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歌舞伎俳優十八代目中村勘三郎忌日

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今日・2013(平成25)年12月5日は十八代目 中村 勘三郎の一周忌にあたる(享年57)。
10月27日夜には、東京・築地本願寺で十八世中村勘三郎(享年57)の一周忌を前に、故人を偲ぶイベント『一周忌メモリアルイベント』が敷地内の屋外に設けられた特設ステージで約2時間にわたって開催された。
その最後には、長男の中村勘九郎(6代目と次男の中村七之助(2代目)、孫の七緒八くん(2歳)による歌舞伎舞踊『偲草鶴競猿若舞(しのびぐさつるくらべさるわかまい)』の振りの踊りを初披露。3300人の大観衆を前にたじろぐことなく、見得を切ってみせた孫の七緒八くんの姿が印象的(※1)。さすが「蛙の子は蛙」である。また、勘三郎と妻好江さんの結婚記念日でもある11月17日には一周忌法要と納骨式も行われた。

十八代目中村勘三郎、本名は波野 哲明(なみの のりあき)。
屋号中村屋定紋角切銀杏、替紋(定紋に替えて用いる、略式または装飾の紋。裏紋。副紋のこと)は丸に舞鶴。舞踊名に藤間勘暢(ふじま かんちょう)がある。子役時代から46年間名乗った前名、五代目 中村 勘九郎としても知られた。
父 は、人間国宝・十七代中村勘三郎、 母 波野 久枝は、六代尾上菊五郎の娘。兄弟には、長姉・波乃久里子(新派女優)、次姉・千代枝(夫は二代目澤村藤十郎で義兄にあたる)。
日本舞踊中村流二代目中村梅彌は義姉、九代目中村福助三代目中村橋之助は義弟にあたる。
1980(昭和55)年に結婚し、以来勘三郎を影で支えてきた妻の波野好江は、七代目中村 芝翫の次女であり、梨園の名門の家系の2人の結婚は「梨園の役者はほとんどが親戚関係になった」と言われるほどの名門同士の結婚だった(※2参照)。
2人の間には、長男・六代目中村勘九郎、次男二代目中村七之助がおり、孫の波野七緒八くんは、勘九郎の長男である。

江戸で初めての常設の芝居小屋となった猿若座/中村座(江戸三座のひとつ)の創始者猿若勘三郎(初代中村勘三郎)は、山城(今の京都)の武士中村勘兵衛の次男として生まれ、狂言師の兄らと大蔵流狂言を学び、その経験を生かして創作した生涯の傑作が舞踊『猿若舞』である。
『偲草鶴競猿若舞』は中村屋に代々伝わる演目で祝の際に必ず踊られる『猿若舞』を今回の一周忌イベントのため特別にアレンジしたものらしい。
勘九郎の孫七緒八くんの稽古は勘三郎の妻好江さんがつけていたそうだ。孫の物怖じしない演技を見て、亡き勘三郎もほっとしていることだろう。
中村座の定式幕は、左から「黒」「白」「柿色」の引き幕だった。「白」の使用は中村座に限って幕府から特別に許された色であったそうだ。現在は十八代目中村勘三郎の襲名興行や平成中村座の公演などで使用されている。

●因みに上掲の画像は、マイコレクションより、1992年(平成4)年12月3日、神戸文化ホールで公演された中村勘九郎親子共演のチラシである。
当時、五代目中村勘九郎(十八代中村勘三郎)は、第一部で祝儀ものの歌舞伎舞踏『七福神』を、第二部では、長男の当時二代目中村勘太郎(六代中村勘九郎)11歳と、次男の二代目中村七之助9歳が、『宝船』を演じ、五代目中村勘九郎は『まかしょ』を演じている。いずれも藤間勘十郎(七世、現:三世藤間勘祖)振り付けによるもの。

江戸の世話狂言から上方狂言(上方歌舞伎)、時代物(江戸時代から見た時代劇)、新歌舞伎から新作と、どんな役でも圧倒的な芸の力で見る人を引きつけて放さなかった稀代の歌舞伎役者十八代目中村 勘三郎。 (演目については、※3の歌舞伎の演目>演目の分類参照)
性格が明るく、天性の輝きをもっていて登場すれば、その場がぱあっと明るくなる、太陽な様な存在の人であった。
名子役として1955(昭和330)年3歳で五代目勘九郎として『昔噺桃太郎』で初舞台に立った。
尊敬する祖父・六代目菊五郎の芸を継ぐ正統派として、舞踊では『鏡獅子』(★)や『京鹿子娘道成寺』(★)など、世話物では『髪結新三』、『隅田川続俤−法界坊』(★)など、時代物では『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』と並ぶ歌舞伎の3大名作『菅原伝授手習鑑』の梅王丸や松王丸など、歌舞伎を代表する役々で見事な芸を見せている。

●上掲の画象は、マイコレクションより、京都・南座の新装開場記念と銘打った「十月大歌舞伎」(1992[平成4]年10月2日初日〜26日千穐楽)のチラシである。
昼の部は、一、『平家女護島- 俊寛』と、三の『ら く だ』(★)に出演。二、『京鹿子娘道成寺』は中村富十郎が演じている。夜の部の通し狂言『青砥稿花紅彩画-白浪五人男』に出演している。
画像は、夜の部の江戸市村座で初演された世話物・通し狂言『青砥稿花紅彩画-白浪五人男』の弁天小僧菊之助を演じる勘九郎。
白浪物」は盗賊が活躍する歌舞伎狂言を総称する名前である。二幕目第一場(雪の下浜松屋の場)での女装の美男子・弁天小僧菊之助の名乗り(男であることを明かして彫り物を見せつける)の名場面である。

伝統的な歌舞伎を演じる一方で、梨園の壁を越え、演出家の串田和美と組みコクーン歌舞伎を立ち上げて、俳優の笹野高史を抜擢(第1回演目:『東海道四谷怪談』)。『夏祭浪花鑑』(第2弾1996年)など斬新な舞台で若者を歌舞伎に引き込んだ。
新作にも意欲的で、劇作家野田秀樹と組んだ『野田版 研辰の討たれ』(★第1作。木村錦花原作の歌舞伎狂言『研辰の討たれ』を野田秀樹が新しい視点で書き直し演出した舞台)など一連の作品(『野田版 鼠小僧』(★)や『野田版 愛陀姫』[オペラ「アイーダ」を野田秀樹氏が歌舞伎に書き換えた作品]が知られている)にも出演。これら一連の新作歌舞伎は古典に現代の息吹きを吹き込む新ジャンルへと発展した。
これら作品は、宮藤官九郎(「大江戸りびんぐでっど」★)や三谷幸喜(『決闘! 高田馬場』)等人気劇作家にも古典の筆を執らせる力強い呼び水ともなり、映画監督の山田洋次に『人情噺文七元結』(★三遊亭円朝の落語『文七元結』が原作の歌舞伎の台本)の補綴・演出を手がけてもらうなど、数々の野心的な試みにも意欲的に取り組んできた。
なお今まで書いてきた中で『野田版 研辰の討たれ』等作品の備考()に★印のあるものは、松竹株式会社が制作するシネマ歌舞伎でも公開されている。
シネマ歌舞伎は、歌舞伎の舞台公演を高性能カメラで撮影しスクリーンで上映する手法であり、2005(平成17)年1月、最初の作品である『野田版 鼠小僧』(2003年8月歌舞伎座にて上演)が東京・東劇で公開され、それに続く勘三郎の第2弾(映画全体では第4弾)として公開されたもの。この作品も『野田版 鼠小僧』同様、勘三郎襲名披露の時に演じたもので、勘三郎にとっては記念すべき特別な作品と言えるだろう。
以下参考の※4:「シネマ歌舞伎| 松竹」で作品の粗筋説明と映画予告編を見ることができる。『野田版 研辰の討たれ』等こんな歌舞伎があるのかと驚くほど面白い。以降の物でも★印のあるものは見ることが出来るので、ちょっと覗いてみるとよいだろう。
シネマ歌舞伎公開時のインタビュー記事もある参考の※5も見てみるとよい。

●因みに、上掲の画象は、マイコレクションのチラシより、シネマ歌舞伎第一弾・中村官九郎、十八代目中村勘三郎襲名記念『野田版 鼠小僧』(平成17年9月3日〜16日、梅田ブルク7で上映のもの)である。

勘三郎は江戸の中村座が栄えた浅草に歌舞伎小屋を作るのが夢であった。実現しなかったが、2000(平成12)年11月に江戸時代の芝居小屋を模した仮設劇場を設営して「平成中村座」と名付け歌舞伎『隅田川続俤 法界坊』を上演したのを皮切りに、会場はその時によって異なるものの、ほぼ毎年「平成中村座」を冠した公演を国内外をめぐり行い、大阪で初公演は2002(平成14)年11月、扇町公園内に特設した芝居小屋で、『隅田川続俤 法界坊』 『夏祭浪花鑑』が上演された。
また、2004(平成14)年ニューヨークでは『夏祭浪花鑑』を上演、喝采を浴びた。
平成中村座は、2006(平成18)年の名古屋平成中村座公演以降は、既存の施設を利用しての公演も行われている。
平成中村座公演の特色の一つは、江戸時代の芝居小屋である中村座の雰囲気を模した劇場空間である。
その特徴として、先にも述べた江戸時代に中村座で使用されていた「(左から)白・柿色・黒」の定式幕が使われることや、劇場の内外に中村屋の紋である「角切銀杏」が描かれることなどが挙げられる。
一昨年(2011年)秋からの平成中村座浅草公演は2012(平成24)年5月まで7か月も続いた。初参加の若い俳優が舞台をにぎわせ、長男勘九郎の襲名披露もした昨年3月の中村座(※6のここ参照)の日々はある意味夢の結実だったのかもしれない。
1999年のNHK大河ドラマ『元禄繚乱』で主役の大石内蔵助役を演じ、同年紅白歌合戦で白組司会を務めるなどお茶の間や映画などでも親しまれた。
2004(平成16) 年12月、歌舞伎座上演の渡辺えり子脚本・演出による『苦労納御礼・今昔桃太郎』(くろうの かいあり かんしゃ かんしゃ・いまはむかし ももたろう)の桃太郎で五代目勘九郎としての舞台納めwをした。勘九郎4歳での初舞台作品(『昔噺桃太郎』)を洒落のめした舞踊劇(※7参照)。勘九郎が初舞台から手掛けてきた舞踊の数々をダイジェスト版で踊り抜く。「藤娘」から始まり、「連獅子」の仔獅子に終わる。
2005年(平成17年)3月3日、同じく歌舞伎座『鬼一法眼三略巻』4段目「一條大蔵譚」(※8参照)の一條大蔵卿、『近江源氏先陣館』「盛綱陣屋」(※9参照)の佐々木盛綱ほかで十八代目中村勘三郎を襲名。以後5月まで3ヵ月間にわたる襲名興行は十二代目市川團十郎以来の事。
前年の記者会見では、「大好きな父に恥ずかしくない勘三郎になりたい。勘九郎の45年間の方が恐らく役者人生としては長い。年数でなく、中身の濃い勘三郎時代にしたい」と語っていたという(2012年12月6日朝日新聞より)。
2010(平成22)年暮れから体調を崩し2011(平成23)年過労の蓄積を理由に2月に出演予定だった舞台を休演。特発性難聴であったことを明らかにした。
同病から復帰して、同年11月から2012(平成24)年5月までロングランで浅草の平成中村座公演に出演。3月の、長男・中村勘太郎の「6代目中村勘九郎襲名披露大歌舞伎」の出番が終わった後、隅田川の屋形船で臨んだ取材では「俺には芝居しかないからね、戻れて本当にうれしいよ、還暦にはこの浅草で中村座で助六をやりてえなあ」と語っていたというが、最後の5月公演出演直後の6月に食道がんを公表、摘出手術を受けた。手術には成功したものの新たに肺炎を発症闘病を続けていたが、12月5日に死去。
この日、京都・南座で長男、勘九郎の襲名披露の真っ最中でであった。また、2013(平成25)4月、東京に新装開場した新しい歌舞伎座の舞台に立つことなく逝ってしまった。
伝統的な歌舞伎を演じる一方で、梨園の壁を越え新しい試みに挑戦し、革新的な舞台を創造しつづけてきた勘三郎が、「伝統」という言葉にこだわり、それを重んじていた理由は、本来の歌舞伎の原点ともいえる破天荒さ、そして懐の深い江戸歌舞伎を現代に生きる歌舞伎としてよみがえらせることであったようだ。
志半ばで突然降りた人生の幕。どれほど心残りであり、残念に思っていただったろうか。その早すぎる死は、あまりにも惜しいとしか言いようがないが、その理想の芝居を生涯夢見た勘三郎魂は、二人の息子又、その他の梨園の人達に受け継がれてゆくことだろう。
今日は、そんな勘三郎の演技を見ながら在りし日の彼を偲ぶことにしよう。以下、1〜4まである。ゆっくり楽しまれるとよい。

追悼十八代目中村勘三郎「連獅子」1-YouTube
公開日: 2012/12/05

冒頭の画象は、コレクションの映画チラシ平山秀幸監督『やじきた道中 てれすこ』(2007[平成1999]年公開)。喜多さん役の柄本明とコンビを組んで弥次さん役で出演する。中央が弥次さん役の勘三郎。

参考:
※1:中村勘三郎さん一周忌で勘九郎親子が演舞披露 七緒八くんも本番強さ見せた
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131025-00000352-oric-ent
※2:梨園家系図- 近現代・系図ワールド
http://kingendaikeizu.net/geinou/rien.htm#keizu1
※3:歌舞伎への誘い
http://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/index.html
※4:シネマ歌舞伎| 松竹 | 作品ラインアップ
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/index.html#lineup
※5:シネマ歌舞伎『野田版 研辰の討たれ』中村勘三郎インタビュー
http://doraku.asahi.com/entertainment/movie/special/080109.html
※6:歌舞伎公演データーベース
http://www.kabuki.ne.jp/kouendb/
※7:歌舞伎美人 | 勘九郎から勘三郎へ
http://www.kabuki-bito.jp/news/2005/01/_photo_21.html
※8:「鬼一法眼三略巻」四段目『一条大蔵譚』- 歌舞伎見物のお供
http://blog.goo.ne.jp/yokikotokiku/e/c54b91c078cbf05c1e86e993179a1c33
※9:「盛綱陣屋」(近江源氏先陣館)-歌舞伎見物のお供
http://blog.goo.ne.jp/yokikotokiku/e/0e358e29ed3312dd532a19eb0b497bf6
歌舞伎公式総合サイト:歌舞伎美人
http://www.kabuki-bito.jp/
 歌舞伎俳優名鑑
http://www.kabuki.ne.jp/meikandb/omoide/
歌舞伎事典|文化デジタルライブラリー
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc_dic/dictionary/dictionary.html
歌舞伎文庫:歌舞伎用語解説
http://www.eonet.ne.jp/~jawa/kabuki/yougokaisetu.html
サンスポ:勘三郎さん“親子三代共演”スクリーン越し夢叶った! (1/3ページ)
http://www.sanspo.com/geino/news/20131028/oth13102805050012-n2.html
msn産経ニュース中村勘三郎:「破天荒こそ伝統、生涯かけて貫く」1〜4
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/photos/121205/ent12120520540023-p1.htm
歌舞伎俳優名鑑:中村 勘三郎 (十八代目)
http://www.kabuki.ne.jp/meikandb/omoide/actor/55
歌舞伎座−歌舞伎・演劇|松竹株式会社
http://www.shochiku.co.jp/play/kabukiza/
歌舞伎文庫
http://www.eonet.ne.jp/~jawa/kabuki/kabukibunko.html
中村勘三郎 (18代目) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%8B%98%E4%B8%89%E9%83%8E_(18%E4%BB%A3%E7%9B%AE)

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