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正倉院『種々薬帳』に記載されている60種類のうち、約40種類が正倉院に現存(※11:「真柳誠[著述等目録]」の8.雑著・雑報の 129)、137)参照)し、漢方医薬に用いられたものには、 大黄(ダイオウ・ タデ科、用大黄の根茎) 、厚朴(モクレン科、厚朴あるいは凹葉厚朴の樹皮もしくは根皮)、等の植物由来のもの、寒水石(カンスイセキ・硫酸塩類の鉱物。芒硝[硫曹石]の結晶体) 、禹余粮(ウヨリョウ。酸化物類の鉱物。褐鉄鉱の一種)等の鉱物由来のもの、竜骨(ゾウ、サイ、三趾馬などの古代哺乳動物の骨の化石)、臈蜜(ロウミツ。=蜜蝋[ミツロウ]で検索.ミツバチ科、巣の原料となるもの。中華蜜蜂[和名:ミツバチ]などの働き蜂が分泌する・質を精製したもの。)等の動物由来のもの、
香料では、麝香(ジャコウ。シカ科、麝[ジャ:和名ジャコウジカ]の雄の香腺嚢中の分泌物。)、紫鉱(シコウ。紫膠とも書く。ラックカイガラムシ科の昆虫、紫膠虫[和名:ラックカイガラムシ]の分泌物。紫草茸(シソウジョウ)で検索)、桂心(ケイシン=桂皮[ケイヒ]。クスノキ科ニッケイの樹皮) の実物が保存されている(薬名は※12参照)。
上記薬帳に見られるもののほか、帳外薬物としての木香(モッコウ)、丁香(チョウコウ。丁字とも)、蘇芳(スオウ),沈香(ジンコウ)も存在している。
沈香は仏教の諸行の中で重要な香木で、香道に用いられ、我国のお香の代名詞とさえ言われる。
正倉院宝物目録での沈香の名は黄熟香(おうじゅくこう)であるが、蘭奢待(らんじゃたい)の名を有し、当代一級の香木とされている。名の由来には諸説あるが、蘭奢待の三文字の中から「東大寺」の字が読み取ることができることかららしい。
この蘭奢待には、室町時代の八代将軍義正・織田信長・徳川家康・明治天皇によって切削されたことが記されているが、このほかにもいくつかの切り口が見られるという。
そのほか正倉院には、全浅香(ぜんせんこう)や、一部に沈香を用いた木画双六局・木画水精荘箱等がある。
これら、香料は、当時としては、薬用、焚香料としての用途が主であった、日本の仏教では、必ず香を炊くことが要求され、法会や祈祷にも貴重な香料を用いることが定められている。
正倉院や法隆寺に香木の現在が蓄えられていたのも、一部薬用と言うこともあるが、仏事での用途に対応したものであった考えてよいのではないか。
これら南海産の品々は、単なる贅沢品のように見えるが、それだけに時の権勢・財力を持つ者にとって、一旦これを用いだせば、無くては済ませられないものとなる。
『徒然草』の中で兼業法師が「唐の物は、薬の外は、みななくとも事欠くまじ」(第百二十段。※13参照)と述べているのは、有名だが、産地の特定された薬物・染料等への要求は、近代以前にあっては、一貫して存在したようだ。
天平勝宝5年(753年)、鑑真和上の渡来によって、仏教文化が華開いたのと同時に、中国で行われていた仏教での正しい香の作法や、香の楽しみ方をも殿上人に伝えたとされている。
その頃使われた香類には白檀(ビャクダン)、桂皮(ケイヒ=シナモン)、桂心(シナモンの皮から取れる生薬)、などの樹木や沈香の樹 脂 、丁字(チョウジ=クローブ)の蕾、麝香、など、色々あり、これ等を各々粉砕し、その微粉末を混ぜ合わせた「混香」や、更に、それ等に炭粉を混ぜて蜜で練り固めた「練香」であった(詳しくは※14:の「和の香り」香の流れと原料・種類 参照)。
「混香」は主に宗教儀式の為の「焼香」や「塗香」に、又、病を防ぐ「除疫香」として、「練香」は、そのまま置いて「室内香」(火気は用いずに蓋をずらして、ほのかに香りを漂わす。香りが薄れたら、ヘラなどで表面を薄く削る)に、更に、それに熱を加えて「薫香」として、主に人々が香りを楽しむ為に使われた。
そして、仏教とは無関係に香を楽しみはじめたのは、奈良時代後期〜平安時代にかけてといわれている。
上流階級の貴族の間で仏に供えるための香とは区別し、趣味として自分の部屋や衣服、頭髪などに香をたきこめる「空薫物(そらだきもの)」の風習が生まれた。これは、仏への供養である「薫物」に対して生まれた言葉らしく、何が「空(から)」かと言えば、その香煙には「祈りが籠っていない、カラっぽだ」ということからだそうだ(※15:「「e船団」月刊香りとことば)」の31 お香あれこれ(4)空薫物[そらだきもの]参照)。
あの有名な『源氏物語』には、この「薫物」「空薫物」の香りについての記述が多く出てくる。
五十四帖の巻の第3帖「空蝉ウツセミ)」では、空蝉との出会いで、暗闇であったが源氏が薫き込めた香りを嗅いだ女房によって気付かれる話が、良い香りの話の始まりと言える(訳文等※16、※17参照)。巻名は光源氏と空蝉の以下の歌による。
第五段源氏→空蝉
「空蝉の身をかへてける木のもとになほ人がらのなつかしきかな」
注釈:「人柄」に「人殻」を掛ける。「木のもと」は「蝉」の縁語。空蝉の人柄を懐かしむ歌である。
訳文:「蝉が殻を脱ぐように、衣を脱ぎ捨てて逃げ去っていったあなたですがやはり人柄が懐かしく思われます」
「空蝉の羽におく露の木がくれてしのびしのびにぬるる袖かな」
訳文:「空蝉の羽に置く露が木に隠れて見えないようにわたしもひそかに、涙で袖を濡らしております」
源氏の訪れを察した空蝉は、薄衣一枚を脱ぎ捨てて逃げ去り、心ならずも後に残された軒端荻と契った源氏はその薄衣を代わりに持ち帰った。源氏は女の抜け殻のような衣にことよせて空蝉へ歌を送り、空蝉も源氏の愛を受けられない己の境遇のつたなさを密かに嘆いた。
彼女のモデルに関しては、境遇や身分が似ているため、作者(紫式部)自身がモデルではないかと言われている。
この人物は空蝉と呼ぶのが慣例であるが、テキスト本文では帚木と呼ばれる箇所がある。「かの帚木もいざなはれにけり」(関屋)。
「帚木(ははきぎ)」とは人の名前では無く、信濃国園原伏屋にある木で、遠くから見るとある様に見えるが近くに寄って見ると形が見えなくなる伝説の木のことで、姿は見えるのに会えない事を示して居る。
平安貴族たちは、より優美な芳香を求め、その調合を洗練させ、各自が持ち寄った薫物をたき、判者が香りと銘とを総合して優劣を判定する「薫物合せ(たきものあわせ)」(香合わせ)という遊技を生んだ。
優雅な王朝時代から武家の時代へと移行してくると、複雑な薫物の香りに代わり、香木一木(いちぼく)の香りが好まれるようになり、さまざまな香木の香りを聞き比べる「聞香(ききこう・もんこう)」へと発展した。
因みに、香道では、香を「嗅ぐ」と言わず「聞く」と言うが、これは匂いに問いかけをして、五感を研ぎ澄まして一心にその答えを「聞く」という心なのだそうだ。
そして室町時代の華やかな東山文化の下で、茶道や華道が大成するのとほぼ同時期に一定の作法やルールが作られ「香道」が成立する。
江戸時代に入り、香道は貴族だけのものではなく、一般の町民・庶民の間にも広まり香道は日本の伝統芸術として確立し、これが今にも伝わっている。
香には、香を一定の作法に則って香を聞く「聞香」と、文学的でかつ非常にゲーム性に富んだ組香(くみこう)と呼ばれる遊びがある。
季節感のある組香は、その季節に行われるが、そのほか、江戸時代、最も親しまれた香合わせの一つに源氏香があった。
源氏香の成立は享保のころと考えられ、源氏物語を利用した組香である。
私自身、人を迎える心づかいとして香を利用したことはあるが、香道などは習ってもいないのでよくわからないが、これは香を聞く数名の客が、香元から出された香が同じ種類か別のものかを当てる遊びで、それを五本の線で図示する。
源氏香では5種類の香木を5包ずつ合計25包を混ぜ合わせて、そこから無作為に抽出した5包を順に焚いて、香席に5回聞香炉が回される。香席の客は、香りを聞いたら、紙の上に右から順に縦線を引き、同じ香りと思うものは、縦線の上の部分を横線で繋ぐ。そして、5回香りを聞いた後にその図を、源氏物語の巻名に当てはめられた「源氏香之図」に照らし合わせて、巻名で答えて遊ぶのだそうだ。
以下がその図である(Wikipediaより借用)。
ここ→源氏香之図拡大図を見ると、図の説明が見られる。
この時縦線と横線の組み合わせは全部で52通りの図が可能になるが、源氏物語の巻名は全部で54種類あるので、初巻「桐壺」と最終巻「夢浮橋」を除いた「帚木」から「手習」までを当てはめた。
ただし、中には「桐壺」と「夢の浮橋」にも図が与えられているとする説もあるようだが、各々図としての形が与えられているだけで、組香としては意味を成さないものであるため、現在の香道では認められていないようである。52という数から香人は源氏五十四帖を連想したようだ。
最後に、東京都立図書館/貴重資料画像データベースに「源氏香の図」を画題とした浮世絵が54件あるので、以下をクリックして、見てください。ここには、「桐壺」「夢浮橋」を含む源氏五十四帖がすべて揃っている。
東京都立図書館/貴重資料画像データベース:画題等:"「源氏香の図」"を含む浮世絵(54 件)
上掲の浮世絵の絵師は、三代目豊国(歌川 国貞) である。その図柄の面白さがもてはやされ、源氏意匠として絵画や工芸の世界に寄与したと言えようが、源氏香は物語の内容との関連性を持つものではないようだ。
源氏物語では、第32帖の「梅枝(うめがえ)」では、光源氏の養女である「明石の姫君」の入内を記念して「薫物合せ」を催した時の情景が細やかに記載されている。
大宰府などから献上された香木や香料の香りがいまひとつに感じた源氏は、二条院の蔵から古来の品々を取寄せ、それ等を原料として一人当たり二種づつの香りを創らせる。
その詳細や、遣り取り等については、以下参考に記載の※16:「角川文庫 全訳源氏物語(与謝野晶子訳)」や、※17 :「渋谷栄一:源氏物語の世界」を詠まれるとよい。
ここでは上掲の画象のうち資料番号 加8057-033題等「源氏香の図」「梅が枝」の画を1枚ここに借用して見てみよう。ここをクリックすると拡大図が見られる。
この絵に書かれている画中文字は、『源氏物語』第32帖「梅枝」の[第二段 二月十日、薫物合せ]の中に出てくる、朝顔から光源氏にあてた歌である。以下がそれである。
「 はなの香はちりにし枝にとまらねどうつらん袖にあさくしまめや 」
注釈:「散りにし枝」は自分(朝顔)を譬え、「うつらむ袖」は明石姫君を喩える。「浅くしま」「め」(推量の助動詞)「や」(係助詞)、反語表現。浅く薫(かお)りましょうか、いや深く薫ることでしょうの意。「自分を卑下し、姫君の若さを讃えた歌」という。
明石の姫の御裳着(おんもぎ)の準備である。源氏の心遣いは一様ではない。中でも、薫物は源氏自ら六条の院に篭って、調合している。
しかもその調合方法は承和の御代の仁明帝(嵯峨帝皇子。嵯峨 帝は平城帝の弟)が、男子には伝えないとされた秘伝の調合なのである。
紫の上は別に調合の座を造り、八条の式部卿宮(紫の上 の父宮)秘伝の調合をして、源氏と張り合っている。
そんな折蛍兵部卿宮がせわしさ見舞いにやって来る。そこへ朝顔の斉院から梅の枝につけた手紙が来た。兵部卿はかねがね源氏が朝顔に執心であることを知っている。興味津々である。その朝顔の一首である。
歌の意は単純に読めば、「花の香りは散ってしまった枝には残っていませんが、香を焚きしめた袖には深く残るでしょう」・・となるのだろうが、この歌には以下のようなもっと深い意味があるのではないか。
「私如き歳過ぎた者には芳しい花の香も留まりませんように、私が調合いたしました薫物の薫りは、それをが私しては、匂うほどに人々を惹きつけることもありますまいけれど、若く美しい姫君の袖に移りました折には、きっとすばらしい香りを際立たせることでございましょう」・・・と。
この歌には、謙譲の中にも朝顔の源氏への未練と惜春が感じられ、何とも切ない感じがしませんか?
画像は東大寺正倉院収蔵の香木「蘭奢待」Wikipediaより)
※1:日本薫物線香工業会
http://senko-kogyokai.jp/index.html
※2:国立国会図書館のデジタル化資料 - 風来六部集
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2534153
※3:字源-jigen_net
http://jigen.net/
※4:漢字起源説 漢字の起源と由来を探る甲骨文字の旅
http://kanji-roots.blogspot.jp/
※5:岩倉紙芝居館 古典館
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/dkanp700/koten/koten.htm
※6:古代史獺祭 列島編 メニュー
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/index.htm#map_denrayku
※7:淡路島くにうみ神話祭歴史神話マップ
http://www.awajishima-kuniumishinwa.jp/map/index.html
※8:あわじしまの香司
http://awaji-kohshi.com/top.php
※9:パルシェ 香りの館・香りの湯 - PARCHEZ OFFICIAL SITE
http://www.parchez.or.jp/
※10:正倉院公式ケージ
http://shosoin.kunaicho.go.jp/
※11:真柳誠[著述等目録]
http://mayanagi.hum.ibaraki.ac.jp/paperlist.htm
※12:生薬名「異名」(出典)・基原
http://www.naoru.com/44yaku0.html
※13:徒然草(現代語訳付)
http://www.tsurezuregusa.com/index.php?title=%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
※14:和の香り - 漢方薬の きぐすり.com
http://www.kigusuri.com/asano/index.html
※15:「e船団」月刊香りとことばバックナンバー
http://sendan.kaisya.co.jp/kotobakmenu.html
※16:角川文庫 全訳源氏物語(与謝野晶子訳)
http://www.genji.co.jp/yosano/yosano.html
※17 :渋谷栄一:源氏物語の世界
http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/
沈香 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%88%E9%A6%99
「源氏千種香?の依拠本を探る」 - 総合研究大学院大学 総合日本文化」...(Adobe PDF)
http://www.initiative.soken.ac.jp/journal_bunka/130321_takei/takei.pdf#search='%E8%8A%B1%E3%81%AE%E9%A6%99%E3%81%AF%E6%95%A3%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%81%97%E6%9E%9D%E3%81%AB%E3%81%A8%E3%81%BE%E3%82%89%E3%81%AD%E3%81%A9%E7%A7%BB%E3%82%89%E3%82%93%E8%A2%96%E3%81%AB%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%8F%E6%9F%93%E3%81%BE%E3%82%81%E3%82%84'
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正倉院『種々薬帳』に記載されている60種類のうち、約40種類が正倉院に現存(※11:「真柳誠[著述等目録]」の8.雑著・雑報の 129)、137)参照)し、漢方医薬に用いられたものには、 大黄(ダイオウ・ タデ科、用大黄の根茎) 、厚朴(モクレン科、厚朴あるいは凹葉厚朴の樹皮もしくは根皮)、等の植物由来のもの、寒水石(カンスイセキ・硫酸塩類の鉱物。芒硝[硫曹石]の結晶体) 、禹余粮(ウヨリョウ。酸化物類の鉱物。褐鉄鉱の一種)等の鉱物由来のもの、竜骨(ゾウ、サイ、三趾馬などの古代哺乳動物の骨の化石)、臈蜜(ロウミツ。=蜜蝋[ミツロウ]で検索.ミツバチ科、巣の原料となるもの。中華蜜蜂[和名:ミツバチ]などの働き蜂が分泌する・質を精製したもの。)等の動物由来のもの、
香料では、麝香(ジャコウ。シカ科、麝[ジャ:和名ジャコウジカ]の雄の香腺嚢中の分泌物。)、紫鉱(シコウ。紫膠とも書く。ラックカイガラムシ科の昆虫、紫膠虫[和名:ラックカイガラムシ]の分泌物。紫草茸(シソウジョウ)で検索)、桂心(ケイシン=桂皮[ケイヒ]。クスノキ科ニッケイの樹皮) の実物が保存されている(薬名は※12参照)。
上記薬帳に見られるもののほか、帳外薬物としての木香(モッコウ)、丁香(チョウコウ。丁字とも)、蘇芳(スオウ),沈香(ジンコウ)も存在している。
沈香は仏教の諸行の中で重要な香木で、香道に用いられ、我国のお香の代名詞とさえ言われる。
正倉院宝物目録での沈香の名は黄熟香(おうじゅくこう)であるが、蘭奢待(らんじゃたい)の名を有し、当代一級の香木とされている。名の由来には諸説あるが、蘭奢待の三文字の中から「東大寺」の字が読み取ることができることかららしい。
この蘭奢待には、室町時代の八代将軍義正・織田信長・徳川家康・明治天皇によって切削されたことが記されているが、このほかにもいくつかの切り口が見られるという。
そのほか正倉院には、全浅香(ぜんせんこう)や、一部に沈香を用いた木画双六局・木画水精荘箱等がある。
これら、香料は、当時としては、薬用、焚香料としての用途が主であった、日本の仏教では、必ず香を炊くことが要求され、法会や祈祷にも貴重な香料を用いることが定められている。
正倉院や法隆寺に香木の現在が蓄えられていたのも、一部薬用と言うこともあるが、仏事での用途に対応したものであった考えてよいのではないか。
これら南海産の品々は、単なる贅沢品のように見えるが、それだけに時の権勢・財力を持つ者にとって、一旦これを用いだせば、無くては済ませられないものとなる。
『徒然草』の中で兼業法師が「唐の物は、薬の外は、みななくとも事欠くまじ」(第百二十段。※13参照)と述べているのは、有名だが、産地の特定された薬物・染料等への要求は、近代以前にあっては、一貫して存在したようだ。
天平勝宝5年(753年)、鑑真和上の渡来によって、仏教文化が華開いたのと同時に、中国で行われていた仏教での正しい香の作法や、香の楽しみ方をも殿上人に伝えたとされている。
その頃使われた香類には白檀(ビャクダン)、桂皮(ケイヒ=シナモン)、桂心(シナモンの皮から取れる生薬)、などの樹木や沈香の樹 脂 、丁字(チョウジ=クローブ)の蕾、麝香、など、色々あり、これ等を各々粉砕し、その微粉末を混ぜ合わせた「混香」や、更に、それ等に炭粉を混ぜて蜜で練り固めた「練香」であった(詳しくは※14:の「和の香り」香の流れと原料・種類 参照)。
「混香」は主に宗教儀式の為の「焼香」や「塗香」に、又、病を防ぐ「除疫香」として、「練香」は、そのまま置いて「室内香」(火気は用いずに蓋をずらして、ほのかに香りを漂わす。香りが薄れたら、ヘラなどで表面を薄く削る)に、更に、それに熱を加えて「薫香」として、主に人々が香りを楽しむ為に使われた。
そして、仏教とは無関係に香を楽しみはじめたのは、奈良時代後期〜平安時代にかけてといわれている。
上流階級の貴族の間で仏に供えるための香とは区別し、趣味として自分の部屋や衣服、頭髪などに香をたきこめる「空薫物(そらだきもの)」の風習が生まれた。これは、仏への供養である「薫物」に対して生まれた言葉らしく、何が「空(から)」かと言えば、その香煙には「祈りが籠っていない、カラっぽだ」ということからだそうだ(※15:「「e船団」月刊香りとことば)」の31 お香あれこれ(4)空薫物[そらだきもの]参照)。
あの有名な『源氏物語』には、この「薫物」「空薫物」の香りについての記述が多く出てくる。
五十四帖の巻の第3帖「空蝉ウツセミ)」では、空蝉との出会いで、暗闇であったが源氏が薫き込めた香りを嗅いだ女房によって気付かれる話が、良い香りの話の始まりと言える(訳文等※16、※17参照)。巻名は光源氏と空蝉の以下の歌による。
第五段源氏→空蝉
「空蝉の身をかへてける木のもとになほ人がらのなつかしきかな」
注釈:「人柄」に「人殻」を掛ける。「木のもと」は「蝉」の縁語。空蝉の人柄を懐かしむ歌である。
訳文:「蝉が殻を脱ぐように、衣を脱ぎ捨てて逃げ去っていったあなたですがやはり人柄が懐かしく思われます」
「空蝉の羽におく露の木がくれてしのびしのびにぬるる袖かな」
訳文:「空蝉の羽に置く露が木に隠れて見えないようにわたしもひそかに、涙で袖を濡らしております」
源氏の訪れを察した空蝉は、薄衣一枚を脱ぎ捨てて逃げ去り、心ならずも後に残された軒端荻と契った源氏はその薄衣を代わりに持ち帰った。源氏は女の抜け殻のような衣にことよせて空蝉へ歌を送り、空蝉も源氏の愛を受けられない己の境遇のつたなさを密かに嘆いた。
彼女のモデルに関しては、境遇や身分が似ているため、作者(紫式部)自身がモデルではないかと言われている。
この人物は空蝉と呼ぶのが慣例であるが、テキスト本文では帚木と呼ばれる箇所がある。「かの帚木もいざなはれにけり」(関屋)。
「帚木(ははきぎ)」とは人の名前では無く、信濃国園原伏屋にある木で、遠くから見るとある様に見えるが近くに寄って見ると形が見えなくなる伝説の木のことで、姿は見えるのに会えない事を示して居る。
平安貴族たちは、より優美な芳香を求め、その調合を洗練させ、各自が持ち寄った薫物をたき、判者が香りと銘とを総合して優劣を判定する「薫物合せ(たきものあわせ)」(香合わせ)という遊技を生んだ。
優雅な王朝時代から武家の時代へと移行してくると、複雑な薫物の香りに代わり、香木一木(いちぼく)の香りが好まれるようになり、さまざまな香木の香りを聞き比べる「聞香(ききこう・もんこう)」へと発展した。
因みに、香道では、香を「嗅ぐ」と言わず「聞く」と言うが、これは匂いに問いかけをして、五感を研ぎ澄まして一心にその答えを「聞く」という心なのだそうだ。
そして室町時代の華やかな東山文化の下で、茶道や華道が大成するのとほぼ同時期に一定の作法やルールが作られ「香道」が成立する。
江戸時代に入り、香道は貴族だけのものではなく、一般の町民・庶民の間にも広まり香道は日本の伝統芸術として確立し、これが今にも伝わっている。
香には、香を一定の作法に則って香を聞く「聞香」と、文学的でかつ非常にゲーム性に富んだ組香(くみこう)と呼ばれる遊びがある。
季節感のある組香は、その季節に行われるが、そのほか、江戸時代、最も親しまれた香合わせの一つに源氏香があった。
源氏香の成立は享保のころと考えられ、源氏物語を利用した組香である。
私自身、人を迎える心づかいとして香を利用したことはあるが、香道などは習ってもいないのでよくわからないが、これは香を聞く数名の客が、香元から出された香が同じ種類か別のものかを当てる遊びで、それを五本の線で図示する。
源氏香では5種類の香木を5包ずつ合計25包を混ぜ合わせて、そこから無作為に抽出した5包を順に焚いて、香席に5回聞香炉が回される。香席の客は、香りを聞いたら、紙の上に右から順に縦線を引き、同じ香りと思うものは、縦線の上の部分を横線で繋ぐ。そして、5回香りを聞いた後にその図を、源氏物語の巻名に当てはめられた「源氏香之図」に照らし合わせて、巻名で答えて遊ぶのだそうだ。
以下がその図である(Wikipediaより借用)。
ここ→源氏香之図拡大図を見ると、図の説明が見られる。
この時縦線と横線の組み合わせは全部で52通りの図が可能になるが、源氏物語の巻名は全部で54種類あるので、初巻「桐壺」と最終巻「夢浮橋」を除いた「帚木」から「手習」までを当てはめた。
ただし、中には「桐壺」と「夢の浮橋」にも図が与えられているとする説もあるようだが、各々図としての形が与えられているだけで、組香としては意味を成さないものであるため、現在の香道では認められていないようである。52という数から香人は源氏五十四帖を連想したようだ。
最後に、東京都立図書館/貴重資料画像データベースに「源氏香の図」を画題とした浮世絵が54件あるので、以下をクリックして、見てください。ここには、「桐壺」「夢浮橋」を含む源氏五十四帖がすべて揃っている。
東京都立図書館/貴重資料画像データベース:画題等:"「源氏香の図」"を含む浮世絵(54 件)
上掲の浮世絵の絵師は、三代目豊国(歌川 国貞) である。その図柄の面白さがもてはやされ、源氏意匠として絵画や工芸の世界に寄与したと言えようが、源氏香は物語の内容との関連性を持つものではないようだ。
源氏物語では、第32帖の「梅枝(うめがえ)」では、光源氏の養女である「明石の姫君」の入内を記念して「薫物合せ」を催した時の情景が細やかに記載されている。
大宰府などから献上された香木や香料の香りがいまひとつに感じた源氏は、二条院の蔵から古来の品々を取寄せ、それ等を原料として一人当たり二種づつの香りを創らせる。
その詳細や、遣り取り等については、以下参考に記載の※16:「角川文庫 全訳源氏物語(与謝野晶子訳)」や、※17 :「渋谷栄一:源氏物語の世界」を詠まれるとよい。
ここでは上掲の画象のうち資料番号 加8057-033題等「源氏香の図」「梅が枝」の画を1枚ここに借用して見てみよう。ここをクリックすると拡大図が見られる。
この絵に書かれている画中文字は、『源氏物語』第32帖「梅枝」の[第二段 二月十日、薫物合せ]の中に出てくる、朝顔から光源氏にあてた歌である。以下がそれである。
「 はなの香はちりにし枝にとまらねどうつらん袖にあさくしまめや 」
注釈:「散りにし枝」は自分(朝顔)を譬え、「うつらむ袖」は明石姫君を喩える。「浅くしま」「め」(推量の助動詞)「や」(係助詞)、反語表現。浅く薫(かお)りましょうか、いや深く薫ることでしょうの意。「自分を卑下し、姫君の若さを讃えた歌」という。
明石の姫の御裳着(おんもぎ)の準備である。源氏の心遣いは一様ではない。中でも、薫物は源氏自ら六条の院に篭って、調合している。
しかもその調合方法は承和の御代の仁明帝(嵯峨帝皇子。嵯峨 帝は平城帝の弟)が、男子には伝えないとされた秘伝の調合なのである。
紫の上は別に調合の座を造り、八条の式部卿宮(紫の上 の父宮)秘伝の調合をして、源氏と張り合っている。
そんな折蛍兵部卿宮がせわしさ見舞いにやって来る。そこへ朝顔の斉院から梅の枝につけた手紙が来た。兵部卿はかねがね源氏が朝顔に執心であることを知っている。興味津々である。その朝顔の一首である。
歌の意は単純に読めば、「花の香りは散ってしまった枝には残っていませんが、香を焚きしめた袖には深く残るでしょう」・・となるのだろうが、この歌には以下のようなもっと深い意味があるのではないか。
「私如き歳過ぎた者には芳しい花の香も留まりませんように、私が調合いたしました薫物の薫りは、それをが私しては、匂うほどに人々を惹きつけることもありますまいけれど、若く美しい姫君の袖に移りました折には、きっとすばらしい香りを際立たせることでございましょう」・・・と。
この歌には、謙譲の中にも朝顔の源氏への未練と惜春が感じられ、何とも切ない感じがしませんか?
画像は東大寺正倉院収蔵の香木「蘭奢待」Wikipediaより)
※1:日本薫物線香工業会
http://senko-kogyokai.jp/index.html
※2:国立国会図書館のデジタル化資料 - 風来六部集
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2534153
※3:字源-jigen_net
http://jigen.net/
※4:漢字起源説 漢字の起源と由来を探る甲骨文字の旅
http://kanji-roots.blogspot.jp/
※5:岩倉紙芝居館 古典館
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/dkanp700/koten/koten.htm
※6:古代史獺祭 列島編 メニュー
http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/index.htm#map_denrayku
※7:淡路島くにうみ神話祭歴史神話マップ
http://www.awajishima-kuniumishinwa.jp/map/index.html
※8:あわじしまの香司
http://awaji-kohshi.com/top.php
※9:パルシェ 香りの館・香りの湯 - PARCHEZ OFFICIAL SITE
http://www.parchez.or.jp/
※10:正倉院公式ケージ
http://shosoin.kunaicho.go.jp/
※11:真柳誠[著述等目録]
http://mayanagi.hum.ibaraki.ac.jp/paperlist.htm
※12:生薬名「異名」(出典)・基原
http://www.naoru.com/44yaku0.html
※13:徒然草(現代語訳付)
http://www.tsurezuregusa.com/index.php?title=%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
※14:和の香り - 漢方薬の きぐすり.com
http://www.kigusuri.com/asano/index.html
※15:「e船団」月刊香りとことばバックナンバー
http://sendan.kaisya.co.jp/kotobakmenu.html
※16:角川文庫 全訳源氏物語(与謝野晶子訳)
http://www.genji.co.jp/yosano/yosano.html
※17 :渋谷栄一:源氏物語の世界
http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/
沈香 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%88%E9%A6%99
「源氏千種香?の依拠本を探る」 - 総合研究大学院大学 総合日本文化」...(Adobe PDF)
http://www.initiative.soken.ac.jp/journal_bunka/130321_takei/takei.pdf#search='%E8%8A%B1%E3%81%AE%E9%A6%99%E3%81%AF%E6%95%A3%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%81%97%E6%9E%9D%E3%81%AB%E3%81%A8%E3%81%BE%E3%82%89%E3%81%AD%E3%81%A9%E7%A7%BB%E3%82%89%E3%82%93%E8%A2%96%E3%81%AB%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%8F%E6%9F%93%E3%81%BE%E3%82%81%E3%82%84'
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