉邦)や文帝や北魏の宣武など、母が竜に感じて帝王を生んだ話も少なからず。”・・と。
この様に、、竜(虹)に感じて聖王(徳があり立派な政治を行う王・君主)を孕(はら)むといった吉兆(よいことが起こる前ぶれ。瑞祥。吉相)を示すこともあり、吉凶両方の言い伝えが残っている。
虹を英語では「レインボー(Rainbow)」と言う。“Rainbow”は、雨(rain)+弓(bow)。雨によってできる弓、つまり、「雨の弓」を意味しているが、虹の多くは雨がやんだ後に天空に現れるものを指す。しかし、雨上がりに限らず滝や噴水で見られる虹もあり、英語では、そんな虹は“sunbow”と言う。
また、フランス語では “arc-en-ciel”(アルカンシエル)といい、「空に掛かるアーチ」を意味するそうだ。語源を辿れば、みな同じようなことを意味している。
いずれにしても、空高く、あたかも天空にかかった美しい橋のように見える虹は、多くの子供たちにとってロマンティックな夢を誘う代表的なものだろう。
子供の頃、虹の立つところに黄金などの財宝が埋まっているという話を聞かされ、こころをときめかした経験を持つ人も少なくないのではないか。
アイルランドの民間伝承に出てくるレプラコーン(leprechaun)という小さな小さな妖精は、虹の麓(虹と地面が接している場所)に黄金を隠しているのだと言われている。
このレプラコーンは、靴職人とされ、グリム童話『小人の靴屋』(※7 )に登場する妖精とはこのレプラコーンのことと言われる。
レプラコーンは妖精の中でもとびきりの働き者で、長年かかって貯め込んだ財宝は厖大な量になると言われており、うまく捕まえることができると黄金のありかを教えてくれるが、彼らは隠れ上手なので大抵の場合、黄金を手に入れることはできないという。
そのようなことから決して見つからないレプラコーンの黄金入りの壷。「実現不可能な叶わぬ夢」のことをこの壷に喩えて、英語では、「a pot of gold at the end of the rainbow」と言うらしい(※8)。
ドイツの伝承によると、虹の根元には金のカップがあるとされているそうだ。
虹は水を飲みに天から現れるのだが、虹が水を飲んでいる間に虹の根元に辿り着ければ、そのカップを手に入れることができる。そして、一生、持ち主に幸運をもたらし、手放すとたちまち不幸に見舞われるというカップ。
中国の『異苑』では虹が釜の中の酒を飲みに来て、あとに金塊を吐いていくという(※9:「雑学考」の虹のカップの話参照)。
この虹の立つところに黄金・財宝・幸運ありとする信仰は、世界各地に広く存在したが、我が国でも、前に述べた平安初期の仏教説話集『日本霊異記』に、その類和が乗せられているのをはじめ、このような話は、近代にいたるまで全国各地に伝承され続けてきた。
そして、同じく、興味深いことに、中世の史書や貴族の日記には、虹の立つところに市をたてなければならないという慣行が存在したことが記されている。
中世の貴族たちは、虹を奇瑞と考え、虹が現れると、公的に天文博士などにそれが、吉祥か災異かを卜定(ぼくじょう。吉凶を占い定めること)させたと『故事類苑』に記されている(※3「故事類苑」の冒頭p−310のところを参照)が、一方民間信仰のもとで、「世間の習、虹見ゆるところ市を立つ」(※3「故事類苑」のp316“虹見處立市”のところ参照)とあるように、そこがいかなる場であれ、数日間市をたて、売買を行うべきであるという観念に縛られており、朝廷の池などに虹が現れたときには、大いに困惑したようだ。
このように民間の俗信にもとづいて、平安時代から戦国時代にいたるまで、現実に各地に市が立てられたことが資料的に確認されるが、おそらくその源はもっと古く、また、民間の慣行としては、もっと後まで継承されたと思われる。
私の蔵書「週刊朝日百科日本の歴史」(51)を見ると、“マリノフスキーが紹介した、トロブリアンド諸島(パプアニューギニア東部)のクラと呼ばれる部族間の原始的交換儀式の際、呪術師によって虹を呼び出す呪詩が唱えられるという事例からいって、虹はおそらく我が国の原初的な市、さらには、原初的な交換の観念と密接な関係をもっていたといえよう。”・・・とある。
そして、民俗学者の安間清は、我が国だけでなく、世界各地の虹についての俗信のひとつの大きな流れとして虹は天地をつなぐ橋、つまり、「虹の橋」という共通した観念の存在を紹介しており、「精霊は虹を通って往来する」「神は虹によって旅をする」「死者の霊魂の他界への通路」「虹は天女が入浴するとき、天降(あまくだ)ってくる橋」などの俗信が、世界各地に存在し、また多くの民族の神話のなかでも虹は天と地との間の橋であることを明らかにしているという。
また、我が国でも、「虹は天国から地上に向かって出る」「虹は天の橋」などの伝承が残り、それらから、『日本書紀』『古事記』の創世神話(国産み)にみられる「天の浮橋」を虹と解することも可能であり、我が国にも天神が虹を通って、下界へ降ってくるという信仰があったことを想定している。
このように虹は天界(他界)と俗界とを結ぶと考えられていたのであり、虹が立てばその橋を渡って神や精霊が降りてくると信じられ、地上の虹の立つところは、天界と俗界の境にある出入り口で、神々の示現する場であった。
そのため、虹の立つところでは、神迎えの行事をする必要があり、その祭りの行事そのものが、市を立て、交換を行うことであったのである。
我が国の市の起源は、主としてその語源を探ることによって、身を清めて神に奉仕する「斉(いつき)」という話と結びつけられている。
すなわち「斉(いつ)く地」が「イチ」と縮んだとされているが、以上みてきたような虹と市の関係を媒介とするならば、この語源説は妥当性をもつといえる。
中世の市が三斉市、六斉市、という斉日に立てられ、三斉市・六斉市といわれたのもこの日が天界から四天王が下界に降りてくる日されていたからである。
『枕草子』には「おぶさの市」という市の名があげられている(※10「枕草子」の14:市は参照)。
おぶさは虹を指す語であるから、当時「虹の市」という名称が現実に存在していたことになる。
このように原始的な市は神々の示現する聖なる空間、神々が支配する場であることがその本質であったのであり、交換する場としての機能は、その非日常的で特殊な空間という特質と深く結びついていたようだ。
この市のことについては以前にこのブログ「六斎日(?)(?)」で詳しく書いたのでこれ以上は書かないのでそこで見てください。
「虹の橋」は天と地、現世と他界と言った異なるカテゴリーを結ぶという面を持っている。
人間の世界と神々の世界、あるいは生者の世界と死者の世界など、異なったカテゴリーに属する2つの世界の間には、その境界を明示するものとして何らかの自然の障壁がもうけられている場合が多い。
たとえば日本神話なら、葦原中国(地上界)と常世国(不老不死の理想郷)との間は広大な「海」によって、また黄泉国(死者の国)との間は巨岩でふさがれた「黄泉比良坂」(よもつひらさか)によって隔てられているとされている。また、仏教の世界においては、この世とあの世は「三途の川」によって分かたれている。
●上記の画像は、島根県松江市東出雲町の黄泉比良坂。Wikipediaより。
この三途の川のギリシア版がステュクス河だそうだ(※10:「Styx」参照)。
ギリシア神話に登場する虹の女神「Iris(イーリス)」は、輝く翼を持った女神が天空を翔ける姿だと言われるが、このイーリスも「黄金の水差しで冥界の河ステュクスの水を汲んだ」とされているそうだ(※10:「Styx」のイリスまた、※11参照)。この他神話における虹については神話の虹を参照。
ところで、このような虹の橋などの話から生まれたものと思うのだが、原作者不詳ながら、ペットを失った世界の動物愛好家の間で広く知られているという、有名な散文詩『虹の橋』がある。
Wikipediaによれば、作品は1980年代に作られたものと考えらているそうだが、正確な時期は不明らしい。英語で書かれた原文はアメリカで流布していたが、やがて世界中に広がり、日本でもこの詩の原文やいくつかの翻訳が広く知られているという。
亡くなったペットがその主人を待つこのような場所について語っている宗教は存在していないが、北欧神話に語られる「ビフレスト橋」が、神の国と人間の世界を繋ぐ「虹の橋」について伝えている。
ペットが生前の主人を待っている場所という訳ではなが、この世を越えた世界へと魂を導く場所としては類似性があるという。
●上掲に画はイギリスの挿絵画家アーサー・ラッカムが描いたビフレスト。Wikipediaより。
詩は次のような内容となっている。
この世を去ったペットたちは、天国の手前の緑の草原に行く。食べ物も水も用意された暖かい場所で、老いや病気から回復した元気な体で仲間と楽しく遊び回る。しかしたった一つ気がかりなのが、残してきた大好きな飼い主のことである。 一匹のペットの目に、草原に向かってくる人影が映る。懐かしいその姿を認めるなり、そのペットは喜びにうち震え、仲間から離れて全力で駆けていきその人に飛びついて顔中にキスをする。 死んでしまった飼い主=あなたは、こうしてペットと再会し、一緒に虹の橋を渡っていく。
●上掲の画は、虹の橋 緑の野原と動物たち。Wikipediaより。
ペット付きの人達にはたまらない詩だよね。詩の内容などはWikipedia虹の橋(詩)の外部リンクを参照されるとよい。
ここでは、以下のYouTubeのものを紹介しよう。感動ものですよ。これを見ながら、人と人、人と愛する動物との絆のこと、そして、虹の日のことを考えてみるのもよいのでは・・・・。
虹の橋 - YouTube
(冒頭の虹の画像は、Wikipediaより借用)
参考:
※1:虹の日公式サイト
http://www.716nijinohi.com/
※2:虹は本当に七色か - 一橋大学附属図書館
http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/tenji/owen/rainbow-color.html
※3:故事類苑-天部/虹〈氣 陽炎併入〉
http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/index.php?%E5%A4%A9%E9%83%A8%2F%E8%99%B9%E3%80%88%E6%B0%A3%E3%80%80%E9%99%BD%E7%82%8E%E4%BD%B5%E5%85%A5%E3%80%89
※4:虹と日本j文芸(十)続
http://ir.lib.sugiyama-u.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/205/1/H18OGINO.PDF
※5:日本人の思想とこころ(2)極楽往生の実践 ―その組織とケース・スタディ
http://www.araki-labo.jp/shiso53.htm
※6:南方熊楠 「十二支考 田原藤太竜宮入りの話」- 青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/1916_29070.html
※7:小人とクツ屋 グリム童話 <福娘童話集 きょうの世界昔話>
http://hukumusume.com/douwa/pc/world/03/13.htm
※8:英英辞典で英単語あてQ 37 rainbow(虹) - 英語クイズストリート
http://park1.wakwak.com/~english/quiz/eequize_37.html
※9:雑学考
http://suwa3.web.fc2.com/enkan/zatu/index.html
※10:原文『枕草子』全巻
http://www.geocities.jp/rikwhi/nyumon/az/makuranosousi_zen.html
※10:Styx
http://www.h6.dion.ne.jp/~em-em/page150.html
※11:イーリス(#IriV)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/iris.html
イシュタルの首飾り(1 )〜(5)
http://blog.goo.ne.jp/zi-nn-u-ru/c/0dec4949056248ec5765c30c11b7c81d
虹の立つ市(1)〜(4)
http://ot-blog.at.webry.info/theme/4a80dd0746.html
Title 虹と市 : 境界と交換のシンボリズム Author(s) 小野地, 健
http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/3609/1/kana-10-21-0003.pdf#search='%E5%AE%89%E9%96%93%E6%B8%85++%E8%99%B9%E3%81%AE%E6%A9%8B'
虹の色は、現代の日本では通常「七色」とされていますが、この起源はニュートンです
http://q.hatena.ne.jp/1240238161
清明号 - 日本伝統文化振興機構(JTCO)
http://jtco.or.jp/magazine-list/?act=detail&id=123
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/
虹 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%B9