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文鳥の日

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日本記念日協会で今日10月24日の記念日を見ると、「文鳥の日」があった。
由緒を見ると、文鳥にくわしいライターの伊藤美代子氏が制定。日付は10と24で「手に(10=テンと2)幸せ(4)」と読む語呂合わせと、この時期に手乗り文鳥のヒナが出回ること。それに「1024」の数字で、文鳥の姿をあらわせることなどから。江戸時代から愛されてきた文鳥について考える日。・・とあった。
伊藤美代子と言うライターのことを私はよく知らないが、文鳥に特化した本を書いたり、文鳥グッズなどを販売しているらしい。プロフィールは参考の*1を参照されるとよい。由緒の「1024」の数字で、文鳥の姿をあらわせる・・・とあるが、よくわからないのでネットで調べてみると見つかったここ参照)を参照されるとよい。
私にはよくわからないが、今のペットブームの時代、だけでなくいろんな鳥獣がペットとして飼われており、そんな中の文鳥ファンが寄り集まっていろいろブログで交流しているようだ。
ペット(英語:Pet)とは、一般的には愛玩を目的として飼育される動物のことであるが、人間は、基本的に、人の心を和ませたり楽しませてくれるペットが好きであり、人間が太古からペットを飼っていた証拠は、いずれの大陸からも発見されているが、それらは、ペットして手当たり次第に飼い始めた野生動物の中から、家畜として有用なものが見いだされたと考えられているようだ。
家畜とペットの境界は曖昧であるが、オオカミ(イヌ)の家畜化が3万年 - 1万5千年前から行われ、狩猟の際の助けとして用いられた。以下、トナカイ、ヒツジ、イノシシ(ブタ)、ヤギ、ウシ、ニワトリ、ハト、ウマ、ラクダなどが、家畜として飼育されるようになった。また農耕のはじまりとともに、害獣となるネズミなどを駆除してくれるネコやイタチのような小型肉食獣が珍重されるようになったという。
上述の通りペットの歴史は家畜に先行していると考えられているようだが、明確に愛玩動物として飼育された最初の例として史料が残っているのは、5,000年前の古代エジプトピューマ(ネコ科)だそうである。南米のインディオではインコサルを飼っていたようだ。
奈良時代に成立(養老4年=720年)した『日本書紀安寧天皇11年(西暦不明)の条には「猪使連(イノツカイノムラジ)」という職が記述(*2の卷第四:安寧天皇参照)されており、古くは猪(イノシシ)が飼育されていた。イヌ、ウマ、ウシ、ネコなどの動物は、先史時代にユーラシア大陸で家畜化されたものが、列島に入ってきたと推定されている。
一般社団法人ペットフード協会調べによる2014(平成26)年の、「日本のペットの飼育率状況」を見ると、犬:14,4%(15,8%)、猫*9,8%(10,1%)、金魚:4,9%(5,2%)、熱帯魚*2,3%(2,5%)、小鳥*1,8%(1,2%)となっており〔()内は昨年〕、犬・猫の飼育率が圧倒的に飼育率は高いが、ただ、飼育率は前年より若干減ってはいるが、金魚と、小鳥の飼育率が高くなっている。
また、今後、ペットの飼育を希望する飼育意向率は、現在の飼育率の犬は1,92倍.猫は1,86倍、小鳥2,1倍に対して、金魚は0,91倍と減少、その中で、小鳥は、2,1倍と他のものより、増加率が高い。近年、小鳥の飼育希望者が増えてきているということか。いずれにしても、多くの人が今後何らかのペットを飼育したいと考えているようである*3;「ペットフード協会」の全国犬猫飼育実態調査参照)。
今日ペットは、家族として、パートナーとして、仲間として人の暮らしに密接に関わり、心を癒してくれたり、あるいは愛玩されたり、共生するなど、様々な面を持った存在である(「<ahref=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%9E%E3%83%AB>コンパニオンアニマル(人生の伴侶としての動物)」参照)。この中で、鳥類の飼育率が年々減少傾向にあり業者も今後を心配していたようだ(*4参照)がそれが昨年ごろから若干増加傾向になってきたのは朗報だろう。。
日常生活で飼育する鳥類のことを愛玩鳥というが、愛玩鳥は、主に姿形や鳴き声、さえずりを観賞する目的で飼われるもので、それ以外にでは猛々しさ(ワシタカのような猛禽)や、面白いしぐさ(ヤマガラインコオウムなど)を観賞するためにも飼われる。猛禽の場合は権威の象徴としてや、狩猟目的ではなくスポーツとしての鷹狩りのために飼われる場合もある。
食用や採卵用の家畜として飼われる鳥は家禽と呼ばれ、愛玩鳥とは区別されるが、これらの中にもチャボオナガドリのように、観賞用に品種改良された種がありこれらは愛玩鳥とされる。またかつて通信手段(伝書鳩用のカワラバト)や、狩猟用(鵜飼い鷹狩りに用いられる鷹やハヤブサなど)など、有用目的をもって飼養されたが、現在はその有用性を失い、現在はかつてあったその技術を継承するためだけに飼われている鳥も愛玩鳥とは呼ばれない。もっとも、こういった技術継承の目的とは関係なく、それらに用いられる種を飼う場合もあり、その場合は愛玩鳥とされている。
愛玩鳥として飼われる鳥類は小鳥が多い。もともと寿命(*5の種類別の小鳥寿命表参照)が人間よりはるかに短く、環境の変化に敏感でちょっとした管理の不手際で飼育途中に死なせてしまうことも多々あるので、例外的に長命で人懐こいインコ、オウムを除くと犬や猫のようなコンパニオンアニマル扱いされることは希である。
私の妻の義兄(姉の夫)は船乗りだったので留守が多く、若いころは妻の実家で一緒に住んでいた。そして、航海先でオウムを買って帰り家で飼っていた。オウムは50年も生きるそうだが私が妻と結婚して初めて妻の実家へ行った時には、何歳になっていたのか知らないが、非常に人になつき特に 妻にはよくなつき、妻の顔を見るとすぐに近づいてきて手の上に乗り顔を摺り寄せてくるほどであった。そして、生まれて間なしのころから飼っているからであろう物覚えがよくていろんなことを本当に多くよくしゃべり、家の前が丁度バス停でその前の軒先近辺にかごに入れて飼っていたので、妻がバスで帰ってくるとそれがわかるらしく、「お帰り、お帰り」としゃべりだすので、近所でも有名になっていた。
長い年月をかけて、人間に順応してきたペットであるが、時代時代により流行がある。
今やペットの代名詞的存在である犬は日本でも、旧石器時代から(縄文犬参照)から、また、猫も平安時代から飼われていたようであり、宇多天皇の日記『寛平御記』には自らが飼っていた黒い猫の記述がにみられ、これが「家猫」に関する、日本の史料における最古の記述とされている。
「朕閑時述猫消息曰。驪猫一隻。太宰少貳源精秩滿來朝所献於先帝(光孝天皇のこと)。
愛其毛色之不類。餘猫猫皆淺色也。此獨深如墨。」(*6参照)
訳すとこうなるのだろう。
「今日は暇だから、私の猫の消息について述べてみよう。この驪猫一隻は、大宰大弐を務めたた源 精(みなもと の くわし)が秩満ちて来朝し(任を終えて朝廷に戻ったとき)、先帝(光孝天皇)に献上したものだ」。
「その毛色 は類い希で、他の猫がみなどこかぼやけた淺色色なのに比べ、この猫だけは墨のように 真っ黒で、まことに愛おしい。」。
『寛平御記』は当時10巻が伝存していたようだが、現在は1巻も残存していないそうだが、『源氏物語』の注釈書である『河海抄』などで引用され残っているようだ。
ここでの引用文には、「猫」と書かれているが、平安時代、「猫」は「」と表記されていたので、『寛平御記』でも、実際には「狸」と書かれていたようである(*6のここ。*7参照)
また、ここで、黒猫のことを「驪猫」(りびょう)と書かれているが、「黒」には「汚れた」「腹黒い」といった意味もあることから、「」の字は本来は黒馬という意味の字で、猫に使われた前例は無いようだが、「」という字を含む好字であるので、自分の愛する黒い猫に『驪猫』という表現を使ったのではないかという(*8参照)。
そして、犬猫以外のペットでは、江戸時代に、金魚が大流行した。
金魚のことについては依然このブログ3月3日「金魚の日」(*9参照)でも書いたが、日本でも鎌倉時代にはその存在が知られていたようだが、金魚そのものは、約500年ぐらい前の室町時代末期に当時貿易港として栄えていた堺 (大阪府堺市)に持ち込まれたのが最初だとする説がもっとも有力とのこと。この当時持ち込まれたのは、今ワキン(和金)とよばれている種であるが、当時は高価なものであり、又、日本は戦乱の時代でもあったことから、金魚は普及しなかった。
江戸時代前期になると世の中も平穏になり、再び中国から金魚が持ち込まれたが、未だ養殖技術もなく池などで飼われていたが、それは、非常に高価で、本当に限られた上流階級だけに許される贅沢品であったが、寛延元年(1748年)に出版された安達喜之の金魚の飼育書「金魚養玩草」(*10参照)をきっかけに、金魚が大流行した。しかし、当時はまだ希少だったため、値段が高く、庶民にとっては高嶺の花だったが、江戸中期から後期にかけ、大量生産が可能になったため、庶民にも金魚を飼う風習が広がっていった。縁日でお馴染みの金魚すくいもこの時期に誕生したようだ。
そして、明治維新直後、日本には外国から多くのものが輸入されるようになったが、中でもウサギは簡単に飼育ができる上に食用にもなると大人気に。庶民間でウサギの売買が止まらず、一羽につき月一円のウサギ税が課せられ、無届で飼育したものには一羽につき二円の過怠税を申し付けられたほどであったという(*11参照)。
また、熱帯地域に生息している熱帯魚が日本に伝わったのは19世紀の後半のことで、一般に飼育されれるように広がったのは第二次大戦後の昭和30年代からで、当時は温度調整の設備もあまりなかったので大変苦労したようだが1960年~1970年代頃から熱帯魚ブーム(*12参照)があったのを覚えているが、今でも、根強い人気を誇っているようだ。そのころ私も、水槽で、グッピーを飼っていたが飼い方が悪かったからだろう、子を産んで増えたと思っていたらいつの間にか数が減っている。どうやら共食いしていたようだ。

さて、「文鳥の日」に他のペットのこと長々と書いてしまったが、文鳥のことを書こう。
ペットとして日本でもポピュラーな存在の文鳥は、英語名がJava Sparrow(ジャワ雀)というくらいで、もともとインドネシア(カンゲアン島、ジャワ島、バリ島)の固有種で.スズメ目カエデチョウ科,)の小鳥で、学名をPadda oryzivora、「パダ・オリジヴォラ」というが、この学名は米食い鳥(Rice bird)の意味で、実際にインドネシアの稲作地帯に大量に生息し日本のスズメと同じように人間の作るお米などを食していたようだ。
形態は、全長17cm。体重約24-25g。頭部の羽衣は黒く、頬は白い。体上面や胸部の羽衣は青灰色、腹部や体側面の羽衣は薄いピンク色。尾羽は黒い。冒頭の画像参照.。
熱帯の米食い鳥が、日本にやって来たのは何時の頃からだろうか?
その名からも、17世紀の初頭くらいに。おそらく、南蛮貿易などのために東南アジアに広く進出していた日本人たちが、現地で文鳥と接するようになり、日本にも持ち込んだのではないかと推測される。ただ、文献的には、江戸時代に著された本草書『本朝食鑑』(1697年刊)の中に外国から輸入され、姿かたちが美しいので文鳥と呼ばれるようになった(原文「・・・近時自外国来、以形麗号文鳥、・・・」)とあることから、元禄期にはすでに我が国で飼われ、「文鳥」と呼ばれていたのは確かなのだろう。
それでは、文鳥の名前の由来はどこから来たのだろう?
正確なことはわからないが、「」の字源は、「模様。古くは入れ墨(文身)も表した」ようであり、『漢和辞典』でも。「模様や彩り(いろどり)」とあるのことから、彩色の有る鳥なのでそれを文鳥と呼ぶようになったようである(文鳥については、以下参考の*14:「文鳥団地の生活」の文鳥の歴史が詳しい)。
しかし、中国で柄模様(文様【もんよう】)のある鳥すべてを指す言葉「文鳥」が、日本では原種のジャワ雀だけを指す言葉となったのは、それだけ、その飼育が他の小鳥よりも早く盛んになっていたことの証拠とも言えるようだ。
18世紀にはすでに文鳥の日本国内での繁殖が始まっており、次第に盛んになっていったようで、例えば、水戸藩の本草学者佐藤成裕(中陵)が、19世紀初期に著わした『飼篭鳥』(*14)には、「先年は長崎にて殖し諸方へ出し、近年ハ備前の児嶋郡の林村の佐藤九郎治なる者盡く巧者にて、数百羽を籠にして大坂及江戸に出す。」・・とあることから、庶民文化が花開く文化・文成年間(1804〜30)になって、ようやく文鳥の需要も拡大し、繁殖も所々で一般化し、大規模化されていったようである。
また、19世紀半ばの『百品考』(山本亡羊著。*16)という書物には、人々が好んで文鳥を飼育繁殖したため、逃げ出したのか、京都市中を普通に飛びまわっている文鳥の様子が、筆者の実体験として記されているほどだったという(*13参照)。
そして、初期の広重の花鳥画などの浮世絵にも文鳥が描かれる(など、異国風でありながら日本画にも自然に溶け合う姿が、画題としても好まれていたようであり、江戸時代を通じて日本人に最も親しまれてきた外来の小鳥であったようだ。
広重の花鳥画ここ参照→ 歌川広重《梅に文鳥》とハクバイ(白梅) - 海の見える杜美術館
こうした文鳥の普及化を背景として、文鳥には、白文鳥、桜文鳥、をはじめ、さまざまな品種が作り出されていく。
江戸時代の文鳥たちは、原種のジャワ雀と同じ姿をしていたが、明治時代の初め頃、現在の愛知県弥富市又八新田地帯の文鳥を繁殖する農家で、全身純白の文鳥が突然変異により誕生したそうだ。白文鳥の創出者について、愛知県弥富町の神社に建てられている「白文鳥発祥の地」の碑には、幕末当地に嫁いできた女性が持ってきたつがいの桜文鳥に起源する旨が記されているようだ。
ここ参照→ 文鳥・弥富市特産
その白い文鳥の系統は人気となって数を増やし、明治から大正時代にかけて夏目漱石の小説『文鳥』にも描かれるほど国内で一般化したようだ。
「十月早稲田に移る。伽藍のような書斎にただ一人、片づけた顔を頬杖で支えていると、三重吉が来て、鳥を御飼なさいと云う。飼ってもいいと答えた。しかし念のためだから、何を飼うのかねと聞いたら、文鳥ですと云う返事であった。文鳥は三重吉の小説に出て来るくらいだから奇麗な鳥に違なかろうと思って、じゃ買ってくれたまえと頼んだ」

これは、夏目漱石『文鳥』(*17参照)の出だしの文を抜粋したものである。
三重吉とは、日本の児童文学を語る上で欠くことのできない、童話雑誌『赤い鳥』を創刊した鈴木三重吉のことである。三重吉は、1901(明治34)年、第三高等学校を経て、東京帝国大学文科大学英文学科に入学。夏目漱石の講義を受ける。1905(明治38)年23歳の時、神経衰弱を煩い、静養のため大学を休学し、広島県佐伯郡能美島(現・広島県江田島市)で過ごす。この間に『千鳥』の題材を得る。1906年(明治39年)3月に『千鳥』(*18参照)を完成させ、夏目漱石に原稿を送ったところ、推薦を得高浜虚子に原稿が送られ、雑誌『ホトトギス』5月号に掲載された。以降、漱石門下の一員として中心的な活動をおこなうようになった。
1908(明治41)年の大阪朝日新聞に掲載された漱石の『文鳥』には、友人(三重吉)に薦められ文鳥を飼うこととなった主人公のささやかな生活が綴られており、作中、主人公が連想で語る『美しい女』と文鳥の姿とを重ねて語る場面があり、美しいものの死を描いた作品と評されている。ただ、文鳥を飼うこととなった主人公は最初は世話をし、文鳥の姿に様々な感慨を抱くが、小説を書くのに忙しくなって、世話を怠るようになると、「家人(うちのもの)」がかわりに世話をするようになった。主人公が気のすすまない用事で2日ほど文鳥をかまわなかった時、文鳥は死んでしまう。
この綺麗な文章の随筆は結末が悲惨なので、文鳥愛好者にはどうも不評らしい。
一方の鈴木三重吉が書いた『文鳥』 は1909(明治42)年11月3日の『国民新聞』 に掲載されたもので、三重吉(当時28歳)が成田中学校(現:成田高等学校)勤務時代、当時国民新聞社の社員となっていた高浜虚子の依頼で、俄拵へ(にわかごしらえ)に、短時日のうちに書き上げたものだそうだ(*19参照)。
内容は、少年時代に従姉の千代と隠れるようにして飼った文鳥を、千代が他へ嫁いでいった後に逃がしたという思い出と、その後も忘れられなかったその白い鳥を飼って、漱石先生にも薦めて飼わせたという随想的作品である。参考*9には、「文鳥」の掲載文がある、興味のある人は読まれるとよい。いずれにしても、この時期文鳥を飼うのが流行っていたことはよく理解できる。
このころ、白文鳥は日本生まれであることから、「Japanese rice bird」として海外にも輸出されるようになったようだ。
そして、この白文鳥が数を増し、江戸時代以来の原種色の文鳥(並文鳥)と交配することで、原種色の文鳥も所々に白い差し毛の斑(はん)が入る桜文鳥に変質していったと考えられているようだ。
近年、世の中は空前のペットブームであるが、何故かマイナーな存在に甘んじていた小鳥も、最近、また、東京や大阪などに鳥カフェが相次いでオープンしたり、鳥をモチーフにした文房具や小物を置いてある店が増えるなどしており、じわりじわりと鳥ブームが広がっていると聞く。
確かに、言葉を話すオウムやインコ、手乗り文鳥などは可愛いよね。私なんかもペットを飼いたいとは思うのだが、余り長生きしないものは死ぬとかわいそうだし、もう私たちも年を取っているので、逆に、長生きするものは、何時までも飼い続ける自信もないので結局何も飼うことはあきらめている。
幸い、私の家は山の登り口にあり、庭に少しばかり木を植えているので、シーズンになると毎朝同じ時間にウグイスメジロが番で来てくれる。ここを自分たちの縄張りにしているようだ。それをヒヨドリが近くの高い大きな木の上などで見ていて、小鳥を見つけるとそれを追っ払い、花の蜜や実を横取りしようとする。小鳥は、ヒヨドリが来るとさっと近くの木の中に逃げ込み、ヒヨドリがいなくなるとまた出てきて餌をつついている。家人がヒヨドリが来たのを見つけると必死に追っ払っているのが滑稽である。毎度おなじみの光景である。見ていて厭かない。だから、無理に小鳥をペットとして飼わなくても楽しめている。
かわいい子鳥と言えば、私がまだ子供のころなど、神社の縁日に行くとよく見かけた「小鳥の占い」を思い出す。もう見なくなって久しいな~。
お賽銭を渡すとおじさんがかごを開け、小鳥にお賽銭を渡す。すると小鳥が小さな参道をちょんちょんと進んでいき、賽銭箱に小銭を落としてから鈴をガラガラと鳴らす。さらに階段を上ってお宮の扉を開き、中からおみくじを取りだして持ち帰る。そしておみくじの封を開けておじさんに渡し、麻の実をもらってからかごに戻る……。
これがヤマガラ(山雀)を使った「小鳥の占い」である。
ヤマガラは、スズメ目シジュウカラ科シジュウカラ属に分類される小鳥で、ウグイスやメジロ同様、和鳥として古くから飼育されてきた歴史がある。飼育は、ウグイスやメジロ、オオルリヒバリといった、鳴き声を競わせて楽しむ和鳥とは違って、芸を仕込んで覚えさせることを楽しむもので、ヤマガラを飼育するための専用の「ヤマガラかご」なる鳥かごまで使い平安時代には飼育されていた文献が遺されているという(Wikipedia)。
学習能力が高いため芸を仕込む事もでき、覚えさせた芸は江戸時代に盛んに披露されたそうで、特におみくじを引かせる芸が多く、日本最古の遊園地とされる浅草「花やしき」でも、明治初年から「ヤマガラの芸」が評判を呼んだという。以下参照.。
二〇世紀ひみつ基地小鳥のおみくじ芸・伝統の見世物

このようなヤマガラ芸は1980(昭和55)年ごろまでは神社の境内などで日本各地に見られたことから、我々年輩の者には本種はおみくじを引く小鳥のイメージが強いが、おみくじ芸自体は戦後になってから流行し発展してきたもので、曲芸は時代の変化とともに変遷してきた事が記録から読み取れるという。
このような野鳥をペットとして飼うことは、戦前は広く行われていたが、戦後鳥獣保護法制定による捕獲の禁止、自然保護運動の高まり、別の愛玩鳥の流通などにより、これらの芸は次第に姿を消してゆき、1990年頃には完全に姿を消した。このような芸をさせるために種が特定され飼育されてきた歴史は日本のヤマガラ以外、世界に類例を見ないそうだ。
野鳥が手乗り文鳥のように飼い主の手に乗るくらいに親しくなれば、この上なくかわいいが、野鳥で、真っ先に、人間の手に乗るのは、このヤマガラだと考えられているそうだ。というのは、ヤマガラは子飼い( 子供の時から 引き取って養育すること)をしなくても人馴れしやすく、しかも好奇心旺盛だからだというが、いくら可愛くても日本の野鳥は飼えないので幼鳥のインコや手乗り文鳥が手頃ということだろう。
ストレスフルな現代社会において、「癒し」としてのペットの役割は今後もますます高まっていくことだろうが、ペットブームの影で、ペットを飼いきれなくなってペットを捨てる飼い主も非常に多くなってきているようだ。
犬や猫の殺処分数の増加が話題になっているが、それ以外にも問題はある。鳥や亀などペット由来の外来種が、捨てられたり、逃げ出したりして、日本の生態系等に悪影響を及ぼすこともあるからである。生き物を飼う以上は最後まで責任をもって飼ってほしいものですね。
動物の愛護及び管理に関する法律のあらまし - 環境省
捨てず 増やさず 飼うなら一生 - 環境省

参考:
*1:伊藤 美代子のプロフィール
http://profile.ameba.jp/mou2006/
*2:古代史獺祭・列島編/メニュー/日本書紀
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/shoki/frame/m00.htm
*3:一般社団法人ペットフード協会
http://www.petfood.or.jp/
*4:小鳥たちが消えていく国、日本:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20070724/130533/
*5:日本ペットフード
http://www.npf.co.jp/index.html
*6:猫の日本史:日本最古の飼い猫記録、宇多天皇の「うちの御ねこ」
http://www.huffingtonpost.jp/nekojournal/cats-history_b_5904530.html
*7:『猫の古典文学誌 鈴の音が聞こえる』(田中貴子)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-06-16
*8:『ねこ』の語源を考える15
http://tatage21.hatenadiary.jp/entry/2015/02/28/124840
*9:金魚の日 - 今日のことあれこれと・・・
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/3713241f8bdb539308bf033ab73375ab
*10:国立国会図書館デジタルコレクション - 金魚養玩草
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2540518
*11:明治初期の兎投機―「開化物」とメディアから見えてくるもの(Adobe PDF)
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/51353/1/edu_51_30.pdf#search='%E6%98%8E%E6%B2%BB+%E3%82%A6%E3%82%B5%E3%82%AE%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A0'
*12:熱帯魚の歴史 | 熱帯魚の森
http://aquamori.jp/knowledge/history.html
*13:文鳥団地の生活
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/bun2/
*14:国立国会図書館デジタルコレクション - 飼籠鳥 20巻. [1]
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2554941
*15:『飼籠鳥』における「文鳥」:
http://rara-avis.sblo.jp/article/52826680.html
*16:百品考―国文学研究資料館
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0257-019906
*17:夏目漱石『文鳥』-青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/753_42587.html
*18:鈴木 三重吉:作家別作品リスト - 青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person107.html
*19:鈴木珊吉氏寄贈の鈴木三重吉資料 7|成田市立図書館
http://www.library.city.narita.lg.jp/digitalcontents/yukari/miekichi/sankichi007.html
ペットとの共生推進協議会
http://www.pet-kyousei.jp/
ペットブームの影に... - BOWEYES
http://www.boweyes.com/magaginetantei.html
日本野鳥の会
http://www.wbsj.org/鳴き声
日本の鳥百科 サントリーの愛鳥活動 サントリー
http://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/nakigoe.html
ブンチョウ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6




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