日本記念日協会に登録されている今日・6月11日の記念日に「おかあちゃん同盟の日」があった。
由来を見ると、昨・2011(平成23)年3月11日の東日本大震災で多くの人が「人とのつながり」「支え合い」の大切さを強く感じた。おかあちゃんが幸せだと家庭も子どもたちも幸せになる。そう信じて毎月この日におかあちゃんたちが集い、語らい、学び、交流を深め、支え合うコミュニティーを作ろうと、岐阜県羽島市の「世界おかあちゃん同盟」(※1)が制定したそうだ。日付は大震災を忘れないとの思いから同じ11日にしたのだという。
東日本大震災では最大遡上高40.1mにも上る大津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらし、警視庁は、2012(平成24)年5月9日現在、死者15,858人(宮城県が約6割)、重軽傷者は6,080人(宮城県が約7割)、警察に届出があった行方不明者は3,021人であると発表している(ただし未確認情報を含む。「東日本大震災における死者・行方不明者の推移」参照)又、地震と津波による被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所では、全電源を喪失して原子炉を冷却できなくなり、大量の放射性物質の漏洩を伴う重大な原子力事故に発展。レベル7(※2)と史上最悪となった今回のこの東京電力福島第一原子力発電所事故は、これまで「絶対 安全」とされてきた原発推進派のいわゆる平和のための原子力の安全神話が瓦解し、原子力発電そのものの危険性を明るみにした。
原子力発電所が休止する中、夏の電力不足が心配され、関西電力・大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)を巡り、安全のためには、節電努力を十分に行なえば危険な原子力発電所を再稼動しなくてもやって行けると、政府や関電とせめぎ合ってきた橋下徹大阪市長も先日、一転、電力使用のピークを迎える夏場だけの限定的・・としながらも再稼働容認に転じてしまった。一旦大飯原発が再稼動すればずるずると継続使用され、又、現在休止中の他の原子力発電所も稼動の方向へ進んでいくだろうことが推測されるだけに、さすが強気で鳴る橋下氏も事実上「負けた」と言っているように、電力不足15%の高い壁に、国民の安全よりも、会社の操業・利益追求を求める経済界の強力な圧力があったのだろう。それに、原子力発電事故による他の地域住民の人達の安全や迷惑などよりも、原発廃止によって失う、電源三法による地方自治体への交付金や職、また、原発関係者を当て込んで営業をしている地元商業者等の利益喪失を嫌う、言うところの、地元エゴ。それに何が何でも原子力発電を稼動させたい電力業界など原子力推進派グループと、それに癒着している経産省などの役人などの強い抵抗があったのだろう。又、それを、本来は国家的見地から判断し正しい方向に導いてゆかなければならないはずの政府、つまり、野田佳彦民主党政権が逆に官僚に操られての腰砕け。国民目線ではなく官僚の描いた原発推進路線を強引に推し進めていこうとしていることに嫌気し、屈してしまったということだろう。それは、野田首相の6月8日夕、首相官邸での勝ち誇ったような記者会見「国民生活を守るため、再稼動すべきだというのが私の判断だ。立地自治体のご理解をいただいたところで、再稼動の手続きを進めたい」との表明にあらわれている。
国民生活を守る・・・?。一体どの地域に住んでいる国民のこと言っているの?福島第1原発の事故で、どれだけ多くの国民生活が破壊されたと思っているのか?
「電力供給の約3割りを担ってきた原発を止めてしまっては、日本の社会は立ち行かない。エネルギー安全保障の視点からも原発は、重要な電源だ」・・とまるで、経団連の会長のような発言をしている。
原発事故以来、詭弁ばかり弄して、国民が納得できる専門家による事故原因、安全性などの調査・確認が十分にされているとは言えず、そのことに疑問のある段階で、ことの信実をひた隠しにして、世界一とも言われる地震大国日本周辺では、活断層(※3、※4参照)が活発な活動期に入っており、非常に危険状況にあるといわれる中での、いい加減な操業はこの後どのような大災害を再発させるかも知れない。これは、何とかしなくてはいけないだろう・・・。
又、地震とは別に、社会的には、小子・高齢化による諸問題が年々深刻化している。就中(なかんずく=とりわけ)、出生率の低下に歯止めがかからず大きな課題となっており、そのために、子供を生み育て易い環境の整備を勧めていかなければならないのだが、何処に住んでいても地震だけでなく、原発事故にも怯えなければならないような国にしてしまっては、生まれてくる子供たちの将来を一体誰が保障してくれるのだろか?又、そんな大変な時代に生まれてきた子供たちは、正に「宝」であり、そんな、大切な子供を、今の荒(すさ)んだ時代に見られる親を親とも思わないような人間、自分勝手な考えで非道なことを平気でするような人間ではなく、人を思いやる優しい心を持ったまともな人間に育てていくためには、単に、政府や自治体の行なう法や制度の整備だけではなく、世の中の人全員が子育への理解を示し、それぞれの人が それそれぞれの立場で応援をし、協力し合ってゆかなくてはならないだろう。
今日の記念日「おかあちゃん同盟の日」について日本記念日協会の由緒には、“東日本大震災で多くの人が「人とのつながり」「支え合い」の大切さを強く感じた。おかあちゃんが幸せだと家庭も子どもたちも幸せになる”・・・と、書かれているように、私も、成長期の子供にとって母親の存在は、非常に大きく、そんな「おかあちゃん」が真に幸せを感じておれば、家庭も円満にゆくだろうし、子供も幸せを実感できるまともな人間に育っていくだろうと思っている。したがって、そんな幸せな「おかあさん」を一人でも増やしてゆこうする運動なら、それは非常に良いことだと、早速、「世界おかあちゃん同盟」のHPを覗いてみると、世界おかあちゃん同盟とは?“というページの中で、以下のようなことが書かれている。
おかあちゃん同盟とは、
マザーテレサは、「世界平和のために何をしたらいいのか?」という質問に、「帰って家族を大切にしてあげてください」と言われたそうです。
また、「この世で最大の不幸は、戦争や貧困などではありません。人から見放され、自分はだれからも必要とされていない」と感じることなのです。」
と言われています。
「愛の反対は無関心」とも言われたように、この日は、身近な方へ、「愛を贈る日」にしたいと思います。
家族に「愛しているよ」と伝える日。
困っている方がいれば、話を聞くだけでもいい。
何かできることがあれば、できる範囲で何かする。
ささやかなことで大丈夫なのです。
具体的には、様々なこともありますが、お母さん同士で、ピクニックをして、同じお母さん同士語らいあい、交流をするのも、お母さんの心を豊かにするかもしれません。・・・・と。
これは良いを言っている。昨年の東日本大震災では、多くの人達が家を、職を、そして家族や友人達をもなくし、バラバラになってしまった。そんな被災者のために何かしらお役に立ちたいと多くの人達がボランティアとして駆けつけた。日本で、このように全国から大勢のボランティアが被災地に駆けつけたのは、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災からのことで、そこからこの年を、「ボランティア元年」とも呼ばれている。
そして、人と人の結びつき「絆」(きずな)の大切さが言われ始めたが、東日本大震災では、よりその重要性が見直され、昨・2011(平成23)年の京都清水寺の世相を漢字一字で表す「今年の漢字」にも「絆」が選ばれた。しかし、一方で、被災地のために協力したいと言いながら、自分たちに直接影響があるとそれを拒否する・・といったこと、つまり、風評により、放射能汚染された現地商品の購入を控えたり、瓦礫の広域処理拒否といったことが見られ、又、先にも述べた、原発再稼動が危険だと反対する周辺の住民に対して、安全面より、目の前の利益を優先し、受け入れを容認しようとする地元住民達のエゴ。これらを見ていると、「絆」と言うものの不安定さや弱さを感じざるを得ない。
戦後の高度経済成長時代から、核家族化が進み、そこへ、サラリーマン(特に男性)の単身赴任や家から外に出て働く女性(主婦)も増え、かって見られた家庭での団欒(一家団欒)さえも失われてゆく。それが、家庭そのものがネグレクトや機能不全家族などという言葉で表されているような家庭の構成員同志が一般的な家族として付き合うことすらできていない家庭崩壊状況へとつながり、そこから、家庭内暴力や特に、近年になってから社会問題となっている無縁社会やモンスターペアレントや、シングルマザー、また、非行少年や、学級崩壊などといったことに繋がっていると言われている。
ネグレクト(neglect)とは、本来英語で「無視すること」を意味するらしいが、日本では主に保護者などが、子供や高齢者・病人などに対して、必要な世話や配慮およびその義務を怠ることをさして使われているようで、児童虐待、障害者虐待、高齢者虐待のひとつでもあり、子どもに対するそれは育児放棄ともいう。
マザーテレサは、「この世で最大の不幸は、戦争や貧困などではなく、人から見放され、自分はだれからも必要とされていない」と感じることだといっているが、正に、保護者から見放された子供や、高齢者・病人ほど、不幸な存在はいないだろう。
現代社会においてネグレクト(育児放棄)と言われる現象は積極的ネグレクトと消極的ネグレクトの2つに分けられ、前者の「積極的ネグレクト」は、親に養育の知識や経済力の不足など、子供を育てられない明確な理由がないのに育児を放棄することであり、後者の「消極的ネグレクト」は、親の経済力が不足していたり、精神的疾患を抱えている、知的な障害があるなどの理由で育児ができないことを指すようだ。又、このような育児放棄には、それをしている人達自身が子供時代に同じような不幸な体験をしてきていることが多いのだと聞く。
子供の養育は夫婦の共同責務であるが、その中でも、自らの腹を痛めて子供を産んだ「おかあちゃん」と子供のかかわりはより深いものであろう。
そんな「おかあちゃん」がどのような子供とのかかわりをするか・・・、核家族化し、今の社会で、相談相手も見つからず、一人で悩んでいるお母さん、特に仕事を持つ女性などの場合、本当に大変だろうと察する。是非、おかあちゃん同盟の輪を広げて、助け合っていって欲しいと思う。
しかし、おかあちゃん同盟のHPには、以下のようにも書いてある。
「赤ちゃんを産んだ瞬間、あなたはすべての子どもたちのお母さんになる」 と誰かがいった。
3、11以降の原発の事故は、日本として、三度目の被爆国になる出来事だと思います。
唯一の戦争被爆国として、核というものを平和利用であっても、決して受け入れるべきでなかった。
今になり、そう思います。
これはもう、男性的な考えでは、収拾はできないと思います。
単純に、母性で、「核はいらない」「未来を子どもたちにつなぎたい」
ただ純粋にそれだけ。(中簡略)
3月11日の東日本大震災や、福島第一原発の事故での放射能汚染を体験し、今まさに、次の核での悲劇が起きる前に、声をあげなくてはいけないと感じました。(以下略)・・・と。
ここでは、おかあちゃんとは、「母性」で、子どもを産んだことがあるということだけではなく、すべての女性の持つ母性、この母性は男性の心の中にもきっとあるだろう。その「母性」こそが「おあちゃん」です。・・・・といっている。そして、そんな世界中の「おあちゃん」と呼ばれる人が「世界中から核をなくそう!」とみんなでメッセージを発信していこうと呼びかけているのがこの「おかあちゃん同盟」であり、そのために、 昨・2011(平成23)年8月15日、66回目の終戦記念日(「終戦の日」とも呼ばれる)、日本が戦うことを手放した日に記念日登録がされた。・・と、している。
このようにこの同盟のHPをよく読んでいると、私が、当初想像し、期待していた、“「母性」を持つ幸せな「おかあちゃん」が集まり、おかあちゃん同士が助け合いながら不幸な子供を1人でもなくしてゆこうとする運動と言うよりも、むしろ、赤ちゃんを産み育てた「母性」=「おかあちゃん」と呼ばれる人達が中心になって、これからの生まれてくる子供たちのためにも世界中から危険な「核」をなくしてゆこうと、いう、いわゆる反核運動の推進が主眼のように見えてきた。
福島原発事故処理に対する民主党政権のいい加減さには、私も、憤りを感じているし、日本の将来を憂えている一人でもあることは、冒頭でも述べた通りであり、又、世界中から核の軍事利用のみならず、平和利用(※5参照)目的であろうとも今回の福島原発事故を目にして、改めて核利用の難しさを知り、このような危険な核利用は一日も早くなくす方向に舵を切ってもらいたいものだと願っている一人でもある。
しかし、現実には例え、原子力発電所の稼動を停止しても、原発から出る、大量の核のゴミ、使用済み核燃料(※6参照)、放射性廃棄物などの安全な最終処分の方法がないのが実情のようである(※7参照)。
今は、行き場がないので各原発施設の貯蔵プールなどに保管されている状態のようであるが、万一、災害や事故で使用済み核燃料が露出すれば、爆発・広域汚染の危機ある。だから、この問題を解決しない限り、原発の稼動を停止したからと言って、直ぐに危険性がなくなる・・・という訳でもないようだ。
したがって、これらの問題の解決方法を早急に手当し、核エネルギーに代る自然エネルギー等の再生可能エネルギーの開発の目途が立つまでは、電力不足(東日本大震災による電力危機参照)に対して、電力を利用する企業や団体のみならず一般市民も徹底した節電と、場合によっては計画停電も覚悟した上での操業や生活スタイルに変えてゆくのか、あるいは、当面は、原発に危険性のあることは承知した上で、だからこそ、安全管理の徹底をしながら、一時的使用はやむなしと容認するかは、最終的には、国民自身に、その選択と覚悟が求められることになるだろう。そのためにも、政府は、国民が、判断しうるに足るだけの専門家による信実を示した信頼のできる資料を国民の前に開示する義務があるだろう。
最後に、話し変わって、「おかあちゃん同盟の日」の中では、“おかあちゃん=母性 という意味で「おかあちゃん」を使用しています”・・・とある。
母親とは、女親のことであり、よく、妻が家庭の実権を握っている家庭のことを「かかあ天下(嬶天下)」とよび、上州(群馬県)名物に「空っ風」などと並び称されたりするが、本来の意味は「夫が出かけている間の家を(からっ風などから)守る強い妻」や「うちのかかあは(働き者で)天下一」の意味だそうである。
ここでいう、「かか」とは、江戸時代から、妻や母に対する親しみを込めた呼び方であり、「かかあ(かか)」は古代、蛇(ヘビは大地母神の象徴)の意味で使われていた「かか」が時代とともに転意していき、庶民の間で母や妻という意味で使われた。ちなみに母(はは)も同じ語源だそうだ。古代、K音とH音の発音が曖昧であったために「かか」と「はは」の2種類が定着したとされている(※8)。呼び方は地域によってもいろいろあるが、現在、一般には「お母さん」と言い、親しみをこめて「「かあさん」「かあちゃん」、また、「お袋」(おふくろ)などと呼ばれる場合もあり、わたしなど、子供の頃は、「お母さん」、成人してからは、「お袋」と呼んでいた。「お袋」の語源には、諸説あるが、子宮や胞衣(えな.。胎盤参照)を「フクロ」ということからそれが転じて、母親そのものをいうようになった。また、子どもは母の懐で育つので、「フトコロ」が転じたとする説もあるそうだが、室町時代、武士の中でも相当位の高い家では、家の財産をふくろごと管理していたのが奥方である「母」だったことによる・・・とする説も有力らしい(※9参照)。いずれにしても、「母親」は尊敬される存在であった。
この「母」という漢字(※10)の成り立ちは「女」に2つの乳房を加えた象形文字であり、子への哺乳者、授乳者であることを意味している。
「母性」は、一般的に、女性がもっているといわれている、母親としての性質。また、子を生み育てる母親としての機能のことをいっており、母子保健法上の「母性」は、妊娠、出産、育児という特有の機能を果たす女性そのものを指す概念として使われている。
そして、よく、「母性」を、母親が、子どもを慈しみ、大事にし、そばにおいておこうとする性質という概念つまり、通俗的に使用されるところの「母性本能」のような概念で使われたりもするが、その定義は非常に曖昧であり、エリザベート・バダンテール(Elisabeth Badinter。1944〜)は1980年出版の『L'Amour en plus(後から付け加わった愛)』(邦題『母性という神話』ちくま学芸文庫)の中で、母性というのは必ずしも女性の本能ではないこと、母親は必ずしも子供に対して献身的であるとはかぎらないこと、子供の幸福のために母親が個人的な野心を捨てるとはかぎらないこと等々を、女性に母性が押し付けられてきたフランスの社会の歴史をたどることにより明らかにしており、今日のように「母性」が強調されるようになったのは、近代社会の、特に工業化社会に入って日本で言うところの「産めよ殖やせよ」がブームになってからのことで、そこには、男は仕事に出るので、女は家で子供を育てるといった社会の女性に期待する役割が、時代とともに変化して「母性」概念が誕生してきたようだ。詳しいことは、以下参考の※11エリザベート・バダンテール(Elisabeth Badinter)『母性(という神話』や、※12:〔講演〕“理想”の家族という幻想、又、 Amazon.のエリザベート バダンテール著:『母性という神話』 (ちくま学芸文庫) のカスタマーレビューなどを参照)。
そして、同書ではルソーとフロイトの女性論(※13、※14など参照)に焦点があてられ、筆者によれば、今日みられるような母性という神話が形成されるにあたって彼らが果たした役割が非常に大きく、彼らは本能・自然・道徳などの名のもとに母親の責任・役割を拡張し、同時に父親の役割を縮小したが、このことは一面では、女性の権利の拡大を伴ったが、同時に彼女たちの自由を疎外してしまった。そして、今後女性は母性愛の押し付けをますます拒否し、男女の役割の同一化が進むであろう。・・・とも言っている。
「母性」をどうとらえるかは色々な見方があるが、Wikipediaには、おかあちゃん同盟のように、「女性=母性」ととらえる見方には、「働く女性」にとっての「母性」を「万人に降り注ぐ愛の力」だと積極的に認識することで仕事に活かそうという経営思想があり、男女の性差を、むしろ自然から与えられた素晴らしいものと考えることで、かえって社会で女性(=母性)の力を発揮できる、という考え方のことであるそうだ。また家庭においては女性が自ら「子育ては100パーセント母親の責任」と考えることで、かえって父親のサポートの一つ一つを心から感謝することが出来、その結果として、結局「半分・半分の育児」を口で主張するよりも多くの父親のサポートを得られ、子供からの尊敬も受けられる、ということである。このような、母性の重視は「働く女性」を否定するものでないのと同時に、また「働く女性」を家庭の家事や育児に専念する専業主婦よりも価値を高いと考えるものでもないのだ(欠野アズ紗著『21世紀は母性の時代』学習研究社より)という。
そういえば、戦前世代のフェミニストの代表格である平塚らいてうらは女性固有の能力である母性を重視し、国家による保護を主張。これに対し与謝野晶子が反発し、母性保護論争が起こったことはよく知られているところである。この論争については、以下参考の※15:「いくじれんHP」の古典を読む・母性保護論争─晶子とらいてうに詳しくかかれているので、一読されると良いが、そこにも書かれているように、晶子は「女=母性」の等号に異を唱えると同時に、子供を「育てるのは女」とすることには大いに疑問を呈している。
そして行なわれた晶子とらいてうのこの論争は、現在もなお問題となっている子育て・家事労働・職業・労働などをめぐる論点を含んでおり、晶子の徹底した経済的独立の必要性は、女性問題の基点であり、今日でも確認されるべき重要なポイントであり、また、らいてうの「母性は国家によって守られるべきもの」という主張は、家庭と職業の両立の困難さという今日の問題を指摘している。私は、考え方としては、基本的に与謝野晶子を支持する側であったが、今日のように、小子化が深刻な問題となっている日本の現況をみていると女性に、「社会の為に子を産み・子育てをする」義務はないものの、「子を産み・子を育てることが社会にとって重要な問題であり、それに対して社会は支払いをすべきである」というらいてうの指摘は、現在の社会制度改革に通じるものであるあり、どのような方法で何処まで出来るかは、真剣に受け止めなければならない懸案となってきていることは確かである。
今、世界的中が、環境面でも、経済面でも解決しなければならない問題を山と抱えているが、中でも、日本は深刻なデフレ経済の中での経済不振と失業者問題、そして、円高問題、世界一の赤字国債を抱えた中で起きた昨年の東日本大震災の早急な復興、これから発生すると予測される大震災と津波への対策、原発災害により表面化したエネルギー不足問題、今までから言われ続けている年金・医療問題とも関連する深刻な小子・高齢化問題等を抱えている。
そんな中で、母(=女性)に何が出来るか。今日の記念日に母親としての「役割」を考え見るのも良いのではないか。子育てに最も必要なことは、金銭問題以上に夫婦円満な家庭にあると思っている。以下参考の※16、※17などに書かれている母親の役割や、※12:「〔講演〕“理想”の家族という幻想」など参考にされると良いのでは・・。
(冒頭の画像は、『母性と言う神話』エリザベート バダンテール著、鈴木 晶 翻訳、ちくま学芸文庫)
参考:
※1:世界おかあちゃん同盟HP
http://oka-chan.net/top.html
※2:時事ドットコム:激震・福島原発事故「レベル7」
http://www.jiji.com/jc/v4?id=f1-level70001
※3:危険な活断層
http://juki.nomaki.jp/dansou.htm
※4:産総研:活断層・地震研究センター:活断層データベース
http://riodb02.ibase.aist.go.jp/activefault/
※5:【原発】原子力の「平和利用」を見直す―福島原発事故から日本の原子力政策を問う
http://blog.goo.ne.jp/saypeace/e/526f92d883afefd8b05b6a7433c7dfab
※6:図録原子力発電所の発電総出力と使用済み核燃料貯蔵量
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4110.html
※7:すべての原発が停止」原発「廃炉」と「最終処分(使用済み燃料)」この遠き道のりこれは終わりでなく始まりである
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32551
※8:かかあ - 日本語俗語辞書
http://zokugo-dict.com/06ka/kakaa.htm
※9:母親の事を「おふくろ」というのは何故?
http://homepage2.nifty.com/osiete/s623.htm
※10:母子の字源
http://www.wind.ne.jp/khari/kenkyuu/nan-bosi-zigen.html
※11:エリザベート・バダンテール(Elisabeth Badinter)『母性という神話』
http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/kenkyu/02f3/bosei-odani.htm
※12:〔講演〕“理想”の家族という幻想
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/father/parent.html
※13:仲島陽一 ルソーの女性論・女子教育論と民主主義について (3)
http://blog.onekoreanews.net/nakajima/59
※14:斎藤学メッセージ(フェミニズムと臨床)
http://www.iff.co.jp/ssworld/mssg/mssg_15_4.html
※15:いくじれんHP
http://www.eqg.org/index.html
※16:武田邦彦 (中部大学): 原発 母の役割
http://takedanet.com/2011/04/post_1d9d.html
※17;子育てにおける母親の役割について[PDF]
http://www.sapporo-ohta.or.jp/www/sinnyug/p086.pdf
27 吉野裕子 蛇 −日本の蛇信仰−/モナ丼/本読
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/books127.htm
内閣府:少子化対策
http://www8.cao.go.jp/shoushi/index.html
母性- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E6%80%A7
家族ふれあいの日(Part 2) - 今日のことあれこれと・
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/add5547503e7c6617cffbdc3798423a5
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
由来を見ると、昨・2011(平成23)年3月11日の東日本大震災で多くの人が「人とのつながり」「支え合い」の大切さを強く感じた。おかあちゃんが幸せだと家庭も子どもたちも幸せになる。そう信じて毎月この日におかあちゃんたちが集い、語らい、学び、交流を深め、支え合うコミュニティーを作ろうと、岐阜県羽島市の「世界おかあちゃん同盟」(※1)が制定したそうだ。日付は大震災を忘れないとの思いから同じ11日にしたのだという。
東日本大震災では最大遡上高40.1mにも上る大津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらし、警視庁は、2012(平成24)年5月9日現在、死者15,858人(宮城県が約6割)、重軽傷者は6,080人(宮城県が約7割)、警察に届出があった行方不明者は3,021人であると発表している(ただし未確認情報を含む。「東日本大震災における死者・行方不明者の推移」参照)又、地震と津波による被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所では、全電源を喪失して原子炉を冷却できなくなり、大量の放射性物質の漏洩を伴う重大な原子力事故に発展。レベル7(※2)と史上最悪となった今回のこの東京電力福島第一原子力発電所事故は、これまで「絶対 安全」とされてきた原発推進派のいわゆる平和のための原子力の安全神話が瓦解し、原子力発電そのものの危険性を明るみにした。
原子力発電所が休止する中、夏の電力不足が心配され、関西電力・大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)を巡り、安全のためには、節電努力を十分に行なえば危険な原子力発電所を再稼動しなくてもやって行けると、政府や関電とせめぎ合ってきた橋下徹大阪市長も先日、一転、電力使用のピークを迎える夏場だけの限定的・・としながらも再稼働容認に転じてしまった。一旦大飯原発が再稼動すればずるずると継続使用され、又、現在休止中の他の原子力発電所も稼動の方向へ進んでいくだろうことが推測されるだけに、さすが強気で鳴る橋下氏も事実上「負けた」と言っているように、電力不足15%の高い壁に、国民の安全よりも、会社の操業・利益追求を求める経済界の強力な圧力があったのだろう。それに、原子力発電事故による他の地域住民の人達の安全や迷惑などよりも、原発廃止によって失う、電源三法による地方自治体への交付金や職、また、原発関係者を当て込んで営業をしている地元商業者等の利益喪失を嫌う、言うところの、地元エゴ。それに何が何でも原子力発電を稼動させたい電力業界など原子力推進派グループと、それに癒着している経産省などの役人などの強い抵抗があったのだろう。又、それを、本来は国家的見地から判断し正しい方向に導いてゆかなければならないはずの政府、つまり、野田佳彦民主党政権が逆に官僚に操られての腰砕け。国民目線ではなく官僚の描いた原発推進路線を強引に推し進めていこうとしていることに嫌気し、屈してしまったということだろう。それは、野田首相の6月8日夕、首相官邸での勝ち誇ったような記者会見「国民生活を守るため、再稼動すべきだというのが私の判断だ。立地自治体のご理解をいただいたところで、再稼動の手続きを進めたい」との表明にあらわれている。
国民生活を守る・・・?。一体どの地域に住んでいる国民のこと言っているの?福島第1原発の事故で、どれだけ多くの国民生活が破壊されたと思っているのか?
「電力供給の約3割りを担ってきた原発を止めてしまっては、日本の社会は立ち行かない。エネルギー安全保障の視点からも原発は、重要な電源だ」・・とまるで、経団連の会長のような発言をしている。
原発事故以来、詭弁ばかり弄して、国民が納得できる専門家による事故原因、安全性などの調査・確認が十分にされているとは言えず、そのことに疑問のある段階で、ことの信実をひた隠しにして、世界一とも言われる地震大国日本周辺では、活断層(※3、※4参照)が活発な活動期に入っており、非常に危険状況にあるといわれる中での、いい加減な操業はこの後どのような大災害を再発させるかも知れない。これは、何とかしなくてはいけないだろう・・・。
又、地震とは別に、社会的には、小子・高齢化による諸問題が年々深刻化している。就中(なかんずく=とりわけ)、出生率の低下に歯止めがかからず大きな課題となっており、そのために、子供を生み育て易い環境の整備を勧めていかなければならないのだが、何処に住んでいても地震だけでなく、原発事故にも怯えなければならないような国にしてしまっては、生まれてくる子供たちの将来を一体誰が保障してくれるのだろか?又、そんな大変な時代に生まれてきた子供たちは、正に「宝」であり、そんな、大切な子供を、今の荒(すさ)んだ時代に見られる親を親とも思わないような人間、自分勝手な考えで非道なことを平気でするような人間ではなく、人を思いやる優しい心を持ったまともな人間に育てていくためには、単に、政府や自治体の行なう法や制度の整備だけではなく、世の中の人全員が子育への理解を示し、それぞれの人が それそれぞれの立場で応援をし、協力し合ってゆかなくてはならないだろう。
今日の記念日「おかあちゃん同盟の日」について日本記念日協会の由緒には、“東日本大震災で多くの人が「人とのつながり」「支え合い」の大切さを強く感じた。おかあちゃんが幸せだと家庭も子どもたちも幸せになる”・・・と、書かれているように、私も、成長期の子供にとって母親の存在は、非常に大きく、そんな「おかあちゃん」が真に幸せを感じておれば、家庭も円満にゆくだろうし、子供も幸せを実感できるまともな人間に育っていくだろうと思っている。したがって、そんな幸せな「おかあさん」を一人でも増やしてゆこうする運動なら、それは非常に良いことだと、早速、「世界おかあちゃん同盟」のHPを覗いてみると、世界おかあちゃん同盟とは?“というページの中で、以下のようなことが書かれている。
おかあちゃん同盟とは、
マザーテレサは、「世界平和のために何をしたらいいのか?」という質問に、「帰って家族を大切にしてあげてください」と言われたそうです。
また、「この世で最大の不幸は、戦争や貧困などではありません。人から見放され、自分はだれからも必要とされていない」と感じることなのです。」
と言われています。
「愛の反対は無関心」とも言われたように、この日は、身近な方へ、「愛を贈る日」にしたいと思います。
家族に「愛しているよ」と伝える日。
困っている方がいれば、話を聞くだけでもいい。
何かできることがあれば、できる範囲で何かする。
ささやかなことで大丈夫なのです。
具体的には、様々なこともありますが、お母さん同士で、ピクニックをして、同じお母さん同士語らいあい、交流をするのも、お母さんの心を豊かにするかもしれません。・・・・と。
これは良いを言っている。昨年の東日本大震災では、多くの人達が家を、職を、そして家族や友人達をもなくし、バラバラになってしまった。そんな被災者のために何かしらお役に立ちたいと多くの人達がボランティアとして駆けつけた。日本で、このように全国から大勢のボランティアが被災地に駆けつけたのは、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災からのことで、そこからこの年を、「ボランティア元年」とも呼ばれている。
そして、人と人の結びつき「絆」(きずな)の大切さが言われ始めたが、東日本大震災では、よりその重要性が見直され、昨・2011(平成23)年の京都清水寺の世相を漢字一字で表す「今年の漢字」にも「絆」が選ばれた。しかし、一方で、被災地のために協力したいと言いながら、自分たちに直接影響があるとそれを拒否する・・といったこと、つまり、風評により、放射能汚染された現地商品の購入を控えたり、瓦礫の広域処理拒否といったことが見られ、又、先にも述べた、原発再稼動が危険だと反対する周辺の住民に対して、安全面より、目の前の利益を優先し、受け入れを容認しようとする地元住民達のエゴ。これらを見ていると、「絆」と言うものの不安定さや弱さを感じざるを得ない。
戦後の高度経済成長時代から、核家族化が進み、そこへ、サラリーマン(特に男性)の単身赴任や家から外に出て働く女性(主婦)も増え、かって見られた家庭での団欒(一家団欒)さえも失われてゆく。それが、家庭そのものがネグレクトや機能不全家族などという言葉で表されているような家庭の構成員同志が一般的な家族として付き合うことすらできていない家庭崩壊状況へとつながり、そこから、家庭内暴力や特に、近年になってから社会問題となっている無縁社会やモンスターペアレントや、シングルマザー、また、非行少年や、学級崩壊などといったことに繋がっていると言われている。
ネグレクト(neglect)とは、本来英語で「無視すること」を意味するらしいが、日本では主に保護者などが、子供や高齢者・病人などに対して、必要な世話や配慮およびその義務を怠ることをさして使われているようで、児童虐待、障害者虐待、高齢者虐待のひとつでもあり、子どもに対するそれは育児放棄ともいう。
マザーテレサは、「この世で最大の不幸は、戦争や貧困などではなく、人から見放され、自分はだれからも必要とされていない」と感じることだといっているが、正に、保護者から見放された子供や、高齢者・病人ほど、不幸な存在はいないだろう。
現代社会においてネグレクト(育児放棄)と言われる現象は積極的ネグレクトと消極的ネグレクトの2つに分けられ、前者の「積極的ネグレクト」は、親に養育の知識や経済力の不足など、子供を育てられない明確な理由がないのに育児を放棄することであり、後者の「消極的ネグレクト」は、親の経済力が不足していたり、精神的疾患を抱えている、知的な障害があるなどの理由で育児ができないことを指すようだ。又、このような育児放棄には、それをしている人達自身が子供時代に同じような不幸な体験をしてきていることが多いのだと聞く。
子供の養育は夫婦の共同責務であるが、その中でも、自らの腹を痛めて子供を産んだ「おかあちゃん」と子供のかかわりはより深いものであろう。
そんな「おかあちゃん」がどのような子供とのかかわりをするか・・・、核家族化し、今の社会で、相談相手も見つからず、一人で悩んでいるお母さん、特に仕事を持つ女性などの場合、本当に大変だろうと察する。是非、おかあちゃん同盟の輪を広げて、助け合っていって欲しいと思う。
しかし、おかあちゃん同盟のHPには、以下のようにも書いてある。
「赤ちゃんを産んだ瞬間、あなたはすべての子どもたちのお母さんになる」 と誰かがいった。
3、11以降の原発の事故は、日本として、三度目の被爆国になる出来事だと思います。
唯一の戦争被爆国として、核というものを平和利用であっても、決して受け入れるべきでなかった。
今になり、そう思います。
これはもう、男性的な考えでは、収拾はできないと思います。
単純に、母性で、「核はいらない」「未来を子どもたちにつなぎたい」
ただ純粋にそれだけ。(中簡略)
3月11日の東日本大震災や、福島第一原発の事故での放射能汚染を体験し、今まさに、次の核での悲劇が起きる前に、声をあげなくてはいけないと感じました。(以下略)・・・と。
ここでは、おかあちゃんとは、「母性」で、子どもを産んだことがあるということだけではなく、すべての女性の持つ母性、この母性は男性の心の中にもきっとあるだろう。その「母性」こそが「おあちゃん」です。・・・・といっている。そして、そんな世界中の「おあちゃん」と呼ばれる人が「世界中から核をなくそう!」とみんなでメッセージを発信していこうと呼びかけているのがこの「おかあちゃん同盟」であり、そのために、 昨・2011(平成23)年8月15日、66回目の終戦記念日(「終戦の日」とも呼ばれる)、日本が戦うことを手放した日に記念日登録がされた。・・と、している。
このようにこの同盟のHPをよく読んでいると、私が、当初想像し、期待していた、“「母性」を持つ幸せな「おかあちゃん」が集まり、おかあちゃん同士が助け合いながら不幸な子供を1人でもなくしてゆこうとする運動と言うよりも、むしろ、赤ちゃんを産み育てた「母性」=「おかあちゃん」と呼ばれる人達が中心になって、これからの生まれてくる子供たちのためにも世界中から危険な「核」をなくしてゆこうと、いう、いわゆる反核運動の推進が主眼のように見えてきた。
福島原発事故処理に対する民主党政権のいい加減さには、私も、憤りを感じているし、日本の将来を憂えている一人でもあることは、冒頭でも述べた通りであり、又、世界中から核の軍事利用のみならず、平和利用(※5参照)目的であろうとも今回の福島原発事故を目にして、改めて核利用の難しさを知り、このような危険な核利用は一日も早くなくす方向に舵を切ってもらいたいものだと願っている一人でもある。
しかし、現実には例え、原子力発電所の稼動を停止しても、原発から出る、大量の核のゴミ、使用済み核燃料(※6参照)、放射性廃棄物などの安全な最終処分の方法がないのが実情のようである(※7参照)。
今は、行き場がないので各原発施設の貯蔵プールなどに保管されている状態のようであるが、万一、災害や事故で使用済み核燃料が露出すれば、爆発・広域汚染の危機ある。だから、この問題を解決しない限り、原発の稼動を停止したからと言って、直ぐに危険性がなくなる・・・という訳でもないようだ。
したがって、これらの問題の解決方法を早急に手当し、核エネルギーに代る自然エネルギー等の再生可能エネルギーの開発の目途が立つまでは、電力不足(東日本大震災による電力危機参照)に対して、電力を利用する企業や団体のみならず一般市民も徹底した節電と、場合によっては計画停電も覚悟した上での操業や生活スタイルに変えてゆくのか、あるいは、当面は、原発に危険性のあることは承知した上で、だからこそ、安全管理の徹底をしながら、一時的使用はやむなしと容認するかは、最終的には、国民自身に、その選択と覚悟が求められることになるだろう。そのためにも、政府は、国民が、判断しうるに足るだけの専門家による信実を示した信頼のできる資料を国民の前に開示する義務があるだろう。
最後に、話し変わって、「おかあちゃん同盟の日」の中では、“おかあちゃん=母性 という意味で「おかあちゃん」を使用しています”・・・とある。
母親とは、女親のことであり、よく、妻が家庭の実権を握っている家庭のことを「かかあ天下(嬶天下)」とよび、上州(群馬県)名物に「空っ風」などと並び称されたりするが、本来の意味は「夫が出かけている間の家を(からっ風などから)守る強い妻」や「うちのかかあは(働き者で)天下一」の意味だそうである。
ここでいう、「かか」とは、江戸時代から、妻や母に対する親しみを込めた呼び方であり、「かかあ(かか)」は古代、蛇(ヘビは大地母神の象徴)の意味で使われていた「かか」が時代とともに転意していき、庶民の間で母や妻という意味で使われた。ちなみに母(はは)も同じ語源だそうだ。古代、K音とH音の発音が曖昧であったために「かか」と「はは」の2種類が定着したとされている(※8)。呼び方は地域によってもいろいろあるが、現在、一般には「お母さん」と言い、親しみをこめて「「かあさん」「かあちゃん」、また、「お袋」(おふくろ)などと呼ばれる場合もあり、わたしなど、子供の頃は、「お母さん」、成人してからは、「お袋」と呼んでいた。「お袋」の語源には、諸説あるが、子宮や胞衣(えな.。胎盤参照)を「フクロ」ということからそれが転じて、母親そのものをいうようになった。また、子どもは母の懐で育つので、「フトコロ」が転じたとする説もあるそうだが、室町時代、武士の中でも相当位の高い家では、家の財産をふくろごと管理していたのが奥方である「母」だったことによる・・・とする説も有力らしい(※9参照)。いずれにしても、「母親」は尊敬される存在であった。
この「母」という漢字(※10)の成り立ちは「女」に2つの乳房を加えた象形文字であり、子への哺乳者、授乳者であることを意味している。
「母性」は、一般的に、女性がもっているといわれている、母親としての性質。また、子を生み育てる母親としての機能のことをいっており、母子保健法上の「母性」は、妊娠、出産、育児という特有の機能を果たす女性そのものを指す概念として使われている。
そして、よく、「母性」を、母親が、子どもを慈しみ、大事にし、そばにおいておこうとする性質という概念つまり、通俗的に使用されるところの「母性本能」のような概念で使われたりもするが、その定義は非常に曖昧であり、エリザベート・バダンテール(Elisabeth Badinter。1944〜)は1980年出版の『L'Amour en plus(後から付け加わった愛)』(邦題『母性という神話』ちくま学芸文庫)の中で、母性というのは必ずしも女性の本能ではないこと、母親は必ずしも子供に対して献身的であるとはかぎらないこと、子供の幸福のために母親が個人的な野心を捨てるとはかぎらないこと等々を、女性に母性が押し付けられてきたフランスの社会の歴史をたどることにより明らかにしており、今日のように「母性」が強調されるようになったのは、近代社会の、特に工業化社会に入って日本で言うところの「産めよ殖やせよ」がブームになってからのことで、そこには、男は仕事に出るので、女は家で子供を育てるといった社会の女性に期待する役割が、時代とともに変化して「母性」概念が誕生してきたようだ。詳しいことは、以下参考の※11エリザベート・バダンテール(Elisabeth Badinter)『母性(という神話』や、※12:〔講演〕“理想”の家族という幻想、又、 Amazon.のエリザベート バダンテール著:『母性という神話』 (ちくま学芸文庫) のカスタマーレビューなどを参照)。
そして、同書ではルソーとフロイトの女性論(※13、※14など参照)に焦点があてられ、筆者によれば、今日みられるような母性という神話が形成されるにあたって彼らが果たした役割が非常に大きく、彼らは本能・自然・道徳などの名のもとに母親の責任・役割を拡張し、同時に父親の役割を縮小したが、このことは一面では、女性の権利の拡大を伴ったが、同時に彼女たちの自由を疎外してしまった。そして、今後女性は母性愛の押し付けをますます拒否し、男女の役割の同一化が進むであろう。・・・とも言っている。
「母性」をどうとらえるかは色々な見方があるが、Wikipediaには、おかあちゃん同盟のように、「女性=母性」ととらえる見方には、「働く女性」にとっての「母性」を「万人に降り注ぐ愛の力」だと積極的に認識することで仕事に活かそうという経営思想があり、男女の性差を、むしろ自然から与えられた素晴らしいものと考えることで、かえって社会で女性(=母性)の力を発揮できる、という考え方のことであるそうだ。また家庭においては女性が自ら「子育ては100パーセント母親の責任」と考えることで、かえって父親のサポートの一つ一つを心から感謝することが出来、その結果として、結局「半分・半分の育児」を口で主張するよりも多くの父親のサポートを得られ、子供からの尊敬も受けられる、ということである。このような、母性の重視は「働く女性」を否定するものでないのと同時に、また「働く女性」を家庭の家事や育児に専念する専業主婦よりも価値を高いと考えるものでもないのだ(欠野アズ紗著『21世紀は母性の時代』学習研究社より)という。
そういえば、戦前世代のフェミニストの代表格である平塚らいてうらは女性固有の能力である母性を重視し、国家による保護を主張。これに対し与謝野晶子が反発し、母性保護論争が起こったことはよく知られているところである。この論争については、以下参考の※15:「いくじれんHP」の古典を読む・母性保護論争─晶子とらいてうに詳しくかかれているので、一読されると良いが、そこにも書かれているように、晶子は「女=母性」の等号に異を唱えると同時に、子供を「育てるのは女」とすることには大いに疑問を呈している。
そして行なわれた晶子とらいてうのこの論争は、現在もなお問題となっている子育て・家事労働・職業・労働などをめぐる論点を含んでおり、晶子の徹底した経済的独立の必要性は、女性問題の基点であり、今日でも確認されるべき重要なポイントであり、また、らいてうの「母性は国家によって守られるべきもの」という主張は、家庭と職業の両立の困難さという今日の問題を指摘している。私は、考え方としては、基本的に与謝野晶子を支持する側であったが、今日のように、小子化が深刻な問題となっている日本の現況をみていると女性に、「社会の為に子を産み・子育てをする」義務はないものの、「子を産み・子を育てることが社会にとって重要な問題であり、それに対して社会は支払いをすべきである」というらいてうの指摘は、現在の社会制度改革に通じるものであるあり、どのような方法で何処まで出来るかは、真剣に受け止めなければならない懸案となってきていることは確かである。
今、世界的中が、環境面でも、経済面でも解決しなければならない問題を山と抱えているが、中でも、日本は深刻なデフレ経済の中での経済不振と失業者問題、そして、円高問題、世界一の赤字国債を抱えた中で起きた昨年の東日本大震災の早急な復興、これから発生すると予測される大震災と津波への対策、原発災害により表面化したエネルギー不足問題、今までから言われ続けている年金・医療問題とも関連する深刻な小子・高齢化問題等を抱えている。
そんな中で、母(=女性)に何が出来るか。今日の記念日に母親としての「役割」を考え見るのも良いのではないか。子育てに最も必要なことは、金銭問題以上に夫婦円満な家庭にあると思っている。以下参考の※16、※17などに書かれている母親の役割や、※12:「〔講演〕“理想”の家族という幻想」など参考にされると良いのでは・・。
(冒頭の画像は、『母性と言う神話』エリザベート バダンテール著、鈴木 晶 翻訳、ちくま学芸文庫)
参考:
※1:世界おかあちゃん同盟HP
http://oka-chan.net/top.html
※2:時事ドットコム:激震・福島原発事故「レベル7」
http://www.jiji.com/jc/v4?id=f1-level70001
※3:危険な活断層
http://juki.nomaki.jp/dansou.htm
※4:産総研:活断層・地震研究センター:活断層データベース
http://riodb02.ibase.aist.go.jp/activefault/
※5:【原発】原子力の「平和利用」を見直す―福島原発事故から日本の原子力政策を問う
http://blog.goo.ne.jp/saypeace/e/526f92d883afefd8b05b6a7433c7dfab
※6:図録原子力発電所の発電総出力と使用済み核燃料貯蔵量
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4110.html
※7:すべての原発が停止」原発「廃炉」と「最終処分(使用済み燃料)」この遠き道のりこれは終わりでなく始まりである
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32551
※8:かかあ - 日本語俗語辞書
http://zokugo-dict.com/06ka/kakaa.htm
※9:母親の事を「おふくろ」というのは何故?
http://homepage2.nifty.com/osiete/s623.htm
※10:母子の字源
http://www.wind.ne.jp/khari/kenkyuu/nan-bosi-zigen.html
※11:エリザベート・バダンテール(Elisabeth Badinter)『母性という神話』
http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/kenkyu/02f3/bosei-odani.htm
※12:〔講演〕“理想”の家族という幻想
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/father/parent.html
※13:仲島陽一 ルソーの女性論・女子教育論と民主主義について (3)
http://blog.onekoreanews.net/nakajima/59
※14:斎藤学メッセージ(フェミニズムと臨床)
http://www.iff.co.jp/ssworld/mssg/mssg_15_4.html
※15:いくじれんHP
http://www.eqg.org/index.html
※16:武田邦彦 (中部大学): 原発 母の役割
http://takedanet.com/2011/04/post_1d9d.html
※17;子育てにおける母親の役割について[PDF]
http://www.sapporo-ohta.or.jp/www/sinnyug/p086.pdf
27 吉野裕子 蛇 −日本の蛇信仰−/モナ丼/本読
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/books127.htm
内閣府:少子化対策
http://www8.cao.go.jp/shoushi/index.html
母性- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E6%80%A7
家族ふれあいの日(Part 2) - 今日のことあれこれと・
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/add5547503e7c6617cffbdc3798423a5
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html