今日6月4日は、「虫歯予防デー 」
日本歯科医師会(※1)が1938年まで実施していた日で、現在では厚生労働省が6月4日から10日までを「歯の衛生週間」としている。日本記念日協会(※2)では虫歯予防の大切さを訴える日として、2001(平成13)年よりあらためて記念日に制定したものだという。日付は6と4で虫歯の「虫」と読む語呂合わせから。
歯の衛生週間には、歯の衛生に関する正しい知識を国民に対して普及啓発するとともに、歯科疾患の予防処置の徹底を図り、併せてその早期発見、早期治療を励行することにより歯の寿命を延ばし、国民の健康の保持増進を寄与することを目的とし、昨:2011年度(平成23年度)は「みがこうよ 未来へつなげる じょうぶな歯」の標語のもと、全国各地で地域住民参加型の各種啓発事業を展開。本年度・2012(平成24)年の重点目標は、
(A)生きる力を支える歯科口腔保険の推進
(B)生涯を通じた8020運動の新たな展開
となっている。詳しくは、平成24年度実施要領【PDF】を参照。
冒頭の画像は、歯の衛生週間ポスター。平成24年度 「歯みがきは じょうぶなからだの第一歩」。画像は日本歯科医師会HPより借用。
(A)の“歯科口腔保険”とは、歯科疾患の予防などを推進し、口腔(口のこと)の健康保持を総合的に行うための法律であり、昨・2011(平成23)年8月10日に公布・施行された「歯科口腔保健推進法」のことを言っているのだろう。
(B)の8020運動は、1985(昭和60)年 愛知県豊田市で行われた調査にて、10本以上の歯の喪失で半分以上の人がもっとも硬い食品の一つとされていた古タクワンや酢蛸を食べることができないことが判明。80歳の喪失歯10本以下を目標にする事が、提唱され、1989(平成元)年、 愛知県にて目標を残存歯20本以上とする8020運動が開始された。この年の成人歯科保険対策検討会の報告で8020運動が取り上げられ、これ以降この運動が全国に広またようだ。その後、厚生労働省の「 21世紀における国民健康づくり運動」(通称健康日本21)や歯科医師会も8020運動を積極的に推進し、2000(平成12)年には8020推進団体も設立され(※3参照)、2010(平成22)年までに20%以上の高齢者が20本以上の歯を残せるよう目標が定められた。
※1:「日本歯科医師会HP」によると、この8020運動の達成率は、運動開始当初は7%程度(平均残存歯数4〜5本)であったが、厚生労働省の調査(2005 〔平成17〕年歯科疾患実態調査)によると、80歳〜84歳の8020達成率は21,1%で、85歳以上だと8,3 %にまで伸びてきており、また、厚生労働省の「健康日本21」では中間目標として8020達成率20%を掲げていたが、2007年(平成19)年に出された中間報告では、それを上回る25%を達成しているという(※4参照)。
歯(英: tooth)は、口腔内にある租借するための一番目の器官である。
今、問題視されている生活習慣病やメタボリックシンドロームの予防を進めるための基本は「バランスの取れた適切な食生活」であり、食事をするときに重要な働きをするのが歯である。もし、歯に問題が発生するとよく噛めなかったり、満足に食事を摂取することができなくなり健康に影響を及ぼすということはよく理解できるし、そのために歯の手入れをすることの大切さも良くわかる。
ただ、私は、こんな分野の専門家ではないのでよく分からないが、ほんとうに、歯が多く残っている人の方が健康で長生きしているのか?と言うことについては、ネットで調べていると“歯の残数が健康的である理由”の全てであるとは言い切れない状況のようでもある(※5の「8020」の人のほうが健康なのですか?参照)。
※6:「8020健康長寿社会は実現するか」によると、“内科医に言わせると“全身が悪いと目も悪いし、歯も悪いし、腎臓も肝臓も悪い。歯と全身の臓器に相関関係があるのは当たり前ではないか。それを因果関係に遡るだけのデーターを持っているかと言われる。“・・という。
内科(内科学、internal medicineの略称)は一般に内臓に原因する疾患を主として薬物療法により治療する臨床医学の一部門とされるが一応、病気全般を対象としている(専門分野への細分化も進んでいる)が、医科の場合は全身の健康、生活習慣病というかたちでメタボリックシンドロームは次に派生してくる糖尿病や心臓病などの予防になるので、生活習慣を改めながら疾病予防するというテーゼ(ドイツ語These。活動方針となる綱領)を出した。
しかし、口腔細菌学に関しては歯科の独占事業であり、歯科診療では口腔(口のこと)由来の細菌の攻撃から歯と全身を守るところを取り扱っているので、内科とはまったく異なる患者指導ができると思う・・・というが、本当に歯科診療で、8020というのは、ここがガードすべき生活習慣の内容ですといった疫学的な因果関係の調査データーを出して、患者の健康指導をしてゆくような方向性があるのだろうか・・・。食と歯、そして、健康に相関関係があるだろうことは理解出来ても、この辺のところは私には、よく分からないところでもある。
医学の専門家でもないので、余り難しいことをこれ以上書けるわけもないので、ちょっと、砕けた話に戻そう。
突然襲ってくる虫歯の痛みは強烈。夜中に歯が急にうずきだして、朝まで眠れずに苦しんだという経験を持つ人も多くいるのではないか。
歯痛の原因には色々ある(※7)ようだが、子供の頃先ず、経験するのがう蝕(うしょく。一般的に虫歯という。以後、虫歯と呼ぶ。虫歯についてはここも参照)だろう。
子どもは甘いものが好きだし、手入れも十分しないので、乳歯は、むし歯にかかりやすく、その進行も速い。乳歯の虫歯の進行による痛みは比較的少なく、気づかないうちに歯髄(しずい)全体、または根尖(こんせん。歯根の先っぽのこと)周囲組織にまで炎症が広がってしまう。
そんな虫歯は、私などの年代の者なら、よほどのことがないと歯医者には行かず、歯を指でぐらぐらさせたり、糸で巻いて引っ張ったりしながら悪戦苦闘の末自分で歯を抜いていた。ただ、ぐらぐらしていても、なかなか抜けない歯は、歯医者に行って抜いてもらうのだが、医者に行くと抜歯には 注射器で局所麻酔をし、ペンチらしきものでゴリゴリ抜かれる。その時、メリメリという音が聞こえるし、また歯の麻酔って痛いのよね〜。それに麻酔で唇がたらこのように腫れる。今は、どんな抜き方をしているのか知らないが、子供時代に、そんな厭な経験をしているから、私たちの年代の人には、歯医者が好きな人はあまりいなかったような気がする。
だから、私は、60近くになるまで殆ど歯医者には行ったことがない。余り歯の手入れもしていないのだが歯質が丈夫なこともあったようだ。
それが、60前になって、あるとき急に、傷みもしないのに、歯がポロポロと数本同時に抜け落ちてしまった。驚いて、近所の歯医者に飛んで行くと、歯槽膿漏(今は、歯周病、以後歯周病という)だといわれた。このようなことになるのは、私のような歯の丈夫な人に多いといわれた。歯質の弱い人は、医者に行くので、医者から歯の手入れを指導されるのだが、私の場合は、医者に行っていなかったので歯周病の進行に気がつかなかったのだ。その後、又、直ぐに数本抜けて、今は取り外し式の部分入れ歯を上下ともに利用しているが、ブリッジをかけている犬歯の根は浅く、今にも抜けそうになっている。これがなくなると大変なので、今は、歯間ブラシと歯医者で進められた先の尖った歯ブラシ、それに普通の歯ブラシの3種類を使って、朝昼晩、3度必ず歯磨きもし、定期健診にも行き、歯磨きの仕方など指導も受けている。残念ながら、まだ80歳にはまだまだなのだが、残歯は20本もない。・・・・でも、いたって健康である。
現代、歯を失う原因の約9割が虫歯と歯周病だといわれている。虫歯の原因は複雑で、不明の点も多いようだが、おもに、口の中の食べ物の残渣(ざんさ。残りかす)についた細菌や、発酵作用によって作った乳酸やある種の蛋白質を溶かす性質の細菌が、エナメル質や象牙質を分解、破壊することにより起こるといわれている。 歯周病は、歯の根元にある歯肉のふくろ(歯周ポケット)に膿がたまり、骨が侵されるために、膿がでたり、歯が浮いて抜けたりする病気で、歯石、細菌の侵入などが発病の主因だといわれており、今では、歯周病も虫歯も細菌の感染が主原因で、それぞれ別の原因菌が存在するようだ。
こんな虫歯も歯周病もその発生の歴史は古く、以下参考の※8:「痛みと鎮痛の基礎知識」の痛みと鎮痛の歴史年表 → 痛み2によると、大英博物館に展示されているエジプトのミイラの中に、虫歯をもつものが多数みつかっており、第4王朝(BC2625? 2510)のミイラ下顎の第1臼歯に2つの穴が開けられていたそうだが、これは、歯膿(歯の根本の膿)を排出するためにあけられたと考えられているらしい。また、Giza(ギザ)で見つかったミイラにはぐらついた歯を金線でブリッジを架けられているものや、義歯も見つかっているという。そして、古代エジプのメレンプター王(紀元前13世紀)のX線写真では歯周病の罹患が認められている。当時の身分の高い者は、柔らかい食物を食べていたため、歯周病になることが多かったようだ。そして、パピルスの中には、粉歯みがきや、練歯みがきの処方が記載されており、医療には分業があって、歯科の専門家がいたことも書かれているらしい。
虫歯は、とくに砂糖の消費量と密接な関係があるといわれるが、日本でも江戸時代、虫歯は町の庶民にとって珍しくない病気であったが、主因となる甘いものは江戸時代後期には誰でも簡単に買えたし、贈答にもよく用いられたからだろう。又、後年発掘された人骨調査では武家の方が庶民より更に虫歯が多い。身分が高くなるほど、幼少から柔らかいものを食べることが多いので顎(あご)骨や歯の発達も悪かったようだ。
身体のいろいろ
上掲の画像は、幕末から明治にかけてに活躍した浮世絵師で、新聞人でもある落合芳幾の画で、「目 口 耳 鼻 足の話」である(NHKデーター情報部編ヴィジアル百科『江戸事情』第一巻生活編より。前川潔氏蔵とある)。
この画像はモノクロで2枚続であるが、もともとは3枚続の錦絵であり、以下参考の※9:「内藤記念くすり博物館:人と薬のあゆみ−衛生」でそれを見ることができる(ここをクリック)。
この画の正式な題は、「心学身之要慎」(しんがくみのようじん)で、そこでは、“目、鼻、耳、口、手、足など人間の身体の部分が、駄洒落を交えながら、口々に自分が身体の中で一番重要であると言い合っている様子が描かれている。滑稽本作者の仮名垣魯文が文章を書いている。
<体の養生>養生とは肉体ならびに精神の安定をはかることによって健康を保ち、日頃から病をよせつけないような体を維持することです。その原理と方法を述べているのが養生書で、貝原益軒(1630-1714)の『養生訓』(1713年)は、多数出版された養生書の中でも有名でした。それはこの書には、当時の人々が理想として目指すべき生活態度について、具体的な方法が紹介されていたからです。“とある。
当然であるが、当時の人達が、「口」について、ものを食べられることと、話が出来ること以外に、「口の中の歯」のメンテナンスがどれだけ身体の健康にとって重要性を持っていたかまで考えていたかどうかは分からない。
※9:「内藤記念くすり博物館:人と薬のあゆみ−衛生」には、歌川豊国画「歯磨きをする婦人」も掲載されているので漏られるとよい。“歯の清潔を保つために江戸時代の歯ブラシである「総楊枝」(ふさようじ。※10参照)を用いた。房州砂という研磨用の砂や粗塩(粒のあらい、精製していない塩)で歯を磨いた。総楊枝は柳や黒文字など香気のある木が用いられ、神社の境内などで売られていた。”と説明にある。わが国では、身を清めて、口をすすいで神に詣でるという習慣があったため、指に塩をつけて歯をみがく習慣は古来からあった。 奈良時代の仏教伝来とともに楊枝も伝わり、古くから、楊枝を使っての歯の手入れはされていたようである。
上掲の画像は『絵本家賀御伽』(えほんかがみとぎ)にみる「かねやすの店」である。
『絵本家賀御伽』は、享保中期から宝暦期にかけて活躍した大坂の浮世絵師長谷川 光信の狂歌絵本であろう。
江戸の「かねやす」は、口中医師(歯医者)兼康裕悦が、享保年間(1716〜1736)に開いた薬種小間物店で、「乳香散」という歯磨きが代表的な商品であったらしい。画像では、店先に歯磨きの袋を入れた箱が置いてあり、客の求めに応じて、これから出して売るようだ。(NHKデーター情報部編ヴィジアル百科『江戸事情』第3巻産業編」より)。
東 京文京区本郷三丁目交差点角に今も 「かねやす」 という看板を掲げたビルがり、雑貨店を営んでいるようだ(Wikipedia -かねやす参照)。Wikipediaには、“「かねやす」を興したのは初代・兼康祐悦(かねやす ゆうえつ)が徳川家康が江戸入府(天正18 年=1590年8 月1日)した際に従って、江戸に移住し江戸で口中医をしていて、元禄年間に、歯磨き粉である「乳香散」を製造販売したところ、大いに人気を呼び、それをきっかけにして小間物店「兼康」を開業。「乳香散」が爆発的に売れたため、当時の当主は弟にのれん分けをし、芝にもう一つの「兼康」を開店した。同種の製品が他でも作られ、売上が伸び悩むようになると、本郷と芝の両店で元祖争いが起こり、裁判となる。これを裁いたのは大岡忠相で、大岡は芝の店を「兼康」、本郷の店を「かねやす」とせよ、という処分を下した。本郷の店がひらがななのはそのためである。その後、芝の店は廃業した。そして、「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」の川柳が生まれた。“・・・とまるで、「乳香散」の本家争いが、大岡裁きの結果で兼康祐悦が興した「かねやす」が「乳香散」を開発した元祖とされたように書かれているが、
コトバンク-兼康祐元 とはには、”平安時代に『医心方』を編纂した丹波康頼の後裔である兼康家の5代目兼康祐元(かねやすゆうげん)が、江戸芝の柴井町と源助町に薬種,歯薬,香具を商う店を持っていたが、元和3(1617)年に本郷に第3番目の店を出した。そんな、祐元が処方した歯磨粉「乳香散」は元禄時代(一説には享保年間)に別家の兼康祐悦が本郷店で販売すると流行品となり、「かねやす」というと歯磨粉を意味したという。明和ごろから「本郷も兼康までは江戸の内」の句で有名になる。また芝柴井町の店主は代々「祐元」を名乗り,口中医あるいは入歯師としても栄えた。”・・・と書かれており大分違う。私には、どちらがどうなのか信実は分からないが、今日、実際の大岡裁きは、享保12年(1727年)の「白子屋お熊事件」のみで、他は、後に色々な人のものを寄せ集めて作られたものであることは知られており、書かれている内容からすれは、コトバンクの方に信憑性が感じられ、「乳香散」の本当の開発者は「祐元」であるが、それを、別家の兼康祐悦が商売上手に「この薬をもって磨く時は、その白さ銀を敷くる如く、一生口中歯の憂なし」と効能を宣伝し(※11)て、販売し名を成したのだろうと言う感じがする。
江戸時代も元禄時代になるとこの歯磨粉には“兼康の「乳香散」、薬種商の「おもだかやの歯磨」、「箱入り歯磨嗽石香」、松井源水の「市之丞のはみがき」、文化、文政の時代(1804〜1829年)には「松葉じお歯磨」、「団十郎歯磨」、「助六はみがき」美濃屋の「一生歯の抜ざる薬」など多くの歯磨粉が製造、販売された。”・・・とあり、「かねやす」ではなく「兼康」の「乳香散」と書かれている。
この話はここまでとして、次に以下の図を見てください。
上掲の画像は、江戸時代の浮世絵師・歌川国貞(三代歌川豊国)の「見立十二乃気候九月」に見る「お歯黒化粧と歯磨き」の図である(画像はNHKデーター情報部編ヴィジアル百科『江戸事情』第六巻服飾編より。画像は榎恵氏蔵とある)。
この画も、モノクロであるが実際は錦絵であり、その絵は、※12:「浮世絵・歌川国貞・見立十二乃気候九月に観る江戸の化粧」で見ることが出来る。見たい人はここをクリックしてください。
現代人にとっては、「真っ白に輝く歯」が美の象徴となっており、お歯黒は、今では、歌舞伎や時代物の映画、テレビでしか見ることは出来ないし、また、気味悪い風俗としか理解されていないだろうが、日本を西欧化しようとしていた明治新政府が、西洋の人達から「お歯黒」を野蛮な風習のように見られたくなかったため出した「お歯黒禁止令」により廃止される明治時代初頭頃までの日本では、 歯を真っ黒に染める化粧、「お歯黒」が大変性的な魅力のある化粧風俗とされていた。
江戸古川柳に「良き娘 おしいことには 歯は黒し」(いい娘なのに残念ながら人妻なのだろうという意)が残っているように、女性は結婚すると歯を黒く染め、一般女性は眉を剃り、遊女は眉を抜いていた。
起源はよく分かっていないが、日本では、古墳に埋葬されていた人骨や埴輪にはすでにお歯黒の跡が見られ、3世紀末に記された魏志倭人伝)などにも「黒歯国」と記載(※13参照)されており、当時すでにお歯黒が行われていたことが伺える。
初期には草木や果実で染める習慣があり、のちに鉄を使う方法が鉄器文化とともに大陸から伝わった。
753年に鑑真が持参した製法が東大寺の正倉院に現存するという。 この鑑真が中国から伝えた製造法は古来のものより優れていたため徐々に一般に広まっていったが、その製造法は当初は仏教寺院の管理下にあった。
古代から行われていたお歯黒だが、日本で人々の習慣になったのは、平安時代に入ってからと考えられている。
この時代のお歯黒は、成人への通過儀礼でもあったが、室町時代になると一般にも広がり、時代とともに、既婚女性の象徴となっていった。
「お歯黒」というのは日本の貴族の用語である。「おはぐろ」の読みに鉄漿(かね)の字を当てることもある。御所では五倍子水(ふしみず)という。民間では鉄漿付け(かねつけ)、つけがね、歯黒め(はぐろめ)などともいったようだ。
鉄漿(かね)は歯を染めるのに使う液であり、 主成分は鉄漿水(かねみず)と呼ばれる酢酸に釘などの鉄を溶かした茶褐色の溶液である。これにヌルデの木からとれるタンニンを多く含む五倍子粉(ふしのこ。御婦志之粉)と呼ばれる粉を混ぜて非水溶性にする。主成分は、酢酸第一鉄でそれがタンニン酸と結合して黒くなる。
歯を被膜することによる虫歯予防や、成分がエナメル質に浸透することにより、菌の浸食に強くなり、歯周病の予防にもなるなどの実用的効果もあったとされている。五倍子粉は、市販されていたが、鉄漿水は自分の家でつくったそうだ。大変渋くて臭かったそうで、染めてから直ぐにうがいをしたという。この臭さが江戸時代お洒落な若い女子に敬遠され既婚女性のみがするようになったとも言われる。
上掲の「見立十二乃気候九月」の画像右下には、うがい水をあける耳盥(みみだらい、左右に耳状の取っ手のついた小形のたらい。)の上に、渡し金(耳だらいの上に渡しかけて、お歯黒の道具をのせる真鍮の板)を渡し、その上に金メッキらしい鉄漿盃と四角い漆塗りの箱の五倍子粉入れが描かれ、その横には、うがい茶碗といったお歯黒道具一式が描かれており、鉄漿水と五倍子粉を鉄漿筆で交互に塗って歯を染めている女性が描かれている。お歯黒やお歯黒道具の説明など14:「ポーラ文化研究所:日本の化粧文化」なども、参照されると良い。
お歯黒をつけるためには良く歯を磨いてからでないとうまくお歯黒つけが出来なかった。そのためお歯黒をつけている人はお歯黒と歯磨きの効果とで虫歯が少なかったといわれている。
又、逆に、江戸のダテ男は白い歯が自慢だったらしい。
現物を見る
上掲の画は以下参考の※15:「早稲田大学図書館・古典籍総合データベース」に保存さている一勇斎国芳(歌川国芳)が描いた3枚続きの諷刺画「きたいなめい医難病療治」の入口の画像である。画像下の現物を見るをクリックすると、データベースにある詳細画像を見ることが出来る。
同データベースに、この画像の解説はないが、以下参考の※16:「浮世絵文献資料館」の藤岡屋日記「き」の◯『藤岡屋日記 第四巻』p134嘉永元年(1848)四月)のところで、「【きたいなめい医】難病療治」国芳画について書かれている。
それによると、“嘉永3(1850)年国芳が描いた3枚続きの「きたいなめい医難病療治」は、通三丁目の版元遠州屋彦兵衛により板行されたとある。
そして、この画には、やぶくすし竹斎の娘で名医こがらしという美人を中心に、足の悪い美女、御殿女中の大尻、あばた顔、一寸法師、近眼、ろくろ首などの難病者を年頃の惣髪の4人の弟子が治療している諷刺画が描かれている。
女中の大尻は大奥の女中で「御守殿のしり迄つめる」という評判が広まり、その絵の評判はさらに増した。近眼は当時の阿部正弘で鼻の先ばかり見えて遠くが見えない、一寸法師は牧野忠雅で万事心が小さいなどと言われた。・・など、市中であまりに評判になったため、国芳は尋問を受けることになったようだ。また、この錦絵を参考にして方々で贋絵(にせえ)が出たという。この画は「判じ物」の技法が用いられており、描かれた人々の裏に隠された意味が理解され評判になったことから、「判じ物」としての作品の巧みさが、評判に評判を読んだようだ。
因みに、やぶくすし竹斎と言うのは、江戸時代初期の仮名草子『竹斎』(作者:伊勢の医家富山道冶とされている)に登場する主人公の藪医者のこと言っているつもりであろう。作品は、竹斎が下僕を供に、こっけいを演じながら京から江戸に下る物語で、頓智で病を治し、狂歌で名声を博したという。松尾芭蕉が『野ざらし紀行』で名古屋の談林系の俳諧の席に招かれた時、詠んだ発句「狂句木枯の身は竹齋に似たる哉」中にも見られるように相当知られていたようだ(※17、※18参照)。冒頭の「狂句」は、後日削除したと言われているが、この句は芭蕉が談林俳諧から決別して俳諧の新しい地平を創造した記念すべきものだそうだ(※19)。
さて、本題の歯のことだが、この図の中央前方で、名医こがらしの弟子がむしばと書かれた格子縞の着物を着た町家の女性の口からお歯黒の歯を両手で握りしめた鉗子(かんし)を使って抜こうとしているところを描いている。半身に反り返って女性はそれを必死に耐えているようだ。その女性の手前の懐紙の上には木床義歯(もくしょうぎし)が置かれている、
説明文には、
「はのいたむものは、なかなかなんぎなものでござる、これは、のこらずぬいてしまって、うえしたともそういればにすれば一しょうはのいたむうれいはござらぬて」「これはなるほどよいおりょうじでございます」とある。 “・・・そうだ(以下※11)。
抜歯の光景など見ただけで恐いが、歯が痛んだからと言って、直ぐに抜いてしまい上下ともに総入れ歯にされたのではたまらないよね〜。
※11に、江戸時代の歯痛の方法が色々書かれているが、現代の歯科知識では、このような方法では、あまり歯痛どめに効果がなさそうであるとしている。説明文にあるように、「はのいたむものは、なかなかなんぎなものでござる」で、抜歯しかなかったのかも知れない。
そして多くの歯を失えば、物を食べるのに不自由であり、入れ歯を入れるしかしようがない。
明治時代の初期は、近代歯科医学への転換期であり、従来からの口中医、入れ歯師、西洋歯科医学を勉強し正式な歯科医術開業試験を通った歯科医などが色々といたそうだ。
我が国の現存している最古の総入れ歯は、和歌山市の願成寺を開山した中岡テイ、通称“仏姫”と呼ばれる尼僧のもので、1538(天文7)年に76歳で死去していた。入れ歯は、黄楊(ツゲ)の木を彫った木製入れ歯(木床義歯)で、歯の部分と一体となっていた。又、奥歯の噛む蔓がすり減っていることから、実際に使われていたと想像でき、そして、この入れ歯はX線解析と赤外線分析でお歯黒が施されていたことも判明している。
日本の木床義歯は、食事をしても落ちないように、歯がない上顎の粘膜に吸いつき保持するようにできており、現在の総入れ歯が顎に吸着する理論と同じであり、まさに、世界に類のない日本人の手先の器用さによる「独自の木彫技術」であった。
このように、江戸時代の中ごろには噛める総入れ歯が実用化していたことが窺えるが、その頃の欧米の入れ歯は、食べ物を噛むことがほとんどできない、主として容貌を整えるだけのものであったことから、日本の木製の入れ歯(木床義歯)の技術は、世界で一番古いものだという。
この木床義歯の始まりは、仏師などが彫ったといわれている。江戸期には仏像彫刻の注文が少なくなったため、木彫技術を活かして入れ歯を彫る「入れ歯師」と呼ばれる専門職になっていった。そして、 木床義歯は、鎌倉時代に全国的に普及し、江戸時代には歯が欠けた場合には、その部分の木製の入れ歯(局部義歯という)をつくり、金属のバネを入れて隣の歯に引っかけて維持する現代のような方法も江戸時代に工夫されていた。また、前歯の裏に穴を開け、糸を帳して、隣の歯にしばって維持する方法など独特の技法が完成していたそうだ(※11)。だ が、江戸時代では、まだまだ高価で、なかなか庶民には手が出なかったようだ。
以前から虫歯予防法には、「歯磨き」「砂糖の摂取制限」「フッ化物の利用」の3つの対策が言われてきていた。WHO(世界保健機関)は「フッ化物利用」が虫歯を予防するのに最も科学的に証明された方法である」としている。
2003(平成15)年21月14日、厚生労働省は、健康 日本 21 における歯科保健目標を達成するために有効な手段として「フッ化物洗口の普及」を目的としたフッ化洗口ガイドラインと呼ばれる通達を各都道府県知事宛に送付した(※20、及び※1のここ参照)。これをうけ、国内の地方自治体では、フッ化物洗口の普及についての条例案や決議が可決されている(実行例※21:「北海道子供の歯を守る会」参照)
WHOが虫歯予防法の第1位に推奨しているのは虫歯予防のために水道水のフッ化物濃度を適正濃度にして供給する方法(水道水フロリデーション=水道水へのフッ素添加)が低コストで有効性も高いとしているようだ。
その一方で「フッ素は非常に人体に有害であり、水道水に添加することは許されない」とする反対派の団体や歯科医師・科学者がいるが、すでに導入している米国その他各国の歯科医師学会などは、「フッ素は虫歯予防に有効であり、適量であれば人体への深刻な被害などは一切ない」とする強い立場をとって、今後、さらに広い地域や国々で、水道水へのフッ素添加を大規模に展開していこうとしているようだ。
いったい、どちらが本当のことを言っているのだろうか・・・。
“虫歯予防フッ素の信実”について、以下参考の※22:「THINKER」は、それを、有害であるとしている側の一例だろう。
また、以下参考の※5:「ちょっと変わった歯のお部屋」などは、推進派のようで、被害があるとして反対する人達を否定している。同HPの、“一 般 の 方"用入口の中の水道水フッ素化(フッ素濃度適正化)のすすめ 。又、”歯 科 の 方”の入口の中のフッ素化ニ関連するところを参照されると良い。
その中の、日本口腔衛生学会の姿勢を問うでは、日本口腔衛生学会が「名古屋宣言」(ここ参照)を「訂正」(フッ素化推奨を否定)したことに痛烈に批判をしている。
そして、その背景には、いろいろと陰湿な裏事情が見えるようだという。更に、そこには、やっかいな混乱を起こしたくない、フッ素化支持派の弱腰と混乱を見ていると、その背後に、フッ素化に消極的あるいは否定的と見える大きな「勢力」の存在が見え、フッ素化推奨か反対かが勢力争いで行なわれているようで、とても、学術論争には見えない。・・・という。
世界が水道水フッ素濃度適正化を推奨する中。日本がどうすべきか・・・。日本人の健康を守る問題が、勢力争い他、利害団体等のご都合主義でやられたのではたまったものではないのだが、今問題となっている、関西電力の大飯原子力発電所再稼動問題にしても、その裏には原子力発電を中止したくない原発関係者、国民の安全よりも電力不足を何とかして企業利益を追求したい経済団体、原発設置をしているところの地域住民のエゴ、これら利害団体との関係を優先する霞ヶ関の官僚、これらの指示がほしい政府、や国会議員等々の思惑が国民の生命の安全よりも原子力発電を優先させているように思われるのと同じことだろう。日本の政治家のレベルの低さが問われる時代となっている。
最後に、世界では忌み嫌われる八重歯だが、過去日本だけには「八重歯が可愛い」とした時代があり、我が地元兵庫県出身のアイドル歌手“石野真子”がデビューした時のキャッチフレーズは「百万ドルの微笑」で、トレードマークはタレ目と見事な2本の八重歯だった。他にも、20世紀の八重歯タレントとしては、小柳ルミ子、梓みちよ、国広富之、河合奈保子、芳本美代子、坂上香織、古くは美空ひばり、石原裕次郎なども挙げられる。
しかし、歯科医学的に犬歯には咀嚼時のガイドとして働く重要な役割があり、八重歯の状態ではその役割が果たせず、また、歯磨きもしにくいことからむし歯や歯周病が懸念されなど健康上の問題や、美顔的にも白い歯並びの良い歯が好まれるようになって以降、八重歯は治療・矯正されてきたのだが、最近は人気アイドルグループAKB48の板野友美のような片八重歯に憧れて、人工の歯を付けて個性を演出しょうとする「付け八重歯」が若い女性を中心に新たなファッションとなってきているらしい。
セラミックと樹脂でできた特殊素材を歯に張り付けるだけで、飽きればとることが出来るからいいようなものの、今の女性は、化粧だけではなく、まつげや歯まで、足の爪からあちこちへ色んなものをつけて大変だね〜。前に、顔を黒くすガングロが流行したことがあるが、なんなら江戸時代に人気のあった
お歯黒でもやってみないかな〜。虫歯や歯周病予防にもなるらしいし、みんなびっくりして、注目されるので一石二鳥かも・・・?
参考:
※1:日本歯科医師会HP
http://www.jda.or.jp/
※2:日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
※3:健康日本21推進全国連絡協議会
http://www.kenkounippon21.gr.jp/kyogikai/kanyudantai/8020zaidan/
※4:健康日本21中間報告
http://www.kenkounippon21.gr.jp/kenkounippon21/ugoki/kaigi/pdf/0704hyouka_tyukan.pdf
※5:ちょっと変わった歯のお部屋
http://www.geocities.jp/go_fluoridation/
※6:8020健康長寿社会は実現するか(Adobe PDF)
http://www.8020zaidan.or.jp/pdf/kaishi/teidan01.pdf#search='8020健康長寿社会は実現するか'
※7:歯痛の原因は何でしょうか?−ハーネット
http://www.j-dol.com/cons/cons/articles/pain.html
※8:痛みと鎮痛の基礎知識
http://www.shiga-med.ac.jp/~koyama/analgesia/
※9:内藤記念くすり博物館:人と薬のあゆみ−衛生
http://www.eisai.co.jp/museum/history/b1500/0100.html
※10:爪楊枝(つまようじ) - 語源由来辞典
http://gogen-allguide.com/tu/tsumayouji.html
※11:神奈川県歯科医師会:歯の博物館
http://www.dent-kng.or.jp/chishiki/museum/
※12:浮世絵・歌川国貞・見立十二乃気候九月に観る江戸の化粧
http://blogs.yahoo.co.jp/yamaguchikomono/3385327.html
※13:おもしろ大辞典[お歯黒の起源]
http://www.sakamoto.or.jp/takafumi-dictionary001-117.htm
※14:ポーラ文化研究所「日本の化粧文化」
http://past.jman.jp/jman/library/kesyo/kesyo10.htm
※15:早稲田大学図書館:古典籍総合データーベース:[難病療治]
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%93%ef%95%61%97%c3%8e%a1
※16:浮世絵文献資料館
http://www.ne.jp/asahi/kato/yoshio/index.html
※17:『竹斎』『東海道名所記』について
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/leaf/200410_chikusai.htm
※18:蕉門俳諧集5、「狂句こがらし」の巻、解説
http://www.h6.dion.ne.jp/~yukineko/haikai05.html
※19;芭蕉DB :野ざらし紀行(名古屋)
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/nozarasi/nozara23.htm
※20:フッ化物洗口ガイドラインについて:厚生労働省、医政発第 0114002 号 健 発 第 0114006 号 平成 15 年1月 14 日
http://www.tkda.jp/kouse.gaidorain.pdf#search='厚生労働省 フッ化洗口ガイドライン'
※21:北海道子供の歯を守る会 外部リンク
http://www.geocities.jp/newpublichealthmovement/savethechildrenstoothhokkaido/link.html
※22:THINKER-健康について’虫歯予防フッ素の信実”
http://thinker-japan.com/husso.html
う蝕- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E8%9D%95
◎印NHKデーター情報部編ヴュジアル百科『江戸事情』。第一巻生活編。第二巻産業編。第六巻服飾編。
日本歯科医師会(※1)が1938年まで実施していた日で、現在では厚生労働省が6月4日から10日までを「歯の衛生週間」としている。日本記念日協会(※2)では虫歯予防の大切さを訴える日として、2001(平成13)年よりあらためて記念日に制定したものだという。日付は6と4で虫歯の「虫」と読む語呂合わせから。
歯の衛生週間には、歯の衛生に関する正しい知識を国民に対して普及啓発するとともに、歯科疾患の予防処置の徹底を図り、併せてその早期発見、早期治療を励行することにより歯の寿命を延ばし、国民の健康の保持増進を寄与することを目的とし、昨:2011年度(平成23年度)は「みがこうよ 未来へつなげる じょうぶな歯」の標語のもと、全国各地で地域住民参加型の各種啓発事業を展開。本年度・2012(平成24)年の重点目標は、
(A)生きる力を支える歯科口腔保険の推進
(B)生涯を通じた8020運動の新たな展開
となっている。詳しくは、平成24年度実施要領【PDF】を参照。
冒頭の画像は、歯の衛生週間ポスター。平成24年度 「歯みがきは じょうぶなからだの第一歩」。画像は日本歯科医師会HPより借用。
(A)の“歯科口腔保険”とは、歯科疾患の予防などを推進し、口腔(口のこと)の健康保持を総合的に行うための法律であり、昨・2011(平成23)年8月10日に公布・施行された「歯科口腔保健推進法」のことを言っているのだろう。
(B)の8020運動は、1985(昭和60)年 愛知県豊田市で行われた調査にて、10本以上の歯の喪失で半分以上の人がもっとも硬い食品の一つとされていた古タクワンや酢蛸を食べることができないことが判明。80歳の喪失歯10本以下を目標にする事が、提唱され、1989(平成元)年、 愛知県にて目標を残存歯20本以上とする8020運動が開始された。この年の成人歯科保険対策検討会の報告で8020運動が取り上げられ、これ以降この運動が全国に広またようだ。その後、厚生労働省の「 21世紀における国民健康づくり運動」(通称健康日本21)や歯科医師会も8020運動を積極的に推進し、2000(平成12)年には8020推進団体も設立され(※3参照)、2010(平成22)年までに20%以上の高齢者が20本以上の歯を残せるよう目標が定められた。
※1:「日本歯科医師会HP」によると、この8020運動の達成率は、運動開始当初は7%程度(平均残存歯数4〜5本)であったが、厚生労働省の調査(2005 〔平成17〕年歯科疾患実態調査)によると、80歳〜84歳の8020達成率は21,1%で、85歳以上だと8,3 %にまで伸びてきており、また、厚生労働省の「健康日本21」では中間目標として8020達成率20%を掲げていたが、2007年(平成19)年に出された中間報告では、それを上回る25%を達成しているという(※4参照)。
歯(英: tooth)は、口腔内にある租借するための一番目の器官である。
今、問題視されている生活習慣病やメタボリックシンドロームの予防を進めるための基本は「バランスの取れた適切な食生活」であり、食事をするときに重要な働きをするのが歯である。もし、歯に問題が発生するとよく噛めなかったり、満足に食事を摂取することができなくなり健康に影響を及ぼすということはよく理解できるし、そのために歯の手入れをすることの大切さも良くわかる。
ただ、私は、こんな分野の専門家ではないのでよく分からないが、ほんとうに、歯が多く残っている人の方が健康で長生きしているのか?と言うことについては、ネットで調べていると“歯の残数が健康的である理由”の全てであるとは言い切れない状況のようでもある(※5の「8020」の人のほうが健康なのですか?参照)。
※6:「8020健康長寿社会は実現するか」によると、“内科医に言わせると“全身が悪いと目も悪いし、歯も悪いし、腎臓も肝臓も悪い。歯と全身の臓器に相関関係があるのは当たり前ではないか。それを因果関係に遡るだけのデーターを持っているかと言われる。“・・という。
内科(内科学、internal medicineの略称)は一般に内臓に原因する疾患を主として薬物療法により治療する臨床医学の一部門とされるが一応、病気全般を対象としている(専門分野への細分化も進んでいる)が、医科の場合は全身の健康、生活習慣病というかたちでメタボリックシンドロームは次に派生してくる糖尿病や心臓病などの予防になるので、生活習慣を改めながら疾病予防するというテーゼ(ドイツ語These。活動方針となる綱領)を出した。
しかし、口腔細菌学に関しては歯科の独占事業であり、歯科診療では口腔(口のこと)由来の細菌の攻撃から歯と全身を守るところを取り扱っているので、内科とはまったく異なる患者指導ができると思う・・・というが、本当に歯科診療で、8020というのは、ここがガードすべき生活習慣の内容ですといった疫学的な因果関係の調査データーを出して、患者の健康指導をしてゆくような方向性があるのだろうか・・・。食と歯、そして、健康に相関関係があるだろうことは理解出来ても、この辺のところは私には、よく分からないところでもある。
医学の専門家でもないので、余り難しいことをこれ以上書けるわけもないので、ちょっと、砕けた話に戻そう。
突然襲ってくる虫歯の痛みは強烈。夜中に歯が急にうずきだして、朝まで眠れずに苦しんだという経験を持つ人も多くいるのではないか。
歯痛の原因には色々ある(※7)ようだが、子供の頃先ず、経験するのがう蝕(うしょく。一般的に虫歯という。以後、虫歯と呼ぶ。虫歯についてはここも参照)だろう。
子どもは甘いものが好きだし、手入れも十分しないので、乳歯は、むし歯にかかりやすく、その進行も速い。乳歯の虫歯の進行による痛みは比較的少なく、気づかないうちに歯髄(しずい)全体、または根尖(こんせん。歯根の先っぽのこと)周囲組織にまで炎症が広がってしまう。
そんな虫歯は、私などの年代の者なら、よほどのことがないと歯医者には行かず、歯を指でぐらぐらさせたり、糸で巻いて引っ張ったりしながら悪戦苦闘の末自分で歯を抜いていた。ただ、ぐらぐらしていても、なかなか抜けない歯は、歯医者に行って抜いてもらうのだが、医者に行くと抜歯には 注射器で局所麻酔をし、ペンチらしきものでゴリゴリ抜かれる。その時、メリメリという音が聞こえるし、また歯の麻酔って痛いのよね〜。それに麻酔で唇がたらこのように腫れる。今は、どんな抜き方をしているのか知らないが、子供時代に、そんな厭な経験をしているから、私たちの年代の人には、歯医者が好きな人はあまりいなかったような気がする。
だから、私は、60近くになるまで殆ど歯医者には行ったことがない。余り歯の手入れもしていないのだが歯質が丈夫なこともあったようだ。
それが、60前になって、あるとき急に、傷みもしないのに、歯がポロポロと数本同時に抜け落ちてしまった。驚いて、近所の歯医者に飛んで行くと、歯槽膿漏(今は、歯周病、以後歯周病という)だといわれた。このようなことになるのは、私のような歯の丈夫な人に多いといわれた。歯質の弱い人は、医者に行くので、医者から歯の手入れを指導されるのだが、私の場合は、医者に行っていなかったので歯周病の進行に気がつかなかったのだ。その後、又、直ぐに数本抜けて、今は取り外し式の部分入れ歯を上下ともに利用しているが、ブリッジをかけている犬歯の根は浅く、今にも抜けそうになっている。これがなくなると大変なので、今は、歯間ブラシと歯医者で進められた先の尖った歯ブラシ、それに普通の歯ブラシの3種類を使って、朝昼晩、3度必ず歯磨きもし、定期健診にも行き、歯磨きの仕方など指導も受けている。残念ながら、まだ80歳にはまだまだなのだが、残歯は20本もない。・・・・でも、いたって健康である。
現代、歯を失う原因の約9割が虫歯と歯周病だといわれている。虫歯の原因は複雑で、不明の点も多いようだが、おもに、口の中の食べ物の残渣(ざんさ。残りかす)についた細菌や、発酵作用によって作った乳酸やある種の蛋白質を溶かす性質の細菌が、エナメル質や象牙質を分解、破壊することにより起こるといわれている。 歯周病は、歯の根元にある歯肉のふくろ(歯周ポケット)に膿がたまり、骨が侵されるために、膿がでたり、歯が浮いて抜けたりする病気で、歯石、細菌の侵入などが発病の主因だといわれており、今では、歯周病も虫歯も細菌の感染が主原因で、それぞれ別の原因菌が存在するようだ。
こんな虫歯も歯周病もその発生の歴史は古く、以下参考の※8:「痛みと鎮痛の基礎知識」の痛みと鎮痛の歴史年表 → 痛み2によると、大英博物館に展示されているエジプトのミイラの中に、虫歯をもつものが多数みつかっており、第4王朝(BC2625? 2510)のミイラ下顎の第1臼歯に2つの穴が開けられていたそうだが、これは、歯膿(歯の根本の膿)を排出するためにあけられたと考えられているらしい。また、Giza(ギザ)で見つかったミイラにはぐらついた歯を金線でブリッジを架けられているものや、義歯も見つかっているという。そして、古代エジプのメレンプター王(紀元前13世紀)のX線写真では歯周病の罹患が認められている。当時の身分の高い者は、柔らかい食物を食べていたため、歯周病になることが多かったようだ。そして、パピルスの中には、粉歯みがきや、練歯みがきの処方が記載されており、医療には分業があって、歯科の専門家がいたことも書かれているらしい。
虫歯は、とくに砂糖の消費量と密接な関係があるといわれるが、日本でも江戸時代、虫歯は町の庶民にとって珍しくない病気であったが、主因となる甘いものは江戸時代後期には誰でも簡単に買えたし、贈答にもよく用いられたからだろう。又、後年発掘された人骨調査では武家の方が庶民より更に虫歯が多い。身分が高くなるほど、幼少から柔らかいものを食べることが多いので顎(あご)骨や歯の発達も悪かったようだ。
身体のいろいろ
上掲の画像は、幕末から明治にかけてに活躍した浮世絵師で、新聞人でもある落合芳幾の画で、「目 口 耳 鼻 足の話」である(NHKデーター情報部編ヴィジアル百科『江戸事情』第一巻生活編より。前川潔氏蔵とある)。
この画像はモノクロで2枚続であるが、もともとは3枚続の錦絵であり、以下参考の※9:「内藤記念くすり博物館:人と薬のあゆみ−衛生」でそれを見ることができる(ここをクリック)。
この画の正式な題は、「心学身之要慎」(しんがくみのようじん)で、そこでは、“目、鼻、耳、口、手、足など人間の身体の部分が、駄洒落を交えながら、口々に自分が身体の中で一番重要であると言い合っている様子が描かれている。滑稽本作者の仮名垣魯文が文章を書いている。
<体の養生>養生とは肉体ならびに精神の安定をはかることによって健康を保ち、日頃から病をよせつけないような体を維持することです。その原理と方法を述べているのが養生書で、貝原益軒(1630-1714)の『養生訓』(1713年)は、多数出版された養生書の中でも有名でした。それはこの書には、当時の人々が理想として目指すべき生活態度について、具体的な方法が紹介されていたからです。“とある。
当然であるが、当時の人達が、「口」について、ものを食べられることと、話が出来ること以外に、「口の中の歯」のメンテナンスがどれだけ身体の健康にとって重要性を持っていたかまで考えていたかどうかは分からない。
※9:「内藤記念くすり博物館:人と薬のあゆみ−衛生」には、歌川豊国画「歯磨きをする婦人」も掲載されているので漏られるとよい。“歯の清潔を保つために江戸時代の歯ブラシである「総楊枝」(ふさようじ。※10参照)を用いた。房州砂という研磨用の砂や粗塩(粒のあらい、精製していない塩)で歯を磨いた。総楊枝は柳や黒文字など香気のある木が用いられ、神社の境内などで売られていた。”と説明にある。わが国では、身を清めて、口をすすいで神に詣でるという習慣があったため、指に塩をつけて歯をみがく習慣は古来からあった。 奈良時代の仏教伝来とともに楊枝も伝わり、古くから、楊枝を使っての歯の手入れはされていたようである。
上掲の画像は『絵本家賀御伽』(えほんかがみとぎ)にみる「かねやすの店」である。
『絵本家賀御伽』は、享保中期から宝暦期にかけて活躍した大坂の浮世絵師長谷川 光信の狂歌絵本であろう。
江戸の「かねやす」は、口中医師(歯医者)兼康裕悦が、享保年間(1716〜1736)に開いた薬種小間物店で、「乳香散」という歯磨きが代表的な商品であったらしい。画像では、店先に歯磨きの袋を入れた箱が置いてあり、客の求めに応じて、これから出して売るようだ。(NHKデーター情報部編ヴィジアル百科『江戸事情』第3巻産業編」より)。
東 京文京区本郷三丁目交差点角に今も 「かねやす」 という看板を掲げたビルがり、雑貨店を営んでいるようだ(Wikipedia -かねやす参照)。Wikipediaには、“「かねやす」を興したのは初代・兼康祐悦(かねやす ゆうえつ)が徳川家康が江戸入府(天正18 年=1590年8 月1日)した際に従って、江戸に移住し江戸で口中医をしていて、元禄年間に、歯磨き粉である「乳香散」を製造販売したところ、大いに人気を呼び、それをきっかけにして小間物店「兼康」を開業。「乳香散」が爆発的に売れたため、当時の当主は弟にのれん分けをし、芝にもう一つの「兼康」を開店した。同種の製品が他でも作られ、売上が伸び悩むようになると、本郷と芝の両店で元祖争いが起こり、裁判となる。これを裁いたのは大岡忠相で、大岡は芝の店を「兼康」、本郷の店を「かねやす」とせよ、という処分を下した。本郷の店がひらがななのはそのためである。その後、芝の店は廃業した。そして、「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」の川柳が生まれた。“・・・とまるで、「乳香散」の本家争いが、大岡裁きの結果で兼康祐悦が興した「かねやす」が「乳香散」を開発した元祖とされたように書かれているが、
コトバンク-兼康祐元 とはには、”平安時代に『医心方』を編纂した丹波康頼の後裔である兼康家の5代目兼康祐元(かねやすゆうげん)が、江戸芝の柴井町と源助町に薬種,歯薬,香具を商う店を持っていたが、元和3(1617)年に本郷に第3番目の店を出した。そんな、祐元が処方した歯磨粉「乳香散」は元禄時代(一説には享保年間)に別家の兼康祐悦が本郷店で販売すると流行品となり、「かねやす」というと歯磨粉を意味したという。明和ごろから「本郷も兼康までは江戸の内」の句で有名になる。また芝柴井町の店主は代々「祐元」を名乗り,口中医あるいは入歯師としても栄えた。”・・・と書かれており大分違う。私には、どちらがどうなのか信実は分からないが、今日、実際の大岡裁きは、享保12年(1727年)の「白子屋お熊事件」のみで、他は、後に色々な人のものを寄せ集めて作られたものであることは知られており、書かれている内容からすれは、コトバンクの方に信憑性が感じられ、「乳香散」の本当の開発者は「祐元」であるが、それを、別家の兼康祐悦が商売上手に「この薬をもって磨く時は、その白さ銀を敷くる如く、一生口中歯の憂なし」と効能を宣伝し(※11)て、販売し名を成したのだろうと言う感じがする。
江戸時代も元禄時代になるとこの歯磨粉には“兼康の「乳香散」、薬種商の「おもだかやの歯磨」、「箱入り歯磨嗽石香」、松井源水の「市之丞のはみがき」、文化、文政の時代(1804〜1829年)には「松葉じお歯磨」、「団十郎歯磨」、「助六はみがき」美濃屋の「一生歯の抜ざる薬」など多くの歯磨粉が製造、販売された。”・・・とあり、「かねやす」ではなく「兼康」の「乳香散」と書かれている。
この話はここまでとして、次に以下の図を見てください。
上掲の画像は、江戸時代の浮世絵師・歌川国貞(三代歌川豊国)の「見立十二乃気候九月」に見る「お歯黒化粧と歯磨き」の図である(画像はNHKデーター情報部編ヴィジアル百科『江戸事情』第六巻服飾編より。画像は榎恵氏蔵とある)。
この画も、モノクロであるが実際は錦絵であり、その絵は、※12:「浮世絵・歌川国貞・見立十二乃気候九月に観る江戸の化粧」で見ることが出来る。見たい人はここをクリックしてください。
現代人にとっては、「真っ白に輝く歯」が美の象徴となっており、お歯黒は、今では、歌舞伎や時代物の映画、テレビでしか見ることは出来ないし、また、気味悪い風俗としか理解されていないだろうが、日本を西欧化しようとしていた明治新政府が、西洋の人達から「お歯黒」を野蛮な風習のように見られたくなかったため出した「お歯黒禁止令」により廃止される明治時代初頭頃までの日本では、 歯を真っ黒に染める化粧、「お歯黒」が大変性的な魅力のある化粧風俗とされていた。
江戸古川柳に「良き娘 おしいことには 歯は黒し」(いい娘なのに残念ながら人妻なのだろうという意)が残っているように、女性は結婚すると歯を黒く染め、一般女性は眉を剃り、遊女は眉を抜いていた。
起源はよく分かっていないが、日本では、古墳に埋葬されていた人骨や埴輪にはすでにお歯黒の跡が見られ、3世紀末に記された魏志倭人伝)などにも「黒歯国」と記載(※13参照)されており、当時すでにお歯黒が行われていたことが伺える。
初期には草木や果実で染める習慣があり、のちに鉄を使う方法が鉄器文化とともに大陸から伝わった。
753年に鑑真が持参した製法が東大寺の正倉院に現存するという。 この鑑真が中国から伝えた製造法は古来のものより優れていたため徐々に一般に広まっていったが、その製造法は当初は仏教寺院の管理下にあった。
古代から行われていたお歯黒だが、日本で人々の習慣になったのは、平安時代に入ってからと考えられている。
この時代のお歯黒は、成人への通過儀礼でもあったが、室町時代になると一般にも広がり、時代とともに、既婚女性の象徴となっていった。
「お歯黒」というのは日本の貴族の用語である。「おはぐろ」の読みに鉄漿(かね)の字を当てることもある。御所では五倍子水(ふしみず)という。民間では鉄漿付け(かねつけ)、つけがね、歯黒め(はぐろめ)などともいったようだ。
鉄漿(かね)は歯を染めるのに使う液であり、 主成分は鉄漿水(かねみず)と呼ばれる酢酸に釘などの鉄を溶かした茶褐色の溶液である。これにヌルデの木からとれるタンニンを多く含む五倍子粉(ふしのこ。御婦志之粉)と呼ばれる粉を混ぜて非水溶性にする。主成分は、酢酸第一鉄でそれがタンニン酸と結合して黒くなる。
歯を被膜することによる虫歯予防や、成分がエナメル質に浸透することにより、菌の浸食に強くなり、歯周病の予防にもなるなどの実用的効果もあったとされている。五倍子粉は、市販されていたが、鉄漿水は自分の家でつくったそうだ。大変渋くて臭かったそうで、染めてから直ぐにうがいをしたという。この臭さが江戸時代お洒落な若い女子に敬遠され既婚女性のみがするようになったとも言われる。
上掲の「見立十二乃気候九月」の画像右下には、うがい水をあける耳盥(みみだらい、左右に耳状の取っ手のついた小形のたらい。)の上に、渡し金(耳だらいの上に渡しかけて、お歯黒の道具をのせる真鍮の板)を渡し、その上に金メッキらしい鉄漿盃と四角い漆塗りの箱の五倍子粉入れが描かれ、その横には、うがい茶碗といったお歯黒道具一式が描かれており、鉄漿水と五倍子粉を鉄漿筆で交互に塗って歯を染めている女性が描かれている。お歯黒やお歯黒道具の説明など14:「ポーラ文化研究所:日本の化粧文化」なども、参照されると良い。
お歯黒をつけるためには良く歯を磨いてからでないとうまくお歯黒つけが出来なかった。そのためお歯黒をつけている人はお歯黒と歯磨きの効果とで虫歯が少なかったといわれている。
又、逆に、江戸のダテ男は白い歯が自慢だったらしい。
現物を見る
上掲の画は以下参考の※15:「早稲田大学図書館・古典籍総合データベース」に保存さている一勇斎国芳(歌川国芳)が描いた3枚続きの諷刺画「きたいなめい医難病療治」の入口の画像である。画像下の現物を見るをクリックすると、データベースにある詳細画像を見ることが出来る。
同データベースに、この画像の解説はないが、以下参考の※16:「浮世絵文献資料館」の藤岡屋日記「き」の◯『藤岡屋日記 第四巻』p134嘉永元年(1848)四月)のところで、「【きたいなめい医】難病療治」国芳画について書かれている。
それによると、“嘉永3(1850)年国芳が描いた3枚続きの「きたいなめい医難病療治」は、通三丁目の版元遠州屋彦兵衛により板行されたとある。
そして、この画には、やぶくすし竹斎の娘で名医こがらしという美人を中心に、足の悪い美女、御殿女中の大尻、あばた顔、一寸法師、近眼、ろくろ首などの難病者を年頃の惣髪の4人の弟子が治療している諷刺画が描かれている。
女中の大尻は大奥の女中で「御守殿のしり迄つめる」という評判が広まり、その絵の評判はさらに増した。近眼は当時の阿部正弘で鼻の先ばかり見えて遠くが見えない、一寸法師は牧野忠雅で万事心が小さいなどと言われた。・・など、市中であまりに評判になったため、国芳は尋問を受けることになったようだ。また、この錦絵を参考にして方々で贋絵(にせえ)が出たという。この画は「判じ物」の技法が用いられており、描かれた人々の裏に隠された意味が理解され評判になったことから、「判じ物」としての作品の巧みさが、評判に評判を読んだようだ。
因みに、やぶくすし竹斎と言うのは、江戸時代初期の仮名草子『竹斎』(作者:伊勢の医家富山道冶とされている)に登場する主人公の藪医者のこと言っているつもりであろう。作品は、竹斎が下僕を供に、こっけいを演じながら京から江戸に下る物語で、頓智で病を治し、狂歌で名声を博したという。松尾芭蕉が『野ざらし紀行』で名古屋の談林系の俳諧の席に招かれた時、詠んだ発句「狂句木枯の身は竹齋に似たる哉」中にも見られるように相当知られていたようだ(※17、※18参照)。冒頭の「狂句」は、後日削除したと言われているが、この句は芭蕉が談林俳諧から決別して俳諧の新しい地平を創造した記念すべきものだそうだ(※19)。
さて、本題の歯のことだが、この図の中央前方で、名医こがらしの弟子がむしばと書かれた格子縞の着物を着た町家の女性の口からお歯黒の歯を両手で握りしめた鉗子(かんし)を使って抜こうとしているところを描いている。半身に反り返って女性はそれを必死に耐えているようだ。その女性の手前の懐紙の上には木床義歯(もくしょうぎし)が置かれている、
説明文には、
「はのいたむものは、なかなかなんぎなものでござる、これは、のこらずぬいてしまって、うえしたともそういればにすれば一しょうはのいたむうれいはござらぬて」「これはなるほどよいおりょうじでございます」とある。 “・・・そうだ(以下※11)。
抜歯の光景など見ただけで恐いが、歯が痛んだからと言って、直ぐに抜いてしまい上下ともに総入れ歯にされたのではたまらないよね〜。
※11に、江戸時代の歯痛の方法が色々書かれているが、現代の歯科知識では、このような方法では、あまり歯痛どめに効果がなさそうであるとしている。説明文にあるように、「はのいたむものは、なかなかなんぎなものでござる」で、抜歯しかなかったのかも知れない。
そして多くの歯を失えば、物を食べるのに不自由であり、入れ歯を入れるしかしようがない。
明治時代の初期は、近代歯科医学への転換期であり、従来からの口中医、入れ歯師、西洋歯科医学を勉強し正式な歯科医術開業試験を通った歯科医などが色々といたそうだ。
我が国の現存している最古の総入れ歯は、和歌山市の願成寺を開山した中岡テイ、通称“仏姫”と呼ばれる尼僧のもので、1538(天文7)年に76歳で死去していた。入れ歯は、黄楊(ツゲ)の木を彫った木製入れ歯(木床義歯)で、歯の部分と一体となっていた。又、奥歯の噛む蔓がすり減っていることから、実際に使われていたと想像でき、そして、この入れ歯はX線解析と赤外線分析でお歯黒が施されていたことも判明している。
日本の木床義歯は、食事をしても落ちないように、歯がない上顎の粘膜に吸いつき保持するようにできており、現在の総入れ歯が顎に吸着する理論と同じであり、まさに、世界に類のない日本人の手先の器用さによる「独自の木彫技術」であった。
このように、江戸時代の中ごろには噛める総入れ歯が実用化していたことが窺えるが、その頃の欧米の入れ歯は、食べ物を噛むことがほとんどできない、主として容貌を整えるだけのものであったことから、日本の木製の入れ歯(木床義歯)の技術は、世界で一番古いものだという。
この木床義歯の始まりは、仏師などが彫ったといわれている。江戸期には仏像彫刻の注文が少なくなったため、木彫技術を活かして入れ歯を彫る「入れ歯師」と呼ばれる専門職になっていった。そして、 木床義歯は、鎌倉時代に全国的に普及し、江戸時代には歯が欠けた場合には、その部分の木製の入れ歯(局部義歯という)をつくり、金属のバネを入れて隣の歯に引っかけて維持する現代のような方法も江戸時代に工夫されていた。また、前歯の裏に穴を開け、糸を帳して、隣の歯にしばって維持する方法など独特の技法が完成していたそうだ(※11)。だ が、江戸時代では、まだまだ高価で、なかなか庶民には手が出なかったようだ。
以前から虫歯予防法には、「歯磨き」「砂糖の摂取制限」「フッ化物の利用」の3つの対策が言われてきていた。WHO(世界保健機関)は「フッ化物利用」が虫歯を予防するのに最も科学的に証明された方法である」としている。
2003(平成15)年21月14日、厚生労働省は、健康 日本 21 における歯科保健目標を達成するために有効な手段として「フッ化物洗口の普及」を目的としたフッ化洗口ガイドラインと呼ばれる通達を各都道府県知事宛に送付した(※20、及び※1のここ参照)。これをうけ、国内の地方自治体では、フッ化物洗口の普及についての条例案や決議が可決されている(実行例※21:「北海道子供の歯を守る会」参照)
WHOが虫歯予防法の第1位に推奨しているのは虫歯予防のために水道水のフッ化物濃度を適正濃度にして供給する方法(水道水フロリデーション=水道水へのフッ素添加)が低コストで有効性も高いとしているようだ。
その一方で「フッ素は非常に人体に有害であり、水道水に添加することは許されない」とする反対派の団体や歯科医師・科学者がいるが、すでに導入している米国その他各国の歯科医師学会などは、「フッ素は虫歯予防に有効であり、適量であれば人体への深刻な被害などは一切ない」とする強い立場をとって、今後、さらに広い地域や国々で、水道水へのフッ素添加を大規模に展開していこうとしているようだ。
いったい、どちらが本当のことを言っているのだろうか・・・。
“虫歯予防フッ素の信実”について、以下参考の※22:「THINKER」は、それを、有害であるとしている側の一例だろう。
また、以下参考の※5:「ちょっと変わった歯のお部屋」などは、推進派のようで、被害があるとして反対する人達を否定している。同HPの、“一 般 の 方"用入口の中の水道水フッ素化(フッ素濃度適正化)のすすめ 。又、”歯 科 の 方”の入口の中のフッ素化ニ関連するところを参照されると良い。
その中の、日本口腔衛生学会の姿勢を問うでは、日本口腔衛生学会が「名古屋宣言」(ここ参照)を「訂正」(フッ素化推奨を否定)したことに痛烈に批判をしている。
そして、その背景には、いろいろと陰湿な裏事情が見えるようだという。更に、そこには、やっかいな混乱を起こしたくない、フッ素化支持派の弱腰と混乱を見ていると、その背後に、フッ素化に消極的あるいは否定的と見える大きな「勢力」の存在が見え、フッ素化推奨か反対かが勢力争いで行なわれているようで、とても、学術論争には見えない。・・・という。
世界が水道水フッ素濃度適正化を推奨する中。日本がどうすべきか・・・。日本人の健康を守る問題が、勢力争い他、利害団体等のご都合主義でやられたのではたまったものではないのだが、今問題となっている、関西電力の大飯原子力発電所再稼動問題にしても、その裏には原子力発電を中止したくない原発関係者、国民の安全よりも電力不足を何とかして企業利益を追求したい経済団体、原発設置をしているところの地域住民のエゴ、これら利害団体との関係を優先する霞ヶ関の官僚、これらの指示がほしい政府、や国会議員等々の思惑が国民の生命の安全よりも原子力発電を優先させているように思われるのと同じことだろう。日本の政治家のレベルの低さが問われる時代となっている。
最後に、世界では忌み嫌われる八重歯だが、過去日本だけには「八重歯が可愛い」とした時代があり、我が地元兵庫県出身のアイドル歌手“石野真子”がデビューした時のキャッチフレーズは「百万ドルの微笑」で、トレードマークはタレ目と見事な2本の八重歯だった。他にも、20世紀の八重歯タレントとしては、小柳ルミ子、梓みちよ、国広富之、河合奈保子、芳本美代子、坂上香織、古くは美空ひばり、石原裕次郎なども挙げられる。
しかし、歯科医学的に犬歯には咀嚼時のガイドとして働く重要な役割があり、八重歯の状態ではその役割が果たせず、また、歯磨きもしにくいことからむし歯や歯周病が懸念されなど健康上の問題や、美顔的にも白い歯並びの良い歯が好まれるようになって以降、八重歯は治療・矯正されてきたのだが、最近は人気アイドルグループAKB48の板野友美のような片八重歯に憧れて、人工の歯を付けて個性を演出しょうとする「付け八重歯」が若い女性を中心に新たなファッションとなってきているらしい。
セラミックと樹脂でできた特殊素材を歯に張り付けるだけで、飽きればとることが出来るからいいようなものの、今の女性は、化粧だけではなく、まつげや歯まで、足の爪からあちこちへ色んなものをつけて大変だね〜。前に、顔を黒くすガングロが流行したことがあるが、なんなら江戸時代に人気のあった
お歯黒でもやってみないかな〜。虫歯や歯周病予防にもなるらしいし、みんなびっくりして、注目されるので一石二鳥かも・・・?
参考:
※1:日本歯科医師会HP
http://www.jda.or.jp/
※2:日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
※3:健康日本21推進全国連絡協議会
http://www.kenkounippon21.gr.jp/kyogikai/kanyudantai/8020zaidan/
※4:健康日本21中間報告
http://www.kenkounippon21.gr.jp/kenkounippon21/ugoki/kaigi/pdf/0704hyouka_tyukan.pdf
※5:ちょっと変わった歯のお部屋
http://www.geocities.jp/go_fluoridation/
※6:8020健康長寿社会は実現するか(Adobe PDF)
http://www.8020zaidan.or.jp/pdf/kaishi/teidan01.pdf#search='8020健康長寿社会は実現するか'
※7:歯痛の原因は何でしょうか?−ハーネット
http://www.j-dol.com/cons/cons/articles/pain.html
※8:痛みと鎮痛の基礎知識
http://www.shiga-med.ac.jp/~koyama/analgesia/
※9:内藤記念くすり博物館:人と薬のあゆみ−衛生
http://www.eisai.co.jp/museum/history/b1500/0100.html
※10:爪楊枝(つまようじ) - 語源由来辞典
http://gogen-allguide.com/tu/tsumayouji.html
※11:神奈川県歯科医師会:歯の博物館
http://www.dent-kng.or.jp/chishiki/museum/
※12:浮世絵・歌川国貞・見立十二乃気候九月に観る江戸の化粧
http://blogs.yahoo.co.jp/yamaguchikomono/3385327.html
※13:おもしろ大辞典[お歯黒の起源]
http://www.sakamoto.or.jp/takafumi-dictionary001-117.htm
※14:ポーラ文化研究所「日本の化粧文化」
http://past.jman.jp/jman/library/kesyo/kesyo10.htm
※15:早稲田大学図書館:古典籍総合データーベース:[難病療治]
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%93%ef%95%61%97%c3%8e%a1
※16:浮世絵文献資料館
http://www.ne.jp/asahi/kato/yoshio/index.html
※17:『竹斎』『東海道名所記』について
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/leaf/200410_chikusai.htm
※18:蕉門俳諧集5、「狂句こがらし」の巻、解説
http://www.h6.dion.ne.jp/~yukineko/haikai05.html
※19;芭蕉DB :野ざらし紀行(名古屋)
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/nozarasi/nozara23.htm
※20:フッ化物洗口ガイドラインについて:厚生労働省、医政発第 0114002 号 健 発 第 0114006 号 平成 15 年1月 14 日
http://www.tkda.jp/kouse.gaidorain.pdf#search='厚生労働省 フッ化洗口ガイドライン'
※21:北海道子供の歯を守る会 外部リンク
http://www.geocities.jp/newpublichealthmovement/savethechildrenstoothhokkaido/link.html
※22:THINKER-健康について’虫歯予防フッ素の信実”
http://thinker-japan.com/husso.html
う蝕- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E8%9D%95
◎印NHKデーター情報部編ヴュジアル百科『江戸事情』。第一巻生活編。第二巻産業編。第六巻服飾編。