日本記念日協会に、登録されている5月9日の記念日に「コクの日」があった。同協会由緒書には以下のように記されている。
「コクとは複雑に折り重なった心地良い味わいのこと。コクのあるコーヒーとして知られるBlendyブランド(ここ参照)などを手がける味の素ゼネラルフーヅ株式会社が制定。コクのあるコーヒーが毎日のほっとひといきタイムを演出してくれることを知ってもらうのが目的。日付は5と9で「コク」と読む語呂合わせと、初夏の穏やかな日にBlendyでリラックスしてもらいたいとの願いから。」・・・と。
一杯の コーヒーから
夢の花咲く こともある
街のテラスの 夕暮れに
二人の胸の ともしびが
ちらりほらりと つきました
1939(昭和14)年3月コロムビアレコードから発売された流行歌『一杯のコーヒーから』。
我々のような戦前に生まれた年代の者には、コーヒーと云うとこの歌が出てくる。作詞は藤浦洸で、作曲は服部良一。歌は霧島昇とミス・コロムビア(本名・松原操=後に本名を芸名とする)。全歌詞はうたまっぷ.cpmを参照。また、歌は以下YouTubeで聞ける。
一杯のコーヒーから 霧島昇・ミスコロムビア - YouTube
この歌を作詞した藤浦洸は、酒の飲めないコーヒー党であったそうだが、一方の作曲をした服部は酒好きなビール党で、当初この曲のタイトルは「一杯のビールから」というタイトルであったが、お酒の飲めない藤浦が「一杯のコーヒーから」と直してしまったという裏話が残っているそうだ。曲調は、この時代には珍しくジャズ調のモダンな歌である。
歌を歌った霧島とミス・コロムビアはこの曲を歌った1939(昭和14)年に結婚している。まだコロムビアに入社したばかりの霧島が、前年に公開され大ヒットした川口松太郎原作の松竹映画『愛染かつら』(主演:田中絹代、上原謙)の主題歌『旅の夜風』を当時既に大スターだった彼女と吹き込み、当時としては80万枚を超す驚異的なヒットを飛ばした。これにより、霧島とミス・コロムビアの名が全国的に広まるとともに、2人を結びつけるキッカケにもなった。
旅の夜風-霧島昇 ミス・コロムビア- YouTube
上掲の画像は、右:霧島昇と左:ミス・コロムビア(松原操)
コーヒーを題材にした音楽は多く、私たちの年代なら次に懐かしく思いだされるのが、『コーヒールンバ』(Moliendo Café, 作詞・作曲:Jose Manzo Perroni)だ。ベネズエラのアルパ奏者ウーゴ・ブランコ(Hugo Blanco)が録音し世界的にヒットした曲である。
多くのカバー曲があるが、日本では1961(昭和36)年に西田佐知子(作詞:中沢清二)がルンバのリズムで歌ったものが大ヒットしたが、実際には曲のリズムはルンバではなく、オルキデア(Orquidea:ウーゴ・ブランコが生み出したリズム形式)である。
なんでも、「コーヒールンバ」のヒット当時、西田本人はコーヒーを飲む習慣がなく「(歌詞中の)モカ・マタリって何?」といった調子だったのが、結婚後は夫の影響で飲むようになった・・・、という。
モカコーヒーは、フルーティーな香りと強い酸味が特長で、比較的高価なイエメン産のものは「モカ・マタリ」(Mokha Mattari)と呼ばれ、日本では人気が高く、比較的高価なモカ・マタリはストレートで飲まれることが多い。
ウーゴ・ブランコの曲は以下で聞ける。西田の曲と聞き比べてみるのもいいね。
西田佐知子-コーヒー・ルンバ(1961) - Pideo
ウーゴ・ブランコの楽曲は「コーヒー・ルンバ」だけじゃない
コーヒーは歌曲の中で取り上げられることも多く、コーヒーそのものを題名に入れた曲も少なくないようだが、特によく知られているのが、おしゃべりはやめて、お静かに』(独:Schweigt stille, plaudert nicht、別名:コーヒー・カンタータ、BWV 211)のようだ。Wikipediaなどによれば、J. S. バッハにより1732年から1734年にかけて作曲された世俗カンタータであり、小喜歌劇でもある。バッハは歌劇を書いておらず、このカンタータも演奏会形式のために書かれたものであるが、今日では衣裳を着込んでの上演が多いようだ。
本作の初演は、ゲオルク・フィリップ・テレマンが1702年に設立したコレギウム・ムジクムによって、ライプツィヒの街にあったゴットフリート・ツィンマーマンの経営するコーヒーハウスで執り行われたという。
18世紀当時、本作の初演地のライプツィヒではコーヒー依存症が喫緊の社会問題となっており、本作はこれを題材としたものだそうだ。
作詞は、当時の人気詩人・ピカンダー(Picander。本名:クリスティアン・フリードリッヒ・ヘンリーツィ 1700-1764)によるもので、「日に3度のコーヒーを欠かせば、苦しさのあまり、干からびた山羊肉のように萎んでしまう」などといったような歌詞が書かれている。歌詞は、教会オルガニストの神学者川端 純四郎の歌詞対訳カンタータ第211番(参考※1:「バッハ・平和・教会音楽」のA.バッハのページ)また、※2:「アンサンブル・バッハ」の楽曲解説:BWV21=Schweigt stille, plaudert nicht カンタータ211番などを参照されるとよい。
さて、日本記念日協会には、10月1日の記念日として「コーヒーの日」も登録されている。設定したのは、全日本コーヒー協会(※3)で、国際協定によって、コーヒーの新年度が始まるのが10月で、この日がコーヒーの年度始めとなることからだという。
記念日の「コーヒーの日」については、既にこのブログでも取り上げ、その時には、コーヒーについての一般的なことや世界のコーヒー需要、コーヒの生産地の現状、などについて書いたので、そのようなことについては前のブログ(ここ→「コーヒーの日」)を見てください。
コーヒーはアラビア語でコーヒーを意味するカフワ(qahwa) が転訛したもので、元々ワインを意味していたカフワの語が、ワインに似た覚醒作用のあるコーヒーに充てられたのがその語源だそうである。一説にはエチオピアにあったコーヒーの産地カッファ (Kaffa) がアラビア語に取り入れられたものとも云われているようだ。
この語がコーヒーの伝播に伴って、トルコ(トルコ語: kahve)、イタリア(イタリア語: caffè)を経由し、ヨーロッパ(フランス語: café、ドイツ語: Kaffee、英語: coffee)から世界各地に広まったという。
コーヒーの生豆には多糖を中心とする糖類、アミノ酸やタンパク質、脂質の他、コーヒーに含まれるポリフェノールであるクロロゲン酸、アルカロイドであるカフェイン(豆重量の1%程度)やトリゴネリン、ジテルペンであるカフェストールやカーウェオールなど、特徴的な成分が含まれている。
これらの成分は焙煎されることによって化学変化を起こし、その結果数百種類にのぼる成分が焙煎豆に含まれるようになるという(※3のコーヒーの成分も参照)。冒頭に掲載の画像は、焙煎したコーヒー豆。
朝の“目覚めの一杯”としても愛飲している人も多いコーヒーは、発見当初からコーヒーに含まれるカフェインの効果により眠気防止や疲労回復などの覚醒作用を持つことに注目され薬用植物として扱われてきた。
しかし、『コーヒー・カンタータ』の曲に見られるように、コーヒーにはカフェイン中毒があり、知らず知らずのうちに軽度の習慣性や依存症に陥りやすいと言われている。また一日に300mg以上(コーヒー3杯に相当)のカフェインを常用する人には、カフェイン禁断頭痛と呼ばれる一種の禁断症状が現れることもあるようだ。だから、コーヒーの飲みすぎには注意しなければいけないだろう。
※3「社団法人 全日本コーヒー協会」の「コーヒーと健康」の中では、毎日飲むコーヒーが、脂肪肝を抑制する」、「コーヒーで下がる、脳卒中のリスク。」「コーヒーを飲む人は糖尿病になりにくい」「コーヒーを飲めばシミは防げる!」・・・といった具合に、コーヒーに含まれる、カフェインによる脳の覚醒作用や利尿作用などの他、さまざまな効果(おいしい)が書かれている。
血糖を下げるインスリンが不足することにより持続的に高血糖がみられる慢性の病気である糖尿病は、1型と2型に分類されるが、生活習慣と遺伝的な素質が影響して発病し、糖尿病患者の多くを占めているのは、この「2型糖尿病」であるとされているが、近年、この2型糖尿病の予防に効果的としてコーヒーが注目を集めている。
そのため、私も、最近は、食前にブラックコーヒーを1杯飲むようにしているのだが、本当にその効果はあるのだろうか・・・?次のメタポ検診の結果を楽しみに待っているのだが・・。(※4、※5、※6等参照)。
いずれにしても、コーヒーなどというものは、本来が嗜好品であり、何がよくって何が悪いのかの効能などは、人ぞれぞれ、自分の体のことも考え、カフェイン摂取のメリット・デメリットを知ったうえで、ティータイムを楽しむのが本筋だろう。
ところで、人にとっての「美味しさ」って、なんだろう。人はなぜ、美味しいと感じるのだろうか?
最近はテレビ番組などでも、タレントなどを使っての、うまいものの食べ歩き番組が流行っており、食べた人の多くが口にする味の表現は、ただ、目をむいて「うま!」とか「おいしい!」、「メッチャウマ」、人によっては「マイウー」などと感嘆詞の連発はしていても、それがどのようにおいしいのか、どんな味に感激したのかなどほとんど伝わってこない。食べ物の美味しさの表現を言葉にする難しさはわかるが、せめて何か表現できないのか・・・と毎回感じているところではある。
そんな場面での殺し文句としてよく使われるのが「コクがある」とか「キレがある」とかいった言葉だろう。「あの人はコクのある人だ」などと言われたりするように「コクがある」と言われれば、何となく、単なる美味しさよりも、もう少し深みのある味なのだろうと、また、反対に「あの人はキレる人だ」などともいわれるように、「キレ」と言えば刃物の鋭い切れ味を連想し、しつこさを残さないちょっと冴えた味なのだろ・・・と、納得した気になっているが、じゃ〜その「コクって何なの?」と突っ込んで聞かれるとなかなか一言では説明が出来ず、なんとなく暗黙の了解で使われているといった感じだろう。
では、味とは何か?。甘味、酸味、塩味、苦味、辛味、渋味、刺激味、無味、脂身味、アルカリ味、金属味・・・など、様々な形容でそれは示される.が、食べ物の味については昔からケンケンガクガク議論が戦わされてきた歴史がある。
前漢代に編纂されたもので、現存するものでは中国最古の医学書と呼ばれている『黄帝内経』では、陰陽五行説にのっとって記述されており、この書のなかで、味は鹹味(かんみ=塩味)、甘味、酸味、苦味、辛味の五味 からなることが記されている(参考※7、※8参照)。
又、西洋では、ギリシャのアリストテレス(紀元前4世紀)が味を7つに分類した。塩味、甘味、酸味、苦味、厳しさ、鋭さ、荒さである。この最初の4つの味は生き残り、ドイツの心理学者ヘニング(Hans Henning)は、1916年に、塩味、甘味、酸味、苦味の4つの味とその複合ですべての味覚を説明する4基本味説を提唱した。つまり、彼は、すべての味は4基本味のブレンドなのだと考えたのであった。
この説に異議を唱えたのが1908年に旨味物質グルタミン酸モノナトリウム塩(クエン酸一ナトリウム)を発見した日本の化学者・池田菊苗であった。
西洋ではこのうま味が長らく認められなかったが、今では認められ、現在の生理学的定義では、狭義の味覚とは味覚受容体細胞にとって適刺激である甘味、酸味、塩味、苦味、旨味(umami)の5種(5基本味)が位置付けられている。
前述のアリストテレスの7つの味の最初の4つ以外の3つは、厳しさ、鋭さ、荒さとしているが、これを、辛味、収斂味(渋味に相当する味)、ざらざらした味と訳しているところも多く見かける(※9参照)。むしろ味の説明としては、こちらの方が判り易いように私は思う。また、荒さは粗さ(舌触り)のことではないか・・・とも考える。
辛い物好きの人などこのような基本味の話を聞いて、「どうして辛みが含まれていないの?・・と、不思議に思う人もいるだろう。
約5千年の歴史があると言われるインド医学の古典『アーユルヴェーダ』による味の種類は、甘、酸、鹹、辛、苦、渋の6種類に分けられている(※10参照)ように、東南アジアなど、辛みに対して長い食の歴史を持つ地域では、「辛み」は、主要な「味覚」の一つである。
多くの脊椎動物とヒトにおいて、味覚の感知には「舌」が最も重要な役割を担っている。
舌上面(舌背)の表面には、舌乳頭と呼ばれるざらざらした小さな突起が多数存在し、実際に味を感知する器官である味蕾(みらい)は、この舌乳頭の部分に集まっている。
上掲の画像は、舌や軟口蓋にある食べ物の味を感じる小さな器官「味蕾」
実はこの「辛み」というのは、生理学的には味蕾で感じ取る他の味の要素とは異なり、舌や口腔に存在するバニロイド受容体(カプサイシン受容体)という味蕾とは別の受容体で感じる痛覚(痛みの感覚。疼痛参照)に由来する5味とはまた別のカテゴリーにあるものなのである。
また、その食べ物の温度によっても辛さの感じ方は違い、熱ければ辛味を強く、冷めていれば弱く感じる。このように、私たちが総合的に感じている「味」というものは、必ずしも味蕾が感じ取っている基本味だけで説明できるものではなく、例えば、歯応えや舌触り、また、においなどもおいしさを形成する重要な要素であることは、皆様もご存知の通りである。そして、味を最終的に判断しているのが脳である以上、その人の体調や心理的要因(・見た目の印象,・食べる場所,・食べ物を盛りつける食器類、その食べ物に関する情報[誰が作ったか、どんな材料が使われているか,価格など])。と言った具合で、味覚というのは、それを引き起こす食べ物の成分とは必ずしも1:1で対応しない、曖昧で主観的な要素を含んだものである。この辺の詳しいことについては、日本うま味調味料協会のサイト(※11)の「旨みってなんだろう?」などに詳しく書かれているので、参考にされるとよいだろう。
最初は不快感を感じても、何回か口にするにしたがって「おいしさ」を感じ、クセになる「味わい」とも言うものがある。コーヒー、ビール、ウイスキー、チーズ、納豆、コーラ、からし、燻製・・・ などなど数え上げればきりがない。このような 「苦味」「酸味」「辛み」「臭み」という成分を持った食品の味覚を「アクワイアード テイスト」(英語: Acquired Taste =後天的味覚)と言うそうだ(※12参照)。
動物は本来生まれながらにして自ら食べ物を選択し、獲得する能力を備えていると言われている。
例えば、大腸菌などを含む生物群である真正細菌、つまりバクテリア(Bacteria)と呼ばれる単細胞生物は苦い物質から逃げ、甘い物質に近寄っていくという。
苦い物質は一般にそれが毒だからであり、甘い物質は糖分などの取り込み可能なエネルギー(生理的熱量)源だからだそうである。
高等動物であるヒトにも先天的に好きな味がある。子供の頃、文句なしに「うまい!」と感じるのは、「甘み」と「塩み」だと」いう。「甘み」は、ネルギー源」だ。エネルギーがなければ人間だって生きて往くのに必要だし、また、「塩み」も同様に生命維持に不可欠だからだ。
だが、苦味と酸味は先天的にその味を楽しむことが出来ない。理由は、苦味が意味するのは毒であり、酸味が意味するのは腐敗で、これらを拒絶するように身体が反応することによる。
しかし、ヒトの場合はその上に、より強い身体を得ようとエネルギーとして効率のいいものを求め、色々なものを「食べること」を覚えていった。つまり、学習によって、味覚が少しづつ発達してきたと考えられている。
赤ちゃんも苦いものを避けていたが成長にしたがって好むようになる。味覚が後天的な学習によって形成されるということは、離乳期の頃から親に何をたべさせられてきたかによって形成されるともいえる。食べ物の種類が多ければ、子供は多くの味覚の体験が出来、食体験が乏しければ味覚は貧しくなり、食べ物に対する適応性も低くなる(※13参照)。大人になっても好き嫌いの多い人は、生まれたときからの食に対する学習経験が少ないからだという。
そうして、大人になると本来嫌いだった、コーヒーなどの苦いものも好きになる。しかも、コーヒー依存症になるほど一日に何杯も飲まないとすまない人さえ出てくるのだから不思議なものだ。
それでは5基本味以外の「コク」とはどんなものか?なかなか説明するのが難しい。これについては、以下参考の※13:「農林水産省」HPの“食文化” >我が国の食文化 > 日本人の味覚と嗜好 “IV 日本の食の特徴:たべものの「こく」”のところで以下のように書かれている。
「コク」という言葉は日本では非常によく使われる。「コク」は日本の食嗜好を理解するための最も重要なキーワードの1つである。特定の成分や物質ではなくて複合的な味わいである。食べ物の味わいに「厚みがある」「ボディ感がある」「濃厚である」などがやや近い表現である。「コクのある」という形容詞は、熟成、豊富な経験、豊潤、円熟などからもたらされる複雑な深みと浅薄でない魅力のようなものをイメージして使われる。「コクがある」というのは料理を褒める言葉である。曖昧ではあるが、おおよそのニュアンスを国民が共有している。
一般的にコクがあるという場合、多くの成分が複雑に絡み合って、味わいの厚みをもたらしている場合を指すことが多い。単独の味が強く感じられてしまうとコクでは無くなる。酸味を加えると食べ物はさっぱりすると言うが、酸味の突出でコクが消えるとも言える。
コクがあると認められている食材や料理はいくらでもある。フォアグラ、あんこうの肝等の内臓、生クリーム、チーズ、バターなどの乳製品、生ウニ、キャビアやからすみ、イクラなどの魚卵。味噌や醤油、カレー粉、マヨネーズなどの調味料、霜降り牛肉、鮪のトロなどの動物脂、日本で流行しているラーメンの複合的なダシや背脂(豚の背の部位の脂。ラード参照)など無数にある。
コクの特徴に、時間的および空間的な拡がりがある。空間的な拡がりは、口のなかの多くの部位や神経経路で味わいが感じられていることで説明できる。食品を口にしたときに、舌の先ですぐに感じられる甘味や塩味は鼓索神経(顔面神経が3番目の分枝する神経(1番目、大錐体神経、2番目、アブミ骨筋神経。※15参照)を介した味覚、舌の奥やその両側で感じるうま味や油脂のおいしさは舌咽神経で伝えられる味である。舌触りには舌だけでなく歯茎なども動員される。味わいの感覚や部位が総動員されることが、コクにとって重要のようである。
コクには時間的な拡がりも大切である。口を近づけるだけで香る匂いから始まり、舌の前半部分で瞬時に立つシャープな味わいと、一呼吸おいてから舌の奥で感じられる味わい。さらには口のなかに留めている間にじわりと顔を出す味わい。飲み込んでからも続く余韻のような心地よい味わい。時間をかけて得られる味わいが十分に納得させられると、コクがあると強く感じる。
日本人の使うコクという言葉には様々な対象やニュアンスがあるが、整理すると三層の構造をしていると考えている。中心部はエネルギーに富む油脂や砂糖の甘味。栄養素そのものの味で、動物ならば誰でもうまいと感じる。実際に、食品開発の立場から見ると、砂糖と油脂は食品にコクを与える切り札である。したがって、コクの本義は生きてゆく上で生理的に大事な栄養の味わいであると言える。動物はこれらにやみつきになる。いわゆる脳の報酬系を刺激する物質である。
その外側に第2層のコクとして、粘度、魅力的な香り、重厚感、うま味、濃厚な色調などが、栄養素のリッチな分厚い感じを想起させるコクとして存在する。それ自体は「中心のコク」のように強いコクではないが、人間の食体験によってコクを強める作用がある。いわば、学習によって濃厚さを連想する仮想的なコクである。
最も外側の第3層には、実体を離れた比喩的なコクが位置する。コクのある演技とかコクのある表情とか、コクのある生き方などである。感性に依存する抽象の世界であり、極度に洗練された吸い物の風味のコクなどは第2層と第3層にまたがるのかも知れない。
ラーメンやカレーや焼き肉などは中心部のコクを有する。誰にでもわかりやすい濃厚さである。一方、日本の伝統的な料理のコクは香りや食感、色合いなどが関わる第2層に集中している。第2層や第3層のコクは外側に行くほど実体が薄れる。極限まで削ぎ落として無駄なものがなくなったなかに残る豊かな味わいを高い品位として日本の料理は重視してきた。誰にでもわかるような濃厚なコクを高く評価してこなかった点は欧米の料理と大きく異なる。日本の料理が「引き算の味わい」であるという言葉はここから生まれる。・・・・と。
日本の料理の味わいとして最も重要なのは出汁(ダシ)であり、このダシは、昆布と鰹節を使うことによって、うま味を相乗的に強化したものである。そして、ダシは吸い物のベースとしてだけでなく、煮ものなど様々な日本の料理の下地として使われている。日本料理のコクの本体は油分と糖分とダシ成分であるということのようだ。そして、コクというのは、単一の成分ではなく、多くの成分が複雑に混ざり合ったものであり、いわばコク本体そのもので、ここではそれを「コアーのコク」とし、その正体は油、糖、ダシの3つの成分とのこと。第2層は、食感や香りなど、コアーのコクのおいしさを倍増させる役目をするものであり、第3層には、さらに抽象的で文化的な要素が存在しているとしているのである。つまり、コクとは「味の総和」であり、これらの組み合わせがやみつきになる味になるということのようだ。
しかし、一口に「コク」「キレ」と表現している内容も決して一様ではない。「ダシのコク」「味噌のコク」「ビールのコク」「コーヒーのコク」、あるいは「ビールのキレ」「日本酒のキレ」「コーヒーのキレ」などは、おそらくそれぞれ別々の要因から成り立つ、別々の「味わい」だと考えた方がよく、すべてを統合して考えるのには無理があるだろう。
ただ、コクとは「味の総和」のことだから、ひとつひとつの味は濃くなくても、これらがうまく合わされば、結果的には濃い味になり、コクがあることになるが、逆に、味が濃くても何かひとつの味だけが強く、その他の味がしないような場合は、コクがあるとはいえない。一方のキレは「後味がどれだけ早く消えているかで測る味」のことを指すようだ。この言葉は、もともとは、日本酒の醸造技術者が使っていた表現で、後味がスッと消えればキレがあり、長く残るようであればキレが悪いということになる・・・・。
よく判らないが、こういうことで、納得しておこう。
参考:
※1:バッハ・平和・教会音楽
http://www.jade.dti.ne.jp/~jak2000/index.html#総目次
※2:アンサンブル・バッハ
http://www.ebach.gr.jp/index.html
※3:社団法人 全日本コーヒー協会
http://coffee.ajca.or.jp/
※4:コーヒーの飲みすぎは危険?カフェイン依存症|ヘルスケア情報|eo健康
http://eonet.jp/health/healthcare/health59.html
※5:コーヒーの飲みすぎは、カフェイン中毒? [依存症] All About
http://allabout.co.jp/gm/gc/302152/
※6:[79]循環器病と気になる嗜好品 - 国立循環器病センター
http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/pamphlet/general/pamph79.html
※7:おいしさの科学 1) 五つの基本味 -- 都甲 潔
http://www.natureinterface.com/j/ni08/P080_081/
※8:食治と営養学
http://www.kanpow.net/index.php?data=./data/cl1/
※9:苦味から味覚を考える
http://www.bitby-bit.com/~gohyah/bariki/bariki1-03.html
※10:アーユルヴェーダの六つの味
http://www.ayurvedalife.jp/column_201303_003.aspx
※11:日本うま味調味料協会
https://www.umamikyo.gr.jp/
※12:そのウィスキーをもう一杯: なぜウィスキーは最初から美味いと思えないか? 前編 (via petapeta)
http://onemore-glass-of-whisky.blogspot.jp/2013/02/blog-post_11.html
※13:子どもの味覚【前編】食べ物の好き嫌いはどうして起こるのか ...
http://benesse.jp/blog/20121213/p2.html
※14:農林水産省: 食文化
http://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/index.html
※15:顔面神経[?]
http://www.anatomy.med.keio.ac.jp/funatoka/anatomy/cranial/cn7.html
『うま味とコク』
http://www7b.biglobe.ne.jp/%257erakusyotei/sawakai50.html
AGF:コーヒー大事典
http://www.agf.co.jp/enjoy/cyclopedia/index.html
「コーヒーの日」-今日のことあれこれと・・・
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/0787254be10974f1a4c0cd54fe36a6a0
コーヒー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC
「コクとは複雑に折り重なった心地良い味わいのこと。コクのあるコーヒーとして知られるBlendyブランド(ここ参照)などを手がける味の素ゼネラルフーヅ株式会社が制定。コクのあるコーヒーが毎日のほっとひといきタイムを演出してくれることを知ってもらうのが目的。日付は5と9で「コク」と読む語呂合わせと、初夏の穏やかな日にBlendyでリラックスしてもらいたいとの願いから。」・・・と。
一杯の コーヒーから
夢の花咲く こともある
街のテラスの 夕暮れに
二人の胸の ともしびが
ちらりほらりと つきました
1939(昭和14)年3月コロムビアレコードから発売された流行歌『一杯のコーヒーから』。
我々のような戦前に生まれた年代の者には、コーヒーと云うとこの歌が出てくる。作詞は藤浦洸で、作曲は服部良一。歌は霧島昇とミス・コロムビア(本名・松原操=後に本名を芸名とする)。全歌詞はうたまっぷ.cpmを参照。また、歌は以下YouTubeで聞ける。
一杯のコーヒーから 霧島昇・ミスコロムビア - YouTube
この歌を作詞した藤浦洸は、酒の飲めないコーヒー党であったそうだが、一方の作曲をした服部は酒好きなビール党で、当初この曲のタイトルは「一杯のビールから」というタイトルであったが、お酒の飲めない藤浦が「一杯のコーヒーから」と直してしまったという裏話が残っているそうだ。曲調は、この時代には珍しくジャズ調のモダンな歌である。
歌を歌った霧島とミス・コロムビアはこの曲を歌った1939(昭和14)年に結婚している。まだコロムビアに入社したばかりの霧島が、前年に公開され大ヒットした川口松太郎原作の松竹映画『愛染かつら』(主演:田中絹代、上原謙)の主題歌『旅の夜風』を当時既に大スターだった彼女と吹き込み、当時としては80万枚を超す驚異的なヒットを飛ばした。これにより、霧島とミス・コロムビアの名が全国的に広まるとともに、2人を結びつけるキッカケにもなった。
旅の夜風-霧島昇 ミス・コロムビア- YouTube
上掲の画像は、右:霧島昇と左:ミス・コロムビア(松原操)
コーヒーを題材にした音楽は多く、私たちの年代なら次に懐かしく思いだされるのが、『コーヒールンバ』(Moliendo Café, 作詞・作曲:Jose Manzo Perroni)だ。ベネズエラのアルパ奏者ウーゴ・ブランコ(Hugo Blanco)が録音し世界的にヒットした曲である。
多くのカバー曲があるが、日本では1961(昭和36)年に西田佐知子(作詞:中沢清二)がルンバのリズムで歌ったものが大ヒットしたが、実際には曲のリズムはルンバではなく、オルキデア(Orquidea:ウーゴ・ブランコが生み出したリズム形式)である。
なんでも、「コーヒールンバ」のヒット当時、西田本人はコーヒーを飲む習慣がなく「(歌詞中の)モカ・マタリって何?」といった調子だったのが、結婚後は夫の影響で飲むようになった・・・、という。
モカコーヒーは、フルーティーな香りと強い酸味が特長で、比較的高価なイエメン産のものは「モカ・マタリ」(Mokha Mattari)と呼ばれ、日本では人気が高く、比較的高価なモカ・マタリはストレートで飲まれることが多い。
ウーゴ・ブランコの曲は以下で聞ける。西田の曲と聞き比べてみるのもいいね。
西田佐知子-コーヒー・ルンバ(1961) - Pideo
ウーゴ・ブランコの楽曲は「コーヒー・ルンバ」だけじゃない
コーヒーは歌曲の中で取り上げられることも多く、コーヒーそのものを題名に入れた曲も少なくないようだが、特によく知られているのが、おしゃべりはやめて、お静かに』(独:Schweigt stille, plaudert nicht、別名:コーヒー・カンタータ、BWV 211)のようだ。Wikipediaなどによれば、J. S. バッハにより1732年から1734年にかけて作曲された世俗カンタータであり、小喜歌劇でもある。バッハは歌劇を書いておらず、このカンタータも演奏会形式のために書かれたものであるが、今日では衣裳を着込んでの上演が多いようだ。
本作の初演は、ゲオルク・フィリップ・テレマンが1702年に設立したコレギウム・ムジクムによって、ライプツィヒの街にあったゴットフリート・ツィンマーマンの経営するコーヒーハウスで執り行われたという。
18世紀当時、本作の初演地のライプツィヒではコーヒー依存症が喫緊の社会問題となっており、本作はこれを題材としたものだそうだ。
作詞は、当時の人気詩人・ピカンダー(Picander。本名:クリスティアン・フリードリッヒ・ヘンリーツィ 1700-1764)によるもので、「日に3度のコーヒーを欠かせば、苦しさのあまり、干からびた山羊肉のように萎んでしまう」などといったような歌詞が書かれている。歌詞は、教会オルガニストの神学者川端 純四郎の歌詞対訳カンタータ第211番(参考※1:「バッハ・平和・教会音楽」のA.バッハのページ)また、※2:「アンサンブル・バッハ」の楽曲解説:BWV21=Schweigt stille, plaudert nicht カンタータ211番などを参照されるとよい。
さて、日本記念日協会には、10月1日の記念日として「コーヒーの日」も登録されている。設定したのは、全日本コーヒー協会(※3)で、国際協定によって、コーヒーの新年度が始まるのが10月で、この日がコーヒーの年度始めとなることからだという。
記念日の「コーヒーの日」については、既にこのブログでも取り上げ、その時には、コーヒーについての一般的なことや世界のコーヒー需要、コーヒの生産地の現状、などについて書いたので、そのようなことについては前のブログ(ここ→「コーヒーの日」)を見てください。
コーヒーはアラビア語でコーヒーを意味するカフワ(qahwa) が転訛したもので、元々ワインを意味していたカフワの語が、ワインに似た覚醒作用のあるコーヒーに充てられたのがその語源だそうである。一説にはエチオピアにあったコーヒーの産地カッファ (Kaffa) がアラビア語に取り入れられたものとも云われているようだ。
この語がコーヒーの伝播に伴って、トルコ(トルコ語: kahve)、イタリア(イタリア語: caffè)を経由し、ヨーロッパ(フランス語: café、ドイツ語: Kaffee、英語: coffee)から世界各地に広まったという。
コーヒーの生豆には多糖を中心とする糖類、アミノ酸やタンパク質、脂質の他、コーヒーに含まれるポリフェノールであるクロロゲン酸、アルカロイドであるカフェイン(豆重量の1%程度)やトリゴネリン、ジテルペンであるカフェストールやカーウェオールなど、特徴的な成分が含まれている。
これらの成分は焙煎されることによって化学変化を起こし、その結果数百種類にのぼる成分が焙煎豆に含まれるようになるという(※3のコーヒーの成分も参照)。冒頭に掲載の画像は、焙煎したコーヒー豆。
朝の“目覚めの一杯”としても愛飲している人も多いコーヒーは、発見当初からコーヒーに含まれるカフェインの効果により眠気防止や疲労回復などの覚醒作用を持つことに注目され薬用植物として扱われてきた。
しかし、『コーヒー・カンタータ』の曲に見られるように、コーヒーにはカフェイン中毒があり、知らず知らずのうちに軽度の習慣性や依存症に陥りやすいと言われている。また一日に300mg以上(コーヒー3杯に相当)のカフェインを常用する人には、カフェイン禁断頭痛と呼ばれる一種の禁断症状が現れることもあるようだ。だから、コーヒーの飲みすぎには注意しなければいけないだろう。
※3「社団法人 全日本コーヒー協会」の「コーヒーと健康」の中では、毎日飲むコーヒーが、脂肪肝を抑制する」、「コーヒーで下がる、脳卒中のリスク。」「コーヒーを飲む人は糖尿病になりにくい」「コーヒーを飲めばシミは防げる!」・・・といった具合に、コーヒーに含まれる、カフェインによる脳の覚醒作用や利尿作用などの他、さまざまな効果(おいしい)が書かれている。
血糖を下げるインスリンが不足することにより持続的に高血糖がみられる慢性の病気である糖尿病は、1型と2型に分類されるが、生活習慣と遺伝的な素質が影響して発病し、糖尿病患者の多くを占めているのは、この「2型糖尿病」であるとされているが、近年、この2型糖尿病の予防に効果的としてコーヒーが注目を集めている。
そのため、私も、最近は、食前にブラックコーヒーを1杯飲むようにしているのだが、本当にその効果はあるのだろうか・・・?次のメタポ検診の結果を楽しみに待っているのだが・・。(※4、※5、※6等参照)。
いずれにしても、コーヒーなどというものは、本来が嗜好品であり、何がよくって何が悪いのかの効能などは、人ぞれぞれ、自分の体のことも考え、カフェイン摂取のメリット・デメリットを知ったうえで、ティータイムを楽しむのが本筋だろう。
ところで、人にとっての「美味しさ」って、なんだろう。人はなぜ、美味しいと感じるのだろうか?
最近はテレビ番組などでも、タレントなどを使っての、うまいものの食べ歩き番組が流行っており、食べた人の多くが口にする味の表現は、ただ、目をむいて「うま!」とか「おいしい!」、「メッチャウマ」、人によっては「マイウー」などと感嘆詞の連発はしていても、それがどのようにおいしいのか、どんな味に感激したのかなどほとんど伝わってこない。食べ物の美味しさの表現を言葉にする難しさはわかるが、せめて何か表現できないのか・・・と毎回感じているところではある。
そんな場面での殺し文句としてよく使われるのが「コクがある」とか「キレがある」とかいった言葉だろう。「あの人はコクのある人だ」などと言われたりするように「コクがある」と言われれば、何となく、単なる美味しさよりも、もう少し深みのある味なのだろうと、また、反対に「あの人はキレる人だ」などともいわれるように、「キレ」と言えば刃物の鋭い切れ味を連想し、しつこさを残さないちょっと冴えた味なのだろ・・・と、納得した気になっているが、じゃ〜その「コクって何なの?」と突っ込んで聞かれるとなかなか一言では説明が出来ず、なんとなく暗黙の了解で使われているといった感じだろう。
では、味とは何か?。甘味、酸味、塩味、苦味、辛味、渋味、刺激味、無味、脂身味、アルカリ味、金属味・・・など、様々な形容でそれは示される.が、食べ物の味については昔からケンケンガクガク議論が戦わされてきた歴史がある。
前漢代に編纂されたもので、現存するものでは中国最古の医学書と呼ばれている『黄帝内経』では、陰陽五行説にのっとって記述されており、この書のなかで、味は鹹味(かんみ=塩味)、甘味、酸味、苦味、辛味の五味 からなることが記されている(参考※7、※8参照)。
又、西洋では、ギリシャのアリストテレス(紀元前4世紀)が味を7つに分類した。塩味、甘味、酸味、苦味、厳しさ、鋭さ、荒さである。この最初の4つの味は生き残り、ドイツの心理学者ヘニング(Hans Henning)は、1916年に、塩味、甘味、酸味、苦味の4つの味とその複合ですべての味覚を説明する4基本味説を提唱した。つまり、彼は、すべての味は4基本味のブレンドなのだと考えたのであった。
この説に異議を唱えたのが1908年に旨味物質グルタミン酸モノナトリウム塩(クエン酸一ナトリウム)を発見した日本の化学者・池田菊苗であった。
西洋ではこのうま味が長らく認められなかったが、今では認められ、現在の生理学的定義では、狭義の味覚とは味覚受容体細胞にとって適刺激である甘味、酸味、塩味、苦味、旨味(umami)の5種(5基本味)が位置付けられている。
前述のアリストテレスの7つの味の最初の4つ以外の3つは、厳しさ、鋭さ、荒さとしているが、これを、辛味、収斂味(渋味に相当する味)、ざらざらした味と訳しているところも多く見かける(※9参照)。むしろ味の説明としては、こちらの方が判り易いように私は思う。また、荒さは粗さ(舌触り)のことではないか・・・とも考える。
辛い物好きの人などこのような基本味の話を聞いて、「どうして辛みが含まれていないの?・・と、不思議に思う人もいるだろう。
約5千年の歴史があると言われるインド医学の古典『アーユルヴェーダ』による味の種類は、甘、酸、鹹、辛、苦、渋の6種類に分けられている(※10参照)ように、東南アジアなど、辛みに対して長い食の歴史を持つ地域では、「辛み」は、主要な「味覚」の一つである。
多くの脊椎動物とヒトにおいて、味覚の感知には「舌」が最も重要な役割を担っている。
舌上面(舌背)の表面には、舌乳頭と呼ばれるざらざらした小さな突起が多数存在し、実際に味を感知する器官である味蕾(みらい)は、この舌乳頭の部分に集まっている。
上掲の画像は、舌や軟口蓋にある食べ物の味を感じる小さな器官「味蕾」
実はこの「辛み」というのは、生理学的には味蕾で感じ取る他の味の要素とは異なり、舌や口腔に存在するバニロイド受容体(カプサイシン受容体)という味蕾とは別の受容体で感じる痛覚(痛みの感覚。疼痛参照)に由来する5味とはまた別のカテゴリーにあるものなのである。
また、その食べ物の温度によっても辛さの感じ方は違い、熱ければ辛味を強く、冷めていれば弱く感じる。このように、私たちが総合的に感じている「味」というものは、必ずしも味蕾が感じ取っている基本味だけで説明できるものではなく、例えば、歯応えや舌触り、また、においなどもおいしさを形成する重要な要素であることは、皆様もご存知の通りである。そして、味を最終的に判断しているのが脳である以上、その人の体調や心理的要因(・見た目の印象,・食べる場所,・食べ物を盛りつける食器類、その食べ物に関する情報[誰が作ったか、どんな材料が使われているか,価格など])。と言った具合で、味覚というのは、それを引き起こす食べ物の成分とは必ずしも1:1で対応しない、曖昧で主観的な要素を含んだものである。この辺の詳しいことについては、日本うま味調味料協会のサイト(※11)の「旨みってなんだろう?」などに詳しく書かれているので、参考にされるとよいだろう。
最初は不快感を感じても、何回か口にするにしたがって「おいしさ」を感じ、クセになる「味わい」とも言うものがある。コーヒー、ビール、ウイスキー、チーズ、納豆、コーラ、からし、燻製・・・ などなど数え上げればきりがない。このような 「苦味」「酸味」「辛み」「臭み」という成分を持った食品の味覚を「アクワイアード テイスト」(英語: Acquired Taste =後天的味覚)と言うそうだ(※12参照)。
動物は本来生まれながらにして自ら食べ物を選択し、獲得する能力を備えていると言われている。
例えば、大腸菌などを含む生物群である真正細菌、つまりバクテリア(Bacteria)と呼ばれる単細胞生物は苦い物質から逃げ、甘い物質に近寄っていくという。
苦い物質は一般にそれが毒だからであり、甘い物質は糖分などの取り込み可能なエネルギー(生理的熱量)源だからだそうである。
高等動物であるヒトにも先天的に好きな味がある。子供の頃、文句なしに「うまい!」と感じるのは、「甘み」と「塩み」だと」いう。「甘み」は、ネルギー源」だ。エネルギーがなければ人間だって生きて往くのに必要だし、また、「塩み」も同様に生命維持に不可欠だからだ。
だが、苦味と酸味は先天的にその味を楽しむことが出来ない。理由は、苦味が意味するのは毒であり、酸味が意味するのは腐敗で、これらを拒絶するように身体が反応することによる。
しかし、ヒトの場合はその上に、より強い身体を得ようとエネルギーとして効率のいいものを求め、色々なものを「食べること」を覚えていった。つまり、学習によって、味覚が少しづつ発達してきたと考えられている。
赤ちゃんも苦いものを避けていたが成長にしたがって好むようになる。味覚が後天的な学習によって形成されるということは、離乳期の頃から親に何をたべさせられてきたかによって形成されるともいえる。食べ物の種類が多ければ、子供は多くの味覚の体験が出来、食体験が乏しければ味覚は貧しくなり、食べ物に対する適応性も低くなる(※13参照)。大人になっても好き嫌いの多い人は、生まれたときからの食に対する学習経験が少ないからだという。
そうして、大人になると本来嫌いだった、コーヒーなどの苦いものも好きになる。しかも、コーヒー依存症になるほど一日に何杯も飲まないとすまない人さえ出てくるのだから不思議なものだ。
それでは5基本味以外の「コク」とはどんなものか?なかなか説明するのが難しい。これについては、以下参考の※13:「農林水産省」HPの“食文化” >我が国の食文化 > 日本人の味覚と嗜好 “IV 日本の食の特徴:たべものの「こく」”のところで以下のように書かれている。
「コク」という言葉は日本では非常によく使われる。「コク」は日本の食嗜好を理解するための最も重要なキーワードの1つである。特定の成分や物質ではなくて複合的な味わいである。食べ物の味わいに「厚みがある」「ボディ感がある」「濃厚である」などがやや近い表現である。「コクのある」という形容詞は、熟成、豊富な経験、豊潤、円熟などからもたらされる複雑な深みと浅薄でない魅力のようなものをイメージして使われる。「コクがある」というのは料理を褒める言葉である。曖昧ではあるが、おおよそのニュアンスを国民が共有している。
一般的にコクがあるという場合、多くの成分が複雑に絡み合って、味わいの厚みをもたらしている場合を指すことが多い。単独の味が強く感じられてしまうとコクでは無くなる。酸味を加えると食べ物はさっぱりすると言うが、酸味の突出でコクが消えるとも言える。
コクがあると認められている食材や料理はいくらでもある。フォアグラ、あんこうの肝等の内臓、生クリーム、チーズ、バターなどの乳製品、生ウニ、キャビアやからすみ、イクラなどの魚卵。味噌や醤油、カレー粉、マヨネーズなどの調味料、霜降り牛肉、鮪のトロなどの動物脂、日本で流行しているラーメンの複合的なダシや背脂(豚の背の部位の脂。ラード参照)など無数にある。
コクの特徴に、時間的および空間的な拡がりがある。空間的な拡がりは、口のなかの多くの部位や神経経路で味わいが感じられていることで説明できる。食品を口にしたときに、舌の先ですぐに感じられる甘味や塩味は鼓索神経(顔面神経が3番目の分枝する神経(1番目、大錐体神経、2番目、アブミ骨筋神経。※15参照)を介した味覚、舌の奥やその両側で感じるうま味や油脂のおいしさは舌咽神経で伝えられる味である。舌触りには舌だけでなく歯茎なども動員される。味わいの感覚や部位が総動員されることが、コクにとって重要のようである。
コクには時間的な拡がりも大切である。口を近づけるだけで香る匂いから始まり、舌の前半部分で瞬時に立つシャープな味わいと、一呼吸おいてから舌の奥で感じられる味わい。さらには口のなかに留めている間にじわりと顔を出す味わい。飲み込んでからも続く余韻のような心地よい味わい。時間をかけて得られる味わいが十分に納得させられると、コクがあると強く感じる。
日本人の使うコクという言葉には様々な対象やニュアンスがあるが、整理すると三層の構造をしていると考えている。中心部はエネルギーに富む油脂や砂糖の甘味。栄養素そのものの味で、動物ならば誰でもうまいと感じる。実際に、食品開発の立場から見ると、砂糖と油脂は食品にコクを与える切り札である。したがって、コクの本義は生きてゆく上で生理的に大事な栄養の味わいであると言える。動物はこれらにやみつきになる。いわゆる脳の報酬系を刺激する物質である。
その外側に第2層のコクとして、粘度、魅力的な香り、重厚感、うま味、濃厚な色調などが、栄養素のリッチな分厚い感じを想起させるコクとして存在する。それ自体は「中心のコク」のように強いコクではないが、人間の食体験によってコクを強める作用がある。いわば、学習によって濃厚さを連想する仮想的なコクである。
最も外側の第3層には、実体を離れた比喩的なコクが位置する。コクのある演技とかコクのある表情とか、コクのある生き方などである。感性に依存する抽象の世界であり、極度に洗練された吸い物の風味のコクなどは第2層と第3層にまたがるのかも知れない。
ラーメンやカレーや焼き肉などは中心部のコクを有する。誰にでもわかりやすい濃厚さである。一方、日本の伝統的な料理のコクは香りや食感、色合いなどが関わる第2層に集中している。第2層や第3層のコクは外側に行くほど実体が薄れる。極限まで削ぎ落として無駄なものがなくなったなかに残る豊かな味わいを高い品位として日本の料理は重視してきた。誰にでもわかるような濃厚なコクを高く評価してこなかった点は欧米の料理と大きく異なる。日本の料理が「引き算の味わい」であるという言葉はここから生まれる。・・・・と。
日本の料理の味わいとして最も重要なのは出汁(ダシ)であり、このダシは、昆布と鰹節を使うことによって、うま味を相乗的に強化したものである。そして、ダシは吸い物のベースとしてだけでなく、煮ものなど様々な日本の料理の下地として使われている。日本料理のコクの本体は油分と糖分とダシ成分であるということのようだ。そして、コクというのは、単一の成分ではなく、多くの成分が複雑に混ざり合ったものであり、いわばコク本体そのもので、ここではそれを「コアーのコク」とし、その正体は油、糖、ダシの3つの成分とのこと。第2層は、食感や香りなど、コアーのコクのおいしさを倍増させる役目をするものであり、第3層には、さらに抽象的で文化的な要素が存在しているとしているのである。つまり、コクとは「味の総和」であり、これらの組み合わせがやみつきになる味になるということのようだ。
しかし、一口に「コク」「キレ」と表現している内容も決して一様ではない。「ダシのコク」「味噌のコク」「ビールのコク」「コーヒーのコク」、あるいは「ビールのキレ」「日本酒のキレ」「コーヒーのキレ」などは、おそらくそれぞれ別々の要因から成り立つ、別々の「味わい」だと考えた方がよく、すべてを統合して考えるのには無理があるだろう。
ただ、コクとは「味の総和」のことだから、ひとつひとつの味は濃くなくても、これらがうまく合わされば、結果的には濃い味になり、コクがあることになるが、逆に、味が濃くても何かひとつの味だけが強く、その他の味がしないような場合は、コクがあるとはいえない。一方のキレは「後味がどれだけ早く消えているかで測る味」のことを指すようだ。この言葉は、もともとは、日本酒の醸造技術者が使っていた表現で、後味がスッと消えればキレがあり、長く残るようであればキレが悪いということになる・・・・。
よく判らないが、こういうことで、納得しておこう。
参考:
※1:バッハ・平和・教会音楽
http://www.jade.dti.ne.jp/~jak2000/index.html#総目次
※2:アンサンブル・バッハ
http://www.ebach.gr.jp/index.html
※3:社団法人 全日本コーヒー協会
http://coffee.ajca.or.jp/
※4:コーヒーの飲みすぎは危険?カフェイン依存症|ヘルスケア情報|eo健康
http://eonet.jp/health/healthcare/health59.html
※5:コーヒーの飲みすぎは、カフェイン中毒? [依存症] All About
http://allabout.co.jp/gm/gc/302152/
※6:[79]循環器病と気になる嗜好品 - 国立循環器病センター
http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/pamphlet/general/pamph79.html
※7:おいしさの科学 1) 五つの基本味 -- 都甲 潔
http://www.natureinterface.com/j/ni08/P080_081/
※8:食治と営養学
http://www.kanpow.net/index.php?data=./data/cl1/
※9:苦味から味覚を考える
http://www.bitby-bit.com/~gohyah/bariki/bariki1-03.html
※10:アーユルヴェーダの六つの味
http://www.ayurvedalife.jp/column_201303_003.aspx
※11:日本うま味調味料協会
https://www.umamikyo.gr.jp/
※12:そのウィスキーをもう一杯: なぜウィスキーは最初から美味いと思えないか? 前編 (via petapeta)
http://onemore-glass-of-whisky.blogspot.jp/2013/02/blog-post_11.html
※13:子どもの味覚【前編】食べ物の好き嫌いはどうして起こるのか ...
http://benesse.jp/blog/20121213/p2.html
※14:農林水産省: 食文化
http://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/index.html
※15:顔面神経[?]
http://www.anatomy.med.keio.ac.jp/funatoka/anatomy/cranial/cn7.html
『うま味とコク』
http://www7b.biglobe.ne.jp/%257erakusyotei/sawakai50.html
AGF:コーヒー大事典
http://www.agf.co.jp/enjoy/cyclopedia/index.html
「コーヒーの日」-今日のことあれこれと・・・
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/0787254be10974f1a4c0cd54fe36a6a0
コーヒー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC