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「人口政策確立要綱」が閣議決定された日

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1941(昭和16)年の今日・1月22日は1夫婦の出産数を平均5児とすることを目標に「人口政策確立要綱」が閣議決定された日である。その内容がどんなものか、当時の新聞記事(大阪朝日新聞 1941.1.23=昭和16年。※1参照)を見てみると、以下のように書かれている。
昭和三十五年総人口一億を目指す
人口政策確立要綱【閣議決定】
大共栄圏の確立を目標として歴史的巨歩を踏み出したわが国はその東亜における先導者たる使命達成のため今や急激かつ永続的な人口の量的ならびに質的の飛躍的発展増殖が要請せられるにいたり右人口政策の確立につき企画院厚生省(現厚生労働省の前身)が中心となり研究中であったが成案を得るにいたり政府は昭和三十五年内地人人口一億を目標とする人口政策確立要請案を二十二日の臨時閣議に付議星野企画院総裁より要案の説明をなし金光厚相、石黒農相、橋田文相および東条陸相より人口政策確立の適切急務なる百発言あり正式閣議決定をなした、しかして政府は右確立要綱に本づき急速施策を実施し日本民族の悠久なる発展を期するとともにその人口配置の適正化をはかり東亜における指導力確保の不動国策の達成に邁進することとなった、要綱中特に注目すべきは人口増加の方策として出生増加のため今後十年間に婚姻年齢を現在よりおよそ三年早め一夫婦の出生数平均五児(現在平均四児)を基本目標としこれが方策として婚資貸付制度、独身税、家族負担調整金庫制度(仮構)などを取上げている点および国土計画の一環として人口の産業的、地域的分布の再編成のため農村人口の一定保有、大都市の地方分散を企図している点である。
 しかして政策は同日人口政策確立要綱および右に関する金光厚相および伊藤情報局総裁談を発表した。
・・・と、して、以下「人口政策確立要綱」の、趣旨(第一)、目標(第二)、目的を達成するために摂るべき方策はどのような精神を確立することを旨として計画するか(第三)、具体的な人口増加の方策、が詳しく書かれている(詳細は※1参照)。

「帝国の荒廃はこの一戦にあり」
1941(昭和16)年12月8日、日本は、アメリカ、イギリス、オランダと戦争に突入した。日本軍はまず英領マレー半島に奇襲上陸(マレー作戦)、その後にハワイの真珠湾を猛攻した(真珠湾攻撃)。太平洋戦争第二次世界大戦の局面の一つ)が始まった。
太平洋戦争とは、1941(昭和16)年〜45(昭和20)年の間、日本がアメリカ海軍が多数駐留するハワイの真珠湾を攻撃し始まった戦争である。
本来、第二次世界大戦は、主にヨーロッパでの戦争のはずだが、なぜ、日本とアメリカまでが争うことになったのだろうか?
それについては、Wikipedia -太平洋戦争開戦前史又、その簡潔な概略などは以下参考の※2:「太平洋戦争の原因と結末」を参考にされるとよい。
ハワイ作戦は奇跡的な成功だった。だが、奇襲はアメリカ国民を総決起させる結果となった。初戦の大戦果に日本人は熱狂したが、早期和平は一気に遠のく結果となった。
時代が時代だけに、当時の日本にとっては、欧米諸国(特に大英帝国・アメリカ合衆国)の植民地支配から東アジア・東南アジアを解放し、東アジア・東南アジアに大日本帝国を盟主とする共存共栄の新たな国際秩序を建設しようという構想のもと東亞共榮圏を確立し,これを存続させるためには、人口を増加し優秀な人材を育てるための人口政策の確立が必要と考えたのであろう。そのためには、昭和35年に内地の総人口を1億人にするため、10年間で平均婚姻年齢を3年早め、夫婦の出生数を平均5人にするという壮大な計画であった。
ただし、今日から見て、その達成手段等については批判も多々あるところだろう。昨年の朝日新聞の有名なコラム「天声人語」(2013年5月21日付)では、「閣議決定されたその文書にはすごいことが書いてある。」・・・との書き出しで、この時の「人口政策確立要綱」について批判的に取り上げていたのを思い出した。
以下詳しい記事は覚えていないので、ネットで検索した、※3のものを転載すると以下のようになる。

「閣議決定されたその文書にはすごいことが書いてある。結婚年齢を今より3年早くする。子どもは平均5人とする。女性の就業は抑制する。独身者は税金を重くする。避妊、堕胎は禁止する――
▼1941年1月の「人口政策確立要綱」である。太平洋戦争の前夜、東亜共栄圏を建設するため、人口を急激に「発展増殖」させる方策だ。もちろん今日、こんな決定は通るまい。とはいえ底を流れている発想はけっこう根強いのかもしれない
▼6年前、1度目の安倍政権の閣僚が女性を「産む機械」に例え、「頑張ってもらうしかない」と言って、大騒ぎになった。そのとき各党は「人口政策」という言葉で批判した。国のために産んでくれという発想はまさに同じだったからだ
▼いまの安倍政権もそうだとは思わないが、脇は締めた方がいい。内閣府が「生命(いのち)と女性の手帳」(仮称)の配布を検討し、随分批判されている。妊娠や出産に関する正しい知識を「啓発」するのだという。要は若いうちに産んだ方がいいよ、と
▼知識はあるにこしたことはないが、少子化対策の文脈で出てきた話である。子どもが減ったのは女性だけの責任なのか、という議論になるのは当然だろう。森雅子少子化相は男性に配らないとは言っていないというが、どうなるやら
▼結婚や出産は一人一人の選択であり、多様な人生が等しく尊重されなければならない。特定の生き方や家族のあり方を国が促したり、押しつけたりする。それを余計なお世話という。 」・・・・と。

「天声人語」の辛口のコラムは大学や就職の入試問題などにもよく引用されたりすることが多かったことから、私も学生時代から愛読しており、今でもよく、ブログなどで引用させてもらってもいる。
ただ、このコラムでは安倍内閣の少子化対策を批判しているようだが、「もちろん今日、こんな決定は通るまい」と断りながらも、「とはいえ底を流れている発想は同じだ」「国のために産んでくれという発想はまさに同じだ」と、わざわざ太平洋戦争前の大東亜共栄圏建設のための人口政策を引き合いに出しているところが如何にも朝日新聞流であり、少々嫌味を感じるところである。
最初の「独身者は税金を重くする」・・というのは、「人口政策確立要綱」の報道の時にも、基本目標達成の方策として婚資貸付制度、家族負担調整金庫制度(仮構)などと共に「独身税」を取り上げている・・としているが、同要綱の第四 人口増加の方策では、「ト、扶養家族大きものの負担を軽減するとともに独身者の負担を加重するなど租税政策につき人口政策との関係を考慮すること」としているのであり、独身者よりも、子供を育てる家族の税負担を軽減する方策が悪いとは言えないだろう。
次の「安倍政権の閣僚が女性を「産む機械」に例え、「頑張ってもらうしかない」と言って、大騒ぎになった」・・というのは、2007年1月27日、島根県松江市で開かれた自民党県議の集会で当時の厚生労働大臣柳澤 伯夫が、少子化対策に触れて『なかなか女性は一生の間にたくさん子どもを生んでくれない。 人口統計学では、女性は15〜50歳が出産する年齢で、その数を勘定すると大体わかる。ほかからは生まれようがない。』(要約)、『産む機械っつちゃなんだけども、装置がですね、もう数が決まっちゃったと、機械の数、機械っつちゃ***けども、そういう時代が来たということになると、あとは一つの、まあ、機械って言ってごめんなさいね その産む、産む役目の人が、一人頭で頑張ってもらうしかないんですよ、そりゃ』(音声書き起こし)、『一人当たりどのぐらい産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1.26。2055年まで推計したらくしくも同じ1.26だった。 それを上げなければならない。』(要約)などの発言をした(Wikipedia-柳澤伯夫より引用)ことを言っているのだろう。
ここでは、「機械って言ってごめんなさいね」と断った上で、確かに例えは悪いかもしれないが、内容的には「高齢出産では出生率が落ちるので子供を産むならもう少し若いうちに子供を産んでもらいたい」との希望を言っているに過ぎないと思うのだが、それを、「機械」という言葉尻だけを捕まえて、女性を「産む機械」に例えたとマスコミが歪曲して報道し、大騒ぎになったのではないだろうか。この様なやらせ的な報道の仕方は、最近の、マスコミではよく目にするところだ。
又、コラムでは「子どもが減ったのは女性だけの責任なのか、という議論になるのは当然だろう。」・・・と書いているが、子供は女性一人だけでいくら頑張っても産めるものではないのはわかりきっていることであり、子供の出生の減少には男性にもその責任があるのは当然であろう。
政府は昨年5月7日、少子化対策を議論する作業部会「少子化危機突破タスクフォース」(※4、参照。主宰・森雅子少子化担当相)の会合を開き、若い女性向けに妊娠・出産に関する知識や情報を盛り込んだ「生命と女性の手帳」を作製し、10代から配布する方針を決めた。
晩婚化晩産化が進む中、若い世代に妊娠・出産について関心を持ってもらうのが狙いで、来年度からの配布を目指す予定の様である。
これに対し、女性団体などからは「妊娠・出産を女性だけの問題のように扱っている」など批判の声が上がっているようである(※5参照)。
日本産科婦人科学会(※6参照)の調査では2008(平成20)年に不妊治療を受けた患者は30代後半が中心だが、妊娠数は35歳を境に減少。出産率(出生率)は32歳から下がり始め、流産率は逆に上昇することが分かっているという。
したがって、会合では早い時期に妊娠・出産について正しい知識を身につけてもらうことが、将来的に希望する家族の形成に効果的との認識で一致しているという。
森少子化担当相は同日、会見で「中高生くらいから知識を広め、女性が自分のライフステージを選択、設計できるようにすべきだ」と説明した(※7、※8参照)
これに対して、ある女性団体が「なんでもかんでも女性に押しつけすぎ」などとする声明を発表しているようだがコラムではこのことを言っているのだろう。
最後に、「結婚や出産は一人一人の選択であり、多様な人生が等しく尊重されなければならない。」と言っているが、出産や、結婚、生き方なども男女ともに、自由であることは憲法でも保障されていることには違いない。だか、「特定の生き方や家族のあり方を国が促したり、押しつけたりする。それを余計なお世話という」・・・とは、ちょっと言い過ぎではないだろうか。
現実に今、日本では、少子・高齢化のもと、年金や医療、その他、社会保障制度が破綻しかけているのである。このような問題を解決するのは簡単なことではない。
出産・子育てに必要な社会的インフラの整備が不十分であるという問題が以前から指摘されている。現在、都市部での保育所の不足がいわれており、また、出産できる産婦人科のある病院不足、小児科のある病院不足といった問題も深刻である。これはこれで、放置されているわけではないが、一挙に片の付く話ではない。
他にもしなければならない少子化対策は多くある。ただ、先立つものは金である。何をするにも金がなければできないことが多い。歳入を考えず,批判するだけなら無責任な野党と同じである。
晩産化や高齢出産の増加(晩婚化・晩産化の状況参照)に伴って卵子の老化や不妊症(※9参照)などの問題があることは事実なのであり、これはこれで何とかしてゆかなければいけない問題であろう。
子供の出来ないのがすべて女性の責任ではないし、不妊の原因は男子にもある。子供を産まないというよりも子供を産めない最大の原因は生活難にあるとも言われている。この様な問題が、すぐに解決できる方法があるのならそれを提案すべきだ。
もし、実際に子供を産む女性の高齢出産にも問題があるとすれば、それはそれで真剣に対応してゆかなければいけないのではないだろうか。何でも批判さえすればよいというものではないだろう。

かって、農村社会を中心とする日本では、人は労働力として貴重な存在であり、子供を産めない女性は「石女(うまずめ)」と呼ばれ、白い目で見られさえしてきた。そして、子供は「子宝」といわれ、女性には家庭で子供を産み、育てる良妻賢母が求められてきた。
そのような中、明治から昭和初期にかけて、13人もの子どもを出産しながら歌人、作家、思想家として大活躍した与謝野晶子は働く女性と子育てについて大正の昔に繰り広げられた母性保護論争(※10:「いくじれん」の少子化危機突破タスクフォースの開催について 参照)の前に、評論『母性偏重を排す』(1916年、※11参照)の中で、「誤解を惹かないために予め断って置く。私は母たることを拒みもしなければ悔いもしない、むしろ私が母としての私をも実現し得たことにそれ相応の満足を実感している。誇示していうのでなく、私の上に現存している真実をありのままに語る態度で私はこれを述べる。私は一人または二人の子供を生み、育て、かつ教えている婦人たちに比べてそれ以上の母たる労苦を経験している。この事実は、ここに書こうとする私の感想が母の権利を棄て、もしくは母の義務から逃れようとする手前勝手から出発していないことを証明するであろう。」・・・と、断った上で、「エレン・ケイトルストイの主張する「母性中心説」を否定し、最後に「我国の婦人の大多数は盛に子供を生んで毎年六、七十万ずつの人口を増している。あるいは国力に比べて増し過ぎるという議論さえある。私たちはむしろこの多産の事実について厳粛に反省せねばならない時に臨んでいる。旧式な賢母良妻主義に人間の活動を束縛する不自然な母性中心説を加味してこの上人口の増殖を奨励するような軽佻(けいちょう)な流行を見ないようにしたいものである。」と結んでいる。

しかし、1930年代の日本は、毎年100万人ずつ人口が増加していたが、日中戦争の影響もあり1938 (昭和13) 年には30万人ほどの増加(本当は30万の減少らしい。このことは後に記す)と、大幅な後退となってしまった。そこには、大正からの“晩婚少子”傾向に出征兵(軍隊に加わって戦地に行く兵のこと)「の増加が追い打ちをかけたためであった。
この人口減少に危機感を強めた厚生省は、その対策に迫られ、翌1939(昭和14)年8月8日、「優良多子家庭表彰要綱」を発表、又、同年9月30日には、同省付属予防局民族衛生研究会がドイツの「配偶者選択10箇条」を手本に、子供を増やそうと「結婚十訓」を発表するところとなったという(「結婚十訓」など※5 :「女性手帳」参照)。
人口政策(※1:「国立社会保障・人口問題研究所」の刊行物>人口問題研究の第2巻 第2号 06 人口政策確立要綱の決定第1巻 第1号17 人口問題研究所設置に関する若干の新聞論説抜萃 参照)は満州事変から日中戦争に突入していく 口実となってきたが、太平洋戦争に至る過程で, 人口政策は戦争のための人的資源と して「産めよ殖せよ」政策に転換していったようだ。
そして、「結婚十訓」の最後の「産めよ殖やせよ」が、その後1人歩きしていき、1940(昭和15)年に、初めて優良多子家庭の表彰を実施し、1941(昭和16)年に閣議決定された「人口政策確立要綱」では、当時の24歳の結婚平均年齢21歳にして出生数増を促し、「早く結婚して5人の子供を産むことが日本人に課せられた義務である」とされた。
ただ、厚生省の発表した「産めよ、殖やせよ」のスローガンはこの「結婚十訓」から来ているが、本来の言葉は「産めよ育てよ国のため」だったのだという。
人口問題について、1926(大正15)年「産めよ殖えよ」(『経済往来』=日本評論社が発行した月刊総合雑誌)を書いた高田 保馬は、日本の人口が増えても問題はないといっているのであって、「産めよ殖やせよ」のような政策を実施せよといっているわけではないことはその論文を読めばわかるという(※13:「お産を待ちながら:私にとっての大きな発見3」 のタグ / 産めよ殖やせよの高田保馬「産めよ殖えよ」参照)。
1938(昭和13)年1月、国民の体力向上を目指して厚生省が設置され、11月に、厚生省予防局に民族衛生研究会が設置される(参考の★印参照)。
そして、12月には、国立人口問題研究所(現:国立社会保障・人口問題研究所)設置に向けて上田貞次郎が1939(昭和14)年2月、「我国現下の人口問題」を発表。
ここで、初めて出生率低下の傾向についての言及、又、この中で「産めよ殖えよ」というかけ声が出始めていることにも触れた部分があるそうだ(※13参照)。
1938(昭和13)年の人口動態が、翌年に発表されたとき、自然増加が約30万の減少を示したことから(このあたり、100万から30万に下がったのではなく、30万減少したということだったようだ)、「産めよ殖やせよ」という多産奨励策が声高に叫ばれるようになるが、これに対置させるために、上田が持ち出したのが、「育てよ病ますな」という標語だったという。
「我国現下の人口問題」(講演)で、上田は、戦争が人口に及ぼす影響を、ドイツの例を取り、説明しており、人口ピラミッドが、ある年齢のところが欠けているために、日本のようにピラミッド型にならず、紡錘型になっていること。国内の食糧物資が不足すると犠牲になるのは小さな子供で、乳幼児の死亡率が増加して、引いては後年、大人の人口を減らす原因になること。また、多くの戦死者が出て、後年まで大きな影響を及ぼすこと(「子供のない国民」)。
一方、さらに重要な問題として、死亡率の問題があること。日本の総人口に対する死亡率を見ると段々に下がってきており、これは喜ばしいことであるが、欧米の死亡率に比べるとまだ非常な高率を示していること(5歳になるまでに4分の1が死亡)。
「産めよ、殖えよ」には確かに根拠はあるが(と譲歩しつつ)、「育てよ、病ますな」ということを同時に考えてもらいたいと、上田はくり返し訴えている(※14参照)そうで、上田が亡くなった翌1941(昭和16)年、人口政策要綱とともに発表された正式な「結婚十訓」の10番目の標語は、「産めよ殖やせよ国の為」ではなく、「産めよ育てよ国の為」となっていたという。
これは上田の闘いの名残りであり、人的資源ということばを始めて用いたのも、この時期のことであるという。上田は、こうした事態に危機感を募らせ、このとき以降、このかけ声に対抗すべく、自分自身の標語「育てよ、病ますな」を並置させるようになったようだ。
上田の遺稿となった、「支那事変と我国人口問題」でも、「事変の結果として第一に現わるるは出生の減少であるが、それに対する政策は産児奨励のみではない。むしろ産まれたものの健康を維持し、その死亡を少なくすることに重点をおいてしかるべきである」として、「育てよ病ますな」の標語を提言。
そして、「もし我国の乳幼児及び少年層の死亡率が一躍して欧州と同じくなるならば、たとい現在の産児は少なくなっても、二十年後の生存者は却って多くなる計算である」と、その本質において、軍部のキャンペーンに真っ向から対立する論理を展開していたそうだ(※13「お産を待ちながら:私にとっての大きな発見3」 のタグ / 産めよ殖やせよの上田貞次郎とともに13 参照)。
1939年8月8日、厚生省より多子家庭表彰要綱が発表されたとき、これを伝える新聞報道には、「産めよ殖やせよ」ということばがすでに使われていたという。
同年8月25日、上田らの尽力によって、厚生省内に国立人口問題研究所が設置される。同年10月4日に厚生省予防局民族衛生研究会より「結婚十則」の草案が出される。その10番目の標語は「産めよ殖やせよ国の為」となっていた。
しかし、上田が亡くなった翌年、人口政策要綱とともに発表された正式な「結婚十訓」の10番目の標語は、「産めよ殖やせよ国の為」ではなく、「産めよ育てよ国の為」となっていたという。
いずれにしても、「人口政策要綱」が「単に産めよ増やせよ」だけを言っているのではなく、人口増加の方策について、「人口の増加は永遠の発展を確保するため出生の増加を基調とするものとし併せて死亡の減少を諮るものとしており、その上で、精神的および肉体的な資質の増強も計画しているなど、幅広いものであった。
日本が太平洋戦争に突入したことなどその良し悪しは別として、そのような戦時体制の中で出された「人口政策要綱」を当時の時代背景を考慮することなく、ただ、現在のような平和な時代を前提に、「産めよ増やせよ」といったところにだけ注目して批判をするのは好きじゃないね〜。

現代の日本では凄まじい勢いで少子・高齢化が進んでいる。
日本では2005年から2055年の間に日本人の労働力が半減し、高齢者の割合は50年間で20%から40%に倍増すると予測されている。そして、2050年には日本人は5人に2人が65歳以上の高齢者になる。つまり、今後日本では労働力が半減し、高齢者が倍増すると予測されている。このような急速な少子高齢化の進展は、社会保障制度に変革を迫るだけでなく、経済構造、政治制度、家族形態など日本のあらゆる制度を根底から覆すインパクトがある。
一般に資本主義経済の発展に伴い、国民生活の近代化の過程において、出生率と死亡率はともに逐次低落し、多産多死型の人口から少産少死型の人口に変貌するものとされている(人口転換参照)が、我が国においても、ほぼ1920 (大正9)年を境にして、出生率と死亡率が着実に低下し始めた。
日本は、平均寿命、高齢者数、高齢化のスピードという三点において、世界一の高齢化社会といえる。
日本の少子高齢化の原因は、出生数が減り、一方で、平均寿命が延びて高齢者が増えているためであるが、日本の人口構成を人口ピラミッドで見ると、第1次ベビー・ブームの1947年 - 1949年(昭和22 - 24年)生まれと第2次ベビーブームの1971年 - 1974年(昭和46年 - 49年)生まれの2つの世代に膨らみがあり、出生数の減少で若い世代の裾が狭まっている。また、第1次ベビーブームの人達が、高齢者の仲間入りを始めているため今後の高齢化は一気に進展する。
近年ではこのような少子高齢化の進行に伴い、次の段階として到来するのは従来の段階に当てはまらない、少産多死型の形態と考えられており、日本ではすでにその兆候が表れ始めているのである(※16参照)。
高齢化のもととなる平均寿命の延びは、社会保障制度、特に疾病保険と医療扶助の急速な普及と、医療学および公衆衛生の驚異的な進歩による死亡率の低下であり、これをとやかく言うことはないであろう。問題は少子化である。
少子化とは、普通に言えば、出生率の低下あるいは生まれてくる子ども数の減少を意味しているが、一般的には、出生率の水準が特に人口置換水準(Replacement-level fertility)以下にまで低下すること(故に、単なる出生率の低下とは異なるとされる)をいう。
人口置換水準とは、長期的に人口が安定的に維持される合計特殊出生率(1人の女性が一生の間に産む子の数)をいい、少子化の指標としては一般的にはこの指標が用いられるが、合計特殊出生率の推移は参考※17:「少子化の要因と対策−晩婚化、未婚化」の図1-1を見られるとよい。

人口学によれば、合計特殊出生率は、有配偶出生率(一夫婦当たりの出生率)と有配偶率(結婚率)の影響を受ける。図5-1(※3参照)は、合計特殊出生率の低下が「有配偶出生率」と「有配偶率」のどちらの要因がどれだけ影響して生じたものなのかを示しているが、このグラフを観察すると、なぜ少子化の原因が女性の「晩婚化」「未婚化(非婚化)」であると指摘されるのかが分かる。
1970年代までの合計特殊出生率の低下は、有配偶出生率と有配偶率の両方の低下が要因であるが、特に有配偶出生率、つまり一夫婦当たりの子供の数の減少の影響が大きいといわれている。一方、1980年代以降は、有配偶者出生率は上昇したにもかかわらず、それを相殺して余りある程に有配偶率が大きく減少し、結果として合計特殊出生率が低下しているのだそうだ。したがって、合計特殊出生率という指標を用いて少子化の原因は何かを考えるなら、1980年以降の少子化の要因は「有配偶率」の低下、つまり結婚率の低下であるという結論になるという。
合計特殊出生率の変化の要因分析からは、有配偶出生率の低下よりも有配偶率の低下が少子化の要因であるという結果になるから、結婚した女性が子供を産まなくなったのではなく、女性の初婚年齢が上がっている(晩婚化)、女性がなかなか結婚しなくなった(未婚化さらには非婚化)という現象が少子化の原因だと指摘されるのは、合計特殊出生率を少子化の指標として使う以上は仕方のないことだが、現在、間違いなく「少子化の原因は晩婚化及び未婚化である」と結論づけるのは難しいものの、晩婚化や未婚化が進行しているのは事実である。
したがって、なぜ晩婚化や未婚化(非婚化)という現象が生じているのかを考え、その対応が考えられるべきであるが、晩婚化や未婚化の要因としてあげられるものとしては、
(1) 女性の経済力上昇による結婚による利点の減少、結婚のリスク化
(2) フリーターやニートの増加などによる経済的不安
(3) 育児支援制度の不備
などがあるという。いずれにしても、今程に晩婚化や未婚化が進んだ一つの要因としては、女性の社会進出と、その女性の「将来に対する不安」が挙げられるようであり、この「女性の社会進出と少子化対策」については、女性の権利と少子化対策は果たして両立するのか…といった従来からの複雑な問題があるが、これらを解決するためには、結局は、子供をどのように産み育てるかといった婚姻制度まで含めた社会の仕組みや、将来不安をなくすための経済上の問題(雇用制度や、働き方)など、一朝一夕には解決し難い問題に正面から取り組まなくてはいけないだろう。
これは、エネルギー問題で原子力発電所をどうするか…などといった問題の何倍もの難しい問題だろう。「女性手帳」の配布ぐらいのことで、協力を得られず突き上げられていてるような大臣には重荷だろうね〜。

冒頭の画像は、参考※18:「平成24年版 子ども・子育て白書」第2章 出生率等の現状より「出生数及び合計特殊出生率の年次推移」
参考
★厚生省には優生学の関する諸問題を所管するため、予防課内に優生科が設けられた。また、1934年から断種法案が繰り返し議会に提出されていたことを受け、厚生省よ某局では、特に精神患者の増加防止を目指すという趣旨に基づき民族優勢協議会を設置した。厚生省には優生学の関する諸問題を所管するため、予防課内に優生科が設けられた。また、1934年から断種法案が繰り返し議会に提出されていたことを受け、厚生省よ某局では、特に精神患者の増加防止を目指すという趣旨に基づき民族優勢協議会を設置した。(人口問題に対する国民意識 - 政策科学部の?郵政結婚の法制化をめぐる論議参照)

※1:新聞記事文庫 人口(6-070)-神戸大学附属図書館
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=10000848&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA
※2:太平洋戦争の原因と結末
http://www12.plala.or.jp/rekisi/dainiji.html
※3:タイトルを参考にさせてください
http://questionbox.jp.msn.com/qa8119888.html
※4:資料4 妊娠・出産検討サブチーム報告(PDF形式:162KB) - 内閣府
http://www8.cao.go.jp/shoushi/taskforce/k_3/pdf/s4.pdf#search='%E5%86%85%E9%96%A3%E5%BA%9C+%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%A8%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AE%E6%89%8B%E5%B8%B3'
※5 :女性手帳
http://tamutamu2011.kuronowish.com/jyoseitetyou.htm
※6:日本産科婦人科学会
http://www.jsog.or.jp/
※7:ニュースコーナー - ジョナス・アソシエイツ・ジャパン
http://www.jonas.co.jp/news.html
※8:不妊治療初診者は30代後半が圧倒的多数 - 日経ウーマンオンライン
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20111004/114288/?P=4
※9:NHKスペシャル|産みたいのに 産めない〜卵子老化の衝撃〜
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0623/
※10 :いくじれん
http://www.eqg.org/index.html
※11:与謝野晶子 母性偏重を排す - 青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000885/files/3321_6547.html
※12:国立社会保障・人口問題研究所
http://www.ipss.go.jp/index.asp
※13 :お産を待ちながら:私にとっての大きな発見3
http://midwifewada.seesaa.net/archives/20111221-1.html
※14:上田貞次郎「国立人口問題研究所生まる」
http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/~kamimura/demography.htm
※15:昭和31年度版厚生白書「序章 わが国の人口問題と社会保障 厚生行政の背景」
 http://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/kousei/1956/dl/02.pdf#search='%E6%88%91%E5%9B%BD%E7%8F%BE%E4%B8%8B%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E5%95%8F%E9%A1%8C'
※16:「人口変形・縮小社会」の到来(少産・多死型)(Adobe PDF)
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/syakaihosyoukokuminkaigi/kaisai/syotoku/dai03/03siryou1.pdf#search='%E5%B0%91%E7%94%A3%E5%A4%9A%E6%AD%BB%E5%9E%8B'
※17:少子化の要因と対策−晩婚化、未婚化
http://www.sanfujinka-debut.com/topics/birthrate/main05.htm
※18:平成24年版子ども・子育て白書 全文(PDF形式) - 内閣府
http://www8.cao.go.jp/shoushi/whitepaper/w-2012/24pdfhonpen/24honpen.html
少子化対策:厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/seisaku/syousika/
生活困難を抱える男女に関する検討会報告書 - 内閣府男女共同参画局Adobe PDF)
http://www.gender.go.jp/research/kenkyu/konnan/pdf/seikatsukonnan.pdf#search='%E7%94%A3%E3%82%81%E3%82%88%E6%AE%96%E3%81%88%E3%82%88+%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%BE%80%E6%9D%A5'
古典を読む・母性保護論争─晶子とらいてう
http://www.eqg.org/lecture/hogo1.html

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