通常11月8日の頃は1年を24に分けて季節を表す二十四節気では立冬(りっとうにあたる。(今年、2012年は11月7日が立冬)。
『暦便覧』(天明7年=1787年〔寛政10年=1798年に再版〕 に出版された暦の解説書。太玄斎著。※1)では、「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と説明しており、初めて冬の気配が現われてくる日としているが、今年は、冬の到来が非常に早く、11月から真冬並みの寒さとなっている。これからの冬の寒さとの闘いは長期戦となりそうだね〜(※2)。
こんな寒い季節には暖かい鍋物を食べて、躰の芯から温めるのがなによりだろう。
1000年の歴史を誇る京都の冬は底冷えして寒いが、そんな京の都の冬の到来を告げる12月の歳時記、年中行事の一つに「大根焚き」がある。
京都では「大根」のことを「だいこ」と呼ぶ習わしがあるので、「大根焚き」は「だいこだき」となる。
但し、近い時期に各寺で行なわれる行事ではあるが、個々の寺の間に関連はなく、別々の意味合いを持った行事として行なわれるものである。
西陣(京都市上京区)にある真言宗智山派の寺院である大報恩寺、山号は瑞応山(通称:千本釈迦堂)では、釈迦が菩提樹の下で成道(悟りを開く事)した(日本では、釈迦は臘月=旧暦12月の8日に成道したと伝承されている)のを記念して行われる法要( 成道会 ( じょうどうえ )の12月7日・8日に、境内で行われる大根炊きが知られている。
この行事は、鎌倉時代に、当寺の三世・慈禅(近衛兼経の弟。コトバンク-近衛家 とは参照)が、法要の際に大根の切り口に梵字を書いて息災祈願を行なったのが起源とされ、今日では、この大根を食べると中風( コトバンク-中風 とは も参照)など諸病除けになると信じられているようだ。
使われている大根は、従来聖護院大根を使っていたが、昨今は京の伝統野菜「聖護院大根」は実りに限りがあり、品不足であることから、仕方なく他の大根も使われているそうだ(※3)。
また、京都市右京区鳴滝にある真宗大谷派の法輪山了徳寺。ここも通称、大根焚寺と呼ばれており、毎年、12月9日、10日に行われる大根焚きの行事は千本釈迦堂とともに知られる。
その由縁は、同じく鎌倉時代に、親鸞が愛宕山中の月輪寺よりの帰途、鳴滝で説法をし、それに感銘を受けた里人が、他に何ももてなすものがないので、塩炊きの大根を馳走した。
それに応えて、親鸞はすすきの穂を束にして筆代わりとし、「歸命盡十方無礙光如來」(※4)の十字名号を書いて、その礼としたとのことが伝えられており、この故事に因んで行なわれる報恩講の通称が、大根焚きだという。
寺の前庭には「すすき塚」がある。ここの大根だきの大根は、細長い“笹大根”を用い、昔は寺の畑などで作ったものを使っていたが、今は亀岡市篠町のものが使われているそうだ。そして、大根だきで、切るのは女、煮るのは男、加減はすべて口伝で申し送られているのだという。
このような、京都の仏教行事は、僧侶を中心とした法会と、地域の人々の願いを込めた庶民信仰の2つに分けられるが、後者は各宗派の祖師の忌日か誕生に係わるものが多く、五穀豊穣(穀物が豊かに実ること)・減罪除災・祖先の供養など仏事の目的で行われるが、「大根だき」も庶民信仰の長い歴史の中で生まれたものであるといえよう。
京都での「大根炊き」は、このほか、日蓮宗の寺で宇多野の三宝寺(鳴滝の妙見さん)が12月第1土・日曜日に御会式法要(日蓮忌日報恩法要。)で、真言宗大覚寺派で嵯峨野覚勝院の大根供養(※5)が11月22日・23に行われるほか、東山にある天台宗の法住寺や大原にある同じく天台宗の三千院などでも行なわれるようだが、大根炊きは京都地域だけにに限らずその他の地域でも行われている。
よく、観光案内などでは、大根炊きが、“参詣者にふるまわれる。”“接待がある”・・などといった書き方をしているので、何か、ただで、食べさせてくれるような錯覚をする人がいるかもしれないが、いずれも、700円から1000円の料金がいることをお忘れなく。日本の神社などでは、ありがたい大根供養や接待を受けようと思うと、それ相当のご喜捨が必要なのですよ。
大根炊きを食べると中風( コトバンク-中風 とは も参照)にならないと信じられているが、この中風とは、一般には、卒中発作後、後遺症として半身不随(片麻痺)などの運動麻痺を残した状態をいうことが多いが、本来は純然たる伝統中国医学(東洋医学)の用語で、後漢時代に書かれた漢方薬術書「傷寒論」にも頻出するようだ。
中風の「中」は、中毒の中と同じく、「あたる」という意味であり、古くは、風邪(ふうじゃ)が身体に侵入したことによって引き起こされる症状を「中風」といっていたらしい。
中国医学の初期には、病変を起こす気は外界にある邪気で、風とか湿のような形をとって体内に侵入するとしていたようだ。
特に重視されたのが風の邪気、すなわち風邪(ふうじや)であって、たとえば、中風は風邪によって起こされた発熱性疾患であり、発熱・発汗・咳・頭痛・肩のこり・悪寒・悪風(おふう、風に当たると寒けや不快感があること)など・・・風病の一種で、感冒のようなものとされていた。
また、破傷風は傷口に風邪が侵入して起こった病気という考えであったらしい。したがって、その治療にも薬物などのほかにまじない(呪い=呪術)が重視されたようである。
今年の冬は低気圧の影響で非常に寒いが、3日に「2012ユーキャン新語・流行語大賞」(※6)が発表されたが、そのトップテンに、(株)ウェザーニューズの「爆弾低気圧」が選ばれている。
「爆弾低気圧」("bomb" cyclone)とは、急速に発達し、熱帯低気圧(台風)並みの暴風雨をもたらす温帯低気圧を指す俗語であるが、近年では、2012年4月3日に、台風並みに巨大な低気圧が発生し、各地に被害や混乱をもたらした。特に風が強く、西日本から北陸にかけての広い範囲で瞬間風速30メートル以上が記録された(※7参照)。また、一昨日(12月6日)、昨日にも日本海側、北日本などで大きな影響を及ぼしている(※8)。
このとき、普通は「非常に発達した低気圧」というべきだが、日本列島を襲った低気圧は、その表現を超えたため、インパクトのある呼称を使用したもの。
『現代用語の基礎知識』には2008年版から登場している用語らしいが、なんでも、気象庁は、「急速に発達する低気圧」といった表現を使用しており、この用語を使用しないよう指導しているらしい( Yahoo!百科事典参照)
先にも書いたように、邪気払いの庶民信仰から生まれ大根炊きを食べると中風にならないと言うのだが、大根炊きを1度くらい食べたからと言って、中風の予防にはならないだろうが、以下参考の※9:「風邪予防に良い食べ物」の中にもダイコン(大根)は、含まれており、寒い冬に、普段から、温かいダイコンの煮物などを常用していると、風邪(かぜ)の予防の一助にはなるだろう。
「 せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ 春の七草 」
よく知られている春の七草は食用になる7種類の野草や野菜で、そのひとつ、すずしろ(須々代, 蘿蔔)とはダイコン(大根)のことである。
原産地は地中海地方や中東という説が有力のようだ。古代エジプトには食用として用いられたという記録が存在するという。
その後ユーラシアの各地へ伝わり、日本に最初に伝来したのは、弥生時代のこととされているが、奈良時代になって中国から本格的に伝来したといわれている。
『古事記』(712年)下巻「仁徳天皇」には以下の歌がある。
原文:「都藝泥布 夜麻志呂賣能 許久波母知 宇知斯淤富泥 泥士漏能 斯漏多陀牟岐 麻迦受祁婆許曾 斯良受登母伊波米」
読み:「つぎねふ 山代女(やましろめ)の 木鍬持(こくわも)ち 打ちし大根(おほね) 根白(ねじろ)の 白腕(しろただむき) 枕(ま)かずけばこそ 知らずとも言はめ」
解読:都藝泥布(つぎねふ)は山城(やましろ)」にかかる枕言葉(※10)なので、「山城女が木の鍬を持って、畑を耕してつくった大根。その根のように白い腕を枕として共寝をしなかったのなら、知らないと言ってもいいが、そうは言えない仲ではないか。」・・・といったような意味になるようだ。大根は女性の白い腕に例えられている。
ここでは、大根は、「淤富泥(おほね)」となっているが、「意富泥(おほね)」も出てくる。『日本書紀』(720年)卷第十一「大鷦鷯天皇(おほさぎのすめらみこと) 仁徳天皇」にも同じ歌があるがそこには「於朋泥(おほね)」の名で記されている。(※11:「古代史獺祭」の古事記下卷仁?天皇また、「日本書紀 」卷第十一 大鷦鷯天皇 仁?天皇を参照)
まだ、和字がなかったこの時代、古事記や万葉集の歌は万葉仮名で表記されているので大根(おほね)に「淤富泥」「意富泥」「於朋泥」など文字が違っていても仕方がない。
中国から渡来した当時はとにかく「おほね」と呼ばれていたが、平安中期の漢和辞典『和名類聚抄』(937年)には、於朋泥(おほね)俗称大根(おおね)とあり、やがて「大きな根」の意味合いからの「おほね」が「おおね」となり、品種改良や栽培技術が進んだ江戸時代には「大根(だいこん)」と呼ばれるようになる。
万葉集の編まれた時代には「秋の七草(種)」はあった(山上憶良が詠んだ2首が有名。秋の七草参照)が、「春の七草」はまだ定まっていなかった。
「春の七草」は南北朝時代に四辻善成(よつつじのよしなり)が『源氏物語』の注釈書である『河海抄(かかいしょう) 』(20巻)で七種の草を選んだのが最初であるが、その第十三巻の「若菜」の注釈のなかで、善成は平安時代の「若菜まいる」の行事は、次の12種の植物を合わせて羹(あつもの)にしたと書いている。
若菜(わかな) 薊(あざみ) 苣(ちしゃ) 芹(せり) 蕨(わらび) 薺(なずな) 葵(あおい) 蓬(よもぎ) 水蓼(みずたで) 水雲(すいうん) 芝(し) 菘(すう)
菜とは「草の茎 葉根の食べられるものの総称」とされており、この12種の最初の「若菜」は、個別に挙げた種類以外の野草をいっている。
個別に挙げた種類の中に、大根(すずしろ)は、含まれていないが、善成はこれに続いて7種の野菜・野草を挙げており、これが先に挙げた現在まで伝わる春の七草の歌の原典になっている。
しかし、そこでは、今知られている「セリ」に始まる歌の順には七草が掲載されていないようで、後に誰かが五・七・五・七・七の短歌の形にしたものだが、それが誰かはわかっていない(※12:「チューさんの野菜ワールド」の七草の歌・作者はだれ?参照)。
今日本では豊富な野菜に恵まれて、ベジタリアンだけでなく野菜好きの日本人が多いのだが、もともと日本原産の野菜は極めて少なく、芹、水菜、蔓菜(つるな) 蕗(ふき) 韮(にら) 茗荷(みょうが) 独活(うど) 三つ葉 山芋 位しかなく、それもほとんど葉菜であり、早くから日本に入ってきたダイコン以外は日頃あまり食べないし、名前も知らないものが多いようだ(※12:「チューさんの野菜ワールド」の野菜はどこから来たの ?・参照)。
古来より、新年早春になると、上も下もこぞってまだ雪の残る野に出て若菜を求め、これを摘んで煮物にしたり,粥や雑炊に入れて食した。
「籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告紗根」
読み:籠(こ)もよ、み籠持ち、掘串(ふくし)もよ、み掘串(ぶくし)持ち、この岳(をか)に菜(な)摘(つ)ます兒(こ)、家聞かな、告(の)らさね、
解釈:良いかごを持って、良い串を持って、この丘で菜(な)を摘むお嬢さん。君の家はどこかな、教えてくれないかな。
万葉集巻第一の1より(※14:「たのしい万葉」のここ参照)抜粋したもの。万葉集第一巻の最初の歌は、この雄略天皇の歌より始まる。
春の野遊びに出た雄略天皇に、こう呼びかけられた乙女が、春の丘の辺で摘んでいたのも、若萌えの草の芽だったのだろう。
この巻頭の雑歌をはじめとして、山部赤人の「明日よりは春菜(はるな=わかな)摘(つ)まむと、標(し)めし野に、昨日も今日も雪は降りつつ」(第八巻-1427。※14:「たのしい万葉集」のここ参照)など、万葉集には春の野山での菜摘みを詠んだ歌が多い。
若菜摘みは冬の食生活において不足しがちな新鮮な野菜、文字通り「野」の「菜」、を求める生活上の必然からであり、現在、字面からイメージするようなのどかな春の遊びではなかったようだ。
早春に若菜を食する風習は,厳しい寒さが続くなかで芽吹く若菜に強い生命力と神秘さを感じ、若菜に秘められた力を借りて邪気を祓い万病を除くことを願ったものであるが、栄養学的に見ても冬の食生活において不足しがちなカリウム、ビタミン A、ビタミン C などの補給の面から理にかなったことではあった。おそらくそれまでの食経験から若菜を食すると種々の病を避けられることが知られていたのであろう。
若菜摘みは平安時代中頃には古代中国の正月七日(人日)の七種菜羹(じんじつななしゆのさいかん)の風習(7種類の野菜を入れた羹[あつもの]を食べて無病を祈る習慣)などと習合して、新春の宮中行事として型が整備され、正月七日あるいは初子の日に若菜の羮を奉るようになった。
また、長寿を祝う算賀にも新年に若菜の羮を贈る習わしがあった。古くは種々の若菜,、山菜を摘み集めて羮にしたのであろうが、儀式化されるに従って若菜の数が七種類あるいは十二種類と定められるようになっていった。
若菜を七種類あるいは十二種類とするのは、七が陽数(陰陽思想などにおける奇数のこと)であることからその呪力を借りようとするものであり、十二も吉数で若返るという縁起があるからである。
若菜の羮のうち、七種類の若菜を用いてつくる羮は七種菜と呼ばれ、現在の七草粥につながるものとしてよく知られているが、しかし当時(平安時代)の七種粥は、いわゆる「春の七草」を入れたものではなく、七種類の穀物で作られ、「七種粥」と言われたという説もあり、入っていたものはコメ、クリ、キビ、ヒエ、ミノ、ゴマ、アズキで、「春の七草」が使われるようになったのは鎌倉時代になってからともいわれているようだ。
一方、十二種類の若菜を用いてつくる羮は十二種若菜と呼ばれるが、これについてはあまり知られていないが、このことについては参考の※15:同志社女子大学学術リポジトリ - 季節を祝う食べ物 : (3新年を祝う十二種若菜)参照。
江戸時代の本草学者貝原益軒の『大和本草』(1709)に「凡そ大根に種類多し。」とあって、十数種があげられているという(※16)。
江戸時代になると、日本在来種と中国からの大根との交雑が行われ、栽培技術や品種改良が進み、やがて、江戸近郊に位置した板橋や練馬、浦和、三浦半島辺りが大根の特産地となっていった。中でも練馬大根は特別に有名になった。
大根の種類は多く、各地で改良されてきた歴史があり、現在有名なものだけでも青首大根、白首大根、桜島大根 、聖護院大根 、守口大根など10種類ほどあり、中でも青首大根が圧倒的に普及しており、青首大根以外の大根は、主に特定の地域だけで出回っていて総称して「地大根」(地野菜)と呼ばれている。そして、小規模な品種も含めれば100種類以上もの品種があるとされているようだ。
大根の大部分は水分であるが、主な栄養成分はジアスターゼやアミラーゼなどの消化酵素であるが、ビタミンCも含まれている。ビタミンCは、これからの季節、風邪を予防したりストレスを和らげたりもするのでいい。また、大根の根よりも葉の部分の方がビタミン類(CやA)などは多く含まれているので大いに利用したいが、いまどき、スーパーなどでは、葉を切り落とし、根だけ売っているのは、ちょっと、問題だな〜。
それに、ジアスターゼは熱に弱いので、生のまま食べるのが効果的。また、大根の辛味成分イソチオシアネートには抗ガン作用があるそうだ。だいこんは先端にいくほど辛みが強くなるので、サラダなら甘い首の部分、煮物は中央部分、おろしや薬味なら先端と、これぐらいの使い分けだけはした方が良いよね。このような大根の栄養や効用・効能、料理のコツなど詳しくは、以下参考の※17:「健康・医療館」の健康食品:大根を参照)
寒い今日は、さっそく温かい、大根の煮物かおでんでも食べてみては・・・。
(冒頭の画像は了徳寺の大根焚き。Wikipediaより)
参考:
※1:二十四節気・解説
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/24doc.htm
※2:冬(12〜2月)の天候 - 気象庁 | 平成24年報道発表資料
http://www.jma.go.jp/jma/press/1203/01c/tenko121202.html
※3:e京都ねっと-京都の観光ポータルサイト | 大根焚き
http://www.e-kyoto.net/saiji2/622
※4:十字名号の意味。正信偈問答。松並語録
http://www.eonet.ne.jp/~souan/jihou/2009/2009.04.html
※5:京都 | 嵯峨野 | 大覚寺塔頭|別格本山覚勝院
http://www.kakushouin.jp/
※6:「2012ユーキャン新語・流行語大賞」
http://singo.jiyu.co.jp/
※7:気象庁 | 平成24年報道発表資料
http://www.jma.go.jp/jma/press/1204/06a/20120406teikiatsu.html
※8:爆弾低気圧…北海道・東北に猛烈な吹雪と暴風 : 社会 : YOMIURI
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121206-OYT1T01317.htm
※9:風邪予防に良い食べ物
http://www.healthy-mylife.com/101/205/post-12.html
※10:つぎねふ山代」の語義
http://www.dai3gen.net/tuginehu.htm
※11:古代史獺祭
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/index.htm
※12:チューさんの野菜ワールド
http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55/mokuji.htm
※13:やまとうた:百人一首 光孝天皇
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/015.html
※14:たのしい万葉集:
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/home.html
※15:同志社女子大学学術リポジトリ - 季節を祝う食べ物 : (3新年を祝う十二種若菜)
http://repository.dwc.doshisha.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=AA11325308-20120220-78
※16:練馬大根の発祥はいつごろか。 | レファレンス協同データベース
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000078103
※17:健康・医療館
http://health.merrymall.net/index.html
国立国会図書館デジタル化資料 - 和名類聚抄 20巻
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2606770
貝原益軒アーカイブ:大和本草|図書館|中村学園
http://www.nakamura-u.ac.jp/~library/lib_data/b01.html
「京都観光ナビ
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/top.php
京の季節の味・大根炊き(だいこだき)
http://www.kyoto-eiyoshikai.or.jp/season/kyonoaji2.html
日蓮宗の大根焚・御会式
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=2&ManageCode=1000268
気象庁 | 気圧配置 気圧・高気圧・低気圧に関する用語
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/haichi1.html
大根焚き - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A0%B9%E7%84%9A%E3%81%8D
『暦便覧』(天明7年=1787年〔寛政10年=1798年に再版〕 に出版された暦の解説書。太玄斎著。※1)では、「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と説明しており、初めて冬の気配が現われてくる日としているが、今年は、冬の到来が非常に早く、11月から真冬並みの寒さとなっている。これからの冬の寒さとの闘いは長期戦となりそうだね〜(※2)。
こんな寒い季節には暖かい鍋物を食べて、躰の芯から温めるのがなによりだろう。
1000年の歴史を誇る京都の冬は底冷えして寒いが、そんな京の都の冬の到来を告げる12月の歳時記、年中行事の一つに「大根焚き」がある。
京都では「大根」のことを「だいこ」と呼ぶ習わしがあるので、「大根焚き」は「だいこだき」となる。
但し、近い時期に各寺で行なわれる行事ではあるが、個々の寺の間に関連はなく、別々の意味合いを持った行事として行なわれるものである。
西陣(京都市上京区)にある真言宗智山派の寺院である大報恩寺、山号は瑞応山(通称:千本釈迦堂)では、釈迦が菩提樹の下で成道(悟りを開く事)した(日本では、釈迦は臘月=旧暦12月の8日に成道したと伝承されている)のを記念して行われる法要( 成道会 ( じょうどうえ )の12月7日・8日に、境内で行われる大根炊きが知られている。
この行事は、鎌倉時代に、当寺の三世・慈禅(近衛兼経の弟。コトバンク-近衛家 とは参照)が、法要の際に大根の切り口に梵字を書いて息災祈願を行なったのが起源とされ、今日では、この大根を食べると中風( コトバンク-中風 とは も参照)など諸病除けになると信じられているようだ。
使われている大根は、従来聖護院大根を使っていたが、昨今は京の伝統野菜「聖護院大根」は実りに限りがあり、品不足であることから、仕方なく他の大根も使われているそうだ(※3)。
また、京都市右京区鳴滝にある真宗大谷派の法輪山了徳寺。ここも通称、大根焚寺と呼ばれており、毎年、12月9日、10日に行われる大根焚きの行事は千本釈迦堂とともに知られる。
その由縁は、同じく鎌倉時代に、親鸞が愛宕山中の月輪寺よりの帰途、鳴滝で説法をし、それに感銘を受けた里人が、他に何ももてなすものがないので、塩炊きの大根を馳走した。
それに応えて、親鸞はすすきの穂を束にして筆代わりとし、「歸命盡十方無礙光如來」(※4)の十字名号を書いて、その礼としたとのことが伝えられており、この故事に因んで行なわれる報恩講の通称が、大根焚きだという。
寺の前庭には「すすき塚」がある。ここの大根だきの大根は、細長い“笹大根”を用い、昔は寺の畑などで作ったものを使っていたが、今は亀岡市篠町のものが使われているそうだ。そして、大根だきで、切るのは女、煮るのは男、加減はすべて口伝で申し送られているのだという。
このような、京都の仏教行事は、僧侶を中心とした法会と、地域の人々の願いを込めた庶民信仰の2つに分けられるが、後者は各宗派の祖師の忌日か誕生に係わるものが多く、五穀豊穣(穀物が豊かに実ること)・減罪除災・祖先の供養など仏事の目的で行われるが、「大根だき」も庶民信仰の長い歴史の中で生まれたものであるといえよう。
京都での「大根炊き」は、このほか、日蓮宗の寺で宇多野の三宝寺(鳴滝の妙見さん)が12月第1土・日曜日に御会式法要(日蓮忌日報恩法要。)で、真言宗大覚寺派で嵯峨野覚勝院の大根供養(※5)が11月22日・23に行われるほか、東山にある天台宗の法住寺や大原にある同じく天台宗の三千院などでも行なわれるようだが、大根炊きは京都地域だけにに限らずその他の地域でも行われている。
よく、観光案内などでは、大根炊きが、“参詣者にふるまわれる。”“接待がある”・・などといった書き方をしているので、何か、ただで、食べさせてくれるような錯覚をする人がいるかもしれないが、いずれも、700円から1000円の料金がいることをお忘れなく。日本の神社などでは、ありがたい大根供養や接待を受けようと思うと、それ相当のご喜捨が必要なのですよ。
大根炊きを食べると中風( コトバンク-中風 とは も参照)にならないと信じられているが、この中風とは、一般には、卒中発作後、後遺症として半身不随(片麻痺)などの運動麻痺を残した状態をいうことが多いが、本来は純然たる伝統中国医学(東洋医学)の用語で、後漢時代に書かれた漢方薬術書「傷寒論」にも頻出するようだ。
中風の「中」は、中毒の中と同じく、「あたる」という意味であり、古くは、風邪(ふうじゃ)が身体に侵入したことによって引き起こされる症状を「中風」といっていたらしい。
中国医学の初期には、病変を起こす気は外界にある邪気で、風とか湿のような形をとって体内に侵入するとしていたようだ。
特に重視されたのが風の邪気、すなわち風邪(ふうじや)であって、たとえば、中風は風邪によって起こされた発熱性疾患であり、発熱・発汗・咳・頭痛・肩のこり・悪寒・悪風(おふう、風に当たると寒けや不快感があること)など・・・風病の一種で、感冒のようなものとされていた。
また、破傷風は傷口に風邪が侵入して起こった病気という考えであったらしい。したがって、その治療にも薬物などのほかにまじない(呪い=呪術)が重視されたようである。
今年の冬は低気圧の影響で非常に寒いが、3日に「2012ユーキャン新語・流行語大賞」(※6)が発表されたが、そのトップテンに、(株)ウェザーニューズの「爆弾低気圧」が選ばれている。
「爆弾低気圧」("bomb" cyclone)とは、急速に発達し、熱帯低気圧(台風)並みの暴風雨をもたらす温帯低気圧を指す俗語であるが、近年では、2012年4月3日に、台風並みに巨大な低気圧が発生し、各地に被害や混乱をもたらした。特に風が強く、西日本から北陸にかけての広い範囲で瞬間風速30メートル以上が記録された(※7参照)。また、一昨日(12月6日)、昨日にも日本海側、北日本などで大きな影響を及ぼしている(※8)。
このとき、普通は「非常に発達した低気圧」というべきだが、日本列島を襲った低気圧は、その表現を超えたため、インパクトのある呼称を使用したもの。
『現代用語の基礎知識』には2008年版から登場している用語らしいが、なんでも、気象庁は、「急速に発達する低気圧」といった表現を使用しており、この用語を使用しないよう指導しているらしい( Yahoo!百科事典参照)
先にも書いたように、邪気払いの庶民信仰から生まれ大根炊きを食べると中風にならないと言うのだが、大根炊きを1度くらい食べたからと言って、中風の予防にはならないだろうが、以下参考の※9:「風邪予防に良い食べ物」の中にもダイコン(大根)は、含まれており、寒い冬に、普段から、温かいダイコンの煮物などを常用していると、風邪(かぜ)の予防の一助にはなるだろう。
「 せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ 春の七草 」
よく知られている春の七草は食用になる7種類の野草や野菜で、そのひとつ、すずしろ(須々代, 蘿蔔)とはダイコン(大根)のことである。
原産地は地中海地方や中東という説が有力のようだ。古代エジプトには食用として用いられたという記録が存在するという。
その後ユーラシアの各地へ伝わり、日本に最初に伝来したのは、弥生時代のこととされているが、奈良時代になって中国から本格的に伝来したといわれている。
『古事記』(712年)下巻「仁徳天皇」には以下の歌がある。
原文:「都藝泥布 夜麻志呂賣能 許久波母知 宇知斯淤富泥 泥士漏能 斯漏多陀牟岐 麻迦受祁婆許曾 斯良受登母伊波米」
読み:「つぎねふ 山代女(やましろめ)の 木鍬持(こくわも)ち 打ちし大根(おほね) 根白(ねじろ)の 白腕(しろただむき) 枕(ま)かずけばこそ 知らずとも言はめ」
解読:都藝泥布(つぎねふ)は山城(やましろ)」にかかる枕言葉(※10)なので、「山城女が木の鍬を持って、畑を耕してつくった大根。その根のように白い腕を枕として共寝をしなかったのなら、知らないと言ってもいいが、そうは言えない仲ではないか。」・・・といったような意味になるようだ。大根は女性の白い腕に例えられている。
ここでは、大根は、「淤富泥(おほね)」となっているが、「意富泥(おほね)」も出てくる。『日本書紀』(720年)卷第十一「大鷦鷯天皇(おほさぎのすめらみこと) 仁徳天皇」にも同じ歌があるがそこには「於朋泥(おほね)」の名で記されている。(※11:「古代史獺祭」の古事記下卷仁?天皇また、「日本書紀 」卷第十一 大鷦鷯天皇 仁?天皇を参照)
まだ、和字がなかったこの時代、古事記や万葉集の歌は万葉仮名で表記されているので大根(おほね)に「淤富泥」「意富泥」「於朋泥」など文字が違っていても仕方がない。
中国から渡来した当時はとにかく「おほね」と呼ばれていたが、平安中期の漢和辞典『和名類聚抄』(937年)には、於朋泥(おほね)俗称大根(おおね)とあり、やがて「大きな根」の意味合いからの「おほね」が「おおね」となり、品種改良や栽培技術が進んだ江戸時代には「大根(だいこん)」と呼ばれるようになる。
万葉集の編まれた時代には「秋の七草(種)」はあった(山上憶良が詠んだ2首が有名。秋の七草参照)が、「春の七草」はまだ定まっていなかった。
「春の七草」は南北朝時代に四辻善成(よつつじのよしなり)が『源氏物語』の注釈書である『河海抄(かかいしょう) 』(20巻)で七種の草を選んだのが最初であるが、その第十三巻の「若菜」の注釈のなかで、善成は平安時代の「若菜まいる」の行事は、次の12種の植物を合わせて羹(あつもの)にしたと書いている。
若菜(わかな) 薊(あざみ) 苣(ちしゃ) 芹(せり) 蕨(わらび) 薺(なずな) 葵(あおい) 蓬(よもぎ) 水蓼(みずたで) 水雲(すいうん) 芝(し) 菘(すう)
菜とは「草の茎 葉根の食べられるものの総称」とされており、この12種の最初の「若菜」は、個別に挙げた種類以外の野草をいっている。
個別に挙げた種類の中に、大根(すずしろ)は、含まれていないが、善成はこれに続いて7種の野菜・野草を挙げており、これが先に挙げた現在まで伝わる春の七草の歌の原典になっている。
しかし、そこでは、今知られている「セリ」に始まる歌の順には七草が掲載されていないようで、後に誰かが五・七・五・七・七の短歌の形にしたものだが、それが誰かはわかっていない(※12:「チューさんの野菜ワールド」の七草の歌・作者はだれ?参照)。
今日本では豊富な野菜に恵まれて、ベジタリアンだけでなく野菜好きの日本人が多いのだが、もともと日本原産の野菜は極めて少なく、芹、水菜、蔓菜(つるな) 蕗(ふき) 韮(にら) 茗荷(みょうが) 独活(うど) 三つ葉 山芋 位しかなく、それもほとんど葉菜であり、早くから日本に入ってきたダイコン以外は日頃あまり食べないし、名前も知らないものが多いようだ(※12:「チューさんの野菜ワールド」の野菜はどこから来たの ?・参照)。
古来より、新年早春になると、上も下もこぞってまだ雪の残る野に出て若菜を求め、これを摘んで煮物にしたり,粥や雑炊に入れて食した。
「籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告紗根」
読み:籠(こ)もよ、み籠持ち、掘串(ふくし)もよ、み掘串(ぶくし)持ち、この岳(をか)に菜(な)摘(つ)ます兒(こ)、家聞かな、告(の)らさね、
解釈:良いかごを持って、良い串を持って、この丘で菜(な)を摘むお嬢さん。君の家はどこかな、教えてくれないかな。
万葉集巻第一の1より(※14:「たのしい万葉」のここ参照)抜粋したもの。万葉集第一巻の最初の歌は、この雄略天皇の歌より始まる。
春の野遊びに出た雄略天皇に、こう呼びかけられた乙女が、春の丘の辺で摘んでいたのも、若萌えの草の芽だったのだろう。
この巻頭の雑歌をはじめとして、山部赤人の「明日よりは春菜(はるな=わかな)摘(つ)まむと、標(し)めし野に、昨日も今日も雪は降りつつ」(第八巻-1427。※14:「たのしい万葉集」のここ参照)など、万葉集には春の野山での菜摘みを詠んだ歌が多い。
若菜摘みは冬の食生活において不足しがちな新鮮な野菜、文字通り「野」の「菜」、を求める生活上の必然からであり、現在、字面からイメージするようなのどかな春の遊びではなかったようだ。
早春に若菜を食する風習は,厳しい寒さが続くなかで芽吹く若菜に強い生命力と神秘さを感じ、若菜に秘められた力を借りて邪気を祓い万病を除くことを願ったものであるが、栄養学的に見ても冬の食生活において不足しがちなカリウム、ビタミン A、ビタミン C などの補給の面から理にかなったことではあった。おそらくそれまでの食経験から若菜を食すると種々の病を避けられることが知られていたのであろう。
若菜摘みは平安時代中頃には古代中国の正月七日(人日)の七種菜羹(じんじつななしゆのさいかん)の風習(7種類の野菜を入れた羹[あつもの]を食べて無病を祈る習慣)などと習合して、新春の宮中行事として型が整備され、正月七日あるいは初子の日に若菜の羮を奉るようになった。
また、長寿を祝う算賀にも新年に若菜の羮を贈る習わしがあった。古くは種々の若菜,、山菜を摘み集めて羮にしたのであろうが、儀式化されるに従って若菜の数が七種類あるいは十二種類と定められるようになっていった。
若菜を七種類あるいは十二種類とするのは、七が陽数(陰陽思想などにおける奇数のこと)であることからその呪力を借りようとするものであり、十二も吉数で若返るという縁起があるからである。
若菜の羮のうち、七種類の若菜を用いてつくる羮は七種菜と呼ばれ、現在の七草粥につながるものとしてよく知られているが、しかし当時(平安時代)の七種粥は、いわゆる「春の七草」を入れたものではなく、七種類の穀物で作られ、「七種粥」と言われたという説もあり、入っていたものはコメ、クリ、キビ、ヒエ、ミノ、ゴマ、アズキで、「春の七草」が使われるようになったのは鎌倉時代になってからともいわれているようだ。
一方、十二種類の若菜を用いてつくる羮は十二種若菜と呼ばれるが、これについてはあまり知られていないが、このことについては参考の※15:同志社女子大学学術リポジトリ - 季節を祝う食べ物 : (3新年を祝う十二種若菜)参照。
江戸時代の本草学者貝原益軒の『大和本草』(1709)に「凡そ大根に種類多し。」とあって、十数種があげられているという(※16)。
江戸時代になると、日本在来種と中国からの大根との交雑が行われ、栽培技術や品種改良が進み、やがて、江戸近郊に位置した板橋や練馬、浦和、三浦半島辺りが大根の特産地となっていった。中でも練馬大根は特別に有名になった。
大根の種類は多く、各地で改良されてきた歴史があり、現在有名なものだけでも青首大根、白首大根、桜島大根 、聖護院大根 、守口大根など10種類ほどあり、中でも青首大根が圧倒的に普及しており、青首大根以外の大根は、主に特定の地域だけで出回っていて総称して「地大根」(地野菜)と呼ばれている。そして、小規模な品種も含めれば100種類以上もの品種があるとされているようだ。
大根の大部分は水分であるが、主な栄養成分はジアスターゼやアミラーゼなどの消化酵素であるが、ビタミンCも含まれている。ビタミンCは、これからの季節、風邪を予防したりストレスを和らげたりもするのでいい。また、大根の根よりも葉の部分の方がビタミン類(CやA)などは多く含まれているので大いに利用したいが、いまどき、スーパーなどでは、葉を切り落とし、根だけ売っているのは、ちょっと、問題だな〜。
それに、ジアスターゼは熱に弱いので、生のまま食べるのが効果的。また、大根の辛味成分イソチオシアネートには抗ガン作用があるそうだ。だいこんは先端にいくほど辛みが強くなるので、サラダなら甘い首の部分、煮物は中央部分、おろしや薬味なら先端と、これぐらいの使い分けだけはした方が良いよね。このような大根の栄養や効用・効能、料理のコツなど詳しくは、以下参考の※17:「健康・医療館」の健康食品:大根を参照)
寒い今日は、さっそく温かい、大根の煮物かおでんでも食べてみては・・・。
(冒頭の画像は了徳寺の大根焚き。Wikipediaより)
参考:
※1:二十四節気・解説
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/24doc.htm
※2:冬(12〜2月)の天候 - 気象庁 | 平成24年報道発表資料
http://www.jma.go.jp/jma/press/1203/01c/tenko121202.html
※3:e京都ねっと-京都の観光ポータルサイト | 大根焚き
http://www.e-kyoto.net/saiji2/622
※4:十字名号の意味。正信偈問答。松並語録
http://www.eonet.ne.jp/~souan/jihou/2009/2009.04.html
※5:京都 | 嵯峨野 | 大覚寺塔頭|別格本山覚勝院
http://www.kakushouin.jp/
※6:「2012ユーキャン新語・流行語大賞」
http://singo.jiyu.co.jp/
※7:気象庁 | 平成24年報道発表資料
http://www.jma.go.jp/jma/press/1204/06a/20120406teikiatsu.html
※8:爆弾低気圧…北海道・東北に猛烈な吹雪と暴風 : 社会 : YOMIURI
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121206-OYT1T01317.htm
※9:風邪予防に良い食べ物
http://www.healthy-mylife.com/101/205/post-12.html
※10:つぎねふ山代」の語義
http://www.dai3gen.net/tuginehu.htm
※11:古代史獺祭
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/index.htm
※12:チューさんの野菜ワールド
http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55/mokuji.htm
※13:やまとうた:百人一首 光孝天皇
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/015.html
※14:たのしい万葉集:
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/home.html
※15:同志社女子大学学術リポジトリ - 季節を祝う食べ物 : (3新年を祝う十二種若菜)
http://repository.dwc.doshisha.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=AA11325308-20120220-78
※16:練馬大根の発祥はいつごろか。 | レファレンス協同データベース
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000078103
※17:健康・医療館
http://health.merrymall.net/index.html
国立国会図書館デジタル化資料 - 和名類聚抄 20巻
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2606770
貝原益軒アーカイブ:大和本草|図書館|中村学園
http://www.nakamura-u.ac.jp/~library/lib_data/b01.html
「京都観光ナビ
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/top.php
京の季節の味・大根炊き(だいこだき)
http://www.kyoto-eiyoshikai.or.jp/season/kyonoaji2.html
日蓮宗の大根焚・御会式
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=2&ManageCode=1000268
気象庁 | 気圧配置 気圧・高気圧・低気圧に関する用語
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/haichi1.html
大根焚き - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A0%B9%E7%84%9A%E3%81%8D