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理化学研究所設立(2−1)

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理化学研究所設立(2−2)
理化学研究所設立(参考)


何時もブログを書くのに参考にさせてもらっている「今日は何の日〜毎日が記念日〜」の6月19日のところに、
「1917(大正6)年のこの日、理化学研究所(理研。※1)が、東京都文京区本駒込に設立された。
1958(昭和33)年に「理化学研究所法」(※2)にもとづく特殊法人になり、1957(昭和32)年から1966(昭和41)年の10年間かけて、現在の埼玉県和光市に移転した。」・・・とあった。

現在、ノーベル化学賞を受賞(2001年)した野依良治が理事長を務めるなど、多数の科学者を擁し、物理学化学工学生物学医科学など基礎研究から応用研究まで広い分野での研究を行ってきた日本有数の巨大研究機関である理化学研究所は、3年後の2017年には創立100年を迎える古い歴史をもつ日本を代表する研究機関の一つである。
創設以来、鈴木梅太郎寺田寅彦中谷宇吉郎長岡半太郎嵯峨根遼吉池田菊苗本多光太郎湯川秀樹朝永振一郎仁科芳雄菊池正士など多くの優秀な科学者を輩出してきた理化学研究所は、国際的にも高い業績と知名度を持ち、日本国外では、“RIKEN”の名称で知られている。
日本国内には和光市以外に、仙台市、つくば市、名古屋市、神戸市など全国に8つの主要拠点を持ち職員の数は3502人を数える(平成26年4月1日現在)。
あらゆる分野の研究をしている理研であるが、我が地元神戸では、現代の科学技術の発展にとって不可欠なツールとして文部省のイニシアティブにより開発主体の理研を中心にしたプロジェクトにより開発された「スーパーコンピュータ(京)」が供用を開始している(※1:理研の計算科学研究機構(AiCS)参照)。
兵庫県佐用町播磨科学公園都市内には世界最高の性能を誇る大型放射光施設「SPring-8(スプリングエイト)」を擁している(※1の放射光科学総合研究センター参照)。
この理研、日本だけでなく、海外の4ヵ所の施設(アメリカ、イギリス、シンガポール、北京)にも職員が665人いる。
そんな日本を代表する巨大な機構である理研が、小保方晴子ユニットリーダー(あるユニット[編成単位]のリーダー)の「研究不正」問題で揺れに揺れている。
理研などが、マウスを使っての実験により、外からの刺激で体細胞を初期化することにより、どんな細胞にでもなれるまったく新しい「万能細胞」の作製に成功した・・・と発表したのは、今からまだ、約5ヶ月ほど前の今年(2014年)1月28日のことであった(※1理研Hの2014年1月29日60秒でわかるプレスリリース参照)。
この新しい細胞を発見した理研の発生・再生科学総合研究センター(CDB。神戸研究所。※1のここ参照)の小保方晴子ユニットリーダーらは、この新たな万能細胞にSTAP(スタップ)細胞(刺激惹起性多能性獲得細胞)と名付けた。
いったん役割が定まった体の細胞を外からの簡単な刺激(酸による刺激らしい)だけで万能細胞に変わることはありえないとされていた。そんな生命科学の常識を覆す画期的なこの成果が、翌29日、英科学誌ネイチャー電子版のトッ プ記事として掲載された。

上掲の画像は、2014年1月29日、STAP細胞について説明する理研 発生・再生科学総合研究センター(神戸市)の小保方晴子研究ユニットリーダー。

しかし、ネイチャーに発表したSTAP細胞の論文が外部から不自然との指摘を受けて後、3月10日には小保方氏らとのSTAP細胞の共同研究者である若山照彦・山梨大教授が論文に問題があるとして論文撤回を呼びかけたことから、小保方氏らによるSTAP細胞論文に改ざん捏造(ねつぞう)疑惑があるといった問題が浮上し、日本中に激震が走った。
それに対して小保方氏は「論文に誤りがあることは認めるが、STAP細胞はある。200回以上作成に成功した」として、論文を撤回する意思のないことを記者団に表明。その後ほとんどの論文の共著者が撤回に同意するも、小保方氏は論文撤回に同意せず理研側と対立していた。
世間の一番の関心事は、論文の捏造問題などより、「STAP細胞が本当にあるのかないのか」・・ということであった。
しかし、結局、6月3日、小保方氏が論文撤回勧告に同意したため、STAP細胞の研究成果はその根拠を失い白紙となった。
そして、STAP細胞が存在するかどうかについては、ゼロから検証するために理研が再現実験をすることになった。

上記に掲載の画像は、STAP細胞を巡る経緯と主な論文著者の発言(6月5日付朝日新聞朝刊より)
論文問題で、6人の外部有識者で作る理化学研究所改革委員会(委員長・岸輝雄[※3]東京大名誉教授)は6月12日、「研究不正に至った経緯と背景を分析し、再発防止策を盛り込んだ提言をまとめ公表した。
そして「小保方晴子ユニットリーダーが所属する発生・再生科学総合研究センター(CDB。神戸市)を “構造的な欠陥がある”として早急に解体することを求めた」との報道があった。
提言書は組織内部に問題の背景があったとし、小保方氏の採用では、通常実施する英語による公開・非公開のセミナーをせず、推薦状もない状態だったのに内定を決めるなど「にわかには信じがたい杜撰さ」と批判。
IPS細胞を凌駕する画期的な成果を獲得したいというCDBの強い動機が、成果主義の負の側面として問題化したと認定。又、論文作成に関わった笹井芳樹副センター長については、「研究の秘密保持を重視するあまり、外部からの批判や評価が遮断された閉鎖的な状況を作り出した」・・・とした。
そして、2000(平成12)年の発足以来センター長を務める竹市雅俊ら幹部の責任は重大だと指摘。人事異動などでは構造的な欠陥を取り除くのは難しく「早急にCDBを解体すべきだ」として、竹市・笹井両氏を後退させ人事を一新するよう求めた。
また、理化学研究所本体についても、「事実の解明に対する積極性を欠き、問題をわい小化しようとしている」などと厳しく批判。 そして新たに見つかった疑義についても十分な調査を行うよう要請するとともに、その上で京都大学IPS細胞研究所との協力関係を構築するなどして研究体制を作り直すことを提案した。
一方、STAP細胞の存在を調べる為に理研が実施している再現実験について「いまのやりかたでは小保方氏が作成に成功していたのかが明らかにできない」などと問題視。専門家の監視のもと、小保方氏が加わって実施すべきだとした。

「理研改革委の提言骨子」は以下のようなもの。ここでは6月13日朝日新聞朝刊記事を引用したが、詳しい提言内容は以下参考の※4を参照されるとよい。
その、2週間後6月12日には、またも、STAP細胞論文の共著者の一人若山照彦教授が、記者会見し、小保方氏の「STAP細胞」から作られた細胞を調べた結果、細胞の元になったマウスと遺伝情報が一致しなかったと明らかにした。ただ、「絶対にないと言い切ることはできない」としているが、これで、「STAP細胞」があるという証拠はなくなり、存在を否定する結果が次々出ている以上、小保方氏の作製に成功したという「STAP細胞」は他の種類の万能細胞であった疑いが更に強まったことになる。
さて、この問題の中心人物である小保方氏は引き籠もったまま出て来ないが、これに対してどう説明するつもりなのか。
ただ、小保方氏らが作ったとするSTAP細胞がES細胞などから作ったとは見られない面もあると言われており、まだまだ判らない点は多い。
小保方氏にとっては、もう、専門家の監視のもと「STAP細胞」を再現して見せるか、作ったということがもし虚偽であったのなら、すべての真実を明らかにするしかないだろう。
今回の問題が起こった本当の理由はなんだったのだろうか・・・。誰もが感じている原因は、「何となくこんなことだろう」と思うことがYAHOO!知恵袋(※5参照)に書かれていた。真実か否かは知らないが凡そはそのようなことだろうとは私も思っている。
ただ、神戸の発生・再生科学総合研究センター(CDB)は阪神・淡路大震災(1995年=平成7年1月17日発生)後に、神戸復興のために神戸市が医療産業都市のポートアイランドに誕生させものた。現在世界で初めてIPS細胞を患者に使う臨床研究などのプロジェクトも進んでいる(※6のここ他※7参照)。
若し、このCDBを解体するとなると、神戸医療都市(※8参照)の柱が失われ、産業集積効果は損なわれる(※6のここ参照)。
小保方氏のような人が一人ここから出たからと言って、若い優秀な研究者を育てるためにも、組織を潰してしまうようなことがないことを願っている。
この論文改ざん問題が発生した時の理研の対応には異常さが見られたが、そこには、YAHOO!知恵袋(※5参照)にも書かれているように国からの予算の獲保の問題があったと考えられている。理研の平成26年度予算は834億円で、約人口20万人の自治体に匹敵する(例:熊谷市人口202千人で、一般+特別会計予算合計は約900億円。熊谷市HP参照)。理研の場合、その予算の9割以上が税金から捻出されている。これはすごく恵まれた条件にあることは間違いない。
昔と言っても、2009(平成21)年11月、理研の「次世代スパコン事業」(京)が行政刷新会議事業仕分けの対象事業として取り上げられ、民主党蓮舫議員から「2位じゃダメなんですか」の指摘で大論議となったことはマスコミで面白おかしく報道されたので、国民の誰もが知っている通りであるが、結果的には「限りなく見送りに近い縮減」となった。その後の大臣折衝などを経て、要求額よりかなり減額されたうえ予算がつき、理研により神戸ポートアイランドに整備された(※9参照)。
更に理研そのものに関しても2019(平成22)年4月の事業仕分け第2弾の「独法(独立行政法人通則法による法人)仕分け」でも取り上げられ「研究実施体制のあり方について抜本的見直し」が指摘されていた。そのようなことから国からの莫大な予算確保のためには それなりの成果を挙げなくてはならない・・・との意識が過剰になったのではないかと思われる。

上掲の画像は、「京」が設置された理化学研究所計算科学研究機構(神戸市)

安倍晋三政権が、政府予算の面で優遇する「 特定国立研究開発法人」(仮称※10参照) の導入が昨年12月に閣議決定している。
「特定国立研究開発法人」に指定されると、国から巨額の予算がつき、国際的に優秀な「スター研究者」を億単位の報酬で招けるなど、資金を自由に使えるようになり、その分自由な研究もやりやすくなる。
従って、これに指定されたいが為に、理研がよく調べもせずに小保方氏に論文を発表させ、成果をアピールして「特定国立研究開発法人」になろうという魂胆があったとしか思えない。
発表後、すぐに論文の疑惑問題が発生したが、今度は、慌てて、ノーべ―賞級の世界的偉業と言われた新しい「STAP細胞」が本当に発見されていたのか否かの検証を行うこともなく、その障害となる「小保方ユニットリーダーだけが論文を捏造、改ざんした」と一方的にしかも拙速に決めつけ、露骨な「トカゲの尻尾切り」をしてでも、その場を切り抜けようとしたドタバタ劇であったように思われる。
結局この不祥事から、当初は「産業技術総合研究所」と一緒に決定する予定だった理研の「特定国立研究開発法人」決定を政府は見送ることにしたが、こうなってしまったのは理研の自業自得である。この問題で小保方氏の責任は非常に大きいが、彼女も理研に所属する以上理研の方針に従い踊らされてしまった人物ではないかと私は思っているのだが・・・。
この論文が発表された当初、NHKを始めとする日本の大手マスコミは、こぞって「日本の女子力はたいしたものだ」「世界に誇れる日本の女子力」「リケジョ」など苛烈なまでの賛辞を送ったものだ。そして、小保方氏のような「リケジョ」になりたいと張り切っていた若い女性も多くいたが、その人たちの夢を破ってしまった。ただ最近、民間会社でも阿部政権でも「若い女子」の活用とかいって人気取りしている節があるが、何かブームに便乗するような形で「若い女子」だけを特別扱いして騒ぐのはどうだろう?。
男女平等の世の中、力のある人は男でも女でも公平に扱えばよいだけのことである。もしそれが出来ていないところがあればそのような企業や団体を指導すればよいだけのことではないか・・・。。

ところで、このSTAP細胞の論文問題で世界中から注目を浴びることになった理化学研究所(理研)って、この問題が発生するまで「どんな組織で何をしているところ・・?」と聞かれても、よく知らない人が多くいたのではないだろうか。
我が家の女房殿も「理研って、“ふえるわかめちゃん”や“わかめスープ”など(ここ参照)を作っているところ・・・」と言ったことぐらいしか知らなかった。
そこで、今日は今話題になっている、理研のことをこのブログで取り上げた。
理化学研究所は、明治維新(1868年)からほぼ50年後、日本の科学技術近代化の黎明期に当たる1917(大正6)年、日本における資本主義の父とも呼ばれる大実業家、渋沢栄一の呼びかけで創設された伝統ある研究組織であるが、其の理研の設立された当時の状況を見てみよう。
日清(1894年〜1895年)・日露(1904年〜1905年)の両戦争の中で進んできた日本的産業革命は1908・9年(明治41・42年)頃には確立され不況の中で資本の集積が進みつつあった。
こうしたなか、日本の科学の状況は、まだ西洋の模倣が主であったと言ってよい。創造的な研究成果もあがり始めてはいたが、主に欧米に出向いての仕事であり、国内での創造的科学研究を可能にする基礎づくりが強く求められていた。
1908(明治41)年〜1909(明治42)年頃の創造的成果につながりのありそうな出来事を蔵書の『朝日クロニクル 週刊20世紀紀』1908−9年号を参考に書けば以下のようなものである。
1908年
4月、癌研究会発会式(会長青山胤道男爵..。評議員に山極勝三郎がいる。※11参照)。
6月、陸軍、臨時脚気病調査会を設置し7月4日発足式(初代会長:森林太郎[=森鴎外]。委員に鈴木梅太郎も在籍)。
6月細菌学者ロベルト・コッホ夫妻が北里 柴三郎に招かれて来日。
7月、池田菊苗が、グルタミン酸塩を主成分とする調味料製造法の特許を取得。
9月小川正孝が新元素「ニッポニューム」(Nipponium: Np。「原子量が約100の43番目の元素」)発表(ただし、原子番号75のレニウムの誤認。※12参照).
この他、この年長岡半太郎が、ゼーマン効果の実験研究開始(※13参照)。又、中村清二が、『帝国理学研究所設立の必要』を『時事新報』に書く(※14の参考文献のところ参照)。
1909年
3月、木下季吉(在英)が、α粒子写真作用発見(※15参照)。
4月、秦佐八郎が留学先のドイツで、パウル・エールリヒとともに、梅毒の特効薬サルバルサンを発見。第27回ドイツ内科学会で発表。
同4月、高峰譲吉(在米)、タカジアスターゼの日本での特許取得。
5月鈴木三郎助うま味調味料味の素」を工場生産して、売り出しを開始した。

恐るべき伝染病の原因が特定の病原微生物(細菌)によって起こることが明らかになったのは1870年代からで、予防法、治療法も次々開発された。
開拓者はドイツのコッホエールリッヒ、フランスのパスツールらであった。
彼らのもとへ19世紀末から北里柴三郎志賀潔秦佐八郎ら、日本の青年医学者たちが留学し、北里は、留学先のコッホのもとでベーリングと共同で破傷風の純粋培養に成功(1889年)し、翌年破傷風血清療法を開発し、帰国後は、香港でペスト菌を発見(1894年)した。そして、帰国してすぐ、日本に伝染病研究をする必要があることを訴えた。直ちに私財を投じて応えたのは、福沢諭吉であった。
北里は私立伝染病研究所(現:東京大学医科学研究所)の初代所長となり、所員らと共に華々しい成果を上げる。後に同研究所の東京大学への移管が通告されたとき辞職し、北里研究所を作った。
北里と同じく私立伝染病研究所に勤めた志賀は、1897(明治30) 年に、ここで赤痢菌を発見した。

理化学研究所設立(2−2)

理化学研究所設立(参考)

(冒頭の画像は大正期の理化学研究所、画像はWikipediaより)

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