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「さくらの日」Part ?さくらさくら

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3月27日の今日は「桜の日」。
日本を代表する花であるへの関心を高め、花と緑の豊かな国土を作ろうというのが目的。
「咲く」(3×9)=27の語呂合せと、七十二候の中のひとつ「桜始開(さくらはじめてひらく)」が重なる時期であることから3月27日を記念日に、日本さくらの会(以下参考の※1参照)が1992(平成4)年に制定した。
今日の「さくらの日」の記念日のことは前に書いた(ここ参照)ので、今日は「さくらの日」Part ?として、前とは違った視点で書いてみよう。

雪がとけて川になって 流れて行きます
つくしの子が恥ずかしげに 顔を出します
もうすぐ春ですねえ
ちょっと気どってみませんか
風が吹いて暖かさを 運んできました♪
(以下略)
キャンディーズの歌「春一番」(穂口雄右 作詞/作曲)
キャンディーズと言えばこの歌だが・・・彼女達可愛かったね〜。

キャンディーズ 春一番 – YouTube

この歌のように、春一番の風が吹くと暖かい春がやってくる。
春分の日の20日は、平年より気温が低い地域が多かったようだ。そして、関東や近畿、東海ではとうとう春一番は吹かずじまいだった。関東地方では2000(平成12)年以来、12年ぶのことらしい。
春一番は、気象庁が立春から春分までに吹く南風に風速や気温で定義しているもので、その名前とは裏腹に土ぼこりを巻き上げ、時には看板を吹き飛ばす乱暴物の強い風ではあるが、来なければ来ないで寂しいものだ・・・と、天声人語(3月22日)にもあったが、確かにそういうものだな〜。
今年、春一番が吹かなかった原因について大阪管区気象台は「日本海の低気圧が発達せず、日本列島に近づかなかったことなどが挙げられるとしている。そして、日本付近で偏西風が南よりに流れている影響で、北からの寒気の影響を受けやすい状況が今後も暫く続く見込み・・・」といっていた。
それでも、気象庁は3月21日に、全国のトップを切って高知市の桜(ソメイヨシノ)が開花したことを発表。全国で最も早い待ちかねた便りであった。
ただ、桜前線は、これからおよそ2ヵ月かけて日本列島を北上し、5月18日頃に北海道根室市に到着する予定。
九州・四国・東海地方の開花予想は平年とほぼ同じか平年より2〜6日遅いようで、中国・近畿・関東・北陸地方は平年より4〜6日遅い所が多く、甲信・東北地方と北海道は平年とほぼ同じか2〜3日程度遅いだろうと予想している。
ちなみに、私の地元、兵庫県 神戸市の予想開花日は 4月1日 、満開日は 4月10日 らしい(※2)。
欧米人がもっぱら季節の盛りを愛でるのに対して、日本人がこのような「さきぶれ」に敏感なのは日本の四季の変化が豊かなことと関係があるのだろう。
そんな日本人が桜の開花を待ち焦がれている中、日本より一足早く、米国立公園局が桜の開花宣言をした3月18日、ポトマック川沿いのタイダル・ベイスン(貯水池)周辺の桜は早くも3700本余りの桜が見頃を迎え、多くの花見客で賑わったことが、20日に奉じられていた(NHK・NEWSweb:ポトマック河畔100年の桜見頃に)。
アメリカの首都ワシントンD.Cのポトマック河畔の桜並木は、今では世界の名所の一つになっている。ここの桜は、1912(明治45)年3月、日米友好の証として日本から米国に約3千本の桜の苗木が贈られ、ポトマック河畔に植樹されたもので、それに因み、毎年3月末から4月のはじめにかけて桜のシーズンには、盛大に「桜まつり」が開催され、全米から観光客が訪れるようになった。
今年は桜寄贈100周年にあたり、開催期間も例年の2週間ほどからおよそ約5週間に拡大し、3月20日から4月27日まで行われる、期間中はワシントン周辺で日本の伝統芸能や文化を紹介するイベントが相次いでおこなわれるようだ。
しかし、開花が遅れそうな日本とは対照的にアメリカ東海岸は今年、記録的な暖冬のため、平年よりも2週間ほど早く見頃を迎えたため、関係者は桜祭りの期間中いつまで花がもつかやきもきしているという(※3)。
ところで、ワシントンに桜の樹が欲しいといったのは、アメリカ大統領ウィリアム・タフト夫人であることや、当時の東京市尾崎行雄が日米親善のために寄贈したことは知られているが、桜がアメリカに贈られるまでには紆余(うよ)曲折があり、その影には、世界的化学者、実業家でもある高峰譲吉やアメリカの人文地理学者・文学博士・ジャーナリスト、写真家でもあるE・R・シドモア女史の尽力があった。
シドモア女史は、世界中を取材して廻ったが、兄が横浜領事館に勤務していたこともあり、日本にも1884(明治17)年の初来日以降、度々日本を訪れ、人力車で全国各地を駆け巡り、日本を紹介した「Jinrikisha Days in Japan」(1891 年。「日本・人力車旅情」恩地光夫 訳 昭和61年刊、有隣堂)という著書なども出している。
武士道に基づく文化と、桜を愛でる日本人の精神に深く魅せられ、新渡戸稲造とも親交があった。
日本滞在中、中でも、隅田川の花見に感銘を受けた彼女は、母国の首都ワシントンのポトマック河畔に桜植樹を提案し続けていたが、旧知の間柄で来日経験もあり桜の美しさも知っているアメリカ大統領タフト夫人のへレンに働きかけそれが受け入れられた。また、高峰譲吉博士ら在米邦人にも粘り強く働きかけた。
因みに、シドモアと新渡戸稲造とはシドモアが米国の日本人移民禁止法(排日移民法)に反対してスイスに亡命、そして亡くなるまで親友の仲であったことから、新渡戸等の計らいで横浜米国領事だった兄、母の眠る横浜外人墓地に埋葬されている。その墓碑の傍らには、ポトマック河畔の桜が1991年に里帰りし、市民団体「シドモア桜の会」によって植えられている(※4 )。
一方、東京市長の尾崎行雄は、在米の高峰譲吉博士やアメリカ領事館の水野幸吉大使を通じで、この桜の植樹計画を知り、ワシントン市に桜の苗木を贈る事を決めた。その経費はアドレナリン結晶抽出などの成功で財をなし米国政財界で活躍していた高峰譲吉博士の負担により2000本の桜苗木が横浜の植木商に発注され、米国に送られたがアメリカに到着したときには、すべてに病害虫発生のため、植物検疫上の問題から国内に持ち込むことが出来ず焼却処分にされた。尾崎行雄東京市長は、約束を果たすために、その失敗を繰り返すことなく高峰博士の支援を受けて再度桜を送ることにした。寄贈本数も6000本となり 半数は高峯譲吉博士や日本人の希望でニューヨークハドソン河開発300年記念式に送るためのものであった。
そこで、尾崎行雄市長は、1910年(明治43年)3月、農商務省の農事試験場(現:農業試験場)長もしていた古在由直農学博士に害虫の駆除や苗木づくりの方法について調査依頼。古在博士は桜の苗木づくりを引き受け、寄贈する桜苗木の生産は、丈夫な苗木を育てるため、接ぎ木で増やすこととし、それを、旧清水市興津(静岡県)にあった農商務省農事試験場園芸部(1902年=明治35年創設)でしてもらうことになった。
その際、桜の権威、三好 学博士(※5も参照)の助言により、穂木(接ぎ木の上部にする植物体のこと)は東京の荒川堤の桜並木から興津の農事試験場に集められ、台木(接ぎ木のにする植物体)は、兵庫県の東野村(旧兵庫県川辺郡稲野村之内新田中野村字東野、現在は伊丹市 東野地区)産の山桜を使用し、この台木に穂木を接ぎ木して育てられた。
そして、1912年(明治45年)2月14日、横浜港より桜苗木6040本を積んだ日本郵船「阿波丸」がシアトルに向け出航した。
苗木の半数はワシントンのポトマック河畔植樹用に、そして残りの 半数は高峰譲吉博士や日本人の希望でニューヨークの「ハドソン・フルトン祭」(ニューヨークハドソン河開発300年記念式)におくるためのものであった(※6 参照)。
到着後これらの苗木はワシントンへ向け、冷蔵貨車で運ばれ、1ヶ月後の3月26日に無事到着した。米国農務省検査局が検査したところ病気や害虫がまったく無く完璧な苗に驚いたという。
ワシントンでの歴史的な植樹式は1912年3月27日に行われ、タフト大統領夫人と米国駐在珍田捨巳大使夫人がタイダル・ベイスンの北岸、現在のインディペンデンス 通り南側に最初の2本の桜を植樹した。この植樹式はシドモア女史はじめ、ごく少人数で行われたようで、いまでもその2本の木は記念碑とともに残っているそうだ。
一方、3月に無事ニューヨークに到着した桜の苗木は、4月28日に同市ハドソン河畔のクレアモント公園内にあるグラント将軍墓所前で盛大な歓迎植樹式が行われ、翌29日に植樹されたようだ(28日は雨だったかのようだ)。ニューヨークでも100周年を迎えた記念すべき年を多くの人々でお祝いするため、桜や日本に関係した多くのイベントが実施される予定となっているという(※06参照)。
ところで、このブログを書いていて、100年前にアメリカで行なわれた日本の櫻植樹祭。以外やニューヨークでの櫻植樹祭は非常に盛大なものであったようだが、ワシントンの櫻植樹は思いも寄らぬ簡素なものであった。・・・それは、何故だろうか?
以下参考の※7:「指導資料の解説 アメリカと日本の友情を深める花」に、日本とワシントン、ニューヨークへ送った友好の桜のことは詳しく書かれているが、1887(明治20)年ごろ、アメリカから日本に来て、シドモア女史同様、いや、それ以上に桜の美しさに心をうたれていた人物が2人いたという。その1人日本の国に親しみを持ち、世界中の植物をあつめていたディビット・フェアチャイルド博士は、日本での旅行中、東京の荒川堤に咲いているいろいろな種類の桜の花の美しさに心をうたれた。
そして、「このような美しい桜をアメリカへ輸入できないだろうか」と考えたが、日本の桜をアメリカで育て、花を咲かせるには、気候や土の性質がよく似ていなければいけないと言うことで、彼は、1906(明治39)年、ワシントンの近くのメリ−ランド州にある自分の庭園に、75本の日本の桜と25本の枝垂れ桜を植えて、育てることができるかを試みた結果、みごとに育ち、花を咲かせた。
又、同じアメリカ合衆国農務省に勤めていたフェアチャイルド博士の友人のチャ−ルス・L・マ−ラット博士も、30年間昆虫局長をつとめている間に桜の木を自分の庭に植えていたという。
早速、1904(明治37)年の春、マ−ラット博士の庭園で、花見のお茶の会をひらくことを決め、日本に来たり、親しみを持っている人たちをこの催しに招待。その客の1人に、シドモア女子がおり、ここで、3人の桜を通した友情が芽生えシドモア女子の桜の木をワシントンに移し植えたいとの考えも、博士の庭園とワシントンとでは、気候も同じようだから、桜はきっと元気に育つだろうということになり、本格的な活動が始まったようだ。そんな中で、シドモア女子がタフト大統領夫人ヘレンへ働きかえるようになった。
そして、1907(明治40)年に、来日したタフト陸軍長官が、日本から80本の桜の苗木を輸入して植えたのが始まりだ・・・とある。
ええ・・・! 1909(明治42)年、尾崎東京市長が、タフト大統領夫人や高峰たちの願いや友情を受けて、2000 本の苗木を寄贈し、到着時害虫のため焼却してしまっているが、タフトが大統領になる前の陸軍長官時代の1907(明治40)年に日本に来たときに、桜を輸入していた?・・・・。
実は、ヘレンは夫のウィリアム・ タフトが陸軍長官時代に、同伴で来日(1905年7月)している(当時の内閣総理大臣兼臨時外務大臣もあった桂太郎との間で、「桂・タフト協定」なるものが交わされている)。このとき、日本側は、皇居に招いて最高の待遇で接待をし、宮中午餐会(内外の賓客を招いて宮中において催される昼食会)にタフト夫妻は出席している。
その接待役として、横浜領事館勤務の外交官をしていたシドモア女史の実兄ジョージ・W・ シドモアが参列することになったが、実兄が独身であったため、妹のシドモア女史を同伴させたそうで、これがタフト陸軍長官夫人ヘレンとシドモア女史の親交の始まりとなったそうだ。だから、ポトマックの桜実現にとって、歴史的な出会いの始まりとなったのは、日本の皇室がご縁であったという訳であった。
又、その2年後の、1907(明治40)年にも確かに来日しているようなので、その時に、桜の苗木を輸入したとしても不思議ではないが、その苗木は、育っていたのだろうか?ひょっとしたら、ディビット・フェアチャイルド博士が1906(明治39)年、ワシントンの近くのメリ−ランド州にある自分の庭園に、75本の日本の桜と25本の枝垂れ桜を植えて、育てることができるかを試みた結果、みごとに育ち、花を咲かせたともあるので、この苗木の花が咲くのは1907年になるので、このことを言っているのだろうか・・・。いずれにしても、※7によれば、1907年には、アメリカワシントンで日本の桜が咲いていたということになり、それで、1912年日本から送られてきた3000本の桜の苗木の植樹祭は、その善意に応えて、簡素に粛々と行なわれたものであったのかもしれない。
一方ニューヨークでの櫻植樹祭では作曲家高折宮次作曲による「萬歳」と「サクラ」が奏でられなど盛大に行なわれていたことは、※8:「hanamizuki-nitibeiyukoの日」の中の“『日本の櫻の名誉』・・・・当時の新聞記事見出し”に詳しく書かれている。
それにも関らず、ワシントンのポトマック河畔のサクラは世界的な名所になっているのに、ニューヨークでは、サクラはどこにあるの?・・・といった感じになっているのは、ワシントンの桜があくまでも友好的なものとして東京市から寄贈された形をとったのに対して、ニューヨークの桜は、高峰譲吉博士や在米日本人の希望による外交的な親善目的として贈呈されたものであることが、その後のメンテナンスの違い生んだのではないかと推測している。
因みに、シドモア女史はグラハムベルが会長のジオグラフィック誌(※9参照)に明治三陸大津波(明治三陸地震参照)をいち早く記事掲載した。この記事内のTSUNAMI(津波)が昨年の東日本大震災では米国民に反響を与え改めて日本に関心を持つ大きな要因になったという(※10)。
また、越中国高岡(現・富山県高岡市)産まれの高峰譲吉の生涯を綴った映画「さくら、さくら〜サムラ イ化学者高峰譲吉の生涯〜」(市川徹監督)が北國新聞富山新聞による製作で2010(平成22)年公開されている。以下はその映画チラシ。

桜を題材とした映画には、「太平洋と日本海を桜で繋ごう」という夢を実現しようと、名古屋〜〜金沢間を結ぶ旧・国鉄バス路線(名金急行線)が走る街道沿いに、二千本余の桜の木を黙々と植え続け、47年の短い生涯を桜の植栽に捧げた同路線バスの車掌だった故・佐藤良二を基にした1994(平成6)年公開映画「さくら」(監督:神山征二郎)もあった。
上掲の画像は神山征二郎監督映画「さくら」のチラシ。
原作は中村儀朋の『さくら道』(風媒社・刊)。
彼の活動は、御母衣ダムに沈んだ集落から高山市荘川町(旧荘川村)中野の国道156号沿いへの桜(荘川桜)移植の記録撮影を担ったことで、日本さくらの会から表彰されたことや、生前から新聞やテレビで取り上げられていたが、全国的に有名になったのは志半ばでの彼の死(1977=昭和52年、病没)後、その活動が高く評価され、1984(昭和59)年、NHKテレビで「桜紀行〜名金線・もう一つの旅〜」(北陸東海)が全国に放映され、さらに、1987(昭和62)年度、中学校の国語教科書にもとりあげられことが大きいという。
荘川桜移植を指導したのは大阪市出身の桜博士と呼ばれる当時の桜研究の権威笹部新太郎である。
東京帝国大学卒業後、犬養毅の秘書をした後、兵庫県宝塚市切畑長尾山の麓(現在のJR西日本福知山線武田尾駅近辺)に桜の研修を行う演習林「亦楽山荘」(※11)を造園。品種保存などを研究した。現在、その跡地は「桜の園」という里山公園として宝塚市が整備管理している。
渋沢栄一後藤新平などが名を連ねる「東京さくらの会」とも交流した。京都府向日町(現向日市)にも「桜苗圃」を造園。
ソメイヨシノばかりが日本の桜ではない」と、日本固有種の桜の保護育成を目指し、大阪造幣局の通り抜け、奈良県吉野、兵庫県西宮市夙川公園ならびに甲山周辺など、各地で桜の管理・指導を行った。笹部新太郎について、詳しくは、※12:「笹部桜考」を参照されるとよい。
日本人だけでなく、外国人も好きな桜。我が地元・兵庫県でも1991(平成3)年度から「ふるさと桜づつみ回廊」事業が実施されており、瀬戸内海から日本海を結ぶ、延長172キロの川沿い(武庫川篠山川加古川上流〜円山川)を桜でつなぎ県内のさくらの名所づくりを進め、今では整備されて約10年が経過、当時若木だったさくらも立派に成長し、河川の堤防沿いには、立派な「さくら並木」が形成されている。
そして、それらのさくら名所を結ぶ「さくら周遊ルートマップ」(「阪神」「丹波」、「但馬」の3ルートのマップ)が作成されている。同周遊ルートマップには、さくらの撮影地ガイドもあり、マップを片手に河川沿いに広がる「ふるさと桜づつみ回廊」の散策を楽しんでみてはいかがですか。

上掲の画像は「さくら周遊ルートマップ」(丹波ルート)であるが、以下へアクセスすると「阪神」「丹波」、「但馬」の3ルートマップの拡大図があります。
兵庫県HP:ふるさと桜づつみ回廊のページ
http://web.pref.hyogo.lg.jp/wd15/wd15_000000005.html

(冒頭の桜の画像は、
タイダルベイスンと桜。奥はワシントン記念塔。Wikipediaより。)

参考:
※1:日本さくらの会
http://www.sakuranokai.or.jp/
※2:開花予想 - 桜情報 - 開花予想 - 日本気象協会 tenki.jp
http://tenki.jp/sakura/expectation
※3:Yahoo!ニュース:米ワシントン桜祭り情報
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120319-00000503-san-int
※4:横浜市政策局 > 国際政策課 > 日米桜交流100周年
http://www.city.yokohama.lg.jp/seisaku/kokusai/sakura-koryu/
※5:ふるさとを守ることの大切さ/桜ノ博士・三好 学
http://shuchi.php.co.jp/article/935
※6:在ニューヨーク(New York)総領事館:お知らせ:日米桜寄贈100周年
http://www.ny.us.emb-japan.go.jp/jp/h/245.html
※7:指導資料の解説 アメリカと日本の友情を深める花
http://aranishi.hobby-web.net/3web_ara/wcherry.pdf#search='アメリカと日本の友情を深める花'
※8:hanamizuki-nitibeiyukoの日記
http://d.hatena.ne.jp/hanamizuki-nitibeiyuko/archive
※9ナショナル ジオグラフィック協会とは?
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/qa/qa.shtml
※10ナショナル ジオグラフィック チャンネル:日米桜寄贈 100 周年「エリザ・シドモア」写真展
http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000030.000003179.html
※11:桜の園「亦楽山荘」 - ぐるっとおでかけ阪神北
http://www.hankita-sannou.jp/kanko/shosai/061.html
※12:笹部桜考
http://www.rikuryo.or.jp/home/column/sasabe.html
日米友好の桜寄贈100周年事業実行委員会
http://itamisakura.web.fc2.com/page2.html
AFP BB News:寄贈100年、米ワシントンの桜こそ日本の「ソフトパワー」
http://www.afpbb.com/article/politics/2867129/8664204
米国ワシントンD.C.の桜物語
http://www2.osk.3web.ne.jp/~aranishi/sakura.htm
反日ワクチンが書棚の中からご紹介した本など - シドモア日本紀行
http://astore.amazon.co.jp/vaccinesblojp-22/detail/4061595377>

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